イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:美術館 > フィレンツェ、捨て子養育院美術館

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マリオット・アルベルティネッリのサークル画家の「聖母子と天使」(15世紀末‐16世紀初頭)


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マリオットの工房にいた画家が描いたと思いますが、上出来ですね。親方(マリオット)よりも上手?


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ベネデット・ブリオーニ(フィレンツェ、1461c‐1521)の「聖母戴冠と聖ドメニコと聖フランチェスコ」(1520)


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イタリア中部の無名画家作「ラッファエッロ作『聖家族』のコピー画」(16世紀)


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ヤコピーノ・デル・コンテ(フィレンツェ、15010‐1513‐ローマ、1593)の「幼児の聖母」(1530‐35c)


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ピエル・フランチェスコ・ディ・ヤコポ・フォスキ(フィレンツェ、1502‐1567)の「聖母子と2天使」(1530c)


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ポッピ(ポッピ、1544c‐フィレンツェ、1597)またはヴィンチェンツォ・ウリヴィエーリ(フィレンツェ、1565c‐1600c)の「救世主」(1530c)


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フィレンツェの画家作「アンドレア・デル・サルト作『聖セバスティアーノ』のコピー画」(16世紀後半)


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ポッピの「玉座の聖母子と天使たち」(1565‐66)


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ジョヴァン・バッティスタ・ナルディーニ(フィレンツェ、1535‐1591)の「十字架降下と聖人たち」(1566c)


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フィレンツェの画家作「磔刑と聖母と福音書記者聖ジョヴァンニと祈る幼児たち」(16世紀末‐17世紀初頭)


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アンドレア・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1435‐1525)の「包帯のプット」(1487)


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入館者が少なかった。


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ポッピまたはヴィンチェンツォ・ウリヴィエーリの「磔刑と聖人たち(マリア・マッダレーナ、聖母、福音書記者聖ジョヴァンニ、聖フランチェスコ、バーリの聖二コラ)」(1580‐90)


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アンドレア・デッラ・ロッビアの「包帯の幼児」


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ヴィンチェンツォ・ウリヴィエーリの「死せるキリストへの哀悼」(1586)


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フィリッポ・ラティーニ(フィレンツェ、1604‐1660)の「受胎告知」(1659)


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ドメニコ・ギルランダイオ(フィレンツェ、144901494)、ダヴィド・ギルランダイオ(フィレンツェ、1451‐1523)、バルトロメオ・ディ・ジョヴァンニ(フィレンツェ、1488‐1501記録)の「マギの礼拝の祭壇画」(1488‐89)
ダヴィドはドメニコの弟で、ドメニコの助手を務めることが多かったようですが、ドメニコの死後、工房を引き継ぎました。バルトロメオはドメニコの弟子で、工房で修業しました。ドメニコの死後、サンドロ・ボッティチェッリの助手を務めるようになりました。
この祭壇画では、ドメニコとダヴィドがマギの礼拝を手懸け、プレデッラはバルトロメオによって描かれました。


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マギの礼拝


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プレデッラ:福音書記者聖ジョヴァンニの殉教


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受胎告知


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聖母の結婚


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十字架降下


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キリストの寺院への出現


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キリストの洗礼


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捨て子養育院教会を神に捧げる聖アントニーノ


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ピエロ・ディ・コジモ(フィレンツェ、1462‐1522)の「玉座の聖母子と聖人たち(聖ピエトロ、福音書記者聖ジョヴァンニ、ウンゲリアの聖エリザベッタ?、アレッサンドリアの聖カテリーナ)と天使たち」(1493)


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ネーリ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1418‐1492)の「聖母戴冠と聖人たち(聖ルチア、アレッサンドリアの聖カテリーナ、聖バルトロメオ、聖フィリッポ)」(1460‐61)


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次はタベルナコロが並んでいる部屋です。


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無原罪の御宿リのタベルナコロ(19世紀)


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聖母子のタベルナコロ(18世紀末‐19世紀初頭)


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この人を見よのタベルナコロ(18世紀末‐19世紀初頭)


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聖マリオのタベルナコロ(18世紀中頃)


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カルミネの聖母のタベルナコロ(18世紀末‐19世紀初め)


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バーリの聖二コラのタベルナコロ(18世紀中頃)


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プレセーペのタベルナコロ(18世紀末‐19世紀初め)


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プレセーペのタベルナコロ(19世紀)


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磔刑のタベルナコロ(18世紀末‐19世紀初め)


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サンタ・マリア・デリ・インノチェンティ教会にあった捨て子養育院の保母


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次の部屋です。


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詳細不明


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捨て子養育院教会の聖具類が展示されてます。


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バッチョ・ディ・モンテルーポ(モンテルーポ、1469‐ルッカ、1537c)に帰属する「磔刑」(1490‐1500c)


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ピエトロ・トッリジャーノ作「救世主」の複製彫刻(15世紀末‐16世紀初め)


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詳細不明


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ベネデット・ダ・マイアーノ作「聖母子」の複製(15世紀末‐16世紀初め)


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19世紀末ごろの写真


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中庭に出ました。


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キオストロ回廊の壁に描かれたメディチ家の紋章


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充実した展示に一変していたのでよい意味での驚きでした。
(おわり)

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バッチョ・ダ・モンテルーポ(モンテルーポ、1469c‐フィレンツェ、1537c)に帰属する「捨て子養育院のエンブレム」(1515‐18)
布で巻かれた幼子がエンブレムになってます。


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フィレンツェの彫刻家作「捨て子養育院のエンブレム」(1557)


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トスカーナの彫刻家作「捨て子養育院のエンブレム」(16世紀末‐17世紀初め)


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フィレンツェの彫刻家作「捨て子養育院のエンブレム」(1842)


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資料室?


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養育院の歴史などを説明するコーナーです。


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色々と考えさせられる展示です。


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非常に充実したコーナーですが、詳しい紹介は省略させて頂きます。


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階段を上りました。


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柱廊で囲まれた中庭に出ました。


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ここもすっかり綺麗になりました。


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食堂もあります。食べませんでしたが、一般の人も利用が可能だったと思います。


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父親、母親が保育園から子供が出てくるのを待っていました。


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回廊に美術館の入り口があります。


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美術館は1階(日本の2階)にあります。


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シモーネ・ディ・フランチェスコ・タレンティ―(フィレンツェ、1357‐1383記録)の「福音書記者聖ジョヴァンニ」(1377)
福音書記者聖ジョヴァンニ(聖ヨハネ)は女性のような感じで彫られたり描かれたりしています。聖書の最後の晩餐のくだりを読むと、キリストと聖ジョヴァンニは同性愛の関係にあり、だからこそ女性ぽく制作されていると思います。ところが年老いた聖ジョヴァンニは髭を生やし男性ぽく制作されるのが普通です。この辺のところが実に興味深いのです。


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1階(日本の2階)の展示室に入りました。


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見易い展示になりました。


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ジョッティーノ(Giotto di Maestro Stefano )(1368‐1369記録)の「年老いた聖人」(1350‐55)
下の写真もジョッティーノの作品です。


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「若い聖人」(1350‐55)


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14世紀のフィレンツェの彫刻家作「磔刑像」(1340‐50c)


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チェンニ・ディ・フランチェスコ・ディ・セル・チェンニ(トスカーナ、1369‐1415c活動)の「授乳の聖母」(1395‐1400c)


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Maestro della Madonna Straus (アンブロージョ・ディ・バルデーゼ?)(フィレンツェ、14世紀末‐15世紀初め活動)の「聖母戴冠と大天使聖ミケーレと聖マリア・マッダレーナ」(1405c)


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ジョヴァンニ・ディ・ビオンド(フィレンツェ、1356‐1398記録)の「受胎告知と2聖人」(1372‐76)


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中央パネル


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バーリの聖二コラ


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聖アントニオ・アバーテ


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ジョヴァンニ・ディ・フランチェスコ・トスカーニ(フィレンツェ、1372‐1430)の「聖母子と2聖人」(1420c)


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磔刑、受胎告知


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聖母子


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聖ジローラモ


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アレッサンドリアの聖カテリーナ


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ベネデット・ダ・マイアーノ作「聖母子」のコピー彫刻(1470c)


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Maestro della Nativita di Castello (フィレンツェ、1445‐1474活動)の「アントニオ・ロッセッリーノ作『聖母子』の複製」(1462‐63c)


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名のある芸術家であっても傑作の複製作品を制作したようです。


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ルーカ・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1399/1400-1482)の「聖母子」(1445‐50c)


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サンドロ・ボッティチェッリ(フィレンツェ、1445‐1510)の「聖母子と天使」(1465c)


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アーニョロ・ディ・ポーロ(フィレンツェ、1470‐アレッツォ、1528)の「悔悛の聖マリア・マッダレーナ」(16世紀第1四半世紀)


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ドメニコ・ギルランダイオのサークル画家とMaestro dell'Epifania di Fiesole (フィレンツェ、15世紀第4四半世紀活動)の作品(15世紀第4四半世紀)です。
ドメニコ・ギルランダイオのサークル画家は、ドメニコ・ギルランダイオ工房のダヴィド・デル・ギルランダイオの可能性が高いとされてます。
この作品は、ドメニコ・ギルランダイオのサークル画家は「聖母子と2セラフィーノ(第1位の天使)」だけを描き、残りの「祈るキリスト」、「聖アンドレア」、「聖ディオニージ」はMaestro dell'Epifania di Fiesole によって描かれたそうです。


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祈るキリスト


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聖母子と2セラフィーノ
2天使なので、2セラフィーニと書くべき?


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聖アンドレア


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聖ディオニージ
(つづく)

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サンティッシマ・アンヌンツィアータ広場は催し物の準備が進んでいました。


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広場に面して建っている捨て子養育院 Spedale degli Innocenti です。


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この建物はフィリッポ・ブルネッレスキの設計によって1417年から1436年に建設され、1445年にオープンした病院が前身です。


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病院と言っても”放棄された子供病院”という特殊病院であって、捨て子された子供の避難所、育児、教育、里親、苦労している母親と子供を受け入れる保育園のようなものでした。
また、この建物は現在も保育園として使用されてます。


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建物に鐘楼が見えてますが、建物の一部が教会となってます。教会は1451年に奉献されました。
この写真は2013年に撮ったものですが、新美術館を建設中との表示が出ています。この建設工事のため、美術館は2012年頃から休館となっていました。


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美術館として古い歴史がありますが、19世紀に修復改造工事の費用捻出のために、300以上の芸術作品が売却されてしまいました。それらの多くは現在、世界中の美術館が展示されてます。


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ロッジャの壁上部に青色のメダリオンが並んでます。


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メダリオンはアンドレア・デッラ・ロッビアの作品です。


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ロッジャの入口扉上のフレスコ画はジョヴァンニ・ディ・フランチェスコ・デイ・チェルヴェッリエーラ(アレッツォ、1412‐フィレンツェ、1458)の「父なる神と子供たち」(1452)です。


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ロッジャ天井のフレスコ画は、ベルナルディーノ・ポッチェッティ(フィレンツェ、1548‐1612)の作品(1610‐12)です。


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ガスパーレ・マルテッリーニの「キリストと幼児たち」(1843)


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ベルナルディーノ・ポッチェッティの作品です。


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所謂「赤ちゃんポスト」です。困窮などの理由によって已む無く育児を断念した母親が身分を明かさずに捨て子をした回転扉です。


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2017年、美術館が新装再オープンしたとの報に接したので、久し振りに来たのです。


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以前の美術館の入り口は保育園と同じ、ロッジャの中央扉でしたが、新美術館の入り口は建物に向かって右端にあります。


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入館してビックリしました。全く新しくなりました。


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最初は捨て子養育院の歴史を記したコーナーです。


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養育院の設立、運営に寄与した人々やパトロンなどの彫像や肖像画が並んでます。


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フィレンツェの無名彫刻家作「チョーネ・ディ・ラーポ・ポッリーニの彫像」(16世紀後半)
チョーネは1313年、サンタ・マリア・デッラ・スカラ病院の創設者です。死後200年以上経ってから制作された彫像です。


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フィレンツェの無名彫刻家作「聖アントニオ・ピエロッツィの彫像」(16世後半‐17世紀初頭)
聖アントニオはサン・マルコ修道院長、フィレンツェ大司教を務めましたが、病人や貧者の救済に尽力して捨て子養育院創設の基本的概念を築いたそうです。


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以前の美術館は薄暗く伝統的な雰囲気を漂わせていましたが、新装の美術館はそれとは全く違った印象を与えます。


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紋章


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上の紋章の説明板


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ジュゼッペ・ペッツオーリ(フィレンツェ、1784‐1855)の「捨て子養育院の創設を推進するレオナルド・ブレーニ」(1845‐46)


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19世紀のフィレンツェの無名画家作「ヴィンチェンツォ・ボルギーニの肖像」


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ジョヴァン・バッティスタ・ナルディーニ(フィレンツェ、1535‐1591)の「十字架降下とマッダレーナとニコデモ」(1566c)


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以前と比べると美術館色が薄まり、博物館的な展示が多くなった気がします。


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ジョヴァン・バッティスタ・セルメイ(フィエーゾレ、1572‐フィレンツェ、1637以降没)の「聖母」(1605‐06c)


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グイド・ヴェストーリ(フィレンツェ、1615‐1621記録)の「捨て子養育院の聖遺物箱」(1615)


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レオポルド・マルテッリーニ(フィレンツェ、1819‐1855)の「ロベルト・アンティノーリの肖像」(1844)
ロベルトは、1601年から1661年の長きに渡り捨て子養育園の運営に尽力したそうです。


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18世紀後半のフィレンツェの無名画家作「トスカーナ大公ピエトロ・レオポルド(ハプスブルグ・ロレーナ)の肖像」(1765‐90c)
ピエトロは捨て子養育園の運営を政治的に推進し、資金的援助を行ったそうです。


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ロレンツォ・バルトリーニ(サヴィニャーノ、1777‐フィレンツェ、1850)とクレメンテ・パーピ(フィレンツェ、1805‐1875)の「レオポルド2世ハプスブルグ・ロレーヌの胸像」(1846)
レオポルド2世は捨て子養育院のパトロンでした。


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コッラード・サッリ(フィレンツェ、1886‐1944)の「カルロ・ミケラニョーリの肖像」(1900)
(つづく)

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