イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:トスカーナ州 > サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ

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引き続きサン・ロレンツォ教会です。フレスコ画を見ます。


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マリオット・ディ・ナルド(フィレンツェ、1364-1424)の「聖母戴冠」


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殆ど落剝しています。


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制作者情報不知の「聖母子」


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14世紀に制作されたフレスコ画でしょう。


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碑文


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マリオット・ディ・ナルド(フィレンツェ、1364-1424)の「二聖人」


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荒れるに任された時期があるます。


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この部分の剥離は少ないですが、状態が非常に悪いフレスコ画です。


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「聖ロレンツォ」(右上)、「聖アントニオ・アバーテ」(中央)(1456-57)


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この辺は保存状態が良い方です。


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「聖アントニオ・アバーテ」(1456-57)


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の天井フレスコ画(1456-57)


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描かれているのは聖人でしょうが、不鮮明です。


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「パドヴァの聖アントニオとシエナの聖ベルナルディーノ」(1456-57)


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マリオット・ディ・ナルド(フィレンツェ、1364-1424)の「ピエタのキリスト」


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マリオット・ディ・ナルド(フィレンツェ、1364-1424)の「聖人たち?」


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マリオット・ディ・ナルド(フィレンツェ、1364-1424)の「聖ピエトロ」


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詳細不知


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「聖セバスティアーノの殉教」(1456-57)


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「聖セバスティアーノの殉教」(1456-57)


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「聖セバスティアーノの殉教」(1456-57)


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主祭壇前から見た出入口


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外に出ます。


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外に出ました。


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かなり疲れました。


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Palazzo d' Arnolfoの時計塔です。


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カヴール通りに入りました。


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まだ見てない所があります。


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持っている地図で次に行く場所を検討しましたが、疲れていたので、もういいや、と思いました。


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アルノ川、美術館に行き、ドゥオーモとサン・ロレンツォ教会を拝観したので、主だった所は十分楽しみました。


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駅に向かいます。


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やはり泊まる必要はなく、日帰り遠足で十分です。


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駅に着きました。
(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ編、おわり)

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次は、マザッチョ広場に面して建つサン・ロレンツォ教会です。


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ドゥオーモよりも歴史あるサン・ロレンツォ教会です。


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1296年、フィレンツェの前線基地としてカステル・サン・ジョヴァンニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノの旧称)が築かれた際に、Pieve di Cavrigliaのサポートを受けて現在地に小さな教会が建設されましたが、それが前身です。


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現在のゴシック様式の建物は、14世紀初頭に再建されたものが原形です。


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17世紀と19世紀に大規模な改造工事が行われましたが、左側の壁に加えたられた小規模な改造に留まって、14世紀初頭の外観をほぼ維持していると言われてます。


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入口扉上ルネッタにフレスコ画がありましたが、その痕跡さえも残されていません。


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傑作祭壇画が数点あったそうですが、売却されたり、隣のドゥオーモ付属美術館に移されたりして、現存するのは主祭壇画だけです。


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左側壁にタベルナコロがあります。


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タベルナコロ


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詳細不知の「聖母子」


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拝観します。


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中に入りました。


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左右非対称のゴシック様式の構造です。2度の大改造を経て、創建時からは随分異なるとされている内部です。


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右側に側廊があるので、珍しい二廊式になります。


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フレスコ画があったとされる身廊天井とPresbiterio天井は塗り潰されて味気なしです。


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主祭壇


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ジョヴァンニ・デル・ビオンド(プラートヴェッキオ、?-フィレンツェ、1399)に帰属する「聖母戴冠のポリッティコ」(1374c)


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帰属作品ではなく、ジョヴァンニ・デル・ビオンドの真作説もあるようです。


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メインパネルの聖母戴冠


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左パネルの聖人たち


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右パネルの聖人たち


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クスピデの磔刑


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右側廊


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右側廊後陣の礼拝堂


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詳細不知の磔刑像


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柱頭


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洗礼盤


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右側廊はフレスコ画で覆われてます。


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地元の人は、右側廊後陣の礼拝堂で祈りを捧げます。


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聖水盤


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(つづく)

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主祭壇画とその後方Presbiterioのフレスコ画が見所なので、これには困りました。


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急にパイプオルガンの大音響が・・・・・振り返ると女性が弾いてます。
誰もいないので、単なる練習と思いました。


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Presbiterioは立ち入り禁止でした。


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以前は垂れ幕がなかったのです。


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以前は、立ち入り禁止のロープがなく、Presbiterioのフレスコ画を見ることが出来ました。


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ジュリオ・パリージ(フィレンツェ、1571-1635)の「Antico Tabernacolo」


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1596年の火災で焼失した後の17世紀初めに拡大再建された際に制作されたものです。


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組み込まれた聖母子は他の画家の作品と思いますが、その詳細が分かりません。


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Presbiterioのフレスコ画は、この聖堂が建設された由来を説明するものです。


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ルベルト・ダ・モンテヴァルキ(ペルージャ、1460c-サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1523)の「Miracolo di Monna Tancia」


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ルベルト・ダ・モンテヴァルキは、ペルジーノの弟子でした。


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両親がペストで死んで、その乳児が残されました。


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叔母は乳を与えることが出来ません。


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サン・ロレンツォ門の祠に祈りを捧げると、奇跡が起きて乳が出るようになりました。


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これらをしっかり見ることが出来たのです。


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聖水盤
他の祭壇画を見て回ります。


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制作者情報不知の「聖心」


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制作者情報不知の「聖ジュゼッペの大工工房のキリスト」


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クーポラ


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制作者情報不知の「聖チェチリアと天使」


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フィレンツェ派逸名画家作「聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタとウベルティの聖ベネデット」(17世紀)


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オルガン演奏が続いてました。


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アンニーバレ・ニッコライ(ヴォルテッラ?、1611c-フィレンツェ、1693)の「パドヴァの聖アントニオ」


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制作者情報不知の「ネオゴシック様式の祭壇前飾り、チントラの聖母と聖ドメニコとシエナの聖カテリーナ」


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一見古そうな作品です。


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ピエトロ・マルケジーニ(ピストイア、1692-1752)の「ヨハン・カール・ロート作『聖ピエトロの死』のコピー画」


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アンジェロ・ファッブリーニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1853c-1889c消息)の「銭の貢ぎ」(1861)


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フィレンツェ派逸名画家作「磔刑」(16世紀末-17世紀初め)


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Presbiterioの天井フレスコ画


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制作者情報不知


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外に出ます。
(つづく)

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ドゥオーモの鐘楼とクーポラがサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ駅のホームから見えます。


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マザッチョ広場に面して建つサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノのドゥオーモ、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂です。
サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノは、フィエゾレ司教区に属してます。


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現在、聖堂が建っている場所に聖母を祀る小さな祠がありました。
ペストで両親を失った乳児は、Monna Taciaの甥でした。1478年、乳が欲しい泣く甥に困り果てたMonna Taciaは小さな祠に祈りを捧げると、所謂Miracolo di Monna Tanciaと称されることになる奇跡が起き、乳が出てきたのです。
その奇跡を聖母に感謝するために、1484年、Oratorio della Modonna delle Grazieの建設が始められ、1520年頃に完成しました。その祈祷所が現在の聖堂の前身です。


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その後、信者が増えたので拡張されて教会となりました。
1596年の火災によって建物の大部分が消失、崩落したので、17世紀に規模を拡大して再建されましたが、その建物が現在の姿の原形となってます。


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17世紀のファサードが経時劣化したので、ファサードが再建されることになりました。現在新古典様式のファサードは1840年から1856年に再建された二代目となるものです。


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第二次世界大戦の爆撃を受けたので、戦後に大修復工事が行われました。
1929年、第259代教皇ピオ11世(在位:1922-1939)によってBasilica Minoreに格付けされました。また、1986年、Santuario Marianoにランクアップされました。


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クーポラと鐘楼


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聖堂の入り口です。
写真正面の入り口は、聖堂本堂の入り口ではなく、奇跡の礼拝堂の入り口です。


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奇跡の礼拝堂入口上に彩釉テラコッタがあります。


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ジョヴァンニ・デッラ・ロッビア(フィレンツェ、1469-1529)の「チントラの聖母」(1513)


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保存状態が非常よいテラコッタです。


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彩釉テラコッタ下の入り口から奇跡の礼拝堂に入ります。


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一見、クリプタのように見えます。


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奇跡の礼拝堂です。


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Monna Taciaが奇跡を見たとされる祠を組み込んだ礼拝堂です。


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美術的な見所に欠けます。


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聖堂本堂は一階(日本の二階)にあります。


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地上から本堂に向かう階段が左右に設けられてます。
階段の途中に壁龕に描かれたフレスコ画があります。


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ファサードに向かって左の階段踊り場にあるフレスコ画です。


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保存状態が悪いフレスコ画です。


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ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1592-フィレンツェ、1636)の「受胎告知」(1621)


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最近修復されたようで、以前よりもマシになりました。


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次は向かって右の階段踊り場にあるフレスコ画です。


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こちらの方が保存状態が良いと思います。


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ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1592-フィレンツェ、1636)の「聖母の結婚」(1621)


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近年の修復の結果、かなり良い状態で蘇りました。


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驚くのは、階段踊り場の「聖母の結婚」は第二版に当たります。
最初に制作された「聖母の結婚」はドゥオーモ付属美術館にあります。既に紹介済みですが、その作品画像を再掲します。


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こちらが第一版の「聖母の結婚」(1621)です。


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何故第二版が制作されたのか、色々調べましたが私には分かりません。


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本堂入り口です。


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中に入ると、主祭壇の前に出ます。


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ビックリ、主祭壇が見えないようになっていました。


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三廊式です。


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新しく見えるのは、第二次世界大戦で大きな被害を受けたので、戦後に大修復されたからです。
(つづく)

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次の部屋です。


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グレゴリオ・パガーニの作品が2点並べられてます。


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グレゴリオ・パガーニ(フィレンツェ、1558-1605)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」と「聖ロレンツォ」


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グレゴリオ・パガーニは、画家の息子で、父に基本を習った後、サンティ・ディ・ティートに師事しました。その後、チゴリ工房に加わり、チゴリの協力者として腕を磨きました。


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日本では低評価のパガーニですが、16世紀第4四半世紀から17世紀初頭のフィレンツェを代表する画家とされてます。弟子にクリストファノ・アローリ、マッテオ・ロッセリなどがいました。


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祭壇前飾りです。


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「父なる神と天使たち」(1597)


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マッテオ・ニゲッティ(フィレンツェ、1570-1648)とヤコポ・パゴリーニ(パオリーニとも称す)(カステル・フィオレンティーノ、?-16世紀末没)の作品です。


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ジョヴァンニ・マンノッツィ通称ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1592-フィレンツェ、1636)の「幼きキリストと聖ジュゼッペ」(1630)


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ジョヴァンニ・マンノッツィ通称ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1592-フィレンツェ、1636)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの斬首」(1620)


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ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニの代表作とされている傑作です。


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カラヴァッジョの作品を多分見たことがないと思われるジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニですが、表現が少し似ていると思います。


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天使の燭台(1690c)


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隣のサン・ロレンツォ教会にありました。


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ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1592-フィレンツェ、1636)の「聖母の結婚」(1621)


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このような美術館の定番とも言うべき展示物ですが、興味がありません。


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坊主の装束


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外に出る前に、この作品前で暫し熟視。


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外に出ました。
(つづく)

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お目当ての作品です。


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この展示室で唯一の展示作品です。


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ベアート・アンジェリコ(ヴェッキオ、1395c-ローマ、1455)の「受胎告知」(1432c)
10年ほど前まではベアート・アンジェリコの帰属作品とされていましたが、近年になって研究が進んで、真作とされるようになりました。しかし、今なお異論を出す研究者などがいます。


p1780334ベアート・アンジェリコが完成させてから1438年まで、この作品の行方が不明とされています。
確実なことは、サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノの郊外モンテカルロのサン・フランチェスコ修道院に1438年から20世紀末まで、この作品が置かれていたことです。
最も相応しいとされる推論は、アンジェリコが制作したのは受胎告知部分だけで、裾絵はアンジェリコの協力者で、フィレンツェの名家ストロッツィ家の一員ザノービ・ストロッツィによって描かれたのですが、裾絵制作のために、何処かにあったという説です。
(写真は、モンテカルロのサン・フランチェスコ修道院)
ベアート・アンジェリコは、大画面の受胎告知を3点制作したことが分かってます。
第一作は、コルトーナの教区美術館にある、所謂コルトーナの受胎告知(1430c)です。
第二作が、このサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノの受胎告知(1422c)とされてます。
第三作が、プラド美術館にある、所謂プラドの受胎告知(1435)です。
参考までに、コルトーナとプラドの作品画像を載せておきましょう。


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ベアート・アンジェリコ(ヴェッキオ、1395c-ローマ、1455)の「受胎告知(コルトーナの受胎告知)」(1430c)
コルトーナのジェズ教会にありました。


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ベアート・アンジェリコ(ヴェッキオ、1495c-ローマ、1455)の「受胎告知(プラドの受胎告知)」(1435)
フィエゾレのサン・ドメニコ修道院にありましたが、1611年にスペイン国王に売却されて、スペイン王室所有となりました。
ベアート・アンジェリコの受胎告知では、フィレンツェのサン・マルコ修道院にある2点のフレスコ画が有名です。


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ベアート・アンジェリコ(ヴェッキオ、1395c-ローマ、1455)の「受胎告知(サン・マルコの受胎告知)」


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ベアート・アンジェリコ(ヴェッキオ、1395c-ローマ、1455)の「受胎告知」
フィレンツェ、サン・マルコ修道院の第3僧房にあります。


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サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノの作品に戻ります。


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父なる神


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受胎告知する大天使ガブリエーレ


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受胎告知される聖母


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プレデッラを見ます。
前述のようにプレデッラは、ベアート・アンジェリコの協力者だったザノービ・ストロッツィ(フィレンツェ、1412-1468)によって描かれました。
裾絵ですが、「キリスト生誕」の部分が欠落していると言われてます。


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聖母の結婚


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ご訪問


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マギの礼拝


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キリストの神殿奉献


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聖母の死


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詳しく見ます。


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サイズは、縦195cm、横158cmです。


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受胎告知と父なる神がベアート・アンジェリコの作品です。


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大天使ガブリエーレ


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金が使われてます。


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左上部分に注目です。


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左上にアダムとイヴの楽園追放が描かれてます。


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聖母マリア


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父なる神


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プレデッラ


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聖母の結婚


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ご訪問


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マギの礼拝


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キリストの神殿奉献


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聖母の死


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(つづく)

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15世紀のフィレンツェの逸名画家作「パドヴァの聖アントニオ」


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上部ルネッタは受胎告知です。


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注文者は特定されてません。


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描かれている注文者は多分夫婦でしょう。


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ヤコポ・デル・セッライオ(フィレンツェ、1441-1493)の「受胎告知」(1472c)


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ヤコポ・デル・セッライオは、フィリッポ・リッピの弟子でした。


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プレデッラ


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受胎告知する大天使ガブリエーレ


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受胎告知される聖母


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プレデッラ


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幼きキリストを崇拝する聖母


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聖セバスティアーノ


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「玉座の聖母子と四聖人」


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アレッサンドリアの聖カテリーナと聖ジョヴァンニ・バッティスタ


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ドメニコ・ディ・ミケリーノ(フィレンツェ、1417-1491)の「玉座の聖母子と聖人たち」(1450-60c)


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ドメニコ・ディ・ミケリーノは、ベアート・アンジェリコの強い影響を受けた画家です。本名ドメニコ・ディ・フランチェスコでした。ミケリーノ・ディ・ベネデットに師事しましたが、師匠から技量卓越が認められ、師匠の名前ミケリーノの使用が許されたことで、ドメニコ・ディ・ミケリーノを名乗ったとされてます。
ヴァザーリに拠れば、ベアート・アンジェリコの弟子とされてます。


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聖人が特定されてます。


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聖アントニオ・アバーテ、聖ジョヴァンニ・バッティスタ、聖マルゲリータ


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聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖マルゲリータ


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聖マルゲリータ


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聖母子


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聖ヤコポ、聖マリア・マッダレーナ


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聖マリア・マッダレーナ


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聖ピエトロ・マルティーレ


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17世紀のトスカーナの金工家作「行列用十字架」(17世紀)


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P1780024
(つづく)

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文書です。


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サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ祈祷所の1712年から1734年の決議と状況について記した記録文書です。


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筆記体の文書を読むのが苦手です。


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フィレンツェの逸名彫刻家作、またはナンニ・ディ・バルトロ通称イル・ロッソ(フィレンツェ、1419-1437活動記録)作かもしれない「聖ロレンツォ」


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ナンニ・ディ・バルトロ通称イル・ロッソはドナテッロの弟子でした。


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サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ祈祷所の記録文書です。


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日によって違うページが開かれてます。


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サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ祈祷所記録文書の1484年から1655年の章です。


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「聖母子」


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「音楽天使たちの合唱」(1440-50c)


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パオロ・ディ・ステファノ・バダローニ通称パオロ・スキアーヴォ(ローマ、1397-ピサ、1478)の「聖ビアージョ」


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ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ通称ロ・スケッジャ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1406-フィレンツェ、1486)の「トラヤヌス帝と未亡人の物語」(1430-40c)


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マリオット・ディ・クリストファノ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1395c-フィレンツェ、1457)の「聖母と聖ルチアとキリスト」(1420-25c)


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プレデッラの聖アゴスティーノ


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大天使聖ミケーレ


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聖エレモシア
(つづく)

サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノのドゥオーモ付属美術館 Museo della Basilica di Santa Maria delle Grazieについては既に書きましたが、改編して再度アップすることにします。
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マザッチョ広場に面して、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂(写真右)とサン・ロレンツォ教会(写真左)の2つの教会が建ってます。


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2つの教会に挟まれた建物が司祭館です。


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この建物にドゥオーモ付属美術館があります。


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付属美術館の設立は、1864年でしたが、1959年に再編成されました。1990年から一般公開されるようになりました。2003年に改装のため一旦休館となりましたが、2005年に改装再オープンされて現在に至ってます。


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美術館の入り口です。


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入口にある紋章


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展示室に向かいます。


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展示室の入り口です。
展示室は6部屋から成ってます。


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展示室内に入りました。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂にあった作品が展示の中心ですが、街のPalazzoや他の教会から集められた作品が展示されてます。
14世紀から20世紀にわたる絵画、彫刻、調度品、本などが展示されてます。


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フィレンツェ派逸名画家作「聖母子と五色鶸(ひわ)」(18世紀初め)


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幼きキリストが手にしているのが五色鶸 cardellinoです。


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展示作品数は多くありません。


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マリオット・ディ・ナルド(フィレンツェ、1364-1424)の「聖母と聖マリア・マッダレーナと三位一体と聖人たち」(1400-05)


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中央パネル


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左パネル


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右パネル


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ジョヴァンニ・デル・ビオンド(プラートヴェッキオ、?-フィレンツェ、1356から記録 1399没)の「神の祝福」(1374)


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ジョヴァンニ・デル・ビオンド(プラートヴェッキオ、?-フィレンツェ、1356から記録 1399没)の「ピエタのキリスト」(1374)


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マリオット・ディ・クリストファノ(サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ、1395c-フィレンツェ、1457)の「玉座の聖母子と四聖人と発注者」


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ジョヴァンニ・ダ・ピアモンテまたはジョヴァンニ・ディ・ピアモンテ(トスカーナ、15世紀中頃活動)の「大天使ラッファエーレとトビアス」


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パオロ・ディ・ステファノ・バダローニ通称パオロ・スキアーヴォ(ローマ、1397-ピサ、1478)の「聖アンサーノ」


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パオロ・ディ・ステファノ・バダローニ通称パオロ・スキアーヴォ(ローマ、1397-ピサ、1478)の「音楽天使たちの合唱」


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(つづく)

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この辺でアルノ川を切り上げます。


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街の中心に向かうことにしました。


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Ponte Ipazia D'Alessandroの前を一旦右に出ます。


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Via di Val D'Arnoに入りました。


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アルノ川沿いの幹線道路SR69です。


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幹線道路に面して立ってるのは、ピエトロ・チェッカレッリ(ヴァル・ディ・チェチーナ、1888-フィレンツェ、1949)の「第一次世界大戦の追悼碑」(1926)です。
この彫刻の制作前に、コンペが行われ、その勝者であるチェッカレッリが制作しました。


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SR69を左折してローマ通りに入りました。この先に街の中心の広場があります。


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Palazzo d' Arnolfoとドゥオーモのクーポラが写ってます。


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ローマ通りを進んでカヴール広場に向かいました。


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サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会の鐘楼が写ってます。


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リベルタ広場に向かいます。広場と言っても実際は道幅の広い道路です。


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ローマ通りの建物


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リベルタ広場


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カヴール広場に入ります。


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カヴール広場


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アーチの左にサンティッシマ・アンヌンツィアータ教会があります。


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サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会の扉は相変わらず閉まったままでした。


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広場に立つのはジュゼッペ・ガリバルディ像です。


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写真左の建物は、Convento delle Agostinianeです。


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この建物が分からない。


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Palazzo d' Arnolfoです。


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Palazzo d' Arnolfoのロッジャです。


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ロッジャの壁


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フレスコ画断片でしょうか?


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Museo delle Terre Nuoveの入り口です。


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この時は入館しませんでした。前回入館したので、それで十分です。


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アルベルティ通り


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(つづく)

405
雷鳴が遠のき、雨が小降りになりました。


406
大体見たようなので、駅に向かいました。


407
城壁を潜ります。


408
城門の壁に描かれた絵


409
ベアート・アンジェリコの「受胎告知」を見たくなると、この街に来ます。


411
駅に着きました。


410
フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ行の列車を待ちました。
この時の旅は、これで終わりです。


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その2年後、季節は前回と同じ6月です。
アレッツォの駅舎です。


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この時は、アレッツォからサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノへの日帰り遠足でした。
サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノは、アレッツォとフィレンツェのほぼ中間にあります。


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アレッツォに数泊して、ポッピ、モンテルキ、スッビアーノ、サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノへの日帰り遠足をしました。アンギアーリ、チッタ・ディ・カステッロ、コルトーナ、サン・セポルクロにはそれぞれ泊まりました。


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フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ行のRVを待ってます。


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列車内は空いてました。


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サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ駅に定刻に到着しました。


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駅舎


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駅前広場


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駅から外に出ると、真っ先に、奇妙なハイヒールのオブジェが目に飛び込んできました。


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この写真で赤いハイヒールのオブジェの位置がお分かりになると思います。
以前には無かった。オブジェの意味がサッパリ分からない。


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先ずアルノ川に向かいます。


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駅からアルノ川まで約500mです。


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道路沿いに真新しい石造りのベンチが整備されていました。2年前には無かったと思います。


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ガリバルディ通りとの交差点を通り過ぎます。


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チェーザレ・バッティスティ通りを進みます。


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アルノ川に向かうのは、私がアルノ川渓谷にある街という名前にピンとこないのですが、それをブログに読み手である皆さんがどう思われるのか、知りたいがためです。


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ピアーヴェ通りに入ります。


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ピアーヴェ通りの先にアルノ川があります。


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川傍の、この地区はアルノ川の氾濫に苦しんだそうです。
個人的には、川傍に住めば、その辺のリスクは当然承知の上の筈と思います。


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モンテ・グラッパ通りとの交差点を通過しました。


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トリエステ通りを過ぎます。


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木が見えてますが、アルノ川沿いの並木です。


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堤防の上に出ました。


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アルノ川です。


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広い河原があります。Val d'Arnoにそぐわないと思います。val=峡谷、渓谷、谷ですから。


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アルノ川に架かるPonte Ipazia D'Alessandro


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川沿いの遊歩道を歩いて橋に向かいます。


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カステル・サン・ジョヴァンニが築かれた13世紀末には、深い谷になっていたそうですが、現在の姿からは想像できません。


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それだけ浸食と堆積が凄かったということでしょう。


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初めて、ここに来た時、渓谷美を楽しむのが目的でしたが、見事に当てが外れてガックリしたことを覚えてます。


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橋を渡ります。


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橋の上から撮った写真


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緩やかな流れです。


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(つづく)

375
カステル・サン・ジョヴァンニからサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノへと、街名が何時変わったのか、分かりません。


376
古い家が多い街ですが、実は、第二次世界大戦で破壊され、1970年台に復元された建物が多いのです。


377
鐘楼が写ってますが、教会です。


378
アーチの所に教会の入り口があります。


380
サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会です。


381
この建物は病院として建設されましたが、1528年にアゴスティーノ会修道院に転用され、修道院付属の教会がアーチに造られたのです。


379
17世紀に後期バロック様式の教会に改造されました。


382
アーチを潜ってカヴール広場方面に出ました。


386
サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会の柱廊前からサンティッシマ・アンヌンツィアータ教会を臨む。


383
カヴール広場に戻ってきました。


385
サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会です。


387
1312年に建設されました。
マリオット・ディ・ナルドの祭壇画がありましたが、取り外され、現在はドゥオーモ付属美術館に移されてます。


530
普段は扉が開いていることはありません。恐らく宗教活動を停止した旧教会と思います。
演奏会場として使用されているようです。


532
僅かに残されているフレスコ画断片


534
メディチ家の紋章


533
フィレンツェ派逸名画家作「聖母子」(17世紀前半)


531
出入口方向


384
夕方になって、人出が多くなってきました。


388
ローマ通りです。


389
Palazzo d' Arnolfoを見ます。


390
ジョルジョ・ヴァザーリ(アレッツォ、1511-フィレンツェ、1574)によれば、アルノルフォ・ディ・カンビオ(コッレ・ディ・ヴァル・デルザ、1245c-フィレンツェ、1302/1310)の設計によって13世紀末に建設されたそうです。


391
壁の紋章


392


393
ロッジャの紋章
現在、Palazzo d' Arnolfoは、Museo delle Terre Nuoveとして一般公開されてます。


535
Museo delle Terre Nuoveは2013年にオープンしました。


536
時間が有り余っている人向きの博物館です。


394
ドゥオーモ付属美術館が開く時間になりました。


357
開館していたので安心しました。イタリアでは突発的臨時休館がよくあるので。


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入館しました。


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ドゥオーモ付属美術館に付いては、既にアップしました。そちらをご参照願います。
成り行きによっては、もう一度取り上げる可能性が無きにしも非ず。


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ベアート・アンジェリコの帰属作品「受胎告知」


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この「受胎告知」が美術館の目玉です。


403
外に出たら雷雨でした。


402
次はドゥオーモです。


286
ドゥオーモについては、後程取りまとめてアップします。


399
ドゥオーモのクーポラと鐘楼


326
次はサン・ロレンツォ教会です。


329
サン・ロレンツォ教会も後程取りまとめてアップします。


344
主祭壇画は、ジョヴァンニ・デル・ビオンド(プラートヴェッキオ、?-フィレンツェ、1356から活動記録-1399没)の作品です。


401
Palazzo d' Arnolfoの柱廊で暫し雨宿り。


404
雨は直ぐ小降りになりましたが、稲光と雷鳴が凄まじかった。


395
ローマ通り


396
マゾリーノ・ダ・パニカーレ(パニカーレ、1383-フィレンツェ、1440c)もサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ生まれです。パニカーレ生まれですが、パニカーレはサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノの分離集落です。


397
歩行者は通行可能です。


398
アルノ川に行く予定でしたが、天気が悪いので次の機会に。


400
(つづく)

256
フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ駅からサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノに向かいます。


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車内は空いてました。
サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノは、人口16,847人(2019年12月31日現在)のトスカーナ州アレッツォ県にあるコムーネです。アルノ川渓谷にあるサン・ジョヴァンニという意味の街の名称です。


257
定刻にサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ駅に到着しました。
銀行家で歴史家でもあったジョヴァンニ・ヴィッラ―ニ(フィレンツェ、1276/1280-1348)の著述によれば、1296年、フィレンツェの前線防衛基地としてアルノルフォ・ディ・カンビオ(コッレ・ディ・ヴァル・デルザ、1245c-フィレンツェ、1302/1310)の設計によって築かれた街で、当時、街はカステル・サン・ジョヴァンニと呼ばれていました。


258
駅からアレッツォの方向にサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂のクーポラが見えました。
私にとってのサン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノは、聖堂付属美術館に行くことです。同美術館で展示されているベアート・アンジェリコ(フラ・アンジェリコ)の帰属作品「受胎告知」が秀逸です。


259
サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ駅の駅舎です。
今回の旅は、フィレンツェからの日帰りです。


260
駅前の通りを左折して聖堂の方に向かいます。


261
ジュゼッペ・マッツィーニ通り


262
コルソ・イタリア


263
城壁が一部残されてます。


264
前線防衛基地として建設された街の城壁なので、建設当初から堅固に築かれました。しかし、更に防衛力を増すために11356年から1363年にかけて再建されました。
その後、アルノ川の度重なる氾濫のために、城壁は大きな被害を受けたので、16世紀初頭に再建された城壁が現存しています。
アレッツォがフィレンツェの支配下になったことから、前線防衛基地としての、この街の重要性が薄れ、城壁の整備増強は16世紀初頭の再建を以って終わりとなりました。


266
城壁に防御塔が24設けられていましたが、そのうちの一つです。


265
市庁舎の分庁舎です。


267
ローマ通りからカヴール広場に向かいます。


268
ローマ時代に築かれた街を手本にアルノルフォ・ディ・カンビオが設計したと言われてます。


269
カヴール広場です。


270
広場に面して古い建物が建ってます。


271
ファサード下に柱廊がある建物は、サン・ジョヴァンニ・バッティスタ教区教会です。


272
Palazzo d' Arnolfo


273


274


275
Palazzo d' Arnolfoを境に広場名がマザッチョ広場になります。


276
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂、サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノのドゥオーモです。


277
サン・ロレンツォ教会です。


278
マザッチョ広場から見たPalazzo d' Arnolfoです。


356
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂とサン・ロレンツォ教会の間にある建物は司祭館です。ここにドゥオーモ付属美術館の入り口があります。


353
美術館が開館時間になるまで、付近をぶらぶら歩いて時間潰しです。


358
2つの教会の拝観は、美術館を見てからにします。


361
サン・ロレンツォ教会左のアルベルティ通りに入ると直ぐに教会が見えます。


362
サンタ・ルチア・ミゼリコルディア教会です。


364
14世紀に建設されたゴシック様式の小さな教会です。


363
1365年に奉献式が執り行われました。


365
中に入りました。単廊式、ラテン十字形の内部です。


367
詳細不知


372
この教会に祭壇画が4点あったそうですが、現在は主祭壇画だけになってしまいました。残りの3点はドゥオーモ付属美術館で見ることが出来ます。


369
主祭壇画の「聖ルチアの殉教」


370
フェリーチェ・フィケレッリ通称イル・リポーゾ(サン・ジミニャーノ、1605-フィレンツェ、1660)の「聖ルチアの殉教」(1640-50)


528


366
外に出る前に、もう一度祭壇を見ました。


377
次はマザッチョの家です。


529
マザッチョの生家です。博物館になる予定は無さそうです。


374
(つづく)

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