イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:エミリア・ロマーニャ州 > ラヴェンナ

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逸名画家作「ダヴィデに贈り物を届けるアビガイル」(17世紀中頃)


P2530842
逸名画家作「Davide suona l' arpa davanti a Saul」(17世紀中頃)


P2530845
アレッサンドロ・ティアリーニ(ボローニャ、1577-1668)の「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」


P2530847
次の部屋です。


P2530849
パスクゥアーレ・デ・ロッシ(ヴィチェンツァ、1641-ローマ、1725)の「パイプ煙草を吸う男」



P2530852
パスクゥアーレ・デ・ロッシ(ヴィチェンツァ、1641-ローマ、1725)の「縫う女」


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チェッコ・ブラヴォー(フィレンツェ、1601-インスブルック、1661)の「アポロtとダフネ」


P2530859
トスカーナの逸名画家作「女性の肖像」(17世紀後半)


P2530862
ドメニコ・ブランディ通称ミッコ・ブランディ(ナポリ、1684-1736)の「羊飼い」


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マルカントニオ・フランチェスキーニ(ボローニャ、1648-1729)の「天上の聖バルトロメオと聖セヴェーロ」


P2530868
アルカンジェロ・レサーニ(ローマ、1668/1670-ラヴェンナ、1740)の「磔刑と聖ヴィターレと聖アポッリナーレ」


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パオロ・アントニオ・バルビエーリ(チェント、1603-ボローニャ、1649)?の「静物画」
パオロ・アントニオ・バルビエーリはグエルチーノの弟です。


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ピエトロ・テネラーニ(カッラーラ、1789-ローマ、1869)の「獲物を持つ天使」


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ピエトロ・テネラーニ(カッラーラ、1789-ローマ、1869)の「漁をする天使」


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ジャンバッティスタ・バッシ(マッサ・ロンバルダ、1784-ローマ、1852)の「カステル・ガンドルフォ」(1851)


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ジャンバッティスタ・バッシ(マッサ・ロンバルダ、1784-ローマ、1852)の「パピーニョの森」(1850)


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アルトゥーロ・モランディ(フィレンツェ、1840-ラヴェンナ、1901)の「母になることへの不安」


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アントニオ・チゼーリ(ロンコ・ソプラ・アスコーナ、1821-フィレンツェ、1891)の「ルイージ・マジョーリの肖像」(1856)


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アルトゥーロ・モランディ(フィレンツェ、1840-ラヴェンナ、1901)の「松林の帰路」


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ヴィットリオ・グゥアッチマンニ(ラヴェンナ、1859-1938)の「強風の中の農作業」


P2530892
ドメニコ・ジョッロ(ナポリ、1866-1938)の「岩礁の上の少年」(1891)


P2530895
エットーレ・ティート(ナポリ、1859-ヴェネツィア、1941)の「コッラード・リッチの肖像」(1918)


P2530896
これで終わりです。


P2530875
外に出ました。
閉鎖されていた展示室が多く、見ることが出来た作品は以上です。
閉鎖されていた展示室の作品の中で、主なもの10点を選んで、それらの作品画像を載せておきましょう。なお、作品画像は外部サイトから拝借しました。


1
アントニオ・ヴィヴァリーニ(ムラーノ、1440-ヴェネツィア、1480)の「磔刑」


2
ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511-フィレンツェ、1574)の「十字架降下」


3
バルダッサッレ・カッラーリ(フォルリ、1460-ラヴェンナ、1516)の「キリストの逮捕」


4
バルダッサッレ・カッラーリ(フォルリ、1460-ラヴェンナ、1516)の「十字架降下」


5
バルダッサッレ・カッラーリ(フォルリ、1460-ラヴェンナ、1516)の「キリストの埋葬」



6
バルダッサッレ・カッラーリ(フォルリ、1460-ラヴェンナ、1516)の「リンボの降下」


7
バルダッサッレ・カッラーリ(フォルリ、1460-ラヴェンナ、1516)の「玉座の聖母子と聖アポッロニアと聖セバスティアーノ」


8
バルトロメオ・モンターニャ(ヴィチェンツァ、1450-1523)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


9
フランチェスコ・リッツォ・ダ・サンタクローチェ(サン・ペッレグリーノ・テルメ、1485c-ヴェネツィア、1545)の「聖母子と聖シモーネと聖ジュゼッペ」(1500-45)


10
フランチェスコ・リッツォ・ダ・サンタクローチェ(サン・ペッレグリーノ・テルメ、1485c-ヴェネツィア、1545)の「マギの礼拝」(1525-45)
以上、10点でした。


P2530905
外に出ました。
(おわり)

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ヴェネトの逸名画家作「聖アポッリナーレ」(16世紀末-17世紀初頭)


P2530731
パリス・ボルドン(トレヴィーゾ、1500-ヴェネツィア、1571)の「救世主」


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ヴェネトの逸名画家作「受胎告知」(16世紀末-17世紀初頭)


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ベルテル・トルバルセン(コペンハーゲン、1770-1844)の「聖アポッリナーレ」(1822)


P2530739
次の部屋です。


P2530741
逸名画家作「騎兵戦」(17世紀後半)


P2530744
アントニオ・メッツァドリ(ボローニャで1688から消息)の「花籠」


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逸名画家作「騎兵戦」(17世紀後半)


P2530751
カミッロ・プロカッチーニ(ボローニャ、1560c-ミラノ、1629)の「聖ジャコモ・ミノーレと聖フィリッポの殉教」


P2530753
イタリアの逸名画家作「戦闘」(17世紀後半)


P2530757
アントニオ・メッツァドリ(ボローニャで1688から消息)の「花籠」


P2530759
イタリアの逸名画家作「戦闘」(17世紀後半)


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逸名画家作「カルロ・チニャーニ(ボローニャ、1628-フォルリ、1719)作『慈愛』のコピー画」(18世紀)


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カルロ・チニャーニ(ボローニャ、1628-フォルリ、1719)工房作「バッカスとエリゴネ」


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ジョルジョ・ヴァザーリの枠組みの「十字架を担ぐキリスト」(16世紀)


P2530770
次の部屋です。


P2530772
ジョヴァン・ジョゼッフォ・ダル・ソーレ(ボローニャ、1654-1719)の「聖家族」


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チェーザレ・ジェンナーリ(チェント、1637-ボローニャ、1688)工房作「老人の頭」(17世紀)


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ジョヴァン・ジョゼッフォ・ダル・ソーレの領域の「聖母子と聖ジョヴァンニーノと天使」


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ジョヴァン・フランチェスコ・バルビエーリ通称グエルチーノ(チェント、1591-ボローニャ、1666)の「聖ロムアルド」


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ラニエーリ・デル・パーチェ(ピサ、1681-フィレンツェ、1738)?の「少女」


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リーヴィオ・モディリアーニ(フォルリ、1571-1606活動)の「兎狩り」


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逸名画家作「アンニーバレ・カラッチ(ボローニャ、1560-ローマ、1609)作『荊刑のキリスト』のコピー画」


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逸名画家作「聖セバスティアーノ」(17世紀中頃)


P2530795
次の部屋です。


P2530796
カッソーネ(17世紀)


P2530798
ジョヴァンニ・アントニオ・ペッレグリーニ(ヴェネツィア、1675-1741)の「傭兵」


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エミリアの逸名画家作「ダンテ通りの景観」(18世紀後半)


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エミリアの逸名画家作「キリストとサマリア女」(18世紀後半)


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エミリアの逸名画家作「監獄」(18世紀後半)


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エミリアの逸名画家作「キリストとカナン人」(18世紀後半)


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エミリアの逸名画家作「キリストと教会博士たち」(18世紀後半)


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エミリアの逸名画家作「ロッジャ」(18世紀後半)


P2530818
次の部屋です。


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チェーザレ・プロンティ通称フラ・チェーザレ・パチョッキ(カットリカ、1626-ラヴェンナ、1708)の「天上の聖母子と聖人たち」


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逸名画家作「ジュゼペ・デ・リベラ作『善きサマリア人』のコピー画」(17世紀後半)


P2530826
チェーザレ・プロンティ通称フラ・チェーザレ・パチョッキ(カットリカ、1626-ラヴェンナ、1708)の「十字架降下」


P2530828
カルロ・ボッロメオ1628-フォルリ、1719)の「聖ベネデット」


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逸名画家作「カルロ・チニャーニ作『聖母子と聖テレーザと聖カルロ・ボッロメオと聖ジョヴァンニ・バッティスタ』のコピー画」


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ジョヴァンニ・ドメニコ・チェッリ―ニ(ペルージャ、1609-ローマ、1681)の「瞑想の聖マリア・マッダレーナ」
(つづく)

074
サンタ・マリア・イン・ポルト修道院(写真手前)とサンタ・マリア・イン・ポルト教会です。


067
サンタ・マリア・イン・ポルト修道院の建物にラヴェンナ市立美術館 Museo d' Arte della Citta di Ravenna があります。
ラヴェンナの城壁から東約4㎞に位置するポルト・フオーリ(現在はラヴェンナのFrazioniの一つ)にサンタ・マリア教会がありましたが、15世紀に、その教会の隣に修道院建設の話が持ち上がりました。
当時、ラヴェンナはヴェネツィア共和国の支配下にありましたが、修道院を建設するならばラヴェンナの城壁内にすべきとの指示がヴェネツィアからありました。
現在、教会と修道院が建っている場所に住居がありましたが、1496年にそれらの住居が取り壊され、1496年から1509年にサンタ・マリア・イン・ポルト修道院が建設されました。


P2530650
修道院はこの建物の一部で活動しています。


069
ラヴェンナ市立美術館は、他の場所で1829年に開館しました。修道院の建物に移転してきたのは1972年でした。


P2530654
約2000㎡の展示室面積があり、14世紀から19世紀の作品が展示の中心です。一部、現代の作品も展示されてます。


070
切符売り場の入り口です。


071
この日、大変残念なことに14世紀から16世紀の作品の展示室が何故か閉鎖されていました。


P2530655
地上階ロビーの壁にある彫刻(詳細不知)


P2530656
展示室は1階(日本の2階)に設けられてます。


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かなり近代的な佇まいの展示室です。


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ルーチョ・フォンタナ(アルゼンチン、1899-ヴァレーゼ、1968)のモザイク彫刻
ルーチョ・フォンタナは、美術家、彫刻家、画家で空間主義運動の創始者です。


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ルーチョ・フォンタナの作品


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ルーチョ・フォンタナの作品


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フランチェスコ・ファッブリの作品


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フランチェスコ・ファッブリの作品


P2530666


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フランチェスコ・ファッブリの作品


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エットーレ・ソットサッス・イル・ジョーヴァネの作品


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現代美術の展示室


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アルフレド・プロッティ(ボローニャ、1882-1949)の「若い女」(1927)


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アルベルト・サリエッティ(ラヴェンナ、1892-キアヴァリ、1961)の「女の肖像」(1922)


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オラツィオ・トスキ(ルーゴ、1887-フィレンツェ、1972)の「夜のジャスミン」(1927)


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ドメニコ・バッカリーニ(ファエンツァ、1882-1907)の「女性の彫像」(1903-04)


P2530683
ドメニコ・バッカリーニ(ファエンツァ、1882-1907)の「女の頭像」(1903)


P2530685
エドガルド・サポレッティ(バニャカヴァッロ、1865-ベッラリア、1909)の「我が妻アントニエッタ」(1900c)


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ジュゼッペ・ランベッリ(バニャカヴァッロ、1868-1954)の「マリーザ・ガンベリーニの肖像」(1900)


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フィリッポ・シルヴェストロ・ジュリアノッティ(ジェノヴァ、1851-ローマ、1903)の「こっそり」(1883)


P2530691
フィリッポ・シルヴェストロ・ジュリアノッティ(ジェノヴァ、1851-ローマ、1903)の「ファウヌス(森の神)」(1893)


P2530693
ジュゼッペ・ヴィッツォット・アルベルティ(オデルツォ、1862-ヴェネツィア、1931)の「アザミ」(1895)


P2530695
次の部屋です。


P2530696
この部屋から古い時代の作品になります。


P2530697
逸名画家作「マルチェッロ・ヴェヌスティ(マッツォ・ディ・ヴァルテッリーナ、1510-ローマ、1579)作『磔刑』のコピー画」(16世紀)


P2530702
マッテオ・インゴリ(ラヴェンナ、1585-ヴェネツィア、1631)の「最後の晩餐と聖アポリナーレとベアート・ロレンツォ・ジュスティアーニ」


P2530705
フランチェスコ・ザガネッリ通称フランチェスコ・ダ・コティニョーラ(コティニョーラ、1499から活動記録-ラヴェンナ、1532)の「羊飼いの礼拝と聖ボナヴェントゥーラと聖ジローラモ」


P2530708
逸名画家作「グイド・レーニ(ボローニャ、1575-1642)作『磔刑』のコピー画」(17世紀中頃)


P2530711
ヴェネトの逸名画家作「男の創造」(17世紀)


P2530713
逸名画家作「パオロ・ヴェロネーゼ(ヴェローナ、1528-ヴェネツィア、1588)作『マギの礼拝』のコピー画」


P2530716
Maestro di Flora (フォンテーヌブロー、16後半活動)の「豊穣の寓意」


P2530719
ジョヴァンニ・バッティスタ・べルトゥッチ・イル・ジョーヴァネ通称ジョヴァンニ・バッティスタ・ピット―リ(ファエンツァ、1539-1614)の「聖ジローラモに顕現する聖母」
聖母が描かれた上部が切断された?


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エミリアの逸名画家作「聖家族」(16世紀末)


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エミリアの逸名画家作「聖フランチェスコを支える2天使」(17世紀末-18世紀初め)
(つづく)

119
サン・ヴィターレ聖堂の門です。


120
サン・ヴィターレ聖堂の鐘楼です。
人出が多かったので、ガッラ・プラチーディアの霊廟、サン・ヴィターレ聖堂、国立博物館を後回しにして、それらと至近にあるサンタ・マリア・マッジョーレ教会に行きます。


121
サンタ・マリア・マッジョーレ教会です。


128
教会の歴史は古く、ラヴェンナの第24代司教聖エクレショ(?、?-ラヴェンナ、534c)によって521年に創建され、534年に完成した初期キリスト教会です。


123
1671年にほぼ現在の姿に改修されました。


122
円筒形の鐘楼は9世紀から10世紀に建設されたものです。


124
中に入りました。


186
主祭壇


126
1671年に改修の際、元の装飾は殆ど取り壊されました。


125
最大の見所はこの聖母子です。


127
トゥモーリの聖母です。


187
詳細不知
外に出ます。


130
ガッラ・プラチーディアの霊廟は混雑していたので、見るのを後回しにしました。


129
サン・ヴィターレ聖堂の拝観を先にします。


157
526年、第24代ラヴェンナ司教聖エクレショ(?、?-ラヴェンナ、534?)によって創建され、547年、マクシミアヌス大司教の時代に完成したビザンチン様式の初期キリスト教会です。


145
1960年、第261代教皇ジョヴァンニ23世(在位:1958-1963)によってBasilica Minoreに叙せられました。


144
中に入りました。


137
クーポラ


138
古いフレスコ画と比較的新しいフレスコ画が混在してます。


188
詳細不知


189
詳細不知


140
モザイクが見所です。


139


141


143


142
床のモザイク
外に出て、ガッラ・プラチーディアの霊廟に向かいます。


146
ガッラ・プラチーディアの霊廟は空いていました。


156
ホノリウス帝の妹で、コンスタンティウス3世の妻エリア・ガッラ・プラチーディア(コンスタンティノープル、388/392-ローマ、450)のよって建設されました。
ローマで死去したエリア・ガッラ・プラチーディアの霊廟であることは確かですが、教会の礼拝堂として建設されたという説もあります。


155
霊廟の入り口です。


147
中に入りました。


148
霊廟内はモザイクで一杯です。


150


151


152


153


136
サン・ヴィターレ聖堂、修道院のキオストロです。


135
次は国立博物館です。


131
国立博物館の建物です。


132
扉が開いてます。


133
入館しましたが、中は写真不可でした。


134
ラヴェンナの写真不可に対する観光方針が理解できません。


158
夜はオペラなので、体力維持のためホテルに戻ることにしました。


159
(おわり)

P2530650
次は市立美術館です。


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サンタ・マリア・イン・ポルト修道院の建物に市立美術館が置かれてます。


071
入館しました。


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モザイクの街ラヴェンナらしく現代のモザイクが展示されてます。


P2530696
市立美術館に付いては、項を改めて詳しく触れます。


P2530781
グエルチーノの作品です。


P2530707
あれっ、グイド・レーニの作品がある。でも少し平板です。
グイド・レーニの名作のコピー画でした。


P2530795
どうしたことか、13世紀から15世紀の作品の展示室が閉鎖されてました。


P2530818
部分開館はよくあることですが、ガックリさせられます。


067
外に出ました。


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夜にオペラを観劇するので、時間が余りありません。


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残念ながらサンタポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂に行く時間がありません。


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サンタポッリナーレ・ヌオ―ヴォ聖堂を横に見ながらサン・ヴィターレ聖堂に向かいます。


P2530991
サン・ヴィターレ聖堂はチェントロ・ストーリコの北にあるので、チェントロをほぼ横断する形になります。


076
ジュゼッペ・ヴェルディ高等音楽院の建物です。


100
ポポロ広場を経由してサン・ヴィターレ聖堂に向かいます。


101
ガリバルディ広場です。ポポロ広場はガリバルディ広場と繋がってます。


102
ポポロ広場にやってきました。


103
ポポロ広場の端にあるサンタ・マリア・デル・スッフラージョ教会です。


105
フランチェスコ・フォンターナの設計によって1701年から1728年にかけて建設されたバロック様式の八角形の教会です。


104
この時間は扉が閉まっていましたが、美術的に見所たる作品がないので、気になりません。


106
1288年創建の市庁舎です。


108
市庁舎前に彫刻があります。


107
Residenza Comunale


109
この街でも特に歴史ある広場ですが、古い建物は残っていないようです。


110
時計塔がある建物は、現在銀行が入ってます。


111
旧サン・ドメニコ教会に向かいます。


112
カミッロ・ベンソ・カヴール通り


113
銀行の建物だったと思います。


114
旧サン・ドメニコ教会です。


115
教会の前にパデナ川が流れていたそうです。
教会の歴史は975年に遡りますが、現在の建物は13世紀に建設され、1374年に拡大改造され、さらに18世紀に改修されたものです。


116
現在は、ラヴェンナ市所有の建物となっており、各種展示会などに使用されてます。


117
修道院だった建物は既に解体されました。


118
(つづく)

P2530647
次はサンタ・マリア・イン・ポルト聖堂と市立美術館です。


P2530648
サンタ・マリア・イン・ポルト聖堂です。


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聖堂の隣に建っているのが、サンタ・マリア・イン・ポルト修道院の建物です。修道院の一部が市立美術館です。


P2530651
聖堂と修道院はローマ通りに面してます。通りの先にあるのはポルタ・ヌオーヴァです。


073
ポルタ・ヌオーヴァのこちら側がラヴェンナの城壁内になります。門の先にサンタポッリナーレ・ディ・クラッセ聖堂があります。


P2530905
サンタ・マリア・イン・ポルト聖堂修道院の前に広場があります。


P2530652
先ずサンタ・マリア・イン・ポルト聖堂です。
ラヴェンナの城壁から東約4㎞のポルト・フオーリ(ラヴェンナのFrazioniの一つ)にサンタ・マリア教会がありました。15世紀、そのサンタ・マリア教会の隣に修道院建設計画が具体化しましたが、当時、ラヴェンナを支配していたヴェネツィア政府は、ポルト・フオーリの修道院建設を許可せず、城壁内に修道院建設するように指示しました。
その指示に基づき、1496年、現在、教会と修道院が建っている場所とその前の広場に建っていた住居が破壊されました。


P2530906
そうして、1496年創建され、1509年に完成したのがサンタ・マリア・イン・ポルト修道院です。1511年、当時の教皇ジュリオ2世(第216代教皇、在位:1503-1513)が一時期、この修道院に留まりました。


053
修道院の完成後、直ぐに修道院のための教会が必要とされて、1553年に創建され、1561年に一応、教会としての機能を持つ建物になりました。


P2530910
しかし、ファサードや礼拝堂の一部などが未完成でした。


P2530987
貴族で建築家のカミッロ・モリ―ジャ伯爵(ラヴェンナ、1743-1795)によって1775年から1784年にかけて建設されたファサードです。


P2530983
ドメニコ・チニャローリ(ヴェローナ、17世紀後半活動)のファサードの彫刻「慈愛」


P2530984
ドメニコ・チニャローリ(ヴェローナ、17世紀後半活動)の「ギリシャの聖母」(1689)


P2530985
ドメニコ・チニャローリ(ヴェローナ、17世紀後半活動)の「希望」


P2530986
ドメニコ・チニャローリ(ヴェローナ、17世紀後半活動)の「謙虚」


P2530908
1797年、ナポレオンの侵略によって修道士は追放され、1798年には修道院と教会が接収され、兵舎に転用されました。
1828年、修道院だけ再開されましたが、1886年に閉鎖されました。
19世紀末に教会が再開され現在に至ってます。


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1960年、教皇ジョヴァンニ23世によってBasilica Minoreに叙せられました。


P2530911
聖堂内に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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右側廊方向


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身廊天井
祭壇画を見て回ります。


P2530917
アンドレア・バルビアーニ(ラヴェンナ、1708-1779)の「聖母子と聖ドメニコとアレッサンドリアの聖カテリーナ」(18世紀)


P2530919
左側廊の礼拝堂


P2530921
イッポリート・スカルセッラ通称ロ・スカルセッリーノ(フェッラーラ、1550-1620)の「聖ジャコモ・ミノーレの殉教」


P2530924
左側廊の礼拝堂です。


P2530926
チェーザレ・コルテ(ジェノヴァ、1554-1618)の「アンティオキアの聖マルゲリータの殉教」(16世紀末)


P2530928
左側廊の礼拝堂


P2530930
フランチェスコ・ロンギ(ラヴェンナ、1544-1618)の「聖母被昇天と聖人たち」


P2530933
左側廊の礼拝堂


P2530935
エミリオ・タルッフィ(ボローニャ、1633-1696)の「殉教者聖ロレンツォ」


P2530937
主祭壇


P2530980
誰の作品でしょうか?


P2530981


P2530982


P2530938
主祭壇前から見たファサード方向


P2530939
右側廊の礼拝堂に移ります。


P2530942
アンドレア・バルビアーニ(ラヴェンナ、1708-1779)の「聖ウバルド」


P2530944
右側廊の礼拝堂


P2530947
ジョヴァンニ・バッティスタ・バルビエーニ(ラヴェンナ、1593-1650)の「聖モニカと4聖女」


P2530949
右側廊の礼拝堂


P2530952
パルマ・イル・ジョーヴァネ(ヴェネツィア、1549-1628)の「聖マルコの殉教」


P2530956
「磔刑像」(15世紀)


P2530960
ジョヴァンニ・バッティスタ・バルビアーニ(ラヴェンナ、1593-1650)の「聖カルロ・ボッロメオ」


P2530962
右側廊の礼拝堂


P2530964
ヴィンチェンツォ・スピサーノ通称ロ・スピサネッリ(オルタ・サン・ジュリオ、1595-ボローニャ、1622)の「幼児を救う守護天使」


P2530966


P2530967


P2530970
制作者情報不知の「受胎告知」


P2530971
制作者情報不知の「大天使聖ミケーレ」


P2530972
詳細不知


P2530973
詳細不知のフレスコ画


P2530976
「ラヴェンナのギリシャのマドンナ」(431以前)
これは有名な浮彫です。1100年、ラヴェンナに齎せました。


P2530978
詳細不知のイコン


068
外に出ました。
(つづく)

P2530591
サンタポッリナーレ・ヌオーヴォ聖堂です。
ゴート族のテオドリック王(パノニア、454-ラヴェンナ、526)によって、王自身が使用する応急教会として、505年に創建されたパラティーナ教会が前身です。


085
540年、ビザンチン帝国によってラヴェンナは征服され、同帝国のユスティニアヌス1世皇帝(482-565)によってカトリック教会になることが命じられました。それに伴い、カトリック信仰の擁護者であり、反異端の聖人サン・マルティーノ・ディ・トゥールに捧げる教会となり、サン・マルティーノ聖堂に改称されました。
725年の大地震によって後陣が崩落してしまい、後陣のモザイクは失われました。


084
聖アポリナーレ・ディ・ラヴェンナ(アンティオキア、1世紀-クラッセ、2世紀)の聖遺物は、6世紀に建設されたサンタポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂に置かれていましたが。クラッセ聖堂は海岸に近い場所にありました。9世紀になると、海賊の脅威が増して、聖遺物が海賊に奪われたり、破壊されるのを恐れて、聖遺物を内陸にあるサン・マルティーノ聖堂に移すことになりました。それに伴い、奉じる聖人が聖マルティーノから聖アポリナーレに変更され、教会の名称がサンタポッリナーレ・ヌオーヴォ聖堂と改称されたのです。


086
第一次世界大戦の爆撃によって、ファサードとファサード前の柱廊が破壊されたので、20世紀に修復され現在の姿になりました。


P2530592
聖堂内に入りました。


P2530593
三廊式、バジリカ様式の内部です。


P2530594
信者席がありません。現役の宗教施設ではなく、恐らく観光用Museo扱いの施設と思います。


P2530595
18世紀に修復された天井


P2530596
新しそうな柱頭


P2530597
ユスティニアヌス1世のモザイク


P2530598
コリント式列柱の上部左壁のモザイクから見て行きます。


P2530599
左壁のモザイクのテーマは「東方三賢王と22人の聖女たちが聖母子に貢物を捧げる図」です。


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説教壇


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東方三賢王


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聖母子と天使たち


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主祭壇


093
後陣のモザイクは、725年の地震によってすべて失われました。


P2530610
詳細不知の主祭壇画


P2530613
右壁のモザイクに移ります。


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右壁のモザイクのテーマは「貢物を手にした26人の殉教者がテオドリック王の宮殿からキリストの元に向かう図」です。


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新しそうな柱頭


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左側廊


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聖母の礼拝堂


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詳細不知の聖母子


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知のフレスコ画


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右側廊


095


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キオストロ回廊に出ました。


P2530646


098


099
外に出ました。
(つづく)

P2530550
そろそろ昼食時です。


P2530551
それ程モザイクが好きという訳ではないので、頻繁にラヴェンナに来ていませんが、それでも行けば必ず食べる店があります。夜はオペラなので、夕食は適当に済ます予定ということで、昼食はそこで食べます。


P2530552
Palazzo di Teodoricoです。


P2530553
この時間は扉が閉まっているので、Palazzo di Teodoricoの見学は昼食後にします。


P2530554
サンタポッリナーレ聖堂の鐘楼です。


P2530555
サンタポッリナーレ聖堂の拝観も昼食後にしました。


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ここのモザイクはゆっくりと鑑賞すべきです。


P2530564
昼食の場所は広場に面した通りにあります。
写真右がアリアーニ洗礼堂、写真正面がスピリト・サント教会です。


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アリアーニ通りです。


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アリアーニ通りに面したオステリアに入りました。


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腹一杯になりました。
アリアーニ洗礼堂が開く時間を待って外に出ました。


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スピリト・サント教会は閉まっていました。


P2530569
テオドリック(パノニア、454-ラヴェンナ、526)によって6世紀に着工され、526年に奉献されたアーリア人の司教座教会が前身です。


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その司教座教会の洗礼堂がアリアーニ洗礼堂です。


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礼拝堂は5世紀後半に着工され、6世紀前半に完成しました。


P2530570
アリアーニ洗礼堂はラヴェンナ共通券の対象外となってます。


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切符は係員から買います。係員がいない時は、コインを入れて入場します。
アリアーニ洗礼堂は、現在の地表よりも2.25m下にあります。


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中に入りました。
現存するモザイクは天井だけです。


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天井のモザイク


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077
次はPalazzo di Teodoricoです。


078
伝統的にテオドリック宮殿と呼ばれてますが、7世紀から8世紀の建造物とされており、テオドリック(パノニア、454-ラヴェンナ、526)の死後に建設されたので、テオドリックとは直接関係がないというのが定説となってます。


079
テオドリック宮殿の中に入りました。


080
16世紀初頭に破壊されたサン・サルヴァトーレ・アド・カルキ教会の残骸という説もあるようです。


081
1950年から約10年間に行われた考古学的調査でも説得力がある結論には至らず、何の建物であったのか、よく分からないようです。


082
塔でしょうか? それとも鐘楼でしょうか?


083
(つづく)

160
次は大司教博物館とネオニアーノ洗礼堂です。


176
先ず大司教博物館です。


174
非常に興味深い博物館です。


175
入館しましたが、相変わらず中は写真不可でした。


P2530466
写真を撮ったら、品質劣化など問題になるような展示作品はなかったように思います。
サンタンドレア礼拝堂が見所でしょう。


184
外部サイトから拝借したサンタンドレア礼拝堂の写真です。


185
写真不可は事大主義の賜物でしょうね。


P2530468
次はネオニアーノ洗礼堂です。


173
402年、西ローマ帝国のホノリウス帝は、西ローマ帝国の首都をミラノからラヴェンナに遷都しました。それに伴って首都に相応しい教会として、ウルシアナ大聖堂が建設されましたが、ウルシアナ大聖堂の洗礼堂として5世紀初頭に創建され、450年頃に完成したのがビザンチン様式のネオニアーノ洗礼堂です。


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中に入ろうとしたら、急にグループのご一行様が。


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ご一行様が立ち去るのを待って中に入りました。


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天井のモザイク


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モザイクは458年頃完成したそうです。


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このモザイクの人物表現は普通ですが、12-13頭身で目が異様に大きい人物には閉口します。


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上ばかり見ていたので首が痛くなりました。


172
外に出ました。


P2530537
ジョン・F・ケネディ広場です。


P2530536
ケネディ大統領はイタリアで人気のようで、通りや広場の名称になってます。


P2530538
ラヴェンナ名物のモザイクの通りの表示板


P2530539


P2530540


P2530541
9月20日広場です。


P2530542
9月20日は広場や通りの名称になってますが、1870年9月20日イタリア王国軍がローマを攻略すると共にヴァティカンの世俗権と教皇領を奪ったことに因んでます。ローマはイタリア王国に併合され、首都になったのです。9月20日はイタリア統一運動における記念日です。


P2530543
歴史的建造物です。


P2530544


P2530545
歴史的建造物です。


P2530546


P2530547


P2530548


P2530549
(つづく)

P2530462
Piazza Caduti per La Libertaから見たPalazzo della Provinciaです。


046
マッツイーニ通りを進んで、サンタガタ・マッジョーレ聖堂に向かいました。


047
ここはパスしました。


049
サンタガタ・マッジョーレ聖堂です。


051
5世紀に建設され、16世紀に増設、改造されました。現存する鐘楼は1560年に建設されました。


048
16世紀の改造後、ファサード前に教会と無関係の店舗などが建設されてしまいました。
また、1688年の大地震によって、内部のモザイクがすべて失われました。


050
1913年から1918年に行われた修復の際、ファサード前の店舗などが取り壊され、元に近い姿に戻されました。
1944年、第二次世界大戦の米英軍の爆撃によって、建物の大部分が崩落してしまいました。現在の姿は1980年台に行われた修復後のものです。


052
聖堂内に入りました。
三廊式、バジリカ様式の内部です。修復が相次いで元の姿とはかなり離れていると言われてます。
美術的に見るべきものは限定されていると思います。


178


181
アンドレア・バルビアーニ(ラヴェンナ、1708-1779)の「聖ルチアと聖アポッロニア」
「聖母子」の制作者は不知です。


179


183
ジョヴァンニ・バッティスタ・バルビアーニ(ラヴェンナ、1593-1650)の「天上の聖母子と聖ピエトロと聖マリア・マッダレーナ」


180


182
ルカ・ロンギ(ラヴェンナ、1507-1580)の「聖アガタ(中央)とアレッサンドリアの聖カテリーナ(左)と聖チェチリア(右)」(1546)


P2530463
ドゥオーモのクーポラが見えてます。


P2530464
ファサード側に回ります。


P2530492
ラヴェンナのドゥオーモ、Cattedrale Metropolitana della Risurrezione di Nostro Signore Gesu Cristoです。ラヴェンナ=チェルヴィア大司教区の大司教座教会です。


P2530496
402年、西ローマ帝国のホノリウス帝(コンスタンチノープル、384-ラヴェンナ、423)がラヴェンナに遷都しましたが、それ機に首都の中心教会として建設されたのがBasilica Ursianaです。


P2530491
円筒形の鐘楼は10世紀に建設されました。


P2530493
1727年、ラヴェンナ大司教に叙せられたマッフェオ・ニコロ・ファルセッティ大司教は、古い建物ではなくバロック様式の建物の建設を決め、1734年に創建され、1745年に完成した建物が現在の姿の原形です。


P2530506
しかし、11年の短期間で建設された建物の構造的な欠陥が問題となり、1772年から1774年の新古典様式に改造改修されました。


P2530490
クーポラはバロック様式の八角形でしたが、1780年から1782年に現在の新古典様式に改造されました。


P2530507
聖堂内に入りました。


P2530508
三廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


P2530509
右側廊方向


P2530510
味気ない天井の装飾
祭壇画を見て行きます。


P2530512
ジャン=バティスト・ウィカル(フランス、リール、1762-ローマ、1834)の「天上のキリストとパドヴァの聖アントニオと聖ジャコモ・マッジョーレ」


P2530515
フィリッポ・パスクゥアーリ(フォルリ、1651-1697)の「聖アポリナーレをラヴェンナに派遣する聖ピエトロ」


P2530517
Cappella Aldobrandini


P2530522
グイド・レーニ(ボローニャ、1575-1642)の「マナを収集するモーゼ」


P2530520
グイド・レーニ(ボローニャ、1575-1642)とジョヴァン・フランチェスコ・ゲッシ(ボローニャ、1588-1649)によるCappella Aldobrandiniの天井フレスコ画


P2530524
主祭壇


P2530525
5世紀のモザイク


P2530526
Cappella di San Pier Crisologo


P2530528
ジュゼッペ・ミラーニ(フォンタネッラート、1716?-チェゼーナ、1798)の「聖ピエル・クリソロゴと聖ロムアルドと聖ダミアーノ」


P2530530
Cappella di San Cristoforo


P2530532
アントニオ・ロッシ(ボローニャ、1700-1753)の「聖クリストフォロ」


P2530534
祭壇をもう一度見てから外に出ます。
洗礼堂は拝観有料なので切符が必要です。


161
ドゥオーモ横にあるサンタ・ジュスティーナ教会を先に見ます。


P2530502
1747年から1750年に建設されたバロック様式の教会です。


P2530494
扉が開いていたので拝観します。


P2530497
中に入りました。


P2530498


P2530500
ドメニコ・バルビアーニ(ラヴェンナ、1714-1777)の「聖母の聖心」


P2530504
主祭壇画はフランチェスコ・ロンギ(ラヴェンナ、1544-1618)の「天上の聖母子と2聖人」


162
(つづく)

P2530430
アニータ・ガリバルディ(ブラジル、1821-ラヴェンナ、1849)のモニュメント
アニータは、ジュゼッペ・ガリバルディの妻でした。


P2530431
Via Angelo Mariani


P2530432
ボローニャ大学のラヴェンナ分校がある通りです。


P2530433
ボローニャ大学となっているPalazzo Corradiniです。


P2530434
市立ダンテ・アリギエーリ劇場です。


P2530437
1852年に建設されました。


024
この日の夜に上演される、モーツァルトの「コジ・ファン・トゥッテ」の切符を受け取りました。ネットで予約していました。


026
ラヴェンナに来た目的はオペラが優先で、モザイク鑑賞ではありません。


P2530436
劇場が面しているガリバルディ広場です。


023
ガリバルディ広場に面して建つ郵便局の建物(写真右)です。


022
Piazza Luigi Einaudiにある古そうに見える建物ですが、調べたものの分かりませんでした。このレストランが破綻したので、近年入札されたようです。


P2530438
ダンテの墓に向かいます。


P2530439
ダンテの墓は混雑してました。


P2530448
ファサードにあるゴンザーガ家の紋章
ゴンザーガ家の紋章がどうしてダンテの墓のファサードにあるのか、不思議に思いませんか?
現在のダンテの墓の経緯を知ると、ゴンザーガ家の紋章がある理由が分かります。


031
ダンテ・アリギエーリ(フィレンツェ、1265-ラヴェンナ、1321)は、政争に敗れてフィレンツェから追放され各地で亡命生活を送りましたが、1318年頃からラヴェンナに居を構えました。1321年、ラヴェンナの外交特使としてヴェネツィアに派遣されましたが、その帰路の途中でマラリアに罹患して、ラヴェンナに帰還すると直ぐに没してしまいました。
同年、サン・フランチェスコ教会で葬儀が行われ、教会内に葬られました。
その後、ダンテの廟を作るべきとの計画が数度持ち上がりましたが、実現しませんでした。
新古典様式のダンテの墓は、ゴンザーガ家出身のルイージ・ヴァレンティ・ゴンザーガ枢機卿(ロヴェレード・ディ・グア、1725-ローマ、1808)の指示によって、漸く1780年から1781年に建設されたのです。
墓が開くのを待って中に入りました。


P2530443
美術的な見所は特にないと思います。


P2530444


P2530445
天井


035
絶えることがない灯明です。燈明の油はフィレンツェから奉納され続けているそうです。


034


P2530446
次は旧サン・フランチェスコ修道院(写真右の建物)です。


030
ダンテの墓の横にある入り口です。


027
旧サン・フランチェスコ修道院です。


028
1261年、この場所にフランチェスコ会によって修道院が建設されました。


029
15世紀に再建された二代目の建物が17世紀に現在の姿に改造されました。


P2530440
キオストロ回廊にフレスコ画があったと思われますが、殆ど残されていません。


P2530449
Palazzo della Provinciaです。


040
この場所には、17世紀に建設されたラスポーニ家の邸宅がありました。ラスポーニ家住居は、1886年にホテルに転用されました。


039
しかし、1922年、ホテルは火災によって完全に消失してしまいました。ラヴェンナ市当局が土地を買い上げ、1926年から1928年に再建されたのが現在の建物です。


038
建物内に観光案内所があります。


037
次はサン・フランチェスコ聖堂です。


P2530450
450年頃にラヴェンナ司教によって建設されたアポストリ教会が前身です。
最初の建物は9世紀中頃に解体され、その上に新しい建物が再建されることになりました。9世紀中頃から10世紀に建設された二代目の建物が現在の姿の原形です。
1261年、フランチェスコ会の所有となりましたが、それに伴い呼称がサン・フランチェスコ教会に変更されました。


045
17世紀から18世紀にかけて繰り返し修復、改造が行われました。


P2530451
1918年から1919年に行われた修復の際、出来るだけ元の姿に戻すように努力されたそうです。その結果、現在の姿になりましたが、二代目の建物の完成時の姿とはかなり違うという説があるようです。


P2530454
聖堂内に入りました。


P2530455
三廊式、縦46.5m


P2530456
構造自体は古典的ですが、1918年に行われた修復の結果、かなり新しく見えます。


P2530457
修復された天井


P2530458
ピエトロ・ダ・リミニ(リミニ、?-1345c)のフレスコ画(14世紀)


P2530459


P2530460
哲学者たちの石棺(3世紀)


043
詳細不知の祭壇画


044
16世紀のフレスコ画


042
クリプタに立ち入ることが出来ませんでした。
外に出ます。


P2530452
ファサード前に置かれた石棺
(つづく)

ラヴェンナは、人口157,630人(2019年5月31日現在)のエミリア・ロマーニャ州ラヴェンナ県の県都です。
P2530384
この日は、フェッラーラ駅から鉄道でラヴェンナに向かいました。


P2530385
フェッラーラは濃霧でした。


P2530386
列車はかなり空いてました。


P2530387
定刻にラヴェンナ駅に到着しました。


P2530389
ラヴェンナ駅の駅舎です。
駅横にある、この日のお宿に向かいます。


P2530390
この日のお宿です。お勧めしません。


007
駅前広場です。先ず駅近くにある教会を拝観します。


009
サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会です。


P2530394
エリア・ガッラ・プラチディアの指示によって、425年から434年に建設された初期キリスト教会が母体です。11世紀にロマネスク様式に改修され、14世紀にゴシック様式に改造されました。
第二次世界大戦中に米英軍の爆撃を受け崩落したので、戦後に大改修されました。


P2530395
門があります。


019
門の彫刻


P2530396


010
門を潜ってファサードに出ました。


018
ファサード前から見た門です。


177
高さ42mの鐘楼


P2530397
中に入りました。


P2530398
三廊式、バジリカ様式の内部です。


P2530399
第二次世界大戦後に大修復されたので新しく見えます。


P2530400
木製ではないような・・・・・ 天井です。


P2530401
第二次世界大戦後に造られた?柱頭です。


P2530402
ファサード裏にカルロ・ボノーニの傑作があります。


P2530405
カルロ・ボノーニ(フェッラーラ、1569-1632)の「アハシュエロスの饗宴」(1620c)


014
モザイクが壁に掲げられてます。


015
モザイクの一部のテーマは第4次十字軍(1202-1204)となってます。


016


017


P2530406
1213年に制作されたモザイクです。その後、何時しか埋もれてしまい、その存在が忘れられていましたが、1736年に発見されました。
1747年に剥ぎ取られ、左右の壁に置かれるようになりました。


P2530407


P2530408


P2530409


P2530410


P2530412
保存状態があまり良くないフレスコ画があります。


P2530413
リミニの逸名画家によって14世紀に制作されたフレスコ画


P2530414


P2530415


P2530416


P2530417


P2530418


P2530419


P2530420


P2530421


P2530423
ヴェネト=スラヴ製のイコン「授乳の聖母」(15世紀後半)


P2530426


P2530427


P2530428


020
外に出ました。
(つづく)

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