
サルヴァトール・ローザの「戦闘」

ボルゴニョーネ(1621‐1675)の「戦闘」

Gerard Terborch (1617-1681)の「若い音楽家の肖像」

Paul Brill (1554-1624) の「狩猟の帰路」

Dirck Helmbreker (1633-1696)の「スパゲッティを食する」

Michiel Sweerts (1617-1664)の「少年の肖像」

Paul Brill の「善きサマリア人がいる風景」

Lucas Van Uden (1595-1672) の「旅人がいる風景」

詳細不明

17世紀のフランドルの無名画家の「男の肖像」

Paul Brill の「村人がいる風景」

17世紀のフランドルの無名画家の「港の風景」

ボルゴニョーネの「戦闘」

詳細不明

ローザ・ディ・ティヴォリ(1657‐1705)の「戦闘」
17世紀になると戦争の場面を描いた作品が流行するようになりました。

17世紀のフランドルの無名画家の「戦闘」

Sebastian Bourdon (1617-1671) の「戦闘の後」

ヴァン・ダイク派無名画家の「男の肖像」

音楽の部屋

ジョヴァン・ジョセッフォ・ダル・ソーレ(1654‐1719)のフレスコ画



マッテオ・ディ・ジョヴァンニの「聖母子」
少なくてもシエナ派の作品ではないと思います。フランドルの画家の作品?

マルカントニオ・キアリーニ(1652‐1730)の「この人を見よ」

詳細不明

次の部屋です。

天井のフレスコ画

Salotti di Parata

タペストリー独特の臭気があります。




アントニオ・フランキ(1638‐1709)の「ポンぺオ・グアスパリーニョの肖像」(17世紀末)


絵画や彫刻よりも各部屋の装飾の方が魅せます。





次の部屋です。

アントン・ヴァン・ダイク(1599‐1641)の「聖家族と聖アンナ」

ピエトロ・パオリーニ(1603‐1681)の「焼き栗売り」

フェルディナンド・ボル(1616‐1680)の「イサクの犠牲」(1646)

チゴリ(1559‐1613)の「祈る聖フランチェスコ」

詳細不明

ピエトロ・パオリーニの「肉屋」

次の部屋です。

ジョヴァンニ・マリア・チョッキのフレスコ画

フラ・バルトロメオに帰属する「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」

17世紀のカラヴァッジェスキ無名画家の作品

コジモ・ロッセッリの「聖母子」
素人目にはコジモの作品ではないような・・・・・
作品帰属は専門家に任せるよりありませんが、マンスィ宮の作品帰属については疑問を禁じえない場合があります。

寝室

台所だった部屋

ジョヴァンニ・マリア・チョッキの「アポロの勝利」(17世紀末)



この先にも部屋があります。






ピエトロ・ノッキ(パルマ、1783‐ルッカ、1854)の「ランゴバルド王の功徳」(1845)

アゴスティーノ・トファネッリ(ルッカ、1770‐ローマ、1814)の「エステルとアマンノ」(1820)

アゴスティーノ・トファネッリの「アシュロとエステルとアマンノ」(1818)

ガスパーレ・ランディ(ピアチェンツァ、1754‐ローマ、1830)の「テレーザ・バンデッティーニの肖像」

ピエトロ・ノッキの「オルスッチ家の人々の肖像」

二コラオ・ランドゥッチ(ルッカ、1801‐1868)の「カルロ・プッチの肖像」(1835‐40c)

ミケーレ・マルクッチ(ルッカ、1845‐1926)の「ジュリオ・チェーザレの死」(1880‐85c)

二コラオ・ランドゥッチの「聖母子と聖ロッコと聖ズィータ」(19世紀中頃)

ルイージ・ノルフィーニ(ピストイア、1825‐ルッカ、1909)の「クレメンテ7世」

ミケーレ・マルクッチの「ドメニコ・ベルティーノに自作を見せるマッテオ・チヴィタ―リ」(1875‐80c)

19世紀の無名画家の「サヴォイアのマルゲリータの肖像」

ルイージ・デ・セルヴィ(ルッカ、1863‐1945)の「出会い」(1906)

アウグスト・パッサリーア(1837‐1918)の「フェリチータ・グエッレーロと息子の彫像」

外に出ました。

じっくり見るには、もう少し時間が欲しかったと思いながら絵画館を後にしました。
(おわり)