
2015年の年間入館者が8,233人だったそうです。
係員が常時いるわけでもなく、無料切符も不要とあって、入館者数をどうやって調べたのか少々不可思議に思えますが、監視カメラがあるので、それに写っている入館者を数えれば簡単に分かります。

ここは「暖炉がある部屋」と呼ばれてます。

これがその暖炉でしょう。

アンドレア・デル・ブレーシャニーノ(ブレーシャ、1485?‐フィレンツェ、1545)の「聖母子」

バキアッカ(ボルゴ・サン・ロレンツォ、1494‐フィレンツェ、1557)の「トビオーロと大天使ラッファエッロ」

アンドレア・ブレーシャニーノの「フランチェスコ会福者」

詳細不明の「シエナの聖カテリーナ」

15世紀末のフィレンツェ派無名画家(Maestro della Madonna Naumbourg ?) の「幼きキリストへの崇拝」

リドルフォ・デル・ギルランダイオの領域の「戦闘の場面」

フランチャビージョの枠組みの「聖ロレンツォの殉教」

16世紀初めのフィレンツェ派無名画家の「受胎告知と聖人たち(聖ウミルタ、福音書記者聖ジョヴァンニ、聖二コラ、殉教の聖女)」

バルトロメオ・ディ・ジョヴァンニ(フィレンツェ、1488‐1501記録)の「悔悛の聖ジローラモ」

ラッファエッリーノ・デル・ガルボ(フィレンツェ、1466c‐1524)の「玉座の聖母子と聖フランチェスコと聖ザノービと二信者」

16世紀初めのフィレンツェ派無名画家(バキアッカ?)の「ピエロ・ディ・コジモ作『聖母子と二天使』の複製画」

洗面台です。

コジモ・ガンベルッチ(フィレンツェ、1560c‐1621)の「井戸のサマリア女」
洗面台の制作者はベネデット・ダ・ロヴェッツァーノ(カナパーレ、1474‐ヴァッロングローザ、1554c)です。

ジョヴァンニ・アントニオ・ソリアーニ(フィレンツェ、1492‐1544)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」

再び食堂に入りました。

次は食堂の壁に展示されている作品です。


どう解釈すべきでしょうか?
無名画家がアンドレア・デル・サルト作品の複製画を制作した? それともアンドレア・デル・サルト自身が自分の作品の複製画を描いた?
この時代、自分の複製画を描くのは珍しくありません。

ジョヴァン・バッティスタ・ナルディーニ(フィエゾレ、1537c‐1629)の「アンドレア・デル・サルト作『洗礼者聖ジョヴァンニの逮捕』の複製画」

ジョヴァン・バッティスタ・ナルディーニの「アンドレア・デル・サルト作『洗礼する洗礼者聖ジョヴァンニ』の複製画」

ジョヴァン・バッティスタ・ナルディーニの「アンドレア・デル・サルト作『ご訪問』の複製画」

ジョヴァン・バッティスタ・ナルディーニの「アンドレア・デル・サルト作『洗礼者聖ジョヴァンニの誕生』の複製画」

これは何でしょうか。

その説明板
panneggio とは「襞を描くこと」の意味です。「襞を描いた断片」?

制作者不明のアンドレア・デル・サルト作品の複製画(16世紀)です。

制作者不明のアンドレア・デル・サルト作品の複製画(16世紀)です。

ポントルモ(ポントルモ、1494フィレンツェ、1556)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」

ポントルモの「アレッサンドリアの聖カテリーナ」

マーゾ・ダ・サン・フリアーノ(サン・フレディアーノ、1532c‐フィレンツェ、1571)の「アンドレア・デル・サルト作『聖家族と聖ジョヴァンニーノ』の複製画」

マーゾ・ダ・サン・フリアーノ?の「玉座の聖母子と聖ジョヴァンニ・グアルベルトとウベルティの聖ベルナルド」

制作者不明のアンドレア・デル・サルト作品の複製画

アンドレア・デル・サルトの「受胎告知」

フランチャビージョの「羊飼いの礼拝」

以下、アンドレア・デル・サルトのデッサンです。全て本物ではなく、本物のファクシミリです。





「最後の晩餐」の前から撮った食堂です。






ポントルモのフレスコ画

これは何でしょうか?

上の部分は作品の写真に凹凸が設けられてます。

このような同じものを他の美術館でもよく見かけます。

目に不自由な人が手に触れて鑑賞出来るようにしてあるもの、と勝手に思ってますが如何でしょうか。

フィレンツェの名画です。

立ち去る前にもう一度「最後の晩餐」を見ました。

外に出ました。

ついでにサン・サルヴィ教会の写真を載せておきましょう。

この教会には沢山の作品があります。

何時も扉が閉まっているので、拝観の機会に恵まれたのは一回だけです。


拝観の機会に恵まれたならば、じっくりと鑑賞したいものです。

何時開くのでしょうか?





(おわり)