
次の部屋です。絵画作品の展示がありません。

第22室になります。

天井のフレスコ画は地元ジェノヴァの画家ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1703)によって描かれました。

この銘板が助かります。

次は第23室と表記されてますが、ベランダの通路です。

見所は、パオロ・ジローラモ・ピオラ(ジェノヴァ、1666‐1724)によって描かれたフレスコ画です。

パオロ・ジローラモ・ピオラはドメニコ・ピオラの息子です。

次の部屋です。

第24室になります。

天井のフレスコ画は、ジョヴァンニ・アンドレア・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1639‐1697)によって描かれました。

壁のフレスコ画は、インぺリアーレ・ボッティーノ(ポルト・マウリツィオ、1689‐1725活動)によって描かれました。

壁の油彩画はジョヴァンニ・アンドレア・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1639‐1697)の作品ですが、画題が分かりません。

壁の油彩画はジョヴァンニ・アンドレア・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1639‐1697)の作品(画題不明)

赤の宮殿内の礼拝堂です。

礼拝堂のフレスコ画はドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1703)によって描かれました。

次の部屋です。部屋番号が表示されてません。

ジョヴァンニ・バッティスタ・キアッペ(ノーヴィ・リグーレ、1721 o 1722-1766)の「リドルフォ・ブリニョーレ=サーレの肖像」
リドルフォは、1762年から1764年までジェノヴァ総督を務めました。

カルロ・アントニオ・タヴェッラ(ミラノ、1668‐ジェノヴァ、1738)の「グロッポーリの風景」

ヤコポ・アントニオ・ボーニ(ボローニャ、1688‐ジェノヴァ、1766)の「ジョヴァンニ・フランチェスコ・ブリニョーレ=サーレの肖像」
ジョヴァンニ・フランチェスコは、1635年から1637年までジェノヴァ総督の地位にありました。

ヤコポ・アントニオ・ボーニ(ボローニャ、1688‐ジェノヴァ、1766)の「ジョヴァンニ・フランチェスコ2世・ブリニョーレ=サーレの肖像」
ジョヴァンニ・フランチェスコ2世は、1746年から1748年までジェノヴァ総督でした。

16世紀のヴェネトの逸名画家作「悔悛の聖マリア・マッダレーナ」

ヴェネツィアの逸名画家作「紳士の肖像」(16世紀末‐17世紀初頭)

ヴェネツィア派逸名画家作「聖会話」(16世紀末‐17世紀初頭)

17世紀のフランスの逸名画家作「悔悛の聖マリア・マッダレーナ」

ヴァレンティン・ルフェーブル(ブリュッセル、1642‐1680c)に帰属する「聖ジュスティーナの殉教」

18世紀の逸名画家作「レオナルド・ダ・ヴィンチ作『聖ジョヴァンニ・バッティスタ』の複製画」

ラッザーロ・カルヴィ(ジェノヴァ、1512‐1587?)の「聖母子と聖フランチェスコ」

ベルナルド・カステッロ(ジェノヴァ、1557‐1629)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」

チェーザレ・コルテ(ジェノヴァ、1550‐1613)の「聖母子」

ウスタシュ・ル・スュール(パリ、1617‐1655)の「魚の肝を焼くトビアス」

カルロ・アントニオ・タヴェッラ(ミラノ、1668‐ジェノヴァ、1738)の「池と森がある風景」

カルロ・アントニオ・タヴェッラ(ミラノ、1668‐ジェノヴァ、1738)の「湖の風景」

シジスモンド・ベッティ(フィレンツェ、1699‐1765)の「リドルフォ・ブリニョーレ=サーレの肖像」(1739)

アントン・フォン・マロン(ウィーン、1733‐ローマ、1808)の「アンナ・ピエーリ・ブリニョーレ=サーレの肖像」(1792)

カルロ・アントニオ・タヴェッラ(ミラノ、1668‐ジェノヴァ、1738)の「田園の風景」

シジスモンド・ベッティ(フィレンツェ、1699‐1765)の「ベッリ―ナ・ロメッリーニ・ブリニョーレ=サーレの肖像」(1739)

アントン・フォン・マロン(ウィーン、1733‐ローマ、1808)の「駐イタリアのスェーデン大使ゲオルグ・ワンゲルの肖像」(1792)

第29室の展示は1作品だけです。

マッテオ・ピカッソ(レッコ、1794‐ジェノヴァ、1879)の「マリーア・ブリニョーレ=サーレ・デ・フェラーリの肖像」(1829)

以上で終わりです。
グイド・レーニ、グエルチーノのボローニャ派絵画が良いと思いました。

外に出て、白の宮殿に向かいました。
これで赤の宮殿を終わり、白の宮殿に続きます。