イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:美術館 > スペッロ市立絵画館

P2370159
次の部屋です。


P2370158
第7室です。


P2370161
聖ピエトロ


P2370162
ピエル・フランチェスコ・モーラは、カヴァリエール・ダルピーノの弟子で、風景画や風景が主体の宗教画が得意でした。フランチェスコ・アルバーニの協力者でもありました。


P2360961
作品があったサンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会です。


P2370164
聖パオロ


P2370165
サンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会にありました。


P2370167
聖フェリーチェ司教


P2370168


P2370170
無原罪の聖母


P2370171
ノエル・キレリアーは、フランス、イギリスなどで活動したフランス人画家です。スペッロの隣のフォリーニョに作品が残されます。
サンタ・カテリーナ・ディ・ラペッキアーノ修道院にあった作品です。


18
フォリーニョとの国境近くにある旧サンタ・カテリーナ・ディ・ラペッキアーノ修道院教会です。


19
サンタ・カテリーナ・ディ・ラペッキアーノ修道院教会は、1476年から1484年にかけて建設されました。修道院は1826年に閉鎖され、教会は1912年に閉鎖され、現在は個人の住居として使用されてます。


P2370174
聖ルフィーノ


P2370173


P2370178
次の部屋です。


P2370177
第8室、最終展示室です。


P2370180
聖ボナヴェントゥーラと聖ベルナルディーノとトローサの聖ルドヴィーコ


P2370181
アンドレア・カマッセイは、ローマにいたドメニキーノに師事しました。後にピエトロ・ダ・コルトーナ工房に移りました。


P2370183
聖ピエトロ・マルティーレ


P2370184
サンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会にありました。


P2370186
聖ジャコモ・マッジョーレ


P2370187
クリストフォロ・ダ・フォリーニョについては、全く知りません。


P2370189
聖フェリーチェの壺


P2370190


P2370192
ロザリオの聖母


P2370193
イル・ファンティーノは、ドーノ・ドーニの追随者でしたが、その通称から推察すれば小人症だったかも知れません。


P2370195
ロザリオの聖母


P2370196
サンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会にありました。


P2370198
慈悲の聖母


P2370199
旧慈悲の聖母祈祷所にありました。


20
1348年から1359年にかけて建設された旧慈悲の聖母祈祷所です。


21
中にフレスコ画が残されてます。


P2370200


P2370201


P2370202


P2370204
聖セバスティアーノ


P2370205


P2370206
助祭聖人


P2370208


P2370209
聖体顕示台


P2370210


P2370211


P2370212
聖体顕示台


P2370212


P2370213
聖皿


P2370214
展示はこれで終わりです。


P2370215
外に出た。


P2370216
(おわり)

第4室の続きです。
P2370102
聖ジャコモ・マッジョーレ?


P2370104
サンタ・バルバラ教会にありました。


172
旧サンタ・バルバラ教会です。(写真再掲)


P2370106
聖ジュゼッペ・ダリマテア


P2370107
何処にあったのか、不明のようです。


P2370109
聖母子


P2370110
サンタ・マリア・デッラ・スペッラ聖域にありました。


16
サンタ・マリア・デッラ・スペッラ聖域です。山にあります。


17
雪中のサンタ・マリア・デッラ・スペッラ聖域です。


P2370111
聖ルチアの聖体拝領


P2370114
カミッロ・バガッツォッティは、マルケ滞在中のロレンツォ・ロットに師事したとされてます。ロットの弟子としては、他にドゥランテ・ノビーリがいます。


P2370116
次の部屋です。


P2370115
第5室です。


P2370117
聖人が描かれたパネルが並んでます。


P2370119
左から聖トンマーゾ、聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ


P2370121
聖マッテオ、聖フィリッポ


P2370123
聖ピエトロ、キリスト、聖アンドレア


P2370125
聖ジャコモ・マッジョーレ、聖ジャコモ・ミノーレ


P2370127
聖バルトロメオ、聖シモーネ


P2370128
サンタ・マリ・マッジョーレ参事会教会にありました。


P2360859
サンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会です。


P2370130
次の部屋です。


P2370129
第6室です。


P2370131
入館者が殆どいません。


P2370133
天国


P2370134
サンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会にありました。
マルカントニオ・グレッキの画風形成の過程がよく分からないとされてますが、フランチェスコ・ヴァンニ(シエナ、1563‐1610)か、またはピエトロ・ソッリ(サン・グズメ、1556‐シエナ、1622)に師事したという説があります。
ヴェントゥーラ・サリンベーニ、クリストフォン・ロンカッリなどのシエナ派画家と密接な交流があったそうです。


P2370138
燭台


P2370139
Palazzo Comunaleにありました。


099
Palazzo Comunaleです。


P2370141
聖アントニオ・アバーテ


P2370142


P2370144


P2370145


P2370146
聖母子と聖人たち


P2370148
サンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会にありました。


P2370150
聖母子と大天使聖ミケーレと聖フランチェスコ


P2370151
サンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会にありました。


P2370153
聖フェリーチェと2天使


P2370154


P2370155
天上の聖母子と聖人たち


P2370157
サンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会にありました。
(つづく)

P2370043
次の部屋です。


P2370042
第2室です。


P2370044
多翼祭壇画です。


P2370062
中央パネルは、欠落しており、しかも現存していない可能性があります。


P2370047
イメージとして、聖母子の白黒写真を示したものです。
この写真の元となった剥離フレスコ画が第2室に展示されてます。


P2370049
向かって左:聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ、聖イザヤ


P2370051
向かって右:聖ジョヴァンニ・バッティスタ、バーリの聖二コラ


P2370053
向かって左のクスピデ:受胎告知する大天使


P2370055
向かって右のクスピデ:受胎告知される聖母


P2370057
プレデッラの左から「ご誕生」


P2370058
「マギの礼拝」


P2370061
「キリストの神殿奉献」


P2370063
聖母子と聖ジローラモとシエナの聖ベルナルディーノ


P2370065
サン・ベルナルディーノ教会にありました。


P2370223
作品があった旧サン・ベルナルディーノ祈祷所です。現在は民有の住居です。


P2370067
フレスコで装飾された柱


P2370068
サン・ベルナルディーノ教会にありました。


P2370070
聖母子


P2370071
サンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会にありました。


P2370073
次の部屋です。


P2370072
第3室です。


P2370076
ピエタの彫刻


P2370077
マドンナ・ディ・ヴィーコ教会、通称トンダ教会にありました。


14
1517年創建のマドンナ・ディ・ヴィーコ教会です。


15
マドンナ・ディ・ヴィーコ教会は、スペッロの西端のアッシジとの境界近くにあります。この周辺は、ペルージャとアッシジとの境界だったので、両都市間の係争に度々巻き込まれたそうです。


P2370083
ゴンファローネ表面の「聖十字架の奇跡」


P2370079
ゴンファローネ裏面の「慈悲の聖母」


P2370080
Oratorio della Croceにあったゴンファローネですが、この祈祷所について、私は分かりません。


P2370085
磔刑


P2370086
キリストの磔刑の場にいた聖人は、聖母、聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ、聖マリア・マッダレーナとされてます。
サンタ・マリア・ディ・ヴァッレグロリア修道院にありました。


168
城壁内西端にあるサンタ・マリア・ディ・ヴァッレグローリア修道院です。


P2370088
次の部屋です。


P2370087
第4室です。


P2370090
受胎告知


P2370091
サンタ・マリア・イン・パテルノ教会にありました。


12
サンタ・マリア・イン・パテルノ教会です。(写真再掲)
この教会はフレスコ画の宝庫だったそうです。


P2370093
Figure femminili reggistemma


P2370094
サンタ・マリア・イン・パテルノ教会にありました。


P2370096
両面に描かれてます。
聖バルバラの殉教


P2370098


P2370101
裏面の天上の聖バルバラ


P2370099
サンタ・バルバラ教会にありました。


172
旧サンタ・バルバラ教会です。
(つづく)

P2360985
サンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会の隣にある写真左手前の建物がPalazzo dei Canoniciです。


P2360982
写真右手前に2本の柱が写ってますが、その先にあるのがPalazzo dei Canoniciで、そこに市立絵画館があります。


P2360987
この建物は元々12世紀に建設された教会の一部で、宗教関係者などの住居を兼ねていましたが、ピントゥリッキオが一時住んでいたそうです。
1542年、ルネサンス様式に改修され、ほぼ現在の姿になりました。


P2360983
Palazzo dei Canoniciのルネッタ上のフレスコ画の痕跡


P2360986
Palazzo dei Canoniciの入り口です。


P2360990
市立絵画館の入り口です。
ここで一般公開されるようになったのは、1994年からです。


P2360991
市立絵画館はPalazzo dei Canoniciの1階(日本の2階)にあります。


P2360992
展示室は全部で8室あって、作品の制作された、ほぼ古い時代からの年代順に展示されてます。
また、展示作品の多くはスペッロの教会修道院から集められたもの、個人からの寄付によるものです。


P2360993
第1室です。


P2360995
聖母子


P2360996
隣のサンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会にあった。


P2360998
聖母子


P2360999
サンタ・マリア・イン・パテルノ教会にありました。


12
城壁外にあるサンタ・マリア・イン・パテルノ教会です。
1178年の文書にこの教会についての初めての記載があります。旧教会です。


P2370001
聖母子と聖アンナと聖ジャコモ


P2370003
サンタ・マリア・イン・パテルノ教会にありました。


P2370005
聖母子


P2370006
サンタ・マリア・イン・パテルノ教会にありました。
この教会には、壁一杯に描かれたフレスコ画があったそうです。19世紀には既に宗教活動を停止して民有となりましたが、フレスコ画が貴重ということで公的機関が19世紀末に買い上げたそうです。建物を修復しても、その使用方法に困り、結局中のフレスコ画の主だった箇所を剥離させて保存することになりました。


P2370008
聖母子


P2370009
サンタ・マリア・イン・パテルノ教会にありました。


P2370011
聖母子と信者たち


P2370012
サンタ・マリア・イン・パテルノ教会にありました。


P2370015
玉座の聖母
幼きキリストを抱いていましたが、キリスト像が失われ、聖母だけになりました。


P2370016
サンタ・バルバラ教会にありました。


172
旧サンタ・バルバラ教会です。


P2370018
聖母子


P2370019
サンタ・マリア・イン・パテルノ教会にありました。


P2370021
詳細不明の十字架
作品の説明板がありません。


P2370022
詳細不明の鐘
説明板がありません。


P2370024
死せるキリスト


P2370025
サンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会にありました。


P2370026
十字架


P2370028
サン・ロレンツォ教会にありました。


P2360946
サン・ロレンツォ教会のファサード


P2370031
磔刑


P2370032
城壁外のサンティッシマ・トリニータ教会にありました。


13
12世紀に建設された旧サンティッシマ・トリニータ教会です。
一時、画家のマルカントニオ・グレッキが所有していたそうです。


P2370034
十字架


P2370035
サンタ・マリア・マッジョーレ参事会教会にありました。


P2370036
保護板があるので、写真写りが良くありません。


P2370038
磔刑


P2370040
聖母戴冠


P2370041
コーラ・ペトルッチョーリ(オルヴィエート、1360‐ペルージャ、1401)は、ウゴリーノ・ディ・ピレーテ・イラーロの弟子です。シエナ派の画風でした。
(つづく)

↑このページのトップヘ