次はトリニータ教会です
トリニータ教会の扉が閉まっていました。
宗教活動にあまり興味がないイタリア人が増えているようです。熱心な信者数に比べて教会の数が多過ぎるようで、何処の街でも教会の維持運営に苦労しているそうです。そのため、毎日扉を開けて信者に開放している教会が減ってきています。また、一人の聖職者が幾つかの教会を兼務したりすることがあるので、扉を開けるのはミサの時だけという教会が多くなっています。
ガリバルディ通りに入ります。
1510年建設のサンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会です。私がグッビオに来た時に開いていたことがありません。
次はサンタ・マリア・ヌオーヴァ教会です。
感を頼りに探し回りましたが、中々見つかりません。
地図持参ですが、地図を見ないという癖が抜けきれません。何とかなるだろう、そのうちに見つかるさ
漸く地図を見て、この通りに教会があることを確認しました。
小さな町だから迷うことはない、それはその通りですが目的の場所が見つからない場合が時々あります。
道草はいけません。
サンタ・マリア・ヌオーヴァ教会が見えてきました。
13世紀後半に建設された教会です。
宗教活動は既に停止され、Museoとして一般公開されてます。
Museoになっているのは、フレスコ画の傑作があるからです。
主祭壇
このフレスコ画が傑作とされてます。
写真不可の表示がありますが、ノーフラッシュならば写真可となってます。(係員に確認しました)
オッタヴィアーノ・ネッリ(グッビオ、1375c‐1444)の「Madonna del Belvedere」(1413)
左側壁のフレスコ画は、メッロ・ダ・グッビオ(グッビオ、1330‐1360c活動記録)に帰属する「聖アントニオ・アバーテ」
右側壁のフレスコ画は、サン・セヴェリーノ・マルケ出身のサリンベーニ兄弟による帰属作品とされてます。
教会美術ファンにとっては必見でしょう。
次はサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会です。
その前に昼食です。
午後1時半を回って、ガラ空きとなったトラットリアでゆっくりと食事を楽しみました。
ワインを1本飲んだので酩酊状態
フランスでのビジネスランチでは各自750mlのワイン1本を飲むのが普通です。会社と食堂の往復は車で、食事後の午後はフルに働いても平気なフランス人に驚かされました。
ヨーロッパの会社の食堂での昼食で、ワインの小瓶1本やビールを飲むのが当たり前です。
道を下ります。
日本人の中にはアルコールを受け付けない方がいらっしゃいますが、欧米人とのビジネスで苦労されていると思います。
私の知る限り、何処の国の料理も酒をうまく飲むため、酒に合わせるために発展した経緯があります。
コンソーリ宮の下にある道です。
教会の前に来ました。
保護硝子板に写っているのはサン・フランチェスコ教会です。
サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会の扉が開いていました。
13世紀に創建され、14世紀に完成した、グッビオ最初の司教座教会です。
ファサードはロマネスク様式、鐘楼はゴシック様式です。
単廊式、ロマネスク様式ですが、二度にわたる大掛かりな修復によって、殆どの壁は白く塗り直されました。
一部残されている貴重なフレスコ画です。
左は14世紀に描かれた「アレッサンドリアの聖カテリーナ」、右は15世紀の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」です。制作者は不明です。
アンドレア・コモーディ(1560‐1638)に帰属する「ペスト禍の終結を祈願する聖カルロ・ボッロメオ」
1828年に描かれた新しいフレスコ画です。
アンニーバレ・ベーニ(1764‐1845)とアンニーバレの協力者アレッサンドロ・アレッサンドリーニの2人によって制作されました。
ジョヴァンニ・マリア・バルダッシーニ(1537‐1601)の「聖ピエトロと聖アンドレアの召命」(1574)
カミッラ・フィリッチ(グッビオ、1771‐1848)の「受胎告知」
ペルジーノ派無名画家作「キリストの洗礼」
ベネデット・ヌッチの「聖ルチア」
ベネデット・ヌッチの「聖ルチア」
詳細不明
初代の司教座教会ですから、もう少し古い作品が残っていると良かったと思いました。
キリがないので、この辺で終わりにしましょう。
(おわり)