イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:エミリア・ロマーニャ州 > フォンタネッラート

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サンヴィターレ要塞の狭間から見た景観です。


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軍事機能重視のサンヴィターレ要塞でしたが、16世紀にサンヴィターレ家の邸宅として改造、修復されました。


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17世紀に建設された煉瓦造りの橋


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小さな噴水


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フローラの庭から離れます。


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次は、1階(日本の2階)です。


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1階のロッジャは、要塞が開いている時間には一般公開されてます。


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階段の壁にフレスコ画の痕跡が認められますが、劣化が激しく何が描かれていたのか全く分かりません。


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ロッジャの出入り口扉上ルネッタ上に描かれたフレスコ画があります。


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近年、修復されたようで色鮮やかに蘇りました。


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誰の作品でしょうか?
チェーザレ・バリオーニ(クレモナ、1550c-パルマ、1615)の作品でしょうか? 2階(日本の3階)ロッジャのフレスコ画はチェーザレ・バリオーニによって描かれたようですが、2階のロッジャは非公開で2階に上れないようになっていました。


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ロッジャの反対側の出入り口の扉上ルネッタにもフレスコ画があります。


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詳細不知のフレスコ画


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1階(日本の2階)のロッジャから見た中庭です。


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要塞内部のガイドツアーの開始時間が迫ってきました。


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地上階に下ります。


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既に人が集まっていました。


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この扉前が集合場所となっています。切符売り場で切符を買い、ここで暫く待ちました。
ガイドツアー参加者は約30名で、イタリア語と英語の2班に分かれました。
私は英語班に参加しました。


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パンフレットが渡されましたが、後で返却することになってます。


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内部は写真不可でした。
英語班ですが、興味がないので外に出たいとか、パルミジャニーノのフレスコ画がある部屋で、絵画が嫌いなので別の部屋に直ぐに移りたい等を言う人がいて、散々でした。ガイドさんも、それらの意見を無視できなかったようで、私が観たかったパルミジャニーノのフレスコ画は鑑賞どころではありませんでした。困ったことでした。
フォンタネッラート観光の肝腎はパルミジャニーノのフレスコ画ですから、ガイドツアー参加者の一部は何を期待してこの村に来たのでしょうか?
パルミジャニーノのフレスコ画ですが、私の写真は1枚もありません。外部サイトから拝借して、フレスコ画を紹介しておきましょう。


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南面のフレスコ画
フレスコ画のテーマは、ダイアナ(ディアナ)とアクテオンの物語です。そのため、この部屋は「ダイアナとアクテオンの部屋」と呼ばれてます。

フランス軍と戦ったラヴェンナとパヴィアの戦いで有名なジャン・ガレアッツォ・サンヴィターレ伯爵(フォンタネッラート、1496-パルマ、1550)がパルミジャニーノにこの部屋の装飾を依頼して、1523年から1524年に制作されたマニエリスムのフレスコ画です。
この部屋はジャン・ガレアッツォの妻、パオラ・ゴンザーガ・サンヴィターレ伯爵夫人の化粧室でした。
ジローラモ・フランチェスコ・マリア・マッツォーラ通称パルミジャニーノ(パルマ、1503-カザルマッジョーレ、1540)の代表作です。


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西面


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北面


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東面


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東面に描かれた女性は、パオラ・ゴンザーガ・サンヴィーターレ伯爵夫人の肖像画と言われてます。
パルミジャニーノが後に描いた作品の聖母のモデルがパオラではないか、という説があります。


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パオラ・ゴンザーガ・サンヴィターレが聖母のモデルという説がある、パルミジャニーノの「長い首の聖母」(1534)です。


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天井


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キリがないので、この辺にしておきましょう。


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自分のペースで見ることが出来ないグループツアーが苦手です。


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物足らないで終わったサンヴィターレ要塞の内部見学でした。


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外に出ました。
なお、1948年に、サンヴィターレ家が要塞をフォンタネッラート・コムーネに売却しました。


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ホテルに戻りました。


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ヴィッラホテルの自室ベランダから見えるサンヴィターレ要塞の時計です。


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その夜は大人しく寝ました。


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翌朝です。


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この日も天気に恵まれました。


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次の目的地はファエンツァです。


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バスでパルマに向かい、パルマからファエンツァは快速列車に乗ります。


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ヴィッラホテルを後にしました。中々良いホテルで、エンジョイ出来ました。


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私にとって、最後のフォンタネッラートになりました。


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一度はパルマから往復遠足したいと考えていましたが、その機会に恵まれません。


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グリエルモ・マルコーニ通りです。


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名残惜しく、振り返りました。


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Porta di Sopraです。


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門を潜り城壁外に出ました。


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ロザリオの聖母の聖堂聖域です。


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(おわり)

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サンヴィターレ要塞の一般公開時間まで30分となりました。


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1124年に合意されたルッカとの条約によって、フォンタネッラートの支配者となったオベルト1世パッラヴィチーノ(ブッセート、1080-1148)は、1145年頃に支配地の中心に塔と砦を建設しましたが、それが要塞の起源です。


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1378年、パヴィア卿で後にミラノ公になったジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ(パヴィア、1351-メレニャーノ、1402)は、グエルフへの忠誠の報酬として、フォンタネッラートを取得しました。
新領主となったジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティは、従来からあった塔と要塞に加えて新しい城の建設を考えるようになり、1386年に建設工事が始まり、1400年頃に新しい城が完成しました。
イタリアの「城」の名称は、大体の場合、最初の呼称がそのまま踏襲されるようです。


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1404年、ミラノ公ジョヴァンニ・マリア・ヴィスコンティ(ミラノ、1388-アッビアテグラッソ、1412)は、ジベルトとジャンマルティーノのサンヴィターレ兄弟にフォンタネッラートを与えました。
サンヴィターレ家所有となった城は、拡大され、16世紀にほぼ現在の構造になりました。
その後、数度にわたり改造、改修を繰り返しましたが、1878年の修復工事の際、16世紀の姿に復元されました。その復元後の姿が現在の外観となってます。


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サンヴィターレ要塞入口のファサードです。
要塞の四方からの外観写真を示しておきましょう。


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南西側


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西角


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東角


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北東側にロッジャがあります。


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南角


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北角


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時計塔の前に橋があります。


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創建以来、堀に架かる橋は跳ね橋でしたが、17世紀初めに煉瓦造りの橋に変更されました。


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要塞の中に入ります。


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入口塔に時計があります。現在の時計はオリジナルの17世紀のものではなく、1997年に復元されたものです。


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時計塔に向かって右側です。


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橋を渡ります。


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橋上から見た要塞外の景観


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入り口前にある説明板


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入口アーチの壁にフレスコ画があります。


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紋章のフレスコ画です。


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写真のほぼ中央にサンヴィターレ家の紋章があります。


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中庭に入ります。


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中庭です。


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要塞の建物は、Palazzo Comunaleとして使用されてます。


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切符売り場の入り口です。


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三階建てでロッジャがあります。


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地上階のロッジャ


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ガイドツアーの前に、適当に見て回りました。


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「フローラの庭」です。


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狭間から見たサンタ・クローチェ教会です。


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サンタ・マリア・アッスンタ祈祷所です。


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19世紀に造られた光学室です。


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(つづく)

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ホテルの自室ベランダでの昼寝を終わって、再び外に出ました。


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サンヴィターレ伯爵家の厩舎だった建物です。現在、個人所有で部外者立ち入り禁止です。


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強烈な日差しでした。


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午後になって、観光客の姿を見かけるようになりました。恐らくサンヴィターレ要塞の一般公開の時間に合わせて、この町に来たのでしょう。


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しかし、要塞の公開時間まで、あと1時間半ほどありました。


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時間潰しのため、城壁外に出て見て回ることにしました。


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旧市街を東から北に、さらに西の方角に回ることにしました。


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旧市街の中心に要塞があります。要塞を囲む道を回ってから外に出ます。


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写真右はサンヴィターレ伯爵家の旧厩舎のロッジャです。


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町一番の目抜き通りであるグリエルモ・マルコーニ通りです。


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グリエルモ・マルコーニ通りの突き当りはPorta di Sopraです。


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Porta di Sopraを潜ります。


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門を潜って旧市街の外に出ました。


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緑深い一角を進みます。


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旧市街を取り囲む道路がありますが、方角や場所によって名称が変わり、東ではローマ通りと呼ばれてます。


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城壁に見えますが、旧サン・ジュゼッペ修道院の塀です。


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フォンタネッラートは、パルマのベッドタウンになっているようで、個人住宅が並んでます。


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郊外の普通の住宅地なので、観光的な見所が皆無です。


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サンティ通りです。


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旧サン・ジュゼッペ修道院の先にベアータ・ヴェルジネ・ロザリオ聖堂聖域の鐘楼とクーポラが見えます。


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サン・ジュゼッペ修道院の教会がベアータ・ヴェルジネ・デル・サント・ロザリオ聖堂聖域です。


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カドゥーティ・ディ・チェファロニア通りです。


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広大な牧草地に出ました。


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牧草地の一角に馬が放牧されてました。


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馬は、暑さに弱い筈ですが、暑さを気にせずに一心不乱に草を食んでいました。


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牧草地を越えると妙な場所に出ました。


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フォンタネッラート墓地です。


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一応墓地に入ってみました。


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北に向かって進みました。


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一旦ローマ通りに戻ります。


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泊っているヴィッラホテルの裏門です。


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道の木陰が有難かった。


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旧市街の北方に広大な公園があります。


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旧市街を一周する通りで、この辺ではトリアッティ通りと呼ばれてます。


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ヴェッツォーニ通りへと通りの名称が変わります。


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これ以上通りを歩いても見どころが無さそうです。


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サンヴィターレ要塞の公開時間まで時間がありますが、旧市街に戻ることにしました。


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写真右の建物の先を右折します。


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小さな公園がありますが、その公園にライオン像があります。


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水飲み場の上にライオンが横たわってます。


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ライオン像がある理由が分かりません。


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ライオン像を越えれば、サンタ・マリア・アッスンタ祈祷所の後陣に出ます。


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(つづく)

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作品帰属が分からない祭壇画が殆どでしたが、それらの質はかなり高いと思った聖堂聖域でした。


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この辺で11月4日通りと通りの名称が変わります。


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病院の入り口です。


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Centro Cardinal Ferrari(病院名)です。


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パルマ県における主要病院の一つです。


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病院の庭からSantuario Basilicaの鐘楼が見えます。


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聖堂聖域の先は観光向きではありません。


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旧市街を外れると緑溢れる町です。


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公園の先にサンタ・クローチェ教会の鐘楼が見えました。


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昼前にやっておくことがありました。


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この日の翌朝、バスでパルマに戻るので、バスの切符をバールで事前に買いました。


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バスの停留所と時刻を確認しました。バスの停留所が交差点の四か所にあるので、確かめないと・・・・・


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バスは始発ではなく、乗客は少ないと聞いていたので、これで安心です。


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この辺で、通りの名称が11月4日通りからヴィットリオ・ヴェネト通りに変わります。


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あちこち歩いても退屈なだけです。


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19世紀に建設されたPalazzo Jacopo Sanvitaleです。


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Palazzo Jacopo Sanvitaleの前にある戦没者追悼のモニュメント


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旧城壁内に戻ることにしました。


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直ぐに門が見えてきます。


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旧市街の入り口 Porta di Sopraです。


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門の横の建物


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門の横は花一杯でした。


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門を潜りました。


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旧市街の中から見たPorta di Sopraです。


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門の外方向です。


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グリエルモ・マルコーニ通りから見たPorta di Sopraです。


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グリエルモ・マルコーニ通りです。


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Rocca Sanvitaleに向かいます。


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観光客の姿が見えません。


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日帰りの観光客が殆どのようです。


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要塞の周囲をじっくりと見て回ることにしました。


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そろそろ昼食時です。


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ホテルに戻ります。


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ホテル併設のレストランで昼食を食べました。実は、このヴィッラ・ホテルのフル・ボード(1泊3食付き)を予約していたのです。フォンタネッラートなどの小さな町に宿泊する場合、意外に夕食を食べる所を探すことが大変なことがあります。


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自室に戻って休息です。


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涼しくて心地よかった。


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ヴィッラホテルの森です。
(つづく)

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聖なるロザリオの聖母の聖堂聖域 Santuario Basilica della Beata Vergine del Santo Rosarioの広場の前に門があります。


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教会の敷地内に入りました。


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教会前広場の北側に20世紀前半に建設された長い柱廊があります。


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長い柱廊に入ってみました。


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この場所に14世紀に建てられたサン・ジュゼッペ祈祷所がありましたが、15世紀末に祈祷所を取り壊し、その上に修道院と教会を新設することになり、修道院は1512年に完成しました。


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教会は1514年に完成しました。


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教会は巡礼地になったので、17世紀前半には修道院教会は手狭になりました。最初の建物を取り壊して、1641年から1660年に再建されたバロック様式の建物が現在の姿の原形です。


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写真左の煉瓦色の建物よりも奥が1672年着工、1700年頃完成した修道院です。


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ネオ・バロック様式の現ファサードは、ランベルト・フザーニ(パルマ、1877-1966)の設計によって1913年から1920年にかけて建設されました。


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ファサードの彫刻


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後陣と鐘楼


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クーポラと鐘楼


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ファサードの下部に柱廊があります。


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1903年、第257代教皇ピオ10世紀(在位:1903年-1914年)によってBasilica Minoreに格付けされました。


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聖堂内に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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左右に4つづつの礼拝堂があります。


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ピエトロ・ルビーニ(パルマ、1700-1765)によって1731年に描かれた天井フレスコ画


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床の文様


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主祭壇


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制作者情報不知の「ドメニコ会聖人たち」(18世紀初め)


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ピエトロ・ルビーニ(パルマ、1700-1765)の「聖パオロと聖トマス・アクィナスと聖ピエトロ」


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制作者情報不知の「ソリアーノの聖ドメニコの出現」(1666)


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ファサード裏にあるオルガン


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制作者情報不知の「聖ジュゼッペ」(19世紀)


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詳細不知


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ロザリオの聖母の礼拝堂


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制作者情報不知の「磔刑像」(1663)


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詳細不知


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詳細不知


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制作者情報不知の「割礼」(1663)


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制作者情報不知の「聖ジャチントの奇跡」(1669)


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制作者情報不知の「聖ライモンドの奇跡」(1669)


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外に出ました。
(つづく)

フォンタネッラートは、人口7,061人(2018年12月31日現在)のエミリア・ロマーニャ州パルマ県にあるコムーネで、「イタリアの最も美しい村」にリストアップされてます。
町周辺は、パルミジャーノ・レッジャーノの名産地です。
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前泊地は、エミリア・ロマーニャ州のグアルティエーリでした。


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列車に乗ってパルマ駅に向かいます。この鉄道はFS本体ではなく、系列子会社の運営だったと思います。


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普段ならば通学客で混雑する時間帯でしたが、学校が夏休みに入ったので、車内は非常に空いてました。


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パルマ駅に到着しました。
パルマ駅前からフォンタネッラート行きのバスがありますが、夏休みになったので、昼間の時間帯にはバスがないので、タクシーでフォンタネッラートに向かいました。フォンタネッラートは、パルマの西約25㎞にあります。


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タクシーで乗車約30分弱で、フォンタネッラートの、この日のお宿前に着きました。写真の赤い建物がこの日のお宿で、レストラン併設のヴィッラです。
フォンタネッラートの宿泊設備は限られていて、真面なのは、ここしかないようです。


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荷物をお宿に預けて、早速町歩きに出発しました。
この日のお宿は、要塞の向かいという絶好の場所にあります。


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サンヴィターレ要塞 Rocca Sanvitale、フォンタネッラート城(別称)です。


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当時、要塞の公開は夏季の午後のみでした。まだ午前中だったので、他の場所を見て回ります。


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この日は夏至の前日でした。カンカン照りで参りました。


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要塞は深い堀に囲まれてます。


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フォンタネッラートにおける美術的な見所は、要塞の中のパルミジャニーノのフレスコ画に尽きます。それをゆっくりと鑑賞するために来た訳です。
結論を言えば、その目的は悲惨なものに終わりました、パルミジャニーノのフレスコ画を見ることはできたのですが、ガイドツアーのみで、次の部屋、次の部屋とガイドから急かされて、ゆっくり鑑賞するどころではなく、見事に時間不足に終わったのです。その上、写真厳禁でした。
その詳しいことは後述します。


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先ずは教会巡りです。


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鐘楼が写っている教会に行きます。


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その奥に、もう一つ教会があります。


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城壁内に2つの教会があります。


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写真左端の教会に行きます。


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サンタ・クローチェ教会です。長い間、教区教会でしたが、今は違います。


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フォンタネッラート領主ギベルト2世サンヴィターレ伯爵によって、1447年に創建され、1503年に完成したゴシック様式の教会です。


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左右非対称のファサードです。


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拝観したかった教会でしたが・・・・・


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残念! 扉が閉まっていました。


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サンタ・クローチェ教会の後陣


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次はサンタ・マリア・アッスンタ祈祷所です。


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この場所に10世紀頃に建設された小さな礼拝堂がありましたが、15世紀頃には朽ち果てて廃墟になっていました。それを取り壊して、その上に1572年に建設された建物が現在の姿の原形です。1720年にバロック様式に改造され、現在に至ってます。
ここも閉まっていました。


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ルイージ・サンヴィターレ通りから見たサンヴィターレ要塞です。


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ルイージ・サンヴィターレ通りです。


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写真左の黄色の建物はコムナーレ劇場です。


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1856年、ルイージ・サンヴィターレ伯爵が、この土地を寄贈し、1864年から1866年に建設された新古典様式のコムナーレ劇場です。


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馬蹄形の劇場で、客席数は174席だそうです。


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劇場の先に広場があります。


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ヴェルディ広場です。ヴェルディ・オペラを上演するには、少し小さ過ぎる劇場のように思えます。


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アパートです。


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ヴェルディ広場の突き当りはパラッキ通りです。


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ヴェルディ広場からサンタ・クローチェ教会の鐘楼が見えます。


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パラッキ通りから見たヴェルディ広場です。写真右端の黄色の建物はコムナーレ劇場です。


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パラッキ通りを進んで城壁外に出ます。この辺の城壁は19世紀に取り壊されて存在しません。


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ヴィットリオ・ヴェネト大通りに出ました。


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病院です。


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病院前のモニュメント(詳細不知です)


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緑一杯のヴィットリオ・ヴェネト広場です。


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この先に教会があります。


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ベアータ・ヴェルジネ・デル・サント・ロザリオ聖域聖堂のファサードが見えてきました。
(つづく)

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