金属製の容器などが展示されている部屋です。
トゥルシ宮内の博物館の案内が金属製容器を展示する部屋にありました。これを置くのは第22室がベストと思いました。
展示室番号は白の宮殿からの継続として表示されているようです。
訪問者のことなんぞは、あまり考えてないからでしょう。
この部屋から絵画の展示になります。
ドメニコ・パロディ(ジェノヴァ、1668‐1740)の「高貴な女性の肖像」
バルトロメオ・グイドボーノ(サヴォーナ、1654‐トリノ、1709)の「アガルの絶縁」
バルトロメオ・グイドボーノ(サヴォーナ、1654‐トリノ、1709)の「聖マルゲリータの幻視」
グレゴリオ・デ・フェラーリ(ポルト・マウリツィオ、1647‐ジェノヴァ、1709)の「砂漠の聖ジローラモ」
グレゴリオ・デ・フェラーリ(ポルト・マウリツィオ、1647‐ジェノヴァ、1709)の「砂漠の聖ジョヴァンニ・バッティスタ」
グレゴリオ・デ・フェラーリ(ポルト・マウリツィオ、1647‐ジェノヴァ、1709)の「井戸のサマリア女」
グレゴリオ・デ・フェラーリ(ポルト・マウリツィオ、1647‐ジェノヴァ、1709)の「我に触れるな」
ロレンツォ・デ・フェラーリ(ジェノヴァ、1680‐1744)の「トビアスと天使」
ロレンツォ・デ・フェラーリは、グレゴリオ・デ・フェラーリを父に、ドメニコ・ピオラの娘マルゲリータ・ピオラを母に持つ、画家の良血です。
グレゴリオ・デ・フェラーリ(ポルト・マウリツィオ、1647‐ジェノヴァ、1709)の「モーゼの奇跡」
グレゴリオ・デ・フェラーリ(ポルト・マウリツィオ、1647‐ジェノヴァ、1709)の「エジプトへの逃避途中の休息」
次の部屋です。
第23室です。
ジョヴァンニ・マリア・デッレピアーネ通称イル・ムリナレット(ジェノヴァ、1660‐モンティチェッリ・ドンジーナ、1745)の「ジェノヴァ総督フランチェスコ・マリア・インぺリアーレの肖像」
ドメニコ・パロディ(ジェノヴァ、1668‐1740)の「高貴な女性の肖像」
アレッサンドロ・マニャースコ(ジェノヴァ、1667‐1749)の「兵士」
アレッサンドロ・マニャースコ(ジェノヴァ、1667‐1749)の「兵士」
アレッサンドロ・マニャースコ(ジェノヴァ、1667‐1749)の「ゲッセマネ園のキリスト」
アレッサンドロ・マニャースコ(ジェノヴァ、1667‐1749)の「法悦の聖フランチェスコ」
アレッサンドロ・マニャースコ(ジェノヴァ、1667‐1749)の「高貴な男の肖像」
ジョヴァンニ・マリア・デッレピアーネ通称イル・ムリナレット(ジェノヴァ、1660‐モンティチェッリ・ドンジーナ、1745)の「赤い服を着た男の肖像」
アレッサンドロ・マニャースコ(ジェノヴァ、1667‐1749)の「奇行」
アレッサンドロ・マニャースコ(ジェノヴァ、1667‐1749)の「奇行」
アントン・フォン・マロン(ウィーン、1733‐ローマ、1806)の「ジェノヴァ共和国総督のミケランジェロ・カンビアーソの肖像」(1792)
アントン・フォン・マロン(ウィーン、1733‐ローマ、1806)の「アンナ・ピエーリ・ブリニョーレ=サーレの肖像」
ヘンドリック・フランス・ヴァン・リント(アンヴェルサ、1694‐ローマ、1762)の「風景」
カルロ・アントニオ・タヴェッラ(ミラノ、1668‐ジェノヴァ、1738)の「風景」
カルロ・アントニオ・タヴェッラ(ミラノ、1668‐ジェノヴァ、1738)の「風景」
ジャン=バティスト・ティアチェ(フランス、ルーアン、1737‐フィレンツェ?、1790)の「ティヴォリの滝」
二コラ・ランクレ(パリ、1690‐1743)の「庭園のダンス」
ミケーレ・プランケール(パルマ、1796‐1848)の「テミストクレス(紀元前6‐5世紀のアテネの政治家・軍人)の説得」
フランチェスコ・フォンテバッソ(ヴェネツィア、1709‐1769)の「画家・彫刻家・建築家」
ジョヴァンニ・ダヴィド(カベッラ・リグーレ、、1743‐ジェノヴァ、1790)に帰属する「カフェの女の肖像」
外に出ました。
(おわり)