イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:エミリア・ロマーニャ州 > ボッビオ

引き続きサン・コロンバーノ修道院聖堂です。
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制作者情報等詳細不知の「貧者にマントを与える聖マルティーノ」


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制作者情報等詳細不知の「聖コロンバーノの説教」


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詳細不知


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詳細不知


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ベルナルディーノ・ランツァーニ(サン・コロンバーノ・アル・ランブロ、1460‐1530c)の祭壇画をもう一度見ました。


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詳細不知


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詳細不知


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ベルナルディーノ・ランツァーニ(サン・コロンバーノ・アル・ランブロ、1460‐1530c)のフレスコ画(1526‐30)


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ベルナルディーノ・ランツァーニ(サン・コロンバーノ・アル・ランブロ、1460‐1530c)によって描かれたフレスコ画(1526‐30)


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ベルナルディーノ・ランツァーニのフレスコ画


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聖堂から広場に出ました。


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この村で見たいと思った所は大体見たようです。しかし、10月の平日ということで、開いていない所が幾つかありました。


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ホテルに戻ります。


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サン・ロレンツォ教会を通り過ぎます。


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Piazza Santa Fara


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サン・ロレンツォ教会の鐘楼


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Vicolo della Noce


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芸術的にはあまり見どころが無かったような気がしました。


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ホテルに戻りました。


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ホテルの自室から見たサン・フランチェスコ修道院教会


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夕暮時のサン・フランチェスコ広場


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レストランに行ったら私一人でした。


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宿泊客も私一人でした。


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観光は昼間だけのようで、夜は寂しい田舎でした。


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美味しい料理を出す店です。


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お腹一杯になりました。


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食後の散歩に出ました。


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聞こえるのは虫の鳴き声だけ


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兎も角静かです。


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ホテルに戻りました。


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大人しく寝る以外なさそうです。


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翌朝です。


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この日は快晴でした。


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朝食は、私の出発の時間に合わせてくれました。


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通学の学生しか利用しないようなバスで、ピアチェンツァ駅に向かいました。


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高校生の殆どが途中でバスを下車して、ピアチェンツァまで乗車した客は数人でした。


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ピアチェンツァ駅前に定時に到着しました。
(おわり)

引き続きサン・コロンバーノ修道院聖堂です。
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ベルナルディーノ・ランツァーニ(サン・コロンバーノ・アル・ランブロ、1460‐1530c)のフレスコ画


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天井の装飾


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右後陣の礼拝堂


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ベルナルディーノ・ランツァーニ(サン・コロンバーノ・アル・ランブロ、1460‐1530c)の「聖母子と聖人たちと天使たち」


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9世紀のモザイク断片


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主祭壇とPresbiterio


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レオニーノ・レオーニ(ピアチェンツァ、16世紀後半活動)の「聖霊降臨」(1570)


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ジュリオ・カンピ(クレモナ、1502‐1572)に帰属する「聖母子と聖ステファノと聖ロレンツォと信者たち」(16世紀)


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「磔刑像」(16世紀)
クリプタに下ります。


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クリプタです。


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10世紀に建設されたクリプタです。


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13世紀に制作された錬鉄製の手すり


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クリプタの主祭壇に置かれている聖コロンバーノの墓


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ジョヴァンニ・デ・パトリアルキスの「聖コロンバーノの墓」(1480)


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聖コロンバーノ墓の彫刻


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クリプタのモザイク


3
クリプタに第一代修道院長、第二代修道院長、第三代修道院長の墓がありますが、こちらは第二代の修道院長聖アッターラ(ブルゴーニュ、6世紀‐ボッビオ、627)の墓です。
なお、初代の修道院長は聖コロンバーノです。


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聖アッターラの墓のフレスコ画


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第三代修道院長聖ベルトゥルフォ(フランス、メーツ、6世紀‐ボッビオ、640)の墓


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聖ベルトゥルフォの墓の下のフレスコ画


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クリプタの天井


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クリプタから身廊に戻ります。


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制作者情報不知の「キリストの昇天」


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詳細不知


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制作者情報等詳細不知の「聖ロレンツォの殉教」


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天井のフレスコ


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詳細不知


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制作者情報等詳細不知の「悔悛の聖アポッロニア」


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初代の建物にあった「Madonna dell' Aiuto」


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右側廊


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右側廊から見た身廊


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左側廊


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左側廊から見た身廊方向


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ベルナルディーノ・ランツァーニ(サン・コロンバーノ・アル・ランブロ、1460‐1530c)のフレスコ画


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テオドリンダから贈られたと言われている洗礼盤(7世紀)


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詳細不知


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詳細不知


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ロザリオの聖母礼拝堂です。


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ロザリオの聖母礼拝堂天井のフレスコ画


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制作者情報等詳細不知の「ロザリオの聖母」


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制作者情報等詳細不知のロザリオの聖母礼拝堂側壁のフレスコ画


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(つづく)

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サン・コロンバーノ修道院とサン・コロンバーノ聖堂に向かいます。


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次の左に進む道に入ります。


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午後5時になりました。


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サン・コロンバーノ修道院です(写真左)。


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Palazzo Barone


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614年、聖コロンバーノ(ナヴァン、540c‐ボッビオ、615)が修道院を創設しました。


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Piazza Santa Fara


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広場に設けられた駐車場に駐車する車が夕方になって増えました。


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サン・ロレンツォ教会


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Piazza Santa Faraから今来た所を振り返って撮った写真です。


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修道院の柱廊
現在の修道院の建物は、883年に着工され、その後増築を繰り返して1522年に完成しました。


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Piazza Santa Faraからカステッロが見えます。


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サン・ロレンツォ教会は午後の早い時間に既に拝観したので、この時間はパスしました。


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サン・ロレンツォ通りを進みました。


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写真左はサン・コロンバーノ聖堂の左側壁で、聖堂のファサード側に回ります。


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サン・コロンバーノ広場に出ました。


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サン・コロンバーノ聖堂です。


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修道院のバジリカは、9世紀に建設されました。


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現在の聖堂の建物は、初代の遺跡の上に1456年から1522年に建設された二代目のものです。


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中世を通じて、サン・コロンバーノ修道院はヨーロッパで最重要の修道院の一つでした。


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16世紀に建設されたファサード下の柱廊が目立ちます。


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ファサード上の彫刻はサン・コロンバーノ像です。


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サン・ロレンツォ通り側の鐘楼は、初代の建物のもので9世紀に建設されました。


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鐘楼の横にあるファサードのように見える部分は、9世紀に建設された初代のバジリカの後陣です。


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ファサードに向かって右横に修道院博物館の入り口があります。


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柱廊に入りました。


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ポータル上のモットーのテンプレート


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拝観します。


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聖堂内に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、ルネサンス様式の内部です。


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初代の建物の一部が残されてます。


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壁の多くがフレスコ画で装飾されてます。


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ベルナルディーノ・ランツァーニ(サン・コロンバーノ・アル・ランブロ、1460‐1530c)によって1526年から1530年に制作された内陣天井のフレスコ画
Presbiterioのフレスコ画は、ルイージ・ムッシ(ピアチェンツァ、1694‐1771)によって18世紀に制作されました。


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ベルナルディーノ・ランツァーニ(サン・コロンバーノ・アル・ランブロ、1460‐1530c)の「聖コロンバーノ」(1526‐30)


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Presbiterio天井のフレスコ画は、ルイージ・ムッシ(ピアチェンツァ、1694‐1771)の「栄光の聖コロンバーノ」


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Presbiterio右側壁のルイージ・ムッシ(ピアチェンツァ、1694‐1771)の「聖コロンバーノの生涯の物語」


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Presbiterio左側壁に描かれた、ルイージ・ムッシ(ピアチェンツァ、1694‐1771)の「聖コロンバーノの生涯の物語」


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Presbiterioに置かれたオルガン
(つづく)

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引き続きボッビオのドゥオーモです。


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)?の「聖セバスティアーノの殉教」


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)?の「聖アンブロージョ」


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)?の「聖コロンバーノ」?


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パオロ・ペロッティ(ピアチェンツァ、1928‐2018)の「洗礼盤」


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新しい作品がかなり多いドゥオーモです。


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制作者情報等詳細不知の「キリストの洗礼」


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サン・セバスティアーノ礼拝堂です。


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1498年に建設されたサン・セバスティアーノ礼拝堂です。


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司教館の入り口にある「磔刑」のフレスコ画(14世紀)


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サン・セバスティアーノ礼拝堂天井のフレスコ画(1507)


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制作者は分かっていません。


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近年修復されたので色鮮やかに蘇りました。


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16世紀の逸名画家作「聖セバスティアーノの殉教」


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外に出ました。


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サン・ジョヴァンニ・バッティスタ礼拝堂とサン・セバスティアーノ礼拝堂が良かったけれど、全般的には新しい作品ばかりで興覚めでした。


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昼食を楽しんだ店


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Largo Rio Grandeを進んでサン・コロンバーノ修道院に行くつもりでしたが、急に気が変わりました。


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道草をしてドゥオーモの周りを歩くことにしました。


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トレッビア川の方に進んでいるので、道は緩い下り坂になってます。


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自分の写真でカレンダーを作ってますが、その候補になりそうな・・・・・


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これです。


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写真右は司教館です。


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昼食を食べた店がある建物の柱廊です。これでドゥオーモの周りを一周したことになります。


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今度こそサン・コロンバーノ修道院に向かいます。


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Contrada di Porta Nova


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この道を真直ぐ進めばサン・フランチェスコ広場のお宿です。


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日帰り観光客はみな家路についたようで、観光客は私一人のようでした。


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写真左の道を病院方向に進みます。


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突き当りはPalazzo Comunaleですが、その手前を右折します。


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Contrada dell' Osoedaleに入りました。


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映画館があります。


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映画館らしからぬ歴史ある建物


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ボッビオでも新型コロナが流行したのでしょうか?


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写真左は病院です。


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この先に教会の建物があります。


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1604年に建設されたロマネスク様式のサン・二コラ教会です。


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バロック様式興成の時代にわざわざロマネスク様式で建設されたそうです。1950年に閉鎖され、現在は私有建物となってます。


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旧サン・二コラ修道院の建物は、エノテカ兼レストランになってます。


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(つづく)

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クリプタから身廊に戻りました。


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フランチェスコ・ポッロ(ロンバルディア、18世紀前半活動)のフレスコ画(1723)


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)のフレスコ画(19世紀)


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左側廊


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天井の装飾


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マッティア・トラヴェルソ(ジェノヴァ、1885‐1956)の「聖ジュゼッペ」


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天井の装飾


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)のフレスコ画


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マッティア・トラヴェルソ(ジェノヴァ、1885‐1956)の「磔刑」


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)のフレスコ画


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)のフレスコ画


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)の「ピエタのキリスト」


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左側廊


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左側廊から見た中央身廊方向


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フレスコ画で一杯です。


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右側廊


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右側廊から見た中央身廊方向


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カルロ・フランチェスコ・ヌヴォローネ(ミラノ、1609‐1662)の「守護天使」(1625)


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)の「聖母子」


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詳細不知


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)の「聖母子」


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天井の装飾


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)のフレスコ画


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)のフレスコ画


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カルロ・フランチェスコ・ヌヴォローネ(ミラノ、1609‐1662)の「磔刑と聖母と聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)のフレスコ画


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857‐1935)のフレスコ画


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修復工事中の礼拝堂が途中にありました。


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聖心の礼拝堂


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サン・ジョヴァンニ・バッティスタ礼拝堂です。


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15世紀のフレスコ画が残されてます。


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1070年から1075年に建設されたサン・ジョヴァンニ・バッティスタ礼拝堂ですが、1630年のペスト禍の際、ライムで埋められてしまいました。1910年頃に再発見され、2012年に漸く修復されました。


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「受胎告知」(15世紀後半)


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天井のフレスコ画は殆ど落剝してしまいました。


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15世紀の磔刑像


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聖セバスティアーノの殉教


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テオドリンダ


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修復中の礼拝堂 一部13世紀のフレスコ画があります。


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こちらは少し新しいフレスコ画ですが、詳しいことが分かりません。


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(つづく)

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マドンナ・デッライウ―ト聖域聖堂からサン・フランチェスコ広場に戻りました。


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サン・フランチェスコ広場の先にドゥオーモの鐘楼が見えます。


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サン・フランチェスコ修道院教会の横を通ってドゥオーモの後陣横に出ます。


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ドゥオーモの横にあるSeminario Vecchioの建物です。


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Piazzetta Porta Agazza


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Albergo Cacciatoriの横を進みます。


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直ぐにドゥオーモ広場の入り口に出ます。


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ドゥオーモのファサード前にグループツアーのご一行様がいました。聖堂の内部にもいました。


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ボッビオのドゥオーモ Concattedrale di Santa Maria Assuntaです。
1014年にボッビオは単独の司教区になりましたが、1986年、ピアチェンツァ司教区と合区され、ピアチェンツァ₌ボッビオ司教区となりました。それに伴い、ピアチェンツァのドゥオーモが司教座教会になり、ボッビオのドゥオーモはConcattedraleとなりました。


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サン・コロンバーノ修道院と共に発展したボッビオですが、修道院領とは別に、1014年にボッビオは単独の司教区となりました。ボッビオの初代司教は、サン・コロンバーノ修道院長が兼務しましたが、初代司教が没すると、二代目司教は、1017年、修道院と司教座教会の分離を行うために新たに司教座教会の建設を決めました。
そうして、1070年に創建され、1075年にロマネスク様式のサンタ・マリア・アッスンタ司教座教会が完成しました。1075年に奉献式が執り行われました。


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14世紀から15世紀に増築され、現在の規模になりましたが、それまでは1075年当時のロマネスク様式の建物が維持されました。


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二本の鐘楼に挟まれたファサードは1463年に完成しました。完成時はゴシック様式のファサードでしたが、18世紀に行われた改造によって現在のファサードの姿になりました。


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ファサードに向かって左側の鐘楼です。
左右の鐘楼は1532年に完成しました。左側の鐘楼は途中修復されたものの、完成時の姿を保っていると言われてます。


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ファサードに向かって右側の鐘楼は時計塔になってます。
右側の鐘楼は、17世紀にコムーネの所有となり、コムーネの方針によって上部を破壊して高さを低くするとともに時計を付ける改造を受け、時計塔兼鐘楼となりました。


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後陣


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修道院と司教座教会の分離はやはり管理が異なるから行われたと思います。


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ファサードに向かって右側に司教館があります。司教館に大聖堂付属美術館がありますが、日曜だけの開館なので入館するのが結構大変です。この日は平日だったので休館です。


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聖堂内に入ります。


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中に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、ロマネスク様式の内部です。


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1905年に行われた内装塗り直しの影響でしょうか、新しい印象を受けます。


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リブ付きのクロス・ヴォールト


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壁の多くがフレスコ画で覆われてます。


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1750年に遡る主祭壇とPresbiterio


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後陣のフレスコ画は、ロンバルディアの画家フランチェスコ・ポッロ(18世紀前半活動)によって1723年に制作されました。


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後陣のフレスコ画のテーマは「聖母被昇天」です。


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Presbiterioの聖歌隊席(17世紀)


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磔刑像(16世紀)


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フランチェスコ・ポッロ(ロンバルディア、18世紀前半活動)の「聖母被昇天」(1723)


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フランチェスコ・ポッロ(ロンバルディア、18世紀前半活動)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」(1723)


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2012年に作り直されたオルガン


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主祭壇前から見た出入口方向


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次はクリプタです。


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クリプタに下りました。


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15世紀に造られたクリプタです。


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1600年以降の代々のボッビオ司教の墓があります。


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詳細不知


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クリプタの祭壇下にボッビオ司教の聖アントニオ・マリア・ジャネッリの遺体が安置されてます。


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ボッビオの代々の司教のうち、唯一列聖されたのが、聖アントニオ・マリア・ジャネッリ(カルロ、1789‐ピアチェンツァ、1846 ボッビオ司教在位:1837‐1846)
1951年、第260代教皇ピオ12世(教皇在位:1939‐1958)によって列聖されました。


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クリプタに安置されているボッビオ司教たちの墓
(つづく)

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ボッビオの城壁外Corgnate地区にあるBasilica e Santuario della Madonna dell' Aiutoです。1970年、Basilica Minoreに格付けされました。


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サン・フランチェスコ修道院教会の敷地だった場所に15世紀に建設されたロンバルド・後期ゴシック様式のマリアの受胎告知教会 Chiesa dell' Annunciazione di Mariaがありました。その教会が聖堂聖域の前身の一部です。


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現在の聖域聖堂の後陣と鐘楼は、マリアの受胎告知教会のものです。


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伝説に拠れば、14世紀後半、修道院(恐らくサン・フランチェスコ修道院教会)の敷地に隣接してブドウ園がありましたが、ブドウ園の所有者が修道院との境にあった隔壁を高くすることにしました。その際、高くした隔壁に壁龕を設け、壁龕に聖母子のフレスコ画を描かせました。
1472年、壁龕に描かれた聖母の顔が急に崇高さを増す奇跡が起こり、壁龕の聖母子は人々の信仰を集めました。近隣の人々やサン・コロンバーノ修道院の巡礼者の巡礼地となりました。やがて、壁龕のフレスコ画を保存するために壁龕の礼拝堂が建設されました。


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17世紀になると、「壁龕」礼拝堂をマリアの受胎告知教会に組み入れて聖域を造ることが決められ、1621年に建設工事が着工され、1836年に完成しましたが、奉献を境に名称がマドンナ・デッライウ―ト聖堂を改称されました。


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ファサード下に柱廊が設けられてます。


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ファサード下の柱廊です。


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聖堂内に入りました。


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単廊式ですが、半地下の壁龕の聖母礼拝堂があります。


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観光客には殆ど知られていないので、見かけるのは地元の人だけです。


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身廊天井にフレスコ画がありますが、暗くてよく見えませんでした。


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主祭壇
後陣はマリアの受胎告知教会のものです。


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後陣のフレスコ画


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15世紀に描かれたフレスコ画が後陣にありましたが、落剝してしまったので19世紀に描き直されたフレスコ画です。


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制作者不知


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後陣左壁のフレスコ画です。
制作者不知の「奇跡の聖母のタベルナコロを礼拝する人々」(20世紀)


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後陣右壁のフレスコ画です。
制作者不知の「奇跡の聖母のタベルナコロの礼拝堂建設を決める修道院長」(20世紀)


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ロレートの聖母礼拝堂


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右側壁の礼拝堂


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サルヴァトーレ・ポッツィ(またはポッツォ)(プーリア、1595‐1681)の「ボッビオを守護する奇跡の聖母と聖人たち」(17世紀)


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半地下に進みます。


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奇跡の聖母礼拝堂


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伝説の「奇跡の聖母」のフレスコ画が祭壇に収められてます。


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「奇跡の聖母」(1472)
私にはオリジナルのフレスコ画に見えなかったのですが・・・・・


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奇跡の聖母礼拝堂天井


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窓はだまし絵です。


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内陣に戻りました。詳細不知の「聖ジュゼッペ」


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制作者不知の「奇跡の聖母」(19世紀)


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制作者不知の「ご訪問」(17世紀)


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サルヴァトーレ・ポッツィ(またはポッツォ)(プーリア、1595‐1681)の「聖ジュゼッペの死」(17世紀)


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画面が光るので、少し角度を変えて撮ってみました。


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外に出ました。


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道を挟んで、聖域聖堂向かいの建物の壁にある「聖母子像」が必見です。


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これです。奇跡の聖母を模した浮彫でしょうね。


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Via Corgnateの先に行っても何もなさそうです。


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サン・フランチェスコ広場を経由してドゥオーモに向かいます。


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(つづく)

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村の中心に戻ります。


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サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂の鐘楼が目立ちます。


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この光景を見ると、川が山を侵食してできた広い河原に築かれた村がボッビオと思えます。


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山肌が露出している部分がかなり多い。


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写真右端がカステッロです。


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写真右の道路を歩いてます。


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写真左はサン・フランチェスコ修道院教会です。写真右はマドンナ・デッライウ―ト聖域聖堂です。


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紅葉してますが、この日は10月16日でした。


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橋の前の食堂に来ました。


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橋を渡ります。


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イタリア人はこれが好きですね。


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橋の形状を中心に見て歩きます。


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振り返って撮りました。


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ドゥオーモの後陣


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ドゥオーモの下の道を進みます。


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サン・フランチェスコ広場に向かいます。


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サン・フランチェスコ修道院教会です。


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Via dei Ponte Vecchio


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Via dei Ponte Vecchioから見たヴェッキオ橋


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ピアチェンツァ方向に進むSS45です。


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サン・フランチェスコ広場に戻りました。


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この日のお宿です。


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自室に戻り、トイレ休憩しました。


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再び外に出ました。サン・フランチェスコ修道院教会のファサードが見えてます。


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次はマドンナ・デッライウート聖域です。


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Via Corgnateに面して建っている教会がマドンナ・デッライウート聖域聖堂です。
(つづく)

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トレッビア川に架かるゴッボ橋 Ponte Gobbo、別名ヴェッキオ橋 Ponte Vecchio、悪魔橋 Ponte del Diavoloです。
gobboとは、湾曲した、起伏のある、隆起のあるという意味で橋の形状に由来してます。
ローマ時代に架けられた橋が前身なので、ヴェッキオ橋(古い橋)と呼ばれてます。
中世の頃、橋を架けることが難しく、伝説を生みましたが、伝説の一つが悪魔によって架橋されたというものでした。


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橋の下を流れるトレッビア川です。


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トレッビア川は、リグーリア州、エミリア₌ロマーニャ州を流れる、ポー川の左岸支流です。


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橋を渡って対岸のボルゴ・デル・トレッビアに向かいます。


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長さ273m、11の等距離でないアーチがあり、しかもアーチ状の橋部分の高さが異なります。


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グループツアーのご一行様が通り過ぎて行きました。


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この場所が橋が初めて架けられたのは、ローマ時代ですが、ローマ時代の具体的な世紀は分からないようです。


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7世紀に、サン・コロンバーノ修道院の修道士によって、ローマ時代に築かれた橋の基礎の上に橋が再建されました。
橋は、巡礼者や修道院の宗教的な行進に使用されました。
両岸の橋端に奉納の像が置かれてます。


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聖母子


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聖コロンバーノ


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対岸に渡り切りました。


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上流の橋桁が見える所まで移動します。


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トレッビア川は元々急流なので、普通の状態でも川床の激しい浸食があることに加え、暴れ川の異名の通り洪水が繰り返されたので、橋の砂利床が移動したり、橋が流されたり変形を受けるなど壊滅的な被害と再建を何度も繰り返しました。


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明確な記録が残されている15世紀以降に限ってみても、15世紀から現代まで11回の橋の流失、崩落、再建を繰り返したことが分かってます。


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現在の橋は、1971年の大洪水によって壊滅的な被害を受け、その後に再建、修復されたものです。


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レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」の背景に、この橋が描かれているとの説があります。


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ボッビオのドゥオーモ


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グループツアーのご一行様が帰路についたようです。


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ボルゴ・デル・トレッビアは見所が殆どありません。


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下流の方に向かいます。


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橋の下は進めないようです。


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ここを上って道に出た方が良さそうです。


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橋の正面にお店があります。


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店の前のBorgo del Trebbiaを進んで下流方向に行きます。


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店の前から見た橋と村の中心部


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道を進みます。


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下流の方に来ました。


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道路からは、橋がうまく写りません。


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Basilica e Santuario della Madonna dell' Aiuto


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カステッロ


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村の中心街に戻ることにしました。


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(つづく)

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カステッロからトレッビア川の方に向かいます。


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写真正面の家の前に城壁がありましたが、破壊されました。


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城壁内に戻りました。


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放棄された水車があります。


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水車があったので、この道の下に小川が流れていて暗渠になっているのでしょうか?


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水車があるからには、それなりの流れの川が流れていた筈です。川は写真手前から道の先に流れている?


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村歩きをしているうちに、4つの廃棄された水車を確認できました。


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ヨーロッパの水車の殆どは粉挽き用だそうですが、ボッビオの水車は何用?


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村役場経由でトレッビア川に向かいます。


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柱廊のがっしりした柱に目が行きます。


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柱廊の天井が木製でした。


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再び城壁の外に出ました。と言っても、城壁は19世紀に取り壊され、この辺では残っていません。


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壁龕に聖母子像があるのを発見しました。


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これです。


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写真左の道を、写真手前方向に進みます。


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見所がそれなりにあるので、1泊しても退屈することはないと思います。


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この家並みの前に細い道があって、道の、家並みの反対側に城壁があったそうです。城壁を取り壊して広い道路が出来ました。


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再び城壁内に入りました。


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ワイン醸造所です。


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今もワイン生産しているのか、不明です。


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突き当りを左折すれば村役場があります。


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村役場です。


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サンタ・キアーラ広場に面して建つ村役場です。


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村役場に入ってみました。


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興味を引くようなものが無さそうです。


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ボッビオの紋章です。


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独立1000年の記念板


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サンタ・キアーラ広場からトレッビア川に向かいます。


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紅葉した蔦が絡まる民家


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落葉が進んでます。


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緩い下り坂の道


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古そうな建物ですが、特に名前が付けられていないようです。


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広い道に出ました。城壁を取り壊して作られた道?


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Strada del Fossato


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ここにも水車がありました。


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使用されなくなって、かなり経つ水車と思います。


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水車近くのアーチも補修されていないようで、少し危険と思いました。


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共同の洗い場です。


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水車、共同洗い場があることから、道路の下は川が流れているのかも知れません。


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通りの突き当りが川の堤防になります。


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写真左は城壁兼堤防です。


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サン・フランチェスコ修道院教会が見えてきました。


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SS45の横断歩道を渡ります。


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トレッビア川に架かるPonte Vecchioです。


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橋から振り返るとドゥオーモが見えます。
(つづく)

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一時、城壁外に出ました。


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丘の後方にトレッビア川が流れてます。


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写真左にカステッロがあります。


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案内板があります。


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カステッロ Castello Malaspina- Dal Vermeです。


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カステッロの入り口です。


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入り口前の地面に栗が沢山。


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614年に建設されたサン・コロンバーノ修道院と共に発展したボッビオですが、修道院がベネデット会の所有となった9世紀頃から城壁が築かれるようになりました。


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13世紀に本格的に城塞が建設されるようになり、村は要塞化されるようになりました。


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村の小高い丘にカステッロが建設されました。1219年の文書に、カステッロが建っている現在地にBraida de Castelloの存在が記載されてますが、それが前身とされてます。


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1304年から1341年まで、ボッビオはマラスピーネ家の支配下に置かれましたが、14世紀前半、ボッビオのシニョーリアのコッラディーノ・マラスピーナによって城の建設が開始されました。


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1341年から1436年まで、ボッビオはヴィスコンティ家の支配となりましたが、ヴィスコンティ家によって城は拡大されました。


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1436年から1743年まで、ボッビオはヴェローナ出身のダル・ヴェルメ家の支配下となりました。城はダル・ヴェルメ家の邸宅として整備拡充されて、1545年に完成しました。
城の名称は、創建したマラスピーナ家と完成させたダル・ヴェルメ家に因んで、Castello Malaspina- Dal Vermeと呼ばれてます。


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現在は、カステッロは国立博物館として一般公開されており、「パルマ・ピアチェンツァ公国の城」協会に運営管理が委託されてます。


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城の中に入ります。


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中の展示物がなく、殆どの部屋が閉まっていて、博物館として未整備のように思いました。


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切符売り場(この時は入館無料でしたが、無料券をもらってガイドと一緒に回るようになっていました)


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城内は見所が乏しく、期待外れで外に出ました。無料だったので贅沢は言えません。カステッロは人気がないようで、初めから最後まで私一人でした。


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城の庭に入ります。


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庭から村の全景が見えます。


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監視塔


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城壁の上から村の全景を見ます。


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鐘楼の向こう、山肌の下にトレッビア川の流れが見えます。


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サン・コロンバーノ修道院


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ドゥオーモ


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トレッビア川が写ってます。


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中秋の山


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これから博物館として整備されるのでしょう。


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カステッロ前の広場


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全部見たようです。


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階段を下りて扉の外に出ます。


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私が立ち去ると、係員が暇そうに外に出てきました。


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写真左はカステッロの城壁です。


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(つづく)

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サン・ロレンツォ教会です。グループツアーのご一行様は既に立ち去って、教会の中には誰もいませんでした。


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ファサードは12世紀のオリジナルに近いとされてます。


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12世紀のオリジナルの鐘楼は1779年に現在の姿に改造されました。


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ナポレオンの抑圧令によって、1803年に世俗同信会は解散させられ、教会は閉鎖となりました。1822年に教会の活動が再開されました。


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教会に隣接した建物は旧修道院で、現在は住居に転用されてます。


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中に入りました。


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単廊式、バロック様式の内部です。


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20世紀後半に再塗装されました。


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ロマネスク様式のファサードを見てから、この内部を見ると感じが全く異なり、少し戸惑います。


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主祭壇


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閉鎖となったサン・フランチェスコ修道院の教会から移設された磔刑像(17世紀)


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詳細不知


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後陣の木製聖歌隊席はサン・フランチェスコ修道院の教会から移設されたものです。


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主祭壇画の「聖ロレンツォの殉教」(制作者情報等詳細不知)


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詳細不知の「聖母子」


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制作者情報等詳細不知の「天上の聖家族と二聖人」


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制作者情報等詳細不知の「聖トンマーゾの不信」


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制作者情報等詳細不知の「天上の幼きキリストと二聖人」


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1144年の文書に、教会の初記録が記載されていますが、創建の年は不明のようです。
13世紀後半、バットゥーティと呼ばれるConfraternita di Laici(世俗同信会)の所有となり、隣接するサン・コロンバーノ修道院の修道士に依存する関係でした。


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経時劣化のため建物が危険になったので、活動が停止されました。1694年、ベネデット会修道士によって危険部分が取り壊され、一部が再建されると共に拡張されました。


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何となく納得できないサン・ロレンツォ教会でした。


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次はカステッロです。


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緩い上り坂の細い道を通ります。


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カステッロは、城壁内の小高い場所にあります。


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マッツィーニ通りを進みます。


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午後3時前なので、人出がなく、非常に静かです。


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この道の建物は17世紀に建設されたものが殆どです。


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風情のある建物です。


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写真左の道に進まず、写真手前を左折します。


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狭い城壁内の村外れに出ます。


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ここから柱廊が続きます。


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カステッロは写真右上辺りにあります。


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ポルティコが終わると城壁が現れます。


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防御力が感じない低い城壁です。


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最初の城壁は9‐10世紀に建設されましたが、修道院の村なので防御をあまり考えていないようです。


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漸く人を見かけました。


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城壁外に出ます。


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(つづく)

ボッビオ Bobbioは、人口3,544人(2019年11月30日現在)のエミリア・ロマーニャ州ピアチェンツァ県にあるコムーネで、「イタリアの最も美しい村」にリストアップされてます。
614年に建設されたサン・コロンバーノ修道院と共に発展し、1014年に独立しました。
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前泊地はイーモラでした。
写真は、カテリーナ・スフォルツァで名高いイーモラのスフォルツェスカ要塞です。


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イーモラ駅から鉄道でピアチェンツァ駅に向かいました。


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車内は、ボローニャに向かう時とボローニャを離れた時を除いて、大体空いてました。


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ピアチェンツァ駅に定時に到着しました。


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公共交通機関を使ってボッビオに向かうには、ピアチェンツァ駅からボッビオ行きバスで行くのが普通です。


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ピアチェンツァのバスターミナルは、ファルネーゼ宮殿前の広場にありますが、近郊の市町村に向かうバスの殆どは駅前の停留所を経由します。


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ボッビオ行きのバスに乗車しました。


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乗車1時間ほどでボッビオのサン・フランチェスコ広場に到着しました。


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サン・フランチェスコ広場に面した、この日のお宿に向かいました。日帰り観光客が殆どのボッビオですが、日帰りでは味気ないので主義として泊まることにしています。


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この日のお宿です。ボッビオの宿泊設備の選択肢は少ないのです。


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広場の名称の由来は、広場に面してサン・フランチェスコ教会修道院があるからです。活動を停止した旧教会修道院です。


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チェックインを済ませて外に出ました。


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レストランが主で、ホテル業は従といった感じでした。折から昼食時とあって、レストランは満員でした。
小さな村に泊まるときは、夕食に苦労した経験があるので(夜はやっていない店が殆ど)、レストラン併設のホテルを狙い目にしています。


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レストランが満員だったので、夕食の予約をしておきました。


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観光客がチラホラ。しかし、夕方になると観光客を滅多に見なくなります。


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Contrada di Porta Nuovaをドゥオーモ方向に進みます。


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独立した1014年から1000年以上の歴史を持つことを誇りにしているコムーネです。


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通りの突き当りがドゥオーモ広場になります。


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お腹が空いたので、軽く何か食べなくては。


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ドゥオーモ広場に行けば、この時間からでも食べられる店があるとの読みです。


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ドゥオーモ広場です。


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この時間は閉まっているドゥオーモです。


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この店で食べました。


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ボッビオはロマネスク様式の建物などが溢れてます。長い間、ロマネスク様式の建造物が大好きでしたが、近頃はその稚拙さが気になり、完成度が高くなる後世のゴシック様式、ルネサンス様式、バロック様式の建造物に惹かれるようになりました。


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Palazzo Vescovile


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Palazzo VescovileにMuseo Diocesanoがありますが、10月の平日のこの日は休館でした。


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ドゥオーモ広場からサン・コロンバーノ修道院の方に向かいます。徒歩で数分の距離です。


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先ほど、通ってきたポルタ・ヌオーヴァ通りです。


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サン・コロンバーノ修道院です。


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Piazza Santa Fara


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写真左の建物はPalazzo Baroneです。


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Piazza Santa Faraは駐車場になっていますが、1台しか駐車していなかった。


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この季節は、やはり観光客が少ないのです。


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この時間、空いているのはサン・ロレンツォ教会だけです。写っている鐘楼はサン・ロレンツォ教会のものです。


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サン・コロンバーノ修道院の鐘楼です。


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Via San Lorenzo


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サン・ロレンツォ教会の扉が開いていました。中に入ったら、観光客のグループツアーのご一行様で一杯でした。開いているのは、ここくらいなものなので、集中したようです。
ツアーのご一行様が立ち去るまで、近くを適当に歩きます。


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この付近は、新旧の建物が混在しています。


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イタリアから芸術作品を盗んでフランスに持ち去ったナポレオンが大嫌いですが、唯一評価できるのは修道院教会の抑圧令です。不労所得者の最たる者が宗教専従者ですから、それが多くては社会が疲弊してしまいます。


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そろそろ教会に戻っても大丈夫?


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(つづく)

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