イタリア芸術を楽しむ

イタリアの魅力を味わい尽くすには、一生に何度旅をすれば足りるだろう。芸術の宝庫にして、歴史の生きた証であるイタリア。 惹き付けて止まない絵画、彫刻、歴史的建造物、オペラなど、芸術の宝庫であるイタリアを楽しむブログです。 記事は一日に一つアップしています。記事の見方ですが、例えば「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その4)」は2017年10月20日にアップしました。各記事にカレンダーが表示されてますが、カレンダー上の2017年10月21日をクリックして頂ければ「ボルゲーゼ美術館の展示作品(その5)」になります。(その3)は2017年10月20日となります。 BY:シニョレッリ

カテゴリ:ヴェネト州 > トレヴィーゾ

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聖ビアージョ?


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カンポサンピエトロのサン・ビアージョ教区教会にありました。


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トンマーゾ・ダ・モデナ(モデナ、1326-1379)の「聖オルソラの物語」(1355-58c)のフレスコ画が展示されてます。


116
トレヴィーゾのサンタ・マルゲリータ・デリ・エレミターニ教会です。
「聖オルソラの物語」のフレスコ画は、この教会にありました。


117
現在は、教会活動を停止しています。
トンマーゾ・ダ・モデナは、トレヴィーゾに少なくても10年滞在しました。その間、幾つかの教会でフレスコ画などを制作しました。


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サントルソラ礼拝堂にあったフレスコ画は、11場面に分割されて展示されてますが、その展示は聖オルソラの物語の順番通りになっていません。
「大使に結婚申し入れを渡すイングランド王」
イングランド王は、ブルターニョ王の娘オルソラを息子の嫁に迎えようとして、大使を派遣して、その申し入れ文書をブルターニョ王に渡すように命じます。


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この場面がサントルソラ礼拝堂の何処にあったのかを示してます。


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イングランド王からの文書を読むブルターニョ王


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聖オルソラの船出


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ローマに到着して教皇に歓迎される聖オルソラ


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教皇チアリ―コの夢


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教皇帽を放棄する教皇


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聖オルソラの母との別れ


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この人がここから去りません。


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話す、話す、話す


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お手上げです。私が観ているのは当然気が付いてます。それでも立ち止まってます。呆れました。


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イングランド王の息子、王子の洗礼
聖オルソラと結婚するために異教を放棄してキリスト教の洗礼を受ける王子です。


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栄光の聖オルソラ(写真再掲)


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ローマへの巡礼(写真再掲)


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聖オルソラの殉教(写真再掲)


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キオストロ回廊に出ました。


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回廊の壁に描かれたフレスコ画を見ます。


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墓石の展示


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外に出ます。


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絵画部門の展示室が未整備のようで、見ることが出来た作品が相当限定されました。それが残念でした。


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柱廊のフレスコ画を見ます。


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これです。


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非常に充実した市立美術館です。
(おわり)

旧サンタ・カテリーナ教会の続きです。
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磔刑の礼拝堂です。


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サンタ・カテリーナ教会にあった、この教会オリジナルのフレスコ画です。


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トリッティコ(1352)


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トレヴィーゾのサン・パオロ修道院にありました。


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永遠なる父(1525-50c)


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何処にあったのか、は不明のようです。


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磔刑像(14世紀末-15世紀初頭)


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サン・テオニスト教会にありました。


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小作品が展示されてます。


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象牙細工の磔刑像です。


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「聖人たち」(14世紀後半-15世紀初頭)
左端はアレッサンドリアの聖カテリーナです。


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聖ルチア


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詳細不知


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聖アガタ


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天井


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三位一体


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受胎告知


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アレッサンドリアの聖カテリーナ


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14世紀後半のフレスコ画


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騙し絵


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ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ(ファブリアーノ、1370-ローマ、1427)の「聖母子と聖マルゲリータ」(1412)
何処にあったのか、分からないようです。


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聖母子と四聖人
サンタ・カテリーナ教会にあったフレスコ画です。


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磔刑(1450-55c)


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ダーリオ・ダ・トレヴィーゾ(ポルデノーネ?、1420c-コネリアーノ、1498)の作品は、トレヴィーゾのサンタ・マルゲリータ・デリ・エレミターニ教会にありました。


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磔刑


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天井


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詳細不知


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聖ビアージョ


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(つづく)

100
絵画、彫刻部門です。


101
ロレンツォ・ロット(ヴェネツィア、1480c-ロレート、1556/1557)の「ドメニコ会修道士の肖像」


102
パリス・ボルドン(トレヴィーゾ、1500-ヴェネツィア、1571)の「玉座の聖母子と聖ジョヴァンニ・バッティスタと聖ジローラモ」


103
パリス・ボルドン(トレヴィーゾ、1500-ヴェネツィア、1571)の「キリストの復活」


104
ジョヴァンニ・ベッリーニ(ヴェネツィア、1430-1516)の「聖母子」


105
ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ(ファブリアーノ、1370-ローマ、1427)の「聖母子と聖マルゲリータ」(1412)
現在は旧サンタ・カテリーナ教会で展示されてます。


106
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(ピエーヴェ・ディ・カドーレ、1488/1490-ヴェネツィア、1576)の「スペロ―ネ・スぺローニの肖像」(1544)


107
フランチェスコ・アイエツ(ヴェネツィア、1791-ミラノ、1882)の「家族の肖像」(1807)


108
ジャンドメニコ・ティエポロ(ヴェネツィア、1727-1804)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタの説教」


109
ロザルバ・カッリエーラ(ヴェネツィア、1673-1757)の「女性の肖像」(1720-21c)
ロザルバ・カッリエーラは、パステルによる肖像画を得意にした女流画家です。


110
ロザルバ・カッリエーラ(ヴェネツィア、1673-1757)の「若い女性の肖像」(1720-21)


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旧サンタ・カテリーナ教会の中に入りました。


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旧サンタ・カテリーナ教会の構造図


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「サン・マルコの有翼のライオン」(15世紀)


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「磔刑像」(15世紀初め-中頃)


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旧教会内にあるフレスコ画は、元々サンタ・カテリーナ教会にあったものと、他の教会にあったものを剥離して移設されたものが混在しているので、注意が必要です。


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「受胎告知される聖母」


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詳細不知


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トレヴィーゾにあったサンタ・マルゲリータ・デリ・エレミターニ教会にあったトンマーゾ・ダ・モデナ(モデナ、1326-1379)のフレスコ画「聖オルソラの物語」(1355-58c)が展示の中心です。


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相当イタミがあるフレスコ画です。


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トレヴィーゾのサンタ・マルゲリータ・デリ・エレミターニ教会のサントルソラ礼拝堂にあったフレスコ画です。


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「最後の審判」


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トレヴィーゾのサン・バルトロメオ教会にあったフレスコ画です。


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サンタ・カテリーナ教会のフレスコ画(14世紀)


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柱のフレスコ画(14世紀)はサンタ・カテリーナ教会に元々あったものです。


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ここでも剥離フレスコ画が展示されてますが、サンタ・カテリーナ教会サントルソラ礼拝堂にあったものです。


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トンマーゾ・ダ・モデナ(モデナ、1326-1379)の「玉座の聖母子」(1355-57c)


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「栄光の聖オルソラ」


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(つづく)

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引き続き考古学部門の展示です。


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ローマ時代の肖像頭像です。


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有名な皇帝頭像もあります。


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皇帝ネロ


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女神フォルトゥーナ像(2-3世紀)


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女性の頭像(3世紀中頃)


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若きマルクス・アウレリウスの頭像(130-138c)


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男の頭像(2世紀)


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ローマ時代の「ヴィーナス」


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ローマ時代のボウル


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モザイク(2-3世紀)


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モザイク(3世紀)


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モザイク(3世紀)


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モザイク(3世紀)


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モザイク(2世紀中頃)


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ローマ時代の副葬品


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ローマ時代の副葬品


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副葬品(1世紀)


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副葬品(1世紀)


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副葬品(1世紀)


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ローマ時代のガラス製品


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墓碑(1世紀)


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墓石(1世紀)


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墓石(1世紀)


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墓石(1世紀)


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ローマ時代のランプ


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ローマ時代のランプ


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ローマ時代のランプ


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碑文(1世紀)


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ローマ時代のブロンズ製品


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解放奴隷の墓(1世紀)


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ローマ時代のガラス製品


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これで考古学部門を終わります。
(つづく)

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引き続き考古学部門の展示です。


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ローマ時代のモザイク


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(つづく)

134
カルロ・アルベルト通りの突き当りにサンタ・カテリーナ教会修道院があります。


137
サンタ・カテリーナ教会です。1772年に閉鎖されてから宗教活動が再開されることがない旧教会です。


136
こちらはサンタ・カテリーナ修道院だった建物です。


138
サンタ・カテリーナ教会修道院が建っている場所に、1283年からトレヴィーゾのシニョーリを務めるダ・カミーノ家の宮殿が建っていました。


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1306年、ダ・カミーノ家当主がその長男に宮殿内で殺害され、その長男も宮殿のロッジャで反乱軍によって暗殺され、ダ・カミ―ロ家はトレヴィーゾから追放されました。
追放後、ダ・カミ―ロ宮殿は放置され、荒廃しましました。


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1346年、マリアの下僕托鉢修道会が修道院建設を当時のポデスタに願い出ました。ポデスタは、荒廃したダ・カミーノ宮殿の土地と建物を与えました。
宮殿だった建物の一部を利用して、1346年、修道院と教会の建設が開始されました。


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1348年、ペスト禍によって建設工事が中断しましたが。ペストの流行が落ち着くと工事が再開され、15世紀初頭に完成しました。
当初は、サンタ・マリア修道院教会と呼ばれていましたが、後にサンタ・カテリーナ教会修道院と改称されました。


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1772年、修道院抑圧政策によってサンタ・カテリーナ教会修道院は閉鎖され、ヴェネツィア共和国の国有財産となりました。同年、競売が行われ、ベルフィオーレのフランチェスコ会三次尼僧の所有となりました。修道院抑圧政策で修道士を追放したにも拘らず、尼僧に落札させたのは矛盾のように思えます。


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1806年、ナポレオンの抑圧令によって、サンタ・カテリーナ教会修道院の建物はフランス軍に接収されて、軍事施設に転用されました。フランス軍の撤退後も国有の軍事施設として継続使用され、その状態は第二次世界大戦の終戦まで続きました。


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1944年4月7日と1945年3月10日の、ドイツ軍によるトレヴィーゾ空爆の際、修道院教会の建物は爆撃を受けて大きな被害を受けました。
戦後になっても建物の修復は未着手のまま放置されました。


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1974年、サンタ・カテリーナ修道院教会の建物に市立美術館の設置が決定されましたが、資金難のために建物の修復が中々進捗しませんでした。


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修復が済んだ建物の一部を使用して、市立美術館が2003年に部分開館しました。本格的な開館は2015年のことでした。
現在も建物の修復工事が継続されており、美術館は更に拡大されることになってます。


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修道院のファサード


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市立美術館の入り口です。


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月曜日が休館ですが、月曜以外は開館するものの毎日昼休みがあります。


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サンタ・カテリーナ修道院教会の鐘楼です。


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後陣


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修復が少し進んだ後陣


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サンタ・カテリーナ教会ファサードの隣にあるCappella degli Innocentiのファサードです。


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Cappella degli Innocentiファサード上部にあるモノグラム


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サンタ・カテリーナ教会の構造図


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美術館の扉が開きました。


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入館します。


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美術館は、考古学部門、絵画彫刻部門、サンタ・カテリーナ教会の三部門構成です。


154
入館すると先ずキオストロ回廊に出ます。


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長期間、軍事用に転用され、第二次世界大戦における二度の爆撃を受けたので、20世紀後半に復元された回廊です。


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それでもフレスコ画が僅かに残されてます。


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回廊の壁のフレスコ画断片


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回廊を経由して展示室に向かいます。


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現代抽象画が回廊にありました。


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現代抽象画は特別展示であって、常設ではないと思います。


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この日は階上で展示されていました。


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考古学部門から見て回りました。


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石器時代の展示


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青銅器


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鉄器


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(つづく)

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Palazzo dei Trecentoです。


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この日、食のフェスタが開催中でした。


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ヴェネツィア領だったことを示す「有翼の獅子像」


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次はサン・フランチェスコ修道院教会です。


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サン・フランチェスコ修道院教会の鐘楼です。


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サン・フランチェスコ修道院教会です。


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1216年、聖フランチェスコ(アッシジ、1182-1226)から派遣された修道士たちがトレヴィーゾに到着しました。すぐに定住して修道院を建てることが許され、聖母に捧げられた小さな修道院と礼拝堂が、現在の場所に建設されました。


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しかし、信者や修道士希望者が増える一方になり、建設されたばかりの聖母に捧げられた修道院と礼拝堂は手狭になってしまいました。


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教会のファサード
従来の建物が取り壊され、1231年から修道院と教会の建設が始まり、1270年完成した建物が現在の姿の原形となってます。


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1797年、フランス軍によって修道士が追放され、建物は接収されて兵舎に転用されました。


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フランス軍の撤退後、1806年、今度はイタリア王国の所有となり、イタリア王国軍の軍馬の厩舎として使用されることになりました。その際、修道院の回廊が半分破壊されたそうです。


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1920年頃から修復工事が行われ、1926年の工事完了を待って再び宗教活動が再開されました。少し新しく見える箇所は、修復された部分です。


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聖フランチェスコのブロンズ像が置かれてます。


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聖フランチェスコのブロンズ像は、ロベルト・クレメシーニ(ロヴィーゴ、1944-)の作品です。


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キオストロ


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キオストロ回廊


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1920年台に修復されました。


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回廊の壁は綺麗に塗装されてます。


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フレスコ画の痕跡すらもないようです。


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美術的な見所は全くないキオストロ回廊です。


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二廊式、ゴシック様式の内部です。


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美術的な見所が多い教会です。


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T字形の後陣、二廊式の珍しい構造をしています。


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制作者不明の「パドヴァの聖アントニオ」


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ピエトロ・アリギエーリの墓
ピエトロはダンテの弟です。


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アルヴィーゼ・ヴィヴァリーニ(ヴェネツィア、1446-1502)の「聖会話」(1480)


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ヴィットーレ・カルパッチョ(ヴェネツィア、1465-1520)の「聖ジョアッキーノと聖アンナの邂逅」


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次は市立美術館です。


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サン・レオナルド教会を通り過ぎます。


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この日、水量が多く、流れが急でした。


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水車が動いていました。


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水車の目的が分かりません。


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動いていないことが多かったと思います。


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魚市場が営業中でした。


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写真右の道を進みます。


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突き当りが市立美術館が置かれているサンタ・カテリーナ教会修道院です。


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美術館の入り口です。


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入館しました。


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キリがないので、この辺で終わりにしましょう。
(トレヴィ―ゾの街歩き おわり)

168
サンタ・マリア・マッジョーレ広場にやってきました。


170
サンタ・マリア・マッジョーレ教会です。


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この場所に1世紀から3世紀に建設されたエジプトの女神イシスを祀る異教の寺院がありましたが、キリスト教が国教となるに伴い、初期キリスト教会に転用されました。


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899年、マジャール人の侵攻によって初期キリスト教会は、破壊されてので、11世紀に再建されました。


172
15世紀中頃、二代目の建物は経時劣化のため破壊され、三代目の建物が1473年に創建され、16世紀に完成しました。そのヴェネツィア式ゴシック様式の三代目の建物が現在の姿です。


174
左側壁です。


173
後陣


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19世紀の制作されたエッチングです。鐘楼が低いことが分かります。


171
ファサードよりもかなり高い現在の鐘楼です。時計塔にするために20世紀に鐘楼が改造されたのです。


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20世紀に追加された時計


169
美術的な見所は、トンマーゾ・ダ・モデナに帰属するフレスコ画でしょう。


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三廊式、ゴシック様式の内部です。


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マドンナ・グランデ礼拝堂です。


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礼拝堂の祭壇


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トンマーゾ・ダ・モデナ(モデナ、1326-1379)に帰属する「マドンナ・グランデ」


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マドンナ・グランデ礼拝堂の上にもフレスコ画があります。


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15世紀のフレスコ画


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他にも見所が沢山あります。


175
古そうな建物にフレスコ画があります。


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かなり出来が良い「聖母子」ですが、制作者や制作された時期などが分かりません。


177
洪水の心配がありそうですが・・・・・


178
水位が低い場所が大部分です。


179
ホテルに戻りました。


001
トレヴィーゾの城壁です。


001
ホテルの部屋からの眺めです。


002


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この日は快晴でした。


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トレヴィーゾの紋章が壁にあります。


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非常に心地よい日でした。


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見慣れた光景です。


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サン・マルティーノ・ウルバーノ教会です。ラ・スペツィア大聖堂の小型版の建物に見えます。


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街の中心に向かいます。


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ポポロ通りです。


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マリオ・デル・モナコ像を見ます。


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イタリアの名オペラ歌手マリオ・デル・モナコ(ガエータ、1915-メストレ、1982)像です。


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フィレンツェ生まれとされていたマリオですが、後にマリオ自身がガエータ生まれと言ったそうです。晩年、腎臓を患ったモナコはトレヴィーゾ郊外の別荘で腎透析などの治療を受けていましたが、心臓発作を起こし、メストレの病院に運ばれて、そこで没したのです。


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トレヴィーゾのシンボル、時計塔です。


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(つづく)

127
次は市立美術館です。


133
カルロ・アルベルト通りを進みます。


134
通りの突き当りがトレヴィーゾ市立美術館です。


137
サンタ・カテリーナ教会修道院だった建物が市立美術館になってます。


153
入館しました。


154
旧修道院のキオストロ


P2490226
美術館は、考古学部門、絵画・彫刻部門、教会のフレスコ画の三部門構成です。


p1320561
ジョヴァンニ・ベッリーニの「聖母子」


P2490273
サンタ・カテリーナ教会の建物です。


156
キオストロ回廊
市立美術館については、項を改めて詳しく取り上げます。


136
外に出ました。


135
市立美術館の周囲を見て回ります。


140
旧サンタ・カテリーナ教会の後陣です。


141
サンタ・カテリーナ教会後陣前は広場になってます。


143
ジャコモ・マッテオッティ広場です。


142
街の中心に向かう通りです。


144
写っている鐘楼は、サンタ・カテリーナ教会修道院のものです。


145
サン・トンマーゾ門です。


146
1516年、市域の拡大によって新たに築かれた城壁の門として建てられました。


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門の名称は、門の直ぐ傍にあった、今は破壊されて存在しないサン・トンマーゾ・ベケット教会に因んでます。


147
サンタ・マリ・マッダレーナ教会です。


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13世紀に建設された元の建物は城壁外にありましたが、16世紀初頭、市域の拡大に伴って新しい城壁が築かれることになりました。元の建物は、新城壁に当たる場所にあったので、破壊されることになりました。


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その代わりに城壁内の現在の場所に新しい建物が建設されることになりました。


148
1576年に完成した二代目の建物が現在の外観です。1588年に奉献式が執り行われました。16世紀末に修道院が併設されました。
1772年、教会修道院はウルスリン(尼僧)の所有となりました。修道院は1810年に閉鎖され、修道院だった建物は2012年まで養老院として使用されていました。
1925年、教区教会になりました。


149
ファサードの聖マリア・マッダレーナのフレスコ画(17世紀)


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単廊式、ラテン十字形の内部です。


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後陣左の祭壇画は、カルレット・カリアーリ(ヴェネツィア、1570-1596)の「磔刑」
カルレット・カリアーリは、パオロ・カリアーリ通称パオロ・ヴェロネーゼの息子です。


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Presbiterio


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左側壁


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ファサード裏にオルガンがあります。


150
夕方になってきました。


161
古い建物が建ち並んでいる一角です。


162


163
一旦、川に出ました。


164
次はサン・ガエターノ教会です。


165
サン・ガエターノ教会です。


166
13世紀に創建されたロマネスク様式の教会でしたが、1509年に再建されました。


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現在は、宗教活動を休止しているようです。コンサートや展示会などの会場に転用されてます。


167
(つづく)

引き続きドゥオーモです。
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美術的に必見のCappella del Malchiostroです。


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ティツィアーノの祭壇画とポルデノーネのフレスコ画で有名です。


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トゥッリオ・ロンバルド(ヴェネツィア、?-1532)とアントニオ・ロンバルド(ヴェネツィア、1458-フェッラーラ、1516)兄弟(トゥッリオが兄です)によって1520年に造られた礼拝堂です。


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祭壇画は、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(ピエーヴェ・ディ・カードレ、1488/1490-ヴェネツィア、1576)の「受胎告知」(1519-20)です。


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後ろで顔を見せているのは礼拝堂の発注者でしょうか?


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033
「聖リベラーレ」を除いて、Cappella del Malchiostroのフレスコ画はポルデノーネの作品(1519)です。


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ジョヴァンニ・アントニオ・デ・サッキス通称イル・ポルデノーネ(ポルデノーネ、1483-フェッラーラ、1539)の「アウグストゥスの夢」(1519)
クーポラの、この部分のフレスコ画は、1944年4月7日のドイツ軍の爆撃によって被害を受けました。


034
写真右が「聖リベラーレ」のフレスコ画です。ポルデノーネの作品ではありません。


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ポンポニオ・アマルテオ(モッタ・ディ・リヴェンツァ、1505‐サン・ヴィトー・アル・タリアメント、1588)の「聖リベラーレ」
ポンポニオの妻は、ポルデノーネの娘です。その関係で、ポンポニオによって描かれたのでしょう。
そうは言っても、ポンポニオ・アマルテオは、生涯に5人の女性を妻帯したと言われ、相当な浮気者だったようです。なお、ポルデノーネの娘は、ポンポニオの二番目の妻でした。


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ジョヴァンニ・アントニオ・デ・サッキス通称イル・ポルデノーネ(ポルデノーネ、1483‐フェッラーラ、1539)の「聖パオロ」(1519)


035
ジョヴァンニ・アントニオ・デ・サッキス通称イル・ポルデノーネ(ポルデノーネ、1483‐フェッラーラ、1539)の「マギの礼拝」(1519)


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036
ジョヴァンニ・アントニオ・デ・サッキス通称イル・ポルデノーネ(ポルデノーネ、1483‐フェッラーラ、1539)の「ご訪問」(1519)


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ジョヴァンニ・アントニオ・デ・サッキス通称イル・ポルデノーネ(ポルデノーネ、1483‐フェッラーラ、1539)の「聖ピエトロ」(1519)


031
サンティッシモ・サクラメント礼拝堂です。


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043
ドゥオーモ広場に面して建っている建物です。


111
面白い形をした南瓜が並んでます。


112


116
ロマネスク様式の歴史的建造物です。


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1276年から1277年に建設されたLoggia del Cavalieriです。


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1944年4月7日、ドイツ軍の爆撃を受けたので、戦後に修復されました。


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ロッジャの中に入ります。


118
展示場、コンサート会場などに利用されてます。


117
中に入っても特に見所がなさそうです。


119
次はサン・レオナルド教会です。


121
サン・レオナルド広場です。


120
サン・レオナルド広場に面して建つサン・レオナルド教会です。サンタ・リータ教会とも呼ばれてます。


123
現在地には、サン・レオナルド病院がありましたが、病院付属の礼拝堂が前身です。礼拝堂から規模拡大されてサン・レオナルド教会になりました。サン・レオナルド教会は、1330年の文書に初めてその存在が記載されました。


122
1657年に再建された建物が現在の姿の原形となってますが、ファサードは20世紀に新造された新しいものです。


124
「水の都」、「小さなヴェネツィア」と呼ばれているトレヴィーゾです。


125
水車があります。


126
魚市場です。


128
閉店時間が早い魚市場です。


129
流れが速く、水量が多い川です。


130


132


131
(つづく)

引き続きドゥオーモです。
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クリプタから本堂に戻ります。


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新しい建物ですが、美術的に見所が多い大聖堂です。


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クーポラ


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左側壁にオルガンがあります。


028
1915年に制作された比較的新しいオルガンです。


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現在のオルガンは四代目となるものです。


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扉があります。


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扉がありますが、使用されていないようです。


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ロマネスク様式の二代目の建物時代の入り口扉で、15世紀に制作されたものが聖堂内に保存されてます。


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入口扉上のルネッタが見所です。


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ルネッタの「ピエタのキリスト」(13世紀)


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Altare del Beato Enrico da Bolzano


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ベアート・エンリコ・ダ・ボルツァーノの墓


032
祭壇画の詳細が分かりません。


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Cappella della Madonnaを見ます。


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制作された時代が異なる彫刻があります。


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フェルディナンド・ストゥフレッサー(ドイツ、1855-1926)の「聖母子」(19世紀)


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ヴェネツィア派逸名彫刻家作「聖リベラーレ」(16世紀後半)


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アレッサンドロ・ヴィットリア(トレント、1525-ヴェネツィア、1608)の「聖ジョヴァンニ・バッティスタ」(1570)


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ロレンツォ・ブレーニョ(オステノ、1475/1485-ヴェネツィア、1523)の「ご訪問」


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Altare dei Santi della Diocesi di Treviso


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ピオ10世のブロンズ像(1954)


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Pala d'Altare di Safet Zec
祭壇画の詳細が分かりません。


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Altare del Beato Andrea Giacinto Longhin


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詳細不知


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Cappella Santa Guistina


027
サンタ・ジュスティーナ礼拝堂の祭壇画


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フランチェスコ・ビッソロ(トレヴィーゾ、1470/1472-ヴェネツィア、1554)の「聖ジュスティ―ナと聖ジョヴァンニ・バッティスタとアレッサンドリアの聖カテリーナ」(1530)


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Cappella dell'AnnunziataにあるMonumento di Vescovo Castellano Salomone(1322)
この礼拝堂に4点の祭壇画があります。


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パリス・ボルドン(トレヴィーゾ、1500-ヴェネツィア、1571)の「羊飼いの礼拝」(1550c)


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パリス・ボルドン(トレヴィーゾ、1500-ヴェネツィア、1571)の「聖ロレンツォと四聖人」(1562)


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p1320534
ジローラモ・ダ・トレヴィーゾ・イル・ヴェッキオ(トレヴィーゾ、1451-1497)の「花の聖母」(1487)


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ドメニコ・カプリオーロ(ヴェネツィア、1494-トレヴィーゾ、1528)の「聖母被昇天」


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フランチェスコ・ドミニーチの「トレヴィーゾのドゥオーモ(ロマネスク様式の建物時代)」


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パリス・ボルドン(トレヴィーゾ、1500-ヴェネツィア、1571)の「キリストの物語」


p1320541


p1320539
(つづく)

020
次はドゥオーモです。


071
ドゥオーモにやってきましたが、ファサード側に回ります。


044
ドゥオーモ広場です。


042
広場に面して建つサン・ピエトロ・アポストロ大聖堂 Cattedrale di San Pietro Apostolo、トレヴィーゾ司教区の司教座教会です。


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現在、ドゥオーモが建っている場所は、ローマ時代、寺院、劇場、幾つかの浴場があった街の中心地でした。


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6世紀頃、現在地に建てられた初期キリスト教会が前身です。


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初期キリスト教会は、11世紀初めに取り壊され、11世紀から12世紀にかけてロマネスク様式の二代目の建物が再建されました。
しかし、18世紀初め、経時劣化が進み建物が荒廃したので、18世紀中頃に作家で政治家であり外交官だったアンドレア・メンモ(ヴェネツィア、1729-1793)などを中心とする人々からドゥオーモ再建が建議され、物理学者、建築、数学者、音楽理論家だったジョルダーノ・リッカティ(カステルフランコ・ヴェネト、1709-トレヴィーゾ、1790)の企画立案に基づき、新古典様式建築家ジャンアントニオ・セルヴァ(ヴェネツィア、1751-1819)によって、1760年から1782年にかけて建設された新古典様式の三代目の建物が現在の姿の原形となってます。
現在のファサードは、建築家フランチェスコ・ボンベン(トレヴィーゾ、1801-1875)とガスパーレ・ペトロヴィチによって1836年に建設されました。


p1320485
1944年4月7日、ドイツ軍の爆撃を受け大きな被害を受けたので、戦後に大修復されました。


046
ファサードに向かって左に教会のような古い建物があります。


023
このロマネスク様式の建物は、ドゥオーモの洗礼堂です。サン・ジョヴァンニ洗礼堂は13世紀に建設されました。


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サン・ジョヴァンニ洗礼堂の後方に鐘楼があります。


022
鐘楼は時計塔を兼ねてます。


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トレヴィーゾは長らくヴェネツィア領でしたが、ヴェネツィア支配下の時代、この鐘楼はヴェネツィアのサン・マルコ寺院の鐘楼よりも、規模や装飾の点で、下にしないといけないという規制を受けていました。


024
左外壁です。


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クーポラ


021
二代目の建物の一部が現存しています。


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ファサードの左右にライオン像があります。


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ファサードに向かって左側のライオン像


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ファサードに向かって右側のライオン像


045
拝観します。


025
聖堂内に入りました。


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三廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


026
主祭壇とPresbiterio


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ピエトロ・ロンバルド(カローナ、1435c-ヴェネツィア、1515)の「祭壇」


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アッリンゴ・ダ・ボルツァーノの墓(14世紀)


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Presbiterioは立ち入り禁止でした。


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マリオ・ルデッリ(チニセッロ・バルサモ、1938-)の「聖書台」(1999)


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Presbiterio左側壁にあるビアージョ・ビアゲッティ(ポルト・レカナーティ、1897-マチェラータ、1948)の「ピオ10世の黙示録」(1914-15)


038
クリプタに入りました。


039
現存する大聖堂の中で、最古の部分がクリプタと言われてます。


040
11世紀から12世紀に建設されたクリプタです。


041
現在のクリプタは、15世紀に行われた改造後のものです。


p1320500
聖リベラーレの聖遺物(1403)


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ミストロリゴ司教の墓


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クリプタの所々にフレスコ画の断片が残されてます。


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フレスコ画の最古のものは13世紀から14世紀に遡ります。


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比較的新しいフレスコ画は、ヴェネツィア派逸名画家によって16世紀に制作されました。


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(つづく)

引き続き旧サン・ニコロ修道院の聖堂参事会室に描かれたドメニコ会修道士たちの肖像画です。
トンマーゾ・ダ・モデナ(モデナ、1326-1379)と、トンマーゾの弟子と協力者によって1352年に描かれました。
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Matteo Orsini


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Guglielmo Anglico


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Tommaso Anglico


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Nicolo di Rouen


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Gualtiero Winterbourne


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Nicolo Alberti


p1320470
Nicolo Boccasino


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Ugo di Billom


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Latino Malabranca


p1320473
Roberto Kilwardby


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Pietro di Tarantasia


p1320475
Annibaldo Annibaldi


p1320476
Ugo da San Caro


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Benedetto XI


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Innocenzo V


094
旧サン・ニコロ修道院の建物にIstituto Diocesano di Musicaがあります。


019
何か食べなくては。


P2490199
時間的に昼食を食べないと夕食まで持ちませんが、それ程お腹が空いていなかった。


P2490200
手軽に食べるため、日本語が通じない奇妙なお店に入りました。


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トレヴィーゾで初めて寿司もどきを食べました。


083
ビールで流し込んだ昼食でした。


084
柱廊を歩きました。


082
日差しが出てきました。


081
古い建物ですが、特に名前がないようです。


080
Monumento Ai Caduti di Tutte Le Guerre 戦争記念碑です。


p1320479
コンペで制作者が選ばれ、1926年から1931年に造られました。
第一次世界大戦の戦争記念碑です。


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第二次世界大戦の爆撃によって大被害を受けたので、戦後の復元されました。


079
シーレ川とソーレ川の合流点です。


078
Piazza Tretin


077
Piazza San Vito


076
Palazzo dei Trecento


074
再び街の中心にやってきました。


073


075


072
ベネトンの事務所です。


109
先ほどと同じ場所に来てしまいました。


110
サント・ステファノ教会です。


p1320481
サント・ステファノ教会の存在は、1000年頃の記録に初めて記載されたそうです。


115
二代目の建物が16世紀に倒壊してしまいました。


114
現在の建物は、1738年から1744年に建設されたものですが、第二次世界大戦の爆撃によって甚大な被害を受け、戦後に修復され、更に2011年から2012年にかけて行われた修復後のものです。


113
ファサードの聖ジョヴァンニ・バッティスタ像
(つづく)

p1320426
トンマーゾ・ダ・モデナ(モデナ、1326-1379)の「聖ジローラモ」


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トンマーゾ・ダ・モデナ派逸名画家作「大天使聖ミケーレ」(14世紀中頃)


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トンマーゾ・ダ・モデナ(モデナ、1326-1379)の「聖アグネス」


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制作者情報不知の「子供」


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オルガン


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ベアータ・ヴェルジネ礼拝堂


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ダニエル・ヴァン・デン・ダイク(アントワープ、1610-マントヴァ、1670)の「十字架を持つ聖ドメニコとシモン・デ・モントフォルト」


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教会から外に出て、隣の旧修道院に行きます。


092
修道院の入り口です。
1221年創建の修道院は、1810年にナポレオンの抑圧令によって閉鎖されました。修道院だった建物は、1812年から神学校に転用され現在に至ってます。


095
神学校 Seminario Vescovile Maggioreの入り口です。


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旧修道院に入ります。


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入口扉上の紋章


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修道院のキオストロ回廊


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キオストロ回廊の壁にある日時計
修道院の聖堂参事会室のフレスコ画が必見です。


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聖堂参事会室 Sala del Capitoloです。


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部屋の壁にフレスコ画が描かれてます。


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修道士たちが描かれてます。


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トンマーゾ・ダ・モデナ(モデナ、1326-1379)と、トンマーゾの弟子や協力者によって、1352年に制作された40人のドメニコ会修道士の肖像画です。
肖像画の下に名前が書かれているので、誰の肖像画なのか、全て分かってます。


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Giordano di Sassonia


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Raimondo de Penafort


p1320444
Giovanni di Sassonia


p1320445
Alberto Magno


p1320446
Giovanni da Schio


p1320447
Isnardo da Chiampo


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Gualtiero d'Alemagna


p1320449
Pietro Sendre


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Pelagio di Spagna


p1320451
Bernardo di Traversers


p1320452
Vincenzo da Beauvais


p1320453
Ambrogio da Siena


p1320454
Giacomo da Venezia


p1320455
Agostino di Trau


p1320456
Pietro de la Palude


p1320457
Maurizio d'Ungheria


p1320458
Guido Maramaldi


p1320459
Giovanni de Molendini


p1320460
Gerardo da Limoges


p1320461
Tommaso de Molendini


p1320462
Bonifacio da Pisa


p1320463
Guglielmo di Bayonne
(つづく)

101
この小川はボッテニガと呼ばれているようです。


102
この辺は街の西方に当たります。


103
小魚が泳ぎ、鳥が沢山います。


104
Via Lungo Sileに面して建つ、非常に目立つ建物です。民家のようです。


096
次はサン・ニコロ教区教会です。


105
サン・ニコロ教区教会です。


085
ファサード側に回ります。


087
1221年、Frati Domenicaniの修道士たちがトレヴィーゾに現れ、街の南西部に当たる城壁内の土地(現在の場所)が与えられました。


091
与えられた土地に聖二コラに捧げられた礼拝堂がありましたが、その礼拝堂が修道士たちの活動拠点になりました。


p1320402
直ぐに修道院と教会の建設が決まりました。
13世紀第2四半世紀に創建され、1282年奉献式が執り行われたので、それ以前に一応の完成を見たようです。


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ニッコロ・ディ・ボッカッショ、後の第194代教皇ベネデット11世(トレヴィーゾ、1240-ペルージャ、1304 教皇在位:1303-1304)が1257年から7年間、このサン・ニコロ修道院で修業した記録が残されているので、1257年頃にはゴシック様式の建物は一応完成したとされてます。


p1320404
奉献式時点の建物は、縦49メートル、横14メートルの大きなものでした。


106
後陣です。


107
13世紀末まで拡張工事が行われ、ほぼ現在の規模の大きさになりました。


108
鐘楼


093
現在の建物の大きさは、長さ88メートル、高さ33.35メートル、幅27.5メートル、左右の翼廊全長38.32メートルです。


086
よく見ると新しそうに見える外観です。


090
1944年、ドイツ軍の爆撃を受け、大部分が崩落するなど大きな被害を受けてしまいました。そのため、戦後に修復、復元されたので新しく見えるのです。


089
美術的な見所が豊富です。


p1320403
ファサード側の扉は閉まっていることが多いようです。


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通常、左側壁の入り口が開きます。


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三廊式、ラテン十字形、ゴシック様式の内部です。


p1320411
ゴシック様式の天井は、戦後に復元されたものです。


p1320408Presbiterio


p1320410
主祭壇画です。


p1320409
ジョヴァンニ・ジローラモ・サヴォルド(ブレーシャ、1480-ヴェネツィア、1548)の「聖会話」(1521)


p1320412
オルガンよりも、その下にあるフレスコ画の方に興味があります。


p1320413


p13209423
作品帰属が分かりません(私が分からないという意味です)。


p1320414
その横に大きな聖クリストフォロのフレスコがあります。


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アントニオ・ダ・トレヴィーゾの「聖クリストフォロ」(1410)


p1320415
アンドレア・ダ・ムラーノ(ムラーノ、1462-カステルフランコ・ヴェネト、1512)の「聖母子と聖ピエトロと聖パオロ」(1510)


p1320416
ロザリオ礼拝堂


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p1320418
トンマーゾ・ダ・モデナ(モデナ、1326-1379)の「聖ジローラモ」


p1320419
トンマーゾ・ダ・モデナ(モデナ、1326-1379)の「聖アグネスと聖ジョヴァンニ・バッティスタ」


p1320420
トンマーゾ・ダ・モデナ(モデナ、1326-1379)の「聖ニコロ」


p1320421


p1320422
右側廊


p1320425
制作者情報不知の「聖痕を受ける聖フランチェスコ」
(つづく)

サンタグネス教区教会の続きです。
061
単廊式、ラテン十字形、新古典様式の内部です。


060
1729年に施されたスタッコ彫刻による装飾が目立ちます。


p1320380
Presbiterio左


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Presbiterio右


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主祭壇画と聖歌隊席


063
主祭壇画は、オッタヴィオ・コッキ(トスカーナ、17世紀中頃活動)の「四十聖人の殉教」


p1320383
左側壁の礼拝堂です。


064
逸名画家作「救世主」(20世紀)


p1320384
右側壁の礼拝堂です。


065
ジュリオ・エットーレ・エルラー(オデルツォ、1876-トレヴィーゾ、1964)の「聖母子」


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右側壁の礼拝堂です。


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ジョヴァンニ・アントニオ・デ・ピエリ通称ロ・ゾッポ(ヴェネツィア、1671-1751)の「聖アグネスの殉教」


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左側壁の礼拝堂の祭壇画は、フランチェスコ・フェデーリ通称イル・マッジョット(ヴェネツィア、1738-1805)の「女性を解放する聖ウバルド」


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詳細不知


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外に出て、道路を挟んで教会の向かいにあるMuseoに行きます。


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Musei Luigi Bailoです。


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この時は、大改修工事待ちで長期休館中でした。


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現在は、大改修されて近代美術館になってます。


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このように一新されました。


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Museo Civico Luigi Bailoです。綺麗に改修されたのは、建物の半分だけです。資金不足のため、完成の目途が立たないようです。


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近代美術館(Museo Civico Luigi Bailo)の中庭


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修道院だった建物です。


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19世紀の作品が展示の中心です。


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ルイージ・セレーナ(モンテベッル―ナ、1855-トレヴィーゾ、1911)の「花市場」(1880-82)


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ルイージ・セレーナ(モンテベッル―ナ、1855-トレヴィーゾ、1911)の「禁じられた果実の物語」(1897)
ルイージ・セレーナは、ヴェネツィア・リアリズムの画家です。


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ルイージ・セレーナ(モンテベッル―ナ、1855-トレヴィーゾ、1911)の「農家の日常」


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ルイージ・セレーナ(モンテベッル―ナ、1855-トレヴィーゾ、1911)の「幸福な時代」(1884-86)


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ルイージ・セレーナ(モンテベッル―ナ、1855-トレヴィーゾ、1911)の「自画像」


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彫刻の展示です。


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古そうに見えますが、19世紀の作品です。


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トレヴィーゾは、美術館や博物館の整備拡充に注力しています。


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城壁上の遊歩道に出ます。


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写真左が城壁です。


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遊歩道が設けられてます。


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城壁は高くありません。


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街のあちこちに水が流れてます。


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城壁外に出ました。


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綺麗な水です。


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(つづく)

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前泊地はブレーシャでした。


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ヴェネツィア・メストレで乗り換えます。


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トリエステ行きRVは空いてました。


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トレヴィーゾ駅に到着しました。


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トレヴィーゾ駅の駅舎です。
トレヴィーゾは、人口85,760人(2019年12月31日現在)のヴェネト州トレヴィーゾ県の県都です。ベネトンを始めとしてイタリア主要企業数社が本社を置く、財政豊かで安全な街として知られてます。また、ティラミス発祥の地として有名です。


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駅前のホテルにチェックインしました。


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ホテル前に置かれた石造りの椅子です。


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街歩きに出発しました。


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トレヴィーゾは、Fontanassiと呼ばれる多くの泉が湧く水資源が豊富なことで知られてます。


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旧市街をシーレ川と、その支流ソーレ川が流れ、運河もあって、風光明媚な街です。


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シーレ川に架かるサン・マルティーノ橋を渡って旧市街に入ります。実は、この旅のお宿も城壁の外にあるように見えますが城壁内にあります。


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サン・マルティーノ・ウルバーノ教会です。
6世紀半ばに創建された、トレヴィーゾで最古の教会の一つでした。現在の建物は1960年から1970年に建設された三代目となるものです。


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外観と同様に、内部も斬新的でついていけません。


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駅から延びるローマ通りです。


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ローマ通りの突き当りを右折してポポロ大通りに出ました。


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広場に見えないのですが、ボルサ広場と呼ばれてます。旧市街の中心シニョーリ広場に向かいます。


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ポポロ大通りを左折して、9月20日通りに入りました。


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旧市街の中心シニョーリ広場です。


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Palazzo dei Trecentoです。


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Palazzo della Ragioneとも呼ばれてます。


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市の様々な会議を行うために1185年頃に建設されました。


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Palazzo dei Trecentoに隣接した建物は、刑務所として1268年に建設されました。


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その後、裁判所や市民のための集会所として使用されました。


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20世紀初頭に時計塔が追加されました。


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1944年4月7日、ドイツ軍の爆撃を受け、大きな被害を受けました。


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戦後に大修復工事が行われ蘇りました。現在は市議会の議場になっている他、市の様々な用途に使用されてます。


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この日はシニョーリ広場で青空市が開市されていました。


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市立博物館に向かいました。


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市立博物館です。この時は休館中でした。


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フレスコ装飾された歴史的建造物です。この建物ですが、最近、やる気が失せているので調べる気がありません。ブログを書くのは自己満足感からですから。


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ベアート・エンリコ教会です。この日も開いていませんでした。


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サン・○○教会は普通ですが、ベアート・○○教会は珍しいと思います。


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1835年に建設されました。


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サン・リベラーレ通りです。


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サンタグネス教会(聖アグネス教会)にやってきました。


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1268年の記録に、この教会の存在が初めて記載されました。


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アンドレア・パニョッシン(トレヴィーゾ、1576c-1642c)によって1613年に二代目の建物が完成しました。


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19世紀に教区教会になりました。


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中に入りました。


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(つづく)

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