イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:ロンバルディア州 > サン・ベネデット・ポー

引き続きポリローネ修道院です。
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聖堂の礼拝堂の一つです。祭壇画は詳細不知です。


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礼拝堂天井の装飾


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これで聖堂の見学は終わりです。


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聖堂の見所を記したガイド板がありました。


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オルガンがある場所は修復工事のため立ち入り禁止になっていました。


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身廊隔壁はジュリオ・ロマーノと工房の作品ですが、殆ど見ることが出来ませんでした。


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外に出ました。


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この日の夕方に開くレストランがなさそうだったので、村歩きを続けながら食料調達です。


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ジャコモ・マッテオッティ広場です。


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Porta di Ingresso all' Abbazia del Polirone


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小さな村に泊まる場合、昼食のレストランは簡単に見つかりますが、夕食の食べる所に苦労することが結構あります。特に日帰り観光客が多い村では。


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村一番の通りであるエンリコ・フェッリ通りです。


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Palazzo Comunaleも修復工事中でした。


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旧サン・フロリアーノ教会の鐘楼です。


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修道院付近は人出が途絶えました。


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この日はこれで終わりです。
B&Bに戻り、調達した食料を食べながらワインとビールを飲み、飲んだくれて寝ました。


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翌朝です。


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この日も快晴でした。


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駅に向かいます。


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見所が修道院だけの村なので、同じような写真になってしまいます。


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駅が見えてきました。


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次の目的地に向かいました。
(サン・ベネデット・ポー編 終わり)

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アントニオ・ベガレッリ(モデナ、1499-1565)の「聖アンドレア」


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アントニオ・ベガレッリ(モデナ、1499-1565)の「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ(福音書記者聖ヨハネ)」


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詳細不知


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マティルデ・ディ・カノッサの墓(18世紀)
これは問題の墓です。1632年、サンタ・マリア礼拝堂に埋葬されていたマティルデの遺体が掘り起こされ、ヴァティカンに高額で売却したポリローネ修道院ですが、その罪滅ぼしのためでしょうか、18世紀にこの墓を造ったのです。中に遺体はありません。


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詳細不知


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詳細不知


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ジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499-マントヴァ、1546)の「聖ピエトロ」


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次の礼拝堂です。礼拝堂の名前を知りません。


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礼拝堂天井の装飾


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詳細不知


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本堂に戻りました。


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ジュリオ・ロマーノと工房の作品


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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詳細不知


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アントニオ・ベガレッリ(モデナ、1499-1565)と工房の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ(洗礼者聖ヨハネ)」


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(つづく)

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引き続きサンタ・マリア礼拝堂です。


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壁にフレスコ画が残されてます。


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12世紀に描かれたフレスコ画です。


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サンタ・マリア礼拝堂の天井装飾です。


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修復された柱頭でしょうか?


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磔刑像(詳細不知)


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アントニオ・ベガレッリ(モデナ、1499-1565)と工房の「聖ラウレンティウス」


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アントニオ・ベガレッリ(モデナ、1499-1565)の「聖ベネデット」


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アントニオ・ベガレッリ(モデナ、1499-1565)と工房の「聖パオロ」


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アントニオ・ベガレッリ(モデナ、1499-1565)と工房の「聖マルティーノ」


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聖歌隊席の上にも彫刻があります。


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詳細不知の祭壇画


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聖歌隊席は、ヴィンチェンツォ・ロヴェッタと彼が率いる工房によって16世紀に制作されました。


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聖歌隊席の一部はジュリオ・ロマーノのデザインと言われてます。


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聖歌隊席天井の装飾


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アントニオ・ベガレッリ(モデナ、1499-1565)と工房の「聖フロリアーノ」


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アントニオ・ベガレッリ(モデナ、1499-1565)と工房の「聖ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ(福音書記者聖ヨハネ)」


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詳細不知


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アントニオ・ベガレッリ(モデナ、1499-1565)と工房の「聖マウルス」
(つづく)

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ガイドさんが入り口扉を開錠して、ガイドさんと共に聖堂内に入りました。


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1797年、ナポレオンの抑圧令によって修道院が閉鎖されました。それ以来、聖堂の方は公的な宗教施設ではないとされてます。


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しかし、地元の村人は祈りを捧げるために訪れることが出来るようです。


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2012年5月29日に発生したマントヴァ付近の大地震によって大きな被害を受け、修復工事が行われていましたが、2014年、2015年に起きた、さほど大きくはなかった地震によって被害が拡大してしまいました。
ポー川とリローネ川に囲まれた島と、島周囲の河原を埋め立てて出来た、元々地盤が弱い土地の上に建設されたので、小地震でも被害を受けることが多く、修復工事が追い付かないそうです。
聖堂内に入ったものの、聖堂内の大部分が修復工事中で見学できないようになっていました。


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祭壇画は、逸名画家作「信仰の寓意」(16世紀)


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礼拝堂の祭壇


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アントニオ・ベガレッリ(モデナ、1499-1565)の「聖シモーネ」


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アントニオ・ベガレッリ(モデナ、1499-1565)の「聖マリア・マッダレーナ」


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礼拝堂天井の装飾


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この礼拝堂は危険ではないので、拝観出来ますが、修復工事が必要との事でした。建物の危険度によって、修復の優先順位を付けているそうです。


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磔刑の礼拝堂


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磔刑礼拝堂天井


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サン・ベネデット礼拝堂


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通路の左右は修復工事中です。


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クーポラ


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ジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499-マントヴァ、1546)と工房の作品


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次はサンタ・マリア礼拝堂です。
ボニファチョ・ディ・カノッサ(985-1052)によって、11世紀に再建された修道院ですが、その時にサンタ・マリア礼拝堂も建設されました。


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トスカーナ女伯爵マティルデ・ディ・カノッサ(マントヴァ、1046-ローマ、1115)は、ポリローネ修道院に多大な寄付を行いましたが、ローマで没した彼女の遺体はポリローネ修道院に運ばれ、サンタ・マリア礼拝堂に埋葬されました。


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サンタ・マリア礼拝堂の祭壇画(詳細不知)


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サンタ・マリア礼拝堂の床のモザイク


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11世紀-12世紀のモザイク


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モザイクの所にマティルデ・ディ・カノッサの墓がありました。


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マティルデの墓の跡です。
1632年、マティルデの遺体が掘り起こされ、ヴァティカンに運ばれました。当時の修道院長が教皇に対して、非常な高額でマティルデの遺体を売却したのです。売る方も売る方であり、買う方も買う方です。


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古そうな柱です。


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(つづく)

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引き続きワイン醸造所の荷車です。


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修道院と村人の関係は必ずしも良かったとは言えない時期が続いたそうです。


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関係が悪かったのは、無給、或いは非常な薄給で村人を徴用したからだそうです。


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前述のように、カノッサの屈辱で有名なトスカーナ女伯爵マティルデ・ディ・カノッサ(マントヴァ、1046-ローマ、1115)はこの修道院で埋葬され、1632年にローマのサン・ピエトロ大寺院に移されました。
その理由を知ると嫌になります。


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当時の修道院長が、第235代教皇ウルバーノ8世(フィレンツェ、1568-ローマ、1644 在位:1623-1644)にマティルデの遺体を売ったのです。


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しかも非常な高額での取引だったと伝えられてます。
キリスト教の初期には、聖人の聖遺物が祭壇の下にないと、教会建設できなかったので、聖遺物の最たるものである聖人の遺体は高額で取引されることがありましたが、マティルデ・ディ・カノッサは聖人ではありません。


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修道院の荷車に描かれる図柄では異質になります。


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この半地下の場所は洪水の時にはどうしたのでしょうか?


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彫刻も見どころです。


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絞り器


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外に出ました。


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次は聖堂です。


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前述のように修道院教会はジュリオ・ロマーノ聖堂とも呼ばれてます。12世紀に再建された教会はロマネスク様式でしたが、後に一部改造されてロマネスコ・ゴシック様式の建物になりました。
そのロマネスク・ゴシック様式を出来るだけ生かして、ジュリオ・ロマーノによって1540年から1545年に拡大改造されて現在の姿になりましたが、ジュリオ・ロマーノの功績をたたえるために1547年にジュリオ・ロマーノ聖堂と呼ばれるようになったのです。


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聖堂ファサードに向かって右側に塀と門が設けられてます。


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塀の上に聖人たちの彫像が置かれてます。


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彫像の制作者等の情報を知りません。


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ファサード下部に柱廊が設けられてます。


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柱廊天井


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中央入り口扉上ルネッタにフレスコ画があります。


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ルネッタのフレスコ画は、ジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499-マントヴァ、1546)によって制作されました。


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ファサードの左右の壁龕にアダムとエヴァ(イヴ)の彫刻があります。


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制作者は不明のようです。


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次は木製の入り口扉です。


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ガイドが熱心に説明してくれたので、芸術性の高い貴重な扉なのでしょう。


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いくら見ても傑作には思えなかったので、ガイドさんの説明は馬の耳に念仏でした。


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ジュリオ・ロマーノのデザインによって1547年に制作された扉です。


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制作したのは、ヴィンチェンツォ・ロヴェッタ工房だそうです。


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熱心な説明をフンフンと頷きながら、さも興味があるように撮った写真です。


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ガイドさんと一対一は、かなり気を使います。


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(つづく)

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サン・ベネデットのキオストロに戻りました。


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サン・ベネデットのキオストロから見た聖堂


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次は修道院食堂です。


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現存する食堂は、1478年に建設されました。


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食堂入り口壁の案内標識


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食堂の中に入りました。
修道院食堂の定番とも言える最後の晩餐があります。ただ、有り難がって見るべき最後の晩餐ではありません。


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「最後の晩餐」とそれを取り囲むフレスコ画の制作者が異なります。


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ジローラモ・ボンシニョーリ(ヴェローナ、1472-マントヴァ、1529)の「最後の晩餐」(1514c)
実は、ここにあるのは本物の精巧な写真です。本物のキャンバス画はロヴィーゴの市立美術館にあります。


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ジローラモ・ボンシニョーリは、フラ・ボンシニョーリとも呼ばれたドメニコ会の修道士画家で、レオナルド・ダ・ヴィンチの強い影響を受けた画風でした。
この「最後の晩餐」もレオナルドの「最後の晩餐」に酷似しています。


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トリノ大聖堂にレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」のコピー画がありますが、技量の点ではトリノの方が勝るように思います。


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ここの見所としては、「最後の晩餐」を取り囲むフレスコ画です。こちらは本物です。


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礼拝堂を模した騙し絵です。


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フレスコ画(1514c)は、アントニオ・アッレグリ通称イル・コッレッジョ(コッレッジョ、1489c-1534)に帰属します。


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壁龕、そこに置かれた彫刻などは騙し絵のフレスコ画です。制作者等の情報が分かりません。


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天井のフレスコ画


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修復工事が行われていたので、立ち入り禁止になってました。


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写真ですが、敬意を表して最後の晩餐をもう一度見てから先に進みます。


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食堂からワイン醸造所に続く通路です。ここは、ワインの熟成所だった場所です。


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碑文が展示されてます。
1585年、天正遣欧少年使節の一行がポリローネ修道院に訪れましたが、その記念碑も展示されています。


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修道院の柱、柱頭、彫刻などが展示されてます。


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聖ロムアルド(制作者情報不知)


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アントニオ・ベガレッリ(モデナ、1499-1565)の「聖母子」


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ワイン醸造所です。ワイン醸造は修道院の主要事業の一つでした。


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ブドウの摘み取り、ワインの移送など様々な用途に使用された荷車が展示されてます。


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修道院の荷車らしく聖職者が描かれてます。


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(つづく)

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サン・シメオーネのキオストロ回廊です。


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現存するサン・シメオーネのキオストロ回廊は1458年から1480年に建設されました。


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後期ゴシック様式の柱廊です。


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柱廊の壁ルネッタにフレスコ画があります。


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15世紀後半にフランドルの画家数名によって制作されたと帰属されてます。


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ルネッタのフレスコ画のテーマは、聖シメオーネの生涯の物語となってます。


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天井に修道士、司教が描かれてます。
これもフランドルの画家数名の作品です。


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色褪せてはっきり見えない所は、当初、教皇が描かれていたそうです。


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暇そうに立っている人は、この日のガイドさんです。客が私一人で、私が熱心に見て回るので、その間、暇を持て余したようでした。


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サン・シメオーネのキオストロ


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サン・シメオーネの柱廊から修道院修士会堂 Sala del Capitoloに入りました。


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1007年、テダルド・ディ・カノッサ伯爵(?-1012)によって創建された修道院の一部が残されてます。


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最初に建設された建物の土台


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ロマネスク様式の建物でした。


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20世紀に修復された柱頭


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1458年から1459年に改造されたクロスヴォールトです。


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(つづく)

次は、民族学博物館 Museo Civico Polironianoです。
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修道院の僧房が展示室になってます。


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展示室は10室から成ってますが、同じ僧房でも数室になっている場合があって、僧房が10室ある訳ではありません。
第1室の「穀物の栽培」です。


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第2室の「馬小屋と牛乳の供給」


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中世の村人は人形で表現されてます。


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第3室の「チーズの製造」


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第4室の「サラミ製造」


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第5室の「農村社会」


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僧房のフレスコ画


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第6室の「村人の生活」


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第6室です。


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部屋の装飾


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第7室の「村人の生活」


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馬車の装飾


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フレスコ画の詳細等については、私は全然分かりません。


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第8室の「交易と職業」
展示は特産品のようです。


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第9室の「農村社会」


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機織り機?


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女性の生活


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農機具


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第10室の「学校の教室」


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部屋のフレスコ画断片(詳細不知)


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個人用の祈りを捧げるもの


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部屋のフレスコ画


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民族学博物館を出ます。


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柱廊に出ました。


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聖堂のクーポラ


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サン・シメオーネのキオストロです。
(つづく)

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次は、ポリローネ修道院 Abbazia di San Benedetto in Polironeです。
修道院聖堂の複合施設であり、またMuseo Civicoなので、カテゴリーをどうするか迷う所ですが、全部を含めて一枚の切符で見学できることから敢えて「美術館」のカテゴリーに入れました。


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複合施設の全体像は、航空写真で分かると思います。


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切符は観光案内所で買うことが出来ます。見学は原則としてガイド付きツアーになってます。
建物の概略図 1は修道院聖堂、教会です。2.修道院食堂 3.サン・シメオーネの中庭 4.サン・ベネデットの中庭 5.在家の中庭 6.ワイン醸造所(修道院の主要産業がワイン醸造でした) 7.修道院修士会堂 8.Museo Civoco Polironiano


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広大な面積に加えて見所が沢山あるので、全部を見ようとすると、相当な時間と労力が必要となります。


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ブレーシャ、モデナ、フェッラーラ、レッジョ、マントヴァの伯爵テダルド・ディ・カノッサ(10世紀後半生まれ-1012没)によって1007年に創建された修道院です。
テダルド・ディ・カノッサは、カノッサの屈辱で有名なトスカーナ女伯爵マティルデ・ディ・カノッサ(マントヴァ、1046-ローマ、1115)の祖父です。
修道院は7人の修道士がいるだけの小さなものだったそうです。やがて小さな教会も建設されました。


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ポー川とその支流リローネ川に囲まれた修道院は、創建以来洪水被害に悩まされていました。
11世紀、テダルドの息子で、マティルデの父ボニファチョ・ディ・カノッサ(985-1052)によって修道院は拡大されると共に教会が再建されました。
教会は、12世紀にさらに再建され、1130年に奉献式が執り行われました。
修道院内に現存するサンタ・マリア礼拝堂はボニファチョ・ディ・カノッサによって建設されました。


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1077年、修道院はベネデット会に渡されました。


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トスカーナ女伯爵マティルデ・ディ・カノッサ(マントヴァ、1046-ローマ、1115)は、修道院に対して多大な寄付を行いました。その寄付のお陰で裕福な修道院になりました。
ローマで没したマティルデの遺体は、運ばれてポリローネ修道院のサンタ・マリア礼拝堂に安置されました。現在、マティルデの墓はヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂にありますが、1632年に彼女の遺体がポリローネ修道院から移されました。


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サンタ・マリア礼拝堂にあるマティルデ・ディ・カノッサの墓跡です。


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サン・ベネデット・イン・ポリローネ聖堂は、別名ジュリオ・ロマーノ聖堂と呼ばれてます。
1540年、修道院と教会の修復がジュリオ・ロマーノ(ローマ、1499-マントヴァ、1546)に委嘱されましたが、1547年に完成した聖堂です。


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1797年、ナポレオンの抑圧令によって修道院が閉鎖されてしまいました。
その間、ポリローネ修道院は、政治的にも、文化的にも、宗教的にも、そして経済的にも、この地方一帯における歴史の中で重要な役割を果たしました。


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修道院は、困窮者の救済に当たるとともに、彼らの一時的な住居となりました。


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観光案内所兼切符売り場で、ガイドと待ち合わせて見学に出発しました。この日の客は、私一人でした。
最初はサン・ベネデットのキオストロです。


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写真左が聖堂(教会)、写真右が修道院食堂ですが、その間にあるのがサン・ベネデットの中庭です。


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中庭を囲んで回廊が設けられてます。


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サン・ベネデットのキオストロ回廊です。


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回廊の壁のルネッタ上にフレスコ画があります。


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フレスコ画のテーマは、聖ベネデットの生涯の物語です。


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1475年頃に描かれたフレスコ画です。
フレスコ画の制作者は不明とされてますが、絵画を描く修道士の可能性があるそうです。この当時、修道士画家がいる修道士会は珍しくありませんでした。


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2012年5月29日、マントヴァ地方を襲った大地震によって建物は大きな被害を受けました。また、その2年後の2014年、さらに2016年にも地震に見舞われて、修復工事が追い付かない状況になってます。


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2つの川の川中島に、その周囲を埋め立てた土地に建設されたので、元々地盤が悪く建物の強度に問題があるとされてます。


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また、度々洪水に見舞われたので、その影響によって地震に弱いそうです。


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次は在家のキオストロです。


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キオストロ回廊があります。回廊にはフレスコ画がありません。


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中庭を囲む建物L'Infermeria Nuovaの彫刻


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在家の回廊です。


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修復工事中の回廊の彫刻


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柱によって建物を支えてます。これから本格的な修復工事が行われるようです。


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(つづく)

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Via Eugenio Dugoni


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村の案内地図が村の入り口にありました。


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ポリローネ修道院聖堂の案内地図です。


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修道院だった建物です。ここにサン・ベネデット・ポーの民族博物館 Museo Civico Polironianoがあります。物質文化、農村社会、修道院の歴史や産業などが展示されてます。


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Museo Civoco Polironianoは、修道院だった建物の地下と一階(日本の二階)に主に設けられてます。


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切符売り場は、観光案内所を兼ねる場所にあるので、旧サン・フロリアーノ教会近くのこちらから入館する人は滅多にいないようです。
私は修道院、聖堂の一環として入館したので、こちらの出入口とは無縁でした。


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博物館前から旧サン・フロリアーノ教会を撮った写真です。


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修道院の周りは閑静な住宅地になってます。


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城壁は築かれたことがなかったようです。


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荒廃した教会のような建物は、16世紀初頭、当時の修道院長ジョヴァンニ・コルサーロ・ダ・ヴェネツィアによって建設された修道院図書館です。
1797年、ナポレオンの抑圧令によって修道院が閉鎖されてしまいました。図書館の所蔵図書はマントヴァ市図書館に運ばれて、現在でも所蔵されてます。
図書館だった建物はボタン工場に転用されました。建物の隣の煙突は、ボタン工場時代のものです。


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修道院図書館だった建物の保存計画があるようですが、資金難のため先行き不明のようです。


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観光客にとっては、この辺は無視しても良さそうです。


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ポー川とリローネ川の繰り返される洪水によって、疲弊した村でした。


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この辺は修道院の農園でした。


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戦争、略奪、洪水によって貧しい修道院として有名だったそうです。


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この村の見所は、やはり修道院と聖堂だけと痛感できました。


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幹線道路に囲まれている村です。


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ポー川の堤防にやってきました。


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ポー川です。


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流れが速く、水量が多い川でした。


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ポー川を見ていても詰まらないので、村の中心に戻ることにしました。


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村を一周して、観光客にとってのサン・ベネデット・ポーはポリローネ修道院と聖堂に尽きます。


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グループ・ツアーのご一行様が来ていました。グループの場合、Museoの休館時間でも修道院、聖堂、博物館巡りが可能のようです。


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観光案内所に向かいます。


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観光案内所がMuseo(修道院と聖堂を含みます)の切符売り場を兼ねてます。また、ガイドとの待ち合わせ場所になっており、見学はここから出発します。


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切符を買いましたが、ガイドとの待ち合わせまで時間があったので、それまで適当に歩き回りました。


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修道院のサン・ベネデットのキオストロです。


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キオストロは綺麗に整備されてます。


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キオストロの柱廊


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サン・ベネデットのキオストロと聖堂の間に建っている建物が分かりません。


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写真左の建物です。


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トレント通りです。


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Piazza Matilde di Canossaです。


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Basilica Minoreに格付けされてます。


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Basilica Polironiana


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(つづく)

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スッザーラは、マントヴァ、モデナなどを結ぶ鉄道支線のターミナル駅です。


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スッザーラからサン・ベネデット・ポーに向かいます。


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この辺は、Trenitalia子会社が運行しています。


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Ferrovie Emilia Romagnaの車両に乗車しました。


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車内は空気を運ぶような状況でした。


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電車ではなく、気動車です。


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サン・ベネデット・ポー駅に到着しました。


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サン・ベネデット・ポー駅の駅舎です。勿論、無人駅です。


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村の入り口に通じるアントニオ・グランシ通りです。


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サン・ベネデット・ポーは、人口6,890人(2019年12月31日現在)のロンバルディア州マントヴァ県にあるコムーネです。


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ポー川とその支流リローネ川との間の島を基に、その河原を埋め立てて拡張した土地に建設されたポリローネ修道院がありましたが、修道院そのものが村と言っても過言ではありません。
ポリローネの名称は、ポー川とリローネ川に由来します。


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ローマ通りとの交差点を通り過ぎます。


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カヴァッロッティ通りとの交差点を通り過ぎます。


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村の中心入り口の目印となっている旧教会の鐘楼です。


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ポリローネ修道院教会にやってきました。


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Piazza Folengo Teofiloは青空市の真っ最中でしたが、人口が少ないので、店の数もそれに比例して少なかった。


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写真左が修道院で、写真中央が聖堂です。


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こちらは食堂で、中に最後の晩餐があります。


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Piazza Matilde di Canossa


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この日のお宿に向かいます。


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聖堂と修道院はMuseoになっています。


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後でゆっくりと見る予定です。


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この日のお宿はB&Bでしたが、鍵の受け渡し、鍵が開かない、所有者との電話がつながらないのトラブルがあって散々な旅となってしまいました。


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観光案内所がありますが、B&Bのトラブルに際して、その係員に大変お世話になりました。


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某社ネット予約サイトでB&Bを予約したのですが、その際、予定到着時間連絡必須だったので、ネット予約で予定時間を連絡しました。日本を出発前に、念のために予約サイトとB&Bのメールアドレスに予定到着時間をメール送信しました。予約サイトからは、B&Bにメール連絡したが、確認の連絡を受けていないとのメールがありました。私のB&Bへの直接連絡に対しても、返答がありませんでした。
でも現地に行けば、何とかなるだろうと高を括って、この村に来たのですが、結果、最悪だったのです。


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B&Bに行ったら無人、施錠されたまま。扉の前に連絡先として固定電話と携帯電話の番号が書いてあったので、電話したら、固定電話の方は室内から呼び出し音がなっているので、どうにもなりません。携帯電話の方は、電源が入っていない(イタリア語でしかも焦っていたので多分ですが)と言うのみ、通じません。


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仕方がないので、レストランに行き、ゆっくり食事をしていると、レストランのオーナーから観光案内所に行けば必ずB&Bと連絡がつくとの助言がありました。


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観光案内所が開く時間を待ってレストランから出て、観光案内所に行くと、レストラン・オーナーの助言通り、B&Bと連絡がついてチェックインできました。
B&Bの携帯電話はいたずら電話とスパムメールの標的になっているので、使用していないとの仰せ。


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赤っぽい塗装の家がこの日のお宿です。
宿泊者は私一人。不便をかけたことに対し、詫びるでもなしの冷たい対応。この分では、何かあるだろうの予感がありましたが、見事予感が当たりました。来たのが、単なるアルバイト(私の想像ですが)の若者だったので、その辺は仕方がないと思いました。
これで問題解決の筈でしたが、外出して戻ったら鍵が開かないのです。蝶のような形をした芸術的な鍵をご存知ですか?渡された鍵が3つあって、ゲート、家、部屋の3つでしたが、ゲートと家の鍵が蝶型で、ゲートの鍵は開きましたが、家の鍵がどうしても開かないのです。
チェックインの際、問題があったら、携帯電話に連絡して欲しいとの仰せだったので、電話を架けると電源が入っていないの音声が聞こえるのみでした。話になりません。
ところが、観光案内所に行った時、案内所の女性が女性の携帯電話番号を教えてくれていたのです。多分、このような種々の問題を生じる常習犯とも言えるB&Bと認識していたのでしょう。(勝手な私の憶測です)
その女性に電話したら解決に向かいました。無事B&B側と連絡が付き、別の係員がやってきて部屋に戻ることが出来ました。表扉は慣れないと空けるのが難しいので、裏の勝手口を使うように鍵を渡されていないかった?と聞くのです。勿論、勝手口の鍵は渡されていないし、そんな話は聞いていないのです。
キッチン付きB&Bがお気に入りでよく利用してましたが、チェックイン、チェックアウト、鍵、電源、自動ロック(ベランダの自動ロックには本当に呆れました。洗濯物を干しにベランダに出たら、部屋に戻れなくなりました)等々の問題に懲りて、近頃ではフロント常駐のホテルに泊まることにしてます。


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村歩きに出発しました。


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修道院と聖堂は、Museoになってますが、ガイド付きツアーのみ可能になってます。


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エンリコ・フェッリ通り沿いの家並みです。


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ガイド付きツアーは、観光案内所出発ですが、出発まで時間があるので、それまで村歩きです。


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ゆっくり昼食を食べた店です。B&Bと連絡がつかなくて焦っていたのか、昼食時の写真を撮り忘れました。


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鐘楼右の建物は、聖堂の聖職者館です。


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青空市のトラックが広場から一台残らず立ち去りました。


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旧サン・フロリアーノ教会です。


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村の中心入り口にある旧教会の鐘楼は、村の目印になってます。2012年の地震によって被害を受け解体の危機にありましたが、修復工事資金調達が可能になって近く工事着工になるようです。


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旧サン・フロリアーノ教会前の水飲み場


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(つづく)

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