ローマにおける各国の教会があるのですが、日本国の教会はサンタ・マリア・デッロルト教会なんです。

トラステヴェレにあるサンタ・マリア・イン・カッペッラ教会を通り過ぎれば、目指すサンタ・マリア・デッロルト教会は直ぐ傍にあります。

アニシア通りとマドンナ・デッロルト通りの交差点に教会の建物が見えてきました。サンタ・マリア・デッロルト教会 Chiesa di Santa Maria dell'Ortoです。

教会が建っている場所は菜園でした。菜園の入り口横に聖母像が立っていました。
伝説に拠れば、1488年頃、不治の病に苦しむ男が病の治癒を聖母像に祈願したところ、奇跡が起こって次第に回復して、やがて完治したのです。
男は、ご利益のある聖母像に感謝するため、「大学」と呼ばれる芸術と工芸のギルドから資金援助を受け、菜園入り口に小さな礼拝堂を建てました。

その話を聞いた第214代教皇アレッサンドロ6世ボルジア(在位1492‐1503)は、1492年に教会の建設を許可しました。1494年、ローマの逸名建築家の設計によって創建されましたが、資金不足のため、工事が中々進捗せず、1513年に工事中断の已むに無き至りました。
12の「大学」と呼ばれるギルドが資金負担をして、1523年に工事が再開され、1567年に完成したルネサンス様式の教会です。

ファサードは、ヤコポ・バロッツィ通称イル・ヴィニョーラ(ヴィニョーラ、1507‐ローマ、1573)の設計に基づき、建築家フランチェスコ・カプリアーニ・ダ・ヴォルテッラ(ヴォルテッラ、1535‐ローマ、1595)の工事監督によって1576年から1578年に建設されました。

中に入りました。

教会内部は、ミケランジェロの弟子グイデット・グイデッティ(フィレンツェ、?‐ローマ、1595)の設計によって1555年から1559年にかけて建設されました。

三廊式、ラテン十字形、ルネサンス、バロック様式の内部です。

身廊天井

ガブリエーレ・ヴァルヴァッソーリ(ローマ、1683‐1761)のスタッコ彫刻(1750c)

ジャチント・カランドルッチ(パレルモ、1646‐シチリア、1707)の天井フレスコ画「聖母被昇天」

Cappella dell'Annunciazione

フェデリーコ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1539‐アンコーナ、1609)の「受胎告知」(1561)

フィリッポ・ズッケッティ(ローマ、1648‐1712)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」(1711)

Cappella dei Santi Giacomo, Bartolomeo e Vittoria

三牧樺ず子の「ベアート・ジュリアーノ中浦の肖像」(2009)
三牧樺ず子さんは、長崎在住の聖画家です。殉教した日本人福者の肖像画188点を仕上げたことで有名です。

ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1566‐1643)の「聖母子と聖人たち」
カラヴァッジョ、オラツィオ・ジェンティレスキなどを訴えた「バリオーネ裁判」で有名なジョヴァンニ・バリオーネですが、彼の作品が多くあるのがこの教会です。

ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1566‐1643)の「聖アンドレアの殉教」

ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1566‐1643)の「司祭聖人の殉教」

ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1566‐1643)のCappella dei Santi Giacomo, Bartolomeo e Vittoriaの天井フレスコ画

アンドレア・プロカッチーニ(ローマ、1671‐スペイン、1734)の「聖霊降臨」(1704)
レオナルド・レッティのスタッコ彫刻「天使」

Cappella dei Santissimo Crocifisso
17世紀の木製磔刑像

ジャチント・カランドルッチ(パレルモ、1646‐シチリア、1707)の「キリストの復活」

ニッコロ・マルティネッリ通称イル・トロメッタ(ペーザロ、1535‐ローマ、1611)の「キリストの受難の物語」(1591‐95)






フルタローリ大学の碑板(1747)

主祭壇

ガブリエーレ・ヴァルヴァッソーリ(ローマ、1683‐1761)による後陣のスタッコ彫刻

ジャコモ・デッラ・ポルタ(ポルレッツァ、1532‐ローマ、1602)による主祭壇(16世紀後半)

タッデオ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1529‐ローマ、1566)とフェデリーコ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード1539‐アンコーナ、1609)の「聖母の物語」のフレスコ画




後陣天井のフレスコ画

ジャチント・カランドルッチ(パレルモ、1464‐シチリア、1707)の「聖母被昇天」

Cappella di San Francesco

祭壇の「磔刑像」は、17世紀の逸名彫刻家の作品です。

Cappella di San Francescoの天井フレスコ画:マリオ・ガルツィ(ローマ、17世紀後半‐18世紀前半活動)の「聖フランチェスコの栄光」(1721)


ニッコロ・マルティネッリ通称イル・トロメッタ(1550‐1622)の「聖フランチェスコの生涯の物語」

ニッコロ・マルティネッリ通称イル・トロメッタ(1550‐1622)の「聖フランチェスコの生涯の物語」

Cappella dei Santi Carlo Borromeo, Ambrogio e Bernardino da Siena

ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1566‐1643)の「聖母子と聖人たち」(1640‐41)

ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1566‐1643)の「聖アンブロージョの物語」

ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1566‐1643)の「聖カルロ・ボッロメオの物語」

ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1566‐1643)の天井フレスコ画

Cappella di San Giovanni Battista

レオナルド・レッティ(コモ、1630c‐ローマ、1714)のスタッコ彫刻

コッラード・ジャクイント(モルフェッタ、1703‐ナポリ、1766)の「キリストの洗礼」(1750)

ジュゼッペ・ラヌッチ(ローマ、18世紀後半活動)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」(1779)

ジュゼッペ・ラヌッチ(ローマ、18世紀後半活動)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの説教」(1779)

Cappella di San Sebastiano
祭壇画:ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1566‐1643)の「天使に介抱される聖セバスティアーノ」(1624)

Cappella di San Sebastiano
ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1566‐1643)の「パドヴァの聖アントニオ」

Cappella di San Sebastiano
ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1566‐1643)の「聖ボナヴェントゥーラ」

ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1566‐1643)の天井フレスコ画

祭壇をもう一度見ました。

左側廊

右側廊

出入口方向

外に出ました。
(この項、おわり)

トラステヴェレにあるサンタ・マリア・イン・カッペッラ教会を通り過ぎれば、目指すサンタ・マリア・デッロルト教会は直ぐ傍にあります。

アニシア通りとマドンナ・デッロルト通りの交差点に教会の建物が見えてきました。サンタ・マリア・デッロルト教会 Chiesa di Santa Maria dell'Ortoです。

教会が建っている場所は菜園でした。菜園の入り口横に聖母像が立っていました。
伝説に拠れば、1488年頃、不治の病に苦しむ男が病の治癒を聖母像に祈願したところ、奇跡が起こって次第に回復して、やがて完治したのです。
男は、ご利益のある聖母像に感謝するため、「大学」と呼ばれる芸術と工芸のギルドから資金援助を受け、菜園入り口に小さな礼拝堂を建てました。

その話を聞いた第214代教皇アレッサンドロ6世ボルジア(在位1492‐1503)は、1492年に教会の建設を許可しました。1494年、ローマの逸名建築家の設計によって創建されましたが、資金不足のため、工事が中々進捗せず、1513年に工事中断の已むに無き至りました。
12の「大学」と呼ばれるギルドが資金負担をして、1523年に工事が再開され、1567年に完成したルネサンス様式の教会です。

ファサードは、ヤコポ・バロッツィ通称イル・ヴィニョーラ(ヴィニョーラ、1507‐ローマ、1573)の設計に基づき、建築家フランチェスコ・カプリアーニ・ダ・ヴォルテッラ(ヴォルテッラ、1535‐ローマ、1595)の工事監督によって1576年から1578年に建設されました。

中に入りました。

教会内部は、ミケランジェロの弟子グイデット・グイデッティ(フィレンツェ、?‐ローマ、1595)の設計によって1555年から1559年にかけて建設されました。

三廊式、ラテン十字形、ルネサンス、バロック様式の内部です。

身廊天井

ガブリエーレ・ヴァルヴァッソーリ(ローマ、1683‐1761)のスタッコ彫刻(1750c)

ジャチント・カランドルッチ(パレルモ、1646‐シチリア、1707)の天井フレスコ画「聖母被昇天」

Cappella dell'Annunciazione

フェデリーコ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1539‐アンコーナ、1609)の「受胎告知」(1561)

フィリッポ・ズッケッティ(ローマ、1648‐1712)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」(1711)

Cappella dei Santi Giacomo, Bartolomeo e Vittoria

三牧樺ず子の「ベアート・ジュリアーノ中浦の肖像」(2009)
三牧樺ず子さんは、長崎在住の聖画家です。殉教した日本人福者の肖像画188点を仕上げたことで有名です。

ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1566‐1643)の「聖母子と聖人たち」
カラヴァッジョ、オラツィオ・ジェンティレスキなどを訴えた「バリオーネ裁判」で有名なジョヴァンニ・バリオーネですが、彼の作品が多くあるのがこの教会です。

ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1566‐1643)の「聖アンドレアの殉教」

ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1566‐1643)の「司祭聖人の殉教」

ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1566‐1643)のCappella dei Santi Giacomo, Bartolomeo e Vittoriaの天井フレスコ画

アンドレア・プロカッチーニ(ローマ、1671‐スペイン、1734)の「聖霊降臨」(1704)
レオナルド・レッティのスタッコ彫刻「天使」

Cappella dei Santissimo Crocifisso
17世紀の木製磔刑像

ジャチント・カランドルッチ(パレルモ、1646‐シチリア、1707)の「キリストの復活」

ニッコロ・マルティネッリ通称イル・トロメッタ(ペーザロ、1535‐ローマ、1611)の「キリストの受難の物語」(1591‐95)






フルタローリ大学の碑板(1747)

主祭壇

ガブリエーレ・ヴァルヴァッソーリ(ローマ、1683‐1761)による後陣のスタッコ彫刻

ジャコモ・デッラ・ポルタ(ポルレッツァ、1532‐ローマ、1602)による主祭壇(16世紀後半)

タッデオ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1529‐ローマ、1566)とフェデリーコ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード1539‐アンコーナ、1609)の「聖母の物語」のフレスコ画




後陣天井のフレスコ画

ジャチント・カランドルッチ(パレルモ、1464‐シチリア、1707)の「聖母被昇天」

Cappella di San Francesco

祭壇の「磔刑像」は、17世紀の逸名彫刻家の作品です。

Cappella di San Francescoの天井フレスコ画:マリオ・ガルツィ(ローマ、17世紀後半‐18世紀前半活動)の「聖フランチェスコの栄光」(1721)


ニッコロ・マルティネッリ通称イル・トロメッタ(1550‐1622)の「聖フランチェスコの生涯の物語」

ニッコロ・マルティネッリ通称イル・トロメッタ(1550‐1622)の「聖フランチェスコの生涯の物語」

Cappella dei Santi Carlo Borromeo, Ambrogio e Bernardino da Siena

ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1566‐1643)の「聖母子と聖人たち」(1640‐41)

ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1566‐1643)の「聖アンブロージョの物語」

ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1566‐1643)の「聖カルロ・ボッロメオの物語」

ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1566‐1643)の天井フレスコ画

Cappella di San Giovanni Battista

レオナルド・レッティ(コモ、1630c‐ローマ、1714)のスタッコ彫刻

コッラード・ジャクイント(モルフェッタ、1703‐ナポリ、1766)の「キリストの洗礼」(1750)

ジュゼッペ・ラヌッチ(ローマ、18世紀後半活動)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」(1779)

ジュゼッペ・ラヌッチ(ローマ、18世紀後半活動)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの説教」(1779)

Cappella di San Sebastiano
祭壇画:ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1566‐1643)の「天使に介抱される聖セバスティアーノ」(1624)

Cappella di San Sebastiano
ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1566‐1643)の「パドヴァの聖アントニオ」

Cappella di San Sebastiano
ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1566‐1643)の「聖ボナヴェントゥーラ」

ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1566‐1643)の天井フレスコ画

祭壇をもう一度見ました。

左側廊

右側廊

出入口方向

外に出ました。
(この項、おわり)