イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:エミリア・ロマーニャ州 > フィデンツァ

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フィデンツァのサン・ドンニーノ大聖堂の後陣からジュゼッペ・コンフォルティ通りに出ます。


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ジュゼッペ・コンフォルティ通りに面して、司教館の入り口があります。


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ここにドゥオーモ付属美術館があります。美術館の名称とは異なり、ドゥオーモにあった作品だけの展示に留まらず、フィデンツァやフィデンツァ周辺の教会から集められた絵画や聖具類が展示されてます。その実態はフィデンツァ司教区の教区美術館Museo Diocesanoに相当すると思います。


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美術館の入り口です。


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毎週月曜日が休館です。


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入館しました。


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エミリアの逸名画家作「アレッサンドリアの聖カテリーナと聖バルトロメオ」(14世紀初め)
ドゥオーモのクリプタにあったフレスコ画です。


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エミリアの逸名画家作「玉座の聖母子」(14-15世紀)
フィデンツァのサン・ミケーレ教会にあったフレスコ画です。


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逸名画家作「竜を退治する聖ジョルジョ」(14世紀)
サン・ジョルジョ教会にあったフレスコ画です。


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パルマの逸名画家作「パドヴァの聖アントニオ」(18世紀)
フィデンツァのドゥオーモにありました。


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ジョヴァンニ・バッティスタ・タリアサッキ(ボルゴ・サン・ドンニーノ、1696-カステルボスコ、1737)の「セバステ司教聖ビアージョ」(1730)
フィデンツァのドゥオーモにありました。


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パルマの逸名画家作「聖ピエトロ・グリソロゴ」(16世紀)
フィデンツァの司教館にありました。


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ベネデット・アンテーラミ(ヴァル・ディンテルヴィ、1150c-1230c)の「聖母子」


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ベネデット・アンテーラミ(ヴァル・ディンテルヴィ、1150c-1230c)の「柱頭」


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聖具類


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ガエターノ・ガンドルフィ(サン・ジョヴァンニ・イン・ペルシチェト、1734-ボローニャ、1808)の「聖心」
フィデンツァのドゥオーモにありました。


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聖具類


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ジローラモ・チェナティエンポ(ナポリ、1705?-1744)の「聖アンドレアの殉教」
フィデンツァのドゥオーモにありました。


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聖具類


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逸名画家作「ドゥオーモ」(16世紀)


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貴重品入れ(13-14世紀)


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詳細不知


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聖書台(18-19世紀)


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逸名画家作「教皇ピオ6世の肖像」(19世紀初め)


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Jon Popac (モルダヴィア、1963-)の「聖ドンニーノ」(2005)


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ヴィンチェンツォ・カンピ(クレモナ、1535?-1591)の「聖母被昇天と聖ロッコと寄進者」
フィデンツァの旧サン・ピエトロ・イン・コルテ教区教会にありました。


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ヴィンチェンツォ・カンピ(クレモナ、1535?-1591)の「十字架降下」


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クレモナの逸名画家作「受胎告知」(17世紀初め)


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ジュリオ・カンピ(クレモナ、1507?-1573)の「聖母被昇天」(1560-70)
サン・ミケーレ・アルカンジェロ教会にありました。


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17世紀の逸名画家作「聖チェチリアに現れた天使」


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逸名画家作「祈る聖フランチェスコ」(16世紀)


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ルイージ・ムッシ(ピアチェンツァ、1694-1771)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」


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ジョヴァンニ・バッティスタ・タリアサッキ派逸名画家作「聖母子と聖ドメニコ」(18世紀)


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逸名画家作「聖ジャコモ・マッジョーレと聖ジャコモの弟子たちに顕現する聖母」(18世紀)


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18世紀の逸名画家作「聖アンセルモ」(1720以降)


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17世紀の逸名画家作「カルミネの聖母の奇跡」(1648)


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ジョヴァンニ・アンドレア・デ・フェッラーリ(ジェノヴァ、17世紀活動)に帰属する「十字架降下」


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ジェノヴァの逸名画家作「ユダの接吻」(17世紀)


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アントニオ・ラゴーリ通称イル・ジェノヴェシーノ(1652-1690活動記録)に帰属する「岩から水を導くモーゼ」
これで終わりです。


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外に出ました。
(この項 おわり)

ベネデット・アンテーラミで有名なフィデンツァのドゥオーモです。
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カヴール通りを左折してジュゼッペ・コンフォルティ通りに入ると、直ぐにドゥオーモが見えます。


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後陣と鐘楼を見ながらファサードの方に回ります。


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フィデンツァのドゥオーモ、サン・ドンニーノ司教座教会 Cattedrale di San Donninoです。フィデンツァ司教区の司教座が置かれてます。


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フィデンツァの聖ドンニーノ(パルマ、?-フィデンツァ、304)は、西ローマ帝国のマクシミアヌス皇帝の王室管理官を務めていましたが、禁教とされていたキリスト教に入信したことで、皇帝の怒りを買い、逃亡しました。ピアチェンツァ郊外で捕らえられ、フィデンツァ城壁外を流れるスティローネ川の川岸で斬首されました。
伝説に拠れば、聖ドンニーノは、斬首された自分の首を拾い、現在、ドゥオーモがある場所まで首を運んで置いたという奇跡が起きました。
聖ドンニーノの聖遺物を祀るために、フィデンツァの住民が小さな祈祷所を建てましたが、それが前身とされてます。


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5世紀頃、小さな祈祷所は整備拡充され、初期キリスト教会となりましたが、ローマに向かう巡礼者が立ち寄る場所となり、建物が増築されました。


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1117年に起きた地震によって建物が完全に崩落してしまいました。そのため、再建されることになり、地震直後に創建され、12世紀末または13世紀初頭に完成したロマネスク様式の建物が現在のものとなってます。


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ファサードは、ベネデット・アンテーラミ(ヴァル・ディンテルヴィ、1150c-1230c)の設計によって12世紀に建設されましたが、未完成のまま現在に至ってます。


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ファサードの彫刻が最大の見所です。ベネデット・アンテーラミと工房の弟子によって、1178年から1196年に彫刻が制作されたと言われてます。


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聖ドンニーノの物語


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ベネデット・アンテーラミの作品


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ベネデット・アンテーラミの作品


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身廊外壁


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鐘楼


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こちらにあるのは複製で、本物は付属美術館にあります。


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ファサード側から中に入ります。


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中に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、ロマネスク様式の内部です。


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ベネデット・アンテーラミと工房による作品は中には少ない。


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交差ヴォールト


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右側廊


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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ジョヴァンニ・バッティスタ・タリアサッキ(ボルゴ・サン・ドンニーノ、1696-カステルボスコ、1737)の「聖アアンドレア・アヴェッリーノの死」(1731)


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ファサードの裏


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主祭壇


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後陣のフレスコ画(13世紀)とアンテーラミ工房による彫刻(12世紀)


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クリプタに下りました。


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斬首された自分の首を持つ聖ドンニーノ


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聖ドンニーノの聖遺物が入ってます。


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クリプタ天井のフレスコ画(11世紀)
内陣に戻ります。


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フランチェスコ・ルッキ(ボルゴ・サン・ドンニーノ、1585-1630)の「最後の晩餐」


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アンドレア・マイナルディ通称イル・キアヴェギーノ(クレモナ、1550c-1617)の作品


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磔刑像(15世紀)と聖母と聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ(17世紀)


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フェルディナンド・ガッリ・ダ・ビビエーナ(ボローニャ、1657-1743)の作品


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左側廊


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ビアージョ・マルティーニ(パルマ、1761-1840)の「無原罪の聖母とサレスの聖フランチェスコと聖ルイージ・ゴンザーガ」


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詳細不知


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ステンダリオの聖母子


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詳細不知


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ジャコモ・ポナッツィ・デ・ピッツァマーリの「聖母子」(15世紀)


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詳細不知


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もう一度後陣を見ました。


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外に出ます。


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(この項 終わり)

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ドゥオーモです。


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聖堂内に入りました。


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ドゥオーモについては、項を改めて詳しく触れます。


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フィデンツァに来た甲斐がありました。


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次はドゥオーモ美術館です。


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司教館の一角に美術館があります。


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美術館の入り口です。


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入館しました。


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ドゥオーモ美術館については、項を改めて詳しく触れます。


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外に出ました。


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午前中だけでフィデンツァで見たかったものは大体見終わったようです。


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複製の彫刻です。本物はドゥオーモ美術館で見たようです。


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正午を過ぎたばかりにも拘らず人出が急に少なくなりました。


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ホテル併設のレストランで昼食を食べることにしました。


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何の実でしょうか?


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消火栓?


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時間が余って困りました。


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昼食後、ほろ酔い気分で散歩です。映画館とは思えない建物です。


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グランディ広場です。


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城壁は取り壊されてありませんが、城壁外を歩きます。


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奇妙なモニュメント


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教会です。


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サンティ・ファウスティーノ・エ・ジョヴィータ教区教会です。


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12世紀末から13世紀初頭に、現在地に建設されたロマネスク様式のサンタントニオ・アバーテ教会が前身です。建物が劣化したので、1580年に取り壊され、1599年から1608年に再建された二代目の建物が現在の姿です。
17世紀、別の場所にあったサンティ・ファウスティーノ・エ・ジョヴィータ教区教会が取り壊されることになり、サンタトニオ・アバーテ教会と合体することになりました。と言うことで、2つの教会名が今でも使用されてますが、正式名は格上の教区教会の方になっているようです。


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ファサードがありません。


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エミリア街道は、この辺でVia Zaniと呼ばれてます。


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左折して塔がある建物を見ます。


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写真右に塔がある建物が写ってます。


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300年に渡ってフィデンティ―ナ家の住居だった、16世紀第4四半世紀に建設されたPalazzo Arzaghiです。


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長らく修復工事が行われてます。


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サン・ピエトロ教区教会に向かいます。


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サン・ピエトロ教区教会の鐘楼と後陣が見えてます。


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この時は併設の修道院が見るのが目的でした。


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写真左がサン・ピエトロ修道院です。


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修道院の入り口


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修道院は既に閉鎖されてます。


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キオストロ回廊です。残念ながらフレスコ画の痕跡さえも残されてません。


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回廊の壁にフレスコ画があったそうですが、余りにも劣化しているので、修復の際に全て塗り潰されたそうです。


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回廊から見える鐘楼です。


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サン・ピエトロ広場に出ました。
フィデンツァを見尽くしたので、ホテルに戻って昼寝しました。


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(おわり)

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次はサン・ジョルジョ祈祷所です。


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サン・ジョルジョ祈祷所にやってきました。入口の写真をご覧になればお分かりのように現役の宗教施設ではありません。


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囚人用の小さな病院の隣に、1314年に建設された囚人用の礼拝堂が前身です。1443年、教会として拡充されました。
市域の拡張に伴い、城塞が教会近くに築かれることになり、1575年にファサードが取り壊されてしまいました。
16世紀末になると、フィデンツァはスペインの支配下に置かれるようになりましたが、スペイン王フェリペ3世の命令によって、建設されたばかりの城塞が解体されましたが、それに伴い、教会は元の姿に改装されました。その後、教会に常駐する聖職者がいなくなったので、祈祷所に格下げされました。


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鐘楼
1805年、ナポレオンの抑圧令によって宗教活動が停止となり、以後、建物は倉庫として使用されるようになりました。1944年、第二次世界大戦のドイツ軍の爆撃によって被害を受けましたが、修復されることなく約50年ほど放置されていました。
2002年に修復工事が完成し、現在はフィデンツァ市の展示場などとして使用されてます。
祈祷所内にあったフレスコ画などはドゥオーモ付属美術館に移されてます。


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ミラーニ通りです。


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ミラーニ通りを少し進んでから、振り返って撮った写真です。


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フィデンツァを記述した観光用ガイドブックは多分ないと思います。


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写真右は16世紀に建設されたオマーティ宮です。


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駅に向かいます。


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この日の午後、パルマに行く予定でした。


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市庁舎です。時計塔があるファサード側とは少し違った感じがします。


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市庁舎のロッジャ


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2時間以上あちこち歩き通しだったことになります。


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パルマで開催中のパルミジャニーノ展に行くつもりでした。ただ、展示されているパルミジャニーノの作品が少ないので、どうしても、という訳ではありませんでした。


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実は、この日、ゼネスト決行日で、前日夜9時からこの日の午後9時まで鉄道もストが予定されていたのです。


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グラン・マードレ・ディ・ディオ教区聖域の鐘楼が見えます。


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フィデンツァ駅にやってきました。


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やってる、やってる!


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真面目?にストをやってます。


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運転されている列車でも150分遅れ!!


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駅前でバスの運転状況を調べたら、鉄道よりもバスの方が悲惨でした。


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何処にも行かないで、一日中フィデンツァで過ごすのが無難です。


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しかし、フィデンツァの見所が多くないし、市域そのものが狭いので、時間潰しが大変そうです。


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ゼネスト予定日は退屈しそうもない街にいるべきです。


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前後の旅程から、この日のフィデンツァを変えることが出来なかったのです。


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写真右はサンタ・マリア・アンヌンツィアータ教会です。


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お利口さんのワンちゃんたち。
声をかけても、私を一瞥しただけで知らんぷり。


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1813年に建設された新古典様式のTeatro Girolamo Magnaniです。


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この日の公演はなしでした。


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当初、フィデンツァは1泊の予定でしたが、ゼネストのために2泊に予定変更したのです。


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近年、ゼネストでもフレッチャ系の優等列車は大体運転されてますが、普通列車や快速列車は運休みたいです。


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グランディ広場です。


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1世紀頃のPonte Romano(遺跡)


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サン・ドンニーノ門です。
Signore di Milanoのベルナーボ・ヴィスコンティ(ミラノ、1323-トレッツォ・スッラッダ、1385)の命によって、ジョルジョ・ダ・コモ(フィデンツァ、1364-1366記録)が設計して、1364年から1366年に建設しました。


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ボッティチェッリ?の複製画?


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Ponte Romanoの現代版


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門を潜ってドゥオーモ広場側に出ました。


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聖母子のタベルナコロ


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城壁は残されていないようです。


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門の横に観光案内所があります。


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知られざる観光名所やお勧め場所の相談に行ったのですが、空振りでした。


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ドゥオーモ、付属美術館に行き、飲んだくれて寝る、予定が決まりました。


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(つづく)

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サン・ミケーレ・アルカンジェロ教会の前にある、1710年から1731年に建設されたPalazzo delle Orsolineです。現在、フィデンツァの文化芸術館として使用されおり、市立図書館などがあります。将来的には、絵画館や博物館も置かれる予定です。


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ベレニーニ通りを真直ぐ進めばボローニャ、パルマに出ます。


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エミリア街道は、この辺でベレニーニ通りからVia Martiri della Libertaと呼ばれるようになります。サン・ラッザーロ祈祷所に向かいました。


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これがサン・ラッザーロ祈祷所とは思わなかったのですが、市庁舎で頂戴した地図を見ても、この付近に教会がないので、やはり目的の祈祷所のようでした。
実は、写真のような新しい建物と思っていなかったのです。


1
古いサン・ラッザーロ祈祷所の写真です。(外部サイトから拝借しました)
この付近に、11世紀に建設されたハンセン病の病院があり、その病院付属の祈りの場としてサン・ラッザーロ祈祷所が設けられました。


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その後、幾度となく再建されました。
ハンセン病の病院は1915年に取り壊されましたが、祈祷所の建物はそのまま存続されました。しかし、ハンセン病に対する差別や偏見は日本もイタリアも同じだったようで、住民が祈りに訪れることはあまりなかったようです。


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後陣と鐘楼
1978年、設計案がコンペで決まり、1982年に完成した建物です。
以上の経緯は後から知りました。この時は取り壊される前の建物内にあったフレスコ画を見るために来たのでした。


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先ほど来た道を戻ります。


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グラン・マードレ・ディ・ディオ教区聖域の鐘楼とクーポラが見えます。


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グラン・マードレ・ディ・ディオ教区聖域の横の建物は、パルマ公爵、ピアチェンツァ公爵フランチェスコ・ファルネーゼ(パルマ、1678-ピアチェンツァ、1727)によって、イエズス会の大学として1697年に建設されたPalazzo Collegio dei Gesuitiです。


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1806年、ナポレオンの抑圧令によって大学は閉鎖され、1809年からホスピスとして使用されていました。現在は、フィデンツァ市の所有となっており、市の各種サービス基地になってます。


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Via Costa側のPalazzo delle Orsolineです。


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サン・ジュゼッペ教会に向かいました。


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水道局です。


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1978年に再建されたChiesa di San Giuseppe Lavoratoreです。予習が不完全でした、このような新しい教会とは想定外でした。


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扉が閉まっていました。見るべき価値がない作品ばかりです。


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市域が狭いフィデンツァです。


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5月24日通りです。


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ザンペッラ祈祷所に向かいます。


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13世紀にフランチェスコ会によって建設されたザンペッラ祈祷所です。


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伝説に拠れば、1215年、フィデンツァを訪れた聖フランチェスコが奇跡を起こし、それに感謝したフランチェスコ会修道士とフィデンツァの信者たちによって建設されたと言われてます。


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フィデンツァにおけるフランチェスコ会の活動拠点になってます。
1994年、火災によって大きな被害を受け、その後に大修復されました。


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ファサードの新しい浮彫


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扉が開いていたので拝観することにしました。


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オラトリオの中に入りました。


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火事の後に描かれたものでしょう。
ご訪問


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祈る聖母


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後陣


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岩窟の聖母


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聖母の教育


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聖痕を受ける聖フランチェスコ


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祭壇前から見た出入口方向


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外に出ました。


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次はサン・ピエトロ教区教会ですが、既に鐘楼が見えます。


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サン・ピエトロ教区教会の後陣と鐘楼です。


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ファサード側に回ります。


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サン・ピエトロ・アポストリ教区教会です。


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ベネデット会によって11-12世紀に建設された教会です。1144年に記録にサン・ピエトロ・アポストリ教会の存在が初めて記載されたそうです。
1588年、教会はアゴスティーノ会に譲渡されました。


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譲渡を受けたアゴスティーノ会は、古い建物を取り壊して、その上に再建すること決め、1603年に創建され、1613年に完成した二代目の建物が現在の姿です。


2
17世紀終わりに修道院が増設されました。教会のファサードに向かって左側が旧修道院になります。


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中に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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右側廊


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祭壇画などを見て回りましたが、この教会内の作品帰属が分かりません。


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この教会における見所の作品です。


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外に出ました。
(つづく)

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サンタ・マリア・アンヌンツィアータ教会からフィデンツァ駅が見えます。


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12世紀に建設されたサンタ・マリア・アンヌンツィアータ教会です。1230年の記録に初めて記載されているそうです。


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14世紀末に拡張されましたが、15世紀中頃に教会の隣に病院が建設されると、教会訪問者が増え手狭になったので、初代の建物が取り壊され、その上に1517年に再建されました。


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17世紀にバロック様式に改造されました。1778年に隣にあった病院が閉鎖されるに伴って、信者が減少したので一部縮小された建物が現在の姿です。


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中に入りました。単廊式、バロック様式の内部です。


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詳細不知


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フランチェスコ・スカラムッツァ(シッサ、1803-パルマ、1886)の「グラツィエの聖母」


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主祭壇


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アントニオ・マリア・フォルマイアローリ(1679-1731)の後陣フレスコ画


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制作者情報不知の「キリストの洗礼」


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16世紀のフレスコ画


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制作者情報不知の「斬首された聖ドンニーノ」


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詳細不知


P1080587
主祭壇前から見た出入口方向


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無原罪の聖母のステンドグラス


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外に出ました。


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ベレニーニ通りを東方向に進みます。


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直ぐに2つの教会が見えてきます。2つの教会は隣り合ってます。


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写真手前がサン・ミケーレ・アルカンジェロ教会、その向こうがグラン・マードレ・ディ・ディオ教区聖域です。


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サン・ミケーレ・アルカンジェロ教会です。
巡礼者のための病院に隣接して、1181年に建設されたサン・ミケーレ・アルカンジェロ礼拝堂が前身です。


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1528年に礼拝堂は解体され、1533年から1537年に建設されたルネサンス様式の教会が現在の姿の原形です。現在のファサードは1893年に再建されたものです。


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鐘楼


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後陣


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1806年、ナポレオンの抑圧令によって教会は閉鎖されましたが、ナポレオンの失脚後に活動が再開されました。


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1944年、第二次世界大戦のドイツ軍の爆撃によって、大きな被害を受けたので、教会活動が停止されました。その後、活動が停止されたまま現在に至ってます。
建物は修復され、現在はフィデンツァ市の文化センターになってます。
また、サン・ミケーレ・アルカンジェロ教会の機能は、1948年に隣接するグラン・マードレ・ディ・ディオ教区聖域に移管されました。


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サン・ミケーレ・アルカンジェロ教会後陣の先にグラン・マードレ・ディ・ディオ教区聖域が見えます。


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グラン・マードレ・ディ・ディオ教区聖域の鐘楼です。


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イエズス会のSantuario della Gran Madre di Dioです。


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パルマ公爵、ピアチェンツァ公爵のフランチェスコ・ファルネーゼ(パルマ、1678-ピアチェンツァ、1727)の指示によって1710年から1722年にかけて建設されたバロック様式、イエズス会の教会です。


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前述のように、1948年からサン・ミケーレ・アルカンジェロ教会の機能も担うようになりました。
1957年に教区聖域に格付けされました。


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クーポラと鐘楼


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側壁外観


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中に入りました。


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変形三廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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装飾が少なく地味な感じがします。


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主祭壇


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聖歌隊席


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詳細不知のイコン


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詳細不知


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ジュゼッペ・バリビエーリ(ヴェローナ、1777-1838)の「ご誕生」


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ジュゼッペ・モローニ(クレモナ、1888-ローマ、1959)の「キリストの洗礼」


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ラティーノ・バリッリ(パルマ、1883-1961)の「ピエタと1944年に爆撃されたサン・ミケーレ・アルカンジェロ教会」(1956)


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制作者情報不知の「ご訪問」(16世紀)


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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何処かで見たような・・・・・


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詳細不知


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制作者情報不知の「天上の聖母子と聖人たち」(16世紀)


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詳細不知の「聖母子」


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出ました。
(つづく)

フィデンツァは、人口27,041人(2018年12月31日現在)のエミリア=ロマーニャ州パルマ県にあるコムーネです。街の起源は、紀元前41年にエミリア街道に置かれたローマ軍の駐屯地で、当時はFidentiaと呼ばれていました。中世の頃、恐らく10世紀頃にボルゴ・サン・ドンニーノと改称されました。現在のフィデンツァに改称されたのは1927年で、初代の名称に由来してます。
ピアチェンツァとパルマのほぼ中間にあるので、ピアチェンツァ、パルマ間の係争地となりました。その後、ピアチェンツァ、パルマと同じようにファルネーゼ家の支配下に置かれるようになりました。
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フィデンツァ駅に到着しました。この日、日没後に到着しましたが、その時に撮った写真がないので、別の機会の昼間に撮った写真を掲載します。


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フィデンツァ駅の駅舎です。


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この日のお宿に向かいます。


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市庁舎近くの、街の中心にあるホテルです。レストランを併設している、と言うよりも寧ろレストランがホテルを併設していると言った方が実態を表してます。


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チェックインを済ませて、早速外出しました。


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市庁舎です。


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カヴール通りです。


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市庁舎が面しているガリバルディ広場を境に通りの名称が変わって、こちらはベレニーニ通りです。


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カヴール通り、ベレニーニ通りは共にエミリア通り、旧エミリア街道になります。街の中心を過ぎると、通りの名称がエミリア通りに変わります。


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ドゥオーモに向かいます。ホテルから徒歩数分の至近にドゥオーモがあります。


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ドゥオーモの後陣です。


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フィデンツァに来た目的はドゥオーモに尽きます。ファサード側に回ります。


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ドゥオーモのファサードです。


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ファサードが修復工事中という情報があったので、安心しました。


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向かって右の扉の向こうに明かりが灯りました。念のため、右扉に行ってみましたが、やはり閉まっていました。この時間ならば、閉まっているのが当然です。


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拝観は翌日に出来ます。特にロマネスク様式の教会に興味があるわけではありませんが、フィデンツァのドゥオーモは格別です。


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鐘楼


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大聖堂付属美術館の入り口です。


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マンゾーニ通りです。ドゥオーモのファサードを見ただけで、この日は満足しました。


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取り敢えず、もうやることがありません。


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ホテルに戻ることにしました。


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店のショーウインドウを見て歩きます。


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夕食はホテル併設のレストランを予約してました。


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小さな街なので、見所が多いとは言えません。


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僅か15分ほどの夕べの散策でした。


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美味しい夕食でした。


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翌朝です。


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晴れてます。


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旧市街の西郊外にポー川の支流スティローネ川が流れてますが、中世の頃までは、ドゥオーモから市庁舎が面しているガリバルディ広場に流れていました。ガリバルディ広場の端にある、この水路はその名残です。


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初代の市庁舎の建物は1273年から1354年に建設されましたが、1527年にスペインとフランス軍に破壊され、ゴシック様式の建物が1570年に再建されました。現在のファサードは、二代目のものを模して1875年に再建されました。


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ガリバルディ広場が街の中心でしょう。


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市庁舎前に立っているのは、1884年に制作されたジュゼッペ・ガリバルディのオベリスクです。


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市庁舎でフィデンツァの地図を頂戴しました。


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市庁舎の壁にあるジュゼッペ・マッツィーニの記念碑です。カヴール、ガリバルディ、マッツィ―ニはイタリア統一の三傑と言われてます。


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こちらはルイージ・ムシーニの記念碑です。
ルイージ・ムシーニ(ブッセート、1843-パルマ、1903)は社会主義政治家です。ルイージが生まれると直ぐに、ルイージの両親はボルゴ・サン・ドンニーノに引っ越しました。ルイージは地元出身の政治家として尊敬されてます。


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市庁舎の中庭


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市庁舎からベレニーニ通りに出ました。


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ベレニーニ通りに面したサンタ・マリア・アンヌンツィアータ教区教会です。
(つづく)

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