
1258年創建のロマネスク様式のサン・フランチェスコ教会です。

奉献式が1285年に執り行われました。
建物の完成後、二回大修復が行われましたが、老朽化したので、17世紀半ばに再建されました。現在の姿は、再建された二代目の建物です。

鐘楼は13世紀に建設されました。

教会の入り口は閉まっています。
教会のことを述べてますが、サン・フランチェスコ教会修道院の建物が博物館として使用されている上に、サン・フランチェスコ教会自体が博物館の一部として組み込まれているからです。

教会の入り口上ルネッタに描かれたフレスコ画「聖母子と聖フランチェスコと聖キアーラ」
制作者は不明のようです。

この建物が博物館の入り口となってます。
サン・フランチェスコ教会修道院ですが、18世紀末のナポレオンのイタリア侵攻に伴い、宗教活動が縮小制限されると、急速に荒廃が進み、1810年には活動が停止され閉鎖されてしまいました。その後、宗教活動は一度も再開されることなく現在に至ってます。
1833年から1893年まで大学の学舎として使用されていました。
その後、建物はコムーネの所有となり、20世紀初頭に一部改造され、村民ホールや会議室などとして使用されるようになりました。

1980年に村民ホールや会議室としての使用が停止され、1997年にコムナーレ博物館がオープンしました。
Complesso Museale di San Francescoが正式名称です。その名前の通り、幾つかの博物館から成る複合博物館です。

先ず、教会に入りました。

有名なオルガン

教会の壁に描かれたフレスコ画は、Maestro di Fossaの「磔刑」

教会を経由して、旧修道院のキオストロを経て、博物館の方に入る順路になってます。

キオストロ回廊のルネッタに描かれたフレスコ画

考古学部門


絵画部分は熱心に見ました。
入館者は私一人だけだったと思います。

17世紀のウンブリアの逸名画家作「聖母子と聖マリア・マッダレーナとアレッサンドリアの聖カテリーナ」

17世紀のウンブリアの逸名画家作「ロザリオの聖母」
肝心のロザリオの聖母部分はこの画面の上部にあるようですが、落剝してありません。

16世紀のウンブリアの逸名画家作「エマオの晩餐」

17世紀のウンブリアの逸名画家作「受胎告知」

トッマーゾ・マウリツィの「聖母被昇天」

ピントゥリッキオの「聖母子」

じっくりと鑑賞しました。

ジョヴァンニ・ディ・ピエトロ通称ロ・スパーニャ(?、1450c‐スポレート、1528)の「サン・マルティーノの祭壇画」(1522)
トレヴィのサン・マルティーノ教会の主祭壇を飾っていた祭壇画です。

聖母戴冠
ロ・スパーニャの代表作です。

プレデッラ

裾絵の中央が欠落しています。

ロ・スパーニャの「アレッサンドリアの聖カテリーナ」(1520c)
トレヴィのマドンナ・デッラ・ラクリメ教会にありました。

ロ・スパーニャの「聖チェチリア」(1520c)
この作品もトレヴィのマドンナ・デッレ・ラクリメ教会にありました。

アレッサンドロ・トゥルキ通称ロルベット(オルベット)(ヴェローナ、1578‐ローマ、1649)の「聖母被昇天」(1630‐40c)
トレヴィのサンタントニオ教会にありました。

フランチェスコ・ナシーニ(カステル・デル・ピアーノ、1611‐1695)の追随者作「聖ヴィンチェンツォの奇跡」(1720‐30c)
トレヴィのサン・ドメニコ教会にありました。

17世紀のローマの逸名画家作「聖トッマーゾの不信」
トレヴィのサンティ・トッマーゾ・エ・ラザロ教会にありました。

ジョヴァンニ・ディ・コッラドゥッチョ(フォリーニョ、1404‐1430活動記録)の「サン・フランチェスコのポリッティコ」(1430c)
トレヴィのサン・フランチェスコ教会にありました。

詳細不明の「慈悲の聖母」
説明プレートがありません。

16世紀のウンブリアの逸名画家作「ピエタ」
トレヴィのマドンナ・デッレ・ラクリメ教会にありました。

制作者情報不詳の「祈る聖母」

写真館です。

オリーブ博物館

(おわり)