イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:エミリア・ロマーニャ州 > イーモラ

P1480716
街一番の目抜き通り、エミリア通りです。


P1480717
写真左は、19世紀に建設されたPalazzo Vacchiです。


P1480719
13世紀後半に建設されたPalazzo Pighiniです。イーモラで残る唯一の中世貴族の邸宅です。


P1480720
この一帯は古い建物が残ってます。


P1480721
お馴染みの時計塔


P1480724
Piazza Caduti Per Liberta


P1480725
時計塔を潜ります。


P1480726
写真左はEx-Casa del Fascioです。


P1480728
エミリア通り


P1480731



P1480735
イーモラ市民はカテリーナ・スフォルツァが大嫌いでした。


P1480736
写真右は市立図書館です。


P1480737
旧サン・フランチェスコ修道院の建物


P1480738
旧サン・フランチェスコ教会の後陣


P1480739


P1480741
ドゥオーモにやってきました。


P1480748
Via Don Bughetti


P1480749
15世紀に建設されたCasa della Volpe


P1480751
エミリア通りに戻りました。


P1480753
大人しくホテルに戻ります。


P1480754
この日はこれで終わりです。


172
この日は良い天気になりました。


173
アッピア門


175
市立美術館に入館しました。


179
サン・ドメニコ教会の入り口扉上ルネッタの装飾


181
サン・ジャコモ・マッジョーレ・デル・カルミネ教会


183
Rocca Sforzesca


184
この日も中に入れません。


187


188


191
100年後でも多分同じと思われる通りです。


199
ドゥオーモ


203


204


205


P1480755
イーモラを離れる朝を迎えました。
サンタ・カテリーナ祈祷所です。


P1480756
駅に向かいます。


P1480757
Instituto Santa Caterina


P1480759
サント・ステファノ・デッレ・クラリッセ教会です。


P1480760
写真左は、サンタ・キアーラ修道院、またはサント・ステファノ修道院です。


P1480761
次の目的地はピアチェンツァでした。


P1480762
何度も入館した市立美術館です。


P1480764
再訪したいと思うイーモラですが、その望みは叶いそうもありません。


P1480766
サン・ドメニコ教会の鐘楼


P1480767


P1480768
(イーモラの項 おわり)

P1480385
サンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会から時計塔に向けて進みます。


P1480384
エミリア通りです。エミリア街道に築かれた街で、エミリア通りと称している街は少数派でしょう。


P1480387
サンタゴスティーノ教会の横を通り抜けます。


P1480388
この時の旅では、とうとう拝観出来ないで終わりました。


P1480389
聖職者が幾つかの教会を掛け持ちしているので、開ける教会が限られるそうです。


P1480390
右折します。


P1480392


P1480391


P1480393
Piazza Giovanni Codronchi Angeliを通り過ぎます。


P1480394


P1480395
カヴール通りに出ました。


P1480396
Collegio delle Donzelle


P1480398


P1480399
建物の下のトンネルを潜ります。


P1480400
一旦、エミリア通りに戻りました。


P1480401
午後2時前です。ルーゴ行列車に十分間に合う時間です。


P1480402
時計塔前を右折してVia Appiaに入りました。


P1480403
Via Appiaを直進すれば、突き当りがイーモラ駅です。


P1480404
19世紀に建設されたPalazzo Vacchiです。


P1480406
下校時間と重なったので、大勢の学生と一緒に駅に向かいました。


P1480409


P1480412
Piazza Megaglie d' Oroです。


P1480413
イーモラの城壁の北に設けられたアッピア門です。


P1480414
門の大部分が破壊されて、一部しか残されていません。
1047年の文書に初めてアッピア門が言及されてます。


P1480416
門はサントウルスラ修道院に隣接していたので、ウルスリーナ門とも呼ばれていたそうです。


P1480709
門は1449年から1460年にかけて再建されました。


P1480710
イーモラ領主ジローラモ・リア―リオ(サヴォーナ、1443-フォルリ、1488)は、再建されたアッピア門では防御力が弱いと判断して、もう一度門を再建することに決め、トスカーナの建築家ジャン・ロドヴィーコ・メンギを起用してアッピア門を再建させました。その1482年に完成した門の一部が現存しています。


P1480418
旧城壁外に出ました。


P1480417
突き当りにイーモラ駅が見えてます。


P1480420
通りの名称がViale Andrea Costaに変わってます。


P1480421
下校時間には列車の本数が結構多く設定されてます。


P1480422
イーモラ駅に到着しました。この後、ルーゴへの日帰り遠足をしました。


P1480698
ルーゴから戻ってきました。


P1480700
この日はこれで終わり、ホテルに戻ります。


P1480702
Viale Andrea Costa


P1480703
アッピア門が見えてます。


P1480704
19世紀に建設されたCasa Paola


P1480706
Viale de Amicisを渡ります。


P1480708


P1480711
アッピア通り


P1480713
午前中の大雨がウソのように思えました。


P1480714
(つづく)

P1480338
サンタゴスティーノ教会です。


P1480339
サンタゴスティーノ教会前の、エミリア通りを右折してVia Cosimo Morelliに入ります。


P1480340
サンタ・マリア・イン・レゴーラ教会です。


P1480341
現在の教会内には美術的な見所があまりないようです。


P1480342
この日は、キオストロの入り口が閉まっていました。


P1480343
1780年から1786年にかけて再建された新古典様式の建物です。


P1480344
Via Cosimo Morelliです。


P1480345
エミリア通りとの交差点にサンタゴスティーノ教会があります。


P1480346
一旦エミリア通りに戻り、有名な鐘楼に向かいます。


P1480347
目的の鐘楼です。


P1480348
1080年3月23日の文書に言及されているサンタ・マリア・イン・レゴーラ教会修道院の鐘楼です。


P1480349
旧サンタ・マリア・イン・レゴーラ修道院のキオストロです。


P1480350
ローマ時代のアレーナ、または劇場の遺跡上に教会修道院が建設されました。


P1480351
遺跡の一部が転用されているそうです。


P1480352


P1480353
高さ約23mの鐘楼です。


P1480354


P1480355
サンタ・マリア・イン・レゴーラ教会は、998年9月16日付の文書に初めて記載があるそうです。


P1480356
エミリア通りに戻ります。


P1480357
さらに東に向かって進みます。


P1480358
通りの先にある教会を目指します。


P1480359


P1480360
リミニ方向に向かっていることになります。


P1480361


P1480362
これからルーゴに行く予定ですが、列車の発車時間まで間があるので、ぶらぶら歩きしました。


P1480363
ローマ時代に敷設されたエミリア街道とほぼ同じです。


P1480364
次はサンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会です。


P1480365
教会はもう直ぐです。


P1480366
サンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会です。


P1480367
Padri Servitiによって14世紀後半に建設されたサンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会です。


P1480369
美術的には見るべき作品が2点あると思います。残念ながら扉が閉まっていました。


P1480368
ファサード前のロッジャは16世紀に追加されました。


P1480374
サンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会のすぐ横にオラトリオがあります。


P1480373
サン・マカリオ祈祷所です。


P1480375
1506年に建設されました。


P1480372
現在の外観は18世紀に再建されたものです。


P1480370
サンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会とサン・マカリオ祈祷所が建っているミッリ広場です。


P1480371
ミッリ広場の噴水は、現代芸術家アンドレア・マウロの作品です。


P1480377


P1480376
この先は見どころが無さそうです。


P1480378
エミリア通りを時計塔の方に戻ることにしました。


P1480380


P1480382
(つづく)

P1470842
イーモラに行く人は、行く前に15世紀から17世紀頃の歴史を予め調べておくと、より一層楽しい旅となると思います。


P1470843
何度もお世話になった観光案内所。


P1470844
そろそろホテルに戻る潮時です。


P1470845
お馴染みのエミリア通りです。


P1470847
市立図書館となっているサン・フランチェスコ修道院だった建物です。


P1470849
秋の夕暮は早いです。


P1470852
この日はこれで終わりです。


P1480284
翌日は雨になりました。


P1480285
朝から大雨で、とても傘を差して徒歩で出かける状態ではありませんでした。


P1480286
エミリア通りとVia Fratelli Bandieraの交差点に建つ建物に塔がありますが、この辺の詳細が分かりません。


P1480287
依然として雨が降り続いてます。


P1480288
この後、市立美術館に入館しました。


P1480290
サン・ジャコモ(聖ヤコブ)教会だった建物です。


P1480291
写真左は旧サン・フランチェスコ修道院です。


P1480292
前日に大体見てしまったので、見残したところを重点に行くことにしました。


P1480294
Ex-Casa del Fascioが見えてます。


P1480295
取り敢えずの目的は、写真左先の店で昼食を食べることです。


P1480296
写真左のレストランで食べました。


P1480310
お腹一杯で外に出ました。


P1480311
午後の一応の予定は、列車に乗ってイーモラ近くのルーゴに行くことでした。


P1480313
雨が降り続いていたので、ルーゴに行くことを止めてイーモラに留まろうかと考えていました。


P1480315
ところが雨が弱くなってきたので、ルーゴに行くべきか迷いました。


P1480316
Ex-Casa del Fascioの柱の浮彫です。


P1480317
ボローニャのファシスト連盟専属の彫刻家Amleto Beghelliの作品です。この彫刻家は意識的に忘れ去られたようです。


P1480319
時計塔が旧市街の中間のようです。


P1480321
Piazza Caduti Per Liberta


P1480327
青空市は大雨中止のようです。


P1480323


P1480325
グラムシ広場です。


P1480326
雨が小降りになってきました。


P1480322
時計塔を潜ります。


P1480324
塔の下から道幅が狭くなります。


P1480328
次はマッテオッティ広場です。


P1480329
ポルティコは雨天の時に有難いと思います。


P1480330
マッテオッティ広場です。


P1480331
私以外の観光客はいなかったと思います。


P1480332


P1480333
雨が止みました。


P1480334
市庁舎


P1480335
ルーゴに行くことにしました。


P1480336
フレスコ画がある建物


P1480337
(つづく)

P1470791
マッテオッティ広場の続きです。


P1470792
エミリア通りの写真左奥の柱廊がある建物にフレスコ装飾があります。


P1470793
これです。


P1470794
暫く見てましたが、テーマがよく分かりません。


P1470795
柱廊ルネッタ上のフレスコ


P1470797
マッテオッティ広場に戻ります。


P1470798
Palazzo Sersantiの説明板


P1470801
Palazzo Sersantiの柱廊


P1470799
低い塔がある建物を見ます。


P1470802
「サソリの塔」と呼ばれているようです。


P1470804
広場に面して教会が建ってます。


P1470783
ピオ・スッフラージョ教会です。


P1470805
建築家ロレンツォ・マット―ニの設計によって1687年に建設されました。


P1470806
1882年にピエトロ・ミッリの設計によって建設されたファサードです。


P1470830
扉が開いていたので拝観しました。


P1470807
教会内に入りました。


P1470809
単廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


P1470808
美術的に見るべき作品が数点あります。


P1470810
壁の装飾は殆ど施されてません。


P1470811
主祭壇


P1470812
後陣天井


P1470814
ベアータ・ヴェルジネ礼拝堂


P1470816
17世紀後半の逸名画家作「聖母とキリストの物語」


P1470817


P1470819
詳細不知


P1470822
ジョヴァンニ・ジョゼッフォ・ダル・ソーレ(ボローニャ、1654-1719)の「三位一体」


P1470823
サンタ・リータ礼拝堂


P1470824
詳細不知


P1470826
カルロ・チニャ―リ(ボローニャ、1628-1719)の「聖母子と聖フェリーチェ」


P1470828
主祭壇前から見た出入口方向


P1470829
外に出ました。


P1470800
午後4時半でした。


P1470831
エミリア通りを進みました。


P1470832
エミリア通りに面して教会が建ってます。


P1470833
サンタゴスティーノ教会です。


P1470835
12世紀に創建され、14世紀完成したサンタゴスティーノ教会です。
残念ながら扉が閉まっていました。見たい作品が1点ありました。


2
これが観たかった作品です。
マルカントニオ・フランチェスキーニ(ボローニャ、1648-1729)の「磔刑」


P1470836
サンタゴスティーノ教会至近にもう一つ教会があります。


P1470834
サンタ・マリア・イン・レゴーラ教会です。


3
998年の文書に本教会の存在が記されてます。現在の新古典様式の建物は1780年から1786年にかけて建設されました。


6
サンタ・マリア・イン・レゴーラ教会の見所は教会内部よりもキオストロです。


7
キオストロの柱頭


5
キオストロ回廊のフレスコ画


4


P1470837
エミリア通りに戻りました。


P1470838
少し暗くなってきました。


P1470839


P1470840
時計塔を潜ります。


P1470841
(つづく)

P1470467
日陰になっているエミリア通りは、夕立の雨が乾いていなかった。


P1470468
イタリア・ファシズムを担った建物が見えてきました。


P1470471
近代的塔がある建物は、1933年から1936年に建設されたCasa del Fascioです。


P1470473
Casa del Fascioの柱に施された浮彫です。


P1470474
ボローニャのファシスト連盟専属の彫刻家Amleto Beghelliの浮彫です。


P1470475
Ex-Casa del Fascioに観光案内所があります。


P1470472
Via Speri


P1470476
Vicolo Inferno


P1470753
Chiesa Cattolica Parrocchiale San Cassiano


P1470754
Piazza della Conciliazone


P1470755
Piazza della Conciliazone


P1470756
Vicolo Infernoに戻りました。


P1470757
エミリア通りに戻ります。


P1470758
Ex-Casa del Fascioです。


P1470759
グラムシ広場です。


P1470762
以前はエルベ広場と呼ばれていました。現グラムシ広場は、中世の頃、サン・バルナルド修道院とサン・パオロ修道院によって所有されていましたが、14世紀から、肉の処置所、肉市場として繁栄していました。


P1470760
グラムシ広場にある教会だった建物です。


P1470761
15世紀に建設されたサン・ベルナルド教会だった建物です。


P1470763
エミリア通りの東の方は後から見ます。


P1470764
エミリア通りに時計塔があります。


P1470765
ナポレオンに従ってイーモラに進駐してきたフランス軍将校によって、19世紀初めに贈られた時計です。


P1470766
時計塔の下を潜ります。


P1470767
時計塔の西側に出ました。


P1470768
潜ってきた時計塔を振り返って撮った写真です。


P1470770


P1470771


P1470772
再び時計塔の下を潜って、時計塔の東方に出ます。


P1470773


P1470774
ポルティコが続きます。


P1470775


P1470776
時計塔を越え、エミリア通りの右側にマッテオッティ広場があります。


P1470777
教皇シスト4世の計らいによって、1474年、イーモラ領主となったジローラモ・リア―リオ(サヴォーナ、1443-フォルリ、1488)(シスト4世の息子)が現在の姿に拡張整備したマッテオッティ広場です。


P1470778
ジローラモ・リア―リオが自分の宮殿として1480年に建設させたPalazzo della Signoria、現称Palazzo Sersantiです。


P1470780
中世の頃、マッテオッティ広場はイーモラ商業の中心地でした。


P1470779


P1470781
Palazzo Comunaleです。


P1470782
1213年に建設されたPalazzo Comunaleです。現在の外観は、18世紀後半に行われた大修復工事の後のものです。


P1470785
Palazzo Comunaleのファサードです。


P1470786


P1470788
ファサードのフレスコ画はシスト4世です。


P1470789
Palazzo Comunaleの入り口です。


P1470790
(つづく)

P1470752
次はドゥオーモです。


P1470750
イーモラのドゥオーモ、サン・カッシアーノ司教座聖堂 Basilica Minore e Cattedrale di San Cassianoです。


P1470393
イーモラの司教座教会は、12世紀後半までイーモラの西方にあるカストルム・サンクティ・カッシアーノと言う町にありました。
イーモラのコムーネはそのことに不満でした。1177年、イーモラはカストルム・サンクティ・カッシアーノを攻撃して、司教座教会を含めて町を攻略して屈服させました。それを受けて、当時のエンリコ司教は、現在地に新しい司教座教会の建設を決めました。
1187年に創建され、13世紀前半に完成しました。1271年、奉献式が執り行われました。


P1480745
1763年の補強工事において、建物の構造的欠陥があることが判明したので、1765年から1781年にかけて、建物の大部分が再建されました。


P1470684
現在のバロック様式のファサードは、1660年に完成しました。


P1470411
現在の鐘楼は1457年に完成したもので、完成年が鐘楼の台座が刻まれてます。


P1470477
場所によって完成年が大幅に異なる大聖堂外壁です。


P1470394
ファサードに向かって右側の外壁


P1480740
クーポラと鐘楼


P1480744
1981年、第264代教皇ジョヴァンニ・パオロ2世(1920‐2005 在位:1978‐2005)によってBasilica Minore に格付けされました。


P1480743
拝観します。


P1470689
聖堂内に入りました。


P1470691
三廊式、ラテン十字形、後期バロック様式の内部です。


P1470690
12世紀後半の創建時の姿は全く見ることが出来ません。


P1470692
Presbiterioが目立ちます。


P1470693
身廊中央のPresbiterioの前にクリプタの入り口があります。


P1470696
1698年から1704年に建設されたクリプタです。


P1470699
主祭壇


P1470700
クーポラ


P1470701
Presbiterio天井の装飾


P1470702
主祭壇画は、ピエトロ・テデスキ(ペーザロ、1750?‐ローマ、1808c)の「聖カッシアーノの殉教」


P1470706
Presbiterioは立ち入り禁止なので、主祭壇画の写真が全然ダメ。


P1470709
アンジェロ・ゴッタレッリ(カステル・ボロネーゼ、1740‐イーモラ、1813)の「聖カッシアーノと聖人たち(聖アポッリナーレ、聖コズマ、聖カルロ・ボッロメオ、聖テレンツィオ)と寄進者」


P1470713
ヤコポ・ベルトゥッチ(ファエンツァ、1502‐1579)に帰属する「聖母被昇天」


P1470716
逸名画家作「聖母子を崇める聖人たち」(19世紀)
小枠内の聖母子は15世紀のものです。


P1470719
逸名画家、恐らくカムッチーノ工房作の「聖ピエトロと聖パオロ」(19世紀)


P1470721
イグナツィオ・ゾッティ(イーモラ、1806‐フィレンツェ、1865)の「エマオの晩餐」(1850)


P1470723
トスカーナの逸名彫刻家作「磔刑像」(15世紀末)


P1470725
アンジェロ・ゴッタレッリ(カステル・ボロネーゼ、1740‐イーモラ、1813)の「十字架の高揚」(1783)


P1470728
ジャコモ・ザンパ(フォルリ、1731‐トッシニャーノ、1808)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」


P1470730


P1470731
左翼廊のオルガン


P1470732
右側廊の無原罪の御宿リ礼拝堂


P1470733
無原罪の御宿リ礼拝堂天井のフレスコ画


P1470736
右側廊


P1470737


P1470738


P1470739


P1470742
左側廊


P1470743


P1470744
洗礼盤(16世紀初頭)


P1470746
制作者情報等詳細不知の「キリストの洗礼」


P1470694
クリプタの入り口前から見た出入口方向


P1470466
外に出ました。
(つづく)

P1470427
晴れていましたが、遠雷が聞こえてきました。


P1470428
下校時間になったようで、若者の姿を多数見かけるようになりました。


P1470429
空は未だ晴れていましたが、雷鳴が徐々に近づいてきたようです。


P1470430
稲光が一閃、物凄い雷鳴。


P1470431
ポツリ、ポツリと雨が落ちてきました。


P1470432
天気雨です。


P1470434
雨が降ると思っていなかったので、傘を持っていません。


P1470437
直ぐに土砂降り。


P1470436
慌てて一旦ホテルに戻ることにしました。


P1470438
しかし、20分ほどで雨が上がりました。


P1470435
直ぐに晴れてきましたが、雷鳴は相変わらずでした。


P1470439
用心のため、傘を持参して再び外出。


P1470440
夕立で涼しくなると思いきや、気温は相変わらず高いまま。先ほど降った雨が直ぐに蒸発して、物凄い湿気です。


P1470441
サン・ジャコモ・マッジョーレ・デル・カルミネ教区教会です。


P1470458
カルメル会がイーモラで活動開始した14世紀に建設された修道院教会です。


P1470442
14世紀から再建される18世紀初頭までは、サンタ・マリア・ディ・モンテ・カルミネ修道院教会と呼ばれていたそうです。


P1470457
現在の建物は、ジョヴァンニ・ドメニコ・トリフォーり(1675‐1759)の設計によって1720年から1726年に再建された二代目となるものです。


P1470443
中に入りました。


P1470445
単廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


P1470444
右側壁


P1470446
天井の装飾がありません。


P1470449
アレッサンドロ・デッラ・ナーヴェ(ブドリオ、1732‐イーモラ、1821)の「天上の聖人に祈願するカルメル会修道女」(1732)


P1470450
詳細不知


P1470452
詳細不知


P1470456
アンジェロ・ゴッタレッリ(カステル・ボロネーゼ、1740‐イーモラ、1813)の「無原罪の聖母」(1792)


P1470459
外に出ました。


P1470460
次は教区博物館です。


P1470461
夕立前よりも暑くなったので参りました。


P1470462
ドゥオーモの扉は閉まったままでした。


P1470747
教区博物館がある司教館の扉も閉まったままでした。


P1470463
仕方がないので、扉が開くまでドゥオーモ広場で時間潰しです。


P1470464
時間通りに開館しないのがイタリア流です。


P1470465
聖職者のストはないので、そのうちに扉が開くでしょう。


P1470685
扉が開きました。扉の前で開館を待っているように見えた二人でしたが、直ぐに何処かに行ってしまいました。


P1470686
司教館です。


P1470687
入館します。


P1470636
ジョヴァンニ・ダ・リオーロの多翼祭壇画(1433)
制作者の署名と年号入りです。イーモラのサン・ドメニコ教会にありました。


P1470488
インノチェンツォ・ダ・イーモラの作品
教区博物館については既にアップしました。ご興味のある方はご参照願います。


P1470498
プロスペロ・ぺーシェの作品


P1470593
カルロ・ボノーニの作品


P1470679
充実した展示と言えるでしょう。


P1470681
天井の装飾


P1470548
私以外の入館者はいませんでした。


P1470751
外に出ました。
(つづく)




P1470384
要塞横のViale d' Agostinoです。


P1470387
カテリーナ・スフォルツァは、フォルリに定住していたので、イーモラには城代を置いて滅多に訪れなかったと言われてます。


P1470348
Via Fratelli Bandiera


P1470389
ガリバルディ通りに入りました。


P1470390
18世紀に建設されたPalazzo Rambaldiです。現在、高等学校になってます。


P1470392
ガリバルディ通りを進み、次の交差点を左折してドゥオーモ前に出ます。


P1470393
この時間、ドゥオーモは当然閉まってます。


P1470394
ドゥオーモの外観を見れば、その街の繁栄度が大体推察できます。


P1470395
ドゥオーモ広場から東に向かいます。


P1470396
Porta Montanaraです。


P1470397
イーモラの城壁に4つの門がありました。これはエミリア街道の東端に設けられた門です。


P1470398
1460年から1470年に建設された門です。


P1470400
イーモラの城壁は1925年に取り壊されましたが、その際、修復されて残された唯一の門です。


P1470401
モンタナ―ラ門の前から見たドゥオーモです。


P1470403
そろそろ昼食の時間です。


P1470404
ガリバルディ通りです。昼食はエミリア通りの店に決めてました。


P1470405
写真右奥はPalazzo Tozzoniです。


P1470406
18世紀前半に建設されたPalazzo Tozzoniです。


P1470407
Palazzo Tozzoniは市立博物館として一般公開されてますが、この時は休館中でした。


P1470408
写真左は18世紀に建設されたヴェルガ館です。


P1470409
Vicolo Olivo


P1470410
広場に出ます。


P1470411
広場から見えたドゥオーモの鐘楼


P1470412
Vicolo Inferno


P1470413
エミリア通りに出ました。


P1470414
昼食を食べます。


P1480297
入店しました。


P1480299


P1480301


P1480303


P1480305


P1480306


P1480308


P1470416
お腹一杯、食べ過ぎです。


P1470417
ドゥオーモの鐘楼です。


P1470418


P1470419


P1470420
サン・フランチェスコ修道院だった建物は市立図書館として利用されてます。


P1470421
Via Don Bughetti


P1470422
サン・ジャコモ(聖ヤコブ)教会だった建物がエミリア通りに面して建ってます。


P1470423
宗教活動は停止され、現在は展覧会などに使用されてます。


P1470424
Teatro Comunale


P1470426
この日の公演はありません。


P1470425
(つづく)

P1470332
エミリア通りです。


P1470333
写真左はPalazzo Sassatelliです。


P1470334
自転車利用者が非常に多いイーモラです。


P1470335
エミリア通りを左折してVia Don Bughettiに入りました。


P1470336
ヴェネツィア海軍総督タッデオ・デッラ・ヴォルぺによって15世紀に建設されたCasa della Volpeです。


P1470338
ドゥオーモの扉が閉まっていました。


P1470341
ドゥオーモの向かいに建つ司教館です。


P1470342
司教館内に教区美術館があります。


P1470340
司教館の扉が開いていたので、中に入ってみました。教区美術館は当然のことながら閉まっていました。


P1470343
ガリバルディ通りです。


P1470344
写真左は18世紀に建てられた神学校だった建物です。


P1470345
ガリバルディ通りの先にRocca Sforzescaがあります。


P1470346
スフォルツェスカ城塞 Rocca Sforzescaです。


P1470349
14世紀前半、イーモラは教皇領でした。
第197代教皇ベネデット12世(1285-1342 在位:1335-1342)は、イーモラの領有権をリッポ2世アリドージ(?、?-イーモラ、1350)に与えました。
要塞の現在地には、11世紀に建設された塔がありましたが、1334年、領有権を与えられたリッポ2世アリドージが塔の残骸の上に要塞の建設を開始しました。建設工事は、リッポ2世の死後は息子のロベルト・アリドージ(?、?-イーモラ、1362)に引き継がれ、ロベルトの存命中に一応の完成を見ました。


P1470350
アリドージ家のイーモラ支配は1424年まで続きましたが、同年、イーモラはミラノのヴィスコンティ家の支配下に置かれるようになりました。
その後、イーモラは、15世紀前半まで教皇領、ヴィスコンティ家、教皇領、ヴィスコンティ家と度々支配者が変わりました。
ミラノのヴィスコンティ家にとって、イーモラは飛地であり、その戦略的重要性(ボローニャとリミニを結ぶ交通の要衝)から、要塞はヴィスコンティ家によって拡大増強されました。


P1470351
1470年、イーモラは、ミラノ公爵スフォルツァ家の支配下に置かれるようになりました。


P1470352
1471年、第212代教皇に選出されたシスト4世(チェッレ・リーグレ、1414-ローマ、1484 教皇在位:1471-1484)は、実子と言われるジローラモ・リア―リオ(サヴォーナ、1443-フォルリ、1488)に領地を与えようとしました。
シスト4世は、貧しい家の生まれだったので、その一族郎党の繁栄に特に留意した教皇と言われてます。


P1470353
ジローラモ・リアーリオの領地としてミラノの飛地イーモラをターゲットに定めたシスト4世は、ミラノ公爵ガレアッツォ・マリア・スフォルツァ(フェルモ、1444-ミラノ、1476)に対して、ガレアッツォの娘カテリーナ・スフォルツァ(・デ・メディチ)(ミラノ、1463-フィレンツェ、1509)をジローラモ・リア―リオに持参金なしで嫁がせる代わりに、イーモラの領地代として4万ドゥカートをミラノ公に支払うとの提案を行いました。
当時、持参金は法外な金額でしたから、持参金なしで娘を嫁がせ、逆に領地代が入金するという絶好の条件だったので、ミラノ公はその提案を受け入れ、ジローラモ・リア―リオとカテリーナ・スフォルツァとの婚約が調ったのです。4万ドゥカートという領地代も巨額法外なものでした。


P1470355
1473年、ジローラモ・リア―リオとカテリーナ・スフォルツァは結婚しましたが、その際、フォルリはカテリーナの持参金代わりとされて、ジローラモ・リア―リオの領地となりました。


P1470362
要塞の周りを一周します。


P1470363
ジローラモとカテリーナの結婚前、ミラノの飛地イーモラの割譲を願っていたフィレンツェは、ミラノとの間にイーモラの割譲とフィレンツェ在住芸術家のミラノへの派遣の合意があったとされてます。


P1470364
ところが、1474年、教皇シスト4世から4万ドゥカートの支払い命令がメディチ銀行にあったのです。メディチ銀行ローマ支店は、教皇庁の銀行代理業務を行っていました。1474年当時、教皇庁には4万ドゥカートの金がなかったので、代理業務を行っていたメディチ銀行に支払い命令が下ったのです。


P1470365
4万ドゥカートがイーモラの領地代と知った、当時のメディチ家の当主ロレンツォ・イル・マニーフィコはミラノの合意違約を悟りました。また、ロレンツォの時代、既にメディチ銀行は破綻寸前で業務遂行の問題が出ていたので、巨額の4万ドゥカートのミラノへの支払いを渋りました。


P1470367
11世紀に建設された塔の残骸の一部です。


P1470368
メディチ銀行の支払いを渋る姿勢に業を煮やしたシスト4世は、教皇庁の銀行代理業務からメディチ銀行を外し、パッツイ銀行のローマ支店を起用して、4万ドゥカートの支払いを行ったのです。以後、メディチ銀行はドル箱だった教皇庁業務から完全に外され、破綻への道を進むことになりました。
このことは、1478年4月26日にフィレンツェ大聖堂で起きたパッツィ家陰謀事件の発端となりました。
脱線して関係者の肖像画をアップしておきましょう。


P2050833
巷間、カテリーナ・スフォルツァの肖像と言われてます。


P2050834
フォルリのサン・ドメニコ市立美術館で展示されてますが、そこではカテリーナの肖像画とは表示されてません。何故でしょうか?


P2540421
ミラノ公爵ガレアッツォ・マリア・スフォルツァの肖像です。


P2540422
フィレンツェのウッフィツィ美術館にあります。


P2130804
座っているのがシスト4世です。


P2130798
左から2番目、シスト4世にやや背を向けて立っているのがジローラモ・リア―リオです。


P2130805
ローマのヴァティカン絵画館にあります。


P1580696
ロレンツォ・イル・マニーフィコの肖像(ウッフィツィ美術館蔵)


P1470370
イーモラは、パッツィ家の陰謀事件の中心地です。


P1470371
フォルリとイーモラの伯爵ジローラモ・リア―リオはパッツイ家の陰謀事件の首謀者です。その辺の詳しい事情は「パッツィ家の反乱」とか「パッツィ家の陰謀事件」と検索すれば、幾つかの記事が出てきますので、そちらをご参照願います。


P1470372
ともあれ、パッツィ家の陰謀事件の首謀者ジローラモ・リア―リオは、1488年4月14日、ロレンツォ・イル・マニーフィコの後ろ盾を得た5人によってフォルリで暗殺されました。


P1470373
暗殺者たちの軍は、急を知ってフォルリ要塞に籠ったカテリーナ・スフォルツァに押し寄せて、有名な「ルネサンスの女傑」と言われる逸話が生まれたのです。


P1470375
夫の事件後、フォルリとイーモラの領主となったカテリーナ・スフォルツァは、2つの要塞を更に整備に努めました。


P1470376
1499年、チェーザレ・ボルジア軍がイーモラに攻め入りましたが、イーモラに苛政を布いていたカテリーナ・スフォルツァはイーモラ領民から嫌われ、イーモラのスフォルツェスコ城塞は無血開城されました。


P1470377
イーモラは教皇領となりましたが、イーモラ周囲も教皇領だったので、その戦略的重要性を失い、イーモラの防御は不要と判断されるようになりました。


P1470378
要塞は、1524年から教皇領の刑務所に転用されるようになりました。


P1470379
1958年まで刑務所でした。


P1470381
その後、修復整備されて、現在は陶器と武器の博物館として一般公開されてます。


P1470382
しかし、開館することは少ないような気がします。


P1470383


P1470380


P1470385


P1470386


P1470388
これで一周しました。
(つづく)

P1470071
イーモラ駅に到着しました。
イーモラは、人口70,075人(2019年12月31日現在)のエミリア・ロマーニャ州ボローニャ県のコムーネです。


P1470073
イーモラ駅の駅舎です。
イーモラは、ピアチェンツァ~パルマ~レッジョ・エミリア~モデナ~ボローニャ~イーモラ~フォルリ~リミニ~ペーザロ~ファーノ~セニガッリア~アンコーナの幹線上にあるので、鉄道利用が便利です。


P1470074
Viale Andrea Costa
鉄道駅から徒歩でこの日のお宿に向かいます。


P1470075
右折してViale Carducciに入りました。


P1470077
カヴール通りになりました。


P1470078
駅から旧市街まで約1㎞ほどあります。


P1470079
城壁が殆ど残されていないので、旧市街の判別が困難ですが、旧市街に入ったと思いました。


P1470080
サント・ステファノ教会です。


P1470082
サント・ステファノ教会に隣接して建っているのは、サンタ・キアーラ女子修道会のサント・ステファノ修道院です。


P1470081
カヴール通りを左折してフラテッリ・カイローリ通りに入りました。


P1470084
この日のお宿はもう直ぐです。
イーモラは、見所が多い街と思いますが、観光客には人気がないようで、宿泊設備は限られており、選択肢があまりないようです。


P1480283
この日のお宿です。3つ星ですが、お薦めです。
チェックインの時には、ホテルの写真を撮るのを失念してしまいました。後程、城を見に行ったのですが、雷雨に遭い、傘を持っていなかったので、慌ててホテルに逃げ帰った時に撮った写真です。だから道路が濡れてます。


P1470085
チェックインを済ませてから、早速市立美術館に向かいました。


P1470086
市立美術館となっているサン・ドメニコ修道院だった建物です。


P1470318
開館日の筈ですが、入り口扉が施錠されていたので困惑しました。


P1470319
イーモラ市立美術館については既に書きました。ご興味のある方はそちらをご参照願います。


P1470097
クリストフォロ・ディ・ベネデットの帰属作品


P1470128
ラヴィニア・フォンタナの作品


P1470189
ラッファエッロ・ボッティチーニの作品


P1470192
インノチェンツォ・ダ・イーモラの作品


P1470207
現代画も展示されてます。


P1470309
遺跡からの発掘物も展示されてます。


P1470321
市立美術館から外に出ました。
サン・ドメニコ教会を見ます。


178
通常サン・ドメニコ教会と呼ばれてますが、正式名称はサンティ・ニコロ・エ・ドメニコ教区教会となってます。


P1470328
この場所にサン・ニコロに捧げられた小さな礼拝堂がありました。13世紀半ば、ドメニコ会修道士がイーモラ到着し、市当局からサン・二コラ礼拝堂が活動拠点として与えられ、定住しました。


P1470324
ドメニコ会修道士によって、1287年に創建され、1374年に完成したゴシック様式の教会修道院です。


P1470325
教区教会の入り口です。
1797年、ナポレオンの抑圧令によって修道院は閉鎖され、修道院教会にあった美術品や財宝などがフランス軍に略奪されました。1998年、修道院だった建物はイーモラ市の所有となり、2011年から市立美術館となりました。


180
ファサード横の洗礼堂


P1470326
ファサード入口扉上ルネッタの装飾


P1470327


P1470322
後陣


P1470323
鐘楼が微かに見えます。


P1470283
入口扉が閉まっていました。
市立美術館から教会を覗き込んだときに撮った写真があるので、それらで教会をしておきましょう。


P1470285
単廊式、装飾豊富なロココ調の内部です。


P1470286
1996年から2001年に大修復されました。


1
ルドヴィーコ・カッラッチ(ボローニャ、1555‐1619)の「聖オルソラの殉教」(1600c)


P1470284


P1470288
ジョヴァンニ・ドメニコ・フェッレッティ(フィレンツェ、1692‐1768)の「聖ドメニコ」


P1470290
フランチェスコ・キウス―リ(イーモラ、17世紀中頃‐1729)の「シエナの聖カテリーナに幼きキリストを渡す聖母」


P1470292
詳細不知


P1470329
サンティ・二コラ・エ・ドメニコ教区教会を離れ、オルシーニ通りを進みます。


P1470330
突き当りはエミリア通り、エミリア街道です。


P1470331
(つづく)

P1470462
今回はイーモラの教区博物館 Museo Diocesano です。イーモラ司教区に属する教会や修道院から集められた絵画・彫刻や聖具類などが展示されてます。
P1470463
イーモラ大聖堂ファサードの向かいにある建物です。
(写真はイーモラ大聖堂)
P1470747
ファサード前から見て、向かって左斜めにある建物が司教館です。
P1470686
この日、開館時間になっても扉が閉まったまま。入口のブザーを押しても無しの礫。仕方がないので、観光案内所に行って、臨時休館か否かを確認しました。観光案内所にいた職員が親切にも幾つか電話をかけてくれて、「今行けば聖書者が扉の前で待っている」とのこと。慌てて急行すると、いました。あの人がそうです。
P1470341
退館の時は扉が開いていました。
P1470342
2時間ほど館内にいましたが、入館者は私一人。普段は滅多に客が来ないのでしょうね。リクエストがあれば、開館すると思っていた方が無難のようです。入館無料です。
司教館の1階(イタリアでゼロ階)に博物館があり、15の展示室があります。教区博物館としては規模の大きな方です。
P1470478
ファエンツァのグラッツィアーニ工房による「天上の聖母子と聖カッシアーノと聖ピエル・グリソロゴ」(18世紀)
P1470485
ジュゼッペ・マルケージ(ボローニャ、1699‐1772)の「モーゼとジェトロの若い娘」
P1470488
インノチェンツォ・ダ・イーモラの「聖母子と聖人たち」(1516)
イーモラのサン・アポッリナーレ教会にあった祭壇画で、痛みがかなりあるものインノチェンツォの特徴が良く出ている傑作です。
P1470492
ジュゼッペ・マルケージの「人気者を愛するソロモン」
P1470495
二コラ・ベルトゥッチ(アンコーナ、1710‐ボローニャ、1777)の「ギデオンの夢想」
P1470497
二コラ・ベルトゥッチの「サマリア人の善行」
P1470501
アンジェロ・ミケーレ・ゴッタレッリ(カステル・ボロネーゼ、1740‐イーモラ、1813)に帰属する「聖ヴィンチェンツォ・フェッラーリ」(18世紀)
P1470504
マルク・アントニオ・フランチェスキーニ(ボローニャ、1648‐1729)の「エジプトへの逃避途中の休息」(17世紀)
P1470507
ジョヴァンニ・アンドレア・クォルニオーニ(18世初頭‐1756)の「聖アンブロージョ」
ドゥオーモにありました。
P1470509
18世紀の逸名彫刻家による「磔刑像」
イーモラのリオヴァッレ教会にありました。
P1470513
ジョヴァンニ・アンドレア・フォルニオーニの「聖ピエトロと聖アポッリナーレ」
この作品はドゥオーモにありました。
P1470515
法衣
P1470516
聖書者の位によって法衣が違いますが、コン辺は全くの不案内です。
P1470518
16世紀のローマの逸名画家による「アントン・ドメニコ・ガンベリーニ枢機卿の肖像」(16世紀)
P1470520
メダル
P1470521
コイン
P1470523
17世紀のエミリアの逸名画家による「天上の聖母子と聖フランチェスコと背イグナツィオ・デ・ロヨラ」(17世紀)
P1470525
ジョヴァンニ・アンドレア・シラーニの「磔刑」(17世紀中ごろ)
P1470527
17世紀のイーモラの逸名画家による「聖カッシアーノ」
P1470528
展示室天井の装飾
P1470529
制作者の記載がありませんでした。
P1470530
司教館の方では制作者名が分かっていると思います。
P1470531
パルミジャニーノやアンドレア・デル・サルトクラスの画家による天井装飾ならば、制作者名が喜んで記載される筈です。それが無いと言うことは有名画家の手になるものではないと思います。
P1470532
P1470533
P1470535
詳細不明の作品
P1470538
ピエトロ・ディ・二コラの「聖母子」(15世紀後半)
P1470541
ピエル・フランチェスコ・チッタディーニ(ミラノ、1616‐ボローニャ、1681)の「マギの礼拝」(17世紀中ごろ)
P1470542
詳細不明の作品
P1470543
詳細不明
P1470544
19世紀の「ピエタ」
P1470545
天井の装飾
P1470547
制作者名は不明です。
P1470548
現代の作品紹介を省略します。
P1470550
ジャンジョゼッフォ・ダル・ソーレ(ボローニャ、1654‐1719)の「キリストの洗礼」(17世紀後半)
P1470552
説明プレートの記載を控えてくるのを忘れました。
P1470553
分かりません。
P1470554
P1470555
沢山あります。一部屋全部がこれらの展示です。
P1470556
P1470557
展示室の天井
P1470558
P1470559
制作者名は明らかにされてません。
P1470561
17世紀のロンバルディアの逸名画家による「気rストと聖ピエトロの邂逅」(17世紀)
P1470564
カルロ・チニャーニ(ボローニャ、1628‐フォルリ、1719)の「La Carita」
P1470567
制作者・画題不明の作品(18世紀)
P1470571
エンリコ・マンフリーニ(ルーゴ、1917‐ミラノ、2004)の「聖母子」(1975c)
P1470574
制作者不明の「グランデ・タベルナコロ」(16世紀)
P1470578
カルロ・チニャーニの「天使」
P1470580
カルロ・チニャーニの「天使」
P1470584
19世紀のエミリアの逸名画家による「授乳の聖母」(19世紀中ごろ)
P1470586
18世紀のイーモラの逸名画家による「祈る聖母」
P1470589
Maestro di Valverdeの「聖母子」(1471)
イーモラのヴァルヴェルデ教会にありました。
P1470593
カルロ・ボソーニ(フェッラーラ、1569‐1629)の「聖ステファノの殉教」(17世紀前半)
P1470596
16世紀のエミリアの逸名画家による「アレッサンドリアの聖カテリーナ」(16世紀末)
P1470599
バルトロメオ・チェージ(ボローニャ、1556‐1629)の「玉座の聖母子と聖カッシアーノの聖ジローラモ」(16世紀第4四半世紀)
P1470601
18世紀のエミリア・ロマーニャの逸名画家による「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」
P1470605
17世紀のエミリアの逸名画家による「聖フランチェスコ」
P1470607
18世紀のイーモラの逸名画家による「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」
P1470609
18世紀のフォルリの逸名画家による「福音書記者聖ジョヴァンニ(ヨハネ)」
これって、どう見ても女性ですよね。「最後の晩餐」の聖書を読むと、キリストの胸にキリストの愛する方が凭れ掛かっていたんです。聖ヨハネが女性説は昔からあるのですが、男性ならばキリストと同性愛の関係にあったと解釈するのが自然です。聖ヨハネ=マグダラのマリア説もあります。
P1470611
Michele Desubleo (Maubege,1601-Parma, 1676)の「救世主」
イーモラのサンタガタ教会にありました。
P1470614
ジュゼッペ・リギーニ(イーモラ、1753‐1766記録)の「聖ママンテの殉教」
P1470619
ジャコモ・カヴォドーネ(1577‐1660)の「救世主」
この作品もイーモラのサンタガタ教会にありました。
P1470622
18世紀のフォルリの逸名画家による「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」
P1470624
ジャコモ・ザンパ(フォルリ、1731‐トッシニャーノ、1808)の「聖ロレンツォの殉教」
P1470627
16世紀のボローニャの逸名画家による「聖母子と聖人たち」
P1470629
18世紀のボローニャ派画家の「聖ピエル・グリソローゴ」
P1470633
詳細不明
P1470636
ジョヴァンニ・ダ・リオーロ(1427‐1471記録)の「サン・ドメニコの多翼祭壇画」(1433)
ジョヴァンニの代表作です。この博物館で1点選ぶならば、私はこれです。
イーモラのサン・ドメニコ教会の主祭壇を飾っていました。
P1470645
18世紀のヴェネトの逸名画家による「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」
P1470647
詳細不明
P1470649
ジョヴァンニ・アントニオ・ブッリーニ派画家による「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」
P1470652
詳細不明
P1470654
18世紀のエミリアの逸名画家による「無原罪の御宿り」
P1470656
アンジェロ・ゴッタレッリの「無原罪の御宿り」
P1470658
18世紀のボローニャ派画家による「受胎告知」
P1470664
カウロ・チニャーニの「聖母子」(18世紀前半)
18世紀のイーモラの逸名画家による「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」
P1470667
詳細不明
P1470675
18世紀のエミリアの逸名画家による「アクィーノの聖トッマーゾ」
P1470677
ミサ曲の楽譜
P1470679
手描きの彩色楽譜
P1470680
天井の装飾
P1470681
P1470682
キリがないので、この辺で終わることにしましょう。
P1470685
非常に面白かった!!!
P1470749
相当な美術ファン向けの博物館でしょうね。
P1470764
(おわり)

P1470179
オラツィオ・サマッチーニ(ボローニャ、1532‐1577)の「聖ステファノの殉教」(1564‐65)
P1470184
ガスパーレ・サッキの「聖母の結婚」(1528‐29)
P1470189
ラッファエッロ・ボッティチーニ(1474‐1510存在確認)の「慈悲の聖母」(1510‐15)
P1470192
インノチェンツォ・ダ・イーモラ(イーモラ、1490‐ボローニャ、1545c)の「玉座の聖母子と聖カッシアーノと聖ピエル・クリソローゴ」(1515‐16)
P1470196
フランチェスコ・ディ・バルトロメオ・ペローシオ(ヴェネツィア?、1430‐イーモラ、1487)の「ピエタの聖母」(1468)
P1470201
ルネッタの「聖家族」
制作者、どこのルネッタ等についての記述がありません。
P1470205
地元イーモラの画家やボローニャなどのエミリア・ロマーニャ州の画家たちの現代画が50点ほど展示されてます。現代画は守備範囲から外れるので、全部の紹介は止めておきましょう。
P1470208
マリア・グイド・ダル・モンテ(イーモラ、1906‐1990)の「風景」(1932)
これは好みに入ります。
P1470212
レ―ツィオ・ブスカローリ(イーモラ、1895‐リッチオーネ、1971)の「ピエタ」(1921‐22)
何処が「ピエタ」なんでしょうか?
P1470220
次はジョヴァン・ジョゼッフォ・サンティ(ボローニャ、1644‐1719)の風景画4部作です。
こちらは「遺跡に騎兵たちがいる風景」(1685)
P1470216
「遺跡にトビアスと天使がいる風景」(1685)
P1470214
「遺跡でのディアナの水浴」(1685)
P1470218
「遺跡の旅人の風景」(1685)
P1470226
フランチェスコ・コディーニ(17世紀前半に活動)の「花と果物と食用鳥と鳥がいる静物画」(1631?)
P1470228
フランチェスコ・コディーニの「花と果物と食用鳥とパンの静物画」(1631?)
P1470231
バルトロメオ・パセロッティの「瞑想の聖フランチェスコ」(1580?)
P1470233
ヴェネトの逸名画家による「悔悛のマグダラのマリア」(17世紀末)
P1470235
ジョヴァンニ・バッティスタ・ピアツェッタ派画家による「瞑想の聖フランチェスコ」(18世紀)
長白鬚の聖フランチェスコを初めて見ました。聖フランチェスコではないと思うのですが・・・・
P1470238
ステファノ・マンガネッリ・ダ・クレモナの彩釉テラコッタ(15世紀)
P1470240
フィレンツェのロッビア一族の彩釉テラコッタとは随分感じが違います。
P1470244
18世紀のロマーニャの逸名彫刻家による「聖母子と聖カッシアーノと聖ピエル・グリソローゴ」(18世紀中ごろ)
P1470249
ジャン・ドメニコ・ヴァレンティーニ(ローマ、1639‐1715)の「薬草店」(1661)
P1470252
ジャコモ・ザンパ(フォルリ、1731‐トッシニャーノ、1808)の「大鷲に化けたゼウスにさらわれるガニメーデ」
(1777c)
P1470254
ジョヴァンニ・アントニオ・ブッリーニ(ボローニャ、1656‐1727)に帰属する「夢想する少女」(17世紀末)
P1470257
ジョヴァンニ・アントニオ・ブッリーニに帰属する「本と蝋燭を手にする少女」(17世紀末)
雄鶏が左に描かれている意味は何でしょうか?
P1470260
アンジェロ・ゴッタレッリ(カステル・ボロネーゼ、1740‐イーモラ、1813)の「フランチェスコ・アルベルゲッティの肖像」(18世紀末)
P1470261
エミリアの逸名画家による「カルロ・ブラカッサーティの肖像」(17世紀第4四半世紀)
P1470262
17世紀後半のエミリアの逸名画家による「ジュリア・サッサテッリ・マッキレッリの肖像」(1673c)
P1470263
ジャコモ・ザンパの「カミッロ・ザンピエーリの肖像」(18世紀第4四半世紀)
P1470264
バルトロメオ・チェージの「貴婦人の肖像」(1585)
P1470266
説明プレートなしの肖像画が数多く展示されてます。
P1470272
18世紀前半のボローニャの逸名画家に拠る作品
P1470277
17世紀のボローニャの逸名画家の「キリストの昇天」(17世紀)
P1470281
詳細不明
P1470283
美術館から教会の聖歌隊席に出ることが出来ます。
P1470284
教会は通常閉まってます。
P1470285
バロック様式の内部です。
P1470286
ロドヴィーコ・カッラッチの「聖オルソラの殉教」が見ものですが、聖歌隊席下の壁にあったのか、見当たりませんでした。
P1470290
恐らくジャン・ドメニコ・フェッレッティの作品でしょうね。
P1470294
美術館の展示に戻りました。
P1470295
彫刻の展示です。
P1470296
ローマ時代から現代までの彫刻が雑然と展示されています。
P1470298
イグナツィオ・ゾッティ(イーモラ、1806‐1865)の「自画像」(1840)
P1470304
展示室天井にある紋章?
P1470305
武具類も展示されてます。
P1470306
イーモラのコレクターの写真と共に代表的な収集物が展示されてます。
P1470307
凄いのは化石のコレクターです。
P1470311
2室が一人のコレクターが収集した化石の展示となってます。
P1470313
昆虫採集
P1470316
収集物の展示室には恐れ入りました。
P1470317
実態は美術館兼博物館でしょうね。
P1470329
外に出ました。
P1470331
(おわり)

人口が1万人を超えたコムーネに行くと、7,8割の確率でMuseo Civicoを設けています。その土地で発掘された遺跡、その歴史を物語る資料や、特産物教会や修道院にあったフレスコ画・祭壇画などが展示されてます。
P1470084
イーモラのクアルト通りです。この先に教会があります。
P1470324
サンティ・ニコロ・エ・ドメニコ教会ですが、通常、単にサン・ドメニコ教会と呼ばれてます。
P1470322
教会だけではなく修道院が併設されていました。
P1470319
修道院は閉鎖されており、旧修道院の建物が美術館として使用されます。
P1470086
Museo Civico di San Domenicoです。
P1470318
ここが美術館の入り口です。困ったことに開館時間にも拘らず扉が閉まっていることがあります。私が前回行った時がそうでした。仕方がないので観光案内所に出向いて、例のイタリア流の突発的臨時休館かどうか確認したところ、観光案内所の係員が非常に親切で市役所まで電話をかけて事情を聞いてくれたのです。
結論は、入館者が少ない時はセキュリティと人員削減のため、入り口を施錠して係員を不在にしているとの事。要すれば、経費削減の一環という訳です。
美術館に再度行ったら、係員が私を待ってくれていました。
フィレンツェのウッフィツィ美術館は長蛇の列ですが、国立美術館といえどもピサ、ルッカ、アレッツォなど閑古鳥が鳴いている所が多いのが現状です。市立美術館となると、他の入館者を見けることが珍しいのです。
P1470087
クリストフォロ・スカレッティ(1403年から記録、1447‐1451年の間に没)の「玉座の聖母子と聖アントニオ」(1430‐40)
P1470091
ジョヴァンニ・ダ・リオーロ(1426‐1474存在確認)に帰属する「聖母子と聖クリストフォロ」(15世紀)
P1470097
クリストフォロ・ディ・ベネデット(ボローニャで1456‐1497記録)に帰属する「聖母子と福音書記者聖ジョヴァンニと聖フランチェスコ」(15世紀後半)
P1470099
クリストフォロ・ディ・ベネデットに帰属する「受胎告知」(15世紀後半)
P1470102
陶器が展示されてます。
P1470103
隣のファエンツァが陶器製造で有名ですが、イーモラでも陶器業が盛んでした。
P1470106
トッマーゾ・カルデッロ(1469年記録、15世紀後半存在確認)の「聖クリストフォロ」(左)
右の「聖母子」はロマーニャの15世紀後半の無名画家の作品です。
P1470109
バルトロメオ・チェージ(ボローニャ、1556‐1629)の「聖アンナ」(1603)
イーモラ大聖堂の再建前の建物にあったフレスコ画です。
下の「予言者」もバルトロメオの作品で旧大聖堂にありました。
P1470110
P1470113
サン・ドメニコ教会の再建前の建物(取り壊された)の窓にあったもの
P1470116
Maestro del Trittico di Imola(1425‐55c活動)の「玉座の聖母子と聖クリスティーナと聖ピエトロ」
P1470120
ロマーニャの逸名彫刻家による「磔刑像」(16世紀)
P1470124
ガスパーレ・サッキ(イーモラで1517‐1536記録)の「スカレッタの聖母」(1527)
聖人たちは、聖ジャコモ、聖ベルナルド、聖フランチェスコ、聖アントニオ・アバーテ
P1470126
ラヴィーニア・フォンターナの「ご誕生」(16世紀後半)
P1470129
ラヴィーニア・フォンターナの「羊飼いの礼拝」(16世紀後半)
P1470135
ピエトロ・バッキ・ダ・バニャーラ(バニャーラ、1510‐イーモラ、1579年以降)の「ロザリオの聖母」(1571)
P1470140
ジュゼッペ・バルトリーニ(イーモラ、1657‐1725)の「イーモラの街を祝福する聖カッシアーノ」(1704)
P1470142
ウバルド・ガンドルフィ(サン・マッテオ・デッラ・デチーマ、1728‐ラヴェンナ、1781)の「トレンティーノの聖二コラ」(1769c)
P1470148
ウバルド・ガンドルフィの「聖母子」(1775c)
P1470152
ラヴィーニア・フォンターナの「聖母被昇天と聖人たち」(1583)
P1470155
ジャコモ・ザンバ(フォルリ、1731‐トッシニャーノ、1808)の「聖母に嘆願する聖テレンツィオ」(1780‐90)
P1470159
ジャコモ・ザンバの「天上の聖母子と聖バルトロメオと聖フェーデ」(1777)
P1470164
ジョヴァン・ドメニコ・フェレッティ(フィレンツェ、1692‐1768)の「磔刑とマグダラのマリア」(1718‐28)
P1470169
ロレンツォ・パシネッリの「聖アグネス(または聖バルバラ)の殉教」(17世紀末)
P1470172
ドメニコ・マリア・ヴィアーニ(ボローニャ、1668‐ピストイア、1711)の「聖母子とベアート・ピエトロ・パッセ—リ」(1696)
P1470176
フランチェスコ・アルバーニの「幼きキリストを崇めるパドヴァの聖アントニオ」(1642)
(つづく)

↑このページのトップヘ