2016年6月時点における展示作品を紹介しています。

ジョヴァンニ・アゴスティーノ・ダ・ローディ(ローディ、1470c‐1519)の「聖母子」

ベルナルディーノ・フェッラーリの「跪く2信者」

マルコ・ドッジョーノの「聖母子」

ジョヴァンニ・アゴスティーノ・ダ・ローディの「聖ピエトロと福音書記者聖ジョヴァンニ」

マルコ・ドッジョーノとジョヴァンニ・アゴスティーノ・ダ・ローディの「キリストの洗礼」

マルコ・ドッジョーノの「聖パオロ」

マルコ・ドッジョーノとジョヴァンニ・アゴスティーノ・ダ・ローディの「マギの礼拝」

シモーネ・ぺテルツァーノ(ヴェネツィア、1540‐ミラノ、1596)の「ヴィーナスと天使と2サティーロ」
シモーネはカラヴァッジョの師匠です。

ここで修復作業が行われます。

ブラマンテとマンテーニャの有名な作品が修復中でした。

ソフォニスバ・アングイッソーラ(クレモナ、1532‐33-パレルモ、1625)の「自画像」

ソフォニスバ・アングイッソーラの「ピエタ」

ジュリオ・カンピ(クレモナ、1508‐1573)の「聖母子とパドヴァの聖アントニオとベアート・アルベルト・ダ・ヴィッラ・ドーニャと寄進者」

ヴィンチェンツォ・カンピ(クレモナ、1530‐30c‐1591)の「果物売り」(1578‐81)

ボッカッチョ・ボッカッチーニ(フェッラーラで1493年から記録、クレモナで1525年没)の「聖母子」

カルロ・クリヴェッリの作品です。

団体さんが2組、カルロ・クリヴェッリの作品の前に来たので、他の作品を先に見ることにしました。

2016年3月17日から2016年6月27日まで、ペルジーノとラッファエッロの師弟による「聖母の結婚」が対比するべく並べて展示されていました。2つの作品の構図は殆ど同じです。

ラッファエッロの「聖母の結婚」(1504)
チッタ・ディ・カステッロのサン・フランチェスコ教会のために描かれた作品で、現在はブレラ絵画館で常設展示されてます。

ペルジーノ(チッタ・デッラ・ピエーヴェ、1446-フォンティニャーノ、1523)の「聖母の結婚」(1501‐04)
フランスのカン美術館にある作品で、200年振りにイタリアに里帰りしたのです。
実は同じ部屋にもう1点の「聖母の結婚」が展示されていました。

Jean-Baptiste Wicar (1762-1834) の「聖母の結婚」

同じ展示室にピエロ・デッラ・フランチェスカの作品も展示されていました。

このように空いているときもありました。

ピエロ・デッラ・フランチェスカ(ボルゴ・サン・セポルクロ、1415c‐1492)の「サン・ベルナルディーノの祭壇画」(1465‐70)
ウルビーノのサン・ベルナルディーノ教会にあった作品です。

カリスト・ピアッツァ(ローディ、1521‐1562)の「聖母子と洗礼者聖ジョヴァンニと聖ジローラモ」

シモーネ・カンタリーニ(ペーザロ、1612‐ヴェローナ、1648)の「エジプトへの逃避途中の休息」

ロンバルディアの無名画家の「聖母子と洗礼者聖ジョヴァンニと聖パオロと音楽天使」

ヴィンチェンツォ・パガーニ(フェルモ、1490c‐1567)の「聖母戴冠」

カルロ・クリヴェッリ(ヴェネツィア、1430c‐マルケ、1494‐95)の「磔刑」

カルロ・クリヴェッリの「聖母戴冠」(1493)

カルロ・クリヴェッリの「蝋燭の聖母と4聖人(聖ピエトロ、聖パオロ、聖アゴスティーノ、聖ジローラモ」(1488‐90)

ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ(ファブリアーノ、1370c‐ローマ、1427)の「ヴァッレ・ロミータの多翼祭壇画」(1408)

バルトロメオ・ディ・トッマーゾ(フォリーニョ、1408c‐ローマ1454以前没)の「幼きキリストを崇拝する聖母」(1427‐30c)

ジョヴァンニ・アンジェロ・ダントニオ・ダ・ボローニャ(1443‐1476記録)の「グアルド・タディーノの多翼祭壇画」(1462‐65c)

ニッコロ・ディ・リベラトーレ通称ニッコロ・アルンノ(ふぉりーにゃ、1430c‐1502)の「カーイの多翼祭壇画」(1461)
カーイ(マルケ州)のサン・フランチェスコ教会にあった作品です。

カルロ・クリヴェッリの「サン・ドメニコのトリッティコ」(1482)
カメリーノ(マルケ州)のサン・ドメニコ教会にあった作品です。

中央パネル

左パネルの聖ピエトロと聖ドメニコ

右パネルの聖ヴィナンツィオと聖ピエトロ・マルティ―レ

裾絵左は、聖アントニオ・アバーテ、聖ジローラモ、聖アンドレア

裾絵右は、聖ジャコモ、シエナの聖ベルナルディーノ、ベアート・ウゴリーノ・マガロッティ・ダ・フィエーニ

ミケランジェロ・アンセルミ(ルッカ?、1491‐92‐パルマ、1554‐56)の「聖ジローラモとアレッサンドリアの聖カテリーナ」

ジローラモ・マッツォーラ・ベドリ(ヴィアダーナ、1500c‐パルマ、1569)の「アクイーノの聖トッマーゾの扮装をした修道士の肖像」

コッレッジョ(コッレッジョ、1489c‐1534)の「マギの礼拝」(1515‐18c)

コッレッジョの「ご誕生」(1512‐13c)

ロレンツォ・レオンブルーノ(マントヴァ、1477‐1537)の「運命の寓意」(1523c)

エルコーレ・デ・ロベルティ(フェッラーラ、1450c‐1496)の「玉座の聖母子と聖アンナと聖エリザベッタ、聖アゴスティーノ、ベアート・ピエトロ・デリ・オネスティ」(1479‐81)

ルドヴィーコ・マッツォリーノ(フェッラーラ、1480c‐1528c)の「ラザロの蘇生」(1527)

フランチェスコ・フランチャ(ボローニャ、1450c‐1517)の「受胎告知」(1505)

ニッコロ・ピサーノ(ピサ、1470‐1538)の「聖母子とガリツィアの聖ジャコモと聖エレーナ」(1512‐14)

ドッソ・ドッシ(サン・ジョヴァンニ・デレ・ドッソ、1474‐フェッラーラ、1542)の「洗礼者聖ジョヴァンニ」

ドッソ・ドッシの「聖ジョルジョ」

ガロファロ(フェッラーラ、1476c‐1559)の「嘆き」(1527)

オルトラーノ(フェッラーラ、1487c‐1527以降没)の「磔刑」(1520)

ドッソ・ドッシの「聖セバスティアーノ」(1526‐27)

ボッカッチョ・ボッカッチーニの「聖母子」

ニッコロ・ピサーノの「聖母子」

コズメ・トゥーラの「磔刑のキリスト」

フランチェスコ・ザガネッリ(コティニョーラ、1460‐70‐1532)の「十字架を担ぐキリスト」

ジョヴァン・フランチェスコ・マイネーリ(1489‐1506記録)の「斬首された洗礼者聖ジョヴァンニの首」

ジェミニアーノ・ベンツォーニ(1489‐1513記録)の「聖パオロ」(1500‐10)

ロレンツォ・コスタ・イル・ヴェッキオ(フェッラーラ、1460c‐マントヴァ、1535)の「マギの礼拝」(1499)

フィリッポ・マッツォーラ(パルマ、1460c‐1505)の「男の肖像」

閉館時間間近なので空いていました。

混雑していて撮れなかったアイエツの「接吻」を帰りに撮ることが出来ました。

ペッリッツァ・ダ・ヴォルペード(ヴォルペード、1867‐1907)の「大勢の人」(1895‐96)

外に出ました。

もう直ぐ午後7時を迎えます。

修復中のため閉鎖されていた展示室が多かったのが残念ですが、それでも十分満足できました。

少しづつ展示作品が変わっていることが分かりました。

(おわり)

ジョヴァンニ・アゴスティーノ・ダ・ローディ(ローディ、1470c‐1519)の「聖母子」

ベルナルディーノ・フェッラーリの「跪く2信者」

マルコ・ドッジョーノの「聖母子」

ジョヴァンニ・アゴスティーノ・ダ・ローディの「聖ピエトロと福音書記者聖ジョヴァンニ」

マルコ・ドッジョーノとジョヴァンニ・アゴスティーノ・ダ・ローディの「キリストの洗礼」

マルコ・ドッジョーノの「聖パオロ」

マルコ・ドッジョーノとジョヴァンニ・アゴスティーノ・ダ・ローディの「マギの礼拝」

シモーネ・ぺテルツァーノ(ヴェネツィア、1540‐ミラノ、1596)の「ヴィーナスと天使と2サティーロ」
シモーネはカラヴァッジョの師匠です。

ここで修復作業が行われます。

ブラマンテとマンテーニャの有名な作品が修復中でした。

ソフォニスバ・アングイッソーラ(クレモナ、1532‐33-パレルモ、1625)の「自画像」

ソフォニスバ・アングイッソーラの「ピエタ」

ジュリオ・カンピ(クレモナ、1508‐1573)の「聖母子とパドヴァの聖アントニオとベアート・アルベルト・ダ・ヴィッラ・ドーニャと寄進者」

ヴィンチェンツォ・カンピ(クレモナ、1530‐30c‐1591)の「果物売り」(1578‐81)

ボッカッチョ・ボッカッチーニ(フェッラーラで1493年から記録、クレモナで1525年没)の「聖母子」

カルロ・クリヴェッリの作品です。

団体さんが2組、カルロ・クリヴェッリの作品の前に来たので、他の作品を先に見ることにしました。

2016年3月17日から2016年6月27日まで、ペルジーノとラッファエッロの師弟による「聖母の結婚」が対比するべく並べて展示されていました。2つの作品の構図は殆ど同じです。

ラッファエッロの「聖母の結婚」(1504)
チッタ・ディ・カステッロのサン・フランチェスコ教会のために描かれた作品で、現在はブレラ絵画館で常設展示されてます。

ペルジーノ(チッタ・デッラ・ピエーヴェ、1446-フォンティニャーノ、1523)の「聖母の結婚」(1501‐04)
フランスのカン美術館にある作品で、200年振りにイタリアに里帰りしたのです。
実は同じ部屋にもう1点の「聖母の結婚」が展示されていました。

Jean-Baptiste Wicar (1762-1834) の「聖母の結婚」

同じ展示室にピエロ・デッラ・フランチェスカの作品も展示されていました。

このように空いているときもありました。

ピエロ・デッラ・フランチェスカ(ボルゴ・サン・セポルクロ、1415c‐1492)の「サン・ベルナルディーノの祭壇画」(1465‐70)
ウルビーノのサン・ベルナルディーノ教会にあった作品です。

カリスト・ピアッツァ(ローディ、1521‐1562)の「聖母子と洗礼者聖ジョヴァンニと聖ジローラモ」

シモーネ・カンタリーニ(ペーザロ、1612‐ヴェローナ、1648)の「エジプトへの逃避途中の休息」

ロンバルディアの無名画家の「聖母子と洗礼者聖ジョヴァンニと聖パオロと音楽天使」

ヴィンチェンツォ・パガーニ(フェルモ、1490c‐1567)の「聖母戴冠」

カルロ・クリヴェッリ(ヴェネツィア、1430c‐マルケ、1494‐95)の「磔刑」

カルロ・クリヴェッリの「聖母戴冠」(1493)

カルロ・クリヴェッリの「蝋燭の聖母と4聖人(聖ピエトロ、聖パオロ、聖アゴスティーノ、聖ジローラモ」(1488‐90)

ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ(ファブリアーノ、1370c‐ローマ、1427)の「ヴァッレ・ロミータの多翼祭壇画」(1408)

バルトロメオ・ディ・トッマーゾ(フォリーニョ、1408c‐ローマ1454以前没)の「幼きキリストを崇拝する聖母」(1427‐30c)

ジョヴァンニ・アンジェロ・ダントニオ・ダ・ボローニャ(1443‐1476記録)の「グアルド・タディーノの多翼祭壇画」(1462‐65c)

ニッコロ・ディ・リベラトーレ通称ニッコロ・アルンノ(ふぉりーにゃ、1430c‐1502)の「カーイの多翼祭壇画」(1461)
カーイ(マルケ州)のサン・フランチェスコ教会にあった作品です。

カルロ・クリヴェッリの「サン・ドメニコのトリッティコ」(1482)
カメリーノ(マルケ州)のサン・ドメニコ教会にあった作品です。

中央パネル

左パネルの聖ピエトロと聖ドメニコ

右パネルの聖ヴィナンツィオと聖ピエトロ・マルティ―レ

裾絵左は、聖アントニオ・アバーテ、聖ジローラモ、聖アンドレア

裾絵右は、聖ジャコモ、シエナの聖ベルナルディーノ、ベアート・ウゴリーノ・マガロッティ・ダ・フィエーニ

ミケランジェロ・アンセルミ(ルッカ?、1491‐92‐パルマ、1554‐56)の「聖ジローラモとアレッサンドリアの聖カテリーナ」

ジローラモ・マッツォーラ・ベドリ(ヴィアダーナ、1500c‐パルマ、1569)の「アクイーノの聖トッマーゾの扮装をした修道士の肖像」

コッレッジョ(コッレッジョ、1489c‐1534)の「マギの礼拝」(1515‐18c)

コッレッジョの「ご誕生」(1512‐13c)

ロレンツォ・レオンブルーノ(マントヴァ、1477‐1537)の「運命の寓意」(1523c)

エルコーレ・デ・ロベルティ(フェッラーラ、1450c‐1496)の「玉座の聖母子と聖アンナと聖エリザベッタ、聖アゴスティーノ、ベアート・ピエトロ・デリ・オネスティ」(1479‐81)

ルドヴィーコ・マッツォリーノ(フェッラーラ、1480c‐1528c)の「ラザロの蘇生」(1527)

フランチェスコ・フランチャ(ボローニャ、1450c‐1517)の「受胎告知」(1505)

ニッコロ・ピサーノ(ピサ、1470‐1538)の「聖母子とガリツィアの聖ジャコモと聖エレーナ」(1512‐14)

ドッソ・ドッシ(サン・ジョヴァンニ・デレ・ドッソ、1474‐フェッラーラ、1542)の「洗礼者聖ジョヴァンニ」

ドッソ・ドッシの「聖ジョルジョ」

ガロファロ(フェッラーラ、1476c‐1559)の「嘆き」(1527)

オルトラーノ(フェッラーラ、1487c‐1527以降没)の「磔刑」(1520)

ドッソ・ドッシの「聖セバスティアーノ」(1526‐27)

ボッカッチョ・ボッカッチーニの「聖母子」

ニッコロ・ピサーノの「聖母子」

コズメ・トゥーラの「磔刑のキリスト」

フランチェスコ・ザガネッリ(コティニョーラ、1460‐70‐1532)の「十字架を担ぐキリスト」

ジョヴァン・フランチェスコ・マイネーリ(1489‐1506記録)の「斬首された洗礼者聖ジョヴァンニの首」

ジェミニアーノ・ベンツォーニ(1489‐1513記録)の「聖パオロ」(1500‐10)

ロレンツォ・コスタ・イル・ヴェッキオ(フェッラーラ、1460c‐マントヴァ、1535)の「マギの礼拝」(1499)

フィリッポ・マッツォーラ(パルマ、1460c‐1505)の「男の肖像」

閉館時間間近なので空いていました。

混雑していて撮れなかったアイエツの「接吻」を帰りに撮ることが出来ました。

ペッリッツァ・ダ・ヴォルペード(ヴォルペード、1867‐1907)の「大勢の人」(1895‐96)

外に出ました。

もう直ぐ午後7時を迎えます。

修復中のため閉鎖されていた展示室が多かったのが残念ですが、それでも十分満足できました。

少しづつ展示作品が変わっていることが分かりました。

(おわり)