余り知られていませんが、ミケランジェロ、ベルニーニ、フィリッピーノ・リッピ、チゴリなどの作品がある聖堂を取り上げます。

テヴェレ川に架かるPonte Principe Amedeo Savoia Aostaです。

橋の直ぐ傍に教会の建物が見えますが、それがサン・ジョヴァンニ・バッティスタ・デイ・フィオレンティーニ聖堂、ローマにおける都市国家フィレンツェの教会です。

街の中心からヴァティカンに向かう、教皇ジュリオ2世によって作られたジュリア通りに教会があります。

この場所には、フィレンツェ人が多数居住していて、大規模なコミュニティを形成していました。コミュニティ内では、フィレンツェの法律が施行され、フィレンツェ独自の刑務所があるなど、まるで独立国のような状態でした。当然、フィレンツェ独自の教会もありましたが、16世紀初めにそれを廃棄して現在の場所に大規模な教会に再建されることになりました。
1508年、ドナート・ブラマンテ(フェルミニャーノ、1444‐ローマ、1514)に設計が依頼されましたが、ブラマンテの体調不良、やがての死によって、ブラマンテによる設計は完了しないで終わってしまいました。
その後、設計は、ヤコポ・サンソヴィーノ、ラファエッロ、ジュリアーノ・ダ・サンガッロ、バルダッサレ・ペルッツィらのコンペとなりましたが、教皇レオ10世デ・メディチの裁定により、ヤコポ・サンソヴィーノ(フィレンツェ、1486‐ヴェネツィア、1570)が勝利者となりました。
ヤコポ・サンソヴィーノの設計によって、1523年に創建されましたが、教会横を流れるテヴェレ川のため、地盤の問題が深刻となり、その解決策に苦慮していたヤコポ・サンソヴィーノは解任され、建築家アントニオ・ダ・サンガッロ(フィレンツェ、1484‐テルニ、1546)が起用されました。
教会は完成するのに1世紀を要し、ファサードが完成した1734年に工事が終了したのです。

ジャコモ・デッラ・ポルタ(ポルレッツァ、1532‐ローマ、1602)によって建設されたクーポラ

カルロ・マデルノ(ポルレッツァ、1532‐ローマ、1629)によって建設された後陣と身廊の一部

Basilica Minoreに格付けされてます。また、教区教会でもあります。

聖堂内に入りました。

三廊式、バロック様式の内部です。


各礼拝堂の祭壇画、フレスコ画を見て回ります。

ファントーニ礼拝堂の祭壇画:ローマの逸名画家作「聖ヴィンチェンツォ・フェッレールの説教」(16世紀末)

フィオレンツォ―ラ礼拝堂の祭壇画:ローマの逸名画家作「聖フィリッポ・べヌッツィ」

フィオレンツォ―ラ礼拝堂のフレスコ画:オラツィオ・ジェンティレスキ(ピサ、1563‐ロンドン、1639)の「聖フィリッポ・ベニッツィの物語」


オラツィオ・ジェンティレスキによるフィオレンツォ―ラ礼拝堂天井の絵画

マンチーニ礼拝堂の祭壇画:サンティ・ディ・ティート(ボルゴ・サン・セポルクロ、1536‐フィレンツェ、1603)の「聖ジローラモ」(1599)

マンチーニ礼拝堂右側壁:ルドヴィーコ・カルディ通称チゴリ(チゴリ・ディ・サン・ミニアート、1559‐ローマ、1613)の「書斎の聖ジローラモ」(1599)

マンチーニ礼拝堂左側壁:ドメニコ・クレスティ通称パッシニャーノ(パッシニャーノ、1559‐フィレンツェ、1638)の「修道院建設を監督する聖ジローラモ」(1599)

Cappella Nerliの祭壇画:サルヴァトール・ローザ(ナポリ、1615‐ローマ、1673)の「聖コズマと聖ダミアーノ」

1936年に制作された「祈る聖母」のコピー画

アレッサンドロ・アルガルディ(ボローニャ、1595‐ローマ、1654)の「オッタヴィアーノ・コルシーニ大司教の記念碑」(1641)

Cappella Vergine Misericordia

フィリッピーノ・リッピ(プラート、1457‐フィレンツェ、1504)に帰属する「聖母子」

Cappella Vergine Misericordiaの左側壁:アゴスティーノ・チャンペッリ(フィレンツェ、1568‐ローマ、1630)の「聖母の誕生」

Cappella Vergine Misericordiaの右側壁:アナスタシオ・フォンテブオーニ(フィレンツェ、1572‐1642)の「聖母の死」

アゴスティーノ・チャンペッリ(フィレンツェ、1568‐ローマ、1630)のCappella Vergine Misericordia天井フレスコ画





Cappella di San Giovanni Battista

アントニオ・ラッジ(ヴィ―コ・モルコテ、1624‐ローマ、1686)の「キリストの洗礼」

Cappella Sacchettiの彫刻:プロスペロ・アンティ―キ通称ブレーシャーノ(ローマ、1578‐1591活動)の「磔刑」

Cappella Sacchettiの左側壁:ジョヴァンニ・ランフランコ(パルマ、1581‐ローマ、1647)の「カルヴァリオへの上り」

Cappella Sacchettiの右側壁:ジョヴァンニ・ランフランコ(パルマ、1581‐ローマ、1647)の「園の祈り」

ジョヴァンニ・ランフランコによるCappella Sacchettiの天井フレスコ画

Cappella Capponiの祭壇画:アストルフォ・ペトラッツィ(シエナ、1580‐1653)の「悔悛の聖マリア・マッダレーナ」

Cappella Scarlattiの祭壇画:ルドヴィーコ・カルディ通称チゴリ(チゴリ・ディ・サン・ミニアート、1559‐ローマ、1613)の「祈る聖フランチェスコ」

Cappella Scarlattiの右側壁:ニコロ・チルチニャーニ通称ポマランチョ(ポマランチョ、1540/1545-カステル・デッラ・ピア―ヴェ、1597)の「スルタンの前の聖フランチェスコ」

Cappella Scarlattiの左側壁:ポマランチョの「教皇オノリオ3世に請願する聖フランチェスコ」

ジュゼッペ・ゲッツィ(コムナンツァ、1634-ローマ、1721)によるCappella Sacchettiの天井フレスコ画



Cappella Cavalcantiの祭壇画:「パッツィの聖マリア・マッダレーナに顕現する聖母」

Cappella Cavalcantiの右側壁:ジョヴァンニ・バルドゥッチ通称イル・コスチ(フィレンツェ、1560-ナポリ、1603)の「聖母と聖ルカと聖パオロ」

Cappella Cavalcantiの左側壁:ジョヴァンニ・バルドゥッチ通称イル・コスチ(フィレンツェ、1560-ナポリ、1603)の「聖エジーディオとフランス王」

ジョヴァンニ・バルドゥッチによるCappella Cavalcantiの天井フレスコ画

Cappella Montautiの祭壇画:ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴァンニ(フィレンツェ、1599-1660)の「聖セバスティアーノの殉教」

Cappella Montautiの右側壁:ローマの逸名画家作「聖ステファノ」

もう一度中央礼拝堂を見てから、付属美術館となっている聖具室に向かいました。

ミケランジェロ・ブオナローティ(カプレーゼ、1475-ローマ、1564)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」(1495)

ピエリーノ・ダ・ヴィンチ(ヴィンチ、1529-ピサ、1553)の「聖母子と聖アンナ」
ピエリーノは、レオナルド・ダ・ヴィンチの甥です。

ダニエーレ・ダ・ヴォルテッラ(ヴォルテッラ、1509-ローマ、1566)の「聖母子」

詳細不明

ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(ナポリ、1598-ローマ、1680)の「アントニオ・チェッパレッロ像」

ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(ナポリ、1598-ローマ、1680)の「アントニオ・コッポラ像」

スペインの逸名画家作「この人を見よ」

ポンぺオ・バトーニ(ルッカ、1708-ローマ、1787)の「聖母子」

ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(ナポリ、1598-ローマ、1680)の「磔刑像」

外に出ました。
(この項、おわり)

テヴェレ川に架かるPonte Principe Amedeo Savoia Aostaです。

橋の直ぐ傍に教会の建物が見えますが、それがサン・ジョヴァンニ・バッティスタ・デイ・フィオレンティーニ聖堂、ローマにおける都市国家フィレンツェの教会です。

街の中心からヴァティカンに向かう、教皇ジュリオ2世によって作られたジュリア通りに教会があります。

この場所には、フィレンツェ人が多数居住していて、大規模なコミュニティを形成していました。コミュニティ内では、フィレンツェの法律が施行され、フィレンツェ独自の刑務所があるなど、まるで独立国のような状態でした。当然、フィレンツェ独自の教会もありましたが、16世紀初めにそれを廃棄して現在の場所に大規模な教会に再建されることになりました。
1508年、ドナート・ブラマンテ(フェルミニャーノ、1444‐ローマ、1514)に設計が依頼されましたが、ブラマンテの体調不良、やがての死によって、ブラマンテによる設計は完了しないで終わってしまいました。
その後、設計は、ヤコポ・サンソヴィーノ、ラファエッロ、ジュリアーノ・ダ・サンガッロ、バルダッサレ・ペルッツィらのコンペとなりましたが、教皇レオ10世デ・メディチの裁定により、ヤコポ・サンソヴィーノ(フィレンツェ、1486‐ヴェネツィア、1570)が勝利者となりました。
ヤコポ・サンソヴィーノの設計によって、1523年に創建されましたが、教会横を流れるテヴェレ川のため、地盤の問題が深刻となり、その解決策に苦慮していたヤコポ・サンソヴィーノは解任され、建築家アントニオ・ダ・サンガッロ(フィレンツェ、1484‐テルニ、1546)が起用されました。
教会は完成するのに1世紀を要し、ファサードが完成した1734年に工事が終了したのです。

ジャコモ・デッラ・ポルタ(ポルレッツァ、1532‐ローマ、1602)によって建設されたクーポラ

カルロ・マデルノ(ポルレッツァ、1532‐ローマ、1629)によって建設された後陣と身廊の一部

Basilica Minoreに格付けされてます。また、教区教会でもあります。

聖堂内に入りました。

三廊式、バロック様式の内部です。


各礼拝堂の祭壇画、フレスコ画を見て回ります。

ファントーニ礼拝堂の祭壇画:ローマの逸名画家作「聖ヴィンチェンツォ・フェッレールの説教」(16世紀末)

フィオレンツォ―ラ礼拝堂の祭壇画:ローマの逸名画家作「聖フィリッポ・べヌッツィ」

フィオレンツォ―ラ礼拝堂のフレスコ画:オラツィオ・ジェンティレスキ(ピサ、1563‐ロンドン、1639)の「聖フィリッポ・ベニッツィの物語」


オラツィオ・ジェンティレスキによるフィオレンツォ―ラ礼拝堂天井の絵画

マンチーニ礼拝堂の祭壇画:サンティ・ディ・ティート(ボルゴ・サン・セポルクロ、1536‐フィレンツェ、1603)の「聖ジローラモ」(1599)

マンチーニ礼拝堂右側壁:ルドヴィーコ・カルディ通称チゴリ(チゴリ・ディ・サン・ミニアート、1559‐ローマ、1613)の「書斎の聖ジローラモ」(1599)

マンチーニ礼拝堂左側壁:ドメニコ・クレスティ通称パッシニャーノ(パッシニャーノ、1559‐フィレンツェ、1638)の「修道院建設を監督する聖ジローラモ」(1599)

Cappella Nerliの祭壇画:サルヴァトール・ローザ(ナポリ、1615‐ローマ、1673)の「聖コズマと聖ダミアーノ」

1936年に制作された「祈る聖母」のコピー画

アレッサンドロ・アルガルディ(ボローニャ、1595‐ローマ、1654)の「オッタヴィアーノ・コルシーニ大司教の記念碑」(1641)

Cappella Vergine Misericordia

フィリッピーノ・リッピ(プラート、1457‐フィレンツェ、1504)に帰属する「聖母子」

Cappella Vergine Misericordiaの左側壁:アゴスティーノ・チャンペッリ(フィレンツェ、1568‐ローマ、1630)の「聖母の誕生」

Cappella Vergine Misericordiaの右側壁:アナスタシオ・フォンテブオーニ(フィレンツェ、1572‐1642)の「聖母の死」

アゴスティーノ・チャンペッリ(フィレンツェ、1568‐ローマ、1630)のCappella Vergine Misericordia天井フレスコ画





Cappella di San Giovanni Battista

アントニオ・ラッジ(ヴィ―コ・モルコテ、1624‐ローマ、1686)の「キリストの洗礼」

Cappella Sacchettiの彫刻:プロスペロ・アンティ―キ通称ブレーシャーノ(ローマ、1578‐1591活動)の「磔刑」

Cappella Sacchettiの左側壁:ジョヴァンニ・ランフランコ(パルマ、1581‐ローマ、1647)の「カルヴァリオへの上り」

Cappella Sacchettiの右側壁:ジョヴァンニ・ランフランコ(パルマ、1581‐ローマ、1647)の「園の祈り」

ジョヴァンニ・ランフランコによるCappella Sacchettiの天井フレスコ画

Cappella Capponiの祭壇画:アストルフォ・ペトラッツィ(シエナ、1580‐1653)の「悔悛の聖マリア・マッダレーナ」

Cappella Scarlattiの祭壇画:ルドヴィーコ・カルディ通称チゴリ(チゴリ・ディ・サン・ミニアート、1559‐ローマ、1613)の「祈る聖フランチェスコ」

Cappella Scarlattiの右側壁:ニコロ・チルチニャーニ通称ポマランチョ(ポマランチョ、1540/1545-カステル・デッラ・ピア―ヴェ、1597)の「スルタンの前の聖フランチェスコ」

Cappella Scarlattiの左側壁:ポマランチョの「教皇オノリオ3世に請願する聖フランチェスコ」

ジュゼッペ・ゲッツィ(コムナンツァ、1634-ローマ、1721)によるCappella Sacchettiの天井フレスコ画



Cappella Cavalcantiの祭壇画:「パッツィの聖マリア・マッダレーナに顕現する聖母」

Cappella Cavalcantiの右側壁:ジョヴァンニ・バルドゥッチ通称イル・コスチ(フィレンツェ、1560-ナポリ、1603)の「聖母と聖ルカと聖パオロ」

Cappella Cavalcantiの左側壁:ジョヴァンニ・バルドゥッチ通称イル・コスチ(フィレンツェ、1560-ナポリ、1603)の「聖エジーディオとフランス王」

ジョヴァンニ・バルドゥッチによるCappella Cavalcantiの天井フレスコ画

Cappella Montautiの祭壇画:ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴァンニ(フィレンツェ、1599-1660)の「聖セバスティアーノの殉教」

Cappella Montautiの右側壁:ローマの逸名画家作「聖ステファノ」

もう一度中央礼拝堂を見てから、付属美術館となっている聖具室に向かいました。

ミケランジェロ・ブオナローティ(カプレーゼ、1475-ローマ、1564)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」(1495)

ピエリーノ・ダ・ヴィンチ(ヴィンチ、1529-ピサ、1553)の「聖母子と聖アンナ」
ピエリーノは、レオナルド・ダ・ヴィンチの甥です。

ダニエーレ・ダ・ヴォルテッラ(ヴォルテッラ、1509-ローマ、1566)の「聖母子」

詳細不明

ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(ナポリ、1598-ローマ、1680)の「アントニオ・チェッパレッロ像」

ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(ナポリ、1598-ローマ、1680)の「アントニオ・コッポラ像」

スペインの逸名画家作「この人を見よ」

ポンぺオ・バトーニ(ルッカ、1708-ローマ、1787)の「聖母子」

ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(ナポリ、1598-ローマ、1680)の「磔刑像」

外に出ました。
(この項、おわり)