

アウレリアヌス城壁に通じる、1574年に着工されたサン・ジョヴァンニ門です。

ローマ皇帝アウレリアヌス帝とプロブス帝治世の271年から275年にかけて建設されたアウレリアヌス城壁です。

アジナリア門
戦争や風化などによって荒廃が進んでいる箇所が散見されます。

アジナリア門を経由して大聖堂に向かいました。


サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ広場にやってきました。

Triclinium Leorinumです。第96代教皇レオ3世(ローマ、750c‐816 在位:795‐816)によって、コンスタンチノープル宮殿を模して、ラテラーノ宮殿内に建てられた宴会場の端に当たります。
現在の姿は、16世紀終わりころに、第227代教皇シスト5世(グロッタマーレ、1521‐ローマ、1590 在位:1585‐1590)によって、ラテラーノ宮殿が取り壊された後のものです。

モザイクが残されてますが、数度の修復を経ています。

広場に面して建つPapale arcibasilica maggiore cattedrale del Santissimo Salvatore e dei Santi Giovanni ed Evangelista in Laterano、略してBasilica di San Giovanni in Laterano サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂です。

312年、キリスト教に改宗したローマ皇帝コンスタンティヌス帝は、313年のミラノ勅令によって、ローマ帝国におけるキリスト教の公認を行いました。(この辺の事情や正確な西暦年については諸説ありますが、ここでは通説を採用します)
コンスタンティヌス帝は、聖堂建設を当時の教皇でローマ司教だった第32代教皇ミルティアデス(在位:311‐314)に指示し、その用地としてこの地を与えたとされてます。この付近の土地は、ラテラーノ一族の所有でしたが、ネロ帝の時代に帝国の所有となり、当時はコンスタンティヌス帝の所有地となっていました。
324年、第33代教皇シルヴェストロ1世(在位:314‐335)によって奉献式が執り行われました。(318年説もあるようです)

10世紀と14世紀の2回、建物が再建されました。1309年、教皇庁がアヴィニョンに移転するまで、教皇座教会でした。しかし、それ以降は、2度に渡る火災や寂れによって荒廃が進みました。
アヴィニョンからローマに教皇座が戻されましたが、荒廃が進んだラテラーノ大聖堂が教皇座教会になることはなく、ヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂建設へと話が進みました。
ラテラーノ大聖堂は、建築家ドメニコ・フォンターナ、ジャコモ・デッラ・ポルタなどによって徐々に修復が進みました。1650年の聖年を目指して、建築家フランチェスコ・ボッロミーニ(ビッソーネ、1599‐ローマ、1667)が起用され、身廊の再建が行われました。
現在のファサードは、建築家アレッサンドロ・ガリレイ(フィレンツェ、1691‐ローマ、1737)の設計、工事監督によって1734年に完成しました。

ファサードのポルティコ天井

柱廊端にあるコンスタンティヌス帝像

柱廊にある浮彫

美術的には、見るべきものが然程多くない聖堂と思います。

1300年の聖年にジョットが描いたフレスコ画が必見です。

コルシーニ家の紋章

イタリア美術界が下降期にあった時期に大修復が行われたこともあって、どことなく冴えません。

聖堂内に入りました。

5廊式、ラテン十字形、バロック・新古典様式の内部です。

縦140m、横73m、身廊の高さ65mの内部です。

12使徒の彫刻があります。
これは、ピエール・レグロス・イル・ジョーヴァネ(パリ、1666‐ローマ、1719)の「聖トンマーゾ」(1703‐11)

カミ―ロ・ルスコーニ(ミラノ、1658‐ローマ、1728)の「聖アンドレア」(1705‐09)

ピエール・レグロス・イル・ジョーヴァネ(パリ、1666‐ローマ、1719)の「聖バルトロメオ」(1705‐12c)

カミッロ・ルスコーニ(ミラノ、1658‐ローマ、1728)の「聖マッテオ」(1711‐15)
後の8体は省略します。

ジョット・ディ・ボンドーネ(ムジェッロ、1267‐フィレンツェ、1337)の「1300年の聖年を宣するボニファチョ8世」


Cappella Torloniaの祭壇彫刻:ピエトロ・テネラーニ(カッラーラ、1789‐ローマ、1869)の「十字架降下」

詳細不明

詳細不明

ラッザロ・バルディ(ピストイア、1624‐ローマ、1703)の「パトモスの聖ジョヴァンニに顕現する聖母」(1660‐65)

Cappella Massimoの祭壇画:ジローラモ・シチョランテ・ダ・セルモネータ(セルモネータ、1521‐ローマ、1580)の「磔刑」(1575)

Cappella Antonelliの祭壇画:ジョヴァンニ・オダッツィ(ローマ、1663‐1731)の「聖母被昇天と聖ドメニコと聖フィリッポ・ネリ」

Cappella Orsini

プラ―チド・コスタンツィ(ローマ、1702‐1759)の「聖母被昇天」(1729)

グリエルモ・コルテーゼ通称イル・ボルゴニョーネ(フランス、1628‐ローマ、1679)の「三位一体を幻視する聖イラリオ」

Cappella Lancellottiの祭壇画:ジョヴァンニ・バッティスタ・プチェッティ(1593‐1670)の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」

詳細不明

詳細不明

沢山の作品があります。

これらの詳細については、ガイドブックをご参照願います。






適当に切り上げて外に出ました。

次はScala Santaです。

中に入ります。

28段の階段を膝行して進みます。

私は普通に上りました。

このオベリスクも有名です。

(この項、おわり)