イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:ピエモンテ州 > ブラ

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ブラの見所は大体行ったようです。


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しかし、ブラにはもう一か所見所があるのです。


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それはブラの分離集落 Frazioneであるポッレンツォです。


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バスがありますが、バスの便があまり良くないので、タクシーで行くことにしました。


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サンタンドレア・アポストロ教区教会の後陣です。
ホテルにタクシーが来ることになってます。


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Via Valfre


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Via Barbacana


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ポッレンツォは、紀元前2世紀に築かれた古代ローマの都市で、ブラよりも歴史があります。


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サンタンドレア・アポストロ教区教会の側壁前から、サンタ・キアラ教会から通って来た道を振り返った写真です。


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ポッレンツォは、ブラの中心街から4kmほどの東方にあります。


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タクシーで往復一時間で行くのです。


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遺跡、城、教会、城にある大学の4箇所が見所です。


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遺跡は城近くにあります。見所4箇所は城にあるので、あちこち歩く必要がありません。


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この門からポッレンツォの中心広場に入ります。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世広場です。


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城です。1238年以前に建設されました。


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現在の城の外観は、1838年に行われた大改修工事後のものです。


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よく見ると新しい建物であることが分かります。


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城の横に立つサン・ヴィットーレ教会です。


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大学 Universita Scienze Gastronomicheです。


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この大学はスローフード運動支援を行ってます。


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ポッレンツォでタクシー運転手に待ってもらい、約束の1時間以内で広場に戻ってくることが出来ました。


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午後5時過ぎです。


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あちこち動いて流石に疲れました。


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でも未だやるべきことが一つ残ってます。


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スローフードのお店を見つけることです。


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実は、その店がある場所を知っていたのです。


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タクシーを乗るためにホテルに戻った時に、その場所を聞いたのです。


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初めから聞くべきだったのです。後悔しきり。


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観光案内所に行った時に聞いておけば苦労しなかったのです。


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カタツムリのマークがあります。


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午後5時過ぎでしたが、営業しているようには見えませんでした。どうも訳が分からない。


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翌朝です。


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チェックアウト後、駅に向かいました。


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朝霧の中のサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会です。


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午前8時です。


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ガリバルディ通り


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カヴール通り?


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サン・ロッコ教会


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駅前広場


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駅に到着しました。


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次の目的地に向かいました。
(ブラ編 終わり)

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Via Fasolaの坂を下った所にサンタ・キアラ教会があります。


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1632年、ブラにサンタ・キアラ女子修道会(Monache Clarisse:クララ会)が形成され、この教会近くにあったサンタンドレア・ヴェッキオ教会(現在は同教会の鐘楼だけが残る旧教会)などで活動を始めました。


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18世紀前半、女子修道会は自前の教会と修道院の建設を決め、建築家ベルナルド・アントニオ・ヴィット―ネ(トリノ、1704-1770)に建設を委嘱して、1742年から1748年に建設されました。


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鐘楼がある建物が修道院です。


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1802年、ナポレオンの抑圧令によってサンタ・キアラ教会修道院は閉鎖されました。1816年、教会と修道院はクララ会に返還され、活動が再開されました。


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写真左は旧修道院です。
修道院は、1883年に閉鎖されました。現在はブラ市の所有となってます。


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写真右の建物は旧修道院です。


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1930年、教会はPadri Cappucciniに譲渡され、現在に至ってます。


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クララ会とは関係がなくなりましたが、教会の名称はそのままになってます。


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後陣


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1748年の完成時の姿が現在の外観です。ピエモンテ・ロココ様式の代表的な建物として有名です。


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入口扉上の浮彫


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中に入りました。


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四本の太い柱がクーポラを含む天井を支える、丸みを帯びた四角形の内部です。


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主祭壇に向かって右側


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華美な装飾が施されてます。


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クーポラのフレスコ画は、ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)によって描かれました。


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クーポラを含む天井はクララ会時代のものです。


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ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)のフレスコ画


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ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の「聖キアラ」


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主祭壇(1943)


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主祭壇と左右の側壁の礼拝堂は、カプチン会(Padri Cappuccini)の所有になってから20世紀中頃に制作された新しいものです。


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ピエロ・ダッレ・チェステ(レフロントロ、1912-トリノ、1974)の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」(1943)


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ピエロ・ダッレ・チェステ(レフロントロ、1912-トリノ、1974)の「無原罪の御宿リ」(1943)


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ジョヴァンニ・クラレット(ブリュッセル?、1599-サヴィリアーノ、1679)の「聖フランチェスコとパドヴァの聖アントニオ」


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主祭壇前から見た出入口


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外に出る前にもう一度内部を見ました。


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外に出ました。


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Via Fasalaの坂を上ります。


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直ぐに教会の鐘楼らしき建物が目に入ります。


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かなり荒廃した感じがする鐘楼です。


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この一帯の緑深い丘地に10世紀頃に建設されたサンタンドレア・ヴェッキオ教会修道院がありましたが、その教会修道院の鐘楼だけが辛うじて残されてます。


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サンタンドレア・ヴェッキオ教会修道院は12世紀に増築されましたが、現存する鐘楼は、12世紀の増築時のものです。15世紀の鐘があります。


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サンタ・キアラ教会修道院が建設される前には、一時期クララ会が使用していました。


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写真左に修道院の庭園がありました。


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Piazza Caduti per la Libertaにサンタンドレア・アポストロ教区教会がありますが、この場所から移転するために建設されたのです。


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サンタンドレア・ヴェッキオ教会修道院の庭園だった場所から見下ろした景色です。


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サンタンドレア・アポストロ教区教会が完成した1687年に、ここにいた聖職者は新教会に移動しました。


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その後に、この場所で活動したのがクララ会の修道女たちでした。


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サンタ・キアラ教会修道院が完成すると、修道女が去ってしまい、サンタンドレア・ヴェッキオ教会修道院は荒廃が進むことになりました。地元の信者たちが礼拝を続けたようですが、何時しか一切の宗教活動を停止した廃教会となってしまいました。
(つづく)

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地元の信者の密着した地味な教区教会なのでしょう。


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美術ファン向けの教会とは言い難いと思います。


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次はサンタ・クローチェ教会です。


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サンタ・クローチェ教会はヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りにあります。


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スローフードのカタツムリ・マークがありません。運動の本拠地、発祥地でマークがないなんて、到底考えられません。


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サンタ・クローチェ通りです。この通りにはサンタ・クローチェ教会がありません。


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食事のために、この場所に足を向けることは考えていませんでしたが、ネットでの評判は中々良いようです。


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写真左奥にサンタ・クローチェ教会が写ってます。


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サンタ・クローチェ教会です。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りは、サンタ・クローチェ教会が起点、または終点です。


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サンタ・クローチェ教会の起源が定かではないとされてますが、12世紀に現在地にあった小礼拝堂起源説が有力とされてます。
確実なことは、1584年、当時の司教が、保存状態が悪い、この場所にあった礼拝堂でのミサを行うことを禁止した記録が残されてます。


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1631年に再建されましたが、ファサードは未完成でした。ファサードは1750年から1760年に建設されました。ファサード完成時の姿が現在の外観となってます。


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鐘楼は1720年に建設されました。


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ファサードにフレスコ画の痕跡があります。


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落剝して何が描かれていたのか、判然としません。


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ファサードの聖母子


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扉が閉まっていたのは予想通りでした。


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中は、こんな感じのようです。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りの先にサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会が見えます。


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ウンベルト一世通りです。


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どうせ休館しているに違いないと思いましたが、市立自然博物館に行ってみることに。時間が余って仕方がないので。


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プロッヴィデンツァ通りです。


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写真右の建物にフレスコ画があります。


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これです。


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街角の「聖母子」


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午後の、この時間は静まり返ってます。


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この道の先にPiazza Caduti per la Libertaがあります。


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プロッヴィデンツァ通りを更に進みます。


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振り返ると、緩い坂道を上って来たことが分かりました。


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右折してクラヴェーリ通りに出ます。


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写真右がMuseo Civico Craveri di Storia Naturaleです。


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Museoとなっている収集家アンジェロ・クラヴェーリ邸です。


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19世紀の冒険家で収集家だったアンジェロ・クラヴェーリの死後、遺族が収集物と邸宅を市に寄贈して出来た博物館です。


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この日は、予想通り休館でした。


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時間潰しが出来なくて困りました。


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少し早いですが、ここから至近にあるサンタ・キアラ教会に行くことに。


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サンタ・キアラ修道院と教会です。


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修道院は200年前に閉鎖されました。


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サンタ・キアラ教会です。


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ファサード側に向かいます。


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サンタ・キアラ教会です。


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(つづく)

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引き続きサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会です。
ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857-1935)によるPresbiterioのフレスコ画


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典型的な新古典様式の内部です。


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主祭壇前から出入口方向の右側廊を撮った写真です。


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アゴスティーノ・コットレンゴ(ブラ、1794-1853)の「聖母を導く天使」


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サンティッシモ・サクラメント礼拝堂


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制作者情報不知の「聖心」(19世紀)


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アゴスティーノ・コットレンゴ(ブラ、1794-1853)の「貧者に施しを配るベアート・セバスティアーノ・ヴァルフレ」


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サン・ジュゼッペ礼拝堂


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アゴスティーノ・コットレンゴ(ブラ、1794-1853)の「聖母被昇天」


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サンタントニオ礼拝堂


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詳細不知


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制作者情報不知の「聖霊降臨」


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ルカ・マルティーニの「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


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この彫刻家は初めて聞きます。


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詳細不知


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制作者情報不知の「磔刑」


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この礼拝堂の名前が分かりません。


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アゴスティーノ・コットレンゴ(ブラ、1794-1853)の「貧者に施しをするベアート・セバスティアーノ・ヴァルフレ」


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左側廊


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無原罪の聖母礼拝堂


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左側廊第二礼拝堂


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詳細不知


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後陣左の礼拝堂


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詳細不知


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後陣左の礼拝堂天井部は初代の建物のように思えます。


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ファサード裏にオルガンがあります。


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右側廊


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左側廊


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ファサード裏のフレスコ画は、ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857-1935)の作品です。


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クーポラ


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ルカ・マルティーニの彫刻


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857-1935)のフレスコ画


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身廊天井


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祭壇前から見た出入口


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外に出ます。


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(つづく)

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18世紀に敷設されたContrada de Passarottiです。


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違う道を歩いたのは、スローフードのお店を探すためです。パッサロッティ通りもダメでした。


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18世紀に敷設されたContrada di San Roccoです。


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スローフードのお店については殆ど諦めの境地になりました。


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写真左の建物にフレスコ画があります。


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無原罪の御宿リは午前中に見ました。


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お馴染みのヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りです。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りを更に進んで、この先にある教区教会に行くつもりです。


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Via Beato Valfreとの交差点を通り抜けます。


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同じ通りでも場所によって名称が異なる通りが多い中にあって、ブラのヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りのままです。


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写っている鐘楼は、これから行くサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会のものです。


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サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会は、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りに面して建ってます。


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写真左の建物にフレスコ画があります。


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街角の「聖母子」


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街角の聖母子を見るのが好きですが、ブラではガラス板などの覆いがないので、保存維持が心配です。


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サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会です。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りの110番地に教会があります。


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現在の地名Piazzetta Conti Guerra del Crioneと呼ばれている城壁内の丘上に13世紀頃に建設されたサン・ジョヴァンニ・ロンターノ教区教会が前身です。


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16世紀、当時の司祭が手狭になったことを理由に現在地に移転するとともに、教会名称がサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会に変更されました。
ところが移転したからには、元の教会は閉鎖されるはずでしたが、どうしたことか、サン・ジョヴァンニ・ロンターノ教区教会はそのまま存続しました。
しかし、さらに事情は複雑で、丘上ではなく、市庁舎などが建っている街の中心地に教区教会を建てることになり、そうして建設されたサンタンドレア・アポストロ教区教会については既に触れた通りです。
教区教会として格付けを取り上げられたサン・ジョヴァンニ・ロンターノ教会は元の場所に現在も存在しているのです。


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Piazzetta Conti Guerra del Crioneに建っているサン・ジョヴァンニ・ロンターノ教会です。
事実関係は以上の通りですが、移転を理由に教会を新築し、元の教会がそのまま残された理由は何処にも述べられていないようです。
私自身としては聖職者間の勢力争いが移転の理由かも、と考えてます。
城壁外のこの場所周囲に人家が増え、19世紀に新教区が設けられ、教区教会にランクアップされました。


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19世紀中頃、最初の建物が荒廃したので、再建されることになり、建築家ジョヴァンニ・バッティスタ・スケッリーノ(ドリャーニ、1818-1905)の設計によって1880年に完成した建物が現在の姿です。しかし、完全な再建ではなく、16世紀に建設された建物が改造使用されているようです。
真新しいファサードと煉瓦造りの身廊、クーポラ、鐘楼と対照的な外観です。


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どの部分が完全な再建なのか、その辺がよく分かりません。


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ブラの教会巡りをして感じることは、古い教会が残されていないことです。地震などの災害のため?


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司祭館です。


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ファサードの左右に小塔が設けられてます。


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ファサードの聖ジョヴァンニ・バッティスタ像(詳細不知)


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鐘楼


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中に入ります。


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重厚感溢れる内部です。


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三廊式、新古典様式の内部で、翼廊がありません。


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美術的には稍々面白味が欠けると思います。


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上部の装飾


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主祭壇に近付きます。


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主祭壇に関して全く分かりません。


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ビザンチン様式のイコン


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857-1935)によって1925年に制作されたフレスコ画です。


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フレスコ画のテーマは「聖ジョヴァンニ・バッティスタの生涯」です。


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(つづく)

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昼寝を一時間ほどしました。


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酔い覚ましと買い物のために外に出ました。
スローフード・レストランがなければ、スローフードなるものを買って自室で料理をするつもりでした。そのため、簡易キッチンがある部屋に泊まったのです。


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ホテル前のサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会の扉が開いていました。これはイタリアではかなり珍しいことです。


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青空市が終了した9月20日広場は綺麗になっていました。


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9月20日広場からポレンツォ通りに入りました。


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スローフードのお店を探しましたが見つからず。尤も例え見つかったとしても、午後3時は昼休み中で開いてません。


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引き返して公園に行って、涼しい風に当たろう、そうすれば良い酔い覚めになる。


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公園はサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会の東方にあります。


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同じ道を通っては詰まらないので、ゲルマーノ通りを歩きました。


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さらに横道を進んだら、何のことはない、元の広場に戻ってしまいました。観光案内所で頂戴した地図を持参していましたが、地図を見ないで適当に歩いているので何時も見当違いになってしまいます。それで手酷い目に何度も遭ってますが、懲りることなく性分なので諦めてます。


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あの時計は6,7分遅れてます。


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公園の入り口にホテルがあります。


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この辺は完全に城壁外に当たります。尤も、その城壁の位置が分かりませんが。


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公園の下は駐車場になってます。


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ホテルの横からベルヴェデーレ公園に入ります。


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こうして街歩きの記事をアップしていると、我ながら時間、労力、金の無駄をして来たことか、と呆れてます。
芸術鑑賞に特化するならば、ミラノ、ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィア、ナポリを中心に、パルマ、ボローニャ、フェッラーラ、マントヴァ、ベルガモ、シエナ、アレッツォ、ジェノヴァ、トリノ、ペルージャ、アッシジ、パドヴァ、ヴェローナ、ウルビーノなどに繰り返し行くべきでした。今となっては後悔しきりです。


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Reviglio della Veneria家によって18世紀に造成された公園です。


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公園は丘上に造成されてます。


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公園からブラの街を一望できる絶景ポイントがあるだろうとの読みでした。


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将棋、囲碁では勝手読みすると負けになります。


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この公園では正しく勝手読みでした。


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トホホの景色でした。


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人影がありませんでしたが、それでも木陰に隠れて立小便。


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ヨーロッパ人、具体的にはドイツ人、イギリス人、フランス人、イタリア人などの友人たちと幾度となく旅行しましたが、彼らは野糞、立小便を平気でします。
18世紀くらいまでは、建物に便所がないのが普通だったそうで、野糞、立小便は伝統だそうです。宮殿だって便所がなかったのです。


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城壁みたいに見えましたが、やはり城壁ではないようです。


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広場に戻りました。公園行は全くの無駄足でした。


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ポレンツォ通りに戻りました。赤茶色の建物にフレスコ画があります。


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街角の「聖母子」


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相変わらずスローフードのお店が見つからない。


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次の交差点を左折してヴェネリア通りに入ります。


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18世紀に敷設されたヴェネリア通りです。


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通りから突き出た建物にフレスコ画があります。


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写真正面の建物です。


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街角の「聖母子」


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再びヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りです。


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ここには午前中二回来ました。


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もう一度拝観する気になれないサンタントニーノ・マルティーレ教区教会です。


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日差しが出てきたので暑くなってきました。


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この辺ではスローフードについて諦めかけていました。


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写真左のパラッツォに少々お邪魔を。


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「聖母子」のテラコッタ


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不審者に違いないので早々に退散します。


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(つづく)

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青空市が未だ開市中でした。


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Corso Garibaldiにもスローフードのシンボルマークが見当たりません。


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各国の国旗はワールドカップのもの?


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写真右の建物の壁にフレスコ画があります。


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磔刑です。


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上の道Corso Cottolengoに面したサンティッシマ・トリニータ教会です。


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鐘楼の時計が実用的です。


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正午を過ぎて買い物客が少なくなりました。


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サンタンドレア・アポストロ教区教会です。


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Corso Cottolengoの下は柱廊になってます。


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柱廊に入りました。


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柱廊は何も使用されていないことに驚きました。


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柱廊は非常時のために空けておくようです。


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Via Bartolomeo Gianolioです。道草をしないでホテルに戻った方が無難と思いました。


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Museo Civicoが休館日だったので調子が狂いました。イタリアなので、その辺は仕方がありません。


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ホテルに戻りました。部屋には行かず、併設のレストランに直行しました。


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適当に飲んで、部屋で昼寝をするつもり。


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未だ12時半なので、客があまりいなかった。


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ビールは既に飲み干しました。


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先ずは前菜です。


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この辺の名物料理はこれです。


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Salciccia di Bra frescaがありました。


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前菜を一通り見ます。


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生肉も美味です。


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適当に選んで注文しました。


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私が注文した前菜


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前菜だけでお腹一杯になりそう。


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壁に掛けられていた水彩画を鑑賞しました。


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これを食べるのが大変でしたが完食しました。


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デザートまでは流石に無理でした。


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部屋の方に向かいました。


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自室に戻って昼寝です。


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(つづく)

引き続きサンタントニーノ・マルティーレ教区教会です。
P1320102
サンタンナ礼拝堂です。
礼拝堂両端の彫刻「聖母を抱く聖アンナ」と「聖ジョアッキーノ」はカルロ・ジュゼッペ・プルーラ(トリノ、1663-1737)の作品です。


P1320106
ロドルフォ・モルガーリ(トリノ、1827-1909)の「聖アンナと聖母マリア」(1874)


P1320143
次の礼拝堂です。


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ジャン・クラレット(ブリュッセル?1599-サヴィリアーノ、1678)の「天上の聖母子と聖人たち」


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P1320149
詳細不知


P1320114
制作者情報不知の「聖母の神殿奉献」


P1320117
制作者情報不知の「聖母の誕生」


P1320120
制作者情報不知の「聖心」


P1320121
制作者情報不知の「十字架降下」


P1320123
制作者情報不知の「聖母と聖ジョアッキーノ」


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P1320126
制作者情報不知の「無原罪の御宿リ」


P1320128
詳細不知


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カルロ・ジュゼッペ・プルーラ(トリノ、1663-1737)の「チントラの聖母と二聖人」


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詳細不知の「磔刑像」


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洗礼盤


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P1320141
ロドルフォ・モルガーリ(トリノ、1827-1909)の「無原罪の聖母と聖ドメニコ」(1874)


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制作者情報不知の「聖チェチリア」


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ファサード裏にオルガンがあります。


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出口に向かいます。


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外に出ます。


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比較的新しい作品ばかりの教会でした。


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正午近くになりました。


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教会は一旦正午で扉が閉まるのが普通なので、午前中の教会巡りは終了です。


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そろそろ昼食の時間です。


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夥しい数の鳥の鳴き声が聞こえたので、空を見上げたら鳥が周りを旋回していました。


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サンタントニーノ・マルティーレ教区教会の前を通り過ぎます。


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この街に来た目的の一つ、スローフードのお店を探します。


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スローフードのレストランでもあれば、そこで昼食を食べようと思っていました。


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それが全然見つかりません。


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ブラがスローフード運動の発祥地であり、本拠地であることは間違いないので、簡単に見つかると思っていましたが、そもそもスローフードの印自体が見つかりません。


1
このカタツムリのシンボル・マークを探しているのですが、見つかりません。


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通りを行ったり来たりしても見つかりません。


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店舗が多い通りに行くことに。


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フレスコ画がある建物があります。


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ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)?の「無原罪の御宿リ」でしょうか。


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スローフードのお店を見つけることを諦めて、ホテル併設のレストランで昼食を食べるのが無難というものです。


P1320187
ホテルに戻ることにしました。


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広場に向かいます。


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Piazza Caduti per la Libertaに戻りました。


P1320192
(つづく)

P1320044
カヴール通りです。次はサン・ロッコ教会です。


P1320046
カヴール通りの突き当りにサン・ロッコ教会があります。


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初代の建物は14世紀前半に建設されました。


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現在の建物は、1715年に増築改造されたものですが、ファサードだけは1890年に再建された新しいものです。


P1320050
ナポレオンの侵攻の際、閉鎖を命じられ倉庫に転用されましたが、フランス軍の撤退後、教会活動が再開されましたが、何とOrtodossa、正教会の教会となりました。


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現在も正教会の教会です。


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中にピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)のフレスコ画、アントニオ・ロアージオ(バルディネート、1809-モンド―ヴィ、1886)などの祭壇画がありますが、古い作品はないようです。


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イタリアでの正教会信者はどのくらいいるのでしょうか?


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りです。


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次は、サンタントニーノ・マルティーレ教区教会です。


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鐘楼が見えますが、サン・ジョヴァンニ・デコッラート教会のものでしょう。


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先ほど、サンタントニーノ・マルティーレ教区教会が開いていることを観光案内所で確認したので安心です。


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外壁がフレスコで装飾されている建物です。


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ここのベンチで一休みしました。


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城壁が取り壊されて、その痕跡すら分からないので、旧市街の市域がよく分かりません。


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しかし、この辺には新しそうな建物ばかりなので、恐らく新市街でしょう。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りを進みます。サンタントニーノ・マルティーレ教区教会はこの通りにあります。


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歴史的建造物がないので、歩いていても面白味が感じられません。


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サンタントニーノ・マルティーレ教区教会です。


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13世紀頃に建設された初代のサンタントニーノ・マルティーレ教会は、サン・ジョヴァンニ・ヴェッキオ教会近くの城壁内にありました。


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17世紀、初代の建物が劣化したので、再建されることになりましたが、城壁外の現在地に新教区設置の話もあり、引っ越すことになりました。そうして1693年に建設されたのが現在の建物になります。


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微かに顔を出した鐘楼


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ファサードのフレスコ画は、制作者不知の「聖アントニーノ」(18世紀)


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ファサード壁龕の彫刻は、制作者不知の「聖ピエトロ」(18世紀)


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制作者不知の「聖パオロ」(18世紀)


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柱頭


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中に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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少し華美な感じがします。


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天井の装飾


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天井のフレスコ画は、ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857-1935)の「聖アントニーノの物語」
ルイージは、宗教テーマのフレスコ画を得意にしていた画家です。


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857-1935)のフレスコ画


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主祭壇を見ます。


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主祭壇画は、ジャン・クラレット(ブリュッセル・、1599-サヴィリアーノ、1678)の「聖アントニーノ」


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857-1935)のクーポラのフレスコ画


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857-1935)のフレスコ画


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カルロ・ジュゼッペ・プルーラ(トリノ、1663-1737)の「聖母子」


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サント・ステファノ礼拝堂です。


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ジョヴァンニ・アントニオ・モリネーリ(サヴィリアーノ、1577-1631)の「聖ステファノの殉教」


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カルロ・ジュゼッペ・プルーラ(トリノ、1663-1737)の「獄中の聖ピエトロ」


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857-1935)のフレスコ画


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ロドルフォ・モルガーリ(トリノ、1827-1909)の作品です。
ロドルフォは、ルイージ・モルガーリの甥です。


P1320101
(つづく)

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Museo Civicoが休館日と分かったので、教会巡りに集中することにしました。


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Piazza Caduti per la Libertaを通り過ぎます。


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次はサン・ジョヴァンニ・デコッラート教会です。


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ブラの街歩きを書くに当たって、ブラと検索するとブラジャーばかり。この塔は分かってますが、「Torre di Bra」と検索するとTorre di Oro(これもブラジャー)が出てきます。


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この時計塔の建物は、これから行くサン・ジョヴァンニ・デコッラート教会の鐘楼です。


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駅からホテルに向かった時、カヴール通りの突き当りにあった教会がサン・ジョヴァンニ・デコッラートです。


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decollatoは、打ち首する decollareの派生語です。サン・ジョヴァンニ・デコッラート教会は、斬首された聖ジョヴァンニ・バッティスタ(洗礼者聖ヨハネ)に奉献しています。


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教会は、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りに面してます。


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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りです。教会は、この先、モッファ通りとの交差点に直ぐ先にあります。


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Via Moffa di Lisio


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サン・ジョヴァンニ・デコッラート教会です。


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1588年、慈悲の同信会Compagnia della Misericordia、またはBattuti Neriが設立されました。設立された同信会によって、1591年に建設された教会です。


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囚人と死刑を宣告された人々を支援し、死刑執行された人々を埋葬する役割を果たすために同信会が設立されたのです。


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バットゥーティ・ネリ教会とも呼ばれてます。非常にシンプルな構造をしています。


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中に入りました。


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単廊式、ラテン十字形の内部です。


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外観と比べて内部が少し華美な装飾が施されているのは、死刑となった人々とその家族への、せめてもの、はなむけからと言われてます。


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身廊天井


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主祭壇


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後陣の装飾は、建築家で画家でもあり、彫刻家だったジョヴェナーレ・ボエット(フォッサーノ、1604-1678)の作品です。


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フレスコ装飾もジョヴェナーレ・ボエット(フォッサーノ、1604-1678)によるものです。


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主祭壇画は「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」


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ジャン・クラレット(ブリュッセル?、1599-サヴィリアーノ、1678)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」


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詳細不知


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ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の「磔刑像を崇める聖ドメニコ」


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ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の「天上の聖母子と聖女」


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アゴスティーノ・コットレンゴ(ブラ、1794-1853)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの誕生」


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アゴスティーノ・コットレンゴ(ブラ、1704-1793)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの弁明」


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アゴスティーノ・コットレンゴ(ブラ、1794-1853)の「キリストの洗礼」


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アゴスティーノ・コットレンゴ(ブラ、1794-1853)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの説教」


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詳細不知


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ジョヴェナーレ・ボエット(フォッサーノ、1604-1678)の天井フレスコ画


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P1320025
詳細不知


P1320028
詳細不知


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祭壇前から見た出入口方向


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祭壇に一礼してから外に出ます。


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外に出ました。
(つづく)

サンタンドレア・アポストロ教区教会の続きです。
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Cappella della Compagnia della Presentazioneです。


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ジャン・クラレット(ブリュッセル?、1599-サヴィリアーノ、1678)の「聖母の神殿奉献」


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ファサード裏の作品を見ます。


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制作者情報不知の「キリストの洗礼」


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詳細不知


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この礼拝堂については分かりません。


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詳細不知


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ロザリオの礼拝堂です。


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ジャン・クラレット(ブリュッセル?、1599-サヴィリアーノ、1678)の「聖母子と聖ドメニコとシエナの聖カテリーナ」


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詳細不知


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出口に向かいます。


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もう一度教会内を一望しました。


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外に出ました。


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サンタンドレア・アポストロ教区教会の周りを見て回ります。


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広場にブロンズ像のモニュメントがあります。


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制作者不知の「聖ジュゼッペ・ベネデット・コットレンゴ(ブラ、1786-キエーリ、1842)のモニュメント」


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Palazzo Mathisです。ここに観光案内所があります。


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ベルナルド・アントニオ・ヴィット―ネ(トリノ、1704-1770)の設計によって建設されたPalazzo Garroneです。


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広場で二本の道路が合体します。


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市庁舎の壁にあるフレスコ画を見ます。


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紋章と日時計が描かれてます。


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Stemma Sabaudo


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日時計とブラの紋章


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日時計とブラの紋章


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市立博物館に向かいます。


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市立博物館として一般公開されているPalazzo Traversaです。


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15世紀半ばに建設されたPalazzo Traversaです。


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開館日の筈でしたが扉が閉まったままでした。


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休館日でした。扉が閉まっていたのは当然です。


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ガックリ、気が抜けました。


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校外学習の集団を除けば、一日当たりの平均入館者は0.7人なので、休館日が多いのは当然です。


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この建物にも日時計があります。


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日時計が多いブラです。


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入口扉上の「受胎告知される聖母」


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仕方がないので、Palazzo Traversaを見ました。


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(つづく)

P1310935
次は、Piazza Caduti per la Libertaに面して建つサンタンドレア・アポストロ教区教会です。


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ブラは、トリノ大司教区に属してます。
地元ではドゥオーモと呼んでいないようですが、ブラでは最も格式が高く最重要の教会です。


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サヴォイア公爵カルロ・エマヌエーレ2世・ディ・サヴォイアがジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(ナポリ、1598-ローマ、1683)に設計を依頼し、ベルニーニの設計に基づきサヴォイア家のお抱え建築家カミッロ・グアリーノ・グアリーニ(モデナ、1624-ミラノ、1683)によって1672年から1687年に建設されたバロック様式の教会です。


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公式的には、以上の通りですが、実際にはベルニーニの関与は設計のアイデア程度だったようです。


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ファサードにコリント式列柱を用い、後の新古典様式の萌芽となる建物として、建築史上、高く評価されてます。


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実は、建設されてから1816年まではサンティッシモ・サクラメント教会と呼ばれており、教区教会ではなかったのです。


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1884年に完成したファサード
サンタンドレア・アポストロ教区教会は、元々別の場所の丘上にありましたが、19世紀初頭に安全ではないと判断されて破壊されることになったのです。
それを受けて、1816年、教区教会の機能をサンティッシモ・サクラメント教会に移すとともに、教会の名称も現称に変更したのです。


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ファサードの彫刻(18世紀中頃)


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18世紀中頃に制作された彫刻


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柱頭


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後陣と鐘楼


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バロック様式の後陣と鐘楼


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側壁にある聖心像は、恐らく改称前にあった彫刻でしょう。


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外部、内部の聖アンドレアに関する装飾は、1816年以降に付け加えられたか、描き改められたものです。


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中に入りました。


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単廊式、ラテン十字形、バロック様式の内部です。


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現在でも豪奢な装飾が施されてますが、1795年、ナポレオン軍から閉鎖を命じられ、教会の建物はフランス軍倉庫に転用されましたが、その際、多くの装飾品がフランスに持ち去られましたが、戻されることなく現在に至ってます。


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天井の装飾


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クーポラのフレスコ画は、パオロ・ガイダーノ(ポイリーン、1861-トリノ、1915)の「聖アンドレアの栄光」(1893)
四隅の聖人は、ルイージ・ヴォッカ(トリノ、1778-1854)によって描かれました。


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主祭壇とPresbiterioを見ます。


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磔刑像(16世紀)は、破壊された、以前のサンタンドレア・アポストロ教区教会にありましたが、1816年にこの場所に移設されました。


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磔刑像の後にある彫刻は、ダヴィデ・カランドラ(トリノ、1856-1915)の「聖アンドレアの殉教」です。


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Presbiterioの彫刻は、ダヴィデ・カランドラ(トリノ、1856-1915)の作品です。


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アントニオ・ロアージオ(バルディネート、1809-モンド―ヴィ、1886)の「聖アンドレア」


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アントニオ・ロアージオ(バルディネート、1809-モンド―ヴィ、1886)の「バーリの聖二コラ」


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主祭壇右側壁にある祭壇画は、ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の「聖アンドレアの捕縛」です。


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主祭壇左側壁の祭壇画は、ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の「聖アンドレアの奇跡」です。


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カルミネ礼拝堂です。
聖母子の彫刻はアントニオ・ロアージオ(バルディネート、1809-モンド―ヴィ、1886)の作品です。


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18世紀の逸名画家作「磔刑」


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アントニオ・ロアージオ(バルディネート、1809-モンド―ヴィ、1886)の「カルミネの聖母」


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次は、サン・セバスティアーノ礼拝堂です。


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クラウディオ・フランチェスコ・ボーモント(トリノ、1694-1766)の「聖セバスティアーノの殉教」(1761)


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ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の「聖ヴィットリア」


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ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の「聖ロッコ」


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ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の「公正の寓意」


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ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の「賢慮の寓意」


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制作者不知の「信義の寓意」


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制作者不知の「希望の寓意」
(つづく)

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季節は真夏でした。


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この年のイタリアはかなり涼しかったと思います。


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青空市で販売している衣料の品質はどうなんでしょうか。日本の青空市は安かろう、悪かろうでしたが。


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多くの中国人が青空市に進出しています。逞しいと思います。


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上の道Corso Cottolengoです。


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Corso Cottolengoの下にある道がCorso Garibaldiです。


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この辺が街の中心でしょうか?


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鐘楼はサンティッシマ・トリニータ教会のものです。


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振り返るとサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会が見えました。


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9月20日広場


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写真右はCasa Cottolengoです。


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正面奥の教会はサンタンドレア教区教会です。


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Corso Cottolengoは、Corso Garibaldiよりも2,3メートル高い位置にあります。


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この日のお宿が見えます。


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高さが異なる二本の道が平行しているのが珍しいと思いました。


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サンタンドレア教区教会前の広場で、二本の道路は同じ高さになります。


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Casa Cottolengoです。


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聖ジュゼッペ・ベネデット・コットレンゴ(ブラ、1786-キエーリ、1842)が誕生した家です。


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Casa Cottolengoは、Museo Cottolengoとして一般公開されてますが、この聖人には興味がないのでパスしました。


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次はCasa Cottolengoの隣にある建物です。


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写真右がサンティッシマ・トリニータ教会、写真左がCasa Cottolengoです。


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写真手前の日時計がある建物は、サンティッシマ・トリニータ同信会です。


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日時計


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サンティッシマ・トリニータ教会です。


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別名”Battuti Bianchi"としても知られてます。


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最初の建物は13世紀に建設されました。現在の建物は、三位一体同信会によって1618年に再建された二代目となるものです。


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平日は開かないようです。


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ファサードの彫刻とフレスコ画を見ます。


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壁龕に彫刻がありますが、詳しいことが分かりません。


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セバスティアーノ・タリッコ(ケラスコ、1641-トリノ、1710)の「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ」


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セバスティアーノ・タリッコ(ケラスコ、1641-トリノ、1710)の「聖人」


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このフレスコ画の意味合いが分かりません。目玉?


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目玉のフレスコ画が非常に印象に残ります。


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教会に左隣の建物に注目です。


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騙し絵の窓


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Piazza Caduti per la Liberta


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ブラの市庁舎 Palazzo Comunaleです。


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13世紀頃に建設されましたが、1744年に建築家ベルナルド・アントニオ・ヴィット―ネ(トリノ、1704-1770)の設計によって改造されました。現在の姿は、その改造後のものです。
(つづく)

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前泊地トリノから普通列車でブラに向かいました。


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定時にブラ駅に到着しました。


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ブラは、人口29,852人(2019年12月31日現在)のピエモンテ州クーネオ県にあるコムーネです。


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ブラ駅の駅舎です。


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駅前広場です。


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駅前にある公園です。


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この日のお宿に向かいます。


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駅前から旧市街の入り口に通じるカヴール通りです。


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ブラの歴史は非常に古く、先史時代から人の居住が遺跡からの発掘物によって確認されてます。


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ブラは、スローフード運動の発祥地として、また、その本拠地として有名です。スローフード運動の意味合いがよく分からないので、ブラであれこれ食べて、その本質を見極めたいと思ってブラに来た次第です。


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カヴール通りの突き当りに教会がありますが、その辺りは旧市街になると思います。ブラには城壁がないので、旧市街の範囲がよく分かりません。
元々城壁があって、都市計画などのために城壁が取り壊されたのか、初めから城壁が築かれなかったのか、その辺の事情が私にはよく分かりません。


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サン・ジョヴァンニ・デコッラート教会です。扉が開いていましたが、拝観せずにホテルに向かいました。ブラの教会は、比較的開いている所が多いので、焦って拝観する必要がありません。尤も芸術的に優れた祭壇画や彫刻が少ないこともあります。


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バルトロメオ・ジャンノリオ通りを通って、ホテルがあるガリバルディ通りに向かいました。


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ガリバルディ通りです。


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青空市が開市されてました。


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右の方に進みます。


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小高い所にサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会があります。


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この日のお宿は、道を隔ててサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会の向かいにあります。


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この日のお宿です。レストラン兼ホテルです。


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ホテル前の通りから、今通ってきたガリバルディ通りを撮った写真です。


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チェックインを済ませて、街歩きに出発しました。


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ガリバルディ通りの先は見所がなさそうと判断しました。実は、この先、約1.5㎞に分離集落ポッレンツォがあるのですが・・・・・そちらの方は取り敢えず後回し。


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ガリバルディ通りを戻れば、街の中心ですが、そちらに向かう前にやることがあります。


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ホテルの向かいにあるサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会の拝観です。


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ブラチーズの名産地としても有名なブラです。


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階段を上り、9月20日広場を見下ろします。


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ホテルの隣にスローフード・インターナショナルがあります。


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さて、教会です。


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横に広がった楕円形のバロック様式のサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会です。


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フランチェスコ修道会の一つであるFrati Minori Osservantiが1742年から1752年に建設しました。


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1795年、サヴォイア家によって徴収され、塩貯蔵庫に転用されましたが、ナポレオンの侵攻によってフランス軍に接収され兵舎として利用されました。ナポレオンの失脚後、再びサヴォイア家が弾薬庫、倉庫として使用しました。


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その後、個人に転売されました。
20世紀初頭、建物はカプチン会の所有となり、修復されて、1906年にカプチン会の教会として宗教活動が再開され現在に至ってます。


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ファサード前の十字架


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毎日開く教会なので拝観し易いと思います。


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中に入りました。


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楕円形の天井です。
天井のフレスコ画は、ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の作品です。


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祭壇に向かって左側の壁


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右側壁


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主祭壇とPresbiterio


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ユニークな岩窟の聖母礼拝堂


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制作者情報不知の「聖心」


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ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)のフレスコ画


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制作者情報不知の「聖ジュゼッペの死」


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ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)の「無原罪の聖母と聖フランチェスコ」


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ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)のフレスコ画


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Presbiterioに立ち入ることが可能です。


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Presbiterioのフレスコ画


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詳細不知


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作品帰属が明確になっている祭壇画があります。


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ルイージ・モルガーリ(トリノ、1857-1935)の「貧者に施しをする聖母」


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彫刻に見えるように描かれた騙し絵


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詳細不知


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ピエトロ・パオロ・オペルティ(ブラ、1704-1793)のフレスコ画


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制作者情報不知の「聖痕を受けるシエナの聖カテリーナ」


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制作者情報不知の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」


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制作者情報不知の「パドヴァの聖アントニオ」


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主祭壇前から見た出入口


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外に出ました。
(つづく)

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