バルベリーニ宮に向かってクアットロ・フォンターネ通りを進むと、クイリナーレ通りの交差点左横にサン・カルロ・アッレ・クアットロ・フォンターネ教会があります。
交通量の激しい交差点にあるので、写真を撮るのが大変です。
17世紀初頭、教会が建っている土地の一部をマッテイ家が買い取りました。
この教会とは関係ありませんが、マッテイ家はカラヴァッジョのパトロンで、1601年頃、カラヴァッジョはマダーマ宮からマッテイ家の邸宅に移り住みました。
マッテイ家が買い取った土地に、1611年、スペインの三位一体修道会が小さな礼拝堂を建設しました。この礼拝堂が現在の教会の前身です。
礼拝堂建設から数年後、三位一体修道会は、小さな礼拝堂を取り壊し、本格的な教会を建設することに決め、1630年頃、近隣の土地を購入しました。
教会建設については、フランチェスコ・バルベリーニ枢機卿が推進していましたが、1634年、バルベリーニ枢機卿からフランチェスコ・ボッロミーニ(ビッソーネ、1599‐ローマ、1667)に教会建設が依頼されました。
1638年に創建され、1641年に一応の完成をみました。1646年に奉献式が執り行われました。
しかし、バルベリーニ家の資金援助が続かず、本堂以外の部分やファサードなどの建設は、資金不足のため中々進捗しませんでした。
ファサードの建設は、フランチェスコ・ボッロミーニ(ビッソーネ、1599‐ローマ、1667)の設計によって、1664年に漸く着工されましたが、1667年にボッロミーニが自殺してしまい、ファサード建設は中断してしまいました。
フランチェスコの甥のベルナルディーノ・ボッロミーニが1670年にファサード建設を引き継ぎ、1680年に漸く完成しました。
ファサード上部の左右に置かれた三位一体修道会の十字架
ファサードの壁龕の彫刻は、エルコーレ・アントニオ・ラッジ通称イル・ロンバルド(ヴィ―コ・モルコテ、1624‐ローマ、1686)の聖ジョヴァンニ・デ・マサ、聖カルロ・ボッロメオ、聖フェリーチェ・ディ・ヴァロア
ファサードのモザイク
身廊外観
ここで、教会の名称となった、交差点の四隅にあるフォンターナを見ておきましょう。
ドメニコ・フォンターナ(スイス、メリーデ、1543‐ナポリ、1607)の「女神ジュノ」
ピエトロ・ダ・コルトーナ(コルトーナ、1596‐ローマ、1669)の「女神ディアナ」
ドメニコ・フォンターナ(スイス、メリーデ、1543‐ナポリ、1607)の「テヴェレ川」
ドメニコ・フォンターナ(スイス、メリーデ、1543‐ナポリ、1607)の「アニアニ川」
中に入りました。
左右非対称です。
限られた狭い土地の有効利用という点から、少し変な形状をしています。
ここで簡単な教会図を載せておきましょう。
本堂は楕円形です。
縦20m×横12m
楕円形の天井
三位一体修道会の紋章
主祭壇
主祭壇画は、オラツィオ・ボルジャンニ(ローマ、1574‐1616)の「三位一体と聖カルロ・ボッロメオの礼拝」
詳細不知
この教会の作品帰属が殆ど分かりません。
プロスペロ・マッレリーニ(ローマ、18世紀末‐19世紀第1四半世紀活動)の「Estasi di San Giovanni Battista della Concezione」(1819)
アマ―リア・デ・アンジェリス(ローマ、1851‐1871活動)の「Estasi di San Michele dei Santi」(1847)
キオストロ
詳細不知
クリプタに行きます。
クリプタ
クリプタのフレスコ画
祭壇前飾り
本堂内に戻ります。
詳細不知
詳細不知
聖具室?に行きます。
詳細不知
詳細不知
詳細不知
出入口方向
外に出ました。
(この項、おわり)