

サンタ・プラッセ―デ聖堂 Basilica di Santa Prassedeです。ファサード側の出入り口は、通常使用されていないようです。
元老院議員プデンテは、この場所にヴィッラを所有していました。プデンテは、キリスト教に改宗し、家の一部ドムスを教会に転用しました。やがてプデンテの二人の娘プラッセ―デとプラッセ―デの妹プデンツィアーナもキリスト教徒になりました。

伝説に拠ると、プデンテ家のヴィッラの地下に、教皇ピオ1世の承認のもとに洗礼堂が142‐145年に建設されました。その洗礼堂で多くのローマ市民が洗礼を受け、キリスト教徒になりました。
165年、ヴィッラに匿われていた信者と共にプラッセ―デがローマ兵士に発見され、殉教しました。
プラッセ―デの遺体はヴィッラの井戸に葬られました。
720年、プラッセ―デの遺体を聖遺物にする小さな教会が建設され、817年に教皇パスクゥアーレ1世によって拡張改修されましたが、その建物が現在の姿の原形となってます。

Via San Martino ai Monteに面して、聖堂の入り口が設けられてます。

普通の建物に入り口があるので、目立たないと思います。

Via Santa Prassedeに面した出入り口です。

聖堂の名称と同じ名前の通りにあるので、この出入り口を利用するのが良いと思います。

住宅に隣接して聖堂があって、ファサードが目立たぬ場所にあり、しかもファサード側の入り口は閉まっていることが多いので、初めて行く方は要注意です。

堂内に入りました。

13世紀に行われた改修によって、アーチを支える柱が設けられました。

翼廊がない三廊式です。
その後に行われた改修によってバロック様式が色濃い内部となってます。

格子天井

アゴスティーノ・チャンペッリ(フィレンツェ、1565‐ローマ、1630)の「キリストの鞭打ち」

バルダッサレ・クローチェ(ボローニャ、1558‐ローマ、1628)の「荊刑のキリスト」

ジョヴァンニ・バルドゥッチ通称イル・コスチ(フィレンツェ、1560‐ナポリ、1600)の「殉教聖女」

主祭壇と後陣



9世紀に制作されたモザイク

ビザンチンの影響が強いモザイクです。

主祭壇画は、ドメニコ・マリア・ムラトーリ(ブドリオ、1661‐ローマ、1744)の「聖プラッセ―デ」(18世紀前半)

Cappella San Zenoのモザイク「聖母子と聖プラッセ―デと聖プデンツィアーナ」

Cappella Cesi

グリエルモ・コルテーゼ通称イル・ボルゴニョーネ(スペイン、1621‐ローマ、1676)の「マギの礼拝」

外部サイトから拝借した「マギの礼拝」

グリエルモ・コルテーゼ通称イル・ボルゴニョーネ(スペイン、1621‐ローマ、1676)の「聖母の誕生と聖ジョアッキーノ」

外部サイトから拝借した「聖母の誕生と聖ジョアッキーノ」

詳細不知

アゴスティーノ・チャンペッリ(フィレンツェ、1565‐ローマ、1630)の「ピラトの前のキリスト」

Cappella di San Carlo Borromeo
祭壇画は、ステファノ・パッロチェル(アヴィニョン、1696‐ローマ、1775)の「キリストの磔刑像を崇める聖カルロ・ボッロメオ」

ルドヴィーコ・スターン(ローマ、1709‐1777)の「瞑想の聖カルロ・ボッロメオ」

ルドヴィーコ・スターン(ローマ、1709‐1777)の「天使に支えられる光悦の聖カルロ・ボッロメオ」

フェデリーコ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1539‐アンコーナ、1609)の「カルヴァリオへの上り」

外部サイトから拝借した作品画像

ジュゼッペ・チェーザリ通称カヴァリエール・ダルピーノ(アルピーノ、1568‐ローマ、1640)の「キリストの昇天」

礼拝堂の名称が分かりません。

ジュリオ・バルジェッリ―ニ(フィレンツェ、1875‐ローマ、1640)のモザイク「聖母被昇天」

ジュリオ・バルジェッリ―ニ(フィレンツェ、1875‐ローマ、1936(の「聖ジョヴァンニ・グアルベルト」(1933)

ジュリオ・バルジェッリ―ニ(フィレンツェ、1875‐ローマ、1936)のモザイク「聖ジョヴァンニ・グアルベルト」

クリプタ

詳細不知

Cappella di San Zeno

見応えのあるモザイクです。








外に出ました。
(この項、おわり)