
サン・フィリッポ・ネリ教会は未だ扉が開いていなかった。

聖職者が扉を開けました。

1611年、サン・フィリッポ・ネリ聖職者協会 Padri Filippiniがマチェラータに来訪し、早くも、その2年後に小さな教会が建てられました。
1622年、フィリッポ・ネリが列聖されると、信者が増えたので、1647年に教会は拡張されました。

拡張されたものの、直ぐに手狭になったので、17世紀後半に再建することになり、建築家ジョヴァンニ・バッティスタ・コンティ―ニが起用されました。
隣接する修道院は、17世紀末に完成しましたが、教会の方は工事が進まず、コンティ―ニ(モンタルチーノ、1642-ローマ、1723)の設計によって1707年に創建されました。1730年に完成したバロック様式の建物が現在の姿です。

教会の後方に隣接して建つPalazzo del Provinciaです。
この建物は、ジョヴァンニ・バッティスタ・コンティ―ニ(モンタルチーノ、1642-ローマ、1723)の設計によって17世紀末に建設されたサン・フィリッポ・ネリ修道院でした。
1799年、ナポレオン軍は、マチェラータに侵攻したのですが、ナポレオン直々にサン・フィリッポ・ネリ教会と修道院の閉鎖が命じられました。その際、不要となった教会修道院の聖具類、絵画、彫刻などがフランスに持ち去られてしまいました。
ナポレオンの失脚後の1820年、教会の方は宗教活動が再開されましたが、修道院の方は一度も再開されることなく、修道院だった建物は様々な用途に転用された後、現在は県当局となってます。

旧修道院の建物の紋章

ファサードは粗壁のままになってます。

中に入りました。

単廊式、バロック様式の内部です。翼廊がありません。

左右に、それぞれ2つづつの礼拝堂が設けられてます。

クーポラ

精緻なスタッコ彫刻がバロック様式の内部を引き立てます。

18世紀第2四半世紀にマルケ地方で活動したスタッコ彫刻家ジュゼッペ・ピアリーニと彼が率いる工房によって1732年に制作されたスタッコ彫刻です。



ファサード裏にオルガンがあります。

主祭壇

主祭壇画は、フランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1679-ローマ、1758)の「天上の聖母子と聖フィリッポ・ネリ」(1738)です。
多色大理石に拠る祭壇は、ジュゼッペ・ボネッジ・ダ・トレヴィーゾの作品(1764-70)です。他の礼拝堂の多色大理石による祭壇も同人の作品です。

右側壁の礼拝堂です。

マルコ・ベネフィアル(ローマ、1684-1764)の「聖母子と聖人たち」

その下にある詳細不明の「キリストを抱く聖ジュゼッペ」

左側壁礼拝堂の祭壇画は、フランチェスコ・マンチーニ(サンタンジェロ・イン・ヴァード、1679-ローマ、1758)の「磔刑」(1737)

右側壁の聖母降誕礼拝堂

ジローラモ・ドンニーノ(コッレッジョ、1681-ボローニャ、1743)に帰属する「聖母の誕生」

「聖母の誕生」の下にある「聖母子」(詳細不明)

フェリーチェ・トレッリ(ヴェローナ、1667-ボローニャ、1748)の「受胎告知」(1729)

ガスパーレ・ガスパッリーニ(マチェラータ、?-1590)の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」(1570c)

ルドヴィーコ・トラージ(アスコリ・ピチェーノ、1634-1694)の「幼きキリストを抱く聖ガエターノ」

逸名画家作「聖母子」(18世紀頃)

教会内をもう一度見ました。

外に出ました。

すっかり夕方になっていました。

それでも旧メルカト広場の建物に夕日が当たっていました。

城壁外に出ました。

夜の街歩きも好きですが急に冷え込んできたので止めました。

この日はこれで終わりです。

出発の朝を迎えました。

この日も青空市の開市が無さそうです。

青空市の日は、朝からこのようになります。

この日も快晴です。

門を潜り城壁外に出てから、駅に向かいました。

(おわり)