やがてチェスの対局が始まりました。
晴れていたのは嬉しいのですが、気温上昇と高湿気には困りました。
日陰のベンチで一休み。
グロッセートに来た最大の目的は、マレンマ博物館の入館です。
博物館の開館時間まで、ぶらぶら歩きで時間潰しです。
狭い城壁内なので、同じ場所に何度も来てしまいます。
日陰を選んで歩きました。
マレンマ地方観光の醍醐味は、ソヴァーナ、ソラーノ、ピティリアーノです。
ピティリアーノへは、グロッセートからバスがあるので、簡単に行けます。
ソヴァーナへは、鉄道駅からの直通バスはなくなって、ピティリアーノ発のバスで行くことになったので不便になりました。
サンタ・キアーラ教会は、相変わらず扉が閉まっていました。
サン・フランチェスコ教会は開いてました。
ジュゼッペ・カスッチ(ロッカストラーダ、1877-アルゼンチン、1964)の「聖母子と聖フランチェスコと聖フォルトゥナート」(1927)をじっくり見ました。
もう一度拝観しました。
マレンマ博物館にやってきました。神学校だった建物です。
博物館前の彫像は、「アンドレア・ダ・グロッセート(グロッセート、13世紀前半‐?、?)像」です。
アンドレア・ダ・グロッセートは、散文作家でグロッセートのサン・フランチェスコ教会の修道士でした。当時の作家はラテン語で書くのが普通でしたが、アンドレア・ダ・グロッセートはイタリア語の最初の作家という説があります。
マレンマ博物館と簡単に表記しましたが、Museo Archelogico e D' Arte della Maremmaが正式名称です。
開館時間がこのように表記されてますが、この日は16:00~19:00のみの開館でした。
入館しました。
マレンマ博物館については、既に書きました。
ご興味のある方は、次のページをご参照願います。
(前編)
http://luca-signorelli.blog.jp/archives/17823152.html
(後編)
http://luca-signorelli.blog.jp/archives/17826171.html
アレッサンドロ・カソラーニ(メンサノ、1552‐シエナ、1660)の「磔刑」(1583)
Maestro dell' Osservanzaの「聖ジローラモ」(左)(1450‐60c)とサーノ・ディ・ピエトロ(シエナ、1406‐1481)の「聖アントニオ・アバーテ」(右)(1450‐60c)
サンティ・ディ・ティート(ボルゴ・サン・セポルクロ、1536‐フィレンツェ、1603)の「聖母子と聖ジョヴァンニーノと聖エリザベッタ」(1601)
グイド・ディ・グラツィアーノ通称グイド・ダ・シエナ(シエナ、1230c‐1290c)と工房の「最後の審判」(13世紀)
ルドヴィーコ・カルディ通称イル・チゴリ(チゴリ、1559‐ローマ、1613)の「ピエタ」(1599c)
バルトロメオ・ブルガリーニ(シエナ、1337‐1378記録)の「聖母子」(1370)
ジョヴァンニ・ディ・二コラ(シエナとピサ、1326から記録-1363/1365没)の「聖母子」
アンドレア・ディ・ニッコロ(シエナ、1440-1514)の「ピエタのキリスト」(15世紀末)
外に出ました。
次はMuseo di Storia Naturale della Maremmaです。
この日は、残念ながら開いていませんでした。
特にやることがありません。
見たいところは大体見たようです。
これならば、昼食でワインを1本空け、ビールを飲んで時間をかけて楽しむべきでした。
サン・フランチェスコ教会の鐘楼が見えてます。
Piazza Pacciardi
写真左はミゼリコルディア教会です。
グロッセートのニャーゴ
城壁にやってきました。
城壁外に出ます。
Porta Vecchia
ホテルに戻ることにしました。
夕方になると、人出が多くなります。
サン・ピエトロ教会が開いていました。
拝観しました。
キリがないので、この辺で終わりにしましょう。
(グロッセートの項、おわり)