イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:マルケ州 > マチェラータ

309
サン・フィリッポ・ネリ教会は未だ扉が開いていなかった。


424
聖職者が扉を開けました。


423
1611年、サン・フィリッポ・ネリ聖職者協会 Padri Filippiniがマチェラータに来訪し、早くも、その2年後に小さな教会が建てられました。
1622年、フィリッポ・ネリが列聖されると、信者が増えたので、1647年に教会は拡張されました。


425
拡張されたものの、直ぐに手狭になったので、17世紀後半に再建することになり、建築家ジョヴァンニ・バッティスタ・コンティ―ニが起用されました。
隣接する修道院は、17世紀末に完成しましたが、教会の方は工事が進まず、コンティ―ニ(モンタルチーノ、1642-ローマ、1723)の設計によって1707年に創建されました。1730年に完成したバロック様式の建物が現在の姿です。


311
教会の後方に隣接して建つPalazzo del Provinciaです。
この建物は、ジョヴァンニ・バッティスタ・コンティ―ニ(モンタルチーノ、1642-ローマ、1723)の設計によって17世紀末に建設されたサン・フィリッポ・ネリ修道院でした。
1799年、ナポレオン軍は、マチェラータに侵攻したのですが、ナポレオン直々にサン・フィリッポ・ネリ教会と修道院の閉鎖が命じられました。その際、不要となった教会修道院の聖具類、絵画、彫刻などがフランスに持ち去られてしまいました。
ナポレオンの失脚後の1820年、教会の方は宗教活動が再開されましたが、修道院の方は一度も再開されることなく、修道院だった建物は様々な用途に転用された後、現在は県当局となってます。


312
旧修道院の建物の紋章


565
ファサードは粗壁のままになってます。


426
中に入りました。


442
単廊式、バロック様式の内部です。翼廊がありません。


441
左右に、それぞれ2つづつの礼拝堂が設けられてます。


443
クーポラ


444
精緻なスタッコ彫刻がバロック様式の内部を引き立てます。


445
18世紀第2四半世紀にマルケ地方で活動したスタッコ彫刻家ジュゼッペ・ピアリーニと彼が率いる工房によって1732年に制作されたスタッコ彫刻です。


446


447


448
ファサード裏にオルガンがあります。


436
主祭壇


435
主祭壇画は、フランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1679-ローマ、1758)の「天上の聖母子と聖フィリッポ・ネリ」(1738)です。
多色大理石に拠る祭壇は、ジュゼッペ・ボネッジ・ダ・トレヴィーゾの作品(1764-70)です。他の礼拝堂の多色大理石による祭壇も同人の作品です。


432
右側壁の礼拝堂です。


430
マルコ・ベネフィアル(ローマ、1684-1764)の「聖母子と聖人たち」


431
その下にある詳細不明の「キリストを抱く聖ジュゼッペ」


438
左側壁礼拝堂の祭壇画は、フランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1679-ローマ、1758)の「磔刑」(1737)


427
右側壁の聖母降誕礼拝堂


429
ジローラモ・ドンニーノ(コッレッジョ、1681-ボローニャ、1743)に帰属する「聖母の誕生」


428
「聖母の誕生」の下にある「聖母子」(詳細不明)


433
フェリーチェ・トレッリ(ヴェローナ、1667-ボローニャ、1748)の「受胎告知」(1729)


434
ガスパーレ・ガスパッリーニ(マチェラータ、?-1590)の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」(1570c)


439
ルドヴィーコ・トラージ(アスコリ・ピチェーノ、1634-1694)の「幼きキリストを抱く聖ガエターノ」


449
逸名画家作「聖母子」(18世紀頃)


440
教会内をもう一度見ました。


451
外に出ました。


452
すっかり夕方になっていました。


453
それでも旧メルカト広場の建物に夕日が当たっていました。


278
城壁外に出ました。


271
夜の街歩きも好きですが急に冷え込んできたので止めました。


267
この日はこれで終わりです。


003
出発の朝を迎えました。


004
この日も青空市の開市が無さそうです。


001
青空市の日は、朝からこのようになります。


005
この日も快晴です。


006
門を潜り城壁外に出てから、駅に向かいました。


007
(おわり)

273
Corso Cairoliを通って駅から旧市街に向かいます。


274
旧市街の入り口前のナザリオ・サウロ広場です。


275
旧市街の入り口たるPorta Mercatoです。


277
写真右の新古典様式の建物は、夏の野外オペラ劇場Sferisterioです。


278
音が風で流れる、歌手がマイクを使う、夏には一流どころが出演しない、例え一流どころが出演しても夏休み中に駆り出されたせいか調子が良くない、と言う理由から夏の野外オペラが嫌いです。
相撲で例えれば、本場所ではなく花相撲みたいなものでしょう。


276
城壁外から見える時計塔


279
Porta Mercato前から見たナザリオ・サウロ広場です。


280
Porta Mercatoを潜りPiazza Mazziniに入りました。


281
現在、売りに出されているUfficio del Territorioです。


282
マッツィーニ広場に面して建つChiesa di Santa Maria del Riposoです。


283
1537年の街の記録に記載されている教会ですが、現在は閉鎖されているようです。


284
この日の午前中は青空市が開市されていました。


285
マッツィーニ広場に面して多くの歴史的建造物が建ってます。


286
階段を上って旧市街の中心に向かいます。


287
午後3時近くなので、辺りはひっそりとしています。


288
写真左はサンタ・マリア・デッラ・ポルタ教会の側壁です。


289
旧市街の中心リベルタ広場にやってきました。


290
リベルタ広場の建物については、(その1)で既に触れました。


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通りの突き当りにサン・ジョヴァンニ参事会教会が写ってます。


299
Corso della Repubblica


561
一旦城壁外に出ます。


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564
城壁内に戻り、フィリッポ・ネリ教会に行きます。


300
フィリッポ・ネリ教会は未だ開いていなかった。


301
扉が開くのは時間の問題と判断して、暫し時間潰し。


302
この道を進めばドゥオーモですが、逆方向に行きました。


303
サン・ジョヴァンニ参事会教会は相変わらず閉まってます。


305
この教会は平日には開かないと観光案内所で聞きました。


306
図書館の建物です。


308
私の場合、イタリアでは図書館で時間潰しは無理です。


307


310
(つづく)

521
カルロ・クリヴェッリ(ヴェネツィア、1430-アスコリ・ピチェーノ、1495)の「マチェラータの聖母」(1470-73)
この博物館を代表する作品です。詳細画面を次に。


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526
ジョヴァンニ・ディ・コッラドゥッチョ・ダ・フォリーニョ通称マッザフォルテ(フォリーニョ、1370c-1440c)に帰属する「聖母子と聖人たち」(1414-15c)
詳細画面を次に。


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530
アンドレア・ボスコーリ(フィレンツェ、1560-1607)の「チントラの聖母と聖ロレンツォと聖トンマーゾと聖フランチェスコ」(1604)


531
見たことがある作品ですが、顔が違うようです。
アンドレア・ポッツィ(ローマ、1777-1837)の「グイド・レーニ作『ベアトリーチェ・チェンチ』の模倣画」(1800-37)
コピー画ならば、顔をもう少し似せて描くでしょう。


532
マルケの逸名画家作「聖ジュリアーノ」(17世紀後半)


533
逸名画家作「ロレートの聖母」(1590-1610c)


534
逸名画家作「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」(16世紀)


535
逸名画家作「悔悛のマッダレーナ」(17世紀前半)


536
逸名画家作「キリストの鞭打ち」(17世紀)


537
逸名画家作「戦士、女性、老人がいる風景」(18世紀)


538
逸名画家作「聖フランチェスコ」(17世紀前半)


539
ジュゼッペ・チェーザリ通称カヴァリエール・ダルピーノ(アルピーノ、1568-ローマ、1640)の「聖セバスティアーノ」(1630-35c)


540
カルロ・ドルチ(フィレンツェ、1616-1686)に帰属する「涙の聖母」


541
カルロ・マラッタ(カメラーノ、1625-ローマ、1713)の「自画像」


542
チャールズ・メリン(ナンシー、1597-ローマ、1649)に帰属する「三人の男」(17世紀前半)


543
クリスチャン・べレンツ(ハンブルク、1658-ローマ、1722)に帰属する「果実の静物画」


544
アントニオ・ピア―ニ(マチェラータ、1747-1825)の「羊飼いの礼拝」(18世紀後半)


545
ドメニコ・コルヴィ(ヴィテルボ、1721-ローマ、1803)の「三位一体と聖ベネデットと聖スコラスティカ」(1783)


546
フェデリーコ・ツッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1539-アンコーナ、1609)の「モーゼに扮したミケランジェロの肖像」(1593c)


547
フェデリーコ・ツッカリ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1539-アンコーナ、1609)の「イザヤの扮したラッファエッロの肖像」


548
フランチェスコ・ボニフォルティ(マチェラータ、1594-1671)の「天使によって悼まれたキリスト」(17世紀第2四半世紀)


549
フランチェスコ・ポデスティ(アンコーナ、1800-ローマ、1895)の「アントニオ・ボンフィーリの肖像」


550
フランチェスコ・ソリメーナ(カナレ・ディ・セリーノ、1657-ナポリ、1747)の「洞窟に向かうエネアとディドーネ」(1700-40c)


551
ガスパーレ・ガスパッリーニ(マチェラータ、?-1590)の「聖母子とパドヴァの聖アントニオ」(1584)


552
ジョヴァン・バッティスタ・ベイナスキ(トリノ、1636-ナポリ、1688)の「時の寓意」(1675-80)


553
クロード・ジョセフ・ヴェルネ(アヴィニョン、1714-パリ、1789)の「漁民と海」(1750-90c)


554
市の塔の時計のからくり人形(1569-70c)


555
現代絵画の展示も充実してます。
地元出身の画家グアルティエーロ・べインズ(マチェラータ、1856-フィレンツェ、1938)の作品を紹介して終わりにします。
グアルティエーロ・べインズ(マチェラータ、1856-フィレンツェ、1938)の「フィレンツェのヴィッラ・プッチの門」(1905)


556
グアルティエーロ・べインズ(マチェラータ、1856-フィレンツェ、1938)の「フィレンツェのダヴァンツァ―ティ広場の古い家」(1890-1905c)


557
グアルティエーロ・べインズ(マチェラータ、1856-フィレンツェ、1938)の「フィエゾレのサンドリーニ通り」(1903)


558
グアルティエーロ・べインズ(マチェラータ、1856-フィレンツェ、1938)の「フィレンツェのマリ通り近くの家」(1903)


559
グアルティエーロ・べインズ(マチェラータ、1856-フィレンツェ、1938)の「若い女性の庭」(1903)


560
グアルティエーロ・べインズ(マチェラータ、1856-フィレンツェ、1938)の「フィレンツェのマリア家の庭」(1905)
(つづく)(マチェラータ市立博物館の項:おわり)

378
フランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1679-ローマ、1758)の「異教徒を全滅させる教会」


487


379
ジュゼッペ・ガンバリーニ(ボローニャ、1680-カザレッキオ・ディ・レノ、1725)の「金色の茎を撮るエネア」


488


380
ニッコロ・リッチョリーニ(ローマ、1687-1772)の「プットたち」


489


382
ニコロ・バンビーニ通称カヴァリエール・バンビーニ(ヴェネツィア、1651-1736)の「トロイの崩壊をディドーネに話すエネア」


490


383
ルイージ・ガルツィ(ピストイア、1638-ローマ、1721)の「鍛冶するウルカヌスとヴィーナス」


491


384
パオロ・デ・マティス(ピアーノ・ヴェトラレ、1662-ナポリ、1728)の「エネアに鎧を差し出すヴィーナス」


492


385
ジャコモ・デル・ポー(パレルモ、1654-ナポリ、1726)の「Il Duo Tevere」


494


495
ニッコロ・リッチョリーニ(ローマ、1687-1772)の「プットたち」


496
ミケーレ・ロッカ通称イル・パルミジャーノ(パルマ、1671-ヴェネツィア、1751)の「処女の殉教」(1700-50c)
パルミジャニーノと混同してはいけません。


497
マチェラータの逸名画家作「マチェラータ有力者の紋章?」(17世紀)


498
サンティ・ディ・ティート(ボルゴ・サン・セポルクロ、1536-フィレンツェ、1603)の「若い男の肖像」


499
シピオーネ・プルツォーネ(ガエータ、1540/1542c-ローマ、1598)の「アレッサンドロ3世・ファルネーゼ枢機卿の肖像」(1579)


500
ジョヴァンニ・バッティスタ・サルヴィ通称イル・サッソフェッラート(サッソフェッラート、1609-ローマ、1685)の「祈る聖母」


501
アレッサンドロ・トゥルキ通称ロルベット(オルベット)(ヴェローナ、1578-ローマ、1649)の「獄中の聖アガタを訪ねる聖ピエトロと天使」(1616-18)


502
17世紀のフランドルの逸名画家作「牧歌的な光景」


503
17世紀のエミリアの逸名画家作「聖ピエトロ」


504
17世紀のエミリアの逸名画家作「使徒の頭」


505
ピエル・レオーネ・ゲッツィ(ローマ、1674-1755)の「ガブリエーレ・フィリップッチ枢機卿の肖像」(1706)


506
マルコ・ベネフィアル(ローマ、1684-1764)に帰属する「若い女性の肖像」


507
マルコ・ベネフィアル(ローマ、1684-1764)に帰属する「年配の女性の肖像」


508
マルコ・ベネフィアル(ローマ、1684-1764)に帰属する「若い女性の肖像」


509
マルケの逸名工芸家作「壺」(1492以前)


510
マルケの逸名工芸家作「聖ジュリアーノの壺」(1492以前)


511
中央イタリアの逸名画家作「若い男の肖像」(1600-15)


512
ヤン・フランス・ヴァン・ブロウメン(アントウェルペン、1662-ローマ、1749)の「滝のある風景」(1690-1730)


513
ルカ・ジョルダーノ(ナポリ、1634-1705)の「聖家族と天使たち」


514
ヨアヒム・フォン・サンドラート(フランクフルト・アム・マイン、1606-ニュルンベルク、1688)の「修道院長の肖像」


515
ジョヴァンニ・ベネデット・カスティリオーネ通称イル・グレチェット(ジェノヴァ、1609-マントヴァ、1664)の「アッシジの聖フランチェスコ」


516
フィレンツェの逸名画家作「女性の肖像」(16世紀)


517
逸名画家作「若い男の肖像」(17世紀)


518
アントニオ・モル(ユトレヒト、1519-アントウェルペン、1577)の「アレッサンドロ3世・ファルネーゼの肖像」


519
フェデーレ・ビアンキ―ニ(マチェラータ、1790-1857)の「Signor Mazzaliの彫像」(1857)


520
フェデーレ・ビアンキ―ニ(マチェラータ、1790-1857)の「Signor Mazzaliの彫像」(1857)
(つづく)

458
次の部屋です。


459
Sala dell' Eneideです。


392
絵画が展示されてます。


386
天井のフレスコ画を見ます。


387
フレスコ画のテーマは「バッカスとアリアドネの結婚」です。


388
制作したのは、ミケランジェロ・リッチョリーニ(ローマ、1654-フラスカーティ、1715)とその息子ニッコロ・リッチョリーニ(ローマ、1687-1772)の二人です。1700年から1710年頃に制作されたフレスコ画です。


389


390


464
細部を見ます。


465
メルクリオ


466


467
クロノス


468
ジュピターとユピテル


469
ガニメデ


470
バッカスの法廷と巫女


471


472
へーべー(ゼウスとエラの娘)


473
ファーマ


474
サティーロたちと巫女


475


476


477


478


479
天井のフレスコ画を終わります。


393
壁に展示されている作品を見ます。


363
ジョヴァンニ・ジョゼッフォ・ダル・ソーレ(ボローニャ、1654-1719)の「エネアとアスカニオの邂逅」


480


366
マルカントニオ・フランチェスキーニ(ボローニャ、1648-1729)の「メルクリオとエネア」


481



368
ニッコロ・リッチョリーニ(ローマ、1687-1772)の「プットたち」


482



370
グレゴリオ・ラッザリーニ(ヴェネツィア、1657-バディア・ポレージネ、1730)の「ディドーネ(Tiroの王女)の死」


483


372
ニッコロ・リッチョリーニ(ローマ、1687-1772)の「プットたち」


484


374
グレゴリオ・ラッザリーニ(ヴェネツィア、1657-バディア・ポレージネ、1730)の「エネアのメセンツィオの戦い」


485



375
ジョヴァンニ・ジョルジの「トロイからのエネアの逃亡」


486


377
アントニオ・バレストラ(ヴェローナ、1666-1740)の「エネアとアカーテ(エネアの親友)とヴィーナス」


493
(つづく)

323
ドン・ミンツォーニ通りに面して建つブオナッコルシ宮です。


324
ブオナッコルシ宮が建っている場所は、中世の頃の城壁間近の城壁内でした。


454
1652年、ブオナッコルシ家はマチェラータの有力者として公式に認められましたが、1701年、当時の同家当主シモーネ・ブオナッコルシ(?、?-マチェラータ、1708)は、第243代教皇クレメンテ11世(ウルビーノ、1649-ローマ、1721 教皇在位:1700-1721)から伯爵に叙せられました。シモーネは、伯爵として相応しい住居を建設することにしたのです。


325
シモーネは、ベルニーニの弟子ジョヴァン・バッティスタ・コンティ―ニ(ローマ、1642-1723)に対して、この場所にあった古い家を合体させた新しい住居の建設を注文して、1718年に完成したのがブオナッコルシ宮です。シモーネは、新しい住居の完成を見ずに没してしまいましたが、住居建設はシモーネの子供たちに引き継がれ、無事に完成を迎えました。


326
ブオナッコルシ宮は市立博物館として一般公開されてます。


327
毎週月曜日が休館日となってます。
1967年、パラッツォの維持管理に費用が掛かり、家族が使用するには広大過ぎたので、ブオナッコルシ家は、パラッツォを市当局に売却しました。
マチェラータ市は、宮殿の修復後、美術アカデミーの本拠地として使用を開始して、それが1997年まで続きました。
現在は、馬事博物館と古代と現代美術品を展示する市立博物館として一般公開されてます。


328
先ず中庭に向かいます。


329
中庭とそれに続く建物は、1718年にルドヴィーコ・グレゴリーニ(ローマ、1661-1723)によって建設されました。


330
中庭の彫刻は、ジョヴァンニ・ボナッツァ(ヴェネツィア、1654-パドヴァ、1736)の作品です。


331


332
中庭から見たパラッツォです。


333


334
植木鉢は、アントニオ・ベルッチ(ピエーヴェ・ディ・ソリーゴ、1654-1726)の作品です。


455
博物館に入館します。


335
最初は馬事博物館です。


336
馬事博物館というと、まず頭に浮かぶのはピアチェンツァ・ファルネーゼ宮のピアチェンツァ市立美術館でしょう。


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350
詳細不明です。
パラッツォ内の各部屋の装飾やフレスコ画を見て行きます。


456
バロック調、ロココ調の部屋の装飾が続きます。部屋によって装飾のトーンが異なります。


351
天井の装飾です。


352
華美なスタッコ彫刻


353
フレスコによる装飾


356
カルロ・アントニオ・ランバルディ(ボローニャ、1680-1717)の「聖ドメニコと聖フランチェスコ」(1716)


462


463
逸名彫刻家作「聖母子」(17世紀)


357
天井のフレスコ画「永遠の父なる神」


461


457
次の部屋です。


358
天井の装飾


359
(つづく)

321
サン・ヴィンチェンツォ・マリア・ストランビ広場に面して、ドゥオーモと共に建っているのがサンタ・マリア・デッラ・ミゼリコルディア聖堂です。


320
10世紀頃、既に、この地に聖母信仰の小さな祠がありました。後世に造られた、その祠が聖堂横にあります。


145
これが祠です。壁の横に「慈悲の聖母」のテラコッタがあります。


146
慈悲の聖母のテラコッタ


318
15世紀中頃、マチェラータを荒廃させたペスト禍の平癒を願う市の投票が行われ、教会の建設が決まり、祠があった場所に1447年に小さな教会が建設されましたが、それが前身です。
しかし、最初の建物は小さ過ぎたので、1497年に拡大再建されました。


319
18世紀になると、1497年に再建された建物は老朽化が顕著となったので、それを取り壊し、その上に新しい建物が再建されることになりました。そうして、建築家ルイージ・ヴァンヴィテッリ(ナポリ、1700-カゼルタ、1773)に建設が委嘱され、ルイージの設計によって1736年から1741年に建設された建物が現在の姿の原形となってます。


230
1799年7月、イタリアに侵攻してきたフランス軍兵士によって、教会にあった宝物が略奪されるとともに、機関銃で建物、彫刻などが破壊されるなど大きな被害を受けました。その後、大修復工事が行われました。


138
現在のファサードは、ジュゼッペ・ロッシ(フェルモ、1851-マチェラータ、1933)の設計によって1893年に改築されたものです。


143


231
聖堂内に入りました。


256
祭壇画の「慈悲の聖母」が違うようです。この時は、どうも複製画が入っていた?


287
お分かりになりますか?


288
これが本物、従来の祭壇画です。
16世紀の逸名画家の作品です。


232
主祭壇の左右の壁に、それぞれ2枚の楕円形の作品があります。全部で4点ありますが、全てフランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1679-ローマ、1758)によって、1735年頃に制作されました。
これは受胎告知です。


289
フランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1679-ローマ、1758)の「受胎告知」(1735c)


233
聖母の神殿奉献


290
フランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1679-ローマ、1758)の「聖母の神殿奉献」(1735c)


237
ご訪問


291
フランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1679-ローマ、1758)の「ご訪問」(1735c)


238
キリストの神殿奉献


292
フランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1679-ローマ、1758)の「キリストの神殿奉献」(1735c)


234
天井のフレスコ画もフランチェスコ・マンチーニによって制作されました。


293
フランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1679-ローマ、1758)の聖母被昇天」


259
左右の側壁上部にセバスティアーノ・コンカの作品があります。
こちらは聖母の誕生です。


294
セバスティアーノ・コンカ(ガエータ、1680-ナポリ、1764)の「聖母の誕生」(1741)


258
こちらは無原罪の御宿リです。


295
セバスティアーノ・コンカ(ガエータ、1680-ナポリ、1764)の「無原罪の御宿リ」(1741)


296
クーポラ


243
祭壇横に通路があり、進めるようになってます。


244
クリプタのように見えますが、主祭壇と同じフロア、同じ高さにあります。


245
こちらの方が主祭壇よりも大きい。


246
しかし、祭壇には行けないようになっていました。


247
主祭壇裏の礼拝堂のステンドグラス


248


249
さらに先に行くことが出来ます。側壁に絵画があります。


250
磔刑


251
一周して主祭壇に戻るようになっていました。


252
主祭壇に戻ってきました。


253
見所は、フランチェスコ・マンチーニとセバスティアーノ・コンカの作品でしょう。


136
外に出ました。


322
次はMuseo Civicoです。
(つづく)

144
旧市街東端にあるストランビ広場です。広場に面してサンタ・マリア・デッラ・ミゼリコルディア聖堂(写真左)とドゥオーモが建ってます。


198
マチェラータのドゥオーモ、サン・ジュリアーノ大聖堂です。
マチェラータ₌トレンティーノ₌レカナーティ₌チンゴリ₌トレイア合区司教区の司教座が置かれてます。


199
現在、ドゥオーモが建っている場所に、10世紀末に創建され、1022年に完成したロマネスク様式の小さなサン・ジュリアーノ教会が前身です。


314
翌日は快晴になりましたが、快晴の日に撮った写真です。


316
11世紀には教区教会となり、1320年に司教座教会に格上げされました。
ロマネスク様式の最初の建物は、司教座教会としては手狭だったので、再建されることになりました。
14世紀にゴシック様式の二代目の建物が再建されました。1459年から1464年にルネサンス様式に改造されました。1478年に鐘楼が完成しましたが、それを以って二代目の建物が完成しました。


279
16世紀、17世紀、18世紀に起きた地震によって建物が徐々に劣化したので、18世紀に三代目となる建物が建設されることになり、建築家コジモ・モレッリ(イーモラ、1732-1812)の設計によって1771年から1790年に完成した新古典様式の建物が現在の姿です。
資金難のため、ファサードは未完成のまま現在に至ってます。


317
ヴェネツィア出身の建築家マリーノ・ディ・マルコ・チェドリーノ別称マリーノ・チェドリーニの設計によって1467年から1478年に建設された鐘楼は、二代目の建物のもので、現在もそのまま使用されてます。
なお、マリーノは、リミニ出身の建築家マルコ・チェリーノの弟子でした。


394
聖堂内に入りました。


419
三廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


203
コリント式円柱が印象に残ります。


418
左右の側廊に5つづつの礼拝堂が設けられてます。


282
中央通路


421
天井フレスコ装飾は、チーロ・パヴィーザ(モンバロッチョ、1890-ペーザロ、1972)によるものです。


413
チーロ・パヴィーザの前にはカヴァリエール・ダルピーノのフレスコ画があったという説があります。


422
クーポラとPresbiterioにもフレスコ画があります。


412
チーロ・パヴィーザ(モンバロッチョ、1890-ペーザロ、1972)の「聖母被昇天」(1924-37)


211
クーポラのフレスコ画は、シルヴィオ・ガリンベルティ(ローマ、1869-1956)の「神学的美徳と宗教の人格化」(1938)
礼拝堂の祭壇画を見て回ります。


395
ジョヴァンニ・バリオーネ(ローマ、1566-1643)の「天国のカギを聖ピエトロに託すキリスト」


396
アンドレア・ボスコーリ(フィレンツェ、1560-1607)の「天上の聖母子と聖アンドレアと聖セバスティアーノ」


397
二番目の建物にあった作品です。


281
外部サイトから拝借した鮮明な作品画像


401
ヴィンチェンツォ・マルティーニの「聖カルロ・ボッロメオ」(1790)


403
ジョヴァンニ・バッティスタ・カランドラ(ヴェルチェッリ、1568-ローマ、1644)の「大天使聖ミケーレのモザイク」(1628)


219
大天使聖ミケーレのモザイクは、ヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂にありましたが、1771年にマチェラータに寄贈されたものです。


405
16世紀の逸名画家作「天上の聖母子と聖ジュリアーノとパドヴァの聖アントニオ」


212


213
アレグレット・ヌーツィ・ダ・ファブリアーノ(ファブリアーノ、1315c-1373)の「玉座の聖母子と聖ジュリアーノと聖アントニオ・アバーテ」(1369)


280
ドゥオーモの祭壇画の中では、最高の傑作と思います。


285
トリッティコの中央パネル


284
聖アントニオ・アバーテ


286
聖ジュリアーノ


409
フィリッポ・ベッリーニ(ウルビーノ、1550-マチェラータ、1604)の「最後の晩餐」(1604)


410
フィリッポ・ベッリーニ(ウルビーノ、1550-マチェラータ、1604)の「エマオの晩餐」(1602)


411
クリストフォロ・ウンターベルガー(カヴァレーゼ、1732-ローマ、1798)の「聖母子にマチェラータの守護を祈願する聖ジュリアーノ」(1786)


414
18世紀の逸名画家作「無原罪の御宿リ」


206
ピエトロ・テデスキ(ペーザロ、1750?-ローマ、1808以降没)の「三位一体と聖ベルナルディーノとサレスの聖フランチェスコ」


210
チーロ・パヴィーザの作品


229
左側廊


228
右側廊


200
もう一度聖堂内を見てから外に出ました。
(つづく)(ドゥオーモは終わりです)

157
城壁に向こうにサン・ミケーレ教会が見えました。


161
平日に開かないサン・ミケーレ教会なので、近付くのを止めました。


162
小雨模様で寒いので、城壁外を早々に切り上げます。


163
城壁内に戻りました。


164
幸いにも雨が止みました。


165
アントニオ・グラムシ通りです。


166
ジョヴァンニ・マリア・クレシンベーニ通りです。


168
Palazzo Floriani Carradoriです。


170
サン・セヴェリーノ・マルケの大商人アレッサンドロ・フロリア―ニが1531年から1539年に建設した邸宅です。


169
ペッレグリーノ・ペッレグリーニ通称ペッレグリーノ・ティバルディ(ヴァルソルダ1527-ミラノ、1596)が設計したとされてます。
若し、そうだとすれば、創建年とされている1531年には、ペッレグリーノ・ティバルディは僅か4歳であり、完成した1539年には12歳ですから、何となく辻褄が合わない気がします。


171
1640年に改装され、18世紀後半に現在の姿に改造されました。


172
1811年、フロリア―ニ家がこの邸宅を売却しました。その後、所有者が三度変わりました。


173
20世紀初め、Palazzo Floriani Carradoriを解体して、現在、建っている場所に郵便局を新築する計画が出されました。
1913年、郵便局は他の場所に建設されることになり、解体案が放棄されました。その後、大掛かりな修復作業が行われました。


174
ここは街の西に当たります。


175
道を下って、西側の城壁に向かいました。


176旧市街の西側の入り口モンターナ門を目指しました。


177
コンベット通りです。


178
人通りがなく静寂に包まれていました。


179
モンターナ門です。


180
モンターナ門の前に学校があります。


181
モンターナ門を潜って城壁外に出ました。城壁外から見たモンターナ門です。


182
モンターナ門は、コンベット門とも呼ばれてます。門が築かれた当初は、Porta di Santa Maddalenaと名付けられていました。


183
モンターナ門付近は城壁が残されてます。


184
城壁と一体化した建物が建ち並んでます。


185
城壁沿いのトリエステ通りです。


186
トリエステ通りから見えた景観です。


187
教会の建物です。


189
展示場となっている教会だった建物のようです。


188
旧教会の名称が分かりません。


190
遠くサンティッシモ・サクラメント参事会教会が見えました。


191
再び城壁内に戻りました。


192
サン・フィリッポ教会の扉が開く時間です。


193
扉が開いてました。中に入ると、葬儀の準備中でした。葬儀を邪魔するわけにはいかないので、拝観は後程。


194
次はMuseo Civicoです。


266
マッツィーニ広場に来てしまいました。どうやら道を間違えたようです。


265
市立美術館はドゥオーモの手前にあります。


264
適当に見当を付けて歩いても大丈夫と楽観視してました。


263
道を下ります。


195
ガックリ、何故か扉が閉まっています。


197
18世紀初めに建設されたPalazzo Buonaccorsiです。


196
翌日には必ず開館することが分かったので、一安心でした。
(つづく)

109
雨が強くなってきたので、柱廊で雨宿り。しかし、幸いにも直ぐに小降りになりました。


108
サン・フィリッポ教会です。


110
ファサードは未完成で、粗壁のままになってます。


115
サン・フィリッポ教会の拝観は後程。


114
観光案内所で、この街で平日に開く教会は3つと確認しましたが、サン・フィリッポ教会はそのうちの一つです。


112
振り返るとサン・ジョヴァンニ参事会教会が見えました。


111
Corso della Repubblica


113
サン・フィリッポ教会の左側の側壁を通り過ぎ、共和国大通りを進みます。


116
写真右は県庁舎です。


117
Palazzo degli Studiです。


118
この建物は2つの通りに面して建ってます。


119
Vicolo della Rota


120
Corso della Repubblica


121
観光案内所で入手出来る地図は大変詳しいもので、街歩きに大いに役立ちます。


122
裏通りを進みます。


123
次はマチェラータ大学です。


124
マチェラータ大学の学舎は、市内数か所に分散してますが、これから行くのは、そのオリジナルとされている学舎です。


125
マチェラータ大学です。


127
マチェラータ大学は、ヨーロッパで最古の大学の一つで、1290年に遡ります。


126
学舎のロッジャに入りました。


128


129


130
ロッジャから外に出ます。


131
外に出ると旧サン・パオロ修道院の建物が聳えてます。


132
次はドゥオーモですが、この時間は閉まってます。通りの突き当りにに姿を現している建物がドゥオーモです。


134
通りの両端に古い建物が建ち並んでます。


135
ドゥオーモです。この時間は昼休みなので、後で拝観します。


136
ドゥオーモと同じ広場に面して建つサンタ・マリア・デッラ・ミゼリコルディア教会です。この街で平日に開く教会3つのうちの一つです。あとで拝観します。


141
Palazzo Buonaccorsi


147
司教館の入り口です。


148
城壁に向かいます。


149
道を下ります。この辺は街の東端に当たります。


151
サン・ジュリアーノ門です。


152
門は閉鎖されて使用されてません。城壁が取り壊され、車通行のため道路が造られました。


156
城壁外に出ました。


153
城壁を出た所に街の案内板があります。


150
城壁が取り囲む旧市街は高台にあります。


154
天気が良ければ、景観が楽しめます。


155
風が少しあって寒さが気になりました。


158


159
(つづく)

048
県庁舎 Palazzo del Covernoです。


050
Palazzo del Covernoはリベルタ広場の北側にあります。


051
13世紀終わりに建設されたプリオリ宮とポデスタ宮の2つの建物を15世紀終わりに統合させて一つの建物にしたものです。


049
15世紀終わりに出来たPalazzo del Covernoは、教皇庁の住居として使用され、枢機卿が住んでいました。20世紀から県庁舎になってます。


069
アントニオ・グラムシ通りです。


070
20世紀前半に建設された、ネオ・ルネサンス様式のPalazzo degli Studiです。


072
この場所には古い修道院がありましたが、それが取り壊されて新たに建設されました。


071
建設の目的は、県内学校の本拠地でしたが、第二次世界大戦後県庁舎になり、一部は県知事公邸になっているようです。


073
Palazzo De Vicoです。


074
地元出身の著名な法学者マッテオ・デ・ヴィーコが16世紀初めに建設しました。1795年に現在の姿に改造されました。


075
この近辺では新しい建物です。


076
チェーザレ・バッティスティ広場です。


077
塔のような建物です。


078
16世紀に建設されたCasa Ulissiです。


079
Play Boyの建物?(入り口扉に書いてありました)


080
狭い通りの建物を丹念に見て歩きました。


081
ジャコモ・マッテオッティ通りの柱廊です。


082
ディアマンティ宮です。フェッラーラの国立絵画館となっているディアマンティ宮にそっくりです。


083
フェッラーラのシジスモンド・デステ侯爵(フェッラーラ、1433-ローマ、1507)(ニッコロ3世・デステ公爵の息子)が、フェッラーラのディアマンティ宮をモデルにして、1493年から1503年に建設させました。


084
ディアマンティ宮の中に入ってみました。


085


086
何の紋章でしょうか?


087
ディアマンティ宮は売りに出されて、5つ星ホテルになるという話がありましたが、コロナ禍の影響で、その計画は進んでいないようです。


088
小道のアーチを潜ります。


089
壁に書かれた数字は番地のようです?


090
Palazzo Costaです。


092
地元の貴族ベネデット・コスタが1754年に建設したPalazzo Costaです。


091
新古典様式のファサードのPalazzo Costaです。


093
16世紀中頃に建設されたPalazzo Ciccoliniです。


094
Palazzo Ciccoliniの設計者は、ペッレグリーノ・ペッレグリーニ通称ペッレグリーノ・ティバルディ(ヴァルソルダ、1527-ミラノ、1596)に帰属すると言われてます。


096
グリエルモ・オベルダ広場です。写真右の建物はPalazzo Ciccoliniです。


095
郵便局の建物です。


100
絵画館があります。


098
絵画館が置かれているPalazzo Ricciです。


099
この場所に16世紀後半に建設されたリッチ家邸宅がありましたが、アントニオ・リッチ侯爵が1764年から1772年に再建した建物が現在の姿です。


097
19世紀の絵画作品を展示する絵画館となってます。


102
ヴィットリオ・ヴェネト広場に面して建つサン・ジョヴァンニ参事会教会です。


103
1625年、イエズス会によって建設されたバロック様式の教会です。


107
ファサードにイエズス会の紋章があります。


106
2016年の地震によって大きな被害を受け、立ち入りが危険と判断され閉鎖中です。


101
修復工事が2021年完了とされてますが、工事が遅れ気味なので、どうでしょうか?


104
ヴィットリ・ヴェネト広場です。


105
(つづく)

026
普通列車に乗車してマチェラータ駅に向かいます。
コロナ禍プラス体調のせいで、大好きなイタリアとご無沙汰が続いてますが、このところ急速にイタリア熱が冷めているのを実感してます。


008
マチェラータ駅に到着しました。


275
マチェラータは、人口41,010人(2020年4月30日現在)のマルケ州マチェラータ県の県都です。


277
駅のホームからサンティッシモ・サクラメント教区教会が見えます。カプチン会によって1540年に建設されました。


274
マチェラータ駅の駅舎です。


272
駅前から旧市街が見えます。この日のお宿は城壁内にあります。


273
駅前にタクシーが常駐しています。疲れ気味だったので、タクシーでホテルに向かいました。


027
この日のお宿です。


028
チェックインを済ませてから直ぐに外出しました。
城壁内のPorta Mercatoが写ってます。


029
マッツイーニ広場です。


031
広い広場です。中世の頃から市場広場です。


030
青空市が立たない日は、広場は閑散としてます。


032
写真左の建物は、Ufficio del Territorioです。


033
現在、建物は売りに出されているようです。


034
この日の夕食をここで食べることにして、予約しました。


035
ラウロ・ロッシ通りです。


036
先ずサンタ・マリア・デッラ・ポルタ教会に向かいます。


037
上り下りがある道です。


039
マチェラータは、ルネサンス、バロックの建物で溢れてます。


038
ラウロ・ロッシ広場です。


040
サンタ・マリア・デッラ・ポルタ教会です。その歴史は古く10世紀に遡るゴシック様式、ルネサンス様式の建物です。


041
その後、修復、改造されました。


042
2016年と2017年に起きた地震によって被害を受け、現在は閉鎖されてます。


043
坂道を上ってリベルタ広場に向かいます。


044
リベルタ広場です。広場に面して、街の重要な建物が建ってます。


045
市の塔です。高さが62メートルあります。
1492年に創建され、17世紀後半に完成しました。


047
リベルタ広場が街の中心でしょう。


046
市庁舎 Palazzo del Comuneです。
大学本部の建物として1606年に建設されましたが、1665年に市庁舎となり、現在に至ってます。


058
1810年に一部再建されました。


060


059
ロッジャから中庭に入ります。


061
市庁舎の中庭です。


062
噴水


063


064


065
ローマ時代の発掘物があります。


066


067


068
市庁舎からリベルタ広場に出ました。


052
リベルタ広場に面して建つサン・パオロ教会です。


053
1623年から1655年に建設されました。


054
19世紀に宗教活動を停止した旧教会です。
教会の建物は、第一次世界大戦では穀物倉庫、第二次世界大戦中には金庫として使用されましたが。1960年から大学となってます。


055
教会横の大学の入り口です。


057
(つづく)

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