イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:マルケ州 > アスコリ・ピチェーノ

039
教区美術館が休館だったので、時間が余りました。


040
交通の便が良いとは言えないので、時間が余っても予定変更は容易ではありません。


041
仕方がないので、ぶらぶら歩きで時間潰しです。教会巡りをしても扉が開いている所は少ないでしょう。


042
写真右はサン・ジュリアーノ教会です。


043
1000年に建設されたロマネスク様式のサン・ジュリアーノ教会です。


044
長年に渡って改修、改造が行われましたが、1950年頃から時間をかけて復元工事が行われてます。


046
何の建物でしょうか?


047
外壁がフレスコ画で装飾されてます。


048
階段を上って、少し高い所から眺望を楽しみます。


049


050


051


052


055
ドゥオーモに行って、もう一度カルロ・クリヴェッリの傑作を楽しむことにしました。


056
ガエターノ・オルソリーニ(1884-1954)の「ミネルヴァ女神の『ラ・ヴィットリア』」(1927)です。アスコリ・ピチェーノの堕落の記念碑となってます。


060
アッリンゴ広場


058
ジョルジョ・パーチのブロンズ製フォンターナ


107
心残りの教区美術館


059
ドゥオーモの拝観です。


068
聖堂内に入りました。


069
カルロ・クリヴェッリの多翼祭壇画があるサクラメント礼拝堂です。


077
これが見納めです。


096
馬車の車輪除け


097
アスコリ・ピチェーノの紋章


098
聖母子と二聖人


099
ポポロ広場に戻ってきました。


131
中々時間がつぶれません。


129
サン・フランチェスコ修道院教会を再び訪れます。


134
中に入りました。


135


136


137
主祭壇


138


139


120
サン・クリストフォロ教会です。


121
サン・クリストフォロ教会横にあるのは、12世紀に遡るFontana di Cani(犬の噴水)です。


122
元々サンタ・ゴスティーノ教会にありましたが、後に移設されました。


124
疲れてきました。


125
あちこち歩くのが嫌になってきました。


126
予定よりも1時間半ほど早いですが、ホテルに戻ることにしました。


114
ホテルに預かって貰った荷物を受け取り、駅に向かいました。


117
(アスコリ・ピチェーノの項、おわり)

001
ホテルの自室内に植物画がありました。


002
イギリスでは植物画が盛んです。


003
イタリアでは、ホテルで植物画を目にします。ミラノのミケランジェロ・ホテルにも植物画が多かったと思います。


017
翌朝です。


018
その日の主な目的は教区美術館に行くことでしたが、その開館時間までロマネスク様式の教会巡りです。


020
道の突き当りに教会が建ってます。


021
サン・グレゴリオ・マーニョ教会です。


272
この場所に、紀元前1世紀に建設された女神イシスに捧げられた神殿がありましたが、キリスト教が解禁されると何時しか神殿は初期キリスト教会として転用されました。


024
13世紀、既存の旧イシス神殿の空間を利用にして、ロマネスク様式の建物が建設されましたが、それが今の姿の原形です。


022
18世紀に、建物は修復と改造を受けましたが、1935年から1940年に行われた修復工事の際、元のロマネスク様式に復元されました。


023
14世紀に追加された鐘楼です。


025
次はサン・ジャコモ・アポストロ教会です。


273
1250年に創建され、14世紀初頭に完成したロマネスク様式のサン・ジャコモ・アポストロ教会です。


274
後陣です。
数度修復と改造を受けましたが、19世紀に元の姿の戻されたそうです。


275
入口扉上ルネッタの彫刻が見物とされてます。


276
13世紀末の彫刻


026
一旦、城壁外に出ました。


027
次はサンティラリオ教会です。


277
サンティラリオ教会です。


278
10世紀に建設されたロマネスク様式のサンティラリオ教会です。幾度となく改造と修復を受けてます。


280
ナポレオンの抑圧令によって、19世紀に教会活動を停止した旧教会です。
建物は近隣の人たちの集会場に転用されましたが、1872年、オークションで個人に転売され民家となりました。この階段は、その所有者によって追加されたものです。


279
壁の装飾


281
現在の旧サンティラリオ教会のファサードで、改造されたままです。
現在、旧サンティラリオ教会の建物はEmygdius Museumになってます。
そろそろ教区美術館の開館時間です。


029
教区美術館がある司教館にやってきました。ドゥオーモの鐘楼が写ってます。


031
カルロ・クリヴェッリの作品が美術館のシンボルになってます。


030
ピエトロ・アレマンノの作品もシンボルとなっているようです。


032
教区美術館の入り口です。


033
ここでゆっくり鑑賞するために午前中の時間をたっぷりと充てていました。


034
開館時間を10分ほど過ぎても扉が開きません。
美術館の事務所に行ったら、3人いましたが、今日の担当者が急遽休暇を取ったので、美術館は臨時休館にしたとのこと。
バカバカ、やってられるか、憤慨!
美術館の展示作品を3点載せておきます。


282
カルロ・クリヴェッリ(ヴェネツィア、1430-アスコリ・ピチェーノ、1495)の「ポッジョ・ブレッタの聖母」(1470以降)


283
コーラ・デッラマトリーチェ(アマトリーチェ、1480/1489-アスコリ・ピチェーノ、1495/1496)の「玉座の聖母子と聖人たち」


284
ピエトロ・ヴァンニーニ(マルケ、1413/1414-1495/1496)の「聖エミディオ像」


035
その後に起きた地震のため、教区博物館は休館が続いてます。


036
次は城壁外にあるサンタ・マリア・デッレ・ドンネ教会です。


288
サンタ・マリア・デッレ・ドンネ教会です。


286
1230年から1232年に建設されたロマネスク様式のサンタ・マリア・デッレ・ドンネ教会です。


285
地震によって危険と判断されて閉鎖されているようです。


287
ファサードのバラ窓
中に古いフレスコ画が残されてます。


291
磔刑(13世紀)


289
聖母子と聖人たち


290
聖母子(13世紀)


037
(つづく)

238
次はサン・トンマーゾ・アポストロ教会です。


241
サン・トンマーゾ・アポストロ教会にやってきました。
1064年、当時の司教ベルナルド2世の主導によって、サンタゴスティーノ修道会 Ordine di Sant' Agostinoのために建設されたロマネスク様式の教会です。


240
現在の外観は、13世紀に行われた改造後の姿です。


242
鐘楼の、1283年の年号が入った鐘は、アスコリ・ピチェーノ最古の鐘と言われてます。


239
ファサード右は、サン・トンマーゾ・アポストロ修道院だった建物で、市立セラミック美術館となってます。


243


244
次は、サンティ・ヴィンチェンツォ・エ・アナスタージオ教会です。


246
アーチの道の先にヴェンティ―ディオ・バッソ広場があり、広場に面して2つの教会があります。


249
サンティ・ヴィンチェンツォ・エ・アナスタージオ教会です。
4世紀から6世紀に、この場所の半地下にあった小礼拝堂が起源とされてます。現在の建物は、9世紀に建設されたロマネスク様式が、その後拡大改修され、改造工事が完了した1389年の姿です。


1097
鐘楼


1098
後陣


1099
ファサード側の入り口


1100
扉上ルネッタの彫刻(14世紀)


1101
1389年の碑文


1102
ライオン像


1103
次はサン・ピエトロ・マルティーレ教会です。


273
ヴェンティ―ディオ・バッソ広場を挟んで、サンティ・ヴィンチェンツォ・エ・アナスタージオ教会の向かいにサン・ピエトロ・マルティーレ教会があります。


247
サン・ピエトロ・マルティーレ教会の右側外壁です。


248
ヴェンティ―ディオ・バッソ広場は大駐車場になってます。
サン・ピエトロ・マルティーレ教会のファサード側に回ります。


272
サン・ピエトロ・マルティーレ教会のファサードです。


270
1250年、ドメニコ会修道士のパドヴァのフラ・ピエトロがアスコリ・ピチェーノに到着しました。アスコリに定住して多くの信者を集めました。
それを記念して1280年に創建され、15世紀前半に完成したドメニコ会の教会です。


271
ファサードは、コーラ・デッラマトリーチェ(アマトリーチェ、1480/1489-アスコリ・ピチェーノ,1547/1559)の設計によって、1523年に建設されました。


1104
後陣
完成時はゴシック様式でしたが、16世紀後半から改造工事が行われ、ゴシック様式とバロック様式の折衷となってます。


250
ファサード側の入り口は大体閉まっていて、身廊側の扉から中に入ります。


251
中に入りました。


256
三廊式で翼廊がありません。


267
16世紀に行われた改造によって、10本の円柱が追加されました。


268
長さ62メートル、幅26メートルの、この街で最大の教会です。
所々に残るフレスコ画を見て行きます。


1105
制作者情報不知の「聖人たち」(15世紀初め)


254
Maestro di Offida (マルケ、14世紀中頃-15世紀初頭活動)の「我に触れるな」(14世紀中頃)


1106
柱のフレスコ画


262
Maestro di Offida (マルケ、14世紀中頃-15世紀初頭活動)の「聖母子」(14世紀中頃)


263
14世紀初めの逸名画家作「聖母子」


269
二コラ・ディ・ウリッセ・ダ・シエナ(シエナ、1442-1470活動)の「聖アントニオ・アバーテ」


1107
15世紀のフレスコ画


1108
15世紀のフレスコ断片


260
Presbiterio
祭壇画を見て回ります。


252
ロドヴィーコ・トラージ(アスコリ・ピチェーノ、1634-1694)の「法悦のシエナの聖カテリーナ」


257
ロドヴィーコ・トラージ(アスコリ・ピチェーノ、1634-1694)の「三位一体と聖ドメニコ」


258
ブオノコーレ・カンブリの「聖家族と聖ジョヴァンニーノとドメニコ会士たち」


259
詳細不知


261
ルイージ・デ―ヴォの「ロザリオの聖母」


264
詳細不知


265
ジュゼッペ・アンジェリ―ニ(アスコリ・ピチェーノ、1675-1751)の「聖母子とシエナの聖カテリーナと聖人たち」


266
トンマーゾ・ナルディーニ(アスコリ・ピチェーノ、1658-1718)の「天上の聖母と聖人たち」
17世紀の作品ばかりのようです。


016
外に出ました。
初日はこれで終わりです。
(つづく)

218
ポポロ広場です。


219
Palazzo del Capitano


221
写真左に写っているのは有名なカフェです。


222
Palazzo del Capitanoの中に入りました。


223


224


225
先ほど拝観したサン・フランチェスコ教会修道院です。


220
中世の空間をゆっくり散策します。


226
自治都市の時代から栄えていたポポロ広場です。


227
次はサンタゴスティーノ教会です。


228
ジュゼッペ・マッツィーニ通りからサンタゴスティーノ広場に向かいました。


233
サンタゴスティーノ広場にやってきました。


232
面白い建物があります。


1074
よく見るとアンバランスな感じがする二本の塔とパラッツォが目立ちます。


230
Palazzo Merli e Torre Gemelle
メルリ家が自宅として、1927年から1929年に建設した新古典様式のPalazzo Merliです。


235
12世紀に建設された高さ25メートルの二本の塔です。


236
1885年、二本の塔はメルリ家によって購入されました。Palazzo Merliを建設するに当たって二本の塔を組み込むことにしたそうです。


229
サンタゴスティーノ教会です。


231
1239年にアスコリ・ピチェーノにサンタゴスティーノ修道会 Ordine di Sant' Agostinoが到着しましたが、1242年、この場所に同会修道士によってロマネスク様式の教会が建設されました。
1317年から1381年にかけてゴシック様式に拡大されました。1483年にルネサンス様式に内部が改造されました。
1547年にファサードが完成しました。
残念ながら扉が閉まっていました。


1075
この作品が観たかったのですが・・・・・
フランチェスクィッチョ・ギッシ・ダ・ファブリアーノ(マルケ、1345-1374活動)の「Madonna della Pace」(1350)


237
次はサンティッシマ・アンヌンツィアータ修道院教会です。


1081
サンティッシマ・アンヌンツィアータ修道院教会の全景です。


1080
修道院教会の前はサンティッシマ・アンヌンツィアータ公園です。


1076
サンタゴスティーノ女子修道会によって1250年に建設された女子修道院が前身です。


1077
現在の建物は1485年から1514年に再建されたものです。


1078
修道院だった建物は学校として使用されてますが、教会の方は今なお宗教活動が行われてます。


1079
鐘楼


1090
ファサードの丸窓


1082
壁龕があります。


1083
多分フレスコ画があったと思います。


1084
ここにもフレスコ画があったと思います。


1085
ファサードの下にある柱廊です。


1086
柱廊


1087
柱頭


1088
柱頭


1091
柱廊にあるメイン扉です。


1089
メイン扉上ルネッタのフレスコ画は、コーラ・デッラマトリーチェ(アマトリーチェ、1480/1489-アスコリピチェーノ,1547/1559)の「受胎告知」
この修道院教会には、カルロ・クリヴェッリの最高傑作がありました。


1096
カルロ・クリヴェッリ(ヴェネツィア、1430-アスコリ・ピチェーノ、1495)の「受胎告知」(1486)です。
1486年から1790年まで、この教会の主祭壇を飾っていました。


1093
1790年、ナポレオン軍によって接収されてしまいましたが、1811年からミラノのブレラ絵画館で展示されるようになりました。
フランスへの流失が避けられ、このままならば問題がなかったのですが、1820年、他の絵画と共に古文書と交換され、イタリアから流失してしまいました。


1092
1830年、この作品は何故か骨董品市場に出され、個人蔵となりました。この作品の所有者は数回変わったそうですが、1864年にイギリスのナショナル・ギャラリーが購入し、修復後、ナショナル・ギャラリーで展示されるようになり現在に至ってます。
この経緯を知ると、カルロ・クリヴェッリとこの作品の評価が今とは考えられないほど低かったことが分かります。


1095
キオストロ回廊の入り口です。


1094
キオストロ回廊
(つづく)

182
見所が多いので、泊まっても時間が余ることはないと思います。


184
アスコリ・ピチェーノからのバス便が充実しています。この街に数泊してバス利用の日帰り遠足するのも良いでしょう。


185
突き当りがジュゼッペ・マッツィーニ通りです。


188
Palazzo della Cassa di Risparmioです。


186
銀行の建物です。


192
現在はBanca dell' Adriaticoが使用してます。


189
ジュゼッペ・マッツィーニ通りです。


190
銀行の建物です。


191


193
銀行本部の建物


194
次はサンタ・マリア・インテルヴィネアス教会です。


195
Arco di Carlo Magnoです。
12世紀から13世紀に建設されたPalazzo Senatorialeがありましたが、取り壊され、このアーチ部分だけが残されてます。


196
サンタ・マリア・インテルヴィネアス教会です。


199
996年の文書に、この教会の存在が初めて記載されているそうです。


197
12世紀末に再建工事が開始され、13世紀に完成した後期ロマネスクとゴシックの折衷様式の建物です。


198
サイド・ポータルのルネッタ上の浮彫


1068
サンタ・マリア・インテルヴィネアス教会のファサード


1069
12世紀から13世紀に建設された鐘楼です。


200
次はサン・フランチェスコ教会修道院です。


201
サン・フランチェスコ修道院のキオストロ回廊です。


203
Ordine dei Frati Minori Conventualiによって13世紀に建設された修道院です。


202
1861年に修道院は閉鎖され、その後、事務所、学校、兵舎に使用されました。現在は公の市場として使用されてます。また、旧修道院の一階(日本の二階)は聖職者の住居になってます。


205
キオストロの井戸


204
次はサン・フランチェスコ教会です。


063
ポポロ広場に面してます。


078
1215年、アッシジの聖フランチェスコがアスコリ・ピチェーノに訪れました。直ぐに教会の建設が決まりましたが、工事が着工したのは1258年でした。建物は未完成でしたが、13世紀後半には活動が開始されました。


083
1371年に奉献式が執り行われましたが、献堂する聖人は聖フランチェスコではなく、聖ジョヴァンニ・バッティスタになったのです。しかし、名称はサン・フランチェスコ教会修道院のままでした。
1547年から1549年にクーポラが建設されましたが、クーポラの工事が完成した1549年を以って教会修道院の完成となりました。


080
ポポロ広場に面した、ゴシック様式のサイド・ポータル(左側)です。


081
ベルナルディーノ・ディ・ピエトロ・ダ・カローナの「教皇ジュリオ2世のモニュメント」(1506-10)


209


082
サイドポータル上ルネッタの紋章


1071
鐘楼


1070
ファサード


208
ファサードの向かって右側の側壁です。


207
右側壁にある入り口がメイン・ポータルとされてます。


1072
メイン・ポータル


206
メイン・ポータル上ルネッタのフレスコ画


1073
Loggia dei Mercanti


210
中に入りました。


213
説教壇


214
質素、質実剛健です。


215
美術的な見所ですが、強いて言えばステンドグラスでしょうか?


216


211


212
洗礼者ヨハネを祀る教会とは意外でした。


217
(つづく)

135
次はクリプタです。


136
カンポ・パリニャーノのカタコンベに街の守護聖人聖エミディオ・ディ・アスコリ(トレヴィリ、273-アスコリ・ピチェーノ、303/309)の聖遺物(遺体)がありました。11世紀中頃のアスコリ・ピチェーノ司教アスコリ・ベルナルド2世は、聖エミディオの聖遺物をアスコリ・ピチェーノに安置して祀るために11世紀中頃に建設されたクリプタです。


139
11世紀中頃に建設されたクリプタは荒廃が進んだので、1703年に修復改造されました。現在の姿は、この修復改造後のものです。


140
ヴェローナ産赤大理石の柱が印象的です。


152
クリプタ主祭壇の彫刻は、ラッザロ・ジョサファッティの「ポリシアを洗礼する聖エミディオ」(1728-30)


153
この部分は16世紀に改修されたものの、1703年に改造されませんでした。


1067
ここに聖エミディオ、殉教者たちの遺骨が納められています。


137
クリプタ天井のフレスコ装飾


138


151


141
クリプタにモザイクがあります。一見して新しいモザイクであることが分かります。


142
ピエトロ・ガウデンツィ(ジェノヴァ、1880-アスコリ・ピチェーノ、1955)のデザインに基づき1950年から1954年に制作されたモザイクです。


143
モザイクのテーマは、第二次世界大戦においてアスコリ・ピチェーノで起きた出来事です。


144


145


146


147


148


149


150


154


117
外に出る前に、もう一度サクラメント礼拝堂に行きました。


118
カルロ・クリヴェッリの多翼祭壇画を再び鑑賞。


180
外に出ました。


181
次は、この日のお宿向かいにあるサン・ヴェナンツィオ教会に向かいました。


043
この日のお宿のフロントで、サン・ヴェナンツィオ教会の開く時間を教えて頂きましたが、その通り、扉が開いてました。


024
中に入りました。


025
単廊式です。ロマネスク様式の外観と異なり、感じが随分違う内部です。


026
感じが異なるのは、エミディオ・フェレッティの設計によって、1667年から1671年にバロック様式に改造されたからでしょう。


037
多くの祭壇画などがありますが、作品帰属など、それらの詳細が分かりません。


036
慈悲の聖母


035
聖マルティーレ(1290-1310)


034


033
受胎告知


032
聖母戴冠


031
磔刑


030
聖母被昇天


029


028


027


038


183
外に出ました。
(つづく)

1059
本堂に戻りました。


1060
Presbiterioのチボリオがあります。


158
ジュゼッペ・サッコーニ(モンタルト・デッレ・マルケ、1854-ピストイア、1905)のチボリオ(1895)


176


159
クーポラ、後陣、内陣天井などフレスコ画が沢山あります。


175
一見して新しいフレスコ画であることが分かります。


177
19世紀のフレスコ画家チェーザレ・マリア―ニ(ローマ、1826-1901)とチェーザレの協力者だったガエターノ・ヴァン二コラ(オフィダ、1859-グロッタンマーレ、1923)によって1884年から1894年に制作されたフレスコ画です。


178


070
古いフレスコ画が落剝など劣化したので、殆どが塗り潰されて、その上に制作されたフレスコ画です。


071


072


074
クーポラ


075


076


086


087
マドンナ・デッレ・グラツィエ礼拝堂です。


1065
1567年に建設されたマドンナ・デッレ・グラツィエ礼拝堂ですが、荒廃したので1958年に復元されました。
礼拝堂のモザイクは、ラヴェンナのモザイク工房によって1961年に制作されました。


1064
オルガンが礼拝堂に設置されています。


167
Presbiterio


166


164


165


163


1066
制作者情報不知の「聖エミーディオ像」


160
右側廊天井


161


115


162
クリストフォロ・カッファレッリの「聖エミーディオの物語」


114
クリストフォロ・カッファレッリの「聖エミーディオの物語」


172


173
磔刑の礼拝堂です。


174
聖具室への入り口扉


1061
説教壇


088
制作者情報不知の「カルヴァリオへの上り」


089
制作者情報不知の「カルヴァリオへの上り」


090
制作者情報不知の「カルヴァリオへの上り」


1062
左側廊の鐘楼に隣接する礼拝堂です。


093
古いフレスコ画が残されてます。


092
Maestro del Polittico di Ascoliに帰属するフレスコ画(14世紀)


091
「磔刑」の部分が比較的良い状態で残されてます。


1063


171


170


169
(つづく)

018
アッリンゴ広場に建つドゥオーモ Basilica Minore Cattedrale di Santa Maria Madre di Dio e Sant' Emidioです。通常、サンテエミーディオ大聖堂と呼ばれてます。
アスコリ・ピチェーノ司教区の司教座教会です。


020
現在のドゥオーモの土地に4世紀以前頃に建設されたミューズに捧げられた神殿がありました。4世紀から5世紀頃、その神殿を初期キリスト教会に転用しましたが、それが前身です。


059
5世紀から6世紀にかけてNavataが追加され、746年から780年にクーポラ、翼廊、後陣が増築されました。
9世紀初め頃の建物の大きさは、縦32m、横13m、高さ9mだったそうです。
11世紀に拡張工事が行われ、その際、ロマネスク様式の建物となりましたが、15世紀第4四半世紀まで、そのロマネスク様式の姿が続きました。


1050
1481年、古いファサードの解体と再建、三廊式への増築改造が決定され、工事が開始されました。
ファサードは、コーラ・デッラマトリーチェ(アマトリーチェ、1480-アスコリ・ピチェーノ、1547・1559)の設計によって、1529年から1539年に建設されました。
ゴシック・ルネサンス様式の現在の姿は、1539年に完成したものがその原型となってます。


061
ファサードに向かって左側にサン・ジョヴァンニ洗礼堂があります。


108
9世紀頃に建設され、11世紀に今の姿のロマネスク様式になりました。


1051
鐘楼


028


062
ファサードに向かって右側の外壁です。


063
1857年、第255代教皇ピオ9世(セニガッリア、1792-ローマ、1878 教皇在位:1846-1878)によってBasilica Minoreに格付けされました。


064
ミューズの入り口と言われてます。


015
旧市街に入ってくると、後陣が目に飛び込んでます。


108
8世紀頃に建設された後陣です。


109
ファサード側の入り口です。


113
聖堂内に入りました。


168
三廊式、ラテン十字形、ロマネスクとゴシックの折衷様式の内部です。


116
先ずサクラメント礼拝堂に向かいました。


157
主祭壇、後陣のすぐ右にサクラメント礼拝堂があります。


132
礼拝堂の中に入りました。


134
1795年から1838年に建設されたサクラメント礼拝堂です。


133
礼拝堂の天井


125
サクラメント礼拝堂の祭壇画は、カルロ・クリヴェッリ(ヴェネツィア、1430-アスコリ・ピチェーノ、1495)の「サンテミ―ディオの多翼祭壇画」(1472-73)です。


1052
全パネルが完全な形で残されてます。しかし、向かって右の裾絵の一部は、20世紀末の盗難事件の際、損傷を受けて複製に置き換えられということです。


1053
多翼祭壇画の台として使用されている銀製の祭壇前飾り(14世紀)


079
木製聖体容器(16世紀後半)


078
1472年、当時の司教プロスペロ・カッファレッリがドゥオーモの主祭壇に飾るべく、カルロ・クリヴェッリに注文したもので、1473年に完成しました。


119
完成後、この多翼祭壇画は、ドゥオーモの主祭壇に置かれました。この礼拝堂に移設されたのは1894年のことで、それまで主祭壇に置かれていました。


1054


120


122


1055
聖母子


124


126


1056
ピエタ


1057
聖ジローラモ


1058
聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ?


130
クリストフォロ・カッファレッリの「聖エミーディオの殉教」


131
クリストフォロ・カッファレッリの「信者を洗礼する聖エミーディオ」


179
サクラメント礼拝堂でカルロ・クリヴェッリの作品を観れば、ドゥオーモの拝観は終わりにしても良いかも知れません。
(つづく)

023
ドゥオーモのファサードに向かって右側にアッリンゴ宮があります。


1011
1183年、アスコリがコムーネになったことを機に建設されたアッリンゴ宮です。


022
現在のファサードなどの建物は、1679年から1745年に改造されたものです。


021
アッリンゴ宮前のGiovanni Jeciniデザインの噴水(1882)


1030
アッリンゴ宮は、市庁舎として使用されてますが、その一部に絵画館が置かれてます。


1014
絵画館の入り口です。


095
絵画館は、アッリンゴ宮の1階(日本の2階)と2階(日本の3階)にあります。


097
アスコリ・ピチェーノ市立絵画館の展示ですが、人口五万人弱規模の市立絵画館としては質と量において、イタリアでも特筆される存在でしょう。
現在は写真可となってますが、長らく写真不可でした。実は、アスコリ・ピチェーノに行ったのは三回あり、その都度絵画館に入館しましたが、写真可となってからは一度も訪れたことがないのです。行こう、行こうと思いながらも、ロレンツォ・ロット熱が若干醒めてからは、マルケ州に足を向けることが少なくなっているので、勢いアスコリ・ピチェーノには足が遠のいている次第です。
絵画館の紹介では作品画像等がないと話になりません。仕方がないので、外部サイトから写真を拝借することにしました。


1012
ピエトロ・アレマンノ(オーストリア、1430/1440-アスコリ・ピチェーノ、1498)の「慈悲の聖母のポリッティコ(多翼祭壇画)」(1489)


1013
この絵画館の代表的な作品の一つです。


1015
素晴らしい絵画館です。


1016
展示は14世紀から20世紀の幅広い作品が並んでます。


1017
カルロ・クリヴェッリ(ヴェネツィア、1430-アスコリ・ピチェーノ、1495)の「Secondo Trittico di Valle Castellano」


1018
保存状態があまり良くありませんが、クリヴェッリの傑作の一つでしょう。


1019
この絵画館のシンボルとなってます。


1029


1020
カルロ・クリヴェッリ(ヴェネツィア、1430-アスコリ・ピチェーノ、1495)の「Primo Trittico di Valle Castellano」


1021
詳細不知


1022
詳細不知


1023
詳細不知


1024
グイド・レーニ(ボローニャ、1575-1542)の「受胎告知」(1629)


1025


1026


1028


1027


1448
ルドヴィーコ・トラージ(アスコリ・ピチェーノ、1634-1694)に帰属する「聖母子」(1650-90c)


1034
コーラ・デッラマトリーチェ(アマトリーチェ、1480-アスコリ・ピチェーノ,1547/1559)の「玉座の聖母子と四聖人とピエタの多翼祭壇画」


1035
コーラ・デッラマトリーチェ(アマトリーチェ、1480-アスコリ・ピチェーノ、1547/1559)の「祝福を与えるキリスト」


1037
ピエトロ・アレマンノ(オーストリア,1430/1440-アスコリ・ピチェーノ、1498)の「受胎告知」


1038
ティツィアーノ・ヴェッチェリオ(ピエーヴェ・ディ・カドーレ、1488/1490-ヴェネツィア、1576)の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」(1570c)


1042



1039
ジュゼッペ・カンタラメッサ(アスコリ・ピチェーノ、1846-ローマ、1924)の「Cecco d' Ascoli che tiene una lezioe a Firenze」(1875)


1041
詳細不知


1043
ヴェネト=クレタの逸名画家作「授乳の聖母」


1044
オラツィオ・ディ・フェッラーリ(ヴォルトリ、1606-ジェノヴァ、1657)の「サムソンの捕縛」(1640c)


1045
コーラ・デッラマトリーチェ(アマトリーチェ、1480-アスコリ・ピチェーノ、1547/1559)工房作「慈悲の聖母」(1530-50c)


1046
コーラ・デッラマトリーチェ(アマトリーチェ、1480-アスコリ・ピチェーノ、1547/1559)の「聖母子と四聖人」(1520-30c)


1047
ジョヴァンニ・アントニオ・ダ・ルーコリ(1491-1539)の「幼きキリストを崇拝する聖母」(1529-32)


1049
オラツィオ・ディ・フェッラーリ(ヴォルトリ、1606-ジェノヴァ、1657)の「イサクの犠牲」(1650-57)


098
外に出ました。


102
アッリンゴ宮の中庭です。


100
この他にもグイド・レーニの「聖セバスティアーノ」、グエルチーノの「キリストの逮捕」、ルカ・ジョルダーノの「聖ジュゼッペの死」、カルロ・マラッタの「クレメンテ9世の肖像」などの傑作があります。


101
少し疲れました。


099
(つづく)

071
ポポロ広場の建物を見て回ります。


085
優美で華やかな広場としてイタリア屈指と言われてます。


070
1513年に創建されたメルカンティ館です。ギベリーニ党(皇帝派)の狭間が目立ちます。


068
ポポロ広場に面してサン・フランチェスコ教会が建ってます。


065
天井下の外壁にフレスコ画があります。


066
描かれているのは紋章でしょうか?


067
13世紀以前に建設され、1518年から1546年にルネサンス様式で改修拡大されたPalazzo dei Capitanoです。現在、文科省所有となっており、市議会の議場として使用されている他、展示会などの会場になってます。


1004
Palazzo dei Capitanoのファサードの彫刻を見ます。
ラッザロ・ディ・フランチェスコの「教皇パオロ3世のモニュメント」


1005


1006


1007
ロッジャの内壁に描かれたフレスコ画です。
ピエトロ・アレマンノ(オーストリア?、1430/1440c-アスコリ・ピチェーノ、1498)の「マルカの聖ジャコモ」(1490)


069
中に入ることが出来ます。


074
中庭です。


073


072
三階建てです。


075
14世紀のアスコリ・ピチェーノの紋章


076
上の階に行きます。


1008
部屋の扉が閉まっていました。フレスコ断片があるくらいです。


079
外に出ました。昼過ぎのこの時間はサン・フランチェスコ教会は閉まっています。


084
サン・フランチェスコ教会の拝観は夕方にします。


086
中世の頃、行商の人たちや雨天の市場として賑わっていたロッジャ・ディ・メルカンティです。


087
ポポロ広場に何度も来るようになります。


088
路地を通って、ファウスト・シモネッティ広場に向かいます。


089
ファウスト・シモネッティ広場に建つのは、18世紀初頭から1797年に建設されたPalazzo San Filippoです。


090
現在、Palazzo San Filippoは県庁舎 Palazzo del Governoになってます。


091
17世紀から18世紀の建物が建ち並んでます。


092
トレント・エ・トリエステ通りです。


093
州立考古学博物館、ドゥオーモの拝観、市立絵画館に入館するためにアッリンゴ広場に向かいます。


094
アッリンゴ広場にやってきました。


111
旗が掲げられている建物が州立考古学博物館です。


105
16世紀に建設されたPalazzo Panichiが考古学博物館になってます。


016
何処の考古学博物館でもその展示内容は似たり寄ったりです。


1009
考古学博物館の入り口


1010
展示は予想通りでした。


104
ドゥオーモの扉が開いていたので、拝観しました。ドゥオーモについては後程纏めてアップします。


107
洗礼堂


118
カルロ・クリヴェッリの多翼祭壇画が秀逸です。


106
次は市立絵画館です。


096
入館しました。


023
市立絵画館には大満足です。その内容については、後程纏めて掲載します。


017
市立博物館で唯一残念だったことは、写真不可だったことです。
(つづく)

002
前泊地はマチェラータでした。マチェラータから普通列車でアスコリ・ピチェーノに向かいました。


005
車窓から雪を抱く山々が見えました。


006
15分遅れでアスコリ・ピチェーノ駅に到着しました。


007
アスコリ・ピチェーノは、人口47,555人(2019年12月31日現在)のマルケ州アスコリ・ピチェーノ県の県都です。中世は、教皇領の時代が長かった街です。
私にとって、恐らく美術的にも、アスコリ・ピチェーノはカルロ・クリヴェッリ(ヴェネツィア、1430-アスコリ・ピチェーノ、1495)に尽きます。
1457年、船員の妻との姦通罪によってヴェネツィアを追われたカルロ・クリヴェッリは、流浪の旅に出て、1469年に初めてアスコリ・ピチェーノに訪れました。やがて1473年からアスコリ・ピチェーノに定住することになり、1495年に没っしました。
その間、数多くの作品をアスコリ・ピチェーノで制作しました。アスコリ・ピチェーノで制作された作品の多くは他の街からの注文でしたが、この街のために制作された作品もかなりあったようです。
18世紀末までは、この街にあったカルロの作品は完全な形で残っていましたが、ナポレオンの侵攻によって奪われたり、イタリア統一の混乱によって、カルロの作品は持ち去られたり、多翼祭壇画はパネルに分解、散逸されてしまいました。それでも今なおカルロ・クリヴェッリの作品が残されているので、それを見るためにアスコリ・ピチェーノに来たという訳です。


141
アスコリ・ピチェーノ駅の駅舎です。


008
旧市街にある、この日のお宿に向かいます。


009
右折してViale Indipendenzaに入りました。この通りの先にアッリンゴ広場があります。


010
マッジョーレ橋のフォンターナです。


011
カステッラーノ川に架かるマッジョーレ橋を渡ります。


012
マッジョーレ橋から見た北に広がる山々の景観


013
マッジョーレ橋を渡ると旧市街です。


014
カステッラーノ川を渡ると、通りの名称がヴィットリオ・エマヌエーレ通りに変わりました。


015
ドゥオーモの後陣です。


017
アッリンゴ広場です。


019
大きな荷物があっては、ドゥオーモの拝観どころではないので、この日のお宿へと急ぎました。


042
この日のお宿です。


041
中庭です。
アスコリ・ピチェーノを支配していたグイデロッキ家が15世紀後半に建設したPalazzo Guiderocchiを改造してホテルにしたものです。


039
柱廊など中世を実感できるホテルです。


040
ホテル内にフレスコ画はありません。


047
アントニオ広場に面した方のPalazzo Guiderocchiの入り口です。
自室に荷物を置いて、街歩きに出発しました。


043
アントニオ広場を挟んで、ホテルのPalazzo Guiderocchiの向かいに教会があります。


044
12世紀から13世紀に建設された、ロマネスク様式のサン・ヴェナンツィオ教会です。


045
平日は大体閉まってます。


046
左側の外壁です。
開いていれば拝観しますが、無理をして拝観する必要はあまりないように思います。


1001
1667年から1671年にバロック様式に改修された内部です。
(外部サイトから拝借した写真)


1002
古い作品は残されていないようです。


1003
有名画家の作品はこれくらいのようです。
ジョヴァンニ・バッティスタ・ガウッリ通称バチッチョ(ジェノヴァ、1639-ローマ、1709)の「光悦の聖フランチェスコ・ザビエル」


048
サンタ・マリア・デッラ・カリタ教会を経由してポポロ広場に行こうと思いました。


049
古い建物が建ち並ぶ一画です。


050
Via Ottaviano Lanneliaです。


051
写真右の建物は16世紀に建設されました。


052
トリヴィオ通りからローマ広場に出ます。


055
サンタ・マリア・デッラ・カリタ教会です。


053
Chiesa della Scopaとも呼ばれてます。


054
現在の教会の右横にConfraternita dei Disciplinatiによって、14世紀に建設された小礼拝堂がありましたが、Confraternita dei Disciplinatiは本格的な教会建設を決め、コーラ・デッラマトリーチェ(アマトリーチェ、1480-アスコリ・ピチェーノ、1547/1559)の設計によって、1532年から1583年に建設されました。
扉が開いているように見えましたが、中扉が閉まってました。


056
教会横の銀行の建物です。


057
ローマ広場です。


058
ローマ広場至近のポポロ広場に向かいます。


059
アルチヴィオ通りを経由しました。


060
突き当りにポポロ広場があります。


063
ポポロ広場です。


064
写真右の柱廊がある建物で一休みです。


061


062
ポポロ広場に面して建つPalazzo dei Capitaniです。
(つづく)

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