
Cappella Maggiore(中央礼拝堂)

フィリッポ・リッピ(フィレンツェ、1406‐スポレート、1469)のフレスコ画で有名です。

聖人たちのステンドグラス

1452年、フィリッポ・リッピは、プラート大聖堂のCappella Maggioreのフレスコ画制作を依頼されました。

1456年、フィリッポ・リッピは、プラートのサンタ・マルゲリータ女子修道院の礼拝堂付き司祭に任命されました。当時、リッピは、聖母とこの礼拝堂のフレスコ画サロメのモデルを探していましたが、サンタ・マリゲリータ女子修道院で修道女をしていたルクレツィア・ブーティが目に留まり、1457年には彼女を連れ出し、一緒になってしまったのです。

やがて、二人の間にフィリッピーノが生まれます。そのことがフィレンツェ当局に密告され、大問題となりましたが、リッピがお気に入りの画家だったコジモ・デ・メディチが当時の教皇ピオ2世にとりなして二人を還俗させたのです。

このサロメのモデルがルクレツィアです。
異時同図法によって、聖ジョバンニ・バッティスタの斬首、ヘロデの饗宴、聖ジョヴァンニ・バッティスタの首を母に差し出すサロメが同じ画面に描かれてます。

フレスコ画のテーマは聖ジョヴァンニ・バッティスタの物語と聖ステファノの物語です。

祭壇に向かって左側壁が聖ステファノ、右側壁が聖ジョヴァンニ・バッティスタとなってます。

1464年に完成しました。




砂漠の聖ジョヴァンニ・バッティスタ

聖ジョヴァンニ・バッティスタの誕生

天井


聖ステファノの誕生

シナゴーグの聖ステファノ

聖ステファノの葬儀





Cappella Manassei


Cappella Manasseiのフレスコ画は、15世紀のフィレンツェの逸名画家によって15世紀初め頃に制作されました。

フレスコ画のテーマは、聖マルゲリータの物語と聖ジャコモの物語となってます。


天井







Cappella Inghirami



ベネデット・ダ・マイアーノ(マイアーノ、1442‐フィレンツェ、1497)の「インギラーミの墓」(1480c)

ベネデット・ダ・マイアーノの聖母子







詳細不明






一旦、聖堂の外に出て付属美術館に向かいました。
(おわり)