イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:ピエモンテ州 > イヴレア

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パレストロ通りの中ほど、写真左に広場があります。


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オッティネッティ広場です。広場の奥からパレストロ通り方向を写した写真です。


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広場の三方を囲んで建っているサンタ・キアーラ修道院だった建物です。


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旧サンタ・キアーラ修道院の建物にイヴレア市立美術館 Museo Civico "Pier Francesco Garda"があります。


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旧修道院の柱廊に入りました。


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市立美術館は他の建物にありましたが、ピエル・アレッサンドロ・ガルダが収集した日本関係を含む東洋美術部門などを含む展示拡大を目的に、旧サンタ・キアーラ修道院の建物に市立美術館が2014年1月にオープンしました。


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柱廊のルネッタ上に僅かに残されたフレスコ画がありますが、痛みが激しく、何が描かれていたのかさえ分からない状態です。


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ピエモンテの逸名彫刻家作「聖マリア・マッダレーナ」(15世紀末-16世紀初頭)
初めは絵画、彫刻部門です。展示の中核は、イヴレアの富豪ルチア・グエルパ(1908-2003)の遺言によってイヴレア市に寄贈されたクロッフ・コレクションです。


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木彫り像「聖母子」(詳細不明)


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フランドル出身のジョルジョ・コッリーノ(1499と1506に活動記録)の「マギの礼拝」(1493)


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逸名画家作「聖母戴冠」(14世紀)


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ジョヴァンニ・マルティーノ・スパンツォッティ(カザーレ・モンフェッラート、1455c-キヴァッソ、1526/1528)の「マギの礼拝」(15世紀末)


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ジョヴァンニ・マルティーノ・スパンツォッティ(カザーレ・モンフェッラート、1455c-キヴァッソ、1526/1528)の「玉座の聖母子」(15世紀末)


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逸名彫刻家作「ニコデモ」(15世紀末-16世紀初頭)


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ジョヴァンニ・デル・ビオンド(プラートヴェッキオ、1356-フィレンツェ、1399)の「磔刑」(14世紀後半)


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ネーリ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1419-1492)の「聖母子と2天使」(15世紀中頃)


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フランスのカラヴァッジェスキ逸名画家、またはニコラス・レニエ―ル(モブージュ、1591-ヴェネツィア、1667)の枠組み(Cerchia)による「聖セバスティアーノ」(17世紀中頃)


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ジョルジョ・デ・キリコ(ギリシャ、ヴォロス、1888-ローマ、1978)の「桃」
この美術館で人気が高い作品です。


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ここで展示されている絵画、彫刻を遺贈したルチア・グエルパ(1908-2003)の書斎です。彼女の家の書斎をここに移設したのです。


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逸名画家作「山小屋」(19世紀中頃)
作品左下にドメニコ・モレッリの署名があるので、かっては、ドメニコ・モレッリ(ナポリ、1823-1901)の帰属作品とされていましたが、否定されてます。(署名が偽物と断定されたそうです)


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フィリッポ・パリッツィ(ヴァスト、1818-ナポリ、1899)の「家畜」(19世紀第4四半世紀)


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アンニーバレ・カラッチ(ボローニャ、1560-ローマ、1609)の「男の肖像」(1590-1600)
アンニーバレ・カラッチの代表作の一つがここにあります。これを見るためにイヴレアに来るのです。


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エウジェニオ・ガイズ(トリノ、1861-1938)の「沼」(1920c)


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ジョヴァンニ・カッパ・レゴラ(トリノ、1887-ヴェルバニア、1980)の「風景画」(1927)


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フィラデルフォ・シーマ(レヴィリアーニ、1849-フィレンツェ、1923)の「傲慢」(1878c)


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次は東洋美術部門です。
ピエル・アレッサンドロ・ガルダ(イヴレア、1791‐サモーネ、1880)が収集した約500点の作品を、1874年にイヴレア市に寄贈しました。この美術館の名称の由来になってます。


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日本関係の展示作品をここで紹介しても、あまり意味がないと思います。


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東洋美術品約500点のうち、日本のものが大半を占めます。


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皮肉なことに、日本の美術品を見るならば、日本ではなく海外の方が充実していると思います。


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特にボストン美術館に行くと、日本人の日本文化、芸術に対する軽視を痛感させられます。


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次は考古学部門です。


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Museo Civicoの定番と言うべき展示物が続きます。何処のコムーネでもほぼ同じような展示物。


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フレスコ断片


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ローマ時代のモザイク断片


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外に出ました。

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雨が強くなってきたので、これ以上あちこち歩く気がしなくなりました。


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市立美術館の時計が止まっていました。イタリアでは、駅の時計が狂っていることがあります。


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天気が良ければ、モーツァルト音楽会館に行きたかったけれど断念。


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先ほど拝観したサン・サルヴァトーレ教会です。


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雨天にも拘らず、夕方になるに従って人出が増えてきました。


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街一番の目抜き通りのパレストロ通りです。


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通りの先にサントゥルデリーコ教会が見えてきました。


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サンタ・マルタ広場です。


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サンタ・マルタ広場に面して建っている旧サンタ・マルタ教会です。
15世紀後半に建設されたサンタ・マルタ祈祷所が前身です。現在の建物は16世紀末に再建された二代目です。
1975年、教会としての機能が停止され、イヴレア市の所有となりました。その後、内部が改修され、現在は会議室等に使用されてます。


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パレストロ通りを進みます。


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少し遠回りになりますが、この道を進めばドゥオーモに行くことが出来ます。


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時計は午後4時過ぎを示していましたが、冬時間のままの時計表示でした。7月4日なので、実際は午後5時過ぎでした。


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サントゥルデリーコ教会です。ここも既に拝観しました。


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来た時と同じ道を通るのは気が利かないけれど、雨が嫌なので、その辺は仕方ない。


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パレストロ通りを更に進みます。


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サンタ・クローチェ教会です。ファサードの3点の彫刻が見物です。


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1616年から1622年に建設されました。


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中にフレスコ画があります。


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ファサードのピエタ


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父なる神


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既に活動を停止した旧教会で、建物は市所有となっており、展示場、会議室などに利用されてます。


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パレストロ通りに戻りました。


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靴下はぐっしょりと濡れ、靴の中はぐしゃぐしゃでした。


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道を下ってカヴール通りに出ます。


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トンネルの中で、雨に濡れた服をハンカチで拭いましたが、焼け石に水の状態でした。


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カヴール通りを横切る地下道を通って、カヴール通りの川沿いの歩道に出ます。


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カヴール通りの川沿いの歩道です。


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歩道から見たドーラ・バルテア川です。


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歩道から見た市庁舎の時計塔


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川を渡れば、ホテルはもう直ぐです。


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サン・マウリツィオ教会の鐘楼が見えましたが、行く気が起きません。


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風がなかったのがせめても救いでした。雨に加えて強風では敵いません。


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水量を増して流れが速くなったドーラ・バルテア川です。


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この年は冷夏で、天気が悪かった。


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カヴール通りを少し進んで、左折してドーラ・バルテア川に架かる橋を渡ります。


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サン・マウリツィオ教会が見えてます。


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鉄道橋


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滝に来ました。


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サン・グラート教会の鐘楼です。


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橋を渡りました。


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駅に通じるCorso Costantino Nigraに入りました。


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雨で散々でしたが、ほぼ目的を果たした街歩きでした。


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泊まる必要がなかったかもしれません。


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ホテルに戻りました。
(おわり)

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次はサン・サルヴァトーレ教会です。


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カステッロとドゥオーモがあった旧市街高地から道を下ります。


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ホテル学校のフェルディナンド・プラートです。観光立国のイタリアでは、ホテル学校が人気です。


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Via Madre Antonia Vernaを進みます。


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サン・ジュゼッペ祈祷所です。それにしても現代的な建物なので、驚きます。


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更に道を下ります。


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突き当りを右折すると、直ぐに広場があります。


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Piazza del Teatro
広場の名称は劇場があるからです。


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イヴレア市立劇場です。


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1833年から1834年に建設されたTeatro Civico "Giuseppe Giacosa"です。


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この場所にサンタゴスティーノ修道院があったそうです。


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ファサードに描かれたイヴレアの紋章


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雨が降り続いてました。劇場の直ぐ傍にサン・サルヴァトーレ教会があります。


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サン・サルヴァトーレ教会です。


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15世紀後半に創建され、16世紀中頃に完成しました。奉献式は1582年に行われたそうです。


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道幅が狭いので、正面からのファサード全体の写真がうまく撮れません。


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毎日開くようです。


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中に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、ルネサンス様式の内部です。


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雨天なので、薄暗い内部でした。


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天井にフレスコ画が描かれてます。


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主祭壇


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後陣にフレスコ画が描かれてます。


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主祭壇画は、17世紀のピエモンテの逸名画家による「受難のキリストと聖人たち」


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詳細不知
この教会の作品についての詳細が分かりません。


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ロレートの聖母礼拝堂


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詳細不知のステンドグラス


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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ファサード裏にオルガンがあります。


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外に出ました。


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次は市立美術館です。


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市立美術館がある広場です。写真左奥に市立美術館があります。


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市立美術館です。


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入館しました。


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市立美術館に付いては、項を改めて詳しく触れます。


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市立美術館から外に出たら、豪雨でした。
(つづく)

引き続きドゥオーモです。
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左側廊にある礼拝堂です。


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サン・サヴィーノ礼拝堂です。


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クラウディオ・フランチェスコ・ボーモント(トリノ、1694-1766)の「聖母子と聖サヴィーノと聖ベッソと聖テゴーロ」(18世紀)


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カルロ・フランチェスコ・コグロッシ(トレヴィーリオ、1749-1789)の「聖サヴィーノの殉教」


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サン・サヴィーノ礼拝堂の天井画は、カルロ・フランチェスコ・コグロッシ(トレヴィーリオ、1749-1789)の「昇天したキリスト」


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カルロ・フランチェスコ・コグロッシ(トレヴィーリオ、1749-1789)の「聖ベッソの殉教」


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制作者情報不知の「聖母被昇天」


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グイド・レーニ作品のコピー画でしょうね。


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詳細不知


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ジョヴァンニ・パレッラ司教(1437-1479)の墓


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制作者情報不知の「キリストの洗礼」(18世紀)


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旧洗礼盤?


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詳細不知


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ピエモンテの逸名画家作「聖ジュゼッペの死」(18世紀)


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詳細不知


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制作者情報不知の「磔刑」


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ファサード裏にオルガンがあります。


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外に出ました。


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ドゥオーモ広場に面して、もう一つ教会があります。サン・二コラ・ディ・トレンティーノ教会です。


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次はカステッロです。写真左の塔がカステッロのものです。写真右の鐘楼はドゥオーモのものです。


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カステッロです。
アオスタ渓谷に通じる道路を支配するために戦略的防御機能を目的に、サヴォイア家のアメデオ6世(シャンベリー、1334-サント・ステファノ・ディ・カンポバッソ、1383)によって、1358年に創建され、アメデオ6世の死後の1395年に完成したカステッロです。


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高い塀に囲まれてます。


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サヴォイア家の邸宅として使用されていましたが、外国支配などにより徐々に戦略的機能を失い、17世紀には殆ど使用されなくなったそうです。
1700年から刑務所として使用されるようになりましたが、それに伴い高い塀が築かれました。刑務所が閉鎖されたのは1970年のことでした。


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4本の塔があります。


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現在、カステッロは国有資産となってますが、その運営管理はトリノ県に委託されてます。


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一般公開は、特別な機会に限定されており、通常はカステッロの中に入ることが出来ません。


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カステッロとドゥオーモは同じ標高に建ってます。


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司教館です。


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ドゥオーモ広場からの眺望です。


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写真左端は市庁舎の時計塔です。


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何処の教会の後陣と鐘楼でしょうか?


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雨は小康状態でした。


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(つづく)

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写真右がローマ劇場の遺跡です。


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劇場の壁だった場所です。


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一見しただけでは、劇場の遺跡とはとても思えません。


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紀元後1世紀に建設されたそうです。


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これだけ見ても劇場だったとは想像がつきません。


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劇場の土台、壁を組み込んだ建物が建ってます。


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次はドゥオーモです。


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一旦、道を下ります。


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長い階段を上ります。ドゥオーモは旧市街の最も高い場所にあります。ドゥオーモ近くにカステッロがあります。


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階段を上り切った先に門があり。その門を潜ればドゥオーモの身廊横に出ます。


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イヴレアのドゥオーモ、Cattedrale di Santa Maria Assuntaです。イヴレアには古くから司教座が置かれていました。


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左翼廊外壁にフレスコ画があります。


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日時計でしょうか?


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ファサード側に回ります。


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教会の歴史は古く、この場所にギリシャ神殿がありましたが、ローマ時代にギリシャ神殿の一部を利用して劇場が建設されました。
4世紀頃、ギリシャ神殿とローマ時代の劇場は初期キリスト教会に転用されました。その初期キリスト教会が現ドゥオーモの前身です。


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10世紀、当時の司教によって、建物を再建して規模拡大することが決められ、初期キリスト教会が取り壊されました。
そうして、969年に創建され、1005年に完成したロマネスク様式の二代目の建物が、現在のドゥオーモの原形となってます。


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再建された建物は、13世紀、15世紀、16世紀、18世紀の4回に渡って改修、改造が行われました。


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創建時のロマネスク様式のファサードは、1516年にブラマンテ・スタイルのルネサンス様式に改造されました。
現在の新古典様式のファサードは1854年の改造工事によるものです。


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ファサードの装飾を見て行きます。


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19世紀の柱頭


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イヴレアの守護聖人の聖サヴィーノ像


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受胎告知


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聖パオロ


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新しい物ばかりで魅力に欠けます。


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12世紀に建設された鐘楼です。


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扉が開いていたので拝観しました。


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中に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、後期バロック様式の内部です。


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改修と改造の結果、古いものが殆ど残されていません。


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左側廊


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左側廊から信者席を見たところです。


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右側廊


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天井


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ピエモンテの逸名画家による身廊天井のフレスコ画(18世紀中頃)


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ピエモンテの逸名画家によるクーポラの装飾(18世紀中頃)


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主祭壇と後陣


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18世紀半ばに再制作された主祭壇


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主祭壇画は、カルロ・フランチェスコ・コグロッシ(トレヴィーリオ、1749-1789)の「聖母被昇天」


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後陣は立ち入り禁止なので、写真がうまく撮れません。これもカルロ・フランチェスコ・コグロッシ(トレヴィーリオ、1749-1789)の作品です。
(つづく)

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Piazza Ferruccio Nazionaleの端向こうに教会があります。


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Chiesa di Sant' Ulderico、聖ウルデリーコ教会です。


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971年に創建されましたが、完成後100年以内に取り壊されました。その理由は不明です。


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11世紀前半にロマネスク様式で再建されました。18世紀に現在の姿に改造されました。


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ファサードの右側が少し奇妙に見えると思います。
18世紀に行われた改造の際、11世紀前半に建設された鐘楼がファサードに組み込まれたのです。その際、鐘楼の上部はファサードの高さに合わせるべく切り取られたそうです。


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ファサード最上部の彫刻は、エンリコ・カルマッシ(ラ・スペツィア、1897-トリノ、1975)の「聖ウルデリーコ像」です。


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アリッツァート・ケッキーニの「救世主」(1973)


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この辺は18世紀のものです。


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組み込まれた鐘楼以外に古いものがありません。


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拝観します。


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中に入りました。


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単廊式です。18世紀にバロック様式に改造された内部です。


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フレスコ画、祭壇画がありますが、比較的新しいものが殆どです。


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主祭壇と後陣


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1766年に制作された主祭壇


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ジョヴァンニ・シルヴェストロ・ディ・モンタナ―ロ(モンタナ―ロ、1860-トリノ、1958)によって制作された後陣のフレスコ画


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ピエトロ・フィエッタ・ディ・イヴレア(イヴレア、1883-1960)によるクーポラのフレスコ画


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ジョヴァンニ・ストルノ―ネ(イヴレア、1848-1917)の原画による浮彫「聖ウルデリーコの奇跡」(1897)


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主祭壇は、ピエモンテの逸名画家作「三位一体と聖母と聖人たち」(18世紀)


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ジョヴァンニ・ストルノ―ネ(イヴレア、1848-1917)の「救世主」(1898)


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ジョヴァンニ・ストルノ―ネ(イヴレア、1848-1917)の「無原罪の聖母」(1898)


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セバスティアーノ・コンカ(ガエータ、1680-ナポリ、1764)の「ご誕生」


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18世紀前半のピエモンテの逸名画家作「聖フランチェスコ・ザビエルに顕現する聖母子」(1730c)


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ジョヴァンニ・ストルノ―ネ(イヴレア、1848-1917)の「聖母の教育」


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ジョヴァンニ・ストルノ―ネ(イヴレア、1848-1917)の「ご訪問」


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ファサード裏のステンドグラス


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出ました。


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パレストロ通りを進みます。


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次はローマ時代に建設されたローマ劇場の遺跡です。


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この道を真直ぐ進めばローマ劇場に出ます。


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(つづく)

イヴレアは、人口23,442人(2018年12月31日現在)のピエモンテ州トリノ県にあるコムーネで、ドーラ・バルテア川と5つの湖から成る絶景が見所です。
紀元前10世紀頃に遡る歴史ある街です。ローマ時代には、アルプスを越えて侵入する異民族に対する砦として発展しました。また、19世紀以降、オリベッティの城下町として有名です。
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キヴァッソ駅からイヴレア駅行普通列車でイヴレアに向かいました。


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車中はかなり空いてました。


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イヴレア駅に到着しました。


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イヴレア駅の駅舎です。キヴァッソからイヴレアへの列車は定時運転だったのですが、実はキヴァッソ到着が遅れて、予定していた列車に乗れず、一本遅い列車に乗ったのです。


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駅前広場です。


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列車の遅れで昼食を食べ損ねたので、駅横のビュッフェで簡単に済ませることにしました。


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仕方なくジャンクフードを食べました。お腹が空いてましたが、不味くて半分残してしまいました。


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Corso Costantino Nigraを通って、この日のお宿に向かいました。


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雨が降り続いてます。


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イヴレアの旧市街はドーラ・バルテア川の川向うにありますが、この日のお宿は川の手前にあります。
この時、雨はまだ小降りでした。


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この日のお宿が見えてきました。


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各国の国旗を掲げている建物が、この日のお宿です。レストランを併設しています。


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ホテルの自室から見たドーラ・バルテア川です。水量と川の流れの速さが異常です。


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イタリア人が好きそうな手のオブジェです。
ホテルの部屋で10分ほど過ごしてから街歩きに出発しました。


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旧市街に向かうべくCorso Costantino Nigraを進みました。


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突き当りを右折します。


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普通の道路に見えますが、ドーラ・バルテア川の橋です。


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橋の上から見たヴェッキオ橋です。


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ローマ時代の紀元前1世紀に架けられたヴェッキオ橋ですが、この辺は川幅が狭く、流れが急になってます。そのため、大水になると崩壊と再建を何度も繰り返された橋です。
今でも川幅が狭いのですが、1830年から川幅の拡幅工事が行われ、1840年頃に架けなおされたヴェッキオ橋が現在の姿です。


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ヴェッキオ橋の反対側に架かっている鉄道橋です。


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鉄道橋の先に旧市街があります。
写真の右方向に駅と、この日のホテルがあります。


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崖上にサン・マウリツィオ教会があります。


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崖の途中から滝が流れています。


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カヴール通りを市庁舎がある中心街に進みます。


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写っている鐘楼はサン・マウリツィオ教会のものです。


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元々、この辺の川幅が広いのですが、雨続きのため、川の中州の殆どが水中に没していました。


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7月初旬でしたが、雨天続きの冷夏でした。


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先ほど渡ってきたCorso Costantino Nigraの橋です。橋の名前が分かりません。
写っている鐘楼はサン・グラート教会のものです。


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ペッローネ広場です。


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広場の名称は、広場の中心にあるエットーレ・ペッローネ・ディ・サン・マルティーノ将軍(トリノ、1789-ノヴァーラ、1849)のモニュメントがあることに由来します。
エットーレ・ペッローネ将軍は政治家、愛国者でした。


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雨が強くなってきました。


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カヴール通りを進んで市庁舎がある広場に向かいました。時計塔が写ってますが、市庁舎の時計塔です。


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雨のため、靴下まで濡れてきました。


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写真右の緑地はフェッランド広場です。


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ピエトロ・ルーカ通りの先に教会がありますが、強雨のため拝観する気が失せました。


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市庁舎に近付くと何故か金融機関の建物が多くなってきます。


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振り返って撮った写真


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雨を避けて柱廊を進みました。柱廊が有難いと思いました。


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ピアーヴェ通りです。通りの先にTempio Valdeseがありますが、拝観する気力が湧きません。


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Piazza Ferruccio Nazionaleです。


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広場の名称は、1944年に、この広場で絞首刑されたパルチザンに由来するそうです。


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Piazza Ferruccio Nazionaleに面して市庁舎が建ってます。


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市庁舎が建っている場所にデブルゴ病院がありましたが、1750年頃には荒廃して使用されなくなっていました。その病院を取り壊して、1758年から1761年に建設された市庁舎です。


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(つづく)

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