イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:教会巡り > マントヴァ、サンタンドレア聖堂

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Cappella di Nuvoloniです。
祭壇画は、フェルモ・ギソーニ・ダ・カラヴァッジョ(カラヴァッジョ、1505‐マントヴァ、1575)の「磔刑」(1556)


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Cappella di Nuvoloniの左側壁のフレスコ画は、フェルモ・ギソーニ・ダ・カラヴァッジョ(カラヴァッジョ、1505‐マントヴァ、1575)に帰属する「Prospetto architettonico dipinto」(1570)


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Cappella di Nuvoloniの右側壁に描かれたフレスコ画は、フェルモ・ギソーニ・ダ・カラヴァッジョ(カラヴァッジョ、1505‐マントヴァ、1575)に帰属する「Prospetto architettonico dipinto」(1570)です。


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サンティッシモ・サクラメント礼拝堂です。


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ルイージ・ニッコリ―ニの「聖アンドレアと聖ロレンツォ」(19世紀初め)


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サンティッシモ・サクラメント礼拝堂の左側壁に描かれたフェリーチェ・カンピ(マントヴァ、1746‐1817)の「エリコの陥落」(1804)


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サンティッシモ・サクラメント礼拝堂の右側壁に描かれたフェリーチェ・カンピ(マントヴァ、1746‐1817)の「饗宴の誘い」(1804)


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間違った方向を示す案内 
矢印は左側を示さないとサンティッシモ・サクラメント礼拝堂に行きません。矢印の上には天井があります。


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サン・ロンジーノ礼拝堂です。


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これはコピー画です。本物は、ナポレオン軍によってフランスに持ち去られ、現在、ルーブル美術館で展示されてます。
制作者不明の「ジュリオ・ロマーノ作『ご誕生と聖ロンジーノと聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ』のコピー画」


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サン・ロンジーノ礼拝堂の左側壁に描かれた、ジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499c‐マントヴァ、1546)とリナルド・マントヴァーノ(マントヴァ、1502‐1540)の「キリストの聖血の発見」(1534)


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サン・ロンジーノ礼拝堂の右側壁に描かれた、ジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499c‐マントヴァ、1546)とリナルド・マントヴァーノ(マントヴァ、1502‐1540)の「磔刑」(1534)


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サン・ロンジーノ礼拝堂の天井


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カッタネア礼拝堂


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カッタネア礼拝堂の左側壁に描かれた、イッポリート・アンドレアージ通称アンドレアジーノ(マントヴァ、1548‐1608)の「聖母の誕生」


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カッタネア礼拝堂の右側壁に描かれた、イッポリート・アンドレアージ通称アンドレアジーノ(マントヴァ、1548‐1608)の「聖母被昇天と聖母戴冠」


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サン・セバスティアーノ礼拝堂です。


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15世紀のロンバルドの逸名画家作「聖母子と聖ジローラモと聖エリザベッタと聖ジョヴァンニーノ」(1495)


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サン・セバスティアーノ礼拝堂の左側壁に描かれたリナルド・マントヴァーノ(マントヴァ、1502‐1540)の「聖セバスティアーノの殉教」


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サン・セバスティアーノ礼拝堂の右側壁に描かれたリナルド・マントヴァーノ(マントヴァ、1502‐1540)の「聖セバスティアーノの殉教」


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サン・セバスティアーノ礼拝堂の天井


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サン・アントニオ礼拝堂です。
祭壇画は、ジュリオ・チェーザレ・アッリヴァベーネ(マントヴァ、1806‐フィレンツェ、1896)の「パドヴァの聖アントニオ」(1846)


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サン・アントニオ礼拝堂の左側壁に描かれたベネデット・パーニ(ぺーシャ、1504‐マントヴァ、1578)の「煉獄と楽園」(1570)


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サン・アントニオ礼拝堂の右側壁に描かれたベネデット・パーニ(ぺーシャ、1504‐マントヴァ、1578)の「地獄」(1570)


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ジュゼッペ・ラゼッティ(マントヴァ、1801‐1888)の「ラザロの蘇生」


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外に出ます。


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見所が多い聖堂でした。


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(おわり)

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マントヴァの旧市街に入ると、鐘楼とクーポラが目立ちます。


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クーポラはサンタンドレア聖堂のものです。


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マントヴァで最大の教会です。Concattedraleであり、Basilica Minoreです。


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教会の歴史は古く、804年のキリストの聖血遺物の発見に関連しています。初代の建物は11世紀に建設されました。


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現在の建物は、マントヴァ公ルドヴィーコ3世ゴンザーガ(マントヴァ、1412‐1478)の指示により、建築家レオン・バッティスタ・アルベルティ(ジェノヴァ、1404‐ローマ、1472)を起用して、1460年に再建工事が着工されましたが、1472年のアルベルティの死によって工事が中断してしまいました。
その後、フランチェスコ・ゴンザーガ枢機卿は、建築家ルーカ・ファンチェッリ(セッティニャーノ、1430c‐マントヴァ、1502c)に工事を引き継がせることにして、1482年に中断していた工事が再開され、1488年に完成しました。


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1413年に建設された後期ゴシック様式の鐘楼


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クーポラは1732年に完成しました。


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身廊左側壁


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Facciata del vestibolo laterale


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レオン・バッティスタ・アルベルティ広場から見た聖堂の北側


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レオン・バッティスタ・アルベルティ広場に面した柱廊


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正面ファサードの方に戻ります。


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Arco centrale con lesena scanalate


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聖堂内に入りました。


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2012年5月20日と29日のエミリア大地震によって大きな被害を受け、後陣は長らく修復工事が行われていました。


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単廊式、ラテン十字形の内部です。


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広く明るい堂内です。


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天井


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燭台の上部の精緻な装飾


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見所が沢山あります。


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作品帰属を調べるのが大変です。


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ジュゼッペ・ラゼッティ(マントヴァ、1801‐1888)の作品


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ジョルジョ・アンセルミ(カラヴェルナ、1723‐ヴェローナ、1797)の作品


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フェリーチェ・カンピ(マントヴァ、1746‐1817)の作品


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フェリーチェ・カンピ(マントヴァ、1746‐1817)の作品


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マンテーニャの作品です。


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1
どうも写真写りが悪い。


2
外部サイトから作品画像を拝借しました。


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サン・シルヴェストロ礼拝堂です。
祭壇画は、ロレンツォ・コスタ(イル・ヴェッキオ)(フェラーラ、1460‐マントヴァ、1535)の「聖母子と聖人たち(聖セバスティアーノ、聖シルヴェストロ、聖パオロ、聖ジローラモ、聖ロッコ)」(1525)


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ファブリツィオ・ぺルラの「キリストの復活」(1575)


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ファブリツィオ・ぺルラの「リンボへの降下」(1575)


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右第3礼拝堂


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Cappella dell'Immacolata


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ロレンツォ・コスタ・イル・ジョーヴァネ(マントヴァ、1537‐1583)の「マギの礼拝」


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ロレンツォ・コスタ・イル・ジョーヴァネ(マントヴァ、1537‐1583)の「羊飼いの礼拝」


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詳細不明の「聖フランチェスコ」


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詳細不明
(つづく)

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