イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:エミリア・ロマーニャ州 > ブッセート

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1518年に建設されたVilla Pallavicinoです。
ヤコポ・バロッツィ・ダ・ヴィニョーラ通称イル・ヴィニョーラ(ヴィニョーラ、1507‐ローマ、1573)、またはドナート・ブラマンテ(フェルミニャーノ、1444‐ローマ、1514)の設計と言われてますが、私としては、この説に疑問を持ってます。イル・ヴィニョーラは、このヴィッラの完成した1518年にはわずか11歳ですから設計者としては有り得ないと思います。ブラマンテが最晩年に設計し、死後にヴィッラが完成したことは有り得ますが、晩年のブラマンテの活動を考えると、設計者の確率は極めて低いと思います。


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1530年、神聖ローマ帝国皇帝カルロ5世の宿泊所として、パッラヴィチーノ家がこの建物を購入しました。それ以降、ヴィッラ・パッラヴィチーノと呼ばれることになりました。
1543年、このヴィッラでカルロ5世と教皇パオロ3世の面会が実現します。


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国立ヴェルディ博物館に入館しました。


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カルロ5世と教皇パオロ3世の邂逅を描いた絵画


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この時は館内写真不可でした。


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ヴィッラの門


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ヴィッラは堀に囲まれて建ってます。


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イタリア・オペラ好きには必訪と言える博物館でしょう。


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次は、Villa Pallavicinoの向かいに建っているサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会修道院です。


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15世紀中頃、パッラヴィチーノ州を作り、その支配者だったロランド・パッラヴィチーノ(ブッセート、1393‐1457)が、この地に教会を建設することを決めましたが、その生前には実現せず、教会建設を遺言しました。その遺言に基づき、ロランドの息子兄弟によって1470年から1474年に建設された後期ゴシック様式の教会です。
併設の修道院は1472年から1474年に建設されました。


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ファサード前の庭に白鳥の置物があります。


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1475年、教会と修道院はフランチェスコ会修道士に引き渡されました。


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幾つかの芸術作品がある教会修道院として知られてます。
その一つが入口扉上ルネッタのフレスコ画です。アントニオ・カンピ(クレモナ、1522‐1587)の「聖母被昇天とフランチェスコ会修道士たち」(1580c)


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もう一つの扉上のフレスコ画もアントニオ・カンピの作品です。


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扉が開いていました。


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中に入りました。


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四廊式、ゴシック様式の内部です。


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左側に2つの側廊があります。


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左側に修道院への通路がありますが、この日は閉鎖されていました。


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右側壁


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右側廊


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16世紀の逸名彫刻家作「Madonna delle Grazie」(16世紀)


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Cappella di Sant'Antonio


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制作者情報不知の「聖アントニオの祭壇」(19世紀)


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一部がモザイク


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ゴシック様式逸名画家作「Madonna del Canale」(15世紀)


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詳細不知


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詳細不知


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グイド・マッツォーニ(モデナ、1450‐1518)の「嘆き」(1475‐76c)


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グイド・マッツォーニの代表作の一つです。


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中央礼拝堂後陣の磔刑像


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詳細不知の主祭壇画


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ニコロ・デッラバーテ(モデナ、1510c‐フォンテーヌブロー、1571)の「十字架を担ぐキリスト」(1543‐44c)


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アントニオ・カンピ(クレモナ、1522‐1587)の「聖母子と聖フランチェスコ」(1580)


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出ました。


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立ち去る前に、もう一度ファサードを見ました。


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道の両側に低い城壁があります。


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(おわり)

P1080375ヴェルディ広場です。


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先ほど一息入れたカフェです。


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町歩きを続けます。


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小さな町なので、どうしても同じ場所に何度も来てしまいます。


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時間が経ちません。


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この町には苛烈な歴史がありますが、それに触れずにさらっとやりましょう。


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この日、ここに泊まってオペラを楽しむ予定でした。


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残念ながら、それを果たせずに終わりました。


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次はヴェルディ博物館ですが、当時、午後の開館は午後3時からなので時間潰しが必要でした。


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ヴェルディ博物館は、ブッセート郊外、旧城壁外の駅近くにあります。


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博物館の開館時間に合わせるために、あちこち歩いて時間潰しです。


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何処を歩いても人通りが少ない。


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元々人口が少ないので、人通りが少ないのは当たり前です。


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ローマ通りの柱廊


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道を間違えるはずがないと高を括って歩いていました。


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どうやら道に迷ったみたい。


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東洋風の門?


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電柱がありません。


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電線を地下に埋設するにはコスト高となるので難しいと言っている我が国ですが、イタリアで出来て我が国に出来ないのは不可思議です。


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地上部分の電線


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電柱頼りは、何時も電力会社側に立つ政府施策の一環でしょう。


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電線が地上に出ている部分


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経済状態が日本より悪いイタリアに出来て、日本で出来ない電柱問題です。


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Rocca Pallavicinoに戻ってきました。


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午後3時を過ぎました。


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ここで一休みしました。


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道を間違えないように、素直にローマ通りを通ってヴェルディ博物館に向かいました。


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柱廊を進みました。


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監視カメラが結構あります。


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どうせ道草しても見どころがない。


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博物館はもう直ぐです。


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ヴェルディ博物館があるVilla Pallavicinoに着きました。
(つづく)

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ヴェルディ像の後方に建っているのは、985年着工のRocca Pallavicinoです。


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1216年、ピアチェンツァ・ミラノ連合軍によってRoccaは破壊されましたが、1249年、神聖ローマ帝国皇帝フレデリック4世によって再建されました。


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Rocca Pallavicinoは、1543年、カルロ5世と教皇パオロ3世が邂逅した地として有名です。
時計塔下のアーチを潜って一旦中庭に出ます。


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中庭の南側の建物


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中庭からヴェルディ広場の反対側に出ます。向こう側は普通の住宅地となってます。


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Rocca Pallavicinoの裏側
1856年、Rocca Pallavicinoは、パルマ公爵からブッセートのコムーネに売却されました。当時のRoccaは非常に荒廃していたので、そのままでは使用不可でした。荒廃していた部分を取り壊して、一部を除いて再建されることになり、1857年から1868年にかけて現存する大部分が新古典様式で再建されたものが現在の姿です。


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広場に面した時計塔と狭間のある塔の部分は16世紀のものです。


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ヴェルディ広場側に出ます。


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Rocca Pallavicinoのファサードに向かって時計塔の左側はPalazzo Comunale、時計塔の右側がTeatro Giuseppe Verdiです。


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1857年から1868年に建設されたTeatro Giuseppe Verdiです。


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公演がない日は一般公開されてます。この日は公演日でした。


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客席数が僅か307席の小さな劇場ですが、オペラが上演されてます。毎年10月にパルマとその近郊で開催されるヴェルディ・フェスティヴァルの会場になってます。


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劇場内部


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この日の演目はヴェルディの「ファルスタッフ」でした。


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オペラ上演の実態は、パルマ・オペラ座の出張公演です。


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ヴェルディ広場近くの教会を見に行きます。


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広場の端に教会が建ってます。


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ローマ通りを越えます。


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サン・バルトロメオ参事会教会 Collegiata di San Bartolomeoです。


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1437年に着工されたゴシック様式の教会です。


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ファサードのフレスコ画の痕跡


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後陣と鐘楼


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ブッセートのドゥオーモに相当しますが、地元ではドゥオーモと呼ばれていないようです。


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1767年、ロココ式に改修された内部です。


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ミケランジェロ・アンセルミ(ルッカ、1491/1492-パルマ、1556)によって1538年から1539年にかけて制作されたフレスコ画


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ミケランジェロ・アンセルミのフレスコ画


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サン・バルトロメオ参事会教会の右奥に、14世紀から15世紀に建設されたOratorio della Santissima Trinitaがあります。


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1836年、ジュゼッペ・ヴェルディとヴェルディの最初の妻マルゲリータ・パレッツィと結婚式を挙げた祈祷所として有名です。


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ローマ通りの突き当りにも教会があります。


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サンタ・マリア広場に面して建つサンタ・マリア・アンヌンツィアータ教会です。


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前身は、1472年から1518年に建設された病院付属の礼拝堂です。病院は後に取り壊され、独立した礼拝堂になりました。
新古典様式の現在の建物は、1804年に再建された二代目のものです。


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1805年、ジュゼッペ・ヴェルディの両親がこの教会で挙式しました。


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サンタ・マリア広場にあるメルカト


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この辺がブッセートの中心地となります。


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サンタ・マリア広場から見えるサン・バルトロメオ参事会教会の鐘楼


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(つづく)

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ブッセート駅に到着しました。


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ブッセートは、人口6,939人(2018年1月1日)のエミリア・ロマーニャ州パルマ県にあるコムーネです。
駅名が入った写真がないと様にならないので、列車が発車するのを待って、向かいのホームから写真を撮りました。


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無人の小さな駅ですが、駅のトイレが使用可能です。
無人駅でもトイレがあるのが普通ですが、そのトイレは施錠されていて使用できないことが殆どです。折角なので利用させて頂きましたが、ブッセートのトイレは非常に清潔でした。


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駅舎です。
ブッセートは、ジュゼッペ・ヴェルディ所縁の町として有名です。ジュゼッペ・ヴェルディ(レ・ロンコーレ、1813‐ミラノ、1901)は、ブッセートの分離集落 Frazioneのレ・ロンコーレで生まれ、1824年にブッセートに移住してきました。


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田舎の佇まいの駅前広場


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旧市街に向かいます。


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Cappella della Madonna Rossaを通り過ぎます。


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駅から旧市街の入り口までは徒歩数分の僅かな距離です。


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頃合はブッセートで最も賑わいを見せる、ヴェルディ・フェスティヴァルが開催される10月です。


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緑豊かで、長閑な町です。


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住宅地


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Istituto Compresivo Busseto


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小学校です。


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この辺が旧市街の入り口になります。


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町の目抜き通りであるローマ通り


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この日、快晴、気温20℃くらいで絶好の町歩き日和でした。


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Busseto Terra di Verdiの横断幕が掲げられてます。


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この日はヴェルディ・オペラの上演日でした。


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ローマ通りと交差する道は静寂に包まれていました。


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尤もローマ通りも人通りが少なく、静かでした。


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この日のことは思い出したくないので、適当に書いておきます。


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柱廊が完備されてます。


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イエズス会の旧大学です。


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1617年から1682年に建設されたサンティグナツィオ・ディ・ロヨラ教会です。


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1613年、ラヌッチョ1世ファルネーゼ(パルマ、1569‐1622)がイエズス会に対して、ブッセートを活動拠点にして良いとの許可を与えたことにより、大学と教会が建設されました。
しかし、イエズス会の勢力はそれだけに留まらず、この町の多くを勢力下に置きました。
ヴェルディもこの大学で学びました。


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ローマ通りは全長500mくらい?でしょうか。


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1679年から1682年に建設された、バロック様式のPalazzo del Monte di Pietaです。


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ローマ通りを更に進みます。


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柱廊が続いてます。


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通りの突き当りにある教会が見えてます。


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Palazzo Orlandi


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19世紀初頭に建設された新古典様式のPalazzo Orlandiです。
1845年、ヴェルディは、22,000リラの大金で、このPalazzoを買いました。1849年、ソプラノ歌手で、ヴェルディの後妻ジュゼッピーナ・ストレプトニと一緒にこのPalazzoで住むようになりました。


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ヴェルディとストレプトニがここで住むには色々と問題が生じました。その辺の詳細はここでは触れませんが、やがて、このPalazzoはストレプトニの所有となりました。


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現在はSIAEが所有しています。


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ヴェルディ広場は直ぐ傍です。


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広場にやってきました。


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ヴェルディ広場です。


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広場に面したカフェで一休み。


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広場にあるのは勿論ヴェルディ像です。


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(つづく)

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