ドゥオーモのファサードに向かって右側にアッリンゴ宮があります。
1183年、アスコリがコムーネになったことを機に建設されたアッリンゴ宮です。
現在のファサードなどの建物は、1679年から1745年に改造されたものです。
アッリンゴ宮前のGiovanni Jeciniデザインの噴水(1882)
アッリンゴ宮は、市庁舎として使用されてますが、その一部に絵画館が置かれてます。
絵画館の入り口です。
絵画館は、アッリンゴ宮の1階(日本の2階)と2階(日本の3階)にあります。
アスコリ・ピチェーノ市立絵画館の展示ですが、人口五万人弱規模の市立絵画館としては質と量において、イタリアでも特筆される存在でしょう。
現在は写真可となってますが、長らく写真不可でした。実は、アスコリ・ピチェーノに行ったのは三回あり、その都度絵画館に入館しましたが、写真可となってからは一度も訪れたことがないのです。行こう、行こうと思いながらも、ロレンツォ・ロット熱が若干醒めてからは、マルケ州に足を向けることが少なくなっているので、勢いアスコリ・ピチェーノには足が遠のいている次第です。
絵画館の紹介では作品画像等がないと話になりません。仕方がないので、外部サイトから写真を拝借することにしました。
ピエトロ・アレマンノ(オーストリア、1430/1440-アスコリ・ピチェーノ、1498)の「慈悲の聖母のポリッティコ(多翼祭壇画)」(1489)
この絵画館の代表的な作品の一つです。
素晴らしい絵画館です。
展示は14世紀から20世紀の幅広い作品が並んでます。
カルロ・クリヴェッリ(ヴェネツィア、1430-アスコリ・ピチェーノ、1495)の「Secondo Trittico di Valle Castellano」
保存状態があまり良くありませんが、クリヴェッリの傑作の一つでしょう。
この絵画館のシンボルとなってます。
カルロ・クリヴェッリ(ヴェネツィア、1430-アスコリ・ピチェーノ、1495)の「Primo Trittico di Valle Castellano」
詳細不知
詳細不知
詳細不知
グイド・レーニ(ボローニャ、1575-1542)の「受胎告知」(1629)
ルドヴィーコ・トラージ(アスコリ・ピチェーノ、1634-1694)に帰属する「聖母子」(1650-90c)
コーラ・デッラマトリーチェ(アマトリーチェ、1480-アスコリ・ピチェーノ,1547/1559)の「玉座の聖母子と四聖人とピエタの多翼祭壇画」
コーラ・デッラマトリーチェ(アマトリーチェ、1480-アスコリ・ピチェーノ、1547/1559)の「祝福を与えるキリスト」
ピエトロ・アレマンノ(オーストリア,1430/1440-アスコリ・ピチェーノ、1498)の「受胎告知」
ティツィアーノ・ヴェッチェリオ(ピエーヴェ・ディ・カドーレ、1488/1490-ヴェネツィア、1576)の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」(1570c)
ジュゼッペ・カンタラメッサ(アスコリ・ピチェーノ、1846-ローマ、1924)の「Cecco d' Ascoli che tiene una lezioe a Firenze」(1875)
詳細不知
ヴェネト=クレタの逸名画家作「授乳の聖母」
オラツィオ・ディ・フェッラーリ(ヴォルトリ、1606-ジェノヴァ、1657)の「サムソンの捕縛」(1640c)
コーラ・デッラマトリーチェ(アマトリーチェ、1480-アスコリ・ピチェーノ、1547/1559)工房作「慈悲の聖母」(1530-50c)
ジョヴァンニ・アントニオ・ダ・ルーコリ(1491-1539)の「幼きキリストを崇拝する聖母」(1529-32)
オラツィオ・ディ・フェッラーリ(ヴォルトリ、1606-ジェノヴァ、1657)の「イサクの犠牲」(1650-57)
外に出ました。
アッリンゴ宮の中庭です。
この他にもグイド・レーニの「聖セバスティアーノ」、グエルチーノの「キリストの逮捕」、ルカ・ジョルダーノの「聖ジュゼッペの死」、カルロ・マラッタの「クレメンテ9世の肖像」などの傑作があります。
少し疲れました。
(つづく)