
サン・ロレンツォ司教座教会です。

丘上のこの地にエトルリア人によって建設されたヘラクレス神殿がありましたが、7世紀に神殿を初期キリスト教会に転用したのが、この聖堂の前身です。

12世紀、初期キリスト教会だった建物を取り壊し、その上に新築されたロマネスク様式の建物が二代目です。二代目の建物の完成後の1192年、教皇チェレスティーノ3世によって司教座が置かれることになりました。
16世紀、フランチェスコ・ガンバラ枢機卿によって建物のファサードがルネサンス様式に改修されましたが、改修後の姿が現在に至ってます。

この教会が有名なのは、13世紀に教皇庁が約30年間ヴィテルボに遷され、史上最長期間の教皇選出が行われて、コンクラーヴェと言う言葉を生んだからでしょう。
しかし、教皇庁が置かれた歴史があるにも拘らず教会としての格付けが低く、教皇ピオ12世によってBasilica Minoreに昇格したのが1940年でした。

12世紀に建設された鐘楼がオリジナルの形で今も残されてます。

ファサードに向かって右奥にある長い建物は1255年から1267年に建設された教皇の館 Palazzo dei Papiです。

教皇の間に向かう階段です。

奥の建物が司教館です。教皇庁が置かれていた時代、司教館に教皇庁がありました。


教皇がここにいた時代、ロッジャから教皇がお出になり一般信者に祝福を与えたとされてます。また、ロッジャの部分は天井があったそうですが、1325年に崩落してしまい、その後修復されずに天井なしの状態で現在に至ってます。

階段を上ってロッジャに行きました。

ロッジャからの景色

ロッジャにあるフォンターナ



ロッジャから聖堂に戻ります。

扉上の彫刻

この扉の彫刻は新しいものでしょうね。

聖堂内に入ります。

三廊式の内部です。12世紀の二代目建物の創建以降、修復、改修の歴史を物語るロマネスク様式、ルネサンス様式、バロック様式が折衷しています。

左側廊方向

右側廊方向

木組みの梁の天井

天井の木に文字や模様が書かれているそうですが、この写真では分かりませんね。

床模様も見どころとされてます。


左側廊


柱頭も見どころです。

側廊の天井も木組みです。

入口扉横にあるフレスコ画

12世紀の無名画家の「玉座の聖母子」

ジローラモ・ダ・クレモナの「貧者を助ける聖ロレンツォ」(1472)

無名画家の「聖セバスティアーノの殉教」(13世紀)

無名画家の「聖母子」(13世紀)

イル・パストゥーラの「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」(16世紀)

フランチェスコ・ダ・アンコーナの代表作「洗礼盤」(1470)

マルコ・ベネフィアル(1684‐1764)の「聖ロレンツォの殉教」(18世紀前半)

マルコ・ベネフィアルの「貧者に施しを与える聖ロレンツォ」(18世紀前半)

マルコ・ベネフィアルの「聖コムニオーネを導く聖ロレンツォ」(18世紀)

詳細不明の「ピエタ」

無名画家の「ベアート・ジャコモ・ダ・ヴィテルボ」

ローマの無名画家の「聖ジローラモ」

カルロ・マラッタ(1625‐1713)の「貧者に施しをする聖ロレンツォ」

ジローラモ・ダ・クレモナの「祈るキリストと聖人たち」(15世紀後半)

ジョヴァン・フランチェスコ・ロマネッリの「聖家族と聖ベルナルディーノ」(17世紀中頃)

ジョヴァン・フランチェスコ・ロマネッリの「聖クリストフォロ」

ジョヴァン・フランチェスコ・ロマネッリの「聖ロッコ?」

サンタ・ルチア礼拝堂


クーポラに見えるように描かれた騙し絵

パオロ・グイドッティの「聖母子と聖ルチア」(17世紀初め)

教皇庁が置かれていた時代の教皇の墓のようです。


次の礼拝堂です。
15世紀に描かれた聖ピエトロと聖パオロのフレスコ画

12世紀の無名画家の「カルボナーラの聖母」

横から撮ると光らない。

主祭壇

後陣

次の礼拝堂です。

礼拝堂のクーポラ

ジョヴァンニ・マリア・モランディの「聖イラーリオと聖ヴァレンティーノ」

フランチェスコ・フェルディナンドの「聖イラーリオの殉教」(1714)

フランチェスコ・フェルディナンドの「聖ヴァレンティーノの殉教」(1714)

右側廊


外に出ました。

鐘楼の横に建つ建物は13世紀に建設されたヴァレンティーノ・デッラ・パニョッタ邸です。
(おわり)