イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:ラツィオ州 > ブラッチャーノ

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時間を持て余し気味です。


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サンタ・マリア・ノヴェッラ修道院教会の横を通りました。


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サンタ・マリア・ノヴェッラ修道院教会の向かいに、1632年に建設されたChiesa della Misericordiaがあります。


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ドゥオーモの拝観とドゥオーモ隣にあるMuseo Diocesanoの入館が残ってます。


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湖畔に下りてもやることが無さそうです。


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1泊するには、時間を持て余します。


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チェントロ・ストーリコ東端の道です。


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澄み切った快晴だったので、写真を撮るには絶好でした。


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アントニアッツォ・ロマーノの作品を見ることが出来て満足としよう、と思いました。


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オルシーニ家の美術品が残されていれば、美術ファンには必訪の町だったことでしょう。


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対岸の町はトレヴィニャーノ・ロマーノです。


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町役場が二番目に推奨している絶景ポイントからの眺めです。


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観光案内所で貰った地図に絶景ポイントが2箇所推奨されてます。


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湖畔の方に道を下ります。


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残念ながら何もなさそうです。


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湖畔に行くのを断念して、ドゥオーモに向かいました。


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ドゥオーモの鐘楼です。


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この家の前に来たのは、これで三回目です。


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写真左手前にニャーゴが写ってます。


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お腹をナデナデしたら喜んでいましたが、カメラを取り出すと起き上がってスタコラサッソと立ち去りました。急に不愛想になったのでビックリ。


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道の突き当りにドゥオーモがあります。


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ドゥオーモは相変わらず閉まったまま。


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Museo Diocesanoも閉まったまま。


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これでやることがなくなりました。


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仕方がないので、ドゥオーモの周りを一周します。


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教会巡りは効率が悪いのです。美術を堪能するには、フィレンツェ、ローマ、ミラノなどの有名美術館に行けば良いのです。


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直ぐに一周出来ました。


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オルシーニ₌オデスカルキ城の城壁です。


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残るは1番目の絶景ポイントです。


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新市街の坂下に絶景ポイントがあります。


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Piazza Saminiati


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町立病院です。


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病院ファサードの入り口扉上ルネッタの浮彫


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病院の下に推奨第1位の絶景ポイントがあります。


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確かに絶景です。


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チェントロ・ストーリコの建物が一望できます。


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絶景ポイント近くに教会があります。


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何と言う教会でしょうか?


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これで見終わりました。


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翌朝です。ホテルの部屋からの眺めです。


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この日も晴れでした。


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次の目的地ヴィテルボに向かいました。
(おわり)

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ブラッチャーノのチェントロ・ストーリコを巡ります。


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オルシーニ₌オデスカルキ城がブラッチャーノ湖の南端丘上にありますが、チェントロ・ストーリコは城の南側と東側にあります。城の西側は旧城壁外の新たに出来た集落となってます。


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この辺はチェントロ・ストーリコの東側に当たります。


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城壁が見当たりません。城壁を取り壊したという感じではないので、ブラッチャーノには城壁がなかったかもしれません。


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塔のような家が続いてます。これらの家が城壁の代わりだったかも知れません。


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ブラッチャーノ湖の北端にトレヴィニャーノ・ロマーノがあります。非常の美しい町なので行きたいと考えてましたが、バスの便が悪いので諦めました。タクシーなら簡単に行けます。


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チェントロ・ストーリコの東端にやってきました。


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振り返って撮った写真です。


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列車とバスでローマから簡単に日帰りできます。


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チェントロ・ストーリコ外に当たります。


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独特な色の壁です。


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チェントロ・ストーリコ東端からの景観です。


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飲料用貯水池なので、汚染防止のため、湖の船や遊びは厳しく制限されてます。


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オルシーニ₌オデスカルキ城とドゥオーモの鐘楼です。


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湖で遊泳することは可能です。


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チェントロ・ストーリコの東端に来たことで満足して、城の方に戻ります。


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違う道を通ります。


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暫くイタリアに行っていないので、ブログを書く気力が薄れてます。


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扉の壁にタイルが張られている家がありました。その意味は?


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この狭い道幅では自動車が入れません。


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道の上が微妙な建て方になってます。


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無原罪の聖母


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ドゥオーモは多分開いていないと思いながらも、未練でドゥオーモに向かいます。


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狭い道を隔てる2つの建物の上部を見て感心しました。


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この道の左側にドゥオーモがあります。


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14世紀から16世紀に建設された建物がそっくり残ってます。


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予想通りドゥオーモは閉まっていました。


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ジュゼッペ・マッツィーニ広場です。


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サンタ・マリア・ノヴェッラ修道院教会を通り過ぎます。


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日差しが強い快晴の日でしたが、26℃だったのはラッキーでした。


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鉄道駅に向かいます。


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雲一つない快晴の中で、城が目立ちます。


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駅は少し高い場所にあります。


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公演を横切ります。


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駅に着きました。


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次の目的地がヴィテルボでした。ヴィテルボに2つの駅がありますが、その2つの駅を結ぶ列車の時刻が分からなかったので、その確認が目的でした。


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駅の西方に行ってみました。


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しかし、西の方には特に見所がなさそうでした。


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チェントロ・ストーリコに戻ることにしました。


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(つづく)

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大広間です。


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結婚式などが行われます。有名な俳優の結婚式が行われましたが、離婚、結婚を繰り返しているので、ここで改めて触れるのが馬鹿らしくなります。


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井戸


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博物館として公開されている城内は大体見たので、順路とは逆に進んで出口に向かうことにしました。トリッティコの間です。


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アントニアッツォ・ロマーノ(ローマ、1430/1435c-1508)のトリッティコです。


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「磔刑」


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磔刑されたキリストと聖母と聖マリア・マッダレーナと聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ


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受胎告知する大天使ガブリエーレ


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受胎告知される聖母


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逸名画家作「聖アントニオ・アバーテ」(16世紀)
これらの絵画は、美術品収集家だったバルダッサッレ・オデスカルキ(ローマ、1844-チヴィタヴェッキア、1909)によって収集されたものです。


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逸名画家作「聖マリア・マッダレーナ」(16世紀)


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トリッティコの間の天井装飾


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ウンブリアの工芸家による作品(17世紀)


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ウンブリアの逸名画家作「聖セバスティアーノ」(16世紀)


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トリッティコをもう一度見ました。


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中庭に出ました。


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下の階に向かいます。


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城の出口は、城の本体部分よりも下の階にあります。


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階段を下ります。


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下の階の入り口です。


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中に入りましたが、特筆すべきものがありません。


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聖母子があります。


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下の階にも井戸があります。


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庭に出ました。


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庭から見たブラッチャーノ湖


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サンタ・マリア・ノヴェッラ修道院教会の鐘楼です。


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ジュゼッペ・マッツィーニ広場


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外に出ます。


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(つづく)

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屋外に出ました。


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居住部分と異なり、荒々しい造りの軍事要塞と実感します。


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屋外の一般公開部分はかなり限定されてます。


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ブラッチャーノ湖です。


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横9.3㎞、縦8.7㎞、広さ56.5㎢、最新160mあります。


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ドゥオーモ


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60万年前から4万年前まで、ローマの北西に位置するこの地方は激しい火山活動がありましたが、活動の結果出来た窪地に水が貯まり、湖になったとされてます。
ブラッチャーノ湖が出来た時から、水の流入は地下からの泉なので、水質が大変良いことで知られてます。現在、ブラッチャーノ湖はローマの飲料用貯水池となってます。


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厨房です。


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ダクト


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(つづく)

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次の部屋です。


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Sala di Isabellaです。
パオロ・ジョルダーノ1世オルシーニ(ブラッチャーノ、1541-サロー、1585)と1558年に結婚したイサベッラ・デ・メディチ(フィレンツェ、1542-1576)の寝室です。


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イサベッラ・デ・メディチのベッド


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アントニアッツォ・ロマーノ(ローマ、1430/1435c-1508)?の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


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ポッライオーロ?の作品


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一旦ベランダに出ます。


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11月4日広場、サンタ・マリア・ノヴェッラ修道院教会が見えました。


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上の階に向かいます。


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次の部屋です。


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シチリア・スタイルのベッドが置かれているので、Sala dei Letto Sicilianoと呼ばれてます。


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トスカーナ・ラツィオの逸名画家作「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタと聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖ジュゼッペ」(17世紀)


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トスカーナ・ラツィオの逸名画家作「善きサマリア人」(17世紀)


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Sala Goticaです。
バルダッサッレ・オデスカルキ(ローマ、1844-チヴィタヴェッキア、1909)の指示によって、15世紀のゴシック様式を模倣したネオ・ゴシック様式で統一された部屋です。


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ヘラクレスの間です。


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武器が展示されてます。


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ピサネッロ派の逸名画家によるフレスコ画


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次の部屋です。


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武器庫です。


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武器庫のフレスコ画


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次の部屋です。


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Sala della Scienceです。


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フレスコ画一杯のSala delle Scienceです。


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フレスコ画のテーマは一般教養、ミューズ、惑星の寓意画です。


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天井の装飾


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次の部屋です。


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Sala del Bobolaccio


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Sala del Bobolaccio天井の装飾


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次の部屋です。


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Sala Etrusca


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Sala Etrusca天井の装飾


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詳細不知


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(つづく)

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次はSala del Tritticoです。


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部屋の名称の由来は、アントニアッツォ・ロマーノ(ローマ、1430/1435c-1508)のトリッティコがあるからです。
このトリッティコは、オルガンの蓋に描かれた受胎告知と内側に描かれた磔刑から成ってます。


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最近の研究によって、アントニアッツォ・ロマーノの作品と、その帰属が確定されました。


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部屋の天井の装飾


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アントニアッツォ・ロマーノ(ローマ、1430/1435c-1508)の「磔刑」


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アントニアッツォ・ロマーノ(ローマ、1430/1435c-1508)の「受胎告知される聖母」


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アントニアッツォ・ロマーノ(ローマ、1430/1435c-1508)の「受胎告知する大天使ガブリエーレ」


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バルダッサッレ・オデスカルキ(ローマ、1844-チヴィタヴェッキア、1909)がトリッティコをこの部屋に置くことを決めたそうです。


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ウンブリアの逸名画家作「聖セバスティアーノ」(16世紀)


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逸名画家作「聖アントニオ・アバーテ」(16世紀)


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次の部屋です。


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ピサネッロの帰属作品があるので、Sala del Pisanelloと呼ばれてます。


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ピサネッロ(ピサ又はヴェローナ、390c-ナポリ、1455c)に帰属するフレスコ画


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ピサネッロのフレスコ画(帰属)


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ピサネッロのフレスコ画(帰属)


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ピサネッロのフレスコ画(帰属)


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フランドルの逸名画家作「オデスカルキ家の男の肖像」


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フランドルの逸名画家作「オデスカルキ家の女の肖像」


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制作者情報不知の「第240代教皇インノチェンツォ11世・オデスカルキ(コモ、1611-ローマ、1689 教皇在位:1676-1689)の肖像」


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詳細不知


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詳細不知


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次はSale del Cesariです。


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部屋の名称の由来は、ユリウス・カエサルの彫像があるからです。


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ローマ皇帝の彫像が置かれてます。


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カエサルの間に、アントニアッツォ・ロマーノの長大なフレスコ画(横約12m)があります。


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アントニアッツォ・ロマーノ(ローマ、1430/1435c-1508)の「ジェンティーレ・ヴィルジニオ・オルシーニとピエロ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチの1487年の邂逅」


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ジェンティーレ・ヴィルジニオ・オルシーニ(ブラッチャーノ、1445c-ナポリ、1497)は、この城を拡大整備増強をした傭兵隊長です。
ピエロ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチ(愚昧なピエロ)(フィレンツェ、1472-カステルフォルテ、1503)は、ロレンツォ・イル・マニーフィコの長男でしたが、その綽名の通り愚か者で有名です。


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次の部屋です。


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Sala Orsiniです。


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部屋の壁にオルシーニ家の人々の肖像画がありましたが、現在は何故か肖像画が撤去されています。(天井下の壁が空欄になってます)


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オルシーニ家の紋章


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オルシーニ・メディチの紋章
1558年、パオロ・ジョルダーノ1世・オルシーニ(ブラッチャーノ、1541-サロー、1585)とイサベッラ・デ・メディチ(フィレンツェ、1542-1576)が結婚してから、この紋章が使用されることになりました。


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制作者情報不知の「パオロ・ジョルダーノ1世・オルシーニの肖像」


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制作者情報不知の「イサベッラ・デ・メディチの肖像」


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制作者情報不知の「パドヴァの聖アントニオ」


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詳細不知


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次の部屋です。


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Sala del Leone


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(つづく)

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次はオデスカルキ城博物館です。


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少し遠回りして11月4日広場経由で城に行きます。


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11月4日広場に面して建つPalazzo Comunaleです。


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11月4日広場からCastello Orsini- Odescalchiがよく見えます。


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Castello Orsini- Odescalchiの塔の下に来ました。


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オデスカルキ城博物館の開館時間になりました。


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聖母の目の周囲の描き方に違和感があるタベルナコロです。


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ブラッチャーノの見所は、何といってもCastello Orsini- Odescalchiでしょう。保存状態が良いことで知られています。


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ジュゼッペ・マッツィーニ広場です。城の入り口は、この広場の端にあります。


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サラセン人の攻撃に対する防御として、ブラッチャーノ湖畔の高台に多くの塔が10世紀に建設されました。現在の城の塔は、10世紀に建設された塔が利用されてます。


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11世紀には、現在の城がある場所と城に隣接する広大な土地がPrefetti di Vico家に売却されました。
同家は、ドイツ出身の貴族で、ローマに住み、ヴィーコ湖とその周囲の土地を所有していました。ブラッチャーノの土地を買収した同家は、10世紀に建設された防御用の塔を組み入れた城を建設しましたが、その城が現在の城の前身です。


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1234年、Prefetti di Vico家はブラッチャーノの領有権をオルシーニ家に売却しました。1375年からブラッチャーノは教皇の領有地となりました。


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1419年、ローマの名門コロンナ家出身の第206代教皇マルティーノ5世(ジェナッツァーノ、1368-ローマ、1431 教皇在位:1417-1431)は、ブラッチャーノの領有権がローマの名門貴族オルシーニ家の分家にあることを確認したのです。
現在の城は、傭兵隊長のナポレオーネ・オルシーニ(1420c-1480)とその息子で傭兵隊長のジェンティーレ・ヴィルジニオ・オルシーニ(ブラッチャーノ、1445c-ナポリ、1497)が、万能の芸術家・建築家フランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニ(シエナ、1439-1501)などを起用して、従来の城を1470年から1485年にかけて拡大整備増強させましたが、現在のルネサンス様式の城は、この増強後の姿となってます。
1696年、オルシーニ家は、コモ出身の貴族リヴィオ・オデスカルキ(コモ、1652-ローマ、1713)に城を売却しました。
1952年から城は博物館として一般公開されるようになりましたが、城を所有するオデスカルキ家は今でも城に居住しています。オデスカルキ家居住部分は非公開となってます。


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ジュゼッペ・マッツィーニ広場に切符売り場があります。


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切符売り場


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城の入り口扉です。切符を買った人が扉の前に立つと、扉が開くようになってます。それ以外の場合、扉が閉まっているので、休館と誤解する人がいるそうです。


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城の敷地内に入りました。


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城には五本の塔があります。


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城門です。


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イタリアにあるルネサンス様式軍事建築物の代表作の一つとされてます。


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1797年、ナポレオン軍の侵攻によって城は接収され、城にあった多くの芸術作品や宝物がフランスに持ち去られ、その殆どが戻されていません。
また、フランス軍は、城をマリーノ・トリオニア伯爵に譲渡しましたが、同伯爵は、1848年、リヴィオ3世・オデスカルキに城を売却し、元の持ち主であるオデスカルキ家に戻ったのです。オデスカルキ家は、自己が所有していた城をフランス軍に無償接収され、金を出して自己所有にしたという、非常に損な取引をしたので、同家の財政状態は悪化してしまいました。


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庭からのブラッチャーノ湖の景観


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建物の入り口です。


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こちらは建物の出口となってます。


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建物の先でロープが張られていますが、ロープの先はオデスカルキ家の居住部分となっており、非公開、立ち入り禁止となってます。


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入口の天井のフレスコ画があります。


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1470年から1485年に、城が増強整備されましたが、その時に描かれたフレスコ画です。


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最初の部屋に入りました。


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一般公開される前は書斎として使用されていた部屋です。


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ペストが流行していたローマから逃れて、1481年、教皇シスト4世・デッラ・ローヴェレがこの城に一時的に滞在したそうです。


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部屋のフレスコ画は、フェデリーコ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1539-アンコーナ、1609)とタッデオ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1529-ローマ、1566)のズッカリ兄弟によって16世紀第3四半世紀に制作されました。


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次の部屋です。


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少し小さなベッドが置かれてます。この当時、高貴な人はベッドに完全に横臥するのではなく、頭と背中上部を壁にもたれて寝たそうで、そのためにサイズが小さなベッドが使用されていました。


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男女の肖像画があります。この部屋を使用していた夫婦の肖像画と思いますが、その詳細が分かりません。


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(つづく)

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サント・ステファノ・プロトマルティーレ参事会教区教会の最初の建物は1200年頃建設されたと言われてます。


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ドゥオーモが一日中閉まっていることはない筈と思い、後で来ることにしました。


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ドゥオーモの横の建物に聖母子のタベルナコロがあります。


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ドゥオーモはカステッロの城壁外の、コムーネの城壁内に建設されました。


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カステッロの城壁沿いの道を進みます。


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こちらの道もロトンダ通りです。


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ロトンダ通りは、ドゥオーモの前を一周するのです。


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堅固な造りの建物が建ち並んでます。


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Piazza Saminiatiです。


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ロトンダ通りを一周しました。


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市立博物館の開館時間になりました。


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サンタ・マリア・ノヴェッラ修道院の入り口です。


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扉が開いてます。


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キオストロ回廊への入り口です。


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サンタ・マリア・ノヴェッラ修道院の中庭です。


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中庭にある井戸


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市立博物館の入り口です。


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入館しました。入館無料でした。


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クリストフォロ・スタティ(ブラッチャーノ、1556-ローマ、1619)の「ヴィーナスとアドーネ」(1600-10)


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この作品はクリストフォロの代表作の一つです。


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噴水の口


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クリストフォロ・スタティ工房作「Mostra di Fontana」


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トスカーナの彩釉テラコッタ制作者作「受胎告知」(20世紀)


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アンドレア・デッラ・ロッビア作品の複製のようです。


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ジローラモ・トロッパ(ロッケッテ、1636-ローマ、1710)の「ヴィッラノーヴァの聖トンマーゾの施し」(17世紀後半)


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アウレリオ・テンペローニの「ダンテの肖像」(1873)


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アウレリオ・テンペローニという彫刻家については全く知りません。


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市立博物館は2006年4月1日に開館しました。


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展示室は全部で5室あります。


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ローマ時代の彫刻


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キリストの頭像


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ソフィア・ローザ・カテリーナ・ブラニカ・オデスカルキの肖像(19世紀後半)
制作者は不明のようです。


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ソフィア・ローザは、ヨーロッパ有数の富裕者だったローザ・ポルカの娘であり、ロシア女帝カテリーナ二世の孫でした。1841年、リヴィオ3世オデスカルキと結婚しましたが、当時豊かでなかったオデスカルキ家は、ソフィア・ローザが持参した莫大な資産によって財政状態が回復したと言われてます。


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キオストロ回廊から見た旧修道院の建物


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外に出ました。
(つづく)

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ジョルダーノ・オルシーニ枢機卿(ローマ、1360/1370-1438)の指示によって、1436年から1450年に建設されたルネサンス様式のサンタ・マリア・ノヴェッラ修道院教会です。
建物が完成間近になると、第207代教皇エウジェニオ4世(ヴェネツィア、1383-ローマ、1447 教皇在位:1431-1447)はサンタゴスティーノ修道会に建物を与えることを決めました。建物が完成すると同会修道士が定住し、サンタゴスティーノ会の修道院教会となりました。


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鐘楼は、16世紀に創建され17世紀初頭に完成しました。


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1628年から1630年に、建築家オラツィオ・トゥッリアーニ(ブラッチャーノ、1578-ローマ、1657)の設計によって増築されましたが、現在の姿はこの増築後のものです。


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内部は1998年から2003年に大掛かりな修復工事が行われました。
修道院は閉鎖されて、その建物は、現在、市立博物館として使用されてます。


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中に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、ルネサンス様式の内部です。


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1998年から2003年に行われた修復によって、塗装し直された壁です。


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天井の装飾


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・トッリアーニ(1625-1699)の「聖母子」(1692-96)


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主祭壇と後陣


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・トッリアーニ(1625-1699)による装飾(1692-96)


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ジョヴァンニ・フランチェスコ・トッリアーニ(1625-1699)の「聖アゴスティーノ」と「聖モニカ」(1692-96)


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ポーランド出身の画家タッデオ・クンツェ(ポーランド、1727-ローマ、1793)の主祭壇画「聖母被昇天」(18世紀第4四半世紀)


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制作者情報不知の「磔刑」


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ジュゼッペ・トーリの「聖ジュゼッペの死」
ジュゼッペ・トーリは、アゴスティーノ会修道士で、タッデオ・クンツェの弟子でした。


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ジュゼッペ・トーリの「聖モニカに顕現するキリスト」


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ジュゼッペ・トーリの「聖母子と聖アゴスティーノと聖モニカ」


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ジュゼッペ・トーリの「聖体拝領を授ける聖母」


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制作者情報不知の「貧者に施しをする聖アゴスティーノ」


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主祭壇前から見た出入口方向


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外に出ました。


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見所が多そうな通りです。


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隣にある市立博物館に入館したいと思いましたが、開館時間まで15分ほどありました。


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15分ほどの時間潰しに出発しました。


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城は博物館として一般公開されてますが、この時間は開いていません。


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多分開いている筈のドゥオーモに行くことにしました。


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城の下の道を行きます。


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見上げると塔が聳えているのを目にしました。


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ジュゼッペ・マッツィーニ広場です。


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ロトンダ通りです。


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この辺の堅固な家は、オルシーニ家が町の防御を考えて造らせたそうです。


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ロトンダ通りを進みます。


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アーチの先にドゥオーモがあります。


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ブラッチャーノのドゥオーモです。


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ドゥオーモの扉が閉まっているとは予想外でした。


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サント・ステファノ・プロトマルティーレ参事会教会です。


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(つづく)

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前泊地はローマでした。普通列車に乗車してブラッチャーノに向かいました。


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ブラッチャーノ駅に到着しました。


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ローマ~カプラニカ~ヴィテルボを結ぶ鉄道を利用すれば、簡単にブラッチャーノに行くことが出来ます。


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ブラッチャーノ駅の駅舎です。


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この日のお宿に向かいます。


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ブラッチャーノは、人口18,897人(2020年1月1日現在)のラツィオ州ローマ県にあるコムーネです。


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ブラッチャーノ湖を見下ろす丘上と湖畔にある町で、その丘上に、ローマの大貴族オルシーニ家の城塞があることで知られてます。


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写真左がAlbergo della Postaで、この日のお宿です。


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午前中の到着にも拘らず、部屋に入ることが出来ました。
部屋の中に植物画が数点ありました。


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イギリスで盛んな植物画です。


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全部バラを描いたものです。


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このお宿のオーナーがバラ好きということが分かりました。


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部屋で一服してから外に出ました。マッジョ広場です。


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サンタ・マリア・ノヴェッラ修道院教会の拝観は後程にしました。


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プリンチペ・デ・ナポリ通りです。


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町の中心、11月4日広場です。


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11月4日広場にある、17世紀に造られた噴水です。


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町役場です。


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町役場の前にあるのは、二度の世界大戦で戦死した、町出身兵士の慰霊碑です。


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1619年から1636年に建設されたPalazzo Comunaleです。
Palazzo Comunaleの左右の建物は、教皇インノチェンツォ11世の甥で、ブラッチャーノ公爵、Principe del Sacro Romano Imperoのリヴィオ・オデスカルキ(コモ、1652-ローマ、1713)が学校、穀倉、劇場として建てさせたものです。


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11月4日広場に面して教会があります。


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Chiesa della Visitazioneです。オルシーニ公爵が建築家オラツィオ・トゥッリアーニ(ブラッチャーノ、1578-ローマ、1657)を起用して1641年に建設された教会修道院です。
貧しいクレア修道会の女子修道院の一部として使用されましたが、ナポレオンの抑圧令によって1800年に修道院が閉鎖されました。


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ファサードの装飾


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中に入りました。


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単廊式の単純な構造の内部です。


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右側壁


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19世紀中頃に行われた改修の際に描かれた天井のフレスコ画


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主祭壇


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主祭壇画の「ご訪問」(19世紀中頃)
私には制作者などの詳細が分かりません。


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創建時に描かれたフレスコ画(17世紀中頃)が僅かに残されてます。


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外に出ました。


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11月4日広場の先に、Castello Orsini- Odescalchiとサンタ・マリア・ノヴェッラ教会が見えます。


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写真右奥に売店のような建物は観光案内所です。観光案内所で地図を頂戴しました。


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ご訪問教会が面している9月20日通りを進みます。


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9月20日通りを左折してVia Principe di Napoliに入りました。


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通りを真直ぐ進めば城の下に出ます。


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ブラッチャーノは欧米人に人気がある観光地ですが、日本人観光客を見かけたことがありません。


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今度はサンタ・マリア・ノヴェッラ修道院教会の拝観です。


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(つづく)

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