
ジェノヴァのサン・ロレンツォ通りです。

ドゥオーモの後方、Piazza Matteottiに面して建つジェズ教会です。

ジェノヴァにおけるイエズス会の本拠地教会ですが、その名称はChiesa del Gesu e dei Santi Ambrogio e Andreaと言います。

この地に6世紀頃に建設されたサンティ・アンブロージョ・エ・アンドレア教会がありましたが、宗教改革に危機感を抱いたジェノヴァ大司教区は、1552年、教会をイエズス会に譲渡、宗教活動をイエズス会に委ねました。
建物が再建されることになり、イエズス会信者で画家でもあり建築家でもあったジュゼッペ・ヴァレリアーニ(またはヴァレリアーノ)(ラクイラ、1526‐ナポリ、1596)の設計によって、1589年創建、1606年に完成したバロック様式の建物が現在見ることが出来る姿となってます。1598年に献堂式が行われました。

クーポラと鐘楼

ファサードにイエズス会の紋章があります。

ミケーレ・ラモーニノ(ヴェラッツェ、1821‐ジェノヴァ、1881)の「聖アンブロージョ」

ミケーレ・ラモーニノ(ヴァラッツェ、1821‐ジェノヴァ、1881)の「聖アンドレア」


開いていたので拝観しました。

三廊式、バロック様式の内部です。

左側廊方向

右側廊方向

反宗教改革旗印のイエズス会教会らしい派手な装飾が特徴です。

中央礼拝堂(主祭壇)

主祭壇画は、ピーテル・パウル・ルーベンス(ドイツ、ジーゲン、1577‐ベルギー、アンヴェルサ、1640)の「割礼」(1608)

ジュゼッペ・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1599‐1624活動記録)の「聖パオロ」

ジュゼッペ・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1599‐1624活動記録)の「聖ピエトロ」

ジョヴァンニ・バッティスタ・メラーノ(ジェノヴァ、1632‐ピアチェンツァ、1698)の「嬰児虐殺」(1661)


ドメニコ・ピオラ(ジェノヴァ、1627‐1703)の「エジプトへの逃避」

ジョヴァンニ・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1584‐ミラノ、1631)のクーポラのフレスコ画(1624c)

このフレスコ画もジョヴァンニ・カルロ―ネ(ジェノヴァ、1584‐ミラノ、1631)によって1624年頃に描かれました。

アンドレア・ポッツォ(トレント、1642‐ウィーン、1709)の「聖フランチェスコ・ボルジャ」

ドメニコ・パッシニャーノ(タヴァルネッレ・ヴァル・ディ・ぺーザ、1559‐フィレンツェ、1638)の「キリストの洗礼」

ピーテル・パウル・ルーベンス(ドイツ、ジーゲン、1577‐ベルギー、アンヴェルサ、1640)の「聖イグナツィオの奇跡」


装飾過多ですね。

ジョヴァンニ・バッティスタ・パッジ(ジェノヴァ、1554‐1627)の「聖ステファノの殉教」

サン・フランチェスコ・サヴェーリオ礼拝堂

ドメニコ・グラッシの「聖フランチェスコ・サヴェーリオの説教」

ドメニコ・フィアセッラ(サルザーナ、1589‐ジェノヴァ、1669)の「聖フランチェスコ・サヴェーリオの物語」

ドメニコ・フィアセッラ(サルザーナ、1589‐ジェノヴァ、1669)の「聖フランチェスコ・サヴェーリオの物語」

礼拝堂天井もドメニコ・フィアセッラ(サルザーナ、1589‐ジェノヴァ、1669)の「聖フランチェスコ・サヴェーリオの物語」です。

説教壇

説教壇

グイド・レーニ(ボローニャ、1575‐1642)の「聖母被昇天」

反射を避けて撮ってみました。

アンドレア・ポッツォ(トレント、1642‐ウィーン、1709)の「無原罪の御宿リ」

見所豊富です。

オルガン

シモン・ヴーエ(パリ、1590‐1649)の「磔刑」

詳細不明

ジョヴァンニ・アンドレア・デ・フェラーリ(ジェノヴァ、1598‐1669)の「テオドシス帝と聖アンブロージョ」

派手派手です。

美術ファンにとっては非常に見所が多いと思います。



マッティア・トラヴェルソ(ジェノヴァ、1885‐1956)の「聖心」

ベルナルド・ストロッツィの作品を探しましたが見つかりませんでした。

外に出ました。