
ダメ元でサン・サルヴァトーレ参事会教会に行ってみることに。

予想通りサン・サルヴァトーレ参事会教会は閉まっていました。一体全体、何時開くんだ、と心の中で悪態をつきました。

ところが斜め向かいにあるサンタゴスティーノ教会が開いていました。しめた!

喜び勇んでサンタゴスティーノ教会の中には入るとミサの真っ最中でした。ミサが終わる頃を見計らって再び来ることにしました。その時にじっくり拝観すればよいと思いながら。

Casa del Mutilato

次は、どうしても拝観したいサン・ニコロ教会です。

若しや開いているのでは、と淡い期待を抱きながら、少し遠回りをしてサンタ・カテリーナ教会に行くと、この日も扉が閉まっていました。

サン・ニコロ教会の身廊に出ました。扉が開いているといいなあ・・・・・

ラッキー!! 扉が開いてました。

1094年に建設された教区教会です。1120年、ベネデット会の所有となり、更に1434年にアゴスティーノ会の所有になりました。

18世紀にファサードが改修され、現在の姿になりました。

ルネサンス様式の入り口は15世紀に造られました。

中に入りました。

単廊式、ラテン十字形、18世紀中頃に改修工事が行われた内部です。

右側壁にフォリーニョの宝物の一つと言われている多翼祭壇画があります。

バーリの聖二コラ礼拝堂にある、ニッコロ・ディ・リベラトーレ通称ラルンノ別称ニッコロ・アルンノ(フォリーニョ、1430c-1502)の「聖母戴冠の多翼祭壇画」(1492)です。

礼拝堂を所有していた、フォリーニョの大商人ミケーレ・ディ・ニコロ・ピッキが没した後、ミケーレの未亡人ブリジーダ・デリ・エルモが1479年にニッコロ・アルンノに注文して、1492年に完成した多翼祭壇画です。
1812年、パリに移され、ルーブル美術館で展示されましたが、返還交渉が行われ、1817年にフォリーニョに戻されたのですが、その際、何と裾絵が無くなっていたのです。現在、この多翼祭壇画の裾絵はルーブル美術館で展示されてます。返還するならば、裾絵だけ盗るなんてケチなことはしないで返すべきと思いますが、それをしない所がフランス人の卑しさです。
各場面を見ておきましょう。

上部

キリストの復活

下部

ご誕生

向かって左側

聖セバスティアーノ、バーリの聖二コラ

向かって右側

大天使聖ミケーレ、聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ

主祭壇

主祭壇画は、ドメニコ・ルイージ・ヴァレーリ(イエージ、1701-カメリーノ、1760)の「聖母子と聖人たち」

カルカントニオ・グレッキ(?、?-シエナ、1648)の「聖母子と聖人たち」

バルトロメオ・ディ・トンマーゾ(フォリーニョ、1408-1454)の「天使たちのフレスコ画」

逸名画家作「受胎告知」(18世紀)

逸名画家作「磔刑」(17世紀)

詳細不知

マルカントニオ・グレッキ(?、?-シエナ、1648)の「聖ステファノの殉教」(1613)

ドメニコ・ルイージ・ヴァレーリ(イエージ、1701-カメリーノ、1760)の「聖母子と聖人たち」(1760)

14世紀のフレスコ画

詳細不知

詳細不知

外に出る前にニッコロ・アルンノの傑作をもう一度見ました。

外に出ました。

観たかった多翼祭壇画をじっくりと鑑賞できて幸せでした。

サンタゴスティーノ教会のミサが終わっている時刻になりました。

ガックリ!! もう扉が閉まってます。

相変わらす閉まったままのサン・サルヴァトーレ参事会教会でした。

美術ファンにとって、フォリーニョは見所豊富です。

もう少し美術ファンが訪れて良い街です。
(写真は旧サン・アポッリナーレ教会です)

(フォリーニョの項、おわり)