イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:マルケ州 > ロレート

230
16世紀の逸名画家作「悔悛の聖ジローラモ」


231
16世紀の逸名画家作「磔刑」


232
ペッレグリーノ・ティバルディ(ヴァルソルダ、1527-ミラノ、1596)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの説教」


238
ペッレグリーノ・ティバルディ(ヴァルソルダ、1527-ミラノ、1596)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」


234
ピエトロ・ボナッコルシ通称ぺリン・デル・ヴァーガ(フィレンツェ、1501-ローマ、1547)の「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」


235
グイド・レーニ(ボローニャ、1575-1642)の「キリスト」


240
グイド・レーニ(ボローニャ、1575-1642)に帰属する「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


241
アレッサンドロ・マッツォーラ・べドリ(パルマ、1533-1608)に帰属する「聖母子」


243
ジローラモ・ムツィアーノ(ブレーシャ、1532-ローマ、1592)の「聖ザッカリア」


245
ジローラモ・ムツィアーノ(ブレーシャ、1532-ローマ、1592)の「聖ジョアッキーノ」


246
ビザンチン様式の逸名画家作「聖母子と聖人たち」(15世紀)


247
フラ・カルネヴァーレ俗名バルトロメオ・ディ・ジョヴァンニ・コッラディーニ(ウルビーノ、1420/1425c-1484)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


248
フェリーチェ・ダミアーノ(グッビオ、1530-1608)の「聖ルチア」


249


251
フェリーチェ・ダミアーノ(グッビオ、1530-1608)の「聖テクラ」


254
フィリッポ・ベッリーニ(ウルビーノ、1550c-1603)の「割礼」


255
フィリッポ・ベッリーニ(ウルビーノ、1550c-1603)の「無原罪の御宿リ」


257
クラウディオ・リドルフィ(ヴェローナ、1560-アンコーナ、1644)の「無原罪の聖母」


260
ピエル・パオロ・メンゾッキ(フォルリ、1532-1589)の「ロレートに巡礼するジョルジョ・イヴァノヴィッチ」


262
シモン・ヴーエ(パリ、1590-1649)の「最後の晩餐」(1616-20)


264
セバスティアーノ・コンカ(ガエータ、1680-ナポリ、1764)の「バーリの聖二コラ」


265
アントニオ・ザンキ(エステ、1631-ヴェネツィア、1722)の「煉獄の魂を助く教会」


266


267
ジュゼッペ・マリア・クレスピ通称ロ・スパーニョレット(ボローニャ、1665-1747)の「無原罪の御宿リと聖ガエターノ」


274
17世紀の逸名画家作「天上の聖母子と聖人たち」


275
大司教の寝室?


276
詳細不知


277
日本のものらしい。


278
宝物聖具類


280
クリストフォロ・ロンカッリ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1553c-ローマ、1626)の「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」


281
クリストフォロ・ロンカッリ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1553c-ローマ、1626)の「福音書記者聖ルカ」


327
ロレンツォ・ロット(ヴェネツィア、1480-ロレート、1556/1557)の「男の肖像」
個人蔵のこの作品は博物館で寄託展示されてます。


328
ロレンツォ・ロット(ヴェネツィア、1480-ロレート,1556/1557)の「キリストの洗礼」(1551-55c)


335
ロレンツォ・ロット(ヴェネツィア、1480-ロレート,1556/1557)の「マギの礼拝」(1554-55)


329
ロレンツォ・ロット(ヴェネツィア、1480-ロレート、1556/1557)の「キリストと姦通女」(1546-55c)


330
ロレンツォ・ロット(ヴェネツィア、1480-ロレート、1556/1557)の「フォルテッツァとフォルトゥーナの戦い」(1550以前)


332
ロレンツォ・ロット(ヴェネツィア、1480-ロレート、1556/1557)の「メルキゼデクの犠牲」(1551-55)


333
ロレンツォ・ロット(ヴェネツィア、1480-ロレート、1556/1557)の「ルシファーの墜落」(1551-55)


334
ロレンツォ・ロット(ヴェネツィア、1480-ロレート、1556/1557)の「聖クリストフォロと聖ロッコと聖セバスティアーノ」(1532-34)


331
ロレンツォ・ロット(ヴェネツィア、1480-ロレート、1556/1557)の「キリストの神殿奉献」(1552-56)
未完に終わった、この作品が遺作とされてます。


187
博物館入り口直ぐにあった、この作品をもう一度見ました。


285
外に出ました。


287
聖堂と博物館を見て大満足でした。


289
しかし、他に行きたいところがありません。


291
レカナーティに戻ることにしました。


292
(ロレートの項 おわり)

032
次は、Museo Pontificio della Santa Casa o Museo  Antico Tesoro聖なる家の教皇庁博物館です。


178
博物館は、アポーストリコ宮の一階(日本の二階)にあります。階段を上ってアポーストリコ宮の一階に向かいます。


179
アポーストリコ宮の一階のロッジャを進みます。博物館は西翼にあります。


180
一階ロッジャから見た聖なる家の聖堂です。


181
マドンナ広場


182
フォンターナ・マッジョーレ


183
1862年に開館した博物館は、聖なる聖堂にあった芸術作品などを展示してます。


184
聖なる家にあった芸術作品や宝物の一部は、1797年、ナポレオン軍によって強奪されました。また、1974年に盗難に遭ったので、1979年から盗難品の複製復元が行われたものがあります。


185
博物館の入り口です。
この博物館の特徴は何といってもロレンツォ・ロット(ヴェネツィア、1480-ロレート、1556/1557)の作品が9点あることでしょう。
困窮したロレンツォ・ロットは、1552年、ロレートにやってきてFrate Conversoになり、1554年には聖なる家の聖堂のOblateになりました。1556年末、または1557年初頭にロレートで没しました。
それがロット最晩年の作品がこの博物館にある理由です。


186
中に入ると、ロレンツォ・ロットの作品が真っ先に目に飛び込んできます。


283
ロレンツォ・ロット(ヴェネツィア、1470c-ロレート、1556/1557)の「幼きキリストへの崇拝」(1546-55)


321


189
アンジョリッロ・アルクゥッチョ(ナポリ、1396?-1492 ナポリ、1440-1492記録)に帰属する「ロレートの聖母」(1470c)


322


323


324


192
ヨーゼフ・ハインツ・イル・ジョーヴァネ(アウグスタ、1600c-ヴェネツィア、1678)の「聖なる家の移転」


195
ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1566-1643)の「受胎告知」


193
カラヴァッジョとの「バリオーネ裁判」で有名なジョヴァンニ・バリオーネですが、聖なる家の聖堂に作品があることから、当時はかなり評価が高かったことが分かります。


197
ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1566-1643)の「聖母の誕生」


198
展示室天井の装飾


199
展示室天井の装飾


200
フランチェスコ・メンゾッキ(フォルリ、1502-1574)の「天使たちによって運ばれる聖なる家」(1548)


325


203
ジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ通称イル・グエルチーノ(チェント、1591-ボローニャ、1666)の「トレンティーノの聖二コラ」


204
現代の宗教画が展示されてます。


207
フランチェスコ・フォスキ(アンコーナ、1710-ローマ、1780)の「3教皇とロレートの景観」


208
アントニオ・マッツォ―ネ・デイ・ドメニキ・ディ・ファエンツァ通称アントニオ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1456/1457-1534/1535)の「受胎告知する大天使」(1513)


211
アントニオ・ダ・ファエンツァ(ファエンツァ、1456/1457-1534/1535)の「受胎告知を受ける聖母」(1513)
聖なる家の聖堂のオルガン扉に描かれていたものです。


213
フランチェスコ・フォスキ(アンコーナ、1710-ローマ、1780)の「聖なる家の移転」


326
Sala degli Arazzi


214
フランドル地方で織られたタペストリが展示されてます。


217
ポマランチョの「アントニオ・マリア・ガッリ枢機卿の肖像」が写真を撮れそうない位置にてんじされていました。


219
ルーチョ・マッサーリ(ボローニャ、1569-1633)の「天上の聖家族と天使たち」


220
現代宗教画


221


222


224
ジローラモ・ムツィアーノ(アクゥアフレッダ、1532-ローマ、1592)の「信者を洗礼する聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


226
ジローラモ・ムツィアーノ(アクゥアフレッダ、1532-ローマ、1592)の「信者を洗礼するキリスト」


228
フェリーチェ・ダミアーノ(グッビオ、1530-1608)の「最後の晩餐」
(つづく)

107
Cappella dell' Ultima Cenaの祭壇画は、シモン・ヴーエ(パリ、1590-1649)の「最後の晩餐」


110
Cappella dei Nome di Gesuのガスパーレ・ランディ(ピアチェンツァ、1756-1830)の作品


114
Cappella di San Michele Arcangeloのグイド・レーニ(ボローニャ、1575-1642)の「大天使聖ミケーレ」
これは恐らくコピー画でしょう。


117
Cappella di San Francesco d' Assisiのドメニコ・ザンピエーリ通称イル・ドメニキーノ(ボローニャ、1581-ナポリ、1641)の「聖フランチェスコ」
これもコピー画でしょう。


119
Cappella dei Santi Ignazio da Loyola e Filippo Neriのクリストフォロ・ウンテルベルガー(カヴァレーゼ、1732-ローマ、1798)の「聖イグナツィオ・ディ・ロヨラと聖フィリッポ・ネリ」


318
フランチェスコ・ダ・ヴォルテッラ(ヴォルテッラ、1535-ローマ、1595)の「ニコロ・カエターニの墓」


319
アウレリオ・ロンバルド(ヴェネツィア、1501-1563)の「永遠の父と祈る二天使」(1542)


320
アントニオ・エルコーレ・ラッジ(スイス、1624-ローマ、1686)の「ボナッコルシ枢機卿のモニュメント」


142
クーポラ


141
暗くてよく見えません。


143
チェーザレ・マッカーリ(シエナ、1840-1919)によって1895年から1907年に制作されたクーポラのフレスコ画です。
ここには、クリストフォロ・ロンカッリ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1552-ローマ、1626)が1611年から1612年に制作したフレスコ画がありましたが、劣化してしまったので、チェーザレ・マッカーリのフレスコ画に置き換えられたのです。


145
詳細不知


146
クリストフォロ・ロンカッリ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1552-ローマ、1626)の作品です。


147
クリストフォロ・ロンカッリ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1552-ローマ、1626)の作品です。


148
詳細不知(後陣にあります)


150
Sala del Tesoroです。


315
天井や壁上部が派手に装飾されてます。


152
Sala del Tesoroは、第231代教皇クレメンテ8世(ファーノ、1536-ローマ、1605 在位:1592-1609)の指示によって装飾されました。


153
起用された画家は、クリストフォロ・ロンカッリ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1552-ローマ、1626)です。1605年から1609年に制作されました。


154


156


317


316
クリストフォロ・ロンカッリ通称イル・ポマランチョ(ポマランチェ、1552-ローマ、1626)の「磔刑」


157
聖堂から外に出ます。


158
次は、ロレンツォ・ロットの最晩年の作品で有名なMuseo Antico Tesoraですが、開館まで時間があるので、適当に町をうろつきます。


038
真冬の寒い日だったので、時間潰しに困りました。


034


159
巡礼地だけあって、余計なものがありません。


163


164


165


166


167
バールを探します。


171
開いている店がありません。


172


173
Corso Boccaliniを市庁舎方向に向かいます。


174
巡礼者は来ないと思っているみたいです。


175
仕方がないので、戻ることにしました。


176
開館時間は間もなくです。


177
(つづく)

047
サンティ・アゴスティーノ・エ・ドメニコ礼拝堂です。
ドメニコ・デ・アンジェリ(ポンツァーノ・ロマーノ、、1735-ローマ、1804)の「聖アゴスティーノと聖ドメニコ」


049
サン・フランチェスコ・ディ・パオラ礼拝堂です。
アントニオ・カヴァッレッチ(セルネータ、1752-ローマ、1795)の「パオラの聖フランチェスコ」


055
アントン・フォン・マロン(1733-1808)の「聖エミーディオと聖カルロ・ボッロメオ」(18世紀末)


057
Cappella dell' Immacolataです。
カルロ・マラッタ(カメラーノ、1625-ローマ、1713)の「聖母子」


061
カルロ・マラッタ(カメラーノ、1625-ローマ、1713)の「聖母の結婚」


070
サン・マルコの聖具室です。


310
メロッツォ・ダ・フォルリの傑作があることで有名です。


309
メロッツォ・ディ・ジュリアーノ・デリ・アンブローズィ通称メロッツォ・ダ・フォルリ(フォルリ、1438-1494)の「キリストのエルサレム入城」
この場面にメロッツォ・ダ・フォルリの自画像が描き込まれてます。


313
右端の男がメロッツォ・ダ・フォルリの自画像です。


311
サン・マルコの聖具室の天井です。


312
八角形の天井にフレスコ画が描かれてます。上が天使、その下が預言者です。


064
1476年から1506年まで、ロレートの管轄権を有していたのがジローラモ・バッソ・デッラ・ローヴェレ枢機卿(アルビッソーラ・マリーナ、1434-ファブリカ・ディ・ローマ、1507)でした。枢機卿がメロッツォ・ダ・フォルリに注文して、1484年から1493年にかけて制作されたフレスコ画です。


065
メロッツォ・ダ・フォルリの弟子マルコ・パルメッツァーノ(フォルリ、1459-1539)も制作に参加した可能性が高いとされてます。


066


067


072
スイスの礼拝堂です。


078


077
カルロ・マラッタ(カメラーノ、1625-ローマ、1713)の「無原罪の御宿リ」


073
スイスの礼拝堂のフレスコ画は、カルロ・ドナーティ(ヴェローナ、1874-1949)の「聖アンナと聖ジョアッキーノの物語」(1935-38)


074


075


076


314
ウルビーノ公の礼拝堂です。


080
ウルビーノ公礼拝堂の祭壇画は、フェデリーコ・バロッチ(ウルビーノ、1535-1612)の「受胎告知」のコピー画です。


081
フェデリーコ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1542/1543-アンコーナ、1609)の「聖母の結婚」(ウルビーノ公礼拝堂のフレスコ画)


082
フェデリーコ・ズッカリのフレスコ画


083
フェデリーコ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1542/1543-アンコーナ、1609)の「ご訪問」


086
Cappella Polacca


085
アウトゥーロ・ガッティ(ロレート、1878-1958)ポーランド礼拝堂のフレスコ画(1920)です。


088
Cappella Tedescaです。


087
ルドヴィーコ・セイツ(ローマ、1844-アルバーノ、1908)によって1892年から1908年に制作されたドイツ礼拝堂のフレスコ画です。


091
ドイツ礼拝堂のフレスコ画


094
Cappella Slava


095
Cappella Slavaのフレスコ画は、ビアージョ・ビアゲッティ(ポルト・レカナーティ、1897-マチェラータ、1948)によって1912から1913年に制作されました。


096
Cappella Slavaのフレスコ画のテーマは、聖クリッロと聖メトーディオの生涯です。


097
Cappella Francese


098
Cappella Franceseのフレスコ画


099
Cappella Franceseのフレスコ画


100


101
Cappella del Crocifissoです。
インノチェンツォ・ダ・ペトラリア(ペトラリア・スプラーナ、1592-パレルモ、1648)の「磔刑像」


105
Cappella del Crocifissoのフレスコ画


104
(つづく)

033
次は、聖なる家の聖堂 Basilica della Santa Casaです。


296
聖堂の全景は鉄道駅から眺めるのが最適です。(外部サイトから拝借した写真)


163
この聖堂の建設、聖なる家の移設の経緯については、中世後期の宗教的伝説に拠るものです。従って、その経緯と宗教的権威確立には、この聖堂に関与した教皇たちの多分にリーズナブルではない努力があったと思います。


162
ナザレにあった聖なる家とは、聖母が生まれ育ち、受胎告知を受け、聖霊を受けてキリストを懐妊した家で、1世紀初頭には聖家族(聖母、聖ジュゼッペ、キリスト)が住んでいました。
キロストの昇天後、聖なる家は教会に改築され、初代教皇聖ピエトロが奉献式を行ったとされてます。


180
336年、フラーヴィア・ジュリア・エレーナ(ヘレナ皇后、コンスタンティヌス1世の母)(248c-329)はナザレへの巡礼を行い、聖なる家を収容する聖堂建設を指示し、聖堂が建設されたとされてます。しかし、ヘレナ皇后がナザレを巡礼した336年には、ヘレナ皇后はこの世の人ではなかったので、ナザレ巡礼は後世の宗教的捏造説が有力で、歴史的事実ではないとされてます。
13世紀後半、イスラム教徒軍の侵攻によってナザレが脅かされるようになり、聖なる家の破壊が現実のものとなりつつありました。
1291年、聖なる家は天使たちによって空を飛んで運ばれ、最初はテルサットの丘(クロアチア)に置かれましたが、1294年、再び天使たちによってレカナーティ近くの森に置かれました。1295年、現在地のロレートに運ばれました。
その後、聖なる家は持ち上げられ、保管庫で覆われ、やがて教会が建設されました。


168
パレスチナ聖地がイスラム教徒に奪われそうな窮地にあった13世紀後半、聖なる家を囲む壁が幾つかに分解された所謂「聖なる石の壁」がロレートに運ばれ、「聖なる石の壁」を組み込んで聖なる家が出来たというのが事実のようです。
1468年、レカナーティ司教ニコロ・ダルステ Nicolo dall' Steは聖なる家を保護し、増え続ける巡礼者に対応するため、大きな聖堂の建設を決め、1468年に聖堂建設工事が着工しました。
ニコロ・ダルステ司教は、建設工事着工直後に没してしまいましたが、建設工事は211代教皇パオロ2世(ヴェネツィア、1417-ローマ、1471 在位:1464-1471)に引き継がれました。パオロ2世は、枢機卿だった1464年、ロレートを訪れ、ロレートの聖母によって奇跡的に癒されたことから、聖堂建設を強力に推進したと言われてます。
聖堂の設計建設に於いては、当時の一流建築家のジュリアーノ・ダ・マイアーノ(マイアーノ、1432c-ナポリ、1490)、ジュリアーノ・ダ・サンガッロ(フィレンツェ、1445c-1516)、ドナート・ブラマンテ(フェルミニャーノ、1444-ローマ、1514)が起用されました。
1468年から1587年に建設された後期ゴシック様式とルネサンス様式混合の聖なる家の聖堂です。


169
高さ75.6mの鐘楼


297
クーポラ
ジュリアーノ・ダ・マイアーノ(マイアーノ、1432c-ナポリ、1490)とジュリアーノ・ダ・サンガッロ(フィレンツェ、1445c-1516)によって1499年から1500年に建設されました。


295
クーポラと鐘楼


040
ファサード前に立つのは、教皇シスト5世像です。


041
聖堂内に入りました。中央通路の先に大理石の聖なる家があります。


043
三廊式です。


044
縦93m、横60mの内部です。


045
天井の装飾


298


122
見所が多いので、目移りしてしまいます。


121
巡礼先となっている聖なる家から見るのが普通でしょう。


042
中央通路を進みます。


299
ドナート・ブラマンテ(フェルミニャーノ、1444-ローマ、1514)設計の大理石彫刻で覆われた聖なる家です。


144
大理石彫刻には、当時の名の知られた彫刻家が制作に参加しました。


123
大理石彫刻に従事した彫刻家として、アンドレア・サンソヴィーノ(モンテ・サン・サヴィーノ、1467c-1529)、アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョーヴァネ(フィレンツェ、1484-テルニ、1546)、ジローラモ・ロンバルド(フェッラーラ、1506-レカナーティ、1590)、グリエルモ・デッラ・ポルタ(ポリエッツァ、1515c-ローマ、1577)、バルトロメオ・バンディネッリ(バッチョ・バンディネッリ)(フィレンツェ、1493-1560)、ドメニコ・アイーモ(ヴァリニャーナ、1460-ボローニャ、1539)、ラッファエッロ・ダ・モンテルーポ(モンテルーポ・フィオレンティーノ、1504-オルヴィエート、1566)などがいました。


127


084
聖なる家の中に入ります。


124
聖なる家の中です。


125
側壁のフレスコ画(ブレブレ写真でスイマセン)


300
聖なる家のロレートの聖母です。
長年、レバノン杉で作られた聖母子像は、ランプで照らされ、その煙で燻されて黒くなってます。オリジナルのロレートの聖母は、1921年の火災によって消失してしまいました。現在のものはその後に制作されたものです。
外に出て、大理石彫刻をじっくり見ました。


301
ジローラモ・ロンバルド(フェッラーラ、1506-レカナーティ、1590)の「ダヴィデ」


302
アンドレア・サンソヴィーノ(モンテ・サン・サヴィーノ、1467c-1529)の「羊飼いの礼拝」


304
ドメニコ・アイーモ(ヴァリニャーナ、1460-ボローニャ、1529)の「聖母の死」


303
ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタ(ヴィコエケネセ、1535-ナポリ、1615)の「イザイア」


305
ラッファエッロ・ダ・モンテルーポ(モンテルーポ・フィオレンティーノ、1504-オルヴィエート、1566)の「ご訪問」


126
「聖なる家」の上にクーポラが見えます。
次は、大好きなルカ・シニョレッリのフレスコ画を見ます。


128
再び見ることが出来て幸せです。


129
Sagrestia di San Giovanniです。


306
ジローラモ・バッソ・デッラ・ローヴェレ枢機卿(アルビッソーラ・マリーナ、1434-ファブリカ・ディ・ローマ、1507)がロレートにいた1477年に、ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1450c-1523)に注文して制作されたフレスコ画です。


131
ルカ・シニョレッリ(コルトーナ、1450c-1523)によって、1477年から1480年に制作されたフレスコ画です。


133
シニョレッリの代表作の一つです。


134
入口にロープが張られて、中に入ることが出来ません。


135
どうしても同じ場面の写真ばかりになってしまいます。


136


308
天井


307


138


140
(つづく)

004
ロレートは、人口12,913人(2019年12月31日現在)のマルケ州アンコーナ県にあるコムーネです。町はその中心に建つ聖なる家の聖堂に向けて、世界中からカトリック教徒が押し寄せる巡礼地です。


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隣町のレカナーティからバスでロレートのレオパルド広場に着きました。


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レオパルド広場から城壁内に入ります。


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16世紀に建設されたPorta Romanaです。


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ロレートは、堅固な城壁に囲まれてます。


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ローマ門を潜ります。


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ガリバルディ広場に出ました。


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ガリバルディ広場から見たローマ門です。


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時計がある建物は市庁舎で16世紀末に建設されました。


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城壁の中からの景観です。


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ロレート鉄道駅が見えます。


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ロレート最初の城壁は、1315年に建設されました。
1518年6月5日、スルタン・セリム1世(1470-1520)のオスマン帝国軍がポルト・レカナーティを攻撃しました。時の第217代教皇レオ10世・デ・メディチは、オスマン帝国軍の脅威に対して、ロレートの城壁の増強整備の必要性を痛感して、アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョーヴァネ(フィレンツェ、1484-テルニ、1546)を派遣して、城壁の増強整備に当たらせました。アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョーヴァネの設計によって、1518年から1522年に増強整備された城壁が現在の姿の原形となってます。


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町の中心を貫くCorso Boccaliniです。


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世界中からカトリック教徒が訪れる巡礼地なので、町の規模にしては宿泊設備が多いと思います。


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15世紀に建設された市庁舎の建物です。


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マリーノ・ディ・マルコ・チェドリーニ(ヴェネツィア、15世紀活動)とジュリアーノ・ダ・マイアーノ(マイアーノ、1432c-ナポリ、1490)の設計によって建設されました。


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市庁舎の壁のロレートの紋章


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航空歴史博物館が併設されてます。


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この博物館には入館したことがありません。


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2月の寒い日だったので、人出が非常に少なかった。


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通りの先に聖なる家の聖堂が見えてきました。


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マドンナ広場です。聖堂の拝観を後回しにして、ジョヴァンニ23世広場に行きます。


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ジョヴァンニ23世広場です。


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広場にある第261代教皇ジョヴァンニ23世(ソット・イル・モンテ、1881-ローマ、1963 在位:1958-1963)のモニュメント
1962年、ジョヴァンニ23世は、アッシジのサン・フランチェスコ聖堂とロレートの聖なる家の聖堂を訪れて、当時、難しかった教皇庁の将来を2つの巡礼地に託したと言われてます。


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場違いな感じがするローマ時代の兵士像が広場の端にありました。


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大司教館となっているアポーストリコ宮です。


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アポーストリ宮のアーチを潜ってマドンナ広場に出ます。


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アポーストリ宮のアーチ


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アポーストリ宮の柱廊


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再びマドンナ広場に出ました。


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一階(日本の二階)にも柱廊が設けられてます。


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マドンナ広場にある、バロック様式のFontana Maggioreです。


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カルロ・マデルノ(カポラーゴ、1556-ローマ、1629)とカルロの叔父ジョヴァンニ・フォンターナ(メリデ、1540-ローマ、1614)によって1604年から1614年に造られたFontana Maggioreです。


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傑作とされている噴水ですが、気温2℃だったので寒々しい感じがしました。


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アポーストリ宮は、第216代教皇ジュリオ2世(アルビゾラ、1443-ローマ、1513 在位1503-1513)がドナート・ブラマンテ(フェルミニャーノ、1444-ローマ、1514)に命じて建設させました。
ブラマンテがロレートに滞在したのは、1507年から1509年で、アポーストリ宮だけではなく、聖堂のファサード建設にも関与しました。


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ブラマンテの手によって完成したのは、アポーストリ宮の一部にすぎませんでしたが、ブラマンテの設計による建設は、アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョーヴァネ(フィレンツェ、1484-テルニ、1546)に引き継がれました。


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アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョーヴァネは、1518年から1522年にかけてアポーストリ宮の建設に従事しましたが、それでも工事は終わらずジョヴァンニ・ボッカリーニ(カルピ、1520c-ロレート、1580)に引き継がれました。


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アポーストリ宮の完成は20世紀になってからと言われてます。
(つづく)

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