
次の部屋です。

Piano Terraの第9室です。

アントニオ・マリア・ヴィセンティーニ(ヴェネツィア、1688‐1782)の「空想の建築」(1771‐77)

アントニオ・ジョリー(モデナ、1700c‐ナポリ、1777)の「古い温泉」(1756)

フランチェスコ・ズッカレッリ(ピティリアーノ、1702‐フィレンツェ、1788c)の「洗礼者聖ジョヴァンニがいる風景」(1763)

ドメニコ・フェデ―リ通称イル・マッジョット(ヴェネツィア、1713‐1794)の「アカデミアの寓意」(1762‐63c)

ドメニコ・フェデ―リ通称イル・マッジョットの「絵画の寓意」(1768‐69)

ジョヴァンニ・バッティスタ・ピット―ニ(ヴェネツィア、1687‐1767)の「受胎告知」(1757)

ジュゼッペ・モレッティ(ヴェネツィアで18世紀後半活動)の「遠近画法」(1776)

フランチェスコ・バッタリオーリ(モデナ、1720c?‐1797迄生存記録)の「建築物の透視」(1772‐77)

カナレットの作品はローマに貸し出し中でした。

ミケランジェロ・モルライテル(ヴェネツィア、1729‐1806)の「Venezia premia le Arti」(1756)

フランチェスコ・ノヴェッリ(ヴェネツィア、1729‐1804)の「Il Disegno, il Colore e l'Invenzione」(1768‐69)

ジャンドメニコ・ティエポロ(ヴェネツィア、1727‐1804)の「L'istituzione dell'Eucarestia」(1778)

次の部屋です。

Piano Terraの第10室です。

ローマ時代の大理石彫刻「レスラー」(紀元前1世紀)のコピー彫刻

アントニオ・カノーヴァ(ポッサーニョ、、1757‐ヴェネツィア、1822)とヴェネトの協力者の「ティツィアーノへのモニュメントのモデル」(1792c)

アントニオ・カノーヴァの「ピエタ」(1817‐21)

アントニオ・カノーヴァの「アポロ」(1775‐76)

アントニオ・カノーヴァの「レスラー」(1775)

次の部屋です。

Piano Terraの第11室です。

フランチェスコ・アイエツ(ヴェネツィア、1791‐ミラノ、1882)の「エルサレムの寺院の破壊」(1867)

制作に当たってアイエツが用意したデッサンが展示されてます。




次の部屋です。

Piano Terraの第12室です。

ルイージ・ボッロ(ヴィットーレ・ヴェネト、1826‐ヴェネツィア、1886)の「ジョヴァンニ・ベッリーニの胸像」(1853)

ロレンツォ・モレッティ・ラレーゼ(ヴェネツィア、1807‐1885)の「セバスティアーノ・デル・ピオンボの胸像」(1872)

ルイージ・ボッロの「取りつかれた人の救出」(1850)

こちらの作品は貸し出し中でした。


次の部屋です。

Piano Terraの第13室です。現在、この部屋が最終展示室となってます。

アントニオ・カノーヴァの「Madama Letizia Bonaparte」(1804‐07)

アントニオ・カノーヴァの「ナポレオンの胸像」(1803‐06)
こうしてカノーヴァのナポレオンに関する作品を見て行くと、ナポレオンの崇拝者だったような気がします。少なくてもナポレオンからの注文は受けていたことが分かります。

アントニオ・カノーヴァの「Creugante」(1796‐1801)

ジュゼッペ・ボルサート(ヴェネツィア、1771‐1849)の作品


ジュゼッペ・ボルサートの「レオポルド・チコニョーラの机と椅子」(1820)

ジュゼッペ・ボルサートとバルトロメオ・ボンジョヴァンニ(クリアッツォ、1791‐ヴェネツィア、1864)の「カノーヴァの手のモニュメント」(1823‐24)

アントニオ・カノーヴァの「レオポルド・チコニョーラの胸像」(1821‐22)


アントニオ・カノーヴァの「エレーナ」(1811)

アントニオ・カノーヴァの「パリーデ」(1807‐12)

外に出ました。

長期に及ぶ改装工事もPrimo Pianoの第Ⅵ室から第Ⅺ室までを残すだけとなりました。しかし、完了するのは何時のことになるか、見当がつきません。
全展示室がオープンとなって、展示作品全点の写真を掲載したいと思ってますが、その時には体調が悪くなってヴェネツィアに行けないかも知れません。

(おわり)