イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:ウンブリア州 > フォリーニョ

045
ダメ元でサン・サルヴァトーレ参事会教会に行ってみることに。


046
予想通りサン・サルヴァトーレ参事会教会は閉まっていました。一体全体、何時開くんだ、と心の中で悪態をつきました。


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ところが斜め向かいにあるサンタゴスティーノ教会が開いていました。しめた!


049
喜び勇んでサンタゴスティーノ教会の中には入るとミサの真っ最中でした。ミサが終わる頃を見計らって再び来ることにしました。その時にじっくり拝観すればよいと思いながら。


055
Casa del Mutilato


057
次は、どうしても拝観したいサン・ニコロ教会です。


060
若しや開いているのでは、と淡い期待を抱きながら、少し遠回りをしてサンタ・カテリーナ教会に行くと、この日も扉が閉まっていました。


064
サン・ニコロ教会の身廊に出ました。扉が開いているといいなあ・・・・・


065
ラッキー!! 扉が開いてました。


099
1094年に建設された教区教会です。1120年、ベネデット会の所有となり、更に1434年にアゴスティーノ会の所有になりました。


066
18世紀にファサードが改修され、現在の姿になりました。


067
ルネサンス様式の入り口は15世紀に造られました。


068
中に入りました。


075
単廊式、ラテン十字形、18世紀中頃に改修工事が行われた内部です。


076
右側壁にフォリーニョの宝物の一つと言われている多翼祭壇画があります。


077
バーリの聖二コラ礼拝堂にある、ニッコロ・ディ・リベラトーレ通称ラルンノ別称ニッコロ・アルンノ(フォリーニョ、1430c-1502)の「聖母戴冠の多翼祭壇画」(1492)です。


097
礼拝堂を所有していた、フォリーニョの大商人ミケーレ・ディ・ニコロ・ピッキが没した後、ミケーレの未亡人ブリジーダ・デリ・エルモが1479年にニッコロ・アルンノに注文して、1492年に完成した多翼祭壇画です。
1812年、パリに移され、ルーブル美術館で展示されましたが、返還交渉が行われ、1817年にフォリーニョに戻されたのですが、その際、何と裾絵が無くなっていたのです。現在、この多翼祭壇画の裾絵はルーブル美術館で展示されてます。返還するならば、裾絵だけ盗るなんてケチなことはしないで返すべきと思いますが、それをしない所がフランス人の卑しさです。
各場面を見ておきましょう。


119
上部


120
キリストの復活


121
下部


122
ご誕生


126
向かって左側


123
聖セバスティアーノ、バーリの聖二コラ


125
向かって右側


124
大天使聖ミケーレ、聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ


084
主祭壇


085
主祭壇画は、ドメニコ・ルイージ・ヴァレーリ(イエージ、1701-カメリーノ、1760)の「聖母子と聖人たち」


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カルカントニオ・グレッキ(?、?-シエナ、1648)の「聖母子と聖人たち」


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バルトロメオ・ディ・トンマーゾ(フォリーニョ、1408-1454)の「天使たちのフレスコ画」


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逸名画家作「受胎告知」(18世紀)


090
逸名画家作「磔刑」(17世紀)


091
詳細不知


092
マルカントニオ・グレッキ(?、?-シエナ、1648)の「聖ステファノの殉教」(1613)


093
ドメニコ・ルイージ・ヴァレーリ(イエージ、1701-カメリーノ、1760)の「聖母子と聖人たち」(1760)


096
14世紀のフレスコ画


072
詳細不知


073
詳細不知


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外に出る前にニッコロ・アルンノの傑作をもう一度見ました。


098
外に出ました。


100
観たかった多翼祭壇画をじっくりと鑑賞できて幸せでした。


102
サンタゴスティーノ教会のミサが終わっている時刻になりました。


115
ガックリ!! もう扉が閉まってます。


116
相変わらす閉まったままのサン・サルヴァトーレ参事会教会でした。


104
美術ファンにとって、フォリーニョは見所豊富です。


105
もう少し美術ファンが訪れて良い街です。
(写真は旧サン・アポッリナーレ教会です)


106
(フォリーニョの項、おわり)

246
道路工事完了直後でしょうか?


247
工事前は凸凹で歩くのが大変でしたが、見違えるほど整備されました。


248
次はサン・フランチェスコ教会です。この日のこの時間に扉が開いているというネット情報があったので、わざわざ行くことにしました。


249
アーチの先にサン・フランチェスコ教会があります。


268
ベアータ・アンジェラ聖域とも呼ばれているサン・フランチェスコ教会です。ネット情報通り、扉が開いてました。


270
この地には、1095年に建設されたサン・マッテオ教会がありましたが、13世紀に、サン・マッテオ教会を礼拝堂に組み入れて建設されたサン・フランチェスコ教会です。1796年、新古典様式で再建された三代目(前身のサン・マッテオ教会を含めて)の建物が現在の姿です。


250
中に入りました。


263
単廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


252
ベアータ・アンジェラ・ダ・フォリーニョの遺体が安置されてます。


253
ガエターノ・ガンドルフィ(サン・マッテオ・デッラ・デチーマ、1734-ボローニャ、1802)の「ベアータ・アンジェラ・ダ・フォリーニョの幻視」


255
ベアータ・アンジェリーナ・ダ・モンテジョーヴェの遺体


256
ガエターノ・ガンドルフィ(サン・マッテオ・デッラ・デチーマ、1734-ボローニャ、1802)の「ベアータ・アンジェリーナ・ダ・モンテジョーヴェの幻視」


258
詳細不知の「聖フランチェスコと天使」


260
制作者情報不知の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」


259
制作者情報不知の「慈悲の聖母」


261
詳細不知


262
ピエル・アントニオ・メッツァストリス(フォリーニョ、1457-1506消息)の「キリストの逮捕」(1499)


265
修道院のキオストロ回廊に入りたかったけれど、扉が閉まっていました。回廊の壁ルネッタにピエル・アントニオ・メッツァストリスのフレスコ画があります。


266
新しい作品ばかりで興味薄になってしまいます。


251
二代目の建物にあった祭壇画などは何処にあるのでしょうか?市立美術館にはあまり無かったような。


271
サン・フランチェスコ教会から外に出ました。


004
Oratorio della Nunziatellaは相変わらず閉まっていました。


278
次はサン・ジャコモ修道院教会です。


019
サン・ジャコモ教会は閉まっていました。


042
こちらは旧サン・ジャコモ修道院の建物です。


040
修道院中庭回廊への入り口が開いていました。


025
キオストロ回廊に入りました。


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回廊が二階建てになってます。


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一階の柱廊は1442年から1452年に建設されました。二階部分は17世紀に追加建設されました。


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一階柱廊の壁ルネッタにフレスコ画が描かれてます。


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損傷が激しいフレスコ画です。


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修復が殆ど行われていないように思いました。


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フレスコ画の制作者は、ジョヴァン・バッティスタ・ミケリーニ通称イル・フォリニャーテ(フォリーニョ、1604-1655)です。イル・フォリニャーテはグイド・レーニの弟子でした。


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フレスコ画のテーマは、聖フィリッポ・べニツィの生涯の物語です。


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中庭に小屋がありました。


043
外に出ました。
(つづく)

163
サン・ドメニコ広場も大掛かりな工事が行われていました。


165
サン・ドメニコ教会の扉が珍しく開いていたので、柵の隙間からファサード前に進み中に入ろうとしたら、係員が急に現れて制止されてしまいました。中のフレスコ画が観たいだけと言い張りましたが、一般公開していないと言われて、中に入るのを断念しました。


168
サンタ・マリア・インフラポルタス聖堂も立ち入りが禁止されていました。しかし、その措置は一時的だったようで、この日の翌日は、柵が入り口に行けるように配置されており。扉が開いていたので中に入ることが出来ました。


174
旧城壁外に出ます。


175
市域が拡大される前は、この遊歩道が城壁でした。城壁が取り壊され、道路が作られたのです。市域拡大後の新城壁は、写真左側約200mにあります。


176
旧城壁と新城壁の間に公園があります。少し寒かったけれど、公園のベンチに座って一休みしました。


177
遊歩道が良く整備されてます。


178
赤っぽい方が歩道です。


179
イタリアの地方小都市は何処も大体綺麗です。しかし、大都市ともなると、清潔さに欠けてきます。


180
Oratorio del Crocifissoです。


181
17-18世紀に建設されたオラトリオです。


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祈祷所の名前の通りで、「磔刑」のフレスコ画があります。内部に見るべき作品がないので、扉が閉まっても痛痒感はありません。


185
ジョストラ(馬上槍試合)の本部が置かれている、18世紀に建設されたPalazzo Brunetti- Candiottiです。


187
扉が開いていたので、Palazzo Brunetti- Candiottiの庭に入ってみました。


188
庭園の先にサン・ニコロ教会が見えます。


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庭から見たパラッツォです。


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新古典様式の建物は若干退屈です。


191
道路の向かい側にサン・ドメニコ教会があります。


192
大理石彫刻が冴えません。


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勿論手掘りの彫刻ですが、コピー作品のようです。


193
庭に置かれた大理石彫刻


194
サン・ドメニコ教会です。


195
サン・ドメニコ教会の後陣です。


196
サン・ドメニコ修道院の鐘楼です。


197
工事中なので、少し汚らしい教会周囲でした。


200
私以外に観光客は誰もいませんでした。


201
12世紀に建設されたサン・トンマーゾ・ディ・チピスキ教会です。


202
18世紀に現在の姿に改修されました。


203
既に機能を停止した旧教会です。中にあった貴重なフレスコ画は、1990年頃に剥がされて他の場所に移されたそうですが、私にはその場所が分かりません。
この当時、フォリーニョのボーイスカウト博物館が置かれていましたが、現在は他の場所に移動しているようです。


205
サン・ニッコロ教会にやってきました。


206
中にどうしても見たかった多翼祭壇画があるので、扉が閉まっていたのは痛手でした。


207
旧市街の中心地を歩きます。


208
トリンチ宮の塔が見えてきました。
この後は、前に紹介したこととほぼ同じなので省略します。


213
さて翌日です。朝早くモンテファルコに行き、午後3時頃フォリーニョに戻ってきました。青空市は午前中に終わるのが普通ですが、土曜日だったせいか、未だ営業中でした。


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サンタ・マリア・インフラポルタス聖堂に入ることが出来るようになっていました。


221
中のフレスコ画をじっくりと見ました。


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非常に良かった!


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外に出ました。


244
サン・ドメニコ教会は何時ものように扉が閉まったままでした。
(つづく)

068
時は遡って2013年2月のフォリーニョです。


069
サン・ジャコモ教会はこの日も扉が閉まっていました。


072
ウンブリアの美術サイトの記述では、この時間は扉が開いている筈でしたが、信じる方がアホでした。フィレンツェ、ローマの教会に関する記述は大体正しいですが、地方となると、その辺の情報は怪しくなります。


073
サン・ジャコモ教会の横を通って城壁外に出ます。


075
18世紀に建設されたCasa di T  Tの後の文字が判読不能でした。ネットで調べましたが、この家に関する記事が見つかりません。


076
旧市街の城壁に沿って北から西へと流れるトピーノ川です。写真左は城壁外になります。


077
写真右側、トピーノ川東岸は堤防が城壁を兼ねてます。


078
この辺は旧市街の北西方向に当たります。


079
城壁内に戻りました。鐘楼はサン・ジャコモ教会のものです。


080
メンターナ通りから右折してドゥオーモの方に向かいます。


081
道路整備工事後なので、綺麗な道路が続きます。


082
ドゥオーモを素通りしました。


113
再度城壁外へと進みます。


116
Porta Romanaです。
1280年から1291年に建設されましたが、経年劣化のため、1871年に再建されました。しかし、第二次世界大戦の爆撃によって灰燼に帰したので、1946年から1948年に再建された三代目の建物が現在の門です。


117
門の横にフォリーニョが生んだ画家ニッコロ・アルンノ像が立ってます。


119
フォリーニョ駅にやってきました。


120
この日の2日後のローマ行きICの切符を買いました。


122
フォリーニョ駅構内にある礼拝所です。祈っている人がいるのでビックリしました。当たり前ですが、祈る人がいるから礼拝堂があるのです。


123
この日の翌日、モンテファルコへの日帰り遠足を予定していたので、バスの発着場と時刻を確認しました。利用客が多いとは言えないフォリーニョ駅でしたが、モンテファルコ行きのバスは駅から少し離れた場所から出発することが分かり、事前確認して良かったと思いました。なお、現在は駅前からバスが発車します。


124
駅で一休みしてから教会巡りに再び出発しました。


125
14世紀に建設されたサンタ・マリア・ディ・べトレム教会修道院の建物です。


126
現在は機能を停止した旧修道院教会です。


128
通りの突き当りにサンタ・カテリーナ修道院があります。


130
元々は病院でしたが、1374年に修道院になりました。


132
中に古いフレスコ画があるので、中に入りたかった。


133
サンタゴスティーノ教会へと進みます。


134
実はサンタ・カテリーナ修道院とサンタゴスティーノ教会は殆ど繋がっているのです。


135
サンタゴスティーノ教会のファサード前は工事中でした。2012から2014年頃にかけて、旧市街内のすべての道路が整備されていました。


136
土曜日の夕べのミサ以外は開いていないようです。しかし、現在は、地震の被害によって閉鎖されているドゥオーモに代わって、臨時の司教座教会になっているので、多分、何時も扉が開いていると思います。


137
「嘆きの聖母」と言われてますが、違うと思います。


138
「ヴェルジネ像」だそうです。


142
扉の彫刻


139
ガリバルディ広場に立つガリバルディ像


140


143
サンタゴスティーノ教会至近にサン・サルヴァトーレ参事会教会があります。


144
見所が豊富な内部ですが、開いていないことが多い教会です。


146
970年創建の古い歴史ある教会です。
一見古そうに見えるファサードですが、14世紀のオリジナルのファサードを模して1889年に再建された、比較的新しいファサードです。


147
1357年に建設された鐘楼が現役です。


149
サン・サルヴァトーレ参事会教会の身廊側外観です。


148
サン・サルヴァトーレ修道院だった建物です。


151
中に一回だけ入ったことがあります。


152
道路工事が終わった通りです。


153
(つづく)

P2380007
次の部屋です。
ローマ時代の碑文などが展示されてます。


P2380008
葬儀祭壇(1世紀)
Villa di Lodovico Jacobilliから発掘されました。


P2380010
執政官クナイウス・ドミニィウス・タルフの名誉モニュメント(1世紀中頃)
執政官はトラヤヌス帝の同僚でした。


P2380012
葬儀石碑(1世紀)


P2380014
ゲルマニクス・ユリウス・カエサルの名誉モニュメント
ゲルマニクス・ユリウス・カエサル(前5-19)は、紀元後19年に暗殺されました。


P2380016
Praesentia Priscaの墓石(1世紀)


P2380019
ミネルヴァ神殿の碑文断片(紀元前1世紀末)


P2380021
リヴィアの胸像(14-31)
リヴィアは、初代皇帝アウグストゥスの妻であり、第二代皇帝ティベリウスの母です。


P2380023
Caesia Sabinaの名誉石碑(1世紀末)


P2380025
名誉石碑(183)


P2380027
タンジールの聖マルケッルスの彫像台座(3世紀前半)


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タンジールの聖マルケッルスの彫像台座(3世紀前半)


P2380031
グナエウス・ポンペイウスの碑文
グナエウス・ポンペイウス(前106-前48)は、ガイウス・ユリウス・カエサルとマルクス・リキニウス・クラッススと第1回三頭政治を行いました。


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石棺断片(3世紀)


P2380034
石棺断片(3世紀)


P2380036
石棺断片(3世紀)


P2380038
ティケー像(ギリシャ神話の女神)(2世紀)


P2380040
女性の頭像(80c)


P2380042
組織のメンバーリスト(1-2世紀)


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Gnaeus Decimius Bibulusの葬儀石碑(1世紀)


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Veturia Rufaの葬儀石碑(1世紀)


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Lucius Castriciusの葬儀石碑(1世紀)


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ミゼリコルディア同信会献呈葬儀祭壇(1737)


P2380057
フォリーニョ市からのトティラ王への献辞碑(1672)


P2380059
カルロ・マリア・オルフィーニからのPublius Aelius Marcellusへの献辞碑(1733)


P2380061
Gaius Ancharius Verusへの献辞碑


P2380063
葬儀用石碑


P2380065
Fulcinius Trhioへの献辞碑


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考古学部門に進みます。


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フォリーニョとその周辺からの発掘物が展示されてます。


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女性の石棺(紀元前1世紀)


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骨壺(紀元前1世紀)


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中庭に出ました。
ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノと弟子、協力者によるフレスコ画、オッタヴィアーノ・ネッリによる礼拝堂のフレスコ画、ニッコロ・アルンノ、ピエル・アントニオ・メッツァストリスの作品などが見所の美術館でした。
素晴らしいのでお勧めです。


P2380097
(おわり)

P2370922
次の部屋です。


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部屋の壁にフレスコ画があります。


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フレスコ画の詳細について、私は知りません。美術館側は恐らく知っていると思います。


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部屋の天井


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作品に日差しが当たらないように展示されてます。


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部屋の所々に椅子が置かれてますが、座ることが出来ます。美術館や博物館の椅子には「座るな」の椅子がかなりあります。


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逸名画家作「玉座の聖母子」(15世紀後半)


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ウゴリーノ・ディ・ジスベルト(トッレ・デッル・コッレ・ディ・ベヴァーニャ、1452-1512消息)に帰属する「玉座の聖母子と大天使聖ミケーレと聖フランチェスコ」(15世紀後半)
Palazzo Monaldi Barnaboにありました。


P2370933
ウゴリーノ・ディ・ジスベルト(トッレ・デッル・コッレ・ディ・ベヴァーニャ、1452-1512消息)の「聖母子」(1491)
サンタ・カテリーナ教会にありました。


P2370935
ウゴリーノ・ディ・ジスベルト(トッレ・デッル・コッレ・ディ・ベヴァーニャ、1452-1512消息)に帰属する「ロレートの聖母とピエタ」(1494)
Casa di Leonello Leoniにありました。


P2370941
ウゴリーノ・ディ・ジスベルト(トッレ・デッル・コッレ・ディ・ベヴァーニャ、1452-1512消息)に帰属する「聖母と天使たち」
オスペダーレ・ヴェッキオ・ディ・サン・ジョヴァンニ教会にありました。


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ウゴリーノ・ディ・ジスベルト(トッレ・デッル・コッレ・ディ・ベヴァーニャ、1452-1512消息)の「聖母子」(1491)
サンタ・カテリーナ教会にありました。


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次の展示コーナーです。


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逸名画家作「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」(15世紀後半)
サン・ドメニコ教会にありました。


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アッシェンシドーニオ・スパッカ通称イル・ファンティーノ(ベヴァーニャ、1557-1646)の「フォリーニョの風景」(16世紀末)


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何処かで見たことがあると直ぐに思いました。でも、本物がここにある筈がないので、コピー画であることは明白です。
エンリコ・バルトロメイ(フォリーニョ、1818-1901)の「ラファエッロ・サンツィオ作『フォリーニョの聖母』(1511)のコピー画」(1838)
本来であれば、ラファエッロ作の本物はこの美術館にあるべきでした。本物はヴァティカン絵画館にありますが、ナポレオンと教皇庁がグルになっての結果(私はそう思ってます)でしょう。


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ヴァティカン絵画館で展示されているラファエッロの「フォリーニョの聖母」


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ラファエッロ・サンツィオ(ウルビーノ、1483-ローマ、1520)の「フォリーニョの聖母」(1511)
この作品は、教皇ジュリオ2世の秘書シジスモンド・デ・コンティが注文し、完成するとローマのサンタ・マリア・イン・アラコエリ聖堂の主祭壇に置かれました。
1565年、シジスモンドの孫アンナ・コンティは、深く信心していたフォリーニョのサンタンナ修道院(修道女になっていました)に「フォリーニョの聖母」を寄贈することにしました。同作品は修道院の教会であるサンタンナ教会の祭壇を飾ることになりました。それに因んで作品は「フォリーニョの聖母」と称されるようになりました。
1797年、「フォリーニョの聖母」はイタリアに侵攻したナポレオン軍によってパリに持ち去られ、ルーブル美術館で展示されるようになりました。ナポレオンの没落後、フランスに強奪された作品の返還交渉が行われ、「フォリーニョの聖母」はイタリアに返却されることになりましたが、当時の教皇ピオ7世の強い要求によって、1816年にヴァティカンに移されることになりました。
脱線はこのぐらいにしてフォリーニョ市立美術館の展示作品に戻ります。


P2370953
次の展示コーナーです。


P2370955
フェリチャーノ・デ・ムーティ―(フォリーニョ、15世紀末-16世紀初頭活動)の「玉座の聖母子と聖フランチェスコと聖ジョヴァンニーノとパドヴァの聖アントニオ」(16世紀前半)
サンタンナ・デッレ・コンテッサ教会にありました。


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17世紀のウンブリアの逸名彫刻家作「2天使」


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ロ・スパーニャの追随者作「ご誕生」(16世紀初頭)
オスペダーレ・ヴェッキオ・ディ・サン・ジョヴァンニ教会にありました。


P2370962
ベルナルディーノ・メッツァストリス(フォリーニョ、15世紀末-16世紀初頭活動)に帰属する「聖アミーコ」(1508)
オスペダーレ・ヴェッキオ・ディ・サン・ジョヴァンニ教会にありました。


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ラッタンツィオ・ディ・ニッコロ・ディ・リベラトーレ(フォリーニョ、1480-1527活動記録)の「聖アゴスティーノ」(16世紀初頭)
サンタ・マルゲリータ修道院にありました。


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逸名画家作「グロテスク模様」(16世紀前半)


P2370978
逸名画家作「聖母子」(16世紀前半)


P2370981
ベルナルディーノ・ディ・マリオット・デッロ・スターニョ(ペルージャ、1478c-1566)の「玉座の聖母子と2天使」(16世紀中頃)
サンタ・ルチア教会にありました。


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逸名画家作「マギの礼拝」(16世紀中頃)


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ドーノ・ドーニ(アッシジ、1505-1575)の「天上のアレッサンドリアの聖カテリーナ、アレッサンドリアの聖カテリーナの殉教」
サンタ・カテリーナ教会にありました。


P2370990
逸名画家作「玉座の聖母子と聖ベルナルディーノと聖フランチェスコ」(16世紀前半)


P2370993
次の展示コーナーです。


P2370994
逸名画家作「寓意的帯状装飾」(16世紀後半)
Palazzo Iacobilli Carraraにありました。


P2370996


P2370997


P2380001
ウンブリアの木工職人作「物入れ付き長椅子」(16世紀末)


P2380002
ウンブリアの木工職人作「物入れ付き長椅子」(16世紀末)


P2380005
「式服を着た男像」(1世紀前半)
1618年にスペッロのカルツァ通りから発見された大理石彫刻です。
(つづく)

P2370819
絵画館に出ました。
フォリーニョ、フォリーニョ近くのコムーネの教会、修道院やパラッツォなどから集められた作品、および銀行などの法人や個人から貸し出された作品が展示されてます。


P2370821
おおっ、これがここにあるとは!! でも、どうして、ここにあるのだ、と思いながらトリッティコをじっくり観ました。ちょっと違います、修復直後のように色鮮やか過ぎで、しかも滑らかな筆使いとは少し違うようです。
説明プレートを見て詳しいことが分かりました。種明かしをすれば、本物のコピー画ですが、その出来は非常に良いと思いました。
カルミネ・パルミエーリ(レッチェ、1871-1940)の「ニッコロ・ディ・リベラトーレ通称ラルンノ別称ニッコロ・アルンノ(フォリーニョ、1454-1502消息)の『カメリーノのトリッティコ』(1480)のコピー画」(1932)
カルミネ・パルミエーリは、ラッファエーレ・マッカニャーニに師事しましたが、次第に宗教画に傾倒して、古典的な宗教画を得意にした画家です。第259代教皇ピオ11世(教皇在位:1922-1939)に気に入られ、ピオ11世の肖像画を数多く制作すると共に、同教皇からの注文に応じて祭壇画などを制作しました。
ニッコロ・アルンノの「カメリーノの祭壇画」はヴァティカン絵画館にありますが、フォリーニョ市立美術館にあるコピー画もピオ11世がカルミネ・パルミエーリに注文して制作されたのです。しかし、そのコピー画がどうしてここにあるかについては、明らかになっていませんが、ルネサンスのフォリーニョ出身の画家による作品ということで、フォリーニョの人々にニッコロ・アルンノの傑作を見せて上げたいとの教皇の思し召しのような気がします。
では、コピー画の各場面を見ておきましょう。


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クスピデのキリストの復活


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天使たち


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中央の磔刑


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左パネル


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聖ヴェルナンツィオ、聖ピエトロ


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右上


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聖ジョヴァンニ・バッティスタ、聖ポルフィリオ
写真での比較は非常に難しいと思いますが、ご参考までにヴァティカン絵画館で展示されているニッコロ・アルンノの本物の写真を載せておきましょう。


P2130950
ニッコロ・ディ・リベラトーレ通称ラルンノ別称ニッコロ・アルンノ(フォリーニョ、1454-1502消息)の「カメリーノのトリッティコ」(1480)(ローマ、ヴァティカン絵画館蔵)


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中央パネルの磔刑(本物の写真)


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向かって左の聖ヴェルナンツィオ、聖ピエトロ(本物の写真)


P2130944
向かって右の聖ジョヴァンニ・バッティスタ、聖ポルフィリオ(本物の写真)
違いがお分かりになりましたか?


P2370840
逸名画家作「聖ロッコと注文者」(1497)


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ニッコロ・ディ・リベラトーレ通称ラルンノ別称ニッコロ・アルンノ(フォリーニョ、1454-1502消息)とラッタンツィオ・ディ・ニッコロ・ディ・リベラトーレ(フォリーニョ、1474-1527記録)の「幼きキリストを崇拝する聖母」(15世紀)
ラッタンツィオは、ニッコロ・アルンノの息子です。
フォリーニョ貯蓄銀行所有作品の寄託展示です。
ガラス保護板があるので、写真がうまく写りません。


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ラッタンツィオ・ディ・ニッコロ・ディ・リベラトーレ(フォリーニョ、1474-1527記録)の「大天使聖ミケーレ」(15世紀末)
ヌンツィアテッラ祈祷所にありました。


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ニッコロ・ディ・リベラトーレ通称ラルンノ別称ニッコロ・アルンノ(フォリーニョ、1454-1502消息)とラッタンツィオ・ディ・ニッコロ・ディ・リベラトーレ(フォリーニョ、1474-1527記録)の「預言者たち」(1491)
トーディのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会にありました。
各場面を左から見ておきましょう。


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プット


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預言者たち


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Trigramma col nome di Cristo


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預言者たち


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プット


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ニッコロ・ディ・リベラトーレ通称ラルンノ別称ニッコロ・アルンノ(フォリーニョ、1454-1502消息)の「Stendardo(旗)」
ステンダルドは表裏両面に描かれていますが、裏面が見えないようになっていました。
フォリーニョ貯蓄銀行所有作品の寄託展示です。


P2100362
ガラスの保護板があるので、写真が良く写りません。


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ニッコロ・ディ・リベラトーレ通称ラルンノ別称ニッコロ・アルンノ(フォリーニョ、1454-1502消息)の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」(15世紀末)
サンタ・ルチア修道院にありました。


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ニッコロ・ディ・リベラトーレ通称ラルンノ別称ニッコロ・アルンノ(フォリーニョ、1454-1502消息)の「ピエタのキリストと2天使」(15世紀)
フォリーニョ貯蓄銀行所有作品の寄託展示


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ニッコロ・ディ・リベラトーレ通称ラルンノ別称ニッコロ・アルンノ(フォリーニョ、1454-1502消息)の「受胎告知」(15世紀)
個人蔵作品の寄託展示です。


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逸名画家作「聖母子」(15世紀後半)
マドンナ・デル・サッソ教会にありました。


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ピエル・アントニオ・メッツァストリス(フォリーニョ、1457-1506消息)の「玉座の聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖フランチェスコ」(1499)
サン・フランチェスコ修道院にありました。


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ベノッツォ・ゴッツォーリ(フィレンツェ、1421c-ピストイア、1497)に帰属する「受胎告知する大天使ラッファエーレ」(15世紀後半)
サン・ドメニコ教会にありました。


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逸名画家作「聖マルティーノ?」(15世紀)


P2370887
次の展示コーナーです。


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ピエル・アントニオ・メッツァストリス(フォリーニョ、1457-1506消息)の「聖母子と聖人たち(左からベアート・ピエトロ・クリスチ、聖ジローラモ枢機卿、アレッサンドリアの聖カテリーナ、聖ビアージョ、悔悛の聖ジローラモ、聖ボナヴェントゥーラ、聖セバスティアーノ)」(15世紀後半)
サン・フランチェスコ修道院にありました。


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ヨハン・ネポムク・デッラ・クローチェ(イタリア、ラヴィ―ス、1736-オーストリア、リンツ、1819)の「フランチェスコ・チェッカレッリの肖像」(18世紀)
フォリーニョのロータリークラブ所有作品の寄託展示です。
フランチェスコ・チェッカレッリ(フォリーニョ、1752-ドレスデン、1814)は、当時最も有名で有能なカストラート・ソプラノ歌手です。主にドイツ語オペラ、コンサートアリアで活躍しました。
去勢して声変わりを防いでソプラノの音域を維持させたのです。しかし、去勢しても普通の男性のように体が成長するので、女性ソプラノよりも声量、声音が断然上となるそうです。
主に15世紀の作品が展示されている、この場所にこの肖像画が展示されている理由がよく分かりません。


P2370895
次の展示コーナーです。


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逸名画家作「ピエタのキリスト」(15世紀末)
オスペダーレ・ヴェッキオ・ディ・サン・ジョヴァンニ教会にありました。


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逸名画家作「ピエタのキリスト」(15世紀末)
Palazzo Monadi Barnaboのありました。


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ピエル・アントニオ・メッツァストリス(フォリーニョ、1457-1506消息)の「聖ジローラモ枢機卿、悔悛の聖ジローラモ」(15世紀後半)
オスペダーレ・ヴェッキオ・ディ・サン・ジョヴァンニ教会にありました。


P2370906
ピエル・アントニオ・メッツァストリス(フォリーニョ、1457-1506消息)の「磔刑と聖ピエトロと聖パオロ」(15世紀後半)
サン・ドメニコ教会にありました。
キリストの磔刑に立ち会った聖人は、聖母、マグダラのマリア(キリストの妻?)、聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ(キリストの男色の相手?)の3人とされてます。


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ピエル・アントニオ・メッツァストリス(フォリーニョ、1457-1506消息)の「玉座の聖母子と聖シメオーネ」(15世紀後半)
サン・フランチェスコ教会にありました。


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ピエル・アントニオ・メッツァストリス(フォリーニョ、1457-1506消息)の「玉座の聖母子と天使たちと聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖ドメニコ」(15世紀後半)
サン・ドメニコ教会にありました。


P2370914
ピエル・アントニオ・メッツァストリス(フォリーニョ、1457-1506消息)の「天使によって戴冠される聖母」(1486)
オスペダーレ・ヴェッキオ・ディ・サン・ジョヴァンニ教会にありました。


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バルトロメオ・ディ・トンマーゾ(フォリーニョ、1425から記録-ローマ、1454没)の「聖バルナバの殉教、ロレートの聖母、フランチェスコ会聖人と信者たち」(15世紀)
サンタ・カテリーナ修道院にありました。
(つづく)

P2370788
次の部屋です。


P2370789
別名「教皇の間」と呼ばれてます。


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1439年、トリンチ家が追放され、フォリーニョは教皇領となりましたが、教皇がフォリーニョに来る際、この部屋が居室として用意されました。


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教皇の間の壁にフレスコ画あります。


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時期は不明ですが、修復の際、フレスコ画の上に漆喰が塗られてしまいました。最近行われた修復の際に、フレスコ画が発見されたそうです。


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フレスコ画のテーマは、架空の話の寓意画のようです。


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アッシジの画家ドーノ・ドーニ(アッシジ、1500c-1575)の帰属作品とされており、16世紀前半に制作されました。


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ボロンズィーノの寓意画の影響を受けているとされてます。


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展示物がありません。


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次の部屋です。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・マイーニ(カッサーノ・マニョーゴ、1690-ローマ、1752)の「聖フェリチャーノ」(1733)
聖フェリチャーノはフォリーニョの守護聖人です。


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詳細不明


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展示物を入れるためのもの?


P2370802
これも展示物用?


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何の目的なのか、サッパリ分からない。


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次の部屋です。


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説明板などがありません。


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目的など意味不明の部屋が多いようです。


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次の部屋です。


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聖職者の法衣


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順路に従って進みます。


P2370811
次の部屋です。


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19世紀の計量器
塩などの量り売りに使用されていました。


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フォリーニョの紋章入りの絵皿


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フォリーニョの画家ニッコロ・ディ・リベラトーレ通称ラルンノの顔が描かれた絵皿


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詳細不知


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制作者情報不知の「ジョヴァンニ・アントニオ・ジーリの肖像」(1588)


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廊下です。


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この先に2つの扉があります。


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P2100328
ミラノ・スカラ座の部屋に戻ってしまいました。
廊下にもう一つ扉があります。


P2100335
もう一つの扉から中に入ると、中は絵画館でした。
(つづく)

P2370727
再びロッジャに戻りました。


P2370729
ロッジャを経由して礼拝堂に進みます。


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ロッジャから礼拝堂への入り口扉上ルネッタにフレスコ画があります。


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これです。「聖母子と2聖人」の詳細が分かりません。礼拝堂のフレスコ画と同じオッタヴィオ・ネッリの作品でしょうか?


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礼拝堂に入りました。


P2370731
礼拝堂のフレスコ画も必見です。


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礼拝堂の名前は特に付けられていないようです。


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最近行われた修復によって色鮮やかに蘇りました。


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トリンチ家最後のフォリーニョ卿コッラード3世・トリンチ(フォリーニョ、?-?、1441)の指示によって、グッビオ出身の画家オッタヴィアーノ・ネッリ(グッビオ、1375-1444)が1424年に制作したフレスコ画によって礼拝堂の壁が覆われてます。
コッラード3世は、1421年からフォリーニョを支配していましたが、1439年に教皇勢力によってフォリーニョから追放されました。1439年からフォリーニョは教皇庁から派遣された総督支配の街になりました。


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礼拝堂のフレスコ画は、シエナ派の影響を受けたオッタヴィアーノ・ネッリの国際ゴシック様式の完成を示す傑作とされてます。
フレスコ画のテーマは、「聖母の物語」となってますが、主題と無関係の場面が幾つか描かれてます。
各場面を見て行きます。


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礼拝堂祭壇の後方壁から見て行きます。


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聖母の神殿奉献


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博士たちとの問答


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割礼


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キリストの誕生


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マギの礼拝


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左から聖アントニオ・アバーテ、聖ドメニコ、聖ジョヴァンニ・バッティスタ


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磔刑


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聖痕を受ける聖フランチェスコ
写真右下にロッジャのフレスコ画が写ってます。


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次の壁です。


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受胎告知


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聖母の死


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聖母被昇天


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聖母の誕生


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次の壁です。


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金門での聖ジョアッキーノと聖アンナの邂逅


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聖ジョアッキーノと聖アンナの結婚


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P2100538
聖母からの使徒送別


P2100539
聖母の死
聖母の死が2場面あるのは珍しいと思います。


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次の壁です。


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聖母の教育


P2100545
キリストの神殿奉献


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聖母に死のお告げをする大天使ミケーレ


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天使からのお告げ


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天井


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次の部屋です。


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バッカス


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制作者情報不詳です。


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貴族
(つづく)

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次は廊下、橋です。


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この場所は、トリンチ宮殿とドゥオーモを結ぶ「吊り橋」です。


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壁にフレスコ画が描かれてますが、構造が複雑です。
先ず、1406年から1407年にかけて、ジョヴァンニ・ディ・コッラドゥッチョ通称マッツァフォルテ(フォリーニョ、1404c-1437活動記録)によって単色のフレスコ画が描かれました。
その上に、ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ(ファブリアーノ、1370c-ローマ、1427)と弟子や協力者によって、11人の英雄が1411年から1412年に描かれました。


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色が付いている上のフレスコ画が落剝して、下の単色フレスコ画が見えてます。


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色が付いている部分がジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ(ファブリアーノ、1370c-ローマ、1427)と弟子、協力者によって1411年から1412年にかけて制作されたものです。
色が付いているフレスコ画が落剝して、その下に描かれた単色フレスコ画が見えてますが、その部分はジョヴァンニ・ディ・コッラドゥッチョ・ディ・ガラッゾ通称マッツァフォルテ(フォリーニョ、1404-1450生存確認)によって、1406年から1407年にかけて制作されたものです。


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ロムルス


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Sette eta dell'uomo : Vecciaia e Decrepitezza


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ドゥオーモへの扉に向けて進みます。


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描かれている英雄とは、ヨシュア、ダヴィデ、ユダ・マカバイ、アーサー王、シャルマーニュ、ユリウス・カエサル、アレキサンダー大王、ロムルス、スキピオ・アフリカヌス(ハンニバルをザマの戦いで破りポエニ戦争を終結させたローマ軍将軍)、ゴドフロワ・ド・ブイヨン(第1回十字軍の指導者)、カール大帝の11人です。


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落剝してシノピエが見えてます。


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ドゥオーモの扉は施錠されていて、ここで行き止まりとなってます。


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もう一度じっくり見ることにしました。


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スキピオ・アフリカヌス


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「吊り橋」から市庁舎と共和国広場が見えます。


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ヨシュア


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ダヴィデ


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ゴドフロワ・ド・ブイヨン


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詳細不知


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詳細不知


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アーサー王


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シャルマーニュ


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ロッジャに戻ります。


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ロッジャに戻りました。ロッジャを経由して彫刻がある部屋に向かいます。


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彫刻が展示されている部屋に進みます。


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アモールとプシケの浮彫(1-2世紀)


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Filippo Juniorの彫像(3世紀前半)


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若者の頭像(2世紀)


P2100212
若者の頭像(2世紀中頃)


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ハドリアヌス帝の頭像(2世紀初頭)


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男の頭像(紀元前1世紀末)


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ゼウス?の頭像(紀元前1世紀末)


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ゼウスの頭像(2世紀)


P2100222
(つづく)

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次の部屋です。


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フォリーニョに来たら、この部屋のフレスコ画は必見です。


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Sala delle Arte Liberali e dei Pianeti、教養と惑星の間です。


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「フォリーニョ市立美術館 (その3)」で触れましたが、15世紀初めにフォリーニョを支配していたトリンチ家当主ウゴリーノ3世・トリンチ(フォリーニョ、?-1425)の招聘を受けたジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ(ファブリアーノ、1370c-ローマ、1427)によって制作されたフレスコ画です。
ジェンティーレだけではなく、ヤコポ・ベッリーニを含む弟子や協力者によって制作されました。


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1411年8月27日、制作報酬として225フィレンツェ・フロリン(フィレンツェ金貨)(3000万円くらい?)が支払われた記録が残されているので、1411年に制作されたと断定されてます。


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主題に対して多分に寓意的に描かれてます。


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正面左から天文学、哲学、芸術の女王


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左から音楽、論理、文法


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音楽、論理


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文法


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月とDecrepitezza(老朽化と訳す?)と火星


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弟子や協力者として、名前が分かっているのはヤコポ・ベッリーニの他にパオロ・ノッキ・ダ・フォリーニョ、フランチェスコ・ジャンボノ・ダ・ボローニャ、べッティスタ・ディ・ドメニコ・ダ・フォリーニョの3人となってます。3人について、私は全く知りません。


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Infanzia (児童? 児童に見えないのですが・・・・・)


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左から算術、修辞


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丸く描かれているのが惑星です。


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場面によって制作者の技量がかなり違うことが分かります。


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落剝が多い部分


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太陽と4頭立て馬車


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アーチに描かれたフレスコ画を見ながらロッジャに入ります。


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ロッジャです。


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ロッジャの壁にローマ建国の歴史が描かれてます。


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制作者は、ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノとその弟子、協力者です。


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これを見れば、各場面の意味が分かります。


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大部分が落剝している壁


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(つづく)

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中2階(日本でいうところの)に進みます。


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事務室でしょうか?


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中2階ニッチのフレスコ画「聖母子?」


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階段上の天井


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2階(日本でいうところの)へと進みます。


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2階の最初の展示室です。


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現代彫刻が展示されてます。


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この辺の展示は趣味ではないので、直ぐに退散したいところです。


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しかし、部屋の壁に描かれたフレスコ画が見逃せないので、暫し部屋に留まりました。


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フレスコ画の制作者や制作された時期等の詳細が私には分かりません。


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次の部屋です。


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ミラノ・スカラ座関係の展示です。
ミラノ・スカラ座とフォリーニョは無関係に思えるかも知れませんが、フォリーニョの建築家の設計によってスカラ座が建設されたのです。


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スカラ座の模型


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フォリーニョ出身の建築家ジュゼッペ・ピエルマリーニ(フォリーニョ、1734-1808)の設計によってミラノ・スカラ座が建設されました。


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スカラ座内部の模型


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ジュゼッペ・ピエルマリーニの胸像(制作者情報不知)


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次の部屋です。


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剥離フレスコ画が展示されてます。


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ジョヴァンニ・ディ・コッラドゥッチョ・ディ・ガラッゾ通称マッツァフォルテ(フォリーニョ、1404-1450消息)の「磔刑」(1428c)
サン・ジョヴァンニ・デリ・インピッカーティ教会にありました。


P2370613
ジョヴァンニ・ディ・コッラドゥッチョ・ディ・ガラッゾ通称マッツァフォルテ(フォリーニョ、1404-1450消息)の「慈悲の聖母」(1428c)
サン・ジョヴァンニ・デリ・インピッカーティ教会にありました。


P2370617
ジョヴァンニ・ディ・コッラドゥッチョ・ディ・ガラッゾ通称マッツァフォルテ(フォリーニョ、1404-1450消息)の「カルヴァリオへの上り」
サン・ジョヴァンニ・デリ・インピッカーティ教会にありました。


P2370620
ジョヴァンニ・バッティスタ・ディ・ドメニコ・デ・リーゼ(フォリーニョ、1463記録)に帰属する「聖ベネデットの物語の1エピソード」(15世紀前半)
サン・クラウディオ教会にありました。


P2370623
ジョヴァンニ・ディ・コッラドゥッチョ・ディ・ガラッゾ通称マッツァフォルテ(フォリーニョ、1404-1450消息)の「授乳の聖母」(15世紀前半)
サン・クラウディオ教会にありました。


P2370626
ジョヴァンニ・ディ・コッラドゥッチョ・ディ・ガラッゾ通称マッツァフォルテ(フォリーニョ、1404-1450消息)の「玉座の聖母子」(15世紀前半)
サン・クラウディオ教会にありました。


P2370628
アンドレア・カーニョ(フォリーニョ、1446記録)に帰属する「受胎告知」(15世紀初頭)
Casa Nocchiにありました。


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逸名画家作「アレッサンドリアの聖カテリーナ」(14世紀前半)


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次の部屋です。
この部屋から数室のフレスコ画がフォリーニョ美術における最大の見所です。


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フレスコ画が描かれてます。


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Sala degli Imperatori (皇帝の間)と呼ばれてます。


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Sala degli Giganti (巨人の間)とも呼ばれてます。


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15世紀初頭のフォリーニョを支配していたトリンチ家当主ウゴリーノ3世・トリンチ(フォリーニョ、?-1415)は、ローマ時代からトリンチ家の支配継続を祝福するためにトリンチ宮をフレスコによる装飾を考え、ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ(ファブリアーノ、1370c-ローマ、1427)にフレスコ制作を依頼しました。ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノは、その招聘に応じ、1411年から1412年にフォリーニョに滞在して、弟子と協力者と共にトリンチ宮装飾に従事しました。
そうして装飾された部屋の一つがこの部屋で、フレスコ画は1411年に制作されました。
ジェンティーレの下で制作に従事した画家として、弟子の若きヤコポ・ベッリーニ(ヴェネツィア、1396-1470?)(ジェンティーレ・ベッリーニとジョヴァンニ・ベッリーニの父です)、フォリーニョの画家パオロ・ノッキ、ボローニャ出身の画家フランチェスコ・ジャンボノ、フォリーニョの画家バッティスタ・ディ・ドメニコがいました。


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教皇シスト4世の紋章です。
1411年に制作された当時、この場所には、トリンチ家とウゴリーノ3世・トリンチの紋章がありましたが、1439年にトリンチ家がフォリーニョから追放され、トリンチ宮は教皇総督に使用されることになったので、1477年に教皇シスト4世の紋章に差し替えられました。


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18人のローマ皇帝などが描かれましたが、残されているのは15人で、3人が落剝して失われています。


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天井


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現存する15人を紹介しておきましょう。
左から右へ、オッタビアーノ・アウグスト(アウグストゥス)、ティベリオ(ティベリウス)、カミッロ


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左からファブリツィオ、マニオ・キュリオ・デンタート、ティート・マンリオ・トルクゥアート


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左からチンチッナート、マルオ・クラウディオ・マルチェッロ


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左からアフリカのシピオーネ(スキーピオ)、ムーツィオ・スチュヴォーラ


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左からカト―ネ(カト―)・ウティチェンセ、カイオ(ガイウス)・マリオ


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左からカイオ(ガイウス)・マリオ、プブリオ・デーチョ(パブリウス・デシウス)、クラウディオ・ネローネ、ファビオ・マッシモ
カリグラ、ポンぺウス、トライアヌスは失われてありません。


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もう一度見ました。


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ローマ時代の彫刻が置かれてます。


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(つづく)

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ここから絵画館の展示になりますが、順路に従って進むと絵画から外れてしまうのは何故でしょうか。展示室番号表示がないので、ブログで紹介するのが大変ですが、兎に角順路通りに進めることにします。


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逸名画家作「天使によって戴冠される聖母」(14世紀前半)
サン・ジョヴァンニ・デリ・インピッカーティ教会にありました。


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逸名画家作「聖アントニオ・アバーテ」(15世紀前半)
サン・ドメニコ教会にありました。


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逸名画家作「磔刑」(15世紀初頭)


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Maestro dell'abside destro di San Francesco a Montefalcoに帰属する「真十字架の検証」(14世紀末)
サンタントニオ修道院のサンタグネス教会にありました。


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次の部屋です。


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逸名画家作「三位一体と聖パオロと聖ステファノと2天使と寄進者」(14世紀末)
サン・クラウディオ教会にありました。


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逸名画家作「ピエタのキリスト、アレッサンドリアの聖カテリーナ」(14世紀末)
サン・クラウディオ教会にありました。


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逸名画家作「アレッサンドリアの聖カテリーナ」(14世紀末)
サン・クラウディオ教会にありました。


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逸名画家作「アンティオキアの聖マルゲリータ、聖女、聖エレーナ、聖ジローラモ」(14世紀末)
サン・クラウディオ教会にありました。


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次の部屋です。


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この部屋でも剥離フレスコ画展示されてます。


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木組みの天井


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Maestro dell'abside destro di San Francesco a Montefalcoの「園のキリスト」(14世紀)
サンタントニオ修道院のサンタグネス教会にありました。


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Maestro dell'abside destro di San Francesco a Montefalcoに帰属する「キリストの逮捕」(14世紀末)
サンタントニオ修道院のサンタグネス教会にありました。


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Maestro dell'abside destro di San Francesco a Montefalcoに帰属する「カルヴァリオへの上り」(14世紀末)
サンタントニオ修道院のサンタグネス教会にありました。


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Maestro dell'abside destro di San Francesco a Montefalcoに帰属する「磔刑」(14世紀末)
サンタントニオ修道院のサンタグネス教会にありました。


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次の部屋です。


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ここも剥離フレスコの展示です。


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Maestro dell'abside destro di San Francesco a Montefalcoの「十字架降下」(14世紀末)
サンタントニオ修道院のサンタググネス教会にありました。


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Maestro dell'abside destro di San Francesco a Montefalcoに帰属する「キリストの復活」(14世紀末)
サンタントニオ修道院のサンタグネス教会にありました。


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Maestro dell'abside destro di San Francesco a Montefalcoの「マルタの家のキリスト、マリア」(15世紀)
サンタ・エリザベッタ修道院にありました。


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下の方に進みます。


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グランデ広場(共和国広場)の人々の服装が示されてます。


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ジョストラの部屋


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次の部屋です。


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部屋のフレスコ(詳細不知)


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(つづく)

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共和国広場の突き当りにトリンチ宮があります。


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新古典様式のファサードのトリンチ宮です。


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フォリーニョの裕福な商人ジョヴァンニ・ディ・チェッカレッロによって建設された塔のある家です。
14世紀頃のフォリーニョは、グエルフィの頭領トリンチ家の支配下にありましたが、14世紀末に、そのトリンチ家が塔のある家を買い取り、それを組み込んだ一つの複合建物が1389年から1407年にかけて建設されましたが、それがトリンチ宮です。


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トリンチ宮にフォリーニョ市立美術館があります。


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1439年、トリンチ家がフォリーニョから追放され、トリンチ宮は教皇から派遣された総督邸として使用されるようになりました。


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19世紀になるとトリンチ宮の古いファサードに代わって、市庁舎の外観に合わせて新古典様式のファサードに改装されることになり、1842年から1847年にかけて改装工事が行われました。


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1870年にフォリーニョ市立美術館が設立されましたが、その当時は別の建物にありました。1935年、市立美術館はトリンチ宮に移転、現在に至ってます。


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中々の展示を誇る美術館です。


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扉が開きました。


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美術館は幾つかの部門に分けられてます。


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中庭に出ます。


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中庭に面した建物は15世紀に建設されました。


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1944年、第二次世界大戦でドイツ軍の爆弾が中庭に命中して破壊されてしまいました。現在の中庭は1949年に再建修復されたものです。


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中庭から美術館の入り口への階段があります。


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1935年、市立美術館がトリンチ宮に移転した時には、この階段がなく、美術館への入館には遠回りを余儀なくされていました。その不便を解消するために建築家チェーザレ・バッザーニ(ローマ、1873-1939)の設計によって、1937年に階段が追加されました。


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柱廊に遺跡からの発掘物などが置かれてます。


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柱廊の壁の紋章


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柱廊に置かれた展示物を見ます。


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展示物というよりも柱廊が単に置く場所になっている感じが無きにしも非ず。


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説明板がありません。


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発掘物の一時保管場所?


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見るべき価値なしでしょうか?


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階段を上って美術館に向かいます。


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館内に入ります。


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考古学部門から見ました。


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考古学部門は何処の博物館でもほぼ同じ展示です。


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展示物よりも部屋の壁に描かれたフレスコ画に興味があります。


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フレスコ装飾についての説明が一切ありません。


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古文書の展示です。


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この部分のフレスコ装飾も詳細不明です。


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トリンチ宮外壁のフレスコ装飾


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15世紀初め頃のトリンチ宮


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(つづく)

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次はサンタ・カテリーナ教会です。


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突き当りにサンタ・カテリーナ教会のファサードがあります。


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1225年に建設されたゴシック様式のサンタ・カテリーナ教会修道院でした。


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オリジナルではなく、後世に修復された柱頭でしょう。


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教会、修道院ともに機能を停止しました。
修道院だった建物は一部取り壊されて小学校の校舎に転用されてます。


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写真左は旧修道院です。


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中のフレスコ画は剥離されて、トリンチ宮の市立美術館で展示されてます。


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サンタ・カテリーナ通りです。


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夏至の強烈な日差しを避けて、日影が多い道を選んで街歩きしましたが、少し道幅が広い道に出ると日陰が少なく困りました。


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Vicolo del Tredici


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Via Ponte del Campo


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ジョストラの決起集会でもあると思ってましたが、昼過ぎは静かなものでした。


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ジョストラの地域分けが載っている案内板がありました。


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成程、この道路が地域の境界になってます。


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Via del Giglioは日陰なので、日差しと暑さから一息付けました。
フォリーニョに行ったことがなく、フォリーニョにご興味がない方は、通り名を記されて意味があるかと、お思いになることでしょう。
正確さを期したい性格なので、この辺は徹底させずにはいられないのです。


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16世紀に建設されたPalazzo Sbrozziです。


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Palazzo Sbrozziの入り口です。


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ベネデット・カイローリ通りです。


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水飲み場があります。


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公共用と判断して水をごちそうになりました。


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水色の建物は16世紀に建設され、18世紀に現在の姿に改修されたPalazzo Bernabei- Jacobilliです。


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建物の装飾を見ました。


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個人蔵の建物です。


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装飾の維持管理が大変でしょうね。


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出入り口


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Palazzo Bernabei- Jacobilliの建設された経緯を調べましたが分かりません。


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サン・フランチェスコ広場にやってきました。


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サン・フランチェスコ修道院だった建物は改造されてます。


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サン・フランチェスコ広場に面して建つ、17世紀から18世紀にかけて建設されたPalazzo Lezi- Marchettiです。


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Rione Cassero


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サン・フランチェスコ教会です。


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以前と比較すると少し色褪せた気がするフレスコ画です。


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サン・フランチェスコ教会の隣にあるマドンナ・デル・ゴンファローネ祈祷所の扉が開いていました。


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中に入ろうとすると足場が組まれていて工事中でした。地震の影響でしょうか?


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サン・フランチェスコ広場を後にします。


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Via Antonio Rutili


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2つの建物の補強?


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Via Morlupoにあります。


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Via Antonio Rutiliを進みます。


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突き当りでVia del Gonfaloneに出ます。


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Via Cesare Agostini


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2つの建物を結ぶ連絡橋の下を潜ります。


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(つづく)

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ざっと見た感じでは、地震によって倒壊した建物は皆無のようでした。


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Via Maurizio Quadrioの建物も無事でした。
フォリーニョがほぼ大丈夫だったので、ノルチャ、アマトリーチェに行ったのですが、判断の間違いでした。


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それでも修復工事を請けた建物が幾つかあることが分かりました。


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この建物にタベルナコロがあったと記憶してますが、見当たらず。


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Via Gramsciを進みます。


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Rione Spada


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Rione Ammanniti


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Via Gramsciが地区の境界となってます。


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14世紀に建設されたPalazzo Piermariniです。19世紀に現在の姿に改修されました。


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古そうな壁塀ですが、特に名前がないようです。


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紀元前1世紀の霊廟が組み込まれたCasa Medievaleです。


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17世紀に建設されたPalazzo Vitelleschiです。


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地震で被害を受けた建物は15世紀以前に建設されたもの?


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壁にフレスコ画がある建物です。


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詳細不明の「聖母?」


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Via Gramsciの突き当りは旧サン・ドメニコ修道院です。


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地震によるフォリーニョの主な被害は古い教会の建物に留まった?様に思えます。


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18世紀に建設されたPalazzo Brunetti- Candiottiです。


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このPalazzo Brunetti- Candiottiにジョストラの本部が置かれてます。


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係員全員が出払っているのか、ジョストラ当日にも拘らず本部には誰もいないようでした。


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旧サン・ドメニコ教会修道院です。


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現在は展示会場等に使用されてますが、この日の催事開催はありませんでした。


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磔刑のタベルナコロ


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ファサードがあるサン・ドメニコ広場の方に向かいます。


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Rione Mora


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写真左はPalazzo Frezziです。


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サン・ドメニコ広場です。


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昼過ぎなので、サンタ・マリア・インフラポルタス聖堂の扉が閉まっていたのは当然ですが、この時の旅で数回ここに来たものの何時も扉が閉まっていました。恐らく内部で修復工事が行われていたのでしょう。


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外観上では問題無さそうでした。


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旧サン・ドメニコ教会です。


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広場の建物も外見上は問題無さそうです。


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14世紀に建設されたCasa degli Attiです。


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Palazzo Passeriは16世紀から17世紀にかけて建設されました。


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サン・ドメニコ広場を後にします。


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お祭りの行進曲が何時しか聞こえなくなり静かになりました。


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Via Cortellaを進みます。


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お祭り当日でも昼休みは欠かせないようで人通りが途絶えました。


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これは何でしょうか?


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目的や意味があると思いますが、全く分かりません。


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この通りだけで他の通りでは見なかったような気がします。


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建物の下のアーチを潜ってきましたが、振り返ってアーチのある建物を撮ったところです。


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この辺は城壁内の南東方向に当たります。


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(つづく)

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時が移ろい、前回の旅から1年後の夏でした。


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前泊地はペルージャでした。


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この日は、フォリーニョの夏まつりジョストラが行われる日でした。


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1年前のフォリーニョは肌寒い上に悪天でしたが、その時とは雲泥の差の気候でした。


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シロッコの影響で、連日、乾燥した晴天続きでした。毎日の天気予報は、気温40度を超えるか、越えないかでもちきりでした。
私の体験では、イタリアは6月が最も暑いと思います。


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Via Niccolo Alunnoにフォリーニョの画家ニッコロ・アルンノ(フォリーニョ、1430c-1502)の家があったとされてます。


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Via Butaroni


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サンタ・マリア・デッラ・スッフラージョ教会が閉まっていましたが、閉まっていたのは地震とは関係なさそうです。
この時の旅の主目的は、2016年8月24日、2016年10月26日、2016年10月30日、2017年1月18日に起きた地震による教会や美術館への影響が心配だったので、それを自分の目で確認することでした。
結論を言えば、フォリーニョは大丈夫でしたが、フォリーニョの後に行ったノルチャ、アマトリーチェの被害は甚大で、観光気分で行ったことを恥じ入りました。


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ペルジーノのフレスコ画があるOratorio della Nunziatellaも扉が閉まっていました。


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お祭りの行進曲が聞こえてきたので、この日がジョストラ当日であることが分かりました。夏至前後の週末は、何処のコムーネに行ってもお祭りです。


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ガリバルディ通りです。


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地震後、閉鎖が続いていると聞いていたドゥオーモが気になるので、先ずドゥオーモに向かいました。


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遠目でドゥオーモの建物は大丈夫のように見えました。


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外壁は問題無さそうです。修復工事が未着手に見えました。しかし、その隣のPalazzo delle Canonicheの扉が閉まっていたので、立ち入りが禁止されていたようです。


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共和国広場側のPalazzo delle Canonicheは問題無さそうです。


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市庁舎は大丈夫でした。


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行進曲が徐々に大きく聞こえるようになりました。


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何をやっているのか、サッパリ分かりませんでしたが、兎に角暫く見ることにしました。


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共和国広場に舞台が設営されています。


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行進の一行が広場にやってきました。


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演奏しているのは大人だけでした。


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行進に加わっているのは子供とその親でした。


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フォリーニョのジョストラについては全く知りません。


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イタリアで象で思い浮かぶのはハンニバルくらいです。


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Quintaraは槍突きの意味ですが・・・・・


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舞台で何やら始まりました。


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舞台で気勢を上げました。


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舞台で気勢を上げると、行進が始まり広場から出て行きました。


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別の方角から行進曲が聞こえてきました。ジョストラの他の地区が広場に来るようです。


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サイド・ファサードの右扉と左扉が何時もと違っていました。地震の影響でしょうか?
ジョストラを見に来た訳ではないので、共和国広場を後にしました。


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トリンチ宮が地震の影響がなかったようです。


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Via Gramsciの、板で入り口が塞がれた建物は地震の被害を受けたからでしょう。


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旧サンタポッリナーレ教会前のPiazza Don Minzoniです。


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お腹が空いたので、広場横のトラットリアで昼食を食べることにしました。


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外に席で食べるのが好きなイタリア人ですが、流石に気温40度では外で食べている人がいませんでした。


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食後、歩き回る予定だったのでビールで我慢しました。


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外に出ました。
(つづく)

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次はサンタ・マルゲリータ教会です。多分開いていないと思いましたが、一応行ってみることにしました。


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サンタ・マルゲリータ通りに入ると直ぐに教会が見えてきます。


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モリーニ運河に架かる橋横にサン・ジュゼッペ祈祷所、別名トリニータ祈祷所がありましたが、16世紀に現在地(モリーニ運河に近く)に移転して改めて教会の建物が建てられ、その際、聖マルゲリータに捧げられるようになりました。


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サンタ・マルゲリータ通りの道幅が狭いので、ファサード全体の写真がうまく撮れません。


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現在の姿は、1722年から1733年にかけて行われた改修工事後のものです。


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1997年の地震によって大きな被害を受け、大修復工事が完了するまで教会活動が休止されていました。


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サンタ・マルゲリータ通りを少し進んでモリーニ運河に出ます。


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モリーニ運河です。


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標識に従って運河のポルティコに行きます。


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Portico della Conce


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柱廊を潜り、向こう側に出た所で振り返って撮った写真です。柱廊の先にサンタ・マルゲリータ教会が写ってます。


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サンタ・マルゲリータ教会です。


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柱廊の周囲には古い建物が建ち並んでます。


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聖母子のタベルナコロ


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市立美術館の開館時間間近になりました。


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ベナドゥッチ通りです。


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グラーノ広場を経由して美術館があるトリンチ宮に向かいました。


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グラーノ広場を通り過ぎました。


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直ぐにドン・ミンツォーニ広場に出ました。
1148年に遡る旧サンタポッリナーレ教会前には狭い土地があるだけで密集した住宅地となっていましたが、第二次世界大戦の爆撃によって住宅が倒壊消失してしまいました。
戦後、戦争を忘れないための平和の広場として、この広場が出来ると共に、広場に平和のための亀のモニュメントが作られたのです。


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イヴァン・シーマー(Ivan Theimer)(チェコ、1944-生存中)の「平和のための戦争記念モニュメント」(2004)


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亀1匹


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亀2匹


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ガエターノ・ガンドルフィ(サン・マッテオ・デッラ・デチーマ、1734-ボローニャ、1802)?の「無原罪の御宿リ」


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トリンチ宮に着きました。


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トリンチ宮の中庭


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入館しました。


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トリンチ宮の各部屋に描かれたフレスコ画に惹かれます。


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非常に見応えがあります。全展示室の面積が広く、展示作品数が多いので、限られた時間(途中昼の休館時間があって、午前3時間、午後3時間の開館)内に見るのは簡単ではないと思います。


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作品の質も高いのが特徴です。しかし、何時入館しても閑古鳥が鳴いてます。


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市立美術館に付いては、項を改めて詳しく触れる予定です。


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外に出ました。


P2100143
入館した時よりも天候が悪化して、今にも雨が降り出しそうでした。


P2100145
旧市庁舎の建物です。


P2100146
Palazzo Trinciとは別の建物です。


P2100149
昼食を食べる時間です。


P2100151
とうとう雨が降ってきました。


P2100152
かなり大粒の雨でしたが、傘を持っていても差さない人が多かった。何故?


P2100567
肌寒くて困りました。


P2100568
6月だったので、夏用の服装しか持参していない。


101
昼食が終わって、次はサン・フランチェスコ教会です。


102
昼食後の午後2時頃ですから、サン・フランチェスコ教会が閉まっていたのは当然です。


104
13世紀に遡るサン・マッテオ教会が前身です。その教会を礼拝堂として組み込んで1701年に完成したサン・フランチェスコ教会です。


105
ファサード横壁龕に描かれたフレスコ画


107


109
フランチェスコ教会横にあるのは、18世紀に建設されたマドンナ・デル・ゴンファローネ祈祷所です。


112
(つづく)

P2100058
サン・ジャコモ教会の横を通ってメンターナ通りに出ました。


P2100059
この辺は城壁近くに当たります。


P2100060
メンターナ通りです。


P2100061
サン・ジャコモ教会修道院の鐘楼


P2100062
サン・ジャコモ教会のミサが終わる頃まで、サンタ・ルチア修道院に行ってみることにしました。


P2100063
次の左に折れる道を左折します。


P2100064
城壁兼堤防沿いのアウグスト・ボッレッタ通りです。


P2100066
城壁兼堤防


077
フォリーニョの城壁沿いに流れるトピーノ川です。(冬に行った時に撮った写真です)


P2100067
アウグスト・ボッレッタ通り側の城壁兼堤防です。


P2100065
13世紀から14世紀に築かれた城壁です。


P2100068
アウグスト・ボッレッタ通りに面して建つ家々です。


P2100069
次に右に折れる道がある所で右折します。


P2100070
サンタ・ルチア通りに出ました。写真左がサンタ・ルチア教会です。


P2100071
17世紀に造られたOrti Jacobilliです。


P2100072
サンタ・ルチア修道院の修道士たちが使用していた菜園です。


P2100073
城壁です。ここは川は流れておらず、堤防ではありません。


P2100075
こちらはサンタ・ルチア教会です。


P2100076
修道院は見所が多いので開いていると嬉しかったのですが、その空いている確率は教会よりも低そうです。


P2100078
こちらの建物はサンタ・ルチア教会です。


P2100080
こちらはサンタ・ルチア修道院です。


P2100079
14世紀初めに建設されたアゴスティーノ会のサンタ・マリア・セルヴィ修道院が前身です。同修道院は1326年の記録に初めて記載されました。


P2100081
教会の側壁です。
1425年、修道院はフランチェスコ会の所有となり、それを機にサンタ・ルチア修道院と改称されました。


P2100082
外壁の「聖フランチェスコ」(20世紀)


P2100084
修道院外壁にある「聖キアーラ」(20世紀)


P2100086
修道院の扉上ルネッタの「聖ルチア」(20世紀)


P2100087
修道院扉上ルネッタ上のフレスコ画は、ピエル・アントニオ(ピエラントニオ)・メッツァストリス(フォリーニョ、1430-1506)の「聖母子と聖ルチアと聖キアラ」です。


P2100089
教会も修道院も閉まっていました。


P2100091
新古典様式のサンタ・ルチア教会は1928年に再建された比較的新しい建物にあります。


P2100090
修道院からサン・サルヴァトーレ参事会教会の鐘楼が見えます。


P2100077
教会前の小さな広場


P2100092
修道院に見たい作品が数点あったので、扉が閉まっていたのが残念でした。


P2100093
メンターナ通りに戻りました。


P2100094
サン・ジャコモ教会のミサが終わる時刻です。


P2100095
写真右は城壁です。


P2100097
サンタ・ルチア修道院から徒歩約5分でサン・ジャコモ教会に行くことが出来ます。


P2100098
突き当り左がサン・ジャコモ教会です。


P2100099
サン・ジャコモ教会の身廊と後陣です。


P2100100
ファサード側に回ります。


P2100102
ビックリしました。扉が閉まってる! この時間は開いている筈でしたが・・・・・
仕方がありません。開いていれば見たかった作品を示しておきましょう。


1
単廊式、ラテン十字形の内部です。


2
ピエル・アントニオ・メッツァストリス(フォリーニョ、1430-1506)の祭壇画


3
ピエル・アントニオ・メッツァストリス(フォリーニョ、1430-1506)の祭壇画


4
後陣のフレスコ画「聖母被昇天」


P2100104
教会巡りは運ですが、効率が悪い!!


P2100103
(つづく)

P2100009
サン・サルヴァトーレ参事会教会の鐘楼です。


P2100013
Via Sceltri


P2100014
この辺は特に古い建物が建ち並んでます。


P2100015
サン・サルヴァトーレ参事会教会の周りを一周しました。


P2100016
写真右は古そうな建物ですが、特に名前がないようです。


P2100017
写真右は前の写真と同じ建物です。


P2100018
同じ建物の写真です。


P2100019
ガリバルディ広場周辺の建物は風情があります。


P2100020
通りの名前が分かりません。


P2100021
この通りの名称が分かりません。


P2100022
観光案内所で頂戴した地図には小さな通りの名称が記載されていません。


P2100023
ドゥオーモのクーポラです。


P2100024
通りの右側と左側では旗の色が違います。この道路がジョストラのチーム分け境になっているようです。


P2100025
ドゥオーモに来る予定がありませんでしたが、足の赴くままに来てしまいました。


P2100026
ピオ2世の紋章?でしょうか。


P2100027
司教館のアーチを潜って広場に出ます。


P2100028
Piazza Faloci Pulignaniです。


P2100029
ドゥオーモの右側外壁


P2100030
写真右がドゥオーモのメイン・ファサードです。ファサードが2つあります。


P2100031
この時は、2016年6月で、2016年8月から2017年1月にかけて4回発生した地震の前でした。


P2100032
ゼッカ通りです。


P2100033
時計塔がある建物は市庁舎です。


P2100034
市庁舎の歴史は13世紀に遡りますが、現在の市庁舎は、プリオーリ宮とカピターノ宮を繋ぎ合わせて、1546年から1642年にかけて、さらに拡大増築された二代目となるものです。1832年に地震によってファサードに大きな被害を受け、その後に再建されました。
また、塔は1997年に地震によって崩落したので、その後再建修復され2007年に完成しました。


P2100035
ドゥオーモのメイン・ファサード


P2100037
ドゥオーモのサイド・ファサード


P2100036
共和国広場、旧称グランデ広場です。


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写真左はPalazzo delle Canonicheです。


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アーチの先は9月20日通りです。


P2100040
写真右がPalazzo Trinciです。この建物に市立美術館があります。


P2100041
Via Gramsci


P2100042
観光客に見向きもされないフォリーニョですが、その理由が私には分かりません。


P2100044
前日、このトンネルの中で雨宿りをしました。


P2100045
市立美術館の開館時間まで時間潰しが必要です。


P2100046
時間潰しのためにサン・ジャコモ教会に行ってみることにしました。


P2100047
写真右はCanaleの堤防です。


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旧市街で顔を出したり地下を流れるCanale dei Moliniです。


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通りの突き当りがサン・ジャコモ教会です。


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サン・ジャコモ修道院です。


P2100052
写真左がサン・ジャコモ教会、左が修道院です。
この場所に1210年の文書に記載されていた聖ジャコモに捧げられたホスピスがあり、そのホスピス内に礼拝堂がありましたが、それが前身です。1273年に礼拝堂が増築されサン・ジャコモ教会となりました。


P2100053
現在のゴシック様式の建物は、1402年に再建された二代目です。
扉が開いていたので中に入るとミサ中でした。


P2100054
修道院は1860年に閉鎖されました。


P2100055
ミサが終わる頃を見計らって再訪することにしました。


P2100056
(つづく)

P2090954
1383年、モンテジョーヴェ伯爵夫人ベアータ・アンジェリーナによって建設された修道院です。


P2090956
多くのフレスコ画が修道院にあるので、扉が閉まっていて見ることが出来ないのは残念至極でした。


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この辺一帯はサンタンナ修道院に関する建物が並んでます。


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ベアータ・アンジェリーナの家と呼ばれてますが、彼女の住居ではないようです。


P2090959
14世紀から17世紀に建設された建物が建ち並んでます。


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Via del Monasteriを進みます。


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14世紀から15世紀に建設された建物です。一部が宿泊設備として使用されてます。


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通ってきたVia del Monasteriを振り返って撮った写真です。


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人の気配が感じられなかったことを覚えてます。


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建物のアーチの先でモリーニ通りとガリバルディ通りが交差します。
2つの通りが交差する右側に教会があります。


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サンティッシマ・トリニータ・イン・アンヌンツィアータ教会です。


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1760年から1775年にかけて建設されました。ファサードは未完成のまま現在に至ってます。


P2090967
青空が出てきました。
1860年に教会活動を停止した旧教会です。1997年の地震によって大きな被害を受けました。


P2090973
その後、建物は修復され、現在はMuseo d'Arte Contemporaneaとして使用されてます。
イタリア現代美術は好みから外れるので、入館しないでパス。


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写真右がサンティッシマ・トリニータ・イン・アンヌンツィアータ教会です。


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教会向かいに警察署があります。


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警察署の建物です。イタリアの警察組織は複雑で、コムーネ警察、州警察、国家警察など全部で7つくらいあるようです。ここは国家警察の建物です。


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警察に用事があるのではなく、この「無原罪の聖母」を見るために来たのです。


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警察署になっているPalazzo Barbelli Clariciです。


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ガリバルディ通りのこの辺から賑わいを見せてます。写真右は映画館、左は歴史的建造物です。


P2090976
Palazzo Mergati


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Palazzo Mergatiの入り口横にフレスコ画のタベルナコロがあります。


P2090979
保存状態がかなり良い「聖母子」ですが、描いた画家の腕前は?


P2090980
区域を示すジョストラの旗。色によって区域が異なります。
次の交差点を右折して道草することに。


P2090983
Via Pierantoniに入りました。


P2090984
写真左はPalazzo PierantoniでOstelloになってます。


P2090985
この先に行っても見どころがなさそうです。


P2090986
Via Pierantoniを引き返してガリバルディ通りに戻った方が良さそうです。


P2090987
ガリバルディ通りに戻りました。写っている鐘楼はサンタゴスティーノ教会のものです。


P2090989
サンタゴスティーノ教会です。


P2090991
地震によって大きな被害を受けて、危険のため立ち入り禁止となっているドゥオーモに代わって、臨時司教座教会となっているサンタゴスティーノ教会です。


P2100001
ドゥオーモの修復工事がかなり長期間かかりそうなので、臨時ドゥオーモも暫く続きそうです。


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サンタゴスティーノ教会前にあるジュゼッペ・ガリバルディ像


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先に進む前にガリバルディ広場を見ます。


P2090994
ガリバルディ広場です。


P2090995
18世紀に建設されたPalazzo Frenfanelli


P2090997
写真右はサン・サルヴァトーレ参事会教会です。


P2090998
1430年から1441年に建設されたサンタゴスティーノ参事会教会です。


P2090999
参事会教会は大体閉まってます。


P2100004
風情のある建物が並んでます。


P2100005


P2100007
(つづく)

P2090890
人の姿が少ないサン・ドメニコ広場は珍しい。


P2090896
サン・ドメニコ広場に面して建つ、14世紀に建設されたCasa degli Attiです。


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雨がかなり小降りになってきました。


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マッツィーニ通りです。


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建物の下のアーチを潜ります。


P2090902
雨が上がりました。


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マッテオッティ広場の方に向かってマッツイーニ通りを進みます。


P2090904
綺麗に整備された道路が印象的です。


P2090905
2012年から2013年頃に行われた道路補修工事によって、旧城壁内のすべての道路が綺麗に一新されました。


P2090906
写真左の建物が歴史的建造物です。


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16世紀に建設されたPalazzo Sbrozziです。


P2090909
歴史的建造物が建ち並ぶマッツィーニ通りです。


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数は少ないですがフォリーニョにも公衆水飲み場があります。


P2090911
写真右の水色の建物は歴史的建造物です。


P2090912
16世紀に建設されたPalazzo Bernabei- Jacobilliです。


P2090915
Palazzo Bernabei- Jacobilliは、19世紀に改修され、現在の姿になりました。


P2090914
16世紀に建設されたCasa di Salviです。


P2090916
写真左に歴史的建造物があります。


P2090917
15世紀に建設されたPalazzo Ciboです。


P2090919
マッツィーニ通りを更に進みます。


P2090920
Via dei Franceschiとの交差点に建つ建物に注目です。


P2090921
Palazzo Mancia- Salviniです。


P2090922
壁龕に「受胎告知」のフレスコ画があります。


P2090923
写真右は映画館です。


P2090924
マッテオッティ広場に戻ってきました。丁度、街を半周したことになります。


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再び雨が降り始めました。


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予定ではサント・ステファノ教会の方に行くつもりでしたが・・・・・


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雨宿りのため、バールで一息入れました。


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バールから外に出たら、雨が強くなっていました。


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夕食の時間まで街歩きするのは濡れてしまうのでダメ。


P2090931
仕方がないのでホテルに戻ることにしました。


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夕食のために、ホテルからもう一度外出するのは億劫です。


P2090933
スーパーで食料を買って、ホテルの自室で簡単な夕食にすることにしました。


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サンタ・マリア・ディ・べトレム教会の扉が開いていました。旧教会なので、開いていることは滅多にありません。拝観したかったけれど、スーパーで買った食料とワイン、それに傘で両手が塞がっていたので、拝観を諦めました。


P2090935
ホテルに戻って大人しく寝ました。


P2090937
翌朝です。
明け方までの雨が漸く上がりました。


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旧城壁内に入りました。


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今にも雨が降り出しそうな肌寒い日でした。


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前日の夕方、食料とワインを買ったスーパーです。


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サンタ・マリア・べトレム旧教会の扉が閉まっていました。


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Via del Monasteriを進みます。


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サンタンナ修道院に向かいます。


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サンタンナ修道院です。


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コンテッサ(伯爵夫人)修道院とも呼ばれてます。


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門を潜りました。


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軒下に描かれたフレスコ画は、ピエル・アントニオ・メッツァストリス(フォリーニョ、1430-1506)の「玉座の聖母子と聖アンナとベアータ・アンジェリーナと天使たち」です。


P2090953
修道院の扉が閉まっていたので通りに出ました。
(つづく)

163
サン・ドメニコ広場です。
この広場がある場所は城壁外でしたが、13世紀に市域が拡張され、それに伴い城壁が新たに築かれ、城壁内に組み込まれました。


168
サンタ・マリア・インフラポルタス参事会聖堂です。
8世紀頃、現在聖堂が建っている場所に、サンタ・マリア・アッスンタ、サン・ピエトロ、サン・パオロに捧げられた礼拝堂が建設されました。それが前身です。
1087年、現在の聖堂の場所にサンタ・マリア病院が建設され、礼拝堂は病院付属となりました。


169
12世紀、病院付属の礼拝堂を左身廊に組み入れたロマネスク様式の教会が建設され、教区教会となりました。その教区教会は1138年の文書に記載されました。


172
建設された当初はサンタ・マリア・フォリスポルタム(Foris Portam:城壁外の意味)教会と呼ばれていましたが、13世紀に城壁内に組み込まれるとサンタ・マリア・インフラポルタス(Infra Portas:城壁内の意味)教会と改称されました。
BasilicaでもありCollegiataでもあります。


171
19世紀にファサードが現在の姿に改修されました。


P2090803
ロマネスク様式の鐘楼


P2090804
19世紀に行われた改修の際、ファサードのバラ窓が取り払われ、柱廊が付け加えられました。


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柱廊の柱は11-12世紀のものです。


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ファサードに向かって左側


P2090893
左側の入り口は一般の利用不可となってます。


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聖堂内に入りました。


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三廊式、ロマネスク様式の内部です。


P2090808
右側の側廊は一部だけになってます。


P2090809
内部は数度の改修を経て、オリジナルとは違うとされてます。


P2090810
主祭壇


P2090813
逸名画家作「聖ロッコ」(15世紀後半)


P2090816
ピエル・アントニオ・メッツァストリス(フォリーニョ、1430-1506)の「聖ロッコと2天使」


P2090818
聖家族の礼拝堂


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ウーゴ・スカラムッチ(フォリーニョ、1883-1970)の「聖家族」(1924)


P2090822
聖家族礼拝堂の天井


P2090829
写りが悪いですね。


221
こちらの写真の方がマシです。


P2090824
詳細不知の「ロレートの聖母」


P2090826
ウーゴ・スカラムッチの作品


P2090828
ウーゴ・スカラムッチの作品


P2090831
制作者情報不知の「聖母子」(15世紀後半)


P2090832
聖体容器


P2090834
ウゴリーノ・ディ・ジスベルト(フォリーニョ、1479-1499記録)の「聖母子と聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」(16世紀初め)


P2090836
Monumento funebre(1380)


P2090838
フレスコ画が残されてます。


P2090840
制作者情報不知の「この人を見よ」(16世紀)


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ラッタンツィオ・ディ・ニッコロ・ディ・リベラトーレ(フォリーニョ、16世紀初め活動)の「聖母子」


P2090844
「受胎告知、聖ピエトロと聖パオロ」(14世紀)


226


P2090845
ピエル・アントニオ・メッツァストリス(フォリーニョ、1430-1506)の「聖ジローラモ」


P2090849
ピエル・アントニオ・メッツァストリス(フォリーニョ、1430-1506)の「アレッサンドリアの聖カテリーナ」


P2090851
バルトロメオ・ディ・トンマーゾ・ダ・フォリーニョ(フォリーニョ、1408-1454)の「ドメニコ会聖人と聖ピエトロ・マルティーレと司教聖人」


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クリストフォロ・ディ・ヤコポ・ダ・フォリーニョ(フォリーニョ、1448-1502記録)に帰属する「ピエタ」


P2090855
Maestro della Crocifissone di Bevagnaの「磔刑と聖母と聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」


P2090857


P2090856
Maestro della Crocifissone di Bevagnaの「聖二コラ」


P2090860
ニッコロ・ディ・リベラトーレ通称ラルンノ(フォリーニョ、1430-1502)の「聖アミーコ」


P2090862
ニッコロ・ディ・リベラトーレ通称ラルンノ(フォリーニョ、1430-1502)の「聖ルチア」


P2090865
ニッコロ・ディ・リベラトーレ通称ラルンノ(フォリーニョ、1430-1502)の「磔刑」


P2090868
制作者情報不知の「磔刑」(15世紀)


P2090870
ピエル・アントニオ・メッツァストリス(フォリーニョ、1430-1506)の「聖母子」


P2090871
ニッコロ・ディ・リベラトーレ通称ラルンノ(フォリーニョ、1430-1502)に帰属する「十字架を担ぐキリスト」


P2090874
制作者情報不知の「聖母子」(15世紀)


P2090875


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聖ジョヴァンニ・バッティスタ


P2090879
聖人


P2090881
12世紀前半の創建時の礼拝堂


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「祈るキリストと聖ピエトロと聖パオロ」(12世紀前半)


P2090886
Bifora


P2090888
大体見終わったようです。


P2090812
主祭壇前から見た出入口方向です。


P2090889
外に出ました。
(つづく)

P2090759
フォリーニョの旅の目的であるPalazzo Trinciです。


P2090760
市立美術館が置かれているPalazzo Trinciです。


P2090761
ウンブリアの美術館は何処でも傑作揃いですが、中でもここは出色の展示を誇ります。この時間は昼休
み。


P2090762
それにしても観光客が少ない街です。鉄道利用者には知られていると思いますが、下車したり泊まったりすることに思いつかないのでしょう。


P2090763
Palazzo del Podestaです。


P2090764
外壁の所々にフレスコ画が残ってます。


P2090765
ウンブリアは珠玉の市町村ばかりです。


P2090766
Palazzo del Podestaは共和国広場にあります。


P2090767
Via Antonio Gramsciから共和国広場方向を撮った写真です。


P2090768
Via Antonio Gramsciです。


P2090770
16世紀に建設されたPalazzo Nuti-Deliです。


P2090769
Palazzo Nuti-Deliには塔があります。


P2090771
塔を含む中世の幾つかの建物を集合させて、アッシジのフランチェスコ・ヌーティによって建設されたPalazzo Nuti-Deliです。


P2090772
Via Antonio Gramsciの右奥にあるサンタ・アポッリナーレ教会です。


P2090774
オラトリオ・デッラ・モルテとも呼ばれてます。
12世紀に遡り、フォリーニョで最古の教会の一つです。現在、閉鎖されてます。


P2090773
サンタ・アポッリナーレ教会のファサードが面しているドン・ミンツォーニ広場です。


P2090775
ドン・ミンツォーニ広場の平和のモニュメント「三匹の亀」


P2090776
サンタ・アポッリナーレ教会横のベナドゥッチ通りを少し進みます。


P2090777
第二次世界大戦で、この付近はドイツ軍によって激しい爆撃を受けました。新しく見える建物の殆どは戦後に新築されました。


P2090778
グラーノ広場に出ました。


P2090780
雨が激しく降ってました。


P2090779
市場があったグラーノ広場です。


P2090781
グラーノ広場周辺はフォリーニョで最も激しく第二次世界大戦の爆撃を受けたのです。鉄道の要衝なので、車両基地や車両保守工場が徹底的に爆撃されたのは勿論ですが、市場周辺も被害が多かったのです。


P2090782
ドン・ミンツォーニ広場に戻りました。建物が密集していた、この場所は爆撃によって全ての建物が崩壊してしまい、平和の象徴として新たに広場が作られました。平和のシンボルが三匹の亀という訳です。


P2090783
綺麗な石畳の道路です。


P2090784
Via Antonio Gramsciを更に進みます。


P2090785
写真左は、15世紀に建設されたPalazzo Alledori-Ualdiです。18世紀後半から19世紀初頭にかけて現在の姿に改修されました。


P2090786
Via Antonio Gramsciには古い建物が残ってます。


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写真左の建物は17世紀に建設されました。


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写真右は14世紀に建築された建物です。


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Palazzo Piermariniです。


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19世紀に現在の姿に改修されました。


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17世紀に建設されたPalazzo Vielleschiです。


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通りの突き当りにサン・ドメニコ教会の鐘楼が見えます。


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傘を差しながら写真を撮りました。


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振り返って共和国広場の方を撮りました。


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17世紀に建設されたPalazzo Brunettiです。


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サン・ドメニコ広場にやってきました。


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サン・ドメニコ広場には歴史的建造物が建ち並んでます。


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旧サン・ドメニコ教会です。
中にフレスコ画がありますが、市所有の展示会場などに使用されているので、滅多に中に入ることが出来ません。


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サンタ・マリア・インフラポルスタ聖堂です。


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雲が少し切れてきたようなが気がします。


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それでも雨宿りのために拝観した方が良さそうです。


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(つづく)

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大雷雨になったので、ドゥオーモの堂内に逃げ込み、これ幸いと拝観しました。
従って、この時はドゥオーモの外観や中の写真は撮ってません。(外が薄暗く、聖堂内は特に暗くてノーフラッシュでは写真が良く写りません) 
この時、以前と以後に撮った写真を組み合わせてアップすることにします。


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さて、ドゥオーモは現在閉鎖されて立ち入り禁止になってます。
2016年から2017年にかけて、中部イタリアで発生した4回の地震によって大きな被害を受けたからです。
2016年8月24日 マグニチュード6.0
2016年10月26日 マグニチュード5.9
2016年10月30日 マグニチュード6.5(本震とされてます)
2017年1月18日 マグニチュード5.5
建物が使用不適、危険と判断され、長期にわたる大規模修復工事が必要とされてます。
なお、この日(大雷雨があった日)は2016年6月20日です。


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サン・フェリチャーノ司教座教会、フォリーニョのドゥオーモです。
ファサードが2つあるのが特徴です。
写真左はPalazzo della Canonicheで、その横にあるのがメイン・ファサードです。


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共和国広場に面しているのがサイド・ファサードです。


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フォラム・フラミニとスポレートの司教でもあり、フォリーニョ司教だった聖フェリチャーノ(フォラム・フラミニ、160-フォリーニョ、249)が埋葬された現在地に、9世紀から10世紀に建設された教会が前身とされてます。
1133年、1201年、1457年から1548年にかけての3回の増築を経て、建築家ジュリアーノ・ディ・バッチョ・ダーニョロ・バリオーニ(フィレンツェ、1491-1555)の設計によって、1543年から1548年にかけて改造、増築された建物が現在の姿の原形です。


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現在のメイン・ファサードは、1904年に元の初期ロマネスク様式に戻されました。


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閉鎖中のドゥオーモに代わって、臨時司教座がサンタゴスティーノ教会に置かれてます。


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メイン・ファサードのモザイク


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メイン・ファサードのバラ窓


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メイン・ファサードの入り口扉上の彫刻


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メインファサード入口のライオン像(向かって左)


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メインファサード入口のライオン像(向かって右)


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ファサード横に金属扉がありますが、大聖堂付属博物館の入り口扉です。付属博物館は、この当時、大体休館していました。現在は地震の被害を受けて無期休館中です。


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1201年に制作された壁龕の聖母子


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サイド・ファサードです。


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サイド・ファサードの装飾


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サイド・ファサード入口扉上の装飾


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サイド・ファサード入口のライオン像(向かって左)


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サイド・ファサード入口のライオン像(向かって右)


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サイド・ファサード入口扉の木彫り(1620)


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クーポラと鐘楼


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聖堂内に入りました。


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内部は1772年から1819年にかけて新古典様式に改修されました。従って、内部の彫刻や祭壇画は、その改修後に制作されたものが大半で、私としては味気ない。


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単廊式、ラテン十字形の内部です。


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古い彫刻や祭壇画は、付属博物館にあります。


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左翼廊


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右翼廊


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バロック様式の天蓋付き主祭壇


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クリプタへの入り口が主祭壇前にありますが、扉が閉まっていました。


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問題の主祭壇画です。
18世紀の逸名画家作「ラファエッロ・サンツィオ作『フォリーニョの聖母』(1511c)のコピー画です。
現在、本物はヴァティカン絵画館にありますが、本来ならばフォリーニョにあるべきでした。


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このようにしてヴァティカン絵画館で展示されてます。


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私が撮った本物の写真です。
ラファエッロ・サンツィオの作品は、ローマのサンタ・マリア・イン・アラコエリ聖堂の主祭壇画として制作され、同聖堂の主祭壇を飾っていました。しかし、持ち主が変わり、1565年からフォリーニョのサンタンア教会の主祭壇に置かれるようになりました。そのため、「フォリーニョの聖母」と呼ばれるようになりました。
ナポレオンのイタリア侵攻に伴い、「フォリーニョの聖母」は取り外され、フランスに持ち去られ、ルーブル美術館で展示されるようになりました。しかし、ナポレオンの没落後、作品の返還交渉が行われ、その結果、何故かヴァティカンの所有とされて、フォリーニョに戻ることはありませんでした。フォリーニョ司教は、作品が戻ればドゥオーモの主祭壇に置く予定でしたが、当てが外れてしまいました。ナポレオンに奪われ、何故か元に戻されずヴァティカンの所有になった作品として他に有名なものに、カラヴァッジョの「十字架降下」などがあります。
フォリーニョのドゥオーモに話を戻します。


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後陣のフレスコ画は、フランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1679-ローマ、1758)の「フォリーニョへの加護を請願する聖フェリチャーノ」
フランチェスコ・マンチーニはカルロ・チニャーニの弟子です。


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左翼廊の礼拝堂です。


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デーチョ・トラヴァルツァの「天上の聖母子と聖人たち」(1836)
この画家については全く知りません。


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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ラファエッロ・フォリアルディ・ダ・トレンティーノの「天上の聖母子と聖人たち」(1829)
この画家について全く知りません。


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右翼廊の礼拝堂です。


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フランチェスコ・コスタンティーノの「磔刑」(1598)


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ピッツォーニ・フランチェスコの「聖フランチェスコ」
この画家について全く知りません。


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ガエターノ・ガンドルフィ(サン・ジョヴァンニ・イン・ペルシチェト、1734-ボローニャ、1802)の「フォリーニョを守護する聖フェリチャーノ」(1791)


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ラッツァリーニ(ベッルーノ、1712-1791)の「聖家族と聖人たち」(1779)


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詳細不知


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ジョヴァンニ・バッティスタ・ウィカル(フランス、リール、1762-ローマ、1834)の「キリストの洗礼」(1826)


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エンリコ・バルトロメイ・ディ・フォリーニョ(フォリーニョ、1815-1901)の「聖メッサリーナの殉教」


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主祭壇前から見た出入口方向です。


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外に出ました。
新しい作品ばかりでやや退屈でした。ともあれ早期の修復工事が行われ、再奉献される日が速く訪れることを願います。
(つづく)

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フォリーニョは、人口56,794人(2019年6月30日現在)のウンブリア州ペルージャ県にあるコムーネです。紀元前8世紀頃にウンブリア人によって築かれた町で、フラミニア街道の主要都市として繁栄しました。中部イタリアにおける鉄道の中心地で、第二次世界大戦で激しい爆撃を受けました。
フォリーニョの旅の前泊地はアンコーナでした。


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アンコーナ駅始発のRegionale Veroceに乗ってフォリーニョに向かいました。


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ファブリアーノにも行きたいところでしたが、この時はフォリーニョに直行します。


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フォリーニョ駅に到着しました。


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フォリーニョ駅の駅舎。タクシーが常駐しています。


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ローマへの出発が早朝なので、この日のお宿は駅前のここにしました。


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チェックインを済ませて街歩きに出発しました。


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旧市街の入り口サン・フェリチャネット門です。


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この辺の城壁は撤去され道路になってます。門に旗があるのは、ジョストラの開催日に近いからでしょう。


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門を越えて旧市街に入りました。


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サン・フェリチャネット門から中心街に通じるウンベルト1世通りです。


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何となく雲行きが怪しい日でした。この30分後、大雷雨に見舞われることになりました。


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2012年から2013年にかけて、旧市街の道路整備が行われました。


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古い建物よりも新しい建物が多いのは、第二次世界大戦で爆撃された建物が多く、戦後に再建されたからです。


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ウンベルト1世通りの突き当りにあるスッフラージョ教会です。


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サンタンナ同信会によって18世紀に建設された教会です。


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スッフラージョ教会のファサード前横に歴史的建造物があります。


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1515年に建設されたPalazzo Giusti-Orfiniは、17世紀に現在の姿に改修されました。


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コンサートなどに使用されてます。


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スッフラージョ教会前を左折してマッツィーニ通りに出ます。


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スッフラージョ教会の左にある小さな広場に出ました。


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ガーン!、扉が閉まってる、ガックリです。


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15世紀末に建設されたヌンツィアテッラ祈祷所です。


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中に素晴らしいフレスコ画があります。


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扉が開くことが稀だと思います。この辺は仕方がない。


1
中にあるフレスコ画がこれです。
ピエトロ・ペルジーノ(チッタ・デッラ・ピエーヴェ、1446c-フォンティニャーノ、1523)の「磔刑」(1497-1507)


2
このフレスコ画もあります。
ノエル・グィッレリエール(フランス、1594-1669)の「磔刑」(1625-26)


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礼拝堂だった建物です。


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個人所有なので中に入れません。


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マッツィーニ通りを進みます。


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夏至過ぎの夏ですが、涼しいというよりも肌寒い日でした。


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雲行きが一段と怪しくなってきました。


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マッテオッティ広場です。


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写真右の教会は、フォリーニョのドゥオーモです。


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写真左の建物はPalazzo della Canoniche


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ドゥオーモ


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ファサードのモザイク


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旧市街の中心である共和国広場です。


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市庁舎


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遠雷が聞こえてきました。


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ドゥオーモのファサードを眺めていたら、急に空が暗くなってきました。


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雨が降ってきたら、ドゥオーモに逃げ込めば良いと考えていました。


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強烈稲光と雷鳴!


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塔か鐘楼に落雷したようです。


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(つづく)

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