明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
今年最初の投稿は、昨年末に引き続きサンセポルクロ市立美術館の後編です。

美術館のベランダからの景色です。

一休みするには最適な場所です。

美術館のこちら側も修復工事が行われていました。


一休み終了

ピエロ・デッラ・フランチェスカの「聖ジュリアーノ」
と言いたい所ですが・・・・・ 実は違います。

ピエロのフレスコ画作品だけを集めたコーナーが建設中でした。

「キリストの復活」はありましたが、立ち入りが制限されていて近付いて見ることが出来ません。

コーナーの外から見ようとしても、途中の壁が邪魔していました。

これではどうしようもない。

横から何とか見ることが出来ました。
その他のピエロの2点のフレスコ画は多分、このコーナーの奥の方にあると思うのですが。

仕方がないので、外部サイトから作品画像を拝借します。ピエロ・デッラ・フランチェスカの「聖ジュリアーノ」

ピエロ・デッラ・フランチェスカの「聖ルドヴィーコ」

ピエロ・デッラ・フランチェスカの「キリストの復活」
今頃は工事が終わって、全部見ることが出来るのでしょうね。

ミニバルド・イービ(ボルゴ・サン・セポルクロ、1475‐1548)の「聖ピエトロ」と「聖パオロ」

「聖ピエトロ」

「聖パオロ」

ジュリアーノ・ダ・ピストイア(ピストイア、1480‐1529)の「救助の聖母」(1502)

アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)と工房の「聖母子」(1503)

ポントルモ(1494‐1556)の「聖クインティーノ」

ジョヴァン・バッティスタ・クンギ(サンセポルクロで16世紀に活動)の「受胎告知」(1547)

16世紀の無名画家の「4聖人」

「洗礼者聖ジョヴァンニ」

「聖セバスティアーノ」

「十字架を手にするキリスト」

「聖バルトロメオ」

アンドレア・デッラ・ロッビア工房の「ご誕生」(1485)

これは問題の作品です。中央部分が欠けてますね。これを見ると悲しくなります。

マッテオ・ディ・ジョヴァンニの「聖ピエトロと聖パオロの多翼祭壇画」です。ここに欠落した中央パネルについて一応書かれていますが、詳細には触れられてません。

欠落した中央パネルはこの作品です。
ピエロ・デッラ・フランチェスカの「キリストの洗礼」です。現在、ロンドンのナショナル・ギャラリーにあります。多翼祭壇画から外され、何故イギリスに渡ることになったのか、その理由に納得できません。約170年前に起きたことなので、今さら言っても始まりませんが言いたいです。

サンセポルクロのサン・フランチェスコ教会です。

あの多翼祭壇画はサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会の主祭壇を飾るために注文されました。

現在は活動が停止された旧教会になってます。

1807年、多翼祭壇画はこの教会から取り外され、ドゥオーモに移されました。そして、1857年、当時の司教がイギリス商人に僅か2万3000ポンドで「キリストの洗礼」だけを売ったのです。
何故売ったのか、その理由は今となっては分かりません。ドゥオーモやサンセポルクロ市当局は、その理由を多分知っているに違いないのですが、恥と思っているのでしょう、触れられたくないようです。

「聖ピエトロ」
件の多翼祭壇画に戻します。

左端の聖人たち

「聖パオロ」
欠落したままで見せられるのは辛いものがあります。ドウセなら、残った全部をナショナル・ギャラリーに売却して、完全な形で観たいものです。

右端の聖人たち

裾絵です。

裾絵のテーマは「洗礼者聖ジョヴァンニの生涯」です。





この作品の前に立つと「キリストの洗礼」がある姿が中々浮かびません。

ジョヴァンニ・デ・ヴェッキ(ボルゴ・サン・セポルクロ、1537‐ローマ、1615)の「聖母の寺院への出現」(1570‐80c)

ラッファエッリーノ・デル・コッレの「キリストの寺院への出現」

ジョヴァンニ・デ・ヴェッキの「聖母の誕生」(1570‐80c)

サンティ・ディ・ティート(ボルゴ・サン・セポルクロ、1536‐1603)の「ビアンカ・カッペロの肖像」

アントニオとレミージョのカンタガッリーナ兄弟の「最後の晩餐」

サンティ・ディ・ティートの「ピエタのキリストと2天使」

サンティ・ディ・ティートの「グラウコとシッラ」(1580‐90c)

17世紀の無名画家の「聖フランチェスコ」

アゴスティーノ・シャンペッリ(フィレンツェ、1565‐1630)の「偶像の撲滅」(1618)

サンティ・ディ・ティートの「受胎告知」

アンドレア・ポッツォ(トレント、1642‐ウィーン、1709)の「インドの女王を改宗させる聖フランチェスコ・サヴェーリオ」(1690)

サンティ・ディ・ティートの「教皇聖クレメンテ」(1592)

サンティ・ディ・ティートの「エジプトへの逃避途中の休息」

サンティ・ディ・ティートの「トレンティーノの聖にココラ」(1588)
これで終わりのようです。
しかし、ルーカ・シニョレッリの作品が展示されてません。

これもお目当てでした。
ルーカ・シニョレッリの「磔刑」です。

この作品の裏面にもルーカの作品があるのです。

ところがこの日の夕方、この教会に行ったのですが驚きました。

何と何と、ルーカの作品が主祭壇にあるではないですか!!!

サンセポルクロのサン・アントニオ・アバーテ教会の主祭壇画がルーカ・シニョレッリの「磔刑」だったのです。

元々、この教会の主祭壇画でしたが、取り外されて市立美術館で展示されていましたが、何時の間にか元の場所に戻されていました。ビックリです。
流石に裏面を見ることは出来ないようでした。

主要作品をもう一度見ました。

同じように見えても美術館は行く度毎に違います。

どのように変わっているのか、それを知るのも楽しみの一つです。

楽しかった!!!!

(おわり)
本年もよろしくお願いします。
今年最初の投稿は、昨年末に引き続きサンセポルクロ市立美術館の後編です。

美術館のベランダからの景色です。

一休みするには最適な場所です。

美術館のこちら側も修復工事が行われていました。


一休み終了

ピエロ・デッラ・フランチェスカの「聖ジュリアーノ」
と言いたい所ですが・・・・・ 実は違います。

ピエロのフレスコ画作品だけを集めたコーナーが建設中でした。

「キリストの復活」はありましたが、立ち入りが制限されていて近付いて見ることが出来ません。

コーナーの外から見ようとしても、途中の壁が邪魔していました。

これではどうしようもない。

横から何とか見ることが出来ました。
その他のピエロの2点のフレスコ画は多分、このコーナーの奥の方にあると思うのですが。

仕方がないので、外部サイトから作品画像を拝借します。ピエロ・デッラ・フランチェスカの「聖ジュリアーノ」

ピエロ・デッラ・フランチェスカの「聖ルドヴィーコ」

ピエロ・デッラ・フランチェスカの「キリストの復活」
今頃は工事が終わって、全部見ることが出来るのでしょうね。

ミニバルド・イービ(ボルゴ・サン・セポルクロ、1475‐1548)の「聖ピエトロ」と「聖パオロ」

「聖ピエトロ」

「聖パオロ」

ジュリアーノ・ダ・ピストイア(ピストイア、1480‐1529)の「救助の聖母」(1502)

アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)と工房の「聖母子」(1503)

ポントルモ(1494‐1556)の「聖クインティーノ」

ジョヴァン・バッティスタ・クンギ(サンセポルクロで16世紀に活動)の「受胎告知」(1547)

16世紀の無名画家の「4聖人」

「洗礼者聖ジョヴァンニ」

「聖セバスティアーノ」

「十字架を手にするキリスト」

「聖バルトロメオ」

アンドレア・デッラ・ロッビア工房の「ご誕生」(1485)

これは問題の作品です。中央部分が欠けてますね。これを見ると悲しくなります。

マッテオ・ディ・ジョヴァンニの「聖ピエトロと聖パオロの多翼祭壇画」です。ここに欠落した中央パネルについて一応書かれていますが、詳細には触れられてません。

欠落した中央パネルはこの作品です。
ピエロ・デッラ・フランチェスカの「キリストの洗礼」です。現在、ロンドンのナショナル・ギャラリーにあります。多翼祭壇画から外され、何故イギリスに渡ることになったのか、その理由に納得できません。約170年前に起きたことなので、今さら言っても始まりませんが言いたいです。

サンセポルクロのサン・フランチェスコ教会です。

あの多翼祭壇画はサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会の主祭壇を飾るために注文されました。

現在は活動が停止された旧教会になってます。

1807年、多翼祭壇画はこの教会から取り外され、ドゥオーモに移されました。そして、1857年、当時の司教がイギリス商人に僅か2万3000ポンドで「キリストの洗礼」だけを売ったのです。
何故売ったのか、その理由は今となっては分かりません。ドゥオーモやサンセポルクロ市当局は、その理由を多分知っているに違いないのですが、恥と思っているのでしょう、触れられたくないようです。

「聖ピエトロ」
件の多翼祭壇画に戻します。

左端の聖人たち

「聖パオロ」
欠落したままで見せられるのは辛いものがあります。ドウセなら、残った全部をナショナル・ギャラリーに売却して、完全な形で観たいものです。

右端の聖人たち

裾絵です。

裾絵のテーマは「洗礼者聖ジョヴァンニの生涯」です。





この作品の前に立つと「キリストの洗礼」がある姿が中々浮かびません。

ジョヴァンニ・デ・ヴェッキ(ボルゴ・サン・セポルクロ、1537‐ローマ、1615)の「聖母の寺院への出現」(1570‐80c)

ラッファエッリーノ・デル・コッレの「キリストの寺院への出現」

ジョヴァンニ・デ・ヴェッキの「聖母の誕生」(1570‐80c)

サンティ・ディ・ティート(ボルゴ・サン・セポルクロ、1536‐1603)の「ビアンカ・カッペロの肖像」

アントニオとレミージョのカンタガッリーナ兄弟の「最後の晩餐」

サンティ・ディ・ティートの「ピエタのキリストと2天使」

サンティ・ディ・ティートの「グラウコとシッラ」(1580‐90c)

17世紀の無名画家の「聖フランチェスコ」

アゴスティーノ・シャンペッリ(フィレンツェ、1565‐1630)の「偶像の撲滅」(1618)

サンティ・ディ・ティートの「受胎告知」

アンドレア・ポッツォ(トレント、1642‐ウィーン、1709)の「インドの女王を改宗させる聖フランチェスコ・サヴェーリオ」(1690)

サンティ・ディ・ティートの「教皇聖クレメンテ」(1592)

サンティ・ディ・ティートの「エジプトへの逃避途中の休息」

サンティ・ディ・ティートの「トレンティーノの聖にココラ」(1588)
これで終わりのようです。
しかし、ルーカ・シニョレッリの作品が展示されてません。

これもお目当てでした。
ルーカ・シニョレッリの「磔刑」です。

この作品の裏面にもルーカの作品があるのです。

ところがこの日の夕方、この教会に行ったのですが驚きました。

何と何と、ルーカの作品が主祭壇にあるではないですか!!!

サンセポルクロのサン・アントニオ・アバーテ教会の主祭壇画がルーカ・シニョレッリの「磔刑」だったのです。

元々、この教会の主祭壇画でしたが、取り外されて市立美術館で展示されていましたが、何時の間にか元の場所に戻されていました。ビックリです。
流石に裏面を見ることは出来ないようでした。

主要作品をもう一度見ました。

同じように見えても美術館は行く度毎に違います。

どのように変わっているのか、それを知るのも楽しみの一つです。

楽しかった!!!!

(おわり)