
プッチーニ作曲のオペラ「トスカ」第1幕の舞台となったサンタンドレア・デッラ・ヴァッレ聖堂です。第2幕の舞台がファルネーゼ宮殿、第3幕の舞台がサンタンジェロ城ですから、今流行りの奇妙奇天烈な演出とは無縁と思えるのですが、それを物ともせずに「トスカ」のヘンテコな新演出が続くのでガックリしています。

サンタンドレア・デッラ・ヴァッレ聖堂 Basilica di Sant'Andrea della Valleです。
1965年、第262代教皇パオロ6世(在位:1963‐1978)によってBasilica Minoreに格付けされました。

ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りに面したヴィドーニ広場に、アマルフィ伯爵夫人ドンナ・コスタンツァ・ピッコロミーニ・ダラゴーナがパトロンになって建設された小さなサン・セバスティアーノ教会がありました。
1524年、教皇クレメンテ7世によって承認されたChierici regolari teatiniの活動の一環として、サン・セバスティアーノ教会がある場所に新教会建設令が出されました。それに基づき、アマルフィの守護聖人聖アンドレアに献じる新教会が建設されることになりました。

1590年、ジェスアルド枢機卿がパトロンになって、ジャコモ・デッラ・ポルタ(ポルレッツァ、1532‐ローマ、1602)、ピエル・パオロ・オリヴィエ―リ、フランチェスコ・グリマルディ(オッピード・ルカーノ、1543‐ナポリ、1613)に設計が依頼され、建設工事が着工しました。
ファサードは、カルロ・レイナルディ(ローマ、1611‐1691)によって、1655年から1663年に追加されました。

1608年、カルロ・マデルノ(カポラーゴ、1556‐ローマ、1629)に建物完成が命じられ、翼廊が拡張されると共にクーポラが建設されました。

完成は1650年とされてます。

入口

聖堂内に入りました。ラテン十字形、バロック様式の内部です。

ジェズ教会に似ています。最初に設計した建築家ジャコモ・デッラ・ポルタがジェズ教会を完成させたので、ジェズ教会に似ているのでしょう。

高さ80m、直径16mのクーポラ

ジョヴァンニ・ランフランコ(パルマ、1582‐ローマ、1647)のクーポラのフレスコ画「聖母被昇天」(1625‐27)

ドメニキーノ(ボローニャ、1581‐ナポリ、1641)の後陣フレスコ画「4福音書記者と聖アンドレアの物語」(1622‐27)


主祭壇と後陣を見ます。

マッティア・プレティ(タベルナ、1613‐マルタ、ヴァレッタ、1699)の「聖アンドレアの殉教」

マッティア・プレティ(タベルナ、1613‐マルタ・ヴァレッタ、1699)の「十字架に架けられる聖アンドレア」

マッティア・プレティ(タベルナ、1613‐マルタ、ヴァレッタ、1699)の「聖アンドレアの埋葬」

詳細不知

詳細不知

詳細不知

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サン・ガエターノ・ディ・ディエーネ礼拝堂の祭壇画:アレッショ・デリア(ナポリ、1717‐1755活動)の作品


フランチェスコ・マンノ(パレルモ、1754‐ローマ、1831)のCappella Rucellaiの祭壇画


Altale di Sant'Andrea Avellino
ジョヴァンニ・ランフランコ(パルマ、1582‐ローマ、1647)の「聖アンドレア・アヴェッリーノ」

詳細不知

詳細不知

ローマの逸名画家作「大天使ラッファエーレ」

カルロ・チニャーニ(ボローニャ、1628‐フォルリ、1719)の作品

バルベリーニ礼拝堂

アントニオ・ラッジ(スイス、1624‐ローマ、1686)の「聖家族」(1675)

外に出ました。
(この項、おわり)