
1518年に建設されたVilla Pallavicinoです。
ヤコポ・バロッツィ・ダ・ヴィニョーラ通称イル・ヴィニョーラ(ヴィニョーラ、1507‐ローマ、1573)、またはドナート・ブラマンテ(フェルミニャーノ、1444‐ローマ、1514)の設計と言われてますが、私としては、この説に疑問を持ってます。イル・ヴィニョーラは、このヴィッラの完成した1518年にはわずか11歳ですから設計者としては有り得ないと思います。ブラマンテが最晩年に設計し、死後にヴィッラが完成したことは有り得ますが、晩年のブラマンテの活動を考えると、設計者の確率は極めて低いと思います。

1530年、神聖ローマ帝国皇帝カルロ5世の宿泊所として、パッラヴィチーノ家がこの建物を購入しました。それ以降、ヴィッラ・パッラヴィチーノと呼ばれることになりました。
1543年、このヴィッラでカルロ5世と教皇パオロ3世の面会が実現します。

国立ヴェルディ博物館に入館しました。

カルロ5世と教皇パオロ3世の邂逅を描いた絵画

この時は館内写真不可でした。

ヴィッラの門

ヴィッラは堀に囲まれて建ってます。

イタリア・オペラ好きには必訪と言える博物館でしょう。

次は、Villa Pallavicinoの向かいに建っているサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会修道院です。

15世紀中頃、パッラヴィチーノ州を作り、その支配者だったロランド・パッラヴィチーノ(ブッセート、1393‐1457)が、この地に教会を建設することを決めましたが、その生前には実現せず、教会建設を遺言しました。その遺言に基づき、ロランドの息子兄弟によって1470年から1474年に建設された後期ゴシック様式の教会です。
併設の修道院は1472年から1474年に建設されました。

ファサード前の庭に白鳥の置物があります。

1475年、教会と修道院はフランチェスコ会修道士に引き渡されました。

幾つかの芸術作品がある教会修道院として知られてます。
その一つが入口扉上ルネッタのフレスコ画です。アントニオ・カンピ(クレモナ、1522‐1587)の「聖母被昇天とフランチェスコ会修道士たち」(1580c)

もう一つの扉上のフレスコ画もアントニオ・カンピの作品です。

扉が開いていました。

中に入りました。

四廊式、ゴシック様式の内部です。

左側に2つの側廊があります。

左側に修道院への通路がありますが、この日は閉鎖されていました。


右側壁

右側廊

16世紀の逸名彫刻家作「Madonna delle Grazie」(16世紀)

Cappella di Sant'Antonio

制作者情報不知の「聖アントニオの祭壇」(19世紀)

一部がモザイク


ゴシック様式逸名画家作「Madonna del Canale」(15世紀)

詳細不知

詳細不知

グイド・マッツォーニ(モデナ、1450‐1518)の「嘆き」(1475‐76c)

グイド・マッツォーニの代表作の一つです。

中央礼拝堂後陣の磔刑像

詳細不知の主祭壇画

ニコロ・デッラバーテ(モデナ、1510c‐フォンテーヌブロー、1571)の「十字架を担ぐキリスト」(1543‐44c)

アントニオ・カンピ(クレモナ、1522‐1587)の「聖母子と聖フランチェスコ」(1580)

主祭壇前から見た出入口方向

外に出ました。

立ち去る前に、もう一度ファサードを見ました。

道の両側に低い城壁があります。

(おわり)