彫刻家としての、そして建築家としてのミケランジェロ・ブオナローティ(カプレーゼ、1475‐ローマ、1564)の最高傑作の一つが新聖具室でしょう。
世界芸術史上、最高の芸術家がミケランジェロでしょう。
ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチ(フィレンツェ、1478‐1516)(ロレンツォ・イル・マニーフィコの三男)の墓碑
ヌムール公ジュリアーノ・デ・メディチの彫像
夜
昼
ウルビーノ公ロレンツォ・デ・メディチ(フィレンツェ、1492‐カレッジ、1519)(ピエル・イル・ファトゥオの息子)の墓碑
ピエル・イル・ファトゥオ(愚か者のピエロ)は、ロレンツォ・イル・マニーフィコの長男ですからウルビーノ公・ロレンツォ・デ・メディチはロレンツォ・イル・マニーフィコの孫という訳です。
ウルビーノ公ロレンツォ・デ・メディチの彫像
夕暮
曙
ロレンツォ・イル・マニーフィコとジュリアーノ・デ・メディチの墓
ジュリアーノは、ロレンツォの弟で、パッツィ家の反乱の際、フィレンツェ・ドゥオーモ内で殺害されました。
新聖具室には、ロレンツォ・イル・マニーフィコとジュリアーノ・デ・メディチの墓碑を含めて4つの墓碑制作が予定されていましたが、ミケランジェロは元々この仕事が大嫌いで、フィレンツェの政治状況(ミケランジェロはフィレンツェ共和制側に立って戦ったが破れ、メディチ家支配が復活しましたが、新聖具室の制作に再び従事することを条件に反旗を翻した罪が許されたのです)が気に染まない上に、ローマから新しい仕事を依頼されたことから、ローマに去ってしまい、ロレンツォ・イル・マニーフィコとジュリアーノ・デ・メディチの墓碑制作は着手されませんでした。
ミケランジェロの「メディチの聖母」
ジョヴァン・アンジェロ・ダ・モントルソーリの「聖コズマ」
ラファエッロ・ダ・モンテルーポの「聖ダミアーノ」
詳細不明
ミケランジェロの素描
ミケランジェロの素描
君主の礼拝堂に戻りました。
かなり新しいクーポラのフレスコ画
ピエトロ・ベンヴェヌーティ(アレッツォ、1769‐フィレンツェ、1844)によって1828年から1837年にかけて制作されたクーポラのフレスコ画です。
主祭壇
君主の礼拝堂に置かれた石棺は、全て中は空です。
メディチ家の人々の遺体は聖堂のクリプタに安置されてます。
アレッサンドロ・アローリ(フィレンツェ、1535‐1607)の「フィレンツェの勝利の寓意」(1588‐89)
フェリーチェ・パルマ(1583‐1625)の「悲しみの聖母」
フェリーチェ・パルマの「聖ジョヴァンニ」
ミケランジェロの傑作を観ることが出来て幸せでした。
(おわり)