イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:トスカーナ州 > グロッセート

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やがてチェスの対局が始まりました。


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晴れていたのは嬉しいのですが、気温上昇と高湿気には困りました。


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日陰のベンチで一休み。


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グロッセートに来た最大の目的は、マレンマ博物館の入館です。


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博物館の開館時間まで、ぶらぶら歩きで時間潰しです。


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狭い城壁内なので、同じ場所に何度も来てしまいます。


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日陰を選んで歩きました。


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マレンマ地方観光の醍醐味は、ソヴァーナ、ソラーノ、ピティリアーノです。


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ピティリアーノへは、グロッセートからバスがあるので、簡単に行けます。


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ソヴァーナへは、鉄道駅からの直通バスはなくなって、ピティリアーノ発のバスで行くことになったので不便になりました。


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サンタ・キアーラ教会は、相変わらず扉が閉まっていました。


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サン・フランチェスコ教会は開いてました。


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ジュゼッペ・カスッチ(ロッカストラーダ、1877-アルゼンチン、1964)の「聖母子と聖フランチェスコと聖フォルトゥナート」(1927)をじっくり見ました。


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もう一度拝観しました。


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マレンマ博物館にやってきました。神学校だった建物です。


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博物館前の彫像は、「アンドレア・ダ・グロッセート(グロッセート、13世紀前半‐?、?)像」です。
アンドレア・ダ・グロッセートは、散文作家でグロッセートのサン・フランチェスコ教会の修道士でした。当時の作家はラテン語で書くのが普通でしたが、アンドレア・ダ・グロッセートはイタリア語の最初の作家という説があります。


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マレンマ博物館と簡単に表記しましたが、Museo Archelogico e D' Arte della Maremmaが正式名称です。


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開館時間がこのように表記されてますが、この日は16:00~19:00のみの開館でした。


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入館しました。


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マレンマ博物館については、既に書きました。
ご興味のある方は、次のページをご参照願います。
(前編)
http://luca-signorelli.blog.jp/archives/17823152.html
(後編)
http://luca-signorelli.blog.jp/archives/17826171.html


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アレッサンドロ・カソラーニ(メンサノ、1552‐シエナ、1660)の「磔刑」(1583)


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Maestro dell' Osservanzaの「聖ジローラモ」(左)(1450‐60c)とサーノ・ディ・ピエトロ(シエナ、1406‐1481)の「聖アントニオ・アバーテ」(右)(1450‐60c)


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サンティ・ディ・ティート(ボルゴ・サン・セポルクロ、1536‐フィレンツェ、1603)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノと聖エリザベッタ」(1601)


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グイド・ディ・グラツィアーノ通称グイド・ダ・シエナ(シエナ、1230c‐1290c)と工房の「最後の審判」(13世紀)


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ルドヴィーコ・カルディ通称イル・チゴリ(チゴリ、1559‐ローマ、1613)の「ピエタ」(1599c)


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バルトロメオ・ブルガリーニ(シエナ、1337‐1378記録)の「聖母子」(1370)


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ジョヴァンニ・ディ・二コラ(シエナとピサ、1326から記録-1363/1365没)の「聖母子」


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アンドレア・ディ・ニッコロ(シエナ、1440-1514)の「ピエタのキリスト」(15世紀末)


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外に出ました。


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次はMuseo di Storia Naturale della Maremmaです。


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この日は、残念ながら開いていませんでした。


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特にやることがありません。


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見たいところは大体見たようです。


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これならば、昼食でワインを1本空け、ビールを飲んで時間をかけて楽しむべきでした。


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サン・フランチェスコ教会の鐘楼が見えてます。


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Piazza Pacciardi
写真左はミゼリコルディア教会です。


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グロッセートのニャーゴ


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城壁にやってきました。


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城壁外に出ます。


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Porta Vecchia


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ホテルに戻ることにしました。


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夕方になると、人出が多くなります。


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サン・ピエトロ教会が開いていました。


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拝観しました。


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キリがないので、この辺で終わりにしましょう。
(グロッセートの項、おわり)

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ホテルに戻って昼寝を小一時間すると。外は晴れていました。


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今度は傘を持たずに外出です。


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先ず城壁外を見て回ります。


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城壁内は狭いので、街の住民の大多数が城壁外に住んでます。


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パーチェ通りに沿って大きな教会があります。


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サクロ・クオーレ参事会聖堂 Basilica Minore e Collegiata del Sacro Cuore di Gesuです。


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1954年から1958年に建設されたネオ・ルネサンス様式の新しい教会です。


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この聖堂の建設には、グロッセート市民の悲惨な出来事がありました。


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城壁外の聖堂が建設された場所には小さな遊園地がありましたが、イースター・マンデイの1943年4月26日、大勢の子供たちが遊園地で遊んでいました。空襲警報が出ていなかったので、安心して遊んでいたそうです。ところが、米軍爆撃機一機が何故か遊園地で遊んでいた子供たちを急襲、爆撃によって大勢の子供たちを含む134人が犠牲となりました。
犠牲者の鎮魂のため、建設されたのが、この聖堂です。
犠牲の現場となったところが、この聖堂のクリプタとなってます。


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遊園地で遊んでいた子供を急襲するなんて普通の神経を持った兵士ならば、多分やらないと思いますが、原爆を投下するくらいですから、米兵にとっては朝飯前の普通の任務だったのでしょう。


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コンクリートのファサード
建設の経緯を知る第260代教皇ピオ12世(ローマ、1876-カステル・ガンドルフィ、1958 在位:1939-1958)は、直ぐにBasilica Minoreに格付けしました。


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ファサードの彫刻


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鐘楼


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左側壁


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ファサード前に小さな公園があります。


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小さな公園前から見たファサード


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イタリアが親米なのか分かりませんが、原爆を落とされた我が国が米国と同盟とは。


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咲き誇るブーゲンビリア


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城壁外の、城壁近くにもう一つ新しい教会があります。


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この辺は旧市街の北西、城壁外に当たります。


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Porta Nuovaの近くです。


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教会の鐘楼が見えてきました。


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この教会のファサードはローマ通りに面してます。ファサード側に回ります。


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Chiesa della Medaglia Miracolosa、奇跡のメダル教会とでも訳すのでしょうか?


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居住者が多くなった城壁外の住民のために、1936年から1937年に建設されたネオ・ロマネスク様式の教会です。


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入口扉上ルネッタの浮彫は、地元が生んだ彫刻家トロ―メオ・ファケンディ(グロッセート、1905-1970)の「聖母とベアータ・カテリーナ」(1937)です。


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美術的には、ファサードの浮彫を観れば十分と言えるでしょう。


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壮大な郵便局の建物


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昼寝ボケで眠かったので、ここで一服入れました。


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Villino Pastorelli


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未だ城壁外です。


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この辺だけ城壁がありません。


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城壁内に入りました。


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ダンテ広場です。


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ダンテ広場でチェスが行われるようです。


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(つづく)

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次はサン・ミケーレ門です。


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パオルッチ通りを進みます。サン・ミケーレ門は旧市街の南西にあります。


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ドゥオーモの鐘楼が見えました。


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小雨が相変わらず降り続いてます。


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昼を過ぎて、閉まっている店が多くなっています。


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小さなジョヴァンニ・ヴァレーリ広場を通り過ぎます。


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マッツィーニ通りからサン・ミケーレ広場に入ります。


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サン・ミケーレ広場にある「木のオブジェ」です。遠くから見ると木ですが、よーく見ると金属製の木です。金属製の木ではなく、普通の木でも良いと思いました。


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1819年に建設されたTeatro degli Industriです。


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サン・ミケーレ門はもう直ぐです。


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サン・ミケーレ門が見えてきました。


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城壁の南西に設けられたサン・ミケーレ門です。


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城壁外に出ました。


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城壁外には見所が乏しいので、城壁内に戻ります。


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Bastione Molino a Vento


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公園内の池にイノシシの噴水があります。


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ダンテ広場に戻りました。


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古い建物ですが映画館になってます。


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ドゥオーモ


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雨が強くなってきたので柱廊に逃げ込みました。


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昼食のビールが効いてきました。


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ここで一服して、トイレをお借りしました。


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Porta Vecchiaに向かいます。


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Via San Martino


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14世紀に遡るPorta Vecchiaです。


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城壁外に出ました。16世紀後半にメディチ家に拠って城壁の増強整備が行われましたが、その際、14世紀のPorta Vecchiaがそのまま新城壁に組み込まれました。


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城壁外に広い駐車場があります。


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城壁内に戻りました。


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Via San Martino


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城壁が殆ど残されているのが確認出来ました。


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Via dell Unione


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ドゥオーモ広場に出ます。


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狭い城壁内なので、どうしても同じ場所に何回も来てしまいます。


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ダンテ広場に立つローマ時代の柱 Colonna Romana e Monumennto a Canaponeです。


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雨の中をあちこち行くのが嫌になってきました。


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Corso Giosue Carducci


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ホテルに戻って昼寝をすることにしました。

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サン・ピエトロ教会を通り過ぎます。


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(つづく)

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Strada Ginoriです。


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古い建物が建ち並んでます。次はサン・フランチェスコ教会修道院ですが、Strada Ginoriの突き当りに教会があります。


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Piazza Indipendennzaに出ました。


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サン・フランチェスコ教会修道院の鐘楼です。


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グロッセート病院の井戸が広場にあります。


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1465年に造られたPozzo di Santa Maria della Scala di Sienaです。


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共和国広場は、以前、サン・フランチェスコ広場と呼ばれていました。


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サン・フランチェスコ教会を見ます。


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10世紀に建設されたサン・フォルトゥナート教会が前身です。


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1188年、時の教皇クレメンテ3世(第174代教皇)(ローマ、1121-1191 在位:1187-1191)は、サン・フォルトゥナート教会をグロッセート司教に寄贈しました。


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12世紀末に教会はベネデット会の所有となりましたが、1220年、ベネデット会修道士は教会を去ることになり、フランチェスコ会に建物を売却しました。売却を機に、教会名称がサン・フランチェスコ教会と改称されました。


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新たに所有者となったフランチェスコ会修道士は、教会修道院を再建することにし、1231年から1289年に再建された建物が現在の姿の原形となってます。


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1859年から1865年にかけてサン・ロレンツォ大聖堂の修復工事が行われましたが、その工事期間中、司教座がサン・フランチェスコ教会に臨時に置かれました。
1949年から教区教会 Parrocchiaになりました。


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ファサード横にある聖フランチェスコの記念碑


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13世紀に建設された、オリジナルの鐘楼は、17世紀頃、落雷によって倒壊してしまいました。現在の鐘楼は、1926年に再建されたものです。


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教会の入り口です。


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入口上ルネッタのフレスコ画は、ジュゼッペ・カスッチ(ロッカストラーダ、1877-アルゼンチン、1964)の「聖母子と聖フランチェスコと聖フォルトゥナート」(1927)です。


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中に入りました。


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見るに値する作品が幾つかあります。


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単廊式


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木組みの天井


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ピントゥリッキオ派のシエナの逸名画家の作品(1510c)です。


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14世紀のシエナ派逸名画家作「聖アントニオ・アバーテ」(14世紀)


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逸名画家作「聖クリストフォロ」(14世紀)


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後陣と主祭壇


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ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ(シエナ、1255c-1318/1319)の「彩色磔刑像」(1289c)
この磔刑像は歴史的にドゥッチョの作品と言われてきました。


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しかし、近年になってグイド・ディ・グラツィアーノ(シエナ、1278-1302記録)の作品であるとの別説が出されています。


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15世紀の逸名画家作「聖フランチェスコと聖ベルナルディーノ」


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ニッコロ・ディ・セーニャ(シエナ、?-1348c)の領域(Ambito di)の「聖母子」


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フランチェスコ・クゥッラディ(フィレンツェ、1570-1661)の「受胎告知」(1615)


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翼廊の礼拝堂


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かなり新しそうなフレスコ画です。


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フレスコ画の制作者や制作された時代等の詳細が分かりません。


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キオストロ回廊に出ました。


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修道院と教会を連絡する回廊の壁にフレスコ画があることが多いですが、ここにはないようです。


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1590年に造られたPozzo della Bufaraです。


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回廊にある作品を観ます。


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彩釉テラコッタの聖母子


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大天使聖ミケーレ


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キリストの鞭打ち


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教会経由で外に出ます。


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もう一度ドゥッチョの彩色磔刑像を見ました。


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出ました。
(つづく)

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Via D' Azeglioです。


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雨がしつこく降ってます。


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メンシーニ広場を通り過ぎます。


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次はミゼリコルディア教会です。


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Piazza Martiri d' Istriaに入りました。


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広場に建っているのがミゼリコルディア教会です。


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12世紀中頃に、現在地に建設された病院別館がありましたが、その別館に設けられたサン・ロレンツォ礼拝堂が前身です。
程なく、病院別館と小礼拝堂はテンプル騎士団に寄贈され、13世紀に同騎士団によってサン・ロレンツォ教会が建設されました。


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1312年、テンプル騎士団はサン・ロレンツォ教会を放棄しました。教会は衰退しましたが、ミゼリコルディ同信会によって細々と維持されました。1844年、経時劣化によって建物が危険になったので解体され、1854年に再建された建物が現在の姿となってます。


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ガリバルディ通りを城壁に向かって進みます。


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城壁前にいかめしい建物が建ってます。


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Casa Circondariale


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刑務所です。


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何か監視されている気がしましたが、刑務所なので当然です。観光客には不向きな刑務所ですが、城に行くには、この前を通るのが普通です。


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刑務所の警備員の屯所でしょうか?


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刑務所は城壁内に建ってます。


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Cassero Seneseに向かいます。


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Cassero Seneseです。14世紀にシエナ共和国によって建設された城です。


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1565年、トスカーナ大公コジモ1世・デ・メディチ(フィレンツェ、1519-1574)に拠って城壁の整備拡張が行われましたが、その際、城は城壁に囲まれた要塞の要塞として新城壁に組み込まれました。
Bastione Fortezzaと呼ばれてます。


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Cassero Seneseの入り口です。


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入口扉上のメディチ家の紋章


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Cassero Seneseに観光案内所が設けられてます。観光案内所で地図を頂戴するとともにMuseo、教会の開く時間を確認しました。


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城の中に入りました。


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城の中庭はコンサート会場になっていました。


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観光案内所と中庭以外には入ることが出来ないようになっていました。


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Cassero Seneseから外に出ます。


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Cassero Seneseの周囲を見て回ることにしました。


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高い壁のCassero Seneseです。


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写真左がCassero Seneseの壁、写真右は市域の城壁です。


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城壁外に出ました。


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1565年から1593年に築かれた城壁です。


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Cassero Seneseです。


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城壁外から見たCassero Seneseです。


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城壁内に戻ります。


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Cassero Seneseの入り口を通り過ぎます。


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Piazza Martiri d' Istriaに戻ります。


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ミゼリコルディア教会が見えます。


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このレストランで昼食を食べました。
(つづく)

引き続きドゥオーモです。
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クーポラです。


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クーポラの四隅に四福音書記者が描かれてます。


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聖マルコ


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アントニオ・ギーニ・ダ・パオロ(ルッカ?、?-シエナ、1478以前没)の洗礼盤(1470-1474)


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アントニオ・ギーニの傑作とされてます。


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グロッセートの紋章


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イラーリオ・カソラーニ(シエナ、1588-1661)の「天上の聖母子と聖人たち」(1630)


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ヴェントゥーラ・サリンベーニ(シエナ、1568-1613)の「キリストの勝利と聖ロレンツォと聖カルロ・ボッロメオ」(17世紀初頭)


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傑作とされている聖人たちのステンドグラス


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「祈るキリスト」のイコン


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ジローラモ・ディ・べンヴェヌート(シエナ、1470-1524)の作品


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出る前に、もう一度聖堂内部を見回しました。


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外に出ました。


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1870年から1873年に建設されたPalazzo Comunaleです。


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市庁舎が建設される前には、この場所に古いサン・ジョヴァンニ・デコッラート教会の建物がありました。教会は18世紀末に機能を停止しましたが、建物は倉庫として使用されていました。市庁舎を建設するために旧教会の建物は解体されたのです。


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ドゥオーモ広場を後にしました。


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ドゥオーモ広場からダンテ広場に入りました。


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ダンテ広場中央に立つのは、ルイージ・マギ(アシャーノ、1804-フィレンツェ、1871)の「レオポルド2世の記念碑」(1846)です。


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「カナポーネの記念碑」とも呼ばれてます。


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ロレンツォ・ポルチャッティ(カナ、1864-グロッセート、1928)の設計によって、1900年から1903年に建設されたPalazzo Aldobrandeschiです。


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現在、県庁舎として使用されてます。


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Palazzo Aldobrandeschiが建っている場所には、Palazzo Pretorioがありました。1898年、グロッセート市民は劣化したPalazzo Pretorioの修復を行って県庁舎として使用することを求めました。しかし、その願いは叶わず、1899年に解体され、その跡地にPalazzo Aldobrandeschiが新築されたのです。


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ダンテ広場の南側にある建物です。


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ダンテ広場には古い建物が建ち並んでます。これらと調和させるために、Palazzo Aldobrandeschiが古風な造りにされたと言われてます。


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ダンテ広場を後にして、マニン通りを進みます。


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ジョベルティ広場へと進みます。


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ジョベルティ広場から振り返るとドゥオーモが見えました。


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ジョベルティ広場から南門に向かいます。


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南門を潜って城壁外に出ます。


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グロッセートに最初の城壁は12世紀に完成しました。
現在の城壁は、市域の拡大と防御力向上のために、トスカーナ大公コジモ1世・デ・メディチ(フィレンツェ、1519-1574)の命によって、1565年から1593年に建造されました。


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城壁はほぼ完全な形で残されてます。


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城壁外に設けられたParco Giochiです。


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城壁内に戻ります。


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城壁内に泊まるなら、このホテルがお勧めです。


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マッツィーニ通り


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Piazza Maestri del Lavaroにレストラン併設のホテルがあります。


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(つづく)

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Corso Giosue Carducciから広場に差し掛かるとドゥオーモが見えてきます。


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ドゥオーモ広場に入りました。


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ドゥオーモ広場に建つ、グロッセート司教区の司教座教会 Cattedrale di San Lorenzoです。


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現在、ドゥオーモが建っている場所にローマ時代初期に建設された壮大な神殿がありました。392年、テオドシウス帝によってキリスト教会が国教として認められると、神殿はサンタ・マリア・アッスンタ教会と呼称される初期キリスト教会に改修転用されるようになりました。この初期キリスト教会が現在のドゥオーモの前身です。


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グロッセートが属していた司教区司教座は12世紀前半までグロッセートの北10kmにあるロッゼレにありましたが、1138年、第164代教皇インノチェンツォ2世(ローマ、?-1143 在位:1130-1143)はグロッセートに司教座を移して、ローマ時代の神殿を転用したサンタ・マリア・アッスンタ教会の建物を取り壊して、その上に新しい建物を建設して司教座教会にすることを決定しました。


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そうして、当時の一流建築家ソッツォ・ディ・ルスティキーノが起用され、ソッツォの設計、工事監督によって、1294年に創建され、1302年に完成した建物が現在の姿の原形となってます。
14世紀初めに奉献式が執り行われ、それを機に聖ロレンツォ司教座教会と改称されました。


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再建された建物のファサードは、1338年から1340年に建設されましたが、19世紀初めには経時劣化によって一部危険となったので、1840年から1845年にかけて、現在の赤と白の大理石を組み合わせて改修工事が行われました。
現在のファサードは、この改修後の姿であり、少し新しく見えます。


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バラ窓


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16世紀に追加されたランタン


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四福音書記者の彫刻は、アゴスティーノ・ディ・ジョヴァンニ(シエナ、1285c-1347c)とその息子ジョヴァンニ・ディ・アゴスティーノ(シエナ、1310-1348)によって1320年から1340年に制作されました。
聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタの彫刻


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聖ルカ


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聖マルコ


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聖マッテオ


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ダンテ広場から見た右側外壁


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サイドポータル上ルネッタの「聖母子」の彫刻は、レオポルド・マッカリ(1850-1894?)によって制作されました。


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右側壁に描かれた日時計のフレスコ画は、アルナルド・マッザンティ(ミラノ、1939-)によって1983年に制作されました。


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グロッセートの紋章


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1402年に建設された鐘楼です。


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拝観します。


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聖堂内に入りました。


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三廊式、ラテン十字形の聖堂内部です。創建当時のロマネスク・ゴシック様式の構造を維持してますが、その後に行われた修復、改修を経ていて、創建時の姿を想像できません。
現在の姿は、1856年から1865年に行われた改修後のものです。


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身廊中央通路から見た右側廊方向


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聖堂の構造図


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左側廊


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右側廊


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主祭壇と後陣


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主祭壇は、ジョヴァンニ・アントニオ・マッゾ―リ(1639-1714)によって1692年に制作されました。


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彩色磔刑像が必見です。


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ロレンツォ・ディ・ピエトロ通称イル・ヴェッキエッタ(シエナ、1410-1480)に帰属する「彩色磔刑像」(15世紀後半)


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マドンナ・デッレ・グラツィエ礼拝堂です。


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マッテオ・ディ・ジョヴァンニ(ボルゴ・サン・セポルクロ、1430-シエナ、1495)の「聖母と天使たち」(1470)


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サン・ロレンツォ礼拝堂です。


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詳細不知の「羊飼いの礼拝」


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かなり出来が良いと思います。


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詳細不知


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十字架の礼拝堂です。


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制作者情報不知の「木製磔刑像」(15世紀)


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詳細不知の礼拝堂
(つづく)

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グロッセート駅に到着しました。


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グロッセートは、人口82,378人(2019年12月31日現在)のトスカーナ州グロッセート県の県都です。マレンマ地方の中心都市です。


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グロッセート鉄道駅の駅舎です。


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駅近くのホテルにチェックインしました。
変わりやすい天気の日で、自室に10分ほどいるうちに雨が降ってきました。


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俄雨が上がったので、街歩きに出発しました。


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トリエステ通りを右折します。


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ローマ通りに入りました。


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駅から旧市街を囲む城壁まで徒歩5,6分ほどかかります。


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旧市街はもう直ぐです。


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Piazza Fratelli Rosselliに面して建つPalazzo del Governoです。


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Piazza Fratelli Rosselliに面して建つ郵便局の建物です。


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11月4日通りです。


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1908年から1913年に建設された、ネオ・ゴシック様式のVillino Pastorelliです。


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グロッセートで活躍した建築家ロレンツォ・ポルチャッティ(カナ、1864-グロッセート、1928)の傑作とされているVillino Pastorelliです。


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城壁が見えました。


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1925年から1939年に建設されたCasa del Fascioと時計塔です。マレンマ地方ファシズムの中心地でした。


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グロッセートの城壁は、殆ど無傷で残っている城壁の稀な例の一つです。


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城壁内に入りました。ここにあった城壁は、1939年から1941年に取り壊されました。


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1912年にBanca Monte dei Paschi di Sienaが建設したPalazzo del Monte dei Paschi di Sienaです。


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Corso Giosue Carducciを進みます。


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写真左の建物は、1911年に建設されたPalazzo del Genio Civileです。


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Corso Giosue Carducciに面して建つ、ロマネスク様式のサン・ピエトロ教会です。


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9世紀に遡るグロッセート最古の教会です。1188年に文書に、教会の存在が初めて記載されたそうです。


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サン・ピエトロ教会の後陣です。


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サン・ピエトロ教会の後方に建っているのは、1634年に建設されたルネサンス様式のサンタ・キアーラ教会です。現在はビギ教会と呼ばれることが多いようです。


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サンタ・キアーラ教会は、Via Vinzaglioに面して建ってます。


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サンタ・キアーラ教会から見たサン・ピエトロ教会の後陣です。


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サン・フランチェスコ教会です。拝観は後でゆっくりすることにしました。


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マレンマ博物館は午後に入館することに。


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街の中心ドゥオーモ広場に向かいます。


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Corso Giosue Carducciに戻りました。


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Palazzo del Genio Civileのフレスコ装飾を見ます。


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Corso Giosue Carducciを更に進みます。


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城壁内を縦貫するメイン通りです。


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写真左は市庁舎です。


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街の中心ドゥオーモ広場にやってきました。


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ドゥオーモです。
(つづく)

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シエナの無名画家の「玉座の聖母子」(14世紀末)


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ヴェッキエッタ工房の「聖アンドレア」(15世紀)


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ピエトロ・ディ・ドメニコ(シエナ、1457‐1502)の「ピエタのキリストと2聖人」


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アンドレア・ディ・ニッコロ(シエナ、1440‐1514c)の「ピエタのキリスト」(15世紀末)


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フィレンツェ派無名画家の「聖母子と聖オノフリオ」(15世紀後半)


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フィレンツェ派無名画家の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」(15世紀)


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トスカーナの無名画家の「聖母子とシエナの聖カテリーナとアレッサンドリアの聖カテリーナ」(16世紀初め)


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チゴリの「ピエタ」(1599c)


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ジローラモ・ディ・べンヴェヌート(シエナ、1470‐1524)の「聖母子と聖ジローラモとシエナの聖ベルナルディーノ」(16世紀初め)


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ネロッチョ・ディ・バルトロメオ・ランディ工房の「聖母子とマグダラのマリアと聖ジローラモ」(15世紀末)


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サセッタ(シエナ、1423‐1450記録)の「聖母子」(1440‐50c)


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硝子板に反射するので別方向から撮ってみました。


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サーノ・ディ・ピエトロ(シエナ、1406‐1481)と工房の「聖母子」(15世紀後半)


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シエナの無名彫刻家の「聖フランチェスコ」(16世紀)


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トスカーナの無名彫刻家の「聖フランチェスコ」(16‐17世紀)


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バルトロメオ・ネローニ(シエナ、1505‐1571)の「ピエタ」
この作品を含めて四部作になってます。以下3点もバルトロメオの作品です。


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「聖ゲラルド」


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「祈る聖母」


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「聖フランチェスコ」


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17世紀の無名画家の「アンドレア・デル・サルト作『聖家族』のコピー画」


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16世紀のトスカーナの無名画家の「聖母子とシエナの聖カテリーナと聖ルチア」


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セバスティアーノ・フェッリ工房の「聖母子ととアレッサンドリアの聖カテリーナと聖カルロ・ボッロメオ」(17世紀前半)


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ジョヴァン・バッティスタ・パッジ(ジェノヴァ、1554‐1627)の「アレッサンドリアの聖カテリーナの神秘な結婚」


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シエナの無名画家の「斬首された洗礼者聖ジョヴァンニの首」(17世紀末‐18世紀初め)
この作品を含めて四連画となってます。以下3点の写真も同じ画家の作品です。


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「砂漠の洗礼者聖ジョヴァンニ」


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「ピエタのキリスト」


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「聖母と四信者」


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17世紀の無名画家の「チゴリ作『聖ステファノの殉教』のコピー画」


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ジャチント・ジミニャーノ(ピストイア、1606‐ローマ、1681)の「カルミネの聖母と聖人たち」(1648)


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シエナの無名画家の「フランチェスコ・ヴァンニ作『シエナの聖カテリーナ』のコピー画」(17世紀)
以下3点も同じ画家によるフランチェスコ・ヴァンニ作品の複製画です。


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「大天使聖ミケーレ」


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「ピエタのキリスト」


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「聖母被昇天と二信者」


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シエナの無名画家の「ジャコッベを祝福するイサク」(17世紀末)


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制作者不明の「磔刑」(18世紀)


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小作品が数点あります。


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ジョヴァンニ・アントニオ・マッツォーリ(シエナ、1639‐1714)の「キリストの復活」(1692)


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トッマーゾ・レーディ(シエナ、1602‐1657)の「父なる神」(1648‐49)


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バルトロメオ・マッツォーリ(シエナ、1674‐1748)の「天使」(1708‐09)


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ジョヴァンニ・アントニオ・マッツォーリの「ケルビーニ」(1708‐09)


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法衣


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聖具類


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彩色楽譜


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考古学部門展示が混在しています。


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ライオン像は教会にあったものでしょう。


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場違いのような展示物です。


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アントニオ・サルヴェッティ(コッレ・ディ・ヴァル・デルザ、1854‐1931)の「アントニオ・カンペッリの肖像」
アントニオ・カンペッリはこの博物館の館長です。


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制作者不明の「聖母子」(15‐16世紀)


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ロレンツォ・ディ・クリストファノ・ルスティーチ(シエナ、1596‐1638)の「磔刑」(1627)


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中々見応えがありました。


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(おわり)



P1050681グロッセートは、人口82,269人(2016年9月30日現在)のトスカーナ州グロッセート県の県都です。トスカーナ州南部とラツィオ州北西部の、いわゆるマレンマ地方の中心都市です。


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グロッセートのチェントロにあるサン・フランチェスコ教会です。


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サン・フランチェスコ教会の鐘楼と後陣です。写真右手前に写っている建物に博物館があります。


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神学校だった建物です。


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この建物が博物館です。


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簡単にマレンマ博物館と書きましたが、正式名称は御覧の通りです。マレンマ博物館の芸術部門と教区博物館は一体化して展示されています。


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紙に記されて開館時間が表示されてますが、このような場合、要注意です。紙にタイプしたものは、変更が簡単ですから。


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博物館が面している広場にある像は、13世紀の散文作家アンドレア・ダ・グロッセートのものです。


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入館しました。


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最初は考古学部門です。


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ヴォルテッラからキウージまでの遺跡からの発掘物が展示されてます。


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エトルリアの遺跡から発掘物が古いものからほぼ年代順に新しいものへと展示されてます。


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各地の博物館の考古学部門を見ているうちに、説明文を見なくても大体分かるようになってきました。


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彫刻断片


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エトルリア時代の壺


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エトルリア関係の紹介はこの辺で終わりにします。


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次はローマ時代のものです。


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ローマ時代のものも、古いものからほぼ年代順に展示されています。
誰の頭像か、特定されてません。(紀元前4世紀)


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ローマ時代の頭像(紀元前1世紀)


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特定されていない頭像


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誰なのか、特定されていません。(紀元前1世紀)


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ゲルマニクス?像(20‐50c)


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紀元前1世紀


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ローマ時代の住居


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古代ローマ時代と言っても、約800年の長さです。


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この博物館の考古学部門は非常に充実しています。


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絵画・彫刻部門の作品紹介に移ります。


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アレッサンドロ・カソラーリ(メンサーノ、1552‐シエナ、1606)の「磔刑」(1583)


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アストルフォ・ペトラッツィ(シエナ、1580‐1653)の「光悦の聖ジローラモ」


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17世紀の無名画家の「祈るキリスト」


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ベルナルディーノ・メイ(シエナ、1612‐ローマ、1676)の「聖チェチリア」


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16世紀末の無名画家の「この人を見よ」


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17世紀の無名画家の「悔悛の聖ジローラモ」


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17世紀の無名画家の「ドメニコ・ベッカフーミ作『悔悛の聖ジローラモ』のコピー画」


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左右の制作者が異なります。
向かって左は、Maestro dell'Osservanzaの「聖ジローラモ」(1450‐60c)
向かって右は、サーノ・ディ・ピエトロの「聖アントニオ・アバーテ」


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サンティ・ディ・ティートの「聖母子と聖エリザベッタと聖ジョヴァンニーノ」(1601)


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19世紀の無名画家の「聖ロレンツォ」


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ルイージ・カルツィ(ピストイア、1638‐ローマ、1721)の「聖ピオ5世」(1712)


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17世紀後半のシエナの無名画家の「キリストの鞭打ち」


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18世紀の無名画家の「羊飼いの礼拝」


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18世紀のボローニャ派無名画家の「アガルとイシマエル」


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18世紀のボローニャ派無名画家の「井戸のレベッカ」


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シエナの無名画家の「聖母子」(16世紀)


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17‐18世紀の無名画家の「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」


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17‐18世紀の無名画家の「マギの礼拝」


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16世紀の無名彫刻家の「受胎告知を受ける聖母」


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グイド・ダ・シエナと工房の「最後の審判」(13世紀)


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ウゴリーノ・ダ・ネーリオの「大天使聖ミケーレ」(14世紀)


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バルトロメオ・ブルガリーニ(シエナ、1337‐1378記録)の「玉座の聖母子」(1370c)


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シエナの無名画家の「磔刑」(14世紀前半)


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シモーネ・マルティーニ工房の「聖母子」(14世紀前半)


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シエナ派無名画家の「聖母子」(14世紀末‐15世紀初め)


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ジョヴァンニ・ディ・二コラに帰属する「聖母子」(14世紀)


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シエナの無名彫刻家の「磔刑」(15世紀初め)
(つづく)


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