イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ: ラツィオ州

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ほろ酔い気分で町歩きを続けます。


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パリオ当日の観光は、パリオ自体が興味を覚えない時には相当苦労することになります。


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この町の栗は巨大なので、2つ食べただけで食傷気味になります。


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この通りを境に、掲げられている旗が違います。


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殆どの人が旗振り競技に出ているのか、人通りが途絶えた道です。


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一旦、この日のお宿に戻ります。


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酔い覚ましとトイレ休憩が目的です。


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ドゥオーモ、サン・ニコロ・ディ・バーリ教区教会が見えてます。


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この日のお宿に戻りました。(写真再掲)


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お宿の建物の壁に描かれた聖母子


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お宿の壁に描かれたムラーレス


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お宿で一休みしてから、再び出発しました。


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通りの突き当りが旗振り競技が行われている広場です。


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歓声が聞こえてきました。まだ旗振り競技が行われているようです。


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後戻りして、城壁外を見ることにしました。


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インノチェンツォ8世通りです。


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振り返って撮った写真です。


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インノチェンツォ8世通りから下を見ると駅があることが分かりました。


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城壁の見張り塔を民家に改造した建物です。


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写真左上にオルシーニ城があります。


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遠くボルセナ湖が見えてます。


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向かいの山に広がるセルヴァレッラ地区です。


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道を下ります。


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ジャルディーノ通りです。


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マドンナ・デル・ポッジョ教会でしょうか?


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スタツィオーネ通りに入りました。


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鉄道線路を越えます。


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オルシーニ城が見えてます。


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駅に向かう道です。


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左の坂道は、セルヴァレッラ地区に向かう道です。


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聖母子の祠


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スタツィオーネ通りから見たオルシーニ城です。


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駅に来てしまいました。


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後は大体同じです。


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写真を数点アップさせて終わりにしましょう。


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(おわり)

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オルシーニ城を一周しました。


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19世紀、刑務所に転用するため、大幅に改造されました。


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教皇領だった時代が長くて、その間は防御機能面の実用性があまりなかった城でした。


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城からの景観


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時計塔の先端


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城外に出ることにしました。


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人の気配が全く感じられなかったのですが、漸く観光客に巡り合うことが出来ました。


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城外に出ました。


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次はミゼリコルディア教会です。


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ミゼリコルディア教会です。


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11-12世紀に建設されたソリアーノ最古の教会の一つです。ルネサンス期に改造されて現在の姿になりました。


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ルネサンス期に追加された扉です。


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単廊式、ロマネスク様式の内部です。


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主祭壇画は、ローマの逸名画家によって1880年に制作された「ジョルジョ・ヴァザーリ作『聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首』のコピー画」です。


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ローマの逸名彫刻家作「ロレートの聖母」(18世紀)


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制作者情報不知の「磔刑像」


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カウンターファサード


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カウンターファサードに置かれたオルガンは、ローマのオルガン職人によって1878年に制作されました。


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旗振り競技の会場に戻ることにしました。


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私好みの見所が少なくないので、退屈しません。


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古い建物が嫌いな方には向かないと思います。


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道を下ります。


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この街をご存知の方はそんなに多くないと思いますが、公共交通機関が便利なので、ローマからの日帰り遠足でも十分見ることが出来ると思います。


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裏道を歩きます。


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一歩裏道に入ると栗祭りとは無縁に思えます。


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アーチを潜ります。


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サン・エウティツィオ教会前に出ました。


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焼き栗を作ってます。


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中世の衣装を着た屋台の女性


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Porta del Ponteに戻りました。


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旗振り競技が佳境に入ってました。


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競技が終わると、レストランが満員になりそうだったので、昼食を食べることにしました。


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店内はガラ空きでした。


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食事が終わっても、客が殆どいません。


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お腹一杯です。
(つづく)

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次はオルシーニ城です。


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この町でもムラーレスがあります。


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古い建物との調和を乱すムラーレスは、好きではありません。


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サン・エウティツィオ教会の鐘楼です。


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道を上って城に向かいます。オルシーニ城は町の最高点にあります。


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ロッカ通りを進みます。


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聖母子の祠があります。


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Castello Orsiniにやってきました。


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高い城壁が聳えてます。


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毎週土曜日と日曜日に博物館として一般公開されているオルシーニ城です。


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この日は何故か切符売り場が閉まっていました。どうやら栗祭りのために無料開放されていた?


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ローマの名家ポリカーリ家によって、1000年頃に築かれた小さな城が前身です。


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その廃墟の上に、ジョヴァンニ・ガエターノ・オルシーニ、後の第188代教皇ニコロ3世(ローマ、1216c-ソリアーノ・ネル・チミーノ、1280 教皇在位:1277-1280)によって、1278年(完成)に建設されたオルシーニ城です。


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城の入り口への階段


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城内の階段


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1848年から1989年まで、城は刑務所として使用されてました。


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その後、修復され、2005年から博物館として一般公開されるようになりました。


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しかし、頑丈な鉄扉や独房が目立つ刑務所博物館?の様相が顕著です。


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ポリカーリ家の紋章


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城の最高点にある聖母子


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カルロ・アルバ―ニの門


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カルロ・アルバ―ニの紋章


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中庭


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中庭に面した最初のアーチ部分


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最初のアーチ天井にあるフレスコ画


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アトリウムの柱


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刑務所だった部分です。


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頑丈な鉄扉


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囚人用中庭


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頑丈な鉄扉は刑務所用を思わせます。


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城内の礼拝堂です。


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礼拝堂祭壇画の「聖母子」(16世紀)


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礼拝堂天井の装飾


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独房の入り口


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独房


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刑務所見学のようです。
(つづく)

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時計塔の下の聖母子のフレスコ画


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次は、サン・エウティツィオ教会です。


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303年から305年に、ソリアーノのキリスト教徒は迫害され、多くの殉教者を出しましたが、現在地に殉教者の地下墳墓が造られました。
313年、コンスタンティヌス帝のミラノ勅令によって、キリスト教が解禁されると、地下墳墓の上に礼拝堂が建設されました。その礼拝堂が現在の教会の前身です。


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その後、礼拝堂は拡大され教会になりました。建物が老朽化したので、15世紀末に再建されました。1716年から1719年にかけて、当時のソリアーニ領主アルバ―ニによって、現在の建物に改造されました。


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オルシーニ城至近の場所にあったので、長らく教区教会でしたが、狭すぎたので新教区教会が必要とされて、新たにサン・二コラ・ディ・バーリ参事会教会が1791年に建設されると、この教会の重要性が薄れました。


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単廊式、バロック様式の内部です。


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碑文


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中世の墓石


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右第一礼拝堂です。


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制作者情報不明の「聖オモボーノと聖クリスピーノ」


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作品帰属不明の「聖母被昇天と聖バルトロメオと聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」


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聖ルチア


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右第二礼拝堂です。


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制作者情報不明の「聖心」


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制作者情報不明の「聖ルチアと聖アントニオ・アバーテとアレッサンドリアの聖カテリーナ」


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右第三礼拝堂です。


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制作者情報不明の「聖コロナティと聖人たち」


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告解室


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Presbiterio


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主祭壇(1861)


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主祭壇画は、ジャック・ピリヤード(フランス、1811-1898)の「聖エウティツィオの殉教」(1861)


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後陣


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左第三礼拝堂です。


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作品帰属不明の「幼きキリストを抱く聖ジュゼッペ」


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ステファノ・ポッツィ(ローマ、1699-1768)の「受胎告知」(18世紀)


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左第二礼拝堂です。
祭壇画の「磔刑」の作品帰属が不明です。


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作品帰属不明の「聖エウティツィオ」


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左第一礼拝堂です。
祭壇画「天上の聖ジュゼッペと聖人たち」は、ポーランドの逸名画家によって描かれました。


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制作者情報不明の「聖母の教育」


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磔刑像(17世紀)


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セバスティアーノ・コンカ(ガエータ、1680-ナポリ、1764)の「聖母マリア」(18世紀)


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主祭壇前から見た出入口方向


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カウンターファサードにある、1990年に復元された17世紀のオルガン


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教会前の広場です。


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サン・エウティツィオ広場にある噴水です。


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サン・エウティツィオ教会前で焼き栗をやってました。


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教会前の石畳


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裏通りに入りました。


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(つづく)

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引き続きドゥオーモ、サン・二コラ・ディ・バーリ参事会教会です。
主祭壇(18世紀)


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主祭壇前から見た出入口方向


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カウンターファサードにある、ローマのオルガン職人アルドブランド・フェデーレによって1794年に制作されたオルガン


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天井


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告解室


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ローマの逸名彫刻家作「聖心」(18世紀)


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セバスティアーノ・コンカ(ガエータ・1680-ナポリ、1764)の「ロザリオの聖母と聖ドメニコと聖ガエターノ」


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逸名彫刻家作「バーリの聖二コラ」(20世紀中頃)


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左第二礼拝堂です。


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左第二礼拝堂の大理石祭壇(1931)


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フランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1679-ローマ、1758)の「聖家族」(18世紀中頃)


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告解室


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幼きキリストを抱く聖ジュゼッペ


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左第一礼拝堂です。


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左第一礼拝堂の祭壇


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ローマの逸名画家作「聖アントニオ・アバーテとエルミットの聖パオロ」(16世紀)


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逸名彫刻家作「パドヴァの聖アントニオ」(17世紀)


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聖水盤(18世紀)


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栗祭りを見ることにしました。


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Viale Vittorio Emanuele III


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門を見る前に横の通りに行ってみます。


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門の下にアーチがあります。


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アーチを潜ります。


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こちらは栗祭りの会場になっていません。


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元に戻って門に向かいます。


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Porta del Ponteです。


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旧市街の入り口となる門です。


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14世紀、ソリアーノ・ネル・チミーノに城壁が建設されましたが、その際、四つの門が設けられ、その中で最重要の門でした。
1737年、門は拡大改造されました。


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1903年に改修され、現在の外観になりました。
1944年、ドイツ軍の空襲によって破壊されてしまいました。現在の門は、1903年の改修後の姿に1949年に復元されたものです。


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門の前にあるFontana del Ponte


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門の横にある聖エウティツィオ


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聖母子


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アルバ―ニ家の紋章


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門の向こう側


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栗祭りの会場です。


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19世紀に建造されたTorre del Ponte、時計塔です。


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建物の上部だけが19世紀に建造されました。


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時計塔のオルシーニ家の紋章


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時計塔の碑文


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時計投下部のアーチは14世紀に建設されました。


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Borgo di Sopraから見た時計塔です。フレスコ画があります。


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16世紀に描かれた聖母子のフレスコ画
(つづく)

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大急ぎでパリオの予約席に着席しました。この日のお宿で予約していたのです。


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着席した途端、パリオが始まりました。


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この町のパリオは旗振りです。


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ソリアーノ・ネル・チミーノは、栗の名産地として有名で、毎年10月に開催される栗祭りのメイン・イベントがパリオです。栗祭りが最初に行われたのは、15世紀と言われており、それ以来、途切れることなく現在まで続けられてます。
町を4つの地区に分けて、旗振りを競うのです。


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旗振り競技は何を基準にして優劣が決まるのか、見ていてルールが分かりません。


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パリオと言えば、競馬のシエナやアスティ、レガッタのジェノヴァ、馬上槍試合のアレッツォ、ファエンツァなどで見ました。


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指定席に座って見ていても、旗振り競技が面白く思わなかったので、席を移動しました。


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中世の衣装を興味深く拝見しました。


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地元の人は盛り上がっていました。


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一泊すべきではなかった、と後悔の念に駆られました。


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中国人は一人もおらず、東洋人は私だけのようでした。


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地元の人が大部分で、観光客はあまりいなかったと思います。ローマ人には知られていない栗祭り?


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旗振りが面白くなく、ドゥオーモの扉が開いていたので、拝観することに。


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サン・二コラ・ディ・バーリ教区教会です。参事会教会でもあるドゥオーモです。


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建築家ジュリオ・カンポレーゼ(ローマ、1754-1840)の設計、工事監督によって1782年から1791年に建設された新古典様式の教会です。


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18世紀中頃、ソリアーノ・ネル・チミーノの教区教会は、ここから至近にあるサン・エウティツィオ教会でしたが、狭過ぎたので、現在地に教区教会を建設することになりました。
その当時、現在地に2つの小さな教会が隣接して建っていましたが、それらを取り壊して、その上に建設されたのが現教会です。


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人が増えてきました。


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人出を避けて、少し大回りをして教会の入り口に向かいました。


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中に入りました。


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単廊式、ギリシャ十字形、新古典様式の内部です。


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右側壁


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クーポラ


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右側壁の第一礼拝堂から見て行きます。


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逸名画家作「キリストと聖ピエトロと使徒たち」(18世紀)


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逸名画家作「聖母子」(18世紀)


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右側壁第二礼拝堂です。


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ローマの逸名画家作「磔刑」(18世紀)


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逸名彫刻家作「聖母マリア」(20世紀初頭)


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右側壁第三礼拝堂です。


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ローマの逸名画家作「聖家族」(18世紀)


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逸名彫刻家作「悲しみの聖母」


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Presbiterio


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ローマの逸名工芸家作の「主祭壇」(18世紀)


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逸名画家作「聖二コラと聖ピエトロ・テデスキ」(18世紀)


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逸名彫刻家作「聖アントニオ・アバーテ」(15世紀)


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ローマの逸名工芸家作「司祭の椅子」(18世紀)


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洗礼盤(16世紀)


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(つづく)

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前泊地はヴィテルボでした。


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この日の目的地はソリアーノ・ネル・チミーノで、ヴィテルボの東約11キロメートルにあります。
タクシーを利用しても、料金があまりかからずに行けますが、この日のソリアーノはジョストラの開催日だったので、交通渋滞を避けて鉄道で行くことにしました。


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Porta Fiorentinaを潜って城壁外に出ます。


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ヴィテルボの城壁です。


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FS線のヴィテルボ・ポルタ・フィオレンティーナ駅を通り過ぎます。


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Ferrovia Roma Nordのヴィテルボ駅の駅舎です。ソリアーノ・ネル・チミーノに向かう列車は、この駅から発車します。


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ヴィテルボには3つの駅があります。


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ローマ・フラミニオ広場行きの列車です。


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9時50分発です。


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車内は非常に空いてました。


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ソリアーノ・ネル・チミーノ駅に到着した列車がローマに向けて出発したところです。


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駅構内の廃車両?


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駅構内から旧市街が見えます。


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駅舎です。


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チェントロ・ストーリコに向かいます。


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ソリアーノ・ネル・チミーノのチェントロ・ストーリコは丘上にあります。


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ソリアーノ・ネル・チミーノは、人口8,106人(2019年12月31日現在)のラツィオ州ヴィテルボ県にあるコムーネです。


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平均標高510メートルあり、町の低い所にテヴェレ川の支流が流れてます。そのため、夏でも30度を超すことは稀で、ローマ市民の避暑地になってます。


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紀元前3世紀、エトルリア人によって築かれました。


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町の最後部に、この地を支配したオルシーニ家によって建設されたオルシーニ城が建ってます。


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旧市街に行くには、ちょっとした山登りになります。


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パリオの旗が掲げられてます。


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オルシーニ城が聳えてます。


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城壁に囲まれてます。


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城壁から滝が流れ落ちてます。


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下はテヴェレ川の支流になります。


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教区教会です。


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スタツィオーネ通りを進みます。


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町の中心の広場に上る階段です。


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門が見えてます。


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門を潜って先に進むのは大回りになります。


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意を決して大回りを避けて階段で、この日のお宿に向かうことにしました。


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この日のお宿はB&Bと言いたいところですが、朝食がなく素泊まりです。


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階段の下に着きました。


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見上げると高さが実感されて、うんざりです。


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写真では、あまり高そうには見えません。


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写真右はオステリアです。


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更に階段を上って広場に出ます。


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ドゥオーモ広場はパリオの客席になっていました。


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パリオの開始間近です。時間がありません。この日のお宿に大急ぎで向かいました。


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この日のお宿に着きました。実は、到着時は時間がなくて焦っていたので、写真を撮ってません。
(つづく)

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時間を持て余し気味です。


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サンタ・マリア・ノヴェッラ修道院教会の横を通りました。


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サンタ・マリア・ノヴェッラ修道院教会の向かいに、1632年に建設されたChiesa della Misericordiaがあります。


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ドゥオーモの拝観とドゥオーモ隣にあるMuseo Diocesanoの入館が残ってます。


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湖畔に下りてもやることが無さそうです。


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1泊するには、時間を持て余します。


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チェントロ・ストーリコ東端の道です。


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澄み切った快晴だったので、写真を撮るには絶好でした。


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アントニアッツォ・ロマーノの作品を見ることが出来て満足としよう、と思いました。


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オルシーニ家の美術品が残されていれば、美術ファンには必訪の町だったことでしょう。


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対岸の町はトレヴィニャーノ・ロマーノです。


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町役場が二番目に推奨している絶景ポイントからの眺めです。


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観光案内所で貰った地図に絶景ポイントが2箇所推奨されてます。


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湖畔の方に道を下ります。


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残念ながら何もなさそうです。


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湖畔に行くのを断念して、ドゥオーモに向かいました。


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ドゥオーモの鐘楼です。


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この家の前に来たのは、これで三回目です。


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写真左手前にニャーゴが写ってます。


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お腹をナデナデしたら喜んでいましたが、カメラを取り出すと起き上がってスタコラサッソと立ち去りました。急に不愛想になったのでビックリ。


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道の突き当りにドゥオーモがあります。


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ドゥオーモは相変わらず閉まったまま。


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Museo Diocesanoも閉まったまま。


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これでやることがなくなりました。


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仕方がないので、ドゥオーモの周りを一周します。


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教会巡りは効率が悪いのです。美術を堪能するには、フィレンツェ、ローマ、ミラノなどの有名美術館に行けば良いのです。


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直ぐに一周出来ました。


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オルシーニ₌オデスカルキ城の城壁です。


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残るは1番目の絶景ポイントです。


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新市街の坂下に絶景ポイントがあります。


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Piazza Saminiati


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町立病院です。


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病院ファサードの入り口扉上ルネッタの浮彫


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病院の下に推奨第1位の絶景ポイントがあります。


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確かに絶景です。


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チェントロ・ストーリコの建物が一望できます。


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絶景ポイント近くに教会があります。


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何と言う教会でしょうか?


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これで見終わりました。


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翌朝です。ホテルの部屋からの眺めです。


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この日も晴れでした。


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次の目的地ヴィテルボに向かいました。
(おわり)

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ブラッチャーノのチェントロ・ストーリコを巡ります。


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オルシーニ₌オデスカルキ城がブラッチャーノ湖の南端丘上にありますが、チェントロ・ストーリコは城の南側と東側にあります。城の西側は旧城壁外の新たに出来た集落となってます。


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この辺はチェントロ・ストーリコの東側に当たります。


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城壁が見当たりません。城壁を取り壊したという感じではないので、ブラッチャーノには城壁がなかったかもしれません。


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塔のような家が続いてます。これらの家が城壁の代わりだったかも知れません。


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ブラッチャーノ湖の北端にトレヴィニャーノ・ロマーノがあります。非常の美しい町なので行きたいと考えてましたが、バスの便が悪いので諦めました。タクシーなら簡単に行けます。


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チェントロ・ストーリコの東端にやってきました。


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振り返って撮った写真です。


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列車とバスでローマから簡単に日帰りできます。


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チェントロ・ストーリコ外に当たります。


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独特な色の壁です。


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チェントロ・ストーリコ東端からの景観です。


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飲料用貯水池なので、汚染防止のため、湖の船や遊びは厳しく制限されてます。


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オルシーニ₌オデスカルキ城とドゥオーモの鐘楼です。


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湖で遊泳することは可能です。


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チェントロ・ストーリコの東端に来たことで満足して、城の方に戻ります。


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違う道を通ります。


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暫くイタリアに行っていないので、ブログを書く気力が薄れてます。


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扉の壁にタイルが張られている家がありました。その意味は?


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この狭い道幅では自動車が入れません。


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道の上が微妙な建て方になってます。


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無原罪の聖母


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ドゥオーモは多分開いていないと思いながらも、未練でドゥオーモに向かいます。


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狭い道を隔てる2つの建物の上部を見て感心しました。


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この道の左側にドゥオーモがあります。


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14世紀から16世紀に建設された建物がそっくり残ってます。


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予想通りドゥオーモは閉まっていました。


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ジュゼッペ・マッツィーニ広場です。


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サンタ・マリア・ノヴェッラ修道院教会を通り過ぎます。


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日差しが強い快晴の日でしたが、26℃だったのはラッキーでした。


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鉄道駅に向かいます。


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雲一つない快晴の中で、城が目立ちます。


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駅は少し高い場所にあります。


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公演を横切ります。


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駅に着きました。


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次の目的地がヴィテルボでした。ヴィテルボに2つの駅がありますが、その2つの駅を結ぶ列車の時刻が分からなかったので、その確認が目的でした。


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駅の西方に行ってみました。


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しかし、西の方には特に見所がなさそうでした。


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チェントロ・ストーリコに戻ることにしました。


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(つづく)

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大広間です。


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結婚式などが行われます。有名な俳優の結婚式が行われましたが、離婚、結婚を繰り返しているので、ここで改めて触れるのが馬鹿らしくなります。


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井戸


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博物館として公開されている城内は大体見たので、順路とは逆に進んで出口に向かうことにしました。トリッティコの間です。


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アントニアッツォ・ロマーノ(ローマ、1430/1435c-1508)のトリッティコです。


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「磔刑」


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磔刑されたキリストと聖母と聖マリア・マッダレーナと聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ


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受胎告知する大天使ガブリエーレ


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受胎告知される聖母


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逸名画家作「聖アントニオ・アバーテ」(16世紀)
これらの絵画は、美術品収集家だったバルダッサッレ・オデスカルキ(ローマ、1844-チヴィタヴェッキア、1909)によって収集されたものです。


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逸名画家作「聖マリア・マッダレーナ」(16世紀)


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トリッティコの間の天井装飾


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ウンブリアの工芸家による作品(17世紀)


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ウンブリアの逸名画家作「聖セバスティアーノ」(16世紀)


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トリッティコをもう一度見ました。


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中庭に出ました。


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下の階に向かいます。


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城の出口は、城の本体部分よりも下の階にあります。


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階段を下ります。


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下の階の入り口です。


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中に入りましたが、特筆すべきものがありません。


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聖母子があります。


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下の階にも井戸があります。


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庭に出ました。


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庭から見たブラッチャーノ湖


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サンタ・マリア・ノヴェッラ修道院教会の鐘楼です。


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ジュゼッペ・マッツィーニ広場


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外に出ます。


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(つづく)

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屋外に出ました。


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居住部分と異なり、荒々しい造りの軍事要塞と実感します。


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屋外の一般公開部分はかなり限定されてます。


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ブラッチャーノ湖です。


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横9.3㎞、縦8.7㎞、広さ56.5㎢、最新160mあります。


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ドゥオーモ


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60万年前から4万年前まで、ローマの北西に位置するこの地方は激しい火山活動がありましたが、活動の結果出来た窪地に水が貯まり、湖になったとされてます。
ブラッチャーノ湖が出来た時から、水の流入は地下からの泉なので、水質が大変良いことで知られてます。現在、ブラッチャーノ湖はローマの飲料用貯水池となってます。


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厨房です。


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ダクト


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P1370453
(つづく)

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次の部屋です。


P1370348
Sala di Isabellaです。
パオロ・ジョルダーノ1世オルシーニ(ブラッチャーノ、1541-サロー、1585)と1558年に結婚したイサベッラ・デ・メディチ(フィレンツェ、1542-1576)の寝室です。


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イサベッラ・デ・メディチのベッド


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アントニアッツォ・ロマーノ(ローマ、1430/1435c-1508)?の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


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ポッライオーロ?の作品


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一旦ベランダに出ます。


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11月4日広場、サンタ・マリア・ノヴェッラ修道院教会が見えました。


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上の階に向かいます。


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次の部屋です。


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シチリア・スタイルのベッドが置かれているので、Sala dei Letto Sicilianoと呼ばれてます。


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トスカーナ・ラツィオの逸名画家作「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタと聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖ジュゼッペ」(17世紀)


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トスカーナ・ラツィオの逸名画家作「善きサマリア人」(17世紀)


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Sala Goticaです。
バルダッサッレ・オデスカルキ(ローマ、1844-チヴィタヴェッキア、1909)の指示によって、15世紀のゴシック様式を模倣したネオ・ゴシック様式で統一された部屋です。


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ヘラクレスの間です。


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武器が展示されてます。


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ピサネッロ派の逸名画家によるフレスコ画


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次の部屋です。


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武器庫です。


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武器庫のフレスコ画


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次の部屋です。


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Sala della Scienceです。


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フレスコ画一杯のSala delle Scienceです。


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フレスコ画のテーマは一般教養、ミューズ、惑星の寓意画です。


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天井の装飾


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次の部屋です。


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Sala del Bobolaccio


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Sala del Bobolaccio天井の装飾


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次の部屋です。


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Sala Etrusca


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Sala Etrusca天井の装飾


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詳細不知


P1370395
(つづく)

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次はSala del Tritticoです。


P1370295
部屋の名称の由来は、アントニアッツォ・ロマーノ(ローマ、1430/1435c-1508)のトリッティコがあるからです。
このトリッティコは、オルガンの蓋に描かれた受胎告知と内側に描かれた磔刑から成ってます。


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最近の研究によって、アントニアッツォ・ロマーノの作品と、その帰属が確定されました。


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部屋の天井の装飾


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アントニアッツォ・ロマーノ(ローマ、1430/1435c-1508)の「磔刑」


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アントニアッツォ・ロマーノ(ローマ、1430/1435c-1508)の「受胎告知される聖母」


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アントニアッツォ・ロマーノ(ローマ、1430/1435c-1508)の「受胎告知する大天使ガブリエーレ」


P1370304
バルダッサッレ・オデスカルキ(ローマ、1844-チヴィタヴェッキア、1909)がトリッティコをこの部屋に置くことを決めたそうです。


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ウンブリアの逸名画家作「聖セバスティアーノ」(16世紀)


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逸名画家作「聖アントニオ・アバーテ」(16世紀)


P1370307
次の部屋です。


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ピサネッロの帰属作品があるので、Sala del Pisanelloと呼ばれてます。


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ピサネッロ(ピサ又はヴェローナ、390c-ナポリ、1455c)に帰属するフレスコ画


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ピサネッロのフレスコ画(帰属)


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ピサネッロのフレスコ画(帰属)


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ピサネッロのフレスコ画(帰属)


P1370312
フランドルの逸名画家作「オデスカルキ家の男の肖像」


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フランドルの逸名画家作「オデスカルキ家の女の肖像」


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制作者情報不知の「第240代教皇インノチェンツォ11世・オデスカルキ(コモ、1611-ローマ、1689 教皇在位:1676-1689)の肖像」


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詳細不知


P1370317
詳細不知


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次はSale del Cesariです。


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部屋の名称の由来は、ユリウス・カエサルの彫像があるからです。


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ローマ皇帝の彫像が置かれてます。


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カエサルの間に、アントニアッツォ・ロマーノの長大なフレスコ画(横約12m)があります。


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アントニアッツォ・ロマーノ(ローマ、1430/1435c-1508)の「ジェンティーレ・ヴィルジニオ・オルシーニとピエロ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチの1487年の邂逅」


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ジェンティーレ・ヴィルジニオ・オルシーニ(ブラッチャーノ、1445c-ナポリ、1497)は、この城を拡大整備増強をした傭兵隊長です。
ピエロ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチ(愚昧なピエロ)(フィレンツェ、1472-カステルフォルテ、1503)は、ロレンツォ・イル・マニーフィコの長男でしたが、その綽名の通り愚か者で有名です。


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次の部屋です。


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Sala Orsiniです。


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部屋の壁にオルシーニ家の人々の肖像画がありましたが、現在は何故か肖像画が撤去されています。(天井下の壁が空欄になってます)


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オルシーニ家の紋章


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オルシーニ・メディチの紋章
1558年、パオロ・ジョルダーノ1世・オルシーニ(ブラッチャーノ、1541-サロー、1585)とイサベッラ・デ・メディチ(フィレンツェ、1542-1576)が結婚してから、この紋章が使用されることになりました。


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制作者情報不知の「パオロ・ジョルダーノ1世・オルシーニの肖像」


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制作者情報不知の「イサベッラ・デ・メディチの肖像」


P1370331
制作者情報不知の「パドヴァの聖アントニオ」


P1370334
詳細不知


P1370339
次の部屋です。


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Sala del Leone


P1370340
(つづく)

P1370258
次はオデスカルキ城博物館です。


P1370259
少し遠回りして11月4日広場経由で城に行きます。


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11月4日広場に面して建つPalazzo Comunaleです。


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11月4日広場からCastello Orsini- Odescalchiがよく見えます。


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Castello Orsini- Odescalchiの塔の下に来ました。


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オデスカルキ城博物館の開館時間になりました。


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聖母の目の周囲の描き方に違和感があるタベルナコロです。


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ブラッチャーノの見所は、何といってもCastello Orsini- Odescalchiでしょう。保存状態が良いことで知られています。


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ジュゼッペ・マッツィーニ広場です。城の入り口は、この広場の端にあります。


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サラセン人の攻撃に対する防御として、ブラッチャーノ湖畔の高台に多くの塔が10世紀に建設されました。現在の城の塔は、10世紀に建設された塔が利用されてます。


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11世紀には、現在の城がある場所と城に隣接する広大な土地がPrefetti di Vico家に売却されました。
同家は、ドイツ出身の貴族で、ローマに住み、ヴィーコ湖とその周囲の土地を所有していました。ブラッチャーノの土地を買収した同家は、10世紀に建設された防御用の塔を組み入れた城を建設しましたが、その城が現在の城の前身です。


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1234年、Prefetti di Vico家はブラッチャーノの領有権をオルシーニ家に売却しました。1375年からブラッチャーノは教皇の領有地となりました。


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1419年、ローマの名門コロンナ家出身の第206代教皇マルティーノ5世(ジェナッツァーノ、1368-ローマ、1431 教皇在位:1417-1431)は、ブラッチャーノの領有権がローマの名門貴族オルシーニ家の分家にあることを確認したのです。
現在の城は、傭兵隊長のナポレオーネ・オルシーニ(1420c-1480)とその息子で傭兵隊長のジェンティーレ・ヴィルジニオ・オルシーニ(ブラッチャーノ、1445c-ナポリ、1497)が、万能の芸術家・建築家フランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニ(シエナ、1439-1501)などを起用して、従来の城を1470年から1485年にかけて拡大整備増強させましたが、現在のルネサンス様式の城は、この増強後の姿となってます。
1696年、オルシーニ家は、コモ出身の貴族リヴィオ・オデスカルキ(コモ、1652-ローマ、1713)に城を売却しました。
1952年から城は博物館として一般公開されるようになりましたが、城を所有するオデスカルキ家は今でも城に居住しています。オデスカルキ家居住部分は非公開となってます。


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ジュゼッペ・マッツィーニ広場に切符売り場があります。


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切符売り場


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城の入り口扉です。切符を買った人が扉の前に立つと、扉が開くようになってます。それ以外の場合、扉が閉まっているので、休館と誤解する人がいるそうです。


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城の敷地内に入りました。


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城には五本の塔があります。


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城門です。


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イタリアにあるルネサンス様式軍事建築物の代表作の一つとされてます。


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1797年、ナポレオン軍の侵攻によって城は接収され、城にあった多くの芸術作品や宝物がフランスに持ち去られ、その殆どが戻されていません。
また、フランス軍は、城をマリーノ・トリオニア伯爵に譲渡しましたが、同伯爵は、1848年、リヴィオ3世・オデスカルキに城を売却し、元の持ち主であるオデスカルキ家に戻ったのです。オデスカルキ家は、自己が所有していた城をフランス軍に無償接収され、金を出して自己所有にしたという、非常に損な取引をしたので、同家の財政状態は悪化してしまいました。


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庭からのブラッチャーノ湖の景観


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建物の入り口です。


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こちらは建物の出口となってます。


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建物の先でロープが張られていますが、ロープの先はオデスカルキ家の居住部分となっており、非公開、立ち入り禁止となってます。


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入口の天井のフレスコ画があります。


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1470年から1485年に、城が増強整備されましたが、その時に描かれたフレスコ画です。


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最初の部屋に入りました。


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一般公開される前は書斎として使用されていた部屋です。


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ペストが流行していたローマから逃れて、1481年、教皇シスト4世・デッラ・ローヴェレがこの城に一時的に滞在したそうです。


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部屋のフレスコ画は、フェデリーコ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1539-アンコーナ、1609)とタッデオ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1529-ローマ、1566)のズッカリ兄弟によって16世紀第3四半世紀に制作されました。


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次の部屋です。


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少し小さなベッドが置かれてます。この当時、高貴な人はベッドに完全に横臥するのではなく、頭と背中上部を壁にもたれて寝たそうで、そのためにサイズが小さなベッドが使用されていました。


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男女の肖像画があります。この部屋を使用していた夫婦の肖像画と思いますが、その詳細が分かりません。


P1370287
(つづく)

P1370213
サント・ステファノ・プロトマルティーレ参事会教区教会の最初の建物は1200年頃建設されたと言われてます。


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ドゥオーモが一日中閉まっていることはない筈と思い、後で来ることにしました。


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ドゥオーモの横の建物に聖母子のタベルナコロがあります。


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ドゥオーモはカステッロの城壁外の、コムーネの城壁内に建設されました。


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カステッロの城壁沿いの道を進みます。


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こちらの道もロトンダ通りです。


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ロトンダ通りは、ドゥオーモの前を一周するのです。


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堅固な造りの建物が建ち並んでます。


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Piazza Saminiatiです。


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ロトンダ通りを一周しました。


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市立博物館の開館時間になりました。


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サンタ・マリア・ノヴェッラ修道院の入り口です。


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扉が開いてます。


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キオストロ回廊への入り口です。


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サンタ・マリア・ノヴェッラ修道院の中庭です。


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中庭にある井戸


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市立博物館の入り口です。


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入館しました。入館無料でした。


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クリストフォロ・スタティ(ブラッチャーノ、1556-ローマ、1619)の「ヴィーナスとアドーネ」(1600-10)


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この作品はクリストフォロの代表作の一つです。


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噴水の口


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クリストフォロ・スタティ工房作「Mostra di Fontana」


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トスカーナの彩釉テラコッタ制作者作「受胎告知」(20世紀)


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アンドレア・デッラ・ロッビア作品の複製のようです。


P1370236
ジローラモ・トロッパ(ロッケッテ、1636-ローマ、1710)の「ヴィッラノーヴァの聖トンマーゾの施し」(17世紀後半)


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アウレリオ・テンペローニの「ダンテの肖像」(1873)


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アウレリオ・テンペローニという彫刻家については全く知りません。


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市立博物館は2006年4月1日に開館しました。


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展示室は全部で5室あります。


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ローマ時代の彫刻


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キリストの頭像


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P1370250
ソフィア・ローザ・カテリーナ・ブラニカ・オデスカルキの肖像(19世紀後半)
制作者は不明のようです。


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ソフィア・ローザは、ヨーロッパ有数の富裕者だったローザ・ポルカの娘であり、ロシア女帝カテリーナ二世の孫でした。1841年、リヴィオ3世オデスカルキと結婚しましたが、当時豊かでなかったオデスカルキ家は、ソフィア・ローザが持参した莫大な資産によって財政状態が回復したと言われてます。


P1370252


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キオストロ回廊から見た旧修道院の建物


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外に出ました。
(つづく)

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ジョルダーノ・オルシーニ枢機卿(ローマ、1360/1370-1438)の指示によって、1436年から1450年に建設されたルネサンス様式のサンタ・マリア・ノヴェッラ修道院教会です。
建物が完成間近になると、第207代教皇エウジェニオ4世(ヴェネツィア、1383-ローマ、1447 教皇在位:1431-1447)はサンタゴスティーノ修道会に建物を与えることを決めました。建物が完成すると同会修道士が定住し、サンタゴスティーノ会の修道院教会となりました。


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鐘楼は、16世紀に創建され17世紀初頭に完成しました。


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1628年から1630年に、建築家オラツィオ・トゥッリアーニ(ブラッチャーノ、1578-ローマ、1657)の設計によって増築されましたが、現在の姿はこの増築後のものです。


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内部は1998年から2003年に大掛かりな修復工事が行われました。
修道院は閉鎖されて、その建物は、現在、市立博物館として使用されてます。


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中に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、ルネサンス様式の内部です。


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1998年から2003年に行われた修復によって、塗装し直された壁です。


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天井の装飾


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・トッリアーニ(1625-1699)の「聖母子」(1692-96)


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主祭壇と後陣


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・トッリアーニ(1625-1699)による装飾(1692-96)


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・トッリアーニ(1625-1699)の「聖アゴスティーノ」と「聖モニカ」(1692-96)


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ポーランド出身の画家タッデオ・クンツェ(ポーランド、1727-ローマ、1793)の主祭壇画「聖母被昇天」(18世紀第4四半世紀)


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制作者情報不知の「磔刑」


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ジュゼッペ・トーリの「聖ジュゼッペの死」
ジュゼッペ・トーリは、アゴスティーノ会修道士で、タッデオ・クンツェの弟子でした。


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ジュゼッペ・トーリの「聖モニカに顕現するキリスト」


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ジュゼッペ・トーリの「聖母子と聖アゴスティーノと聖モニカ」


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ジュゼッペ・トーリの「聖体拝領を授ける聖母」


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制作者情報不知の「貧者に施しをする聖アゴスティーノ」


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出ました。


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見所が多そうな通りです。


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隣にある市立博物館に入館したいと思いましたが、開館時間まで15分ほどありました。


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15分ほどの時間潰しに出発しました。


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城は博物館として一般公開されてますが、この時間は開いていません。


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多分開いている筈のドゥオーモに行くことにしました。


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城の下の道を行きます。


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見上げると塔が聳えているのを目にしました。


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ジュゼッペ・マッツィーニ広場です。


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ロトンダ通りです。


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この辺の堅固な家は、オルシーニ家が町の防御を考えて造らせたそうです。


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ロトンダ通りを進みます。


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アーチの先にドゥオーモがあります。


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ブラッチャーノのドゥオーモです。


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ドゥオーモの扉が閉まっているとは予想外でした。


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サント・ステファノ・プロトマルティーレ参事会教会です。


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(つづく)

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前泊地はローマでした。普通列車に乗車してブラッチャーノに向かいました。


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ブラッチャーノ駅に到着しました。


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ローマ~カプラニカ~ヴィテルボを結ぶ鉄道を利用すれば、簡単にブラッチャーノに行くことが出来ます。


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ブラッチャーノ駅の駅舎です。


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この日のお宿に向かいます。


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ブラッチャーノは、人口18,897人(2020年1月1日現在)のラツィオ州ローマ県にあるコムーネです。


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ブラッチャーノ湖を見下ろす丘上と湖畔にある町で、その丘上に、ローマの大貴族オルシーニ家の城塞があることで知られてます。


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写真左がAlbergo della Postaで、この日のお宿です。


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午前中の到着にも拘らず、部屋に入ることが出来ました。
部屋の中に植物画が数点ありました。


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イギリスで盛んな植物画です。


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全部バラを描いたものです。


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このお宿のオーナーがバラ好きということが分かりました。


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部屋で一服してから外に出ました。マッジョ広場です。


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サンタ・マリア・ノヴェッラ修道院教会の拝観は後程にしました。


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プリンチペ・デ・ナポリ通りです。


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町の中心、11月4日広場です。


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11月4日広場にある、17世紀に造られた噴水です。


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町役場です。


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町役場の前にあるのは、二度の世界大戦で戦死した、町出身兵士の慰霊碑です。


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1619年から1636年に建設されたPalazzo Comunaleです。
Palazzo Comunaleの左右の建物は、教皇インノチェンツォ11世の甥で、ブラッチャーノ公爵、Principe del Sacro Romano Imperoのリヴィオ・オデスカルキ(コモ、1652-ローマ、1713)が学校、穀倉、劇場として建てさせたものです。


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11月4日広場に面して教会があります。


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Chiesa della Visitazioneです。オルシーニ公爵が建築家オラツィオ・トゥッリアーニ(ブラッチャーノ、1578-ローマ、1657)を起用して1641年に建設された教会修道院です。
貧しいクレア修道会の女子修道院の一部として使用されましたが、ナポレオンの抑圧令によって1800年に修道院が閉鎖されました。


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ファサードの装飾


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中に入りました。


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単廊式の単純な構造の内部です。


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右側壁


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19世紀中頃に行われた改修の際に描かれた天井のフレスコ画


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主祭壇


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主祭壇画の「ご訪問」(19世紀中頃)
私には制作者などの詳細が分かりません。


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創建時に描かれたフレスコ画(17世紀中頃)が僅かに残されてます。


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外に出ました。


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11月4日広場の先に、Castello Orsini- Odescalchiとサンタ・マリア・ノヴェッラ教会が見えます。


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写真右奥に売店のような建物は観光案内所です。観光案内所で地図を頂戴しました。


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ご訪問教会が面している9月20日通りを進みます。


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9月20日通りを左折してVia Principe di Napoliに入りました。


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通りを真直ぐ進めば城の下に出ます。


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ブラッチャーノは欧米人に人気がある観光地ですが、日本人観光客を見かけたことがありません。


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今度はサンタ・マリア・ノヴェッラ修道院教会の拝観です。


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(つづく)

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教区教会の周りは、ヴィテルボで最古の地区と言われてます。


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サンタ・マリア・ヌオーヴァ教区教会です。


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ローマ時代にこの地に建設された異教の寺院がありましたが、380年の記録によって、その存在が確認されてます。確実な記録が残されてませんが、6世紀頃にその異教の寺院が初期キリスト教会に転用されたと推察されてます。その初期キリスト教会がこの教区教会の前身とされてます。


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現在の教会の姿は、初期キリスト教会の建物を取り壊して、その上に1080年に創建され12世紀に完成したロマネスク様式の二代目の建物がその後3回に渡る補修工事によって若干変更されたものです。


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17世紀、18世紀、20世紀の3回補修工事が行われましたが、幸いなことに大掛かりな修復は一度も行われず、マイナーチェンジの補修に留まり、12世紀完成の姿はほぼ現在も留めていると言われてます。


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ファサードのルネッタ上のフレスコ画はその痕跡さえも残されていません。


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ファサード横に説教壇があります。


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1266年、教皇クレメンテ4世がこの説教壇から説教を行ったそうです。


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日が当たっていた方が見易いでしょうか?


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平日は開いている時間が長いので拝観しやすい教会です。


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鐘楼と中庭


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中に入ります。


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三廊式、ロマネスク様式の内部です。


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美術的には、ヴィテルボの数多くの教会の中で必見とされている教会です。


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このように説明プレートが完備されてます。


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貴重なフレスコ画が保存状態良く残されてます。


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左側廊


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左右の側廊に礼拝堂が設けられてます。


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右側廊


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木組みの梁の天井


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中央通路


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主祭壇


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装飾がない後陣です。


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磔刑像が置かれているだけです。
祭壇画、フレスコ画を見て回りました。


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ヴィテルボ出身のジョヴァンニ・フランチェスコ・ザッキ・タヴァンツァラーノ通称ファンタスティコの「玉座の聖母子と聖バルトロメオと聖ロレンツォ」(1495‐1505c)


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フランチェスコ・ザッキ・ディ・アントニオ通称バッレッタ・ディ・ヴィテルボの「磔刑と聖人たち」(15世紀)


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トスカーナの無名画家の「モナルデスキ家のフレスコ画」(1293)
このフレスコ画が描かれた礼拝堂はヴィテルボの貴族モナルデスキ家の個人礼拝堂です。


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サーノ・ディ・ピエトロの「聖母子と天使たち」(15世紀)


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13世紀のローマの無名画家の「祈るキリストと聖母と福音書記者聖ジョヴァンニ」(13世紀前半)


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カルロ・カネストラーリ(1922‐1988)の「ピエタのタベルナコロ」(1958)


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詳細不明


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制作者不詳の1320年に制作されたフレスコ画断片


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玉座の聖母子と四聖人(14世紀)

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バッレッタ・ディ・ヴィテルボの「玉座の聖母子と聖人たち」(15世紀)


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ヴィテルボ出身のマッテオ・ジョヴァンネッティの「磔刑と聖人たち」(1340)


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パストゥーラ・ディ・ヴィテルボ(1450‐1516ヴィテルボで活動記録)の「聖ジローラモと洗礼者聖ジョヴァンニと聖ロレンツォ」(15世紀末)


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詳細不明


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制作者不詳の「パドヴァの聖アントニオ」


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20世紀の修復の際、新作された柱頭


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古い柱頭が見当たりません。


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創建時の柱頭がないか、熱心に探しました。


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この壁に最後の晩餐のフレスコ画があったそうです。


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聖水盤


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外に出ます。


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ドゥオーモよりも見所が多いと思います。


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(おわり)

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マルコ・ベネフィアルの「聖トランクィッリーノの洗礼」(1721‐25)


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光るので横から撮ってみました。


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ベアトリーチェ・ボッローニの「La Mortella」
彼女の作品の画題は凝っているので、日本語に訳してもよく分からない。そのまま掲載した方が良さそうです。


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ルドヴィーコ・マッツァンティの「聖なる家の引っ越し」(18世紀前半)


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無名画家の「聖ステファノと聖ロレンツォ」(15世紀?)


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この部屋は個展が主、宗教画が従になってます。


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彼女の作品に見慣れてくると、現代作品としては魅力あるものに感じてきました。


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この博物館内に空き部屋があるので、そこを使って彼女の作品だけを展示する個展の形態を何故取れないのか、不思議に思いました。


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「Le Lottatrici」


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詳細不明
彼女の個展のため、宗教画の説明板を取っ払ったようです。


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「Consuelo」
彼女が描くのは女性だけのようです。


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サマルカンダの女はシリーズになっているようで、番号が付けられてます。


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「サマルカンダの女5」


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「Portatrice D'Acqua」


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「サマルカンダの女7」


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詳細不明


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「サマルカンドの女4」


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「サマルカンダの女6」


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「ジュラルディーナと他の女たち」


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この作品には番号がありません。


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強いて番号を付ければ、1番になるでしょうね。1番の作品がありませんから。


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詳細不明


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「Le Appese」


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「Notturno」


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「サマルカンダの女2」


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「La Posa」


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詳細不明


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「Luce」


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「Nuovo Raccolto」


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階段に2つの作品があります。


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詳細不明


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詳細不明


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次の部屋です。


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現代画ですが、ベアトリーチェ・ボッローニの作品ではないと思います。


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エッチング、水彩画などが展示されてますが、すべて詳細不明です。


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天井の装飾


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この部屋から宗教美術のエリアになります。


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フランチェスコ・ナーニの「聖パオロ・アポストロ」


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フランチェスコ・ナーニの「ピオ2世」


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フランチェスコ・ナーニの「聖ルチア」


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次の部屋です。


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フランチェスコ・ナーニの「聖パオロ・アポストロ」


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フランチェスコ・ナーニの「天使」


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フランチェスコ・ナーニの「天使」


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フランチェスコ・ナーニの「ピオ11世」


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フランチェスコ・ナーニの作品


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詳細不明


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ドゥオーモの柱頭


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これは何ですか?奇妙奇天烈


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詳細不明
私には理解不能です。


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ヴィテルボの聖職者たちの肖像画です。


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定番の聖職者用衣装


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聖職者用衣装って、博物館でわざわざ展示する価値があるの?


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これを見たドラえもんが言いそうです。「こ~れがどうした」


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次の部屋は聖具類の展示です。


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高価そうなものばかりです。


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退屈極まりない展示


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ヴィテルボの高位聖職者像


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ヴィテルボで即位した教皇像がありましたが、撤去されてました。


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ミケランジェロの追随者の「磔刑」(16世紀末)
以前はミケランジェロの作品とされていました。


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金属加工品


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私の他には誰もいません。


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この展示内容では閑古鳥が鳴くのは当然です。


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詳細不明


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ローマ派無名画家の「カルボナーラの聖母」(12世紀末‐13世紀初頭)


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ドメニコ・コルヴィの「福音書記者聖ジョヴァンニ」(1749)


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べンヴェヌート・ディ・ジョヴァンニの「聖母子」(15世紀)


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バルトロメオ・カヴァロッツィの「聖母子」(1625)


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古いフレスコ画が僅かに残されてます。


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「サマルカンダの女8」


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今回の博物館は、ベアトリーチェ・ボッローニの作品が強烈な印象を残してくれました。
何処かで彼女の作品に出合うことがあれば、一目で彼女の作品と分かると思います。
(おわり)

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ドゥオーモのファサードと鐘楼の間に低い建物がありますが、そこが博物館の入り口です。
Museo del Colle del Duomoは2000年にオープンした比較的新しい博物館です。


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入り口横にBORRONIの看板が出ていました。それを見て一瞬嫌な感じがしたのですが、そのまま入館しました。結論を言えば、その嫌な感じが当たりでした。


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以前は、教皇の館 Palazzo dei Papi に行ってコンクラーヴェが行われた部屋などを見学できましたが、この日は見学はやっていないと言われました。この日だけの一時的な措置であることを望みます。


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切符売り場


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「ヴィテルボ病院のテリトリーを示す地図」(16世紀)


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ジョヴァンニ・ドゥプレの「Letizia Bonaparte Wyse (1804-1871)」


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ヴィンチェンツォ・ストリゲッリ・ダ・ヴィテルボ(1720c‐1786?)の「聖バルトロメオの殉教」
以前と比べるとかなり展示が違うことに気付きました。


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「洗礼者聖ジョヴァンニに下顎の発見を報告する碑文」(1376)
ドゥオーモにあったそうです。


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無名画家の「聖アンナの死」(17世紀)


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一旦、庭園のような場所を通り抜けます。


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ローマ時代の遺跡からの出土物が展示されてます。
ドゥオーモの横に博物館があるので、ドゥオーモ付属博物館と誤解していました。


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向こうに見える建物が展示室です。
ヴィテルボ司教区の祭壇画や聖具などの展示が主ですが、ドゥオーモとその近くから発掘されたものを展示する考古学部門が併設されてます。


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ローマ時代のアーチと彫刻


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ローマ時代のもの


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ドゥオーモとは無関係です。


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この博物館がヴィテルボ市立かどうか知りませんが、他のコムーネでお馴染みのMuseo Civicoとほぼ同じ形態の展示です。


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豊穣の女神


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AREA ARCHEOLOGICAと記されてます。


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柱頭(11世紀)


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祭壇天蓋(8‐9世紀)


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現代画が展示されているではありませんか、タマゲマシタ。
嫌な予感が当たりました。
古いものと現代絵画のコラボ! このような展示法、イタリア人って好きですね。


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遺跡からの発掘物


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セラミックとブロンズの展示(紀元前10世紀‐紀元前1世紀)


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あっりゃ~! これは何だ?


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ベアトリーチェ・ボッローニ(フィレンツェ、1964‐)という女流画家の個展が行われていたのです。
彼女は陶芸家として芸術の道を進み、ファエンツァの陶芸博物館に彼女の作品が展示されるなど、陶芸家としてかなり有名になりましたが、次第に絵画に傾倒するようになり、現在は画家に転向したようです。
イタリア各地の他、アメリカなどの外国でも個展が開催されてます。


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柱頭(4世紀)


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この辺はヘラクレス神殿があった場所です。


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通路の下は発掘現場だったそうです。


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この辺からドゥオーモ付属博物館のような展示が始まります。


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初代のドゥオーモの建物の断片


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「窓の女」
彼女の個展をやるのならば、せめて彼女の作品だけを展示する部屋でやるべきと思いました。


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「Natevoli Aspettative」


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ドメニコ・コルヴィの「フランチェスコ・パチーニを導く聖ジャチンタ・マレスコッティ」(18世紀末)


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ルドヴィーコ・マッツァンティの「受胎告知」(1750c)


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「睡眠」
入館者が誰もいないのです。このような閑古鳥が鳴く環境で個展をやる意味があるのか疑問に思いました。


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ピエトロ・ヴァン二の「死せるキリスト」(1876)


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祭壇画などの常設展示作品を取り外して、彼女の作品を展示しています。


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美術館の展示は作品の年代順が良いと思います。


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ジュゼッペ・サンドリの「グイド・レーニ作『光悦のマグダラのマリア』の複製画」(1861‐64)


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18世紀の無名画家の「ヴィテルボの聖ローザ」


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フランチェスコ・ダントニオ・ザッキ通称イル・バッレッタの「聖マルコ」(1476以前)
(つづく)

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サン・ロレンツォ司教座教会です。


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丘上のこの地にエトルリア人によって建設されたヘラクレス神殿がありましたが、7世紀に神殿を初期キリスト教会に転用したのが、この聖堂の前身です。


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12世紀、初期キリスト教会だった建物を取り壊し、その上に新築されたロマネスク様式の建物が二代目です。二代目の建物の完成後の1192年、教皇チェレスティーノ3世によって司教座が置かれることになりました。
16世紀、フランチェスコ・ガンバラ枢機卿によって建物のファサードがルネサンス様式に改修されましたが、改修後の姿が現在に至ってます。


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この教会が有名なのは、13世紀に教皇庁が約30年間ヴィテルボに遷され、史上最長期間の教皇選出が行われて、コンクラーヴェと言う言葉を生んだからでしょう。
しかし、教皇庁が置かれた歴史があるにも拘らず教会としての格付けが低く、教皇ピオ12世によってBasilica Minoreに昇格したのが1940年でした。


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12世紀に建設された鐘楼がオリジナルの形で今も残されてます。


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ファサードに向かって右奥にある長い建物は1255年から1267年に建設された教皇の館 Palazzo dei Papiです。


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教皇の間に向かう階段です。


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奥の建物が司教館です。教皇庁が置かれていた時代、司教館に教皇庁がありました。


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教皇がここにいた時代、ロッジャから教皇がお出になり一般信者に祝福を与えたとされてます。また、ロッジャの部分は天井があったそうですが、1325年に崩落してしまい、その後修復されずに天井なしの状態で現在に至ってます。


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階段を上ってロッジャに行きました。


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ロッジャからの景色


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ロッジャにあるフォンターナ


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ロッジャから聖堂に戻ります。


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扉上の彫刻


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この扉の彫刻は新しいものでしょうね。


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聖堂内に入ります。


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三廊式の内部です。12世紀の二代目建物の創建以降、修復、改修の歴史を物語るロマネスク様式、ルネサンス様式、バロック様式が折衷しています。


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左側廊方向


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右側廊方向


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木組みの梁の天井


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天井の木に文字や模様が書かれているそうですが、この写真では分かりませんね。


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床模様も見どころとされてます。


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左側廊


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柱頭も見どころです。


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側廊の天井も木組みです。


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入口扉横にあるフレスコ画


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12世紀の無名画家の「玉座の聖母子」


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ジローラモ・ダ・クレモナの「貧者を助ける聖ロレンツォ」(1472)


P1370799
無名画家の「聖セバスティアーノの殉教」(13世紀)


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無名画家の「聖母子」(13世紀)


P1370802
イル・パストゥーラの「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」(16世紀)


P1370805
フランチェスコ・ダ・アンコーナの代表作「洗礼盤」(1470)


P1370807
マルコ・ベネフィアル(1684‐1764)の「聖ロレンツォの殉教」(18世紀前半)


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マルコ・ベネフィアルの「貧者に施しを与える聖ロレンツォ」(18世紀前半)


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マルコ・ベネフィアルの「聖コムニオーネを導く聖ロレンツォ」(18世紀)


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詳細不明の「ピエタ」


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無名画家の「ベアート・ジャコモ・ダ・ヴィテルボ」


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ローマの無名画家の「聖ジローラモ」


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カルロ・マラッタ(1625‐1713)の「貧者に施しをする聖ロレンツォ」


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ジローラモ・ダ・クレモナの「祈るキリストと聖人たち」(15世紀後半)


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ジョヴァン・フランチェスコ・ロマネッリの「聖家族と聖ベルナルディーノ」(17世紀中頃)


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ジョヴァン・フランチェスコ・ロマネッリの「聖クリストフォロ」


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ジョヴァン・フランチェスコ・ロマネッリの「聖ロッコ?」


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サンタ・ルチア礼拝堂


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クーポラに見えるように描かれた騙し絵


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パオロ・グイドッティの「聖母子と聖ルチア」(17世紀初め)


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教皇庁が置かれていた時代の教皇の墓のようです。


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次の礼拝堂です。
15世紀に描かれた聖ピエトロと聖パオロのフレスコ画


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12世紀の無名画家の「カルボナーラの聖母」


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横から撮ると光らない。


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主祭壇


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後陣


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次の礼拝堂です。


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礼拝堂のクーポラ


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ジョヴァンニ・マリア・モランディの「聖イラーリオと聖ヴァレンティーノ」


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フランチェスコ・フェルディナンドの「聖イラーリオの殉教」(1714)


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フランチェスコ・フェルディナンドの「聖ヴァレンティーノの殉教」(1714)


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右側廊


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外に出ました。


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鐘楼の横に建つ建物は13世紀に建設されたヴァレンティーノ・デッラ・パニョッタ邸です。
(おわり)

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広場の面白いものの紹介です。


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この日は2017年6月7日でした。
この記事がアップされるのは、今の予定では2018年3月20日なので、ほぼ1年前のことを今頃アップしてケシカランと怒られそうです。
これを書くと身も蓋もありませんが、これを書いているのは2017年8月2日なんです。いつ何時書けなくなる時が来ると思うので、せっせせっせと書き貯めてます。


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監視カメラがあります。


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イタリアは監視カメラが多いと思いますが、スリなどの犯罪検挙には利用してないと思います。スリの被害話の多さから推察すれば、スリって警察公認?と思えます。


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サン・ロレンツォ通りを進みました。
全然話が違いますが、税制は人頭税が最良と思ってます。最も理想的な税制と思います。(人頭税を支持する多くの説が出されてます) 基本的に富の再分配は嫌いです。


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この道を真っすぐ進めば(途中、ちょっと右に折れますが)、サン・ロレンツォ大聖堂に突き当たります。


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中世の色濃い町並みです。


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このレストランは明らかに教会だった建物ですね。
調べたら、1142年に建設されたサン・ビアージョ教会でした。1927年に宗教活動を停止して建物を売りに出したそうです。


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塔がある建物は14世紀中頃に建設されたPalazzo Chigiです。


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ジェズ広場にやってきました。


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残念! ジェズ教会(またはサン・シルヴェストロ教会)はこの日も閉まっていました。


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この教会は興味深いので拝観したかった。


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その理由がファサードに掲げられた碑文に書かれてます。
1271年3月13日の朝、グイドとシモーネのモンフォルテ兄弟が、彼らの父と兄弟を殺したエンリコ・ディ・コルノヴァーリアを教会内で殺したのです。
父と兄弟の敵討ちをしたという訳です。エンリコはモンフォルテ兄弟の親戚だったそうです。


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この日もルネッタに描かれたフレスコ画を見ただけで教会を後にしました。


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ジェズ広場にあるフォンターナ


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塔を見に行きました。


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11世紀から13世紀に建設されたボルゴニョーネの塔です。


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塔の歴史などが記されてます。


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暑いので、ここで一服しました。(タバコは吸ったことがありません)


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外階段がある建物はより中世ぽく見えます。


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サン・ロレンツォ通りを進みました。


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道草したかった道ですが過去の失敗を思い出して、我慢しました。


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右に折れました。


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道の突き当りにドゥオーモが見えます。


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写真右はファルネーゼ宮です。


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陸橋の上から撮りました。


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ファルネーゼ宮は以前、公開されていたと思いますが、近ごろは開いていたことがありません。


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この日も固く施錠されていました。おそらく非公開になったと思います。


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入口上に紋章があります。


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これもファルネーゼ家の紋章のようですが、見慣れた紋章とはかなり違います。


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サン・ロレンツォ大聖堂です。


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大聖堂の隣にあるMuseoも開館してました。


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一時期、教皇庁が置かれ、初めてのコンクラーヴェが行われた聖堂として有名です。大聖堂については、改めて別個に取り上げる予定です。


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Museoについても改めて取り上げます。


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Museoを出た後、適当にぶらぶら歩きました。


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開いていた教会に入りました。


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芸術作品と思われるものはありません。


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午後6時半を過ぎてます。


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(おわり)

お腹一杯になったので腹ごなしに歩きました。
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イタリア大通りを進みました。


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振り返ると正面にヴェルディ劇場が見えます。


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サン・エジーディオ教会の後陣です。


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教会の入り口は裏通りにありますが、この時間は開いてません。


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途中で寄り道しますが、ドゥオーモに向かって歩きました。


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戦没者慰霊堂のようです。


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1510年、時の教皇レオ10世の命によって建設されたサン・ジョヴァンニ・バッティスタ・デリ・アマルディア―ニ教会です。


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現在は宗教活動を停止した旧教会で、市立美術館の一部になっている他に様々な展示場として使用されているようです。


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バスターミナルになっているカドゥーティ広場


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ローマ通りをプレビシート広場の方に進みました。


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午後3時過ぎですが、夏至近くの日差しがまだまだ強烈でした。


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観光案内所で地図を買いました。€3.5


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ユニークな形をした、1320年に建設されたサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会です。


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美術好きにとって必見だそうですが、開いていることがありません。


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プレビシート広場に入ります。


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この広場が街の中心です。


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プリオーリ宮


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ポデスタ邸


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ポデスタ邸に時計塔があります。


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プリオーリ宮の庭園に行くことにしました。


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プリオーリ宮ロッジャの壁に描かれたフレスコ画


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庭園です。


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庭園にもフォンターナがあります。


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プリオーリ宮は低い丘の上に建ってます。


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谷の向こうに見えるのはトリニータ教会です。


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庭園から見たプリオーリ宮の内側


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壁の紋章


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庭園にもう一つフォンターナがありました。


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次はサンタンジェロ・イン・スパータ教会です。


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850年の文書に記録されている古い教会です。現在の建物は1078年に建設され、1145年に奉献式が執り行われたロマネスク様式のスパータ家所有だった教会が原形だそうです。


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その後、幾度となく修復され、18世紀に行われた全面改装の結果、ほぼ現在の姿になりました。しかし、1944年に爆撃され大きな被害を受けてしまい、戦後に大修復されました。


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ファサード横にあるベッラ・ガリア―ナの墓です。


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ベッラ・ガリア―ナはローマ時代の人でヴィテルボに縁があったので墓がここに置かれてますが、石棺は複製です。


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拝観しました。


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左右の側壁にそれぞれ3つの礼拝堂が設けられてます。


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第二次世界大戦後に大修復されたので新しく見える内部です。


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美術的には数点の見どころがあります。


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左第1礼拝堂


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左第2礼拝堂


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左第3礼拝堂


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詳細不明の「キリスト」


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礼拝堂アーチのフレスコ


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主祭壇


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後陣


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主祭壇画は、フィリッポ・カッパロッツィ通称ロ・スパーニョレットの「聖母子と聖人たち」(17世紀前半)


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左翼廊


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右翼廊


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「大天使ミケーレ」


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14世紀に制作された「磔刑像」


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ヴィテルボの無名画家の作品(17世紀)


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アンドレア・ディ・ジョヴァンニ(オルヴィエート、1378‐1424活動記録)の「聖母子」(14世紀末)


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外に出ます。


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(つづく)

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ヴェリータ門から城壁内に入りました。


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次は門の近くにあるサン・ジョヴァンニ・イン・ツォッコーリ教会です。


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身廊側の扉が開いてました。


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身廊前のダンテ広場にもフォンターナがあります。


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中に素晴らしい多翼祭壇画があります。


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1037年に建設されたサン・ジョヴァンニ・イン・ツォッコーリ教会です。


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長い年月の間にファサードが徐々に前傾するようになったので、二本のアーチで補強して前傾を支えてます。


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ファサードの大部分は創建時の姿を今も留めてますが、それ以外の部分はその後に行われた修復工事による比較的新しいものです。
特に第二次世界大戦の爆撃によって大きな被害を受けた箇所は戦後に修復されました。


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ファサードの扉上ルネッタに描かれた「福音書記者聖ジョヴァンニ」のフレスコ画


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中に入りました。


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三廊式、ロマネスク様式の内部です。


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通常、ファサード側と身廊側の二か所が開いてます。


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木組みの梁の天井


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左側廊


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側壁や柱にあったフレスコ画は全く残されていません。


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右側廊


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主祭壇


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後陣は、戦争の爆撃によって崩落したので戦後に再建された新しいものです。


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フランチェスコ・ダントニオ・ダ・ヴィテルボ通称イル・バッレッタの多翼祭壇画(1441)
この教会の唯一の見どころと言ってよい作品です。


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玉座の聖母子


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聖ピエトロ、洗礼者聖ジョヴァンニ


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福音書記者聖ジョヴァンニ、聖パオロ


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裾絵


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主祭壇前から見たファサード側出入口


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外に出ました。


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今まで困っていましたが、何とか持ちこたえてくれていたカメラのSDHCカードの転送スピードが極端に遅くなってきました。


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こちらに来る前、ローマのホテルで新しいメモリーカードを入れましたが、それの調子が悪くなったのです。グレード10なのに情けない。


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常時、予備のメモリーカードを持っている筈ですが、今朝交換したばかりの32GBの容量がなくなることはないと油断して予備のカードを持っていなかったのです。


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仕方がないので、メモリーカードを取りにホテルに戻ることにしました。


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教会を出た以降の写真はカメラのメモリに撮ったものです。


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ジーリオ通り


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1076年創建のサンタ・マリア・イン・ポッジョ教会です。


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教会前にあるFontana della Crocetta (16世紀)


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サン・ロッコ通り


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サンタ・ローザ教会が見えてきました。


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サンタ・ローザ教会の後陣


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ホテルに戻りました。


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サン・マルコ教会


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この時間は開いてません。


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メモリーカードの不具合でホテルに戻ることになり、時間を損したので、予定外のこのお店で昼食にしました。


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かなりお高く、味は今八でした。


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イマイチではなく、イマニでもなく、イマサンでなく、今八。


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(つづく)

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次の部屋に入ります。


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第4室です。主に石棺が展示されてます。他人のお墓なんぞ見る気がしませんが、イタリアでも日本でも墓の展示が大好きなのは趣味が悪いと思ってます。


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石棺(前3世紀末‐前2世紀)


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石棺(前3世紀末‐前2世紀)
棺に入っていた遺体は?


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石棺(前3世紀末‐前2世紀)


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ローマ時代のもの


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墓石(紀元前3世紀)


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墓石(紀元前3世紀)


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次の展示コーナーです。


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ここも未だ第4室です。


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石棺(紀元前23‐18)
誰の墓だったのか特定されています。その没年が分かっているので石棺の制作年が大体分かるそうです。


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石棺(紀元前67)


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石棺


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石棺


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次の部屋です。


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第5室です。


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女性像(紀元前1世紀末‐1世紀初め)


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リヴィア?像(1世紀)


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男の頭像(紀元前2世紀‐紀元前1世紀)


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ディアナ?(紀元前1世紀後半)


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次の部屋です。


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メダルとコイン


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種々雑多な展示


P2240344
写真の展示


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次の部屋です。


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第10室になります。


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エッチング


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セミナー室です。


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ジョヴァン・フランチェスコ・ロマネッリの「エジプトへの逃避途中の休息」(17世紀)


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17世紀の無名画家の「教皇インノチェンツォ10世の肖像」(1644‐1655)


P2240359
ジョヴァン・フランチェスコ・ロマネッリの「エルコーレとオンファーレ」


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アンジェロ・プッチャーティ(プッチャッティ)の「聖家族と聖カリオと聖フィリッポ・ネリ」(17世紀後半)


P2240365
ジョヴァン・フランチェスコ・ロマネッリの「受胎告知」(17世紀)


P2240369
チェーザレ・ネッビアに帰属する「聖セバスティアーノ」(16世紀末‐17世紀初め)


P2240371
マルコ・ベネフィアルの「聖マリア・エジツィアカの死」(1720‐30)
こんな聖人がいるんだ。


P2240374
アントニオ・ゲパルディに帰属する「聖家族を崇める聖人たち」(1667‐70)


P2240378
ジュリオ・ピエリーノ・ダメリアに帰属する「聖ヴィンチェンツォ」(16世紀後半)


P2240381
ドメニコ・コルヴィの「ポリッセーナの犠牲」


P2240385
18世紀の無名画家の「フラ・ジョヴァンニ・ナンニの肖像」


P2240388
ドメニコ・コルヴィに帰属する「聖クリスピーナ」(18世紀)


P2240391
ミケーレ・キスレーリの「教皇ピオ5世」


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P2240395
ルドヴィーコ・マッツァンティの「寺院への出現」(18世紀)


P2240398
ルドヴィーコ・マッツァンティの「聖母の誕生」(18世紀)


P2240401
サルヴァトール・ローザの「聖トッマーゾの不信」(18世紀)


P2240405
アンティヴェドゥート・グラッマティカの「寺院への出現」(17世紀)


P2240409
18世紀の無名画家の「バーリの聖二コラ」


P2240412
ジュゼッペ・ルスカの「ジョヴァン・バッティスタ・ブッシ枢機卿の肖像」(1714)


P2240419
アントニオ・アンジェロ・ボニファッツィ(ヴィテルボ、1627‐ローマ、1699)の「聖レオナルドの説教のステンダリオ」(17世紀)


P2240416
上の裏面です。
アントニオ・アンジェロ・ボニファッツィの「天上の聖レオナルド」(17世紀)


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これで終わりです。


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ヴィターレ・ダ・ボローニャ、イル・パストゥーラの作品が良かったと思いました。
ロンドン・ナショナル・ギャラリーから来ていたマンテーニャの作品が見ることが出来て良かった。


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墓ばっかり


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(おわり)

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コスタンティーノ・ディ・ヤコポ・ゼッリ(ヴィテルボ、1509‐1524消息)の「十字架降下」(16世紀)


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サーノ・ディ・ピエトロ(シエナ、1406‐1481)の「シエナの聖ベルナルディーノ」(15世紀中頃)


P2240256
フランチェスコ・ダントニオ通称イル・バッレッタ(ヴィテルボ、1430から消息‐1476没)の「玉座の聖母子」


P2240260
ピエトロ・ダ・コルトーナの「羊飼いの礼拝」


P2240265
アントニアッツォ・ロマーノの「聖母子」(1497)


P2240268
パンクラツィオ・ディ・アントネッロ・ダ・カルヴィ(カルヴィ、1467‐1513消息)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」(1477c)


P2240272
アンドレア・ジョヴァンニ(オルヴィエート、1378‐1417消息)とアントニオ・デル・マッサ―ロ通称イル・パストゥーラ(ヴィテルボ、1478‐1513消息)の「聖母子と天使とケルビーニ」(15世紀)


P2240277
アントニオ・デル・マッサ―ロ通称イル・パストゥーラの「羊飼いの礼拝」(15世紀後半)


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アンドレア・マンテーニャの「聖母子とマグダラのマリアと洗礼者聖ジョヴァンニ」(1490‐1505)
ロンドンのナショナル・ギャラリーから貸し出されていた作品です。


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これで2階の第8室は終わりです。


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1階のキオストロ回廊に戻りました。


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展示室番号の表示がありませんが第1室でしょう。


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1階の室内に入りました。


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第2室です。


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次の部屋です。


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第3室


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エトルリア時代の壺


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今日は時間がないので、短いですがこの辺で終わりにします。


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(つづく)

P2240439
ヴィテルボのサンタ・マリア・デッラ・ヴェリタ教会です。


P2240443
教会に隣接する、12世紀に建設された修道院の建物が市立美術館です。


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写真のピンクぽい色の建物が旧修道院です。


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市立美術館の入り口です。


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美術館は1955年にオープンしました。


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切符売り場


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旧修道院のキオストロ回廊


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回廊にはエトルリア時代からローマ時代の遺跡からの発掘物などが展示されてます。


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2階の絵画彫刻部門から見ることにしました。


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2階の展示室です。


P2240218
第8室になります。


P2240172
パスクゥアーレ・ロマーノ(ローマ、1286から活動記録)の「スフィンクス」(1286)


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制作者不詳の「ライオン像」(13世紀)


P2240178
パストゥーラ派無名画家の「聖母子」(16世紀中頃)


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マンテーニャの作品が貸し出し展示されていました。


P2240181
ヴィターレ・ダ・ボローニャ(ボローニャ、1330‐1359生存確認)の「聖母子と枢機卿と司教聖人」(14世紀中頃)


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ドイツの無名金属工芸家の「ライオンの形をした水差し」(ブロンズ)(13世紀前半)


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制作者不詳の「聖母子」(13世紀中頃)


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「ライオン像」(13世紀末)


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大理石の碑文(13世紀)


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ローマ派無名画家の「聖母子と天使」(13世紀)


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詳細不明の「マギの礼拝」


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ロープが張られていたので、近付いて作品を見ることが出来ません。


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セバスティアーノ・デル・ピオンボの「キリストの鞭打ち」


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セバスティアーノ・デル・ピオンボの「マギの礼拝」


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セバスティアーノ・デル・ピオンボの「聖母被昇天」


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展示方法に疑問あり、でした。
有名なセバスティアーノ・デル・ピオンボの「ピエタ」は貸し出し中でした。


pieta
見ることが出来なかったセバスティアーノ・デル・ピオンボの「ピエタ」


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第8室のこちらは特別展だったようです。


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広い第8室です。


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アンドレア・デッラ・ロッビア派の無名彩釉テラコッタ家の「聖母子と2天使」(1515c)


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アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)の「ジョヴァンニ・バッティスタ・アルマディーニの胸像(テラコッタ)」(1510)


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アントニアッツォ・ロマーノ(ローマ、1464‐1508活動記録)の「聖母子」(15世紀)


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ヴィテルボの無名画家の「聖ルチアと聖アンサーノとシエナの聖ベルナルディーノ」(15世紀)


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フランチェスコ・ダントニオ・ザッキ通称イル・バッレッタ(?‐1473以降没)の「玉座の聖母子」(15世紀中頃)


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アントニオ・デル・マッサ―ロ通称イル・パストゥーラ(ヴィテルボ、1478‐1513活動記録)の「聖母子と天使たち」(1492‐97c)
(つづく)

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この先にあるサン・マルコ門に向かいました。


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13世紀に造られたサン・マルコ門です。


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門手前の壁に描かれた騙し絵


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門を潜って城壁外に出ました。


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城壁外の城壁沿いの道を進みます。


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市立美術館は城壁沿いも道に面して建ってます。


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この門の名前を知りません。


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Porta della Veritaです。道路を隔てた門の向かいに市立美術館があります。


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教会の隣が市立美術館です。


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サンタ・マリア・デッラ・ヴェリタ教会です。


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市立美術館になっている建物は旧修道院です。


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教会の扉が開いていたので拝観しました。修道院だった建物は美術館に転用されてますが、教会の方は宗教活動を行っている現役?の教会です。


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文書に残された記録がありませんが、12世紀後半にはこの地に教会があったと伝えられてます。


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現在の建物は1350年頃に建設されたものです。単廊式、ラテン十字形、ロマネスク様式の内部です。


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木組みの梁の天井


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14世紀頃の剥離フレスコ


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詳細不明


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ペルージャ?の無名画家の「大天使ミケーレ」(16世紀)


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マルコ・ザッパの「ピエタ」(2013)


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ペルージャの無名画家の「玉座の聖母子と洗礼者聖ジョヴァンニと聖アントニオ・アバーテ」(1611)


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左翼廊


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右翼廊


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主祭壇


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見分けがつかない古いフレスコ画


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パストゥーラ派画家によるフレスコ画(15世紀末‐16世紀初め)


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聖痕を受ける聖フランチェスコ


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三位一体


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「三聖人(聖セバスティアーノ、聖ファビアーノ教皇、聖ロッコ)」


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制作者不明の「聖母子」(16世紀)


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制作者不明の「司教と天使たち」(16世紀)


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右翼廊です。


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制作者不明の「聖母子」(1591)


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ルドヴィーコ・マッツァンティの「無原罪の御宿リ」


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詳細不明の「聖母子」


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礼拝堂の天井


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主祭壇前から見た出入口方向


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サン・ジローラモ礼拝堂


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マッツァトスタ礼拝堂は施錠されていて中に入ることが出来ませんでした。


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ロレンツォ・ダ・ヴィテルボによって描かれたフレスコ画で礼拝堂が装飾されてます。


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聖母の結婚


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金網の網の間のカメラを入れて何とか撮った写真です。


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サクロ・クオーレ礼拝堂


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14世紀のフレスコ画


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次は市立美術館です。


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前回、臨時休館だったので約5年振りです。


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市立美術館については、項を改めて詳しく触れる予定です。


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何たることか! 一番の見どころの作品がロープが張られていたので、近づいてみることが出来ません。


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(つづく)

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ヴィテルボには主要な鉄道駅が3駅ありますが、この日はヴィテルボ・ポルタ・フィオレンティーノ駅に到着しました。


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駅舎


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大きな荷物があっては身動きがままならなので、荷物を預かって貰うために先ずこの日のお宿に向かいました。


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ヴィテルボは城壁に囲まれた街です。


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こちらの門から城壁内に入りました。


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この日も暑かった。勿論猛暑日でした。


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この日のお宿です。前回もこのホテルに泊まりました。


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荷物を自室に置いて身軽になったので、早速街歩きに出発しました。


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ヴィテルボに来た最大の目的は市立美術館に入館することでした。
前回の旅では、市立美術館は臨時休館(恐らく美術館職員のストライキだったと思います)だったので、何とか念願を果たしたいと思ったのです。


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有名なオペラ劇場(この日は公演なし)


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この街に来たならば、サンタ・ローザ教会に行くのが自然と言うものです。


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教会の横に聖ローザが過ごした家があるという、ヴィテルボの由緒正しき教会です。


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扉が開いていたので拝観することに。


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新しく見えるのは、19世紀半ばに再建された建物だからです。


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創建は13世紀でしたが、1632年に再建されました。従って現在の建物は再再建の3代目となります。


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三廊式、新古典様式の内部


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左右の翼廊があります。


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1913年に建設されたクーポラ


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ジョヴァン・ミケーレ・ウィトメール(1802‐1880)の「天上の聖母子と聖人たち」


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右翼廊


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詳細不明のロレートの聖母


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この多翼祭壇画が必見です。


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フランチェスコ・ダントニオ・ザッキ・ダ・ヴィテルボ(ヴィテルボ、1439から記録‐1476?没)のポリッティコ


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玉座の聖母子
白い紙のようなものは修復用?


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聖ローザ


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アレッサンドリアの聖カテリーナ


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慈悲の聖母


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受胎告知する大天使


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受胎告知される聖母


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裾絵中央


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左から聖パオロ、聖ロレンツォ、聖ルチア


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左から聖ビアージョ、聖フランチェスコ、聖バルトロメオ


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左端絵は上から洗礼者聖ジョヴァンニ、聖アントニオ・アバーテ、聖マルゲリータ


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右端絵は上からマグダラのマリア、トローサの聖ルドヴィーコ、アッシジの聖キアーラ


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これがないと聖人を区別するのが難しい。


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ヴィンチェンツォ・ポンターニの「聖ジュゼッペの死」(19世紀前半)


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主祭壇


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磔刑像(18世紀)


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後陣天井


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主祭壇画はフランチェスコ・ポデスキの「聖ローザ」


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詳細不明


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左翼廊


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取り壊された建物にあったベノッツォ・ゴッツォリのフレスコ画やルネサンス期の祭壇画は市立美術館で見ることが出来ます。


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17世紀に制作された磔刑像


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外に出ました。


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(つづく)

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