
屋上テラスから城の中に戻りました。


パオロ3世ファルネーゼの居住部分の中で、最も豪華なこの部屋は、パオロ3世のゲストルームとして使用されていたそうです。

マルティン・ルターの宗教改革に対して、ローマ・カトリックの優位性をゲストに示すために、パオロ3世は特に豪華な装飾を施すように指示しました。

部屋の装飾は、ぺリン・デル・ヴァーガ(フィレンツェ、1501‐ローマ、1547)とペリンの助手たちによって1545年から1457年にかけて行われました。

ペリンの助手たちには、1547年にぺリン・デル・ヴァーガに弟子入りしたばかりのペッレグリーノ・ティバルディ’ヴェルソルダ、1527‐ミラノ、1596)、ジローラモ・シチョランテ・ダ・セルモネータ(セルモネータ、1521‐ローマ、1580)などがいました。
なお、ジローラモ・シチョランテはレオナルド・ダ・ピストイアの弟子でしたが、ペリンの協力者でした。ペリンの死後、未完成となっていたペリンのフレスコ画制作を引き継ぎ、完成させました。

フレスコ画のテーマは、アレキサンダー大王の逸話とパオロ3世の生涯となってます。




天井にファルネーゼ家の紋章(写真左上)が描かれてます。


床の紋章

ハドリアヌス帝


この男が描かれている意味が分かりません。

次の部屋です。

ペルセオ(ペルセウス)の間

ロレンツォ・ロット(ヴェネツィア,1480c-ロレート,1556/1557)の「聖ジローラモ」

ペルセオの間のフレスコ画は、ぺリン・デル・ヴァーガ(フィレンツェ、1501‐ローマ、1547)と助手たちによって1545年から1546年にかけて制作されました。




マーゾ・ディ・サン・フリアーノ(フィレンツェ、1536‐1571活動)周辺のフィレンツェの逸名画家による「玉座の聖母子と聖人たち」(16世紀)




詳細不明

カルロ・クリヴェッリ(ヴェネツィア、1430c‐アスコリ・ピチェーノ、1495)の「聖オノフリオ」

カルロ・クリヴェッリ(ヴェネツィア、1430c‐アスコリ・ピチェーノ、1495)の「祈るキリスト」

ジョヴァンニ・マルティーノ・スパンツォッティ(カザーレ・モンフェッラート、1455c‐キヴァッソ、1528以前没)の「ピエタ」

次の部屋です。

1540年台に建てられたパオロ3世の寝室です。

フレスコ画は、ぺリン・デル・ヴァーガ(フィレンツェ、1501‐ローマ、1547)と助手たちによって制作されました。



ジャンピエトロ・リッツィ通称ジャンピエトリーノ(ミラノ、1495‐1549)の「荊刑のキリスト」

詳細不明の肖像画

パリス・ボルドン(トレヴィーゾ、1500‐ヴェネツィア、1571)の「十字架を担ぐキリスト」

マルチェッロ・フォゴリーノ(ヴィチェンツァ、1485c‐1558)の作品です。

部屋からサンタンジェロ橋が見えました。

16世紀初めに造られたジュリオ2世のロッジャです。


ロッジャのフレスコ装飾は、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの弟子によるものです。

これで大体見たようです。





サンタンジェロ城の模型





外に出ました。




(おわり)