
パレストロ通りの中ほど、写真左に広場があります。

オッティネッティ広場です。広場の奥からパレストロ通り方向を写した写真です。

広場の三方を囲んで建っているサンタ・キアーラ修道院だった建物です。

旧サンタ・キアーラ修道院の建物にイヴレア市立美術館 Museo Civico "Pier Francesco Garda"があります。

旧修道院の柱廊に入りました。

市立美術館は他の建物にありましたが、ピエル・アレッサンドロ・ガルダが収集した日本関係を含む東洋美術部門などを含む展示拡大を目的に、旧サンタ・キアーラ修道院の建物に市立美術館が2014年1月にオープンしました。

柱廊のルネッタ上に僅かに残されたフレスコ画がありますが、痛みが激しく、何が描かれていたのかさえ分からない状態です。

ピエモンテの逸名彫刻家作「聖マリア・マッダレーナ」(15世紀末-16世紀初頭)
初めは絵画、彫刻部門です。展示の中核は、イヴレアの富豪ルチア・グエルパ(1908-2003)の遺言によってイヴレア市に寄贈されたクロッフ・コレクションです。

木彫り像「聖母子」(詳細不明)

フランドル出身のジョルジョ・コッリーノ(1499と1506に活動記録)の「マギの礼拝」(1493)

逸名画家作「聖母戴冠」(14世紀)

ジョヴァンニ・マルティーノ・スパンツォッティ(カザーレ・モンフェッラート、1455c-キヴァッソ、1526/1528)の「マギの礼拝」(15世紀末)

ジョヴァンニ・マルティーノ・スパンツォッティ(カザーレ・モンフェッラート、1455c-キヴァッソ、1526/1528)の「玉座の聖母子」(15世紀末)

逸名彫刻家作「ニコデモ」(15世紀末-16世紀初頭)

ジョヴァンニ・デル・ビオンド(プラートヴェッキオ、1356-フィレンツェ、1399)の「磔刑」(14世紀後半)

ネーリ・ディ・ビッチ(フィレンツェ、1419-1492)の「聖母子と2天使」(15世紀中頃)

フランスのカラヴァッジェスキ逸名画家、またはニコラス・レニエ―ル(モブージュ、1591-ヴェネツィア、1667)の枠組み(Cerchia)による「聖セバスティアーノ」(17世紀中頃)

ジョルジョ・デ・キリコ(ギリシャ、ヴォロス、1888-ローマ、1978)の「桃」
この美術館で人気が高い作品です。

ここで展示されている絵画、彫刻を遺贈したルチア・グエルパ(1908-2003)の書斎です。彼女の家の書斎をここに移設したのです。

逸名画家作「山小屋」(19世紀中頃)
作品左下にドメニコ・モレッリの署名があるので、かっては、ドメニコ・モレッリ(ナポリ、1823-1901)の帰属作品とされていましたが、否定されてます。(署名が偽物と断定されたそうです)

フィリッポ・パリッツィ(ヴァスト、1818-ナポリ、1899)の「家畜」(19世紀第4四半世紀)

アンニーバレ・カラッチ(ボローニャ、1560-ローマ、1609)の「男の肖像」(1590-1600)
アンニーバレ・カラッチの代表作の一つがここにあります。これを見るためにイヴレアに来るのです。

エウジェニオ・ガイズ(トリノ、1861-1938)の「沼」(1920c)

ジョヴァンニ・カッパ・レゴラ(トリノ、1887-ヴェルバニア、1980)の「風景画」(1927)

フィラデルフォ・シーマ(レヴィリアーニ、1849-フィレンツェ、1923)の「傲慢」(1878c)

次は東洋美術部門です。
ピエル・アレッサンドロ・ガルダ(イヴレア、1791‐サモーネ、1880)が収集した約500点の作品を、1874年にイヴレア市に寄贈しました。この美術館の名称の由来になってます。

日本関係の展示作品をここで紹介しても、あまり意味がないと思います。

東洋美術品約500点のうち、日本のものが大半を占めます。


皮肉なことに、日本の美術品を見るならば、日本ではなく海外の方が充実していると思います。

特にボストン美術館に行くと、日本人の日本文化、芸術に対する軽視を痛感させられます。


次は考古学部門です。

Museo Civicoの定番と言うべき展示物が続きます。何処のコムーネでもほぼ同じような展示物。

フレスコ断片

ローマ時代のモザイク断片



















外に出ました。