イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:ローマの教会巡り > サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂

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次はCappella Montemirabileです。


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パスクゥアーレ・ロッシ(ヴィチェンツァ、1641‐ローマ、1722)の「キリストの洗礼」


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詳細不明


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次はCappella della Rovereです。


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ベルナルディーノ・ベット通称ピントゥリッキオ(ペルージャ、1454‐シエナ、1513)の「羊飼いの礼拝」


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ピントゥリッキオと弟子によって描かれたルネッタのフレスコ画


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ピントゥリッキオと弟子によって描かれたルネッタのフレスコ画


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次はCappella Cyboです。


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カルロ・マラッタ(カメラーノ、1625‐ローマ、1713)の「無原罪の聖母と教会博士たち」


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ルイージ・ガルツィ(ピストイア、1638‐ローマ、1721)の「永遠なる父」


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ダニエル・セイタ―(ウィーン、1647‐トリノ、1705)の「聖ロレンツォの殉教」


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ダニエル・セイタ―(ウィーン、1647‐トリノ、1705)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの殉教」


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次はCappella Basso della Rovereです。


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祭壇画はピントゥリッキオの作品です。


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ベルナルディーノ・ベット通称ピントゥリッキオ(ペルージャ、1454‐シエナ、1513)の「玉座の聖母子と聖人たち」


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ピントゥリッキオの「聖母被昇天」


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ルネッタのフレスコ画


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次はCappella Costaです。


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ピエトロ・フォスカリの墓


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ピントゥリッキオの弟子によって描かれた天井フレスコ画


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ジョヴァンニ・マリア・モランディ(フィレンツェ、1622‐ローマ、1717)の「ご訪問」(1659)


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次はCappella Feoliです。


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詳細不明


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カジミロ・デ・ロッシ(トリノ、1818‐ローマ、1876)の「ヴィッラノーヴァの聖トンマーゾ」(1860)


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カジミロ・デ・ロッシ(トリノ、1818‐ローマ、1876)の「ヴィッラノーヴァの聖トンマーゾの奇跡」(1860)


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カジミロ・デ・ロッシ(トリノ、1818‐ローマ、1876)によって描かれた天井フレスコ画「4福音書記者」(1860c)


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主祭壇


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「ポポロの聖母」のイコン


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もう一度中央礼拝堂を見ました。


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詳細不明


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外に出ました。


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この項、終わり。

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ローマのポポロ広場です。


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昔、フラミニア門と呼ばれたポポロ門です。


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ポポロ広場からポポロ門に向かって右側に、サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂があります。


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1099年、第160代教皇パスクゥアーレ2世(ブレーダ、1050‐ローマ、1118)の命によって、フラミニア門の横に小さな教会が建設されましたが、それが前身です。
その際、ローマ市民が資金負担をしたので、それが教会の名称の由来となってます。(popolo=人民、住民)


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しかし、建物の経時劣化と手狭になったので、1472年、当時の教皇シクストゥス4世の命によって、最初の建物を取り壊し、その上に新しい建物が建設されることになりました。


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そうして、1472年創建、1477年に完成したルネサンス様式の二代目の建物が現在の姿です。


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再建された建物の献堂式が1477年に行われました。


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堂内に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、ルネサンス様式の内部です。


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バロック様式で装飾された礼拝堂が目立ちます。


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左側廊
この聖堂の最大の見所は後陣左のチェラージ礼拝堂です。真っ先にチェラージ礼拝堂に向かいました。


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チェラージ礼拝堂です。


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チェラージ礼拝堂の主祭壇画は、アンニーバレ・カラッチ(ボローニャ、1560‐ローマ、1609)の「聖母被昇天」(1600‐01)


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チェラージ礼拝堂の装飾は、全てアンニーバレ・カラッチに委嘱されていました。
アンニーバレは、当時ファルネーゼ家のお抱え絵師でしたが、この「聖母被昇天」と天井のフレスコ画の完成直後に、ファルネーゼ家に呼ばれ、ファルネーゼ家の仕事に専念するようにと言われてそうです。


Carracci-Assumption_of_the_Virgin_Mary
外部サイトから拝借した鮮明な作品画像
アンニーバレは、チェラージ礼拝堂の装飾の仕事を已む無く中断して、ファルネーゼ家の仕事に従事することになりました。
アンニーバレは天才でしたが、仕えていたファルネーゼの冷遇によって鬱病を発症して、絵画制作を殆どすることなく失意のうちに病死しました。


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チェラージ礼拝堂天井のフレスコ画
アンニーバレ・カラッチと弟子のインノチェンツォ・ダッコーニによって制作されました。
チェラージ礼拝堂の左側壁と右側壁、2つの作品は、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ通称カラヴァッジョ(ミラノ、1571‐ポルト・エルコレ、1610)に注文されました。


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チェラージ礼拝堂右側壁にあるカラヴァッジョの「聖パオロの回心」(1601‐05)


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実は、これは第2作なのです。
これの前に描かれた「聖パオロの回心」があり、カラヴァッジョ自身が第1作に不満足で描き直したのか、注文主であるチェラージ家の意向だったのか、差し替えられた理由が判然としないようです。


Caravaggio_-_Conversione_di_San_Paolo_(Odescalchi)
カラヴァッジョの「聖パオロの回心」の第1作
ローマのオデスカルキ=バルビ・コレクション蔵


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チェラージ礼拝堂左側壁にある、カラヴァッジョの「聖ピエトロの逆さ磔」


800px-Caravaggio_-_Martirio_di_San_Pietro
実は、「聖ピエトロの逆さ磔」にも第1作が描かれ、こちらは第2作という訳です。
第1作は現存してませんが、当時の文書に存在していた記録が残されているそうです。第2作に差し替えられた理由は不明です。


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次はCappella Theodoliです。


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礼拝堂天井のフレスコ画は、ジュリオ・マッツォ―ニ(ピアチェンツァ、1525‐1618)によって描かれました。


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ジュリオ・マッツォ―ニ(ピアチェンツァ、1525‐1618)の「受胎告知する大天使」


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ジャコモ・トリガー(ローマ、1674‐1746)の「受胎告知される聖母」
「聖パオロ」の制作者が分かりません。


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詳細不明


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次はCappella Cybo-Soderiniです。


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ピーテル・ヴァン・リント(ベルギー、アンヴェルサ、1609‐1690)による天井フレスコ画(1636‐37c)


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ピーテル・ヴァン・リント(ベルギー、アンヴェルサ、1609‐1690)の「聖十字架の発見」


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ピーテル・ヴァン・リント(ベルギー、アンヴェルサ、1609‐1690)の「聖十字架称賛」


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Cappella Melliniの主祭壇画は、アゴスティーノ・マスッチ(ローマ、1691‐1758)の「聖アゴスティーノとトレンティーノの聖二コラに顕現する聖母」


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Cappella Melliniのフレスコ画は、ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ(サン・ジョヴァンニ・ヴェルダルノ、1592‐フィレンツェ、1636)の「栄光のトレンティーノの聖二コラ」


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ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニのフレスコ画


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次はキージ礼拝堂です。


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キージ礼拝堂の祭壇画は、セバスティアーノ・デル・ピオンボ(ヴェネツィア、1485‐ローマ、1547)とフランチェスコ・サルヴィアーティ(フィレンツェ、1510‐ローマ、1563)の「聖母の誕生」(1555完成)


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キージ礼拝堂クーポラのモザイクはラファエロの原画に基づきます。


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ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(ナポリ、1598‐ローマ、1680)の「預言者ハバスク」


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ロレンツォ・ロッティ通称ロレンツェット(フィレンツェ、1490‐ローマ、1541)の「預言者ヨナ」(1540c)


013
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(ナポリ、1598‐ローマ、1680)の「預言者ダニエル」


014
ロレンツォ・ロッティ通称ロレンツェット(フィレンツェ、1490‐ローマ、1541)の「預言者エリア」(1540c)
(つづく)

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