イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:教会巡り > パドヴァ、エレミターニ教会

P2800918
Cappella Ovetariです。


P2800917
礼拝堂のフレスコ画は1944年の米英軍の爆撃によって破壊崩落してしまいました。破壊された断片を集めて再構成・修復されたのです。


P2800923
アンドレア・マンテーニャ(イーゾラ・ディ・カルトゥーロ、1431‐マントヴァ、1506)の「聖母被昇天」(1453‐57)


P2800921
詳細不明
マンテーニャの「聖母被昇天」の下台


P2800925
Cappella Ovetariのフレスコ画は、アンドレア・マンテーニャ(イーゾラ・ディ・カルトゥーロ、1431‐マントヴァ、1506)、アンスイノ・ダ・フォルリ(パドヴァ、15世紀活動)、ボーノ・ダ・フェラーラ(パドヴァ、1451活動記録)の3人による「聖クリストフォロの物語」
このフレスコ画の制作については、資金難による注文主とマンテーニャのトラブルがあって、途中でマンテーニャが制作から降りてしまい、アンスイノ・ダ・フォルリとボーノ・ダ・フェラーラが参画するようになったようです。


P2800926
最上段はマンテーニャの作品です。


P2800928
ボーノ・ダ・フェラーラ(パドヴァ、1451活動記録)の「子供と聖クリストフォロ」


P2800929
アンスイノ・ダ・フォルリ(パドヴァ、15世紀活動)の「聖クリストフォロの説教」


P2800931
アンドレア・マンテーニャ(イーゾラ・ディ・カルトゥーロ、1431‐マントヴァ、1506)の「聖クリストフォロの殉教と遺体の移送」


P2800930
アンドレア・マンテーニャ(イーゾラ・ディ・カルトゥーロ、1431‐マントヴァ、1506)の「聖クリストフォロの遺体の移送」


P2800934
Cappella Ovetariのフレスコ画、アンドレア・マンテーニャ(イーゾラ・ディ・カルトゥーロ、1431‐マントヴァ、1506)の「聖ジャコモの物語」


P2800936


P2800938


P2800940


P2800941


P2800944


P2800945
フレスコ画があったと思われる壁龕


P2800946
聖水盤


P2800947



P2800948
中央礼拝堂前から見たファサード裏側方向


P2800950
この礼拝堂の名称が分かりません。


P2800951
アルティキエーロ・ダ・ゼ―ヴィオ(ゼ―ヴィオ、1330c‐ヴェローナ、1390c)の「キリストの鞭打ち」


P2800954
この礼拝堂の名称が分かりません。


P2800953
礼拝堂の祭壇


P2800956
アルティキエーロ・ダ・ゼ―ヴィオ(ゼ―ヴィオ、1330c‐ヴェローナ、1390c)の「玉座の聖母子」


P2800962
礼拝堂の右壁の作品(詳細不明)


P2800963
横長の作品です。


P2800965
パオロ・ヴェネトの墓


P2800967
次の礼拝堂です。


P2800969
詳細不明の磔刑像


P2800970
制作者不明の「三位一体と聖アンドレアと2信者」


P2800973
詳細不明


P2800974


P2800975


P2800976


P2800978
詳細不明


P2800979
次の礼拝堂です。


P2800980
詳細不明


P2800985
フレスコ断片が残されてます。


P2800988


P2800989
Cappella Cortellieriの扉が閉まっていました。


P2800990
鉄格子の間からカメラを入れて撮りました。


P2800991
ジュスト・デ・メナブロイ(フィレンツェ、1330c‐パドヴァ、1390c)の「聖人たち」のフレスコ断片


P2800995
ジュスト・デ・メナブロイ(フィレンツェ、1330c‐パドヴァ、1390c)のフレスコ断片


P2800993


P2800997


P2800999
マドンナ・デル・ブオン・コンシーリオ(1467)


P2810001
詳細不明


P2810003
次の礼拝堂です。


P2810006
制作者不明の「黄金門での聖ジョアッキーノと聖アンナの邂逅」


P2810008
アンドリオーロ・ディ・サンティ別名アンドリオーロ・ダ・ヴェネツィア(ヴェネツィア、1320c‐1375c)とボニーノ・ダ・カルピオーネ(ロンバルド、1357‐1397活動)の「ウンベルティーノ・ダ・カッラーラの墓碑」(1345-51c)
19世紀初めに破壊されたサンタゴスティーノ教会にあったものです。


P2810009


P2810012


P2810013


P2810015


P2810016


P2810018


P2810021


P2810020
外に出る前に、もう一度中央礼拝堂を見ました。


P2810022
外に出ました。


P2810024
(おわり)

P2800852
内陣中央に進みました。


P2800853
左側壁にマルコ・マントヴァの霊廟があります。


P2800854
右側に大きな礼拝堂があります。


P2800855
左側壁にフレスコ画が僅かに残ってます。


P2800856
ジュスト・デ・メナブロイ(フィレンツェ、1330c‐パドヴァ、1390c)の作品の可能性があるとされる「磔刑」のフレスコ断片(14世紀)


P2800858
バルトロメオ・アンマンナティ(フィレンツェ、1511‐1592)の「マルコ・マントヴァ・べナビデスの霊廟」
マルコ・マントヴァ・べナビデス(パドヴァ、1489‐1582)は、パドヴァ大学で学んだ法律家で、同大学で教授を務めたほか美術品や古代文書の収集家としても有名です。


P2800859


P2800860


P2800861


P2800863
詳細不明


P2800864
アントニオ・ガンバラの墓碑


P2800865
左壁の時計


P2800868
詳細不明


P2800869
後陣左にあるCappella Sanguinacciです。
サングィナッチ家の家族礼拝堂です。


P2800871
アンドリオーロ・デ・サンクティスの「聖母子」
彫刻の聖母子の後のフレスコ画は、ヤコポ・ダ・ヴェローナ(ヴェローナ、1355‐1443)の作品とされてます。


P2800873
パオロ・ディ・ヤコベッロ・マセーネ(ヴェネツィア、1350c‐1409)の「イラーリオ・サングィナッチの墓」


P2800874
サングィナッチ礼拝堂左壁のフレスコ画は、ジュスト・デ・メナブロイ(フィレンツェ、1330c‐パドヴァ、1390c)によって1373年頃制作されました。


P2800876
ジュスト・デ・メナブロイ(フィレンツェ、1330c‐パドヴァ、1390c)のフレスコ画


P2800878
サングィナッチ礼拝堂の右側壁にもフレスコ画があります。


P2800881
Maestoro del coro Scrovegni によるフレスコ画


P2800879


P2800900
中央礼拝堂、Cappella Maggioreです。


P2800883
中央礼拝堂の祭壇、所謂主祭壇です。


P2800886
アルティキエーロ・ダ・ゼ―ヴィオ(ゼ―ヴィオ、1330c‐ヴェローナ、1390c)とニッコロ・セミテコロ(ヴェネツィア、14世紀活動)の「彩色磔刑像」(1370)
ニッコロ・セミテコロはジョッテスキ画家でした。


P2800889
中央礼拝堂の左側壁です。


P2800887
ここではニコレット・セミテコロになってます。


P2800891
グアリエント・ディ・アルポ(ピエーヴェ・ディ・サッコ、1310‐1370)とニッコロ・セミテコロ(ヴェネツィア、14世紀活動)によるフレスコ画です。
ニッコロ・セミテコロは、グアリエント・ディ・アルポの助手の役目を果たしたようです。


P2800893
フレスコ画のテーマは、「聖ジャコモ、聖フィリッポ、聖アゴスティーノの物語」です。


P2800895


P2800897


P2800899


P2800905
中央礼拝堂の右側壁です。


P2800903
グアリエント・ディ・アルポ(ピエーヴェ・ディ・サッコ、1310‐1370)の「聖母戴冠」


P2800906
後陣右の礼拝堂


P2800908
アルティキエーロ・ダ・ゼ―ヴィオ(ゼ―ヴィオ、1330c‐ヴェローナ、1390c)に帰属するフレスコ画


P2800910
ドット礼拝堂です。


P2800911
詳細不明


P2800913
フランチェスコ・ドットの墓碑


P2800915
右側の礼拝堂
(つづく)

P2800628
エレミターニ教会、Chiesa degli Eremitaniです。


P2800810
エレミターニ教会のファサードです。
正式名称は、サンティ・フィリッポ・エ・ジャコモ・ミノーレ教会と言います。
エレミターニ教会の別称は、建築家フラ・ジョヴァンニ・デリ・エレミターニの設計によって建設されたので、建築家の名前に由来すると思われます。


011
エレミターニ教会の前身は、アレーナの敷地であった現在地にあったサンタ・マリア・デリ・カリタ教会とされてますが、その教会の詳細は殆ど分かっていないとされてます。


012
パドヴァ市の公費負担に基づき、建築家フラ・ジョヴァンニ・デリ・エレミターニの設計によって、1276年創建、1306年頃に完成した教会です。


P2800626
教会のファサードに向かって左側にあるのが併設された修道院の建物です。


P2800632
修道院だった建物は、現在、パドヴァ市立エレミターニ博物館として使用されてます。


P2800688
こちらも修道院だった建物です。


P2800689
1806年、エレミターニ教会修道院は、ナポレオンの教会抑圧令によって閉鎖されてしまいました。
1808年、教会の方は宗教活動が再開されましたが、修道院は宗教活動が再開されることなく兵舎に転用されました。修道院の方は、その後一度も宗教活動が再開されることなく現在に至ってます。


P2800813
ファサードの右側にある「トレンティーノの聖二コラ像」


085
ファサードに柱廊玄関があるのが特徴です。


015
右身廊の外観が少し新しく見えます。これは当然で、1944年3月11日、第二次世界大戦の米英軍の爆撃を受け、教会のファサード、天井、後陣が分bん的に破壊、教会内の2つの礼拝堂が完全に破壊されてしまいました。
少し新しく見えるのは、破壊箇所が戦後に修復されたからです。


3
爆撃によって破壊された教会です。



5
外部サイトから写真を拝借しました。
天井が完全に崩落したことが分かります。


019
南側、右身廊側に扉があります。


020
右身廊側扉の装飾は、ニコロ・バロンチェッリ(フィレンツェ、?‐フェラーラ、1453)によるものです。


016
第二次世界大戦の爆撃によって破壊され、戦後に修復された箇所。


017
後陣も戦後に大修復されました。


018
どの部分がオリジナルなのか、を考えながら拝観すると良いと思います。


P2800812
ファサード側に戻りました。


P2800815


P2800814
ファサードの扉から中に入って拝観します。


P2800817
やはり少し新しく見えます。


P2800818
戦後に、元の姿に忠実に修復されたそうです。


P2800819
右側壁方向


P2800820
戦後に再建された天井


P2800823
ペトラルカの墓碑とヤコポ2世・ダ・カッラーラの墓


P2800825
ヤコポ2世・ダ・カッラーラは、パドヴァのシニョーレで1350年に没しました。


P2800827
制作者は、アンドリオーロ・デ・サンティ別名アンドリオーロ・ダ・ヴェネツィア(ヴェネツィア、1320c‐1375c)、14世紀中頃のヴェネツィアの逸名彫刻家2人、ボニーノ・ダ・カンピオーネ(ロンバルド、1357‐1397活動記録)です。


P2800828
ヤコポ2世・ダ・カッラーラの墓は、サンタゴスティーノ教会にありましたが、戦後に行われたエレミターニ教会の大修復工事の際、ここに移されたものです。


P2800830


P2800834
Ave Regina Caelorum


P2800836
ステファノ・ダ・フェラーラ(フェラーラ、1357‐1397活動)の聖母子


P2800838
彫刻等の作品帰属が不明です。


P2800840


P2800842


P2800844


P2800846


P2800848
洗礼盤


P2800850
Ave Regina Caelorum


P2800851
(つづく)

↑このページのトップヘ