イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:美術館 > マントヴァ、テ離宮博物館

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次の部屋です。


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ウーゴ・シッサとジュゼッペ・アセルビのコレクションが展示されてます。


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順路通りに進みます。


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ウーゴ・シッサ(マントヴァ、1913‐ペゴニャーガ、1980)は、イタリアの建築家、画家、考古学者でした。


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1953年、ウーゴ・シッサは、イラク開発の主任設計者としてイラク・バグダッドに赴任しました。1958年のイラク君主制の崩壊によってイタリアへの帰国を余儀なくされました。
1953年から1958年のイラク滞在中に古道具市などでメソポタミア美術品などを収集しました。


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ウーゴ・シッサが彼のイラク滞在中に収集した約250点の作品が2000年からテ離宮博物館で展示されるようになりました。


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ジュゼッペ・アセルビ(カステル・ゴッフレド、1773‐1846)は、イタリアの探検家、作家、考古学者、音楽家です。


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ジュゼッペ・アセルビは、1814年、オーストリアのウィーンにいましたが、ウィーン会議の途中、オーストリア外相メッテルニヒからリスボンのオーストリア領事に任命されました。任命の理由は分かりません。


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1825年、ジュゼッペ・アセルビは、エジプトのオーストリア総領事に任命されエジプトに赴任しました。彼の赴任中に1828年から1829年にかけてシャンポリオンの探検隊に加わりました。


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シャンポリオンの探検隊に参加中に多くのエジプトに関する考古学資料を収集したのです。また、総領事としてのエジプト赴任中に多くのエジプト美術品を収集しました。


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ジュゼッペ・アセルビは、1840年、エジプトで収集した約500点のコレクションをマントヴァ市当局に寄贈しました。現在、寄贈された全点の作品・資料がテ離宮博物館で展示されてます。


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これで終わりです。


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宮殿の建物から外に出ました。


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離宮の庭園に蒸気機関車が置かれてます。


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(おわり)

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次の部屋です。フレスコ画、スタッコ彫刻で装飾されてます。


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勝利の間


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天井の装飾


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1790年頃、カルロ・イザッチによって修復されましたが、その修復後のものが現在の姿となってます。


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ドメニコ・ぺセンティの作品が6点展示されてます。


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ドメニコ・ぺセンティ(メドーレ、1843‐マントヴァ、1918)の「自画像」


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ドメニコ・ぺセンティ(メドーレ、1843‐マントヴァ、1918)の「領主の馬小屋」


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ドメニコ・ぺセンティ(メドーレ、1843‐マントヴァ、1918)の「サンタ・マリア・ディ・エーズィネ教会」(1912)


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ドメニコ・ぺセンティ(メドーレ、1843‐マントヴァ、1918)の「読者」


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ドメニコ・ぺセンティ(メドーレ、1843‐マントヴァ、1918)の「マントヴァのリオ川の霧」


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ドメニコ・ぺセンティ(メドーレ、1843‐マントヴァ、1918)の「モンターニャの風景」(1907c)


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順路に従って進みました。


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階段を上ります。


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階上の展示室です。


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アウレリオ・ノルデア(カッザーノ、1933‐マントヴァ、2012)の「In-forme」


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ヴィンディツィオ・ノダリ・ぺゼンティ(メドーレ、1879‐マントヴァ、1961)の「体操選手」


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フェデリーコ・ザンドメネギ(ヴェネツィア、1841‐パリ、1917)の「カフェで」(1884)
フェデリーコは印象派の画家です。


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フェデリーコ・ザンドメネギ(ヴェネツィア、1841‐パリ、1917)の「目覚め」(1895)


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フェデリーコ・ザンドメネギ(ヴェネツィア、1841‐パリ、1917)の「花束」(1894)


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フェデリーコ・ザンドメネギ(ヴェネツィア、1841‐マントヴァ、1917)の「花束を持つ少女」


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フェデリーコ・ザンドメネギ(ヴェネツィア、1841‐パリ、1917)の「空想」


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次の部屋です。


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クリニオ・ロレンツォ・ロレンツェッティ(マントヴァ、20世紀前半活動)の「水に飛び込もうとする少年」(1930)


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フェデリーコ・ザンドメネギ(ヴェネツィア、1841‐パリ、1917)の「アトリエ」(1896)


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アルマンド・スパディーニ(フィレンツェ、1883‐ローマ、1925)の「母性」(1910)


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アルマンド・スパディーニ(フィレンツェ、1883‐ローマ、1925)の「家族」(1913)


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アルマンド・スパディーニ(フィレンツェ、1883‐ローマ、1925)の「幼児」(1914‐15)


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アルマンド・スパディーニ(フィレンツェ、1883‐ローマ、1925)の「フルーツの皿の前の乳児」(1913)


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アルマンド・スパディーニ(フィレンツェ、1883‐ローマ、1925)の「花と幼児」(1913)


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次の部屋です。


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アルマンド・スパディーニ(フィレンツェ、1883‐ローマ、1925)の「花と少女」(1914‐15)


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アルマンド・スパディーニ(フィレンツェ、1883‐ローマ、1925)の「ヌード」(1918)


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アルマンド・スパディーニ(フィレンツェ、1883‐ローマ、1925)の「ヴィッラ・ボルゲーゼ」(1918)


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アルマンド・スパディーニ(フィレンツェ、1883‐ローマ、1925)の「母性」(1918)


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アルマンド・スパディーニ(フィレンツェ、1883‐ローマ、1925)の「猫」(1923)


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アルマンド・スパディーニ(フィレンツェ、1883‐ローマ、1925)の「アトリエにて」(1922)


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アルマンド・スパディーニ(フィレンツェ、1883‐ローマ、1925)の「女性の肖像」(1923)


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次の部屋です。


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ウーゴの作品が7点展示されてます。


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(つづく)

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次の部屋です。


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この部屋から少し市立博物館らしい展示になります。


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16世紀のテニスボール


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部屋の装飾


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天井の装飾


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次の部屋です。


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天井の装飾


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部屋の名称は特に付けられていないようです。


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次の部屋です。


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燭台の間


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フレスコ画やスタッコ彫刻によって1527年に装飾されましたが、オリジナルのものは失われて、1813年に新古典様式で再装飾された部屋です。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・スカルトーリと二コラ・ダ・ミラノが1527年のスタッコ彫刻に従事したそうです。


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1527年に描かれたオリジナルのフレスコ画は、ジュリオ・ロマーノとアゴスティーノ・ダ・ボッザニーガによって描かれたそうです。


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次の部屋です。


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女像柱の間


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この部屋の装飾もオリジナルのものではありません。


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1813年に新古典様式で再装飾されたものが現在の姿となってます。


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オリジナルの装飾は、ジュリオ・ロマーノのデザインによって二コラ・ダ・ミラノによって制作されたスタッコ彫刻が中心だったそうです。


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次の部屋ですが、特に名前がないようです。


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テ宮殿の模型が置かれてます。


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この部屋の彫刻の詳細が分かりません。


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(つづく)

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次の部屋です。


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Camera degli Imperatori


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皇帝の間です。


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壁にアレキサンダー大王、ユリウス・カエサル、アウグストゥス、マケドニアのフィリップ王などが描かれているのが部屋の名称の由来です。


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皇帝の間のフレスコ画は、ジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499c‐マントヴァ、1546)とジュリオの弟子フランチェスコ・プリマティッチョ通称イル・ボローニャ(ボローニャ、1504‐パリ、1570)によって1529年に描かれました。


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中心になって制作したのは弟子のフランチェスコ・プリマティッチョ通称イル・ボローニャと言われてます。


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皇帝の間の床


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次の部屋です。


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Camera dei Giganti


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巨人の間です。


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この部屋のフレスコ画は有名です。


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巨人の間のフレスコ画は、ジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499c‐1546)とジュリオ・ロマーノの弟子や協力者によって1532年から1534年に描かれました。


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ジュリオ・ロマーノ以外にリナルド・マントヴァーノ(マントヴァ、16世紀生まれ‐1546以前没)、フェルモ・ギソーニ(カラヴァッジョ、1505‐マントヴァ、1575)、ルーカ・スカレッティ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1531から活動記録‐1555以前没)の画家たちがフレスコ画制作に従事したと言われてます。


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場面毎の作品帰属は明確になっていません。


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目の不自由な人向けの触れることが出来る浮彫


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巨人の間の床


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次の部屋です。


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奇怪の小部屋


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スタッコ彫刻で装飾されてます。


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天井の装飾


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(つづく)

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ロッジャに出ました。


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ダヴィデのロッジャと称します。


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美術品の宝庫です。


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ロッジャから見たエクセドラの半円


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堀の小さな魚が泳いでいます。


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ロッジャの壁はフレスコ画、スタッコ彫刻で装飾されてます。また、壁龕に彫刻が置かれてます。


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目の不自由な人向けの触れることが出来る彫刻


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ロッジャと言う解放された環境にも拘らず作品などの保存状態がかなり良いと思います。


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ロッジャの装飾には、ジュリオ・ロマーノの他、多くの芸術家が従事したとされてます。


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フレスコ画は、ジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499c‐マントヴァ、1546)、ジュリオ・ロマーノの弟子、協力者によって1532年から1534年に制作されました。


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フレスコ画制作の参画した弟子、協力者ですが、具体的にはリナルド・マントヴァーノ(マントヴァ、16世紀‐1546以前没)、フェルモ・ステッラ・ダ・カラヴァッジョ(カラヴァッジョ、1490c‐1562c)、ルーカ・スカレッティ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1531から活動記録‐1555以前没)、ベネデット・パーニ(ぺーシャ、1504‐マントヴァ、1578)がいました。


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ロッジャのフレスコ画は、リナルド・マントヴァーノが中心になって制作されたようです。


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スタッコ彫刻は、アンドレア・デ・コンテ(16世紀第2四半世紀活動)、ベネデット・ディ・バルトロメオ(16世紀第2四半世紀活動)、ビアージョ・デル・コンティ(16世紀第2四半世紀活動)によって1532年から1534年に制作されました。


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ロッジャからの景観


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彫刻は時代の異なる4人の彫刻家によって制作されましたが、各彫刻の作品帰属は明確になっていないようです。


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彫刻ですが、ベネデット・ディ・バルトロメオ(16世紀第2四半世紀活動)とジョヴァン・バッティスタ・マントヴァーノ(16世紀第2四半世紀活動)によって1532年から1534年に制作され、更にチェーザレ・リーパ(17世紀活動)によって1653年に制作されました。
最後にジョヴァンニ・ベッラヴィータ(1739c‐1821)によって1808年から1809年に制作されたのです。


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しかし、作品帰属は明確になっていないようです。


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次の部屋です。


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Camera degli Stucchi


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部屋のの名称の通りスタッコ彫刻が見事です。


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この部屋の装飾は、ジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499c‐マントヴァ、1546)、ジュリオの弟子の建築家・画家フランチェスコ・プリマティッチョ通称イル・ボローニャ(ボローニャ、1504‐パリ、1570)、スタッコ彫刻家ジョヴァン・バッティスタ・マントヴァーノ(16世紀第2四半世紀活動)によって1529年から1531年に行われました。


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天井


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(つづく)

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次の部屋です。


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Sala dei Venti(風の間)です。


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Sala dello Zodiacoとも呼ばれてます。辞書を引くとzodiaco=黄道帯なので、部屋の名称の意味がよく分かりません。


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凝った装飾が施されてます。


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暖炉


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天井


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この部屋のフレスコ画は、ジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499c‐マントヴァ、1546)とジュリオ・ロマーノの弟子と協力者によって1527年から1528年に制作されました。


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この部屋のフレスコ画制作に携わったジュリオ・ロマーノの弟子や協力者として、ニコロ・ダ・ミラノ(ロンバルド、16世紀第2四半世紀活動)、ベネデット・パーニ(ぺーシャ、1504‐マントヴァ、1578)、アゴスティーノ・ダ・モッザニーガ(マントヴァ、1504c‐1544)、アンセルモ・グアッツィ(マントヴァ、1527‐1544存在確認)、ジローラモ・ダ・トレヴィーゾ(16世紀第2四半世紀活動)がいました。


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スタッコ彫刻は、アンドレア・ぺーツィ(16世紀第2四半世紀)によって制作されました。


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目の不自由な人向けの浮彫


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フレスコ画の場面毎の作品帰属は明確になっていません。


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次の部屋です。


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Camera delle Aquile(鷲の間)


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暖炉


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フレスコ画とスタッコ彫刻で装飾されてます。


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フレスコ画は、ジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499c‐マントヴァ、1546)とジュリオ・ロマーノの弟子と協力者によって、1527年から1528年に制作されました。


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スタッコ彫刻は、ニコロ・ダ・ミラノ(ロンバルド、16世紀第2四半世紀活動)とアンドレア・ぺーツィ(16世紀第2四半世紀活動)によって制作されました。


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ジュリオ・ロマーノの他にフランチェスコ・プリマティッチョ通称イル・ボローニャ(ボローニャ、1504‐パリ、1570)、アゴスティーノ・ダ・ボッザニーガ(マントヴァ、1504‐1544)がフレスコ画制作に従事したと言われてます。


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フレスコ画の場面毎の作品帰属は明確になっていません。


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(つづく)

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次の部屋です。


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馬の間です。


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宮殿の中で最も有名な部屋と言われてます。


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この部屋は社交場として使用されていました。現在はセミナー室になってます。


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部屋の名称の由来は、6頭の馬の実物大の肖像画が壁に描かれているからです。


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6頭の馬は、ゴンザーガ家の厩舎で繁殖させた、フェデリーコ2世ゴンザーガ公爵(マントヴァ、1500‐マルミローロ、1540)自慢のお気に入りでした。


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この部屋のフレスコ画は、ジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499c‐マントヴァ、1546)と弟子であるジュリオ・ロマーノ派画家たちによって1525年から1527年にかけて制作されました。


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ジュリオ・ロマーノの弟子で、馬の間のフレスコ画制作に参加した画家ですが、リナルド・モンタヴァーノ(マントヴァ、16世紀‐1546以前没)、ベネデット・パーニ(ぺーシャ、1504‐マントヴァ、1578)、ガスパーレ・アミゴーニ(マントヴァ、1528‐1539存在確認)の3人の画家であるとされてます。


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詳細不明


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馬の間天井の装飾


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次の部屋です。


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Camera di Amore e Psiche


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この部屋もフレスコ画によって装飾されてます。


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この部屋は、ゴンザーガ公爵家の食堂でした。


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フレスコ画は、ジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499c‐マントヴァ、1546)と弟子であるジュリオ・ロマーノ派画家たちによって1526年から1528年に制作されました。


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制作に参加したジュリオ・ロマーノ派画家として、リナルド・モンタヴァーノ(マントヴァ、16世紀‐1546以前没)、ベネデット・パーニ(ぺーシャ、1504‐マントヴァ、1578)の2人の名前が挙げられてます。


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天井の装飾


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詳細不明


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(つづく)

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次の部屋です。


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Camera delle Imprese


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この部屋もフレスコ画で装飾されてます。


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この部屋のフレスコ画は、ジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499c‐マントヴァ、1546)とジュリオ・ロマーノの協力者だったアンセルモ・グアッツィ、アゴスティーノ・ダ・モッザニカによって1527年から1528年に制作されました。


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だれがどの部分を描いたのか、作品帰属が明確になっていません。


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3人の画家による共作ではなく、アゴスティーノ・ダ・モッザニカ単独で描かれたという説があります。


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天井の装飾


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詳細不明


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次の部屋です。


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太陽と月の間


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この部屋もフレスコ画によって装飾されてます。


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フランチェスコ・プリマティッチョ通称イル・ボローニャ(ボローニャ、1504‐パリ、1570)によって、1527年から1528年に描かれたフレスコ画です。


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壁に浮彫があります。


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これらの浮彫はオリジナルのものではありません。


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ギリシャ・ローマ時代のオリジナルの浮彫から鋳型を作って、複製されたものです。


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鋳型による複製浮彫が初めて制作され、この部屋に置かれたのは16世紀ですが、それらの複製浮彫が欠落してしまいました。現在、太陽と月の間にある浮彫は、18世紀に改めて造り直された複製浮彫です。


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一旦ロッジャに出ます。


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Loggia delle Muse(ムーサのロッジャ)です。


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ロッジャの壁はフレスコ画で覆われてます。


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フレスコ画の制作者は、ジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499c‐マントヴァ、1546)とリナルド・マントヴァーノ(マントヴァ、16世紀‐1546以前没)に2人と言われてます。


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フレスコ画は1527年から1530年頃に描かれました。


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天井の装飾


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(つづく)

今回はマントヴァ市立テ宮殿博物館です。
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マントヴァ郊外のVia Giovanni Acerbiです。この通りの突き当りにテ離宮があります。


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通りの名称がLargo XXIV Maggioと変わります。その歩道を進んでテ離宮に向かいます。


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テ離宮の門です。


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敷地内に入りました。


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テ宮殿の建物前に広い庭園があります。


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Palazzo Teです。


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Teという奇妙とも思える名称ですが、マントヴァは人造湖に囲まれた2つの大きな島に分割された街で、中世の頃、Palazzo Teが建っている土地はTejetoと呼ばれる3つ目の小さな島と湿地でしたが、Tejetoの略としてTeを用いたという説があります。他に2説あるようです。


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湿地だった、この地にマントヴァ侯爵フランチェスコ2世ゴンザーガ(マントヴァ、1466‐1519)が馬の訓練場を設けたのが土地利用の最初と言われてます。
フランチェスコ2世の子供(母はイサベッラ・デステ)のフェデリーコ2世ゴンザーガ公爵(マントヴァ、1500‐マルミローロ、1540)が賓客の接待場として、1524年から1534年に建設したテ離宮です。
設計は、建築家・画家のジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499c‐1546)が行い、建築家としてのジュリオ・ロマーノの代表作となりました。


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L'emiccio dell'esedra


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La loggia d'onore


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中庭から見た宮殿内部のファサード


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市立博物館として一般公開されてます。入館しました。


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宮殿の建物の模型が置かれてます。


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ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(ピエーヴェ・ディ・カドーレ、1488/1490-ヴェネツィア、1576)の「ジュリオ・ロマーノの肖像」(1536-40)


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一旦、中庭に出ます。


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順路の従って見て回ります。


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最初の部屋です。


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オウディウスの間


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フレスコ画によって装飾されてます。


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フレスコ画は、建築家兼画家のフランチェスコ・プリマティッチョ通称イル・ボローニャ(ボローニャ、1504-パリ、1570)によって1526年から1530年にかけて描かれました。


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このフレスコ画はフランチェスコ・プリマティッチョの代表作の一つとされてます。


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フランチェスコ・プリマティッチョは、ジュリオ・ロマーノの弟子で、後にジュリオ・ロマーノの協力者になりました。初期のパルミジャニーノから強い影響を受けた画風でした。


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フランチェスコ・プリマティッチョは、1532年、フランス王フランソワ1世から招聘を受け、フォンテーヌブロー城に赴きました。そこでロッソ・フィオレンティーノに出会い、ロッソと協力して制作に当たった他、当時水準が低かったフランスの画家たちの教育に尽力しました。
1540年、ロッソ・フィオレンティーノが没すると、ロッソの地位を引き継ぎました。


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天井の装飾


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天井の装飾もフランチェスコ・プリマティッチョによるものです。


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アンセルモ・グアッツィとアゴスティーノ・ダ・モッザニカの「ジュリオ・ロマーノの原画に基づくプルートとプロセルピーナの前のオルフェオとエウリディーチェ」(1527)
(つづく)

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