
マルチェッロ劇場を越えて、テアトロ・ディ・マルチェッロ通りをさらに進みます。

テヴェレ川方向にテアトロ・ディ・マルチェッロ通りを少し進めば、通りの右側に教会が見えてきます。

サン・二コラ・イン・カルチェーレ聖堂です。

共和制ローマ時代の紀元前3世紀から紀元前2世紀に建設されたヤヌス、スペランツァ、ユーノー・ソスピータの3つの神殿が、現在聖堂がある場所にありました。また、聖ピエトロが投獄されたという伝説を伝えるCarcer Tullianumが神殿に近い場所にありました。
6世紀頃、神殿を一部転用した教会が出来ましたが、それが前身です。

11世紀頃、教皇パスクゥアーレ2世によって建物が再建されました。

1599年、建築家ジャコモ・デッラ・ポルタ(ポルレンツァ、1532‐ローマ、1602)によって大修復されましたが、その修復後の姿が現在の外観です。

ファサードに向かって右の側壁です。
ヤヌス神殿の柱が側壁に組み込まれてます。
また、塔のような鐘楼は、11世紀にマルチェッロ劇場(マルケルス劇場)が所有していたユダヤ系のピエルレオーニ家によって要塞化されましたが、ピエルレオーニ要塞の一部だった塔をこの場所に移動させて鐘楼として転用されたものです。
また、鐘楼の鐘は、1286年にグイドット・ピサーノによって製作されました。

ファサードの向かって左の側壁です。
壁にスペランツァ神殿の柱が組み込まれてます。

後陣近くに第4の神殿があったという説があります。
14世紀頃、刑務所に転用されました。

後陣

聖堂内に入りました。

三廊式、バジリカ様式の内部です。

ヤヌス神殿の列柱が天井を支えてます。

天井

ファサードの裏の壁

ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称グエルチーノ(チェンと、1591‐ボローニャ、1666)の「三位一体と天使たち」

この聖堂の基となった3つの神殿の模型

アントニアッツォ・ロマーノ(ローマ、1435‐1508)の「聖母子」(1490c)

1470年に制作されたという説もあります。

右側廊

右側廊からの眺め

詳細不明

オラツィオ・ジェンティレスキ(ピサ、1563‐ロンドン、1639)の「天使に支えられる聖フランチェスコ」

後陣

新型コロナウィルスによるイタリアの惨状に心を痛めてます。それと無関係に毎日更新していることに対して心苦しく思ってます。言葉がない、と言うのが私の率直な思いです。

主祭壇

ヴィンチェンツォ・パスクゥアローニ(オルヴィエート、1820‐1885)によって描かれた後陣のフレスコ画

「天上のキリスト」


ロレンツォ・コスタ(フェラーラ、1460-マントヴァ、1535)の「キリストの昇天」(1500‐10)


後陣左の礼拝堂

フェデリーコ・バロッチ(ウルビーノ、1528/1535-1612)の「聖二コラ」



天蓋

クリプタに入ることが出来ません。伝説では、聖ピエトロが入獄した牢があります。


左側廊

左側廊からの眺め


ヤヌス神殿の柱


主祭壇前から見た出入口

外に出た。

(この項、おわり)