
サン・ベルナルド広場にやってきました。
写真左がサンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア広場、写真右がモーゼの噴水です。

写真左がサンタ・スザンナ聖堂、右がサンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会になります。

ドメニコ・フォンターナ(スイス、メリデ、1543‐ナポリ、1607)の「モーゼの噴水」(1587)

折角来たので、素通りしないで噴水を見ます。

巨大なモーゼ像

ライオン像を見ながら教会へと進みました。

9月20日通りに面して建っているサンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会です。
1605年、カルメル会がこの場所に教会を新設することを決め、建築家カルロ・マデルノ(カポラーゴ、1556‐ローマ、1629)に設計と建築工事を委嘱して、1608年から1620年に建設されたバロック様式の教会です。当初、聖パオロに捧げる教会で、サン・パオロ教会と呼称されていました。1620年時点では、ファサードは工事着工されていませんでした。
カルロ・マデルノが起用された理由ですが、道を挟んで隣接するサンタ・スザンナ聖堂のファサードをカルロが1597年から1603年にかけて改修したからだという説があります。

30年戦争における白山の戦いで、敗色濃厚だったカトリック教徒でしたが、皇帝軍総司令官が首にかけていた「キリストを崇拝する聖母」像が敵を幻惑させる鮮やかな光線が出て、勝利したという伝説から、1622年に改称され、勝利を導いた聖母に奉献する教会になったのです。

ファサードは、建築家ジョヴァンニ・バッティスタ・ソリア(ローマ、1581‐1651)の設計によって、1624年から1626年にかけて建設されました。
隣接するサンタ・スザンナ聖堂のファサードから強い影響を受けていると言われてます。

ファサードの建設費用を負担したのは、美術品収集で有名なシピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿(アルテーナ、1577‐ローマ、1633)でした。
この教会の建設工事中に古代の大理石彫刻が出土したのですが、それが欲しくなったボルゲーゼ枢機卿はカルメル会と交渉して、大理石彫刻と引き換えにファサードの資金負担をするという条件を出したのです。条件が受け入れられ、ボルゲーゼ家お抱えの建築家ソリアが起用されたという訳です。
ファサードの建築費用は相当高額だった筈ですから驚きです。

教会扉横にいる物乞いの縄張りが凄いと聞いたことがあります。

最近、観光客に大人気のようで、何時も混雑しています。

中に入りました。

単廊式、バロック様式の内部です。

主祭壇

カトリックの優位性を示すために造られた豪華な祭壇です。

後陣のフレスコ画ですが、教会内部は1833年の火災によって被害を受けたので、19世紀後半に改めて描かれました。
ルイージ・セッラ(ボローニャ、1846‐1888)の「白山の戦いで勝利したカトリック軍のプラハ入城」(1885)

天井のフレスコ画です。
ジョヴァンニ・ドメニコ・チェッリ―ニ(ペルージャ、1609‐ローマ、1681)の「聖母の勝利とプロテスタントの追放」(1675)

ジョヴァンニ・ドメニコ・チェッリ―ニ(ペルージャ、1609‐ローマ、1681)の「地獄に追放されるプロテスタント」(1675)

クーポラのフレスコ画は、ジョヴァンニ・ドメニコ・チェッリ―ニ(ペルージャ、1609‐ローマ、1681)の「駄天使の落下」(1654‐55)

Cappella Cornaro

この彫刻だけでも見る価値があります。

ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(ナポリ、1598‐ローマ、1680)の「聖テレーザの法悦」(1651)

ベルニーニの最盛期の作品の一つです。傑作です。

ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(ナポリ、1598‐ローマ、1680)の「Parchetti」(1644‐52)

Cappella di San Giuseppe
この彫刻をベルニーニの作品と間違える人が多いとか・・・・・

ドメニコ・グイディ(とラーノ、1625‐ローマ、1701)の「聖ジュゼッペの夢」

見所が多いので目移りしてしまいます。

詳細不知

オルガン

祭壇画を見て回ります。

ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称グエルチーノ(チェント、1591‐ボローニャ、1666)の「三位一体」(1642c)

グイド・レーニの作品です。

グイド・レーニ(ボローニャ、1575‐1642)の「ベルリンギエロ・ゲッシ枢機卿の肖像」(1641)

ドメニキーノの作品です。

ドメニコ・ザンピエーリ通称ドメニキーノ(ボローニャ、1581‐ナポリ、1641)の「聖母子と聖フランチェスコ」(1630)

ドメニコ・ザンピエーリ通称ドメニキーノ(ボローニャ、1581‐ナポリ、1641)の「光悦の聖フランチェスコ」(1630)

ドメニコ・ザンピエーリ通称ドメニキーノ(ボローニャ、1581‐ナポリ、1641)の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」(1630)

ヘラルト・ファン・ホントホルスト(ゲラルド・デッレ・ノッティ)(ユトレヒト、1592‐1656)の「聖パオロの恍惚」(1620)

ニコラス・ロライン(シャルマーニュ、1600‐ローマ、1682)の「クローチェの聖ジョヴァンニに顕現するキリスト」(1667c)

ニコラス・ロライン(シャルマーニュ、1600‐ローマ、1682)の「クローチェの聖ジョヴァンニの魂を救う聖母」(1667)

ニコラス・ロライン(シャルマーニュ、1600‐ローマ、1682)の「クローチェの聖ジョヴァンニの死」(1667)

外に出ました。
(この項、おわり)