イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:美術館 > オデスカルキ城博物館(ブラッチャーノ)

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大広間です。


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結婚式などが行われます。有名な俳優の結婚式が行われましたが、離婚、結婚を繰り返しているので、ここで改めて触れるのが馬鹿らしくなります。


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井戸


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博物館として公開されている城内は大体見たので、順路とは逆に進んで出口に向かうことにしました。トリッティコの間です。


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アントニアッツォ・ロマーノ(ローマ、1430/1435c-1508)のトリッティコです。


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「磔刑」


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磔刑されたキリストと聖母と聖マリア・マッダレーナと聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ


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受胎告知する大天使ガブリエーレ


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受胎告知される聖母


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逸名画家作「聖アントニオ・アバーテ」(16世紀)
これらの絵画は、美術品収集家だったバルダッサッレ・オデスカルキ(ローマ、1844-チヴィタヴェッキア、1909)によって収集されたものです。


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逸名画家作「聖マリア・マッダレーナ」(16世紀)


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トリッティコの間の天井装飾


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ウンブリアの工芸家による作品(17世紀)


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ウンブリアの逸名画家作「聖セバスティアーノ」(16世紀)


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トリッティコをもう一度見ました。


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中庭に出ました。


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下の階に向かいます。


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城の出口は、城の本体部分よりも下の階にあります。


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階段を下ります。


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下の階の入り口です。


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中に入りましたが、特筆すべきものがありません。


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聖母子があります。


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下の階にも井戸があります。


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庭に出ました。


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庭から見たブラッチャーノ湖


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サンタ・マリア・ノヴェッラ修道院教会の鐘楼です。


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ジュゼッペ・マッツィーニ広場


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外に出ます。


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(つづく)

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屋外に出ました。


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居住部分と異なり、荒々しい造りの軍事要塞と実感します。


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屋外の一般公開部分はかなり限定されてます。


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ブラッチャーノ湖です。


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横9.3㎞、縦8.7㎞、広さ56.5㎢、最新160mあります。


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ドゥオーモ


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60万年前から4万年前まで、ローマの北西に位置するこの地方は激しい火山活動がありましたが、活動の結果出来た窪地に水が貯まり、湖になったとされてます。
ブラッチャーノ湖が出来た時から、水の流入は地下からの泉なので、水質が大変良いことで知られてます。現在、ブラッチャーノ湖はローマの飲料用貯水池となってます。


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厨房です。


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ダクト


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(つづく)

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次の部屋です。


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Sala di Isabellaです。
パオロ・ジョルダーノ1世オルシーニ(ブラッチャーノ、1541-サロー、1585)と1558年に結婚したイサベッラ・デ・メディチ(フィレンツェ、1542-1576)の寝室です。


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イサベッラ・デ・メディチのベッド


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アントニアッツォ・ロマーノ(ローマ、1430/1435c-1508)?の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


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ポッライオーロ?の作品


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一旦ベランダに出ます。


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11月4日広場、サンタ・マリア・ノヴェッラ修道院教会が見えました。


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上の階に向かいます。


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次の部屋です。


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シチリア・スタイルのベッドが置かれているので、Sala dei Letto Sicilianoと呼ばれてます。


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トスカーナ・ラツィオの逸名画家作「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタと聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖ジュゼッペ」(17世紀)


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トスカーナ・ラツィオの逸名画家作「善きサマリア人」(17世紀)


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Sala Goticaです。
バルダッサッレ・オデスカルキ(ローマ、1844-チヴィタヴェッキア、1909)の指示によって、15世紀のゴシック様式を模倣したネオ・ゴシック様式で統一された部屋です。


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ヘラクレスの間です。


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武器が展示されてます。


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ピサネッロ派の逸名画家によるフレスコ画


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次の部屋です。


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武器庫です。


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武器庫のフレスコ画


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次の部屋です。


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Sala della Scienceです。


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フレスコ画一杯のSala delle Scienceです。


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フレスコ画のテーマは一般教養、ミューズ、惑星の寓意画です。


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天井の装飾


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次の部屋です。


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Sala del Bobolaccio


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Sala del Bobolaccio天井の装飾


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次の部屋です。


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Sala Etrusca


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Sala Etrusca天井の装飾


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詳細不知


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(つづく)

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次はSala del Tritticoです。


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部屋の名称の由来は、アントニアッツォ・ロマーノ(ローマ、1430/1435c-1508)のトリッティコがあるからです。
このトリッティコは、オルガンの蓋に描かれた受胎告知と内側に描かれた磔刑から成ってます。


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最近の研究によって、アントニアッツォ・ロマーノの作品と、その帰属が確定されました。


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部屋の天井の装飾


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アントニアッツォ・ロマーノ(ローマ、1430/1435c-1508)の「磔刑」


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アントニアッツォ・ロマーノ(ローマ、1430/1435c-1508)の「受胎告知される聖母」


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アントニアッツォ・ロマーノ(ローマ、1430/1435c-1508)の「受胎告知する大天使ガブリエーレ」


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バルダッサッレ・オデスカルキ(ローマ、1844-チヴィタヴェッキア、1909)がトリッティコをこの部屋に置くことを決めたそうです。


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ウンブリアの逸名画家作「聖セバスティアーノ」(16世紀)


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逸名画家作「聖アントニオ・アバーテ」(16世紀)


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次の部屋です。


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ピサネッロの帰属作品があるので、Sala del Pisanelloと呼ばれてます。


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ピサネッロ(ピサ又はヴェローナ、390c-ナポリ、1455c)に帰属するフレスコ画


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ピサネッロのフレスコ画(帰属)


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ピサネッロのフレスコ画(帰属)


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ピサネッロのフレスコ画(帰属)


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フランドルの逸名画家作「オデスカルキ家の男の肖像」


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フランドルの逸名画家作「オデスカルキ家の女の肖像」


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制作者情報不知の「第240代教皇インノチェンツォ11世・オデスカルキ(コモ、1611-ローマ、1689 教皇在位:1676-1689)の肖像」


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詳細不知


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詳細不知


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次はSale del Cesariです。


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部屋の名称の由来は、ユリウス・カエサルの彫像があるからです。


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ローマ皇帝の彫像が置かれてます。


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カエサルの間に、アントニアッツォ・ロマーノの長大なフレスコ画(横約12m)があります。


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アントニアッツォ・ロマーノ(ローマ、1430/1435c-1508)の「ジェンティーレ・ヴィルジニオ・オルシーニとピエロ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチの1487年の邂逅」


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ジェンティーレ・ヴィルジニオ・オルシーニ(ブラッチャーノ、1445c-ナポリ、1497)は、この城を拡大整備増強をした傭兵隊長です。
ピエロ・ディ・ロレンツォ・デ・メディチ(愚昧なピエロ)(フィレンツェ、1472-カステルフォルテ、1503)は、ロレンツォ・イル・マニーフィコの長男でしたが、その綽名の通り愚か者で有名です。


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次の部屋です。


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Sala Orsiniです。


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部屋の壁にオルシーニ家の人々の肖像画がありましたが、現在は何故か肖像画が撤去されています。(天井下の壁が空欄になってます)


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オルシーニ家の紋章


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オルシーニ・メディチの紋章
1558年、パオロ・ジョルダーノ1世・オルシーニ(ブラッチャーノ、1541-サロー、1585)とイサベッラ・デ・メディチ(フィレンツェ、1542-1576)が結婚してから、この紋章が使用されることになりました。


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制作者情報不知の「パオロ・ジョルダーノ1世・オルシーニの肖像」


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制作者情報不知の「イサベッラ・デ・メディチの肖像」


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制作者情報不知の「パドヴァの聖アントニオ」


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詳細不知


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次の部屋です。


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Sala del Leone


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(つづく)

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次はオデスカルキ城博物館です。


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少し遠回りして11月4日広場経由で城に行きます。


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11月4日広場に面して建つPalazzo Comunaleです。


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11月4日広場からCastello Orsini- Odescalchiがよく見えます。


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Castello Orsini- Odescalchiの塔の下に来ました。


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オデスカルキ城博物館の開館時間になりました。


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聖母の目の周囲の描き方に違和感があるタベルナコロです。


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ブラッチャーノの見所は、何といってもCastello Orsini- Odescalchiでしょう。保存状態が良いことで知られています。


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ジュゼッペ・マッツィーニ広場です。城の入り口は、この広場の端にあります。


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サラセン人の攻撃に対する防御として、ブラッチャーノ湖畔の高台に多くの塔が10世紀に建設されました。現在の城の塔は、10世紀に建設された塔が利用されてます。


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11世紀には、現在の城がある場所と城に隣接する広大な土地がPrefetti di Vico家に売却されました。
同家は、ドイツ出身の貴族で、ローマに住み、ヴィーコ湖とその周囲の土地を所有していました。ブラッチャーノの土地を買収した同家は、10世紀に建設された防御用の塔を組み入れた城を建設しましたが、その城が現在の城の前身です。


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1234年、Prefetti di Vico家はブラッチャーノの領有権をオルシーニ家に売却しました。1375年からブラッチャーノは教皇の領有地となりました。


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1419年、ローマの名門コロンナ家出身の第206代教皇マルティーノ5世(ジェナッツァーノ、1368-ローマ、1431 教皇在位:1417-1431)は、ブラッチャーノの領有権がローマの名門貴族オルシーニ家の分家にあることを確認したのです。
現在の城は、傭兵隊長のナポレオーネ・オルシーニ(1420c-1480)とその息子で傭兵隊長のジェンティーレ・ヴィルジニオ・オルシーニ(ブラッチャーノ、1445c-ナポリ、1497)が、万能の芸術家・建築家フランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニ(シエナ、1439-1501)などを起用して、従来の城を1470年から1485年にかけて拡大整備増強させましたが、現在のルネサンス様式の城は、この増強後の姿となってます。
1696年、オルシーニ家は、コモ出身の貴族リヴィオ・オデスカルキ(コモ、1652-ローマ、1713)に城を売却しました。
1952年から城は博物館として一般公開されるようになりましたが、城を所有するオデスカルキ家は今でも城に居住しています。オデスカルキ家居住部分は非公開となってます。


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ジュゼッペ・マッツィーニ広場に切符売り場があります。


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切符売り場


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城の入り口扉です。切符を買った人が扉の前に立つと、扉が開くようになってます。それ以外の場合、扉が閉まっているので、休館と誤解する人がいるそうです。


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城の敷地内に入りました。


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城には五本の塔があります。


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城門です。


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イタリアにあるルネサンス様式軍事建築物の代表作の一つとされてます。


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1797年、ナポレオン軍の侵攻によって城は接収され、城にあった多くの芸術作品や宝物がフランスに持ち去られ、その殆どが戻されていません。
また、フランス軍は、城をマリーノ・トリオニア伯爵に譲渡しましたが、同伯爵は、1848年、リヴィオ3世・オデスカルキに城を売却し、元の持ち主であるオデスカルキ家に戻ったのです。オデスカルキ家は、自己が所有していた城をフランス軍に無償接収され、金を出して自己所有にしたという、非常に損な取引をしたので、同家の財政状態は悪化してしまいました。


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庭からのブラッチャーノ湖の景観


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建物の入り口です。


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こちらは建物の出口となってます。


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建物の先でロープが張られていますが、ロープの先はオデスカルキ家の居住部分となっており、非公開、立ち入り禁止となってます。


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入口の天井のフレスコ画があります。


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1470年から1485年に、城が増強整備されましたが、その時に描かれたフレスコ画です。


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最初の部屋に入りました。


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一般公開される前は書斎として使用されていた部屋です。


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ペストが流行していたローマから逃れて、1481年、教皇シスト4世・デッラ・ローヴェレがこの城に一時的に滞在したそうです。


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部屋のフレスコ画は、フェデリーコ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1539-アンコーナ、1609)とタッデオ・ズッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1529-ローマ、1566)のズッカリ兄弟によって16世紀第3四半世紀に制作されました。


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次の部屋です。


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少し小さなベッドが置かれてます。この当時、高貴な人はベッドに完全に横臥するのではなく、頭と背中上部を壁にもたれて寝たそうで、そのためにサイズが小さなベッドが使用されていました。


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男女の肖像画があります。この部屋を使用していた夫婦の肖像画と思いますが、その詳細が分かりません。


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(つづく)

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