
城塞は毎日公開されてますが、博物館の方は毎週月曜日が休館となってます。月曜日に来たことがありませんが、城塞部分と博物館の区分が良く分かりません。何せ一体化していますので。


天井の紋章

Maestro di San Alo の「彩色磔刑像」
この親方に付いて、全くの不知です。

Maestro di San Alo の「キリストと聖人たち」


詳細不明

Maestro di San Alo の「磔刑」
裏面にも描かれています。

裏面も「磔刑」です。

壁一面にフレスコ画が描かれていたようです。


ウンブリアの無名彫刻家の「聖母子(14世紀初め)

スポレートの無名画家の「祭壇前飾り」(14世紀前半)


ウンブリアの無名彫刻家の「聖母」(14世紀中頃)

次の部屋です。

ウンブリアの無名画家の「聖母子」(14世紀前半)

ウンブリアの無名彫刻家の「馬上の騎士」(13世紀末‐14世紀初め)

ウンブリアの無名彫刻家の「馬上の騎士」(13世紀末‐14世紀初め)

ウンブリアの無名彫刻家の「聖ポンツィアーノ」(14世紀前半)

次の部屋です。


無名彫刻家の「アーキトレーブ」(1463)
スポレートのドゥオーモにありました。

ウンブリアの無名彫刻家の「横臥している男の像」(15世紀前半)

ニコロ・アルンノ(フォリーニョ、1454-1502)の「サンタ・マリア・デッレ・グラツィエのトリッティコ」(1475c)



普通、聖母子は中央パネルになりますが、ここでは違います。

ニコラ・ディ・ウリッセ・ダ・シエナに帰属する「サン・エウティツィオのポリッティコ」(1463-77)
残念ながら中央パネルが欠落しています。

聖プラチード、聖スペース

聖ベネデット、聖フィオレンツィオ

4福音書記者


次の部屋です。




アントネッロ・デ・サリバ(メッシーナ、1480‐1495記録)の「モンテサントの祭壇画」(1494)

サリバはアントネッロ・ダ・メッシーナの甥でした。御覧のように腕前は普通でしたが、それでも食べるのに困らないような画家だったと思います。ところが、時々、叔父であるアントネッロ・ダ・メッシーナの名前を騙って作品を制作したのです。更に悪いことには、アントネッロ・ダ・メッシーナ作品の複製画を手掛けたので、作品帰属をめぐって混乱が生じてます。


ヤコポ・ヴィンチオーリ(スポレート、1444‐1495記録)の作品(15世紀第4四半世紀)です。

恐らく多翼祭壇画の一部と思われます。

スポレートのサン・シモーネ教会にありました。

洗礼者聖ジョヴァンニ、聖ピエトロ

ヤコポ・ヴィンチオーリ?の「聖母子と聖人たち」(15世紀第4四半世紀)

展示室からロッジャに出ました。

すっかり良い天気になりました。



2階ロッジャからの眺め



1階に戻りました。

博物館の外に出ました。

(おわり)